野川由美子

ウィキペディアから、無料の百科事典
のがわ ゆみこ
野川 由美子
野川 由美子
『映画情報』1966年12月号より
本名 山像 由美子(やまがた ゆみこ)
(旧姓:野川)
生年月日 (1944-08-30) 1944年8月30日(82歳)
出生地 日本の旗 日本・京都府京都市
血液型 A型
職業 女優
ジャンル テレビドラマ、舞台、映画
活動期間 1963年 -
活動内容 1961年:ミス着物コンクール準ミス
1963年:NET『孤独の賭け』でデビュー
1964年:『肉体の門』で映画デビュー
1965年:『春婦伝』、『悦楽』
1966年:『河内カルメン』
1967年:『ある殺し屋』
1972年:『夫婦善哉』(舞台)、『必殺仕掛人』
1974年:『暗闇仕留人』
1976年:『桃太郎侍』
1983年:『長七郎江戸日記』
1999年:『おもちゃ』
2003年:『白い巨塔』
配偶者 逢坂勉(1971年 - )
著名な家族 山像かおり(義娘)
事務所 オフィス天童
公式サイト オフィス天童 office-TENDOによる公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
『孤独の賭け』(1963年版)
『必殺仕掛人』
『必殺仕置人』
『助け人走る』
『暗闇仕留人』
『桃太郎侍』
『長七郎江戸日記』
『白い巨塔 (2003年のテレビドラマ)』
映画
『肉体の門』
『クレージーキャッツ』シリーズ
『花いちもんめ』
『おもちゃ』
バラエティー番組など
『サラリーマンNEO』
受賞
京都市民映画祭
助演女優賞
『北陸代理戦争』(1977年)
テンプレートを表示

野川 由美子(のがわ ゆみこ、1944年8月30日[1] - )は、日本の女優。京都府京都市出身。本名、山像(やまがた)由美子、京都府立朱雀高等学校卒業。夫は演出家の逢坂勉(本名・山像信夫)、山像かおりは義娘。所属事務所は中田プロ→渡辺プロダクション→フリー→オフィスまとば→さち子プロ→オフィス天童[2]。身長160cm、体重52kg。

来歴・人物

年末年始は重箱の弁当を持って桟敷席で歌舞伎を観るというのが野川家の恒例で、小さな頃から芝居を観て育つ中、映画を見始めた小学校3年生の頃、中村錦之助を観て憧れを持つようになった。家に帰って鏡に向かっては相手役のマネをし、「いつか絶対に一緒にお芝居をやるんだ」と思うようになっていた[3]。

小学校4年生の頃、伯父が琵琶湖一周のドライブに連れて行ってくれ、「紅葉館」という旅館で食事をすることになった。その日は東映が初めてカラーで『鳳城の花嫁』を封切りした日でもあり、記念パーティが行われる中、宴会場から出てきた俳優に「錦之助さんに会いたいんですけど、どうしたらいいですか?」と尋ねたところ、多少酔った錦之助と会うことができた。錦之助は野川の前でハンカチを広げて端っこを持ち、サインをしてくれたという。ますますファンになり、「錦之助と一緒に芝居をしたい」という思いはより強くなった[3]。

女優になるには、まず標準語を覚えなくてはいけないということで、ひたすら映画を観てマネして覚え、中学では週に一度NHKの関係者が滑舌と発声を教えに来ていたので、丸3年間、勉強そっちのけで猛練習した[3]。

高校生になったら、その上で何か肩書を得ようと考えて、応募したのがミス着物コンクール[3]。準ミスに選ばれたのがきっかけで念願の芸能界入り[1][4]。

1963年、『孤独の賭け』でデビューし[4]、演じた役柄が好評を博す。

1964年、『肉体の門』で映画界に進出[4]。

1971年、山像との結婚後は、関西に活動の重点を移した。

1977年、『北陸代理戦争』での演技で京都市民映画祭助演女優賞を受賞[4]。

『ウェークアップ!』ではコメンテーターとしても活動し、議員定数削減などを強く訴えた。

出演

テレビドラマ

映画

舞台

バラエティ・情報番組

CM

脚注

  1. 1 2 “私のタクシー体験(野川由美子 × 村瀬薫久)”. www.meitaku.co.jp. 名鉄交通. 2024年9月4日閲覧。
  2. ↑ オフィス天童. “オフィス天童 office-TENDO トップページ”. 2016年1月15日閲覧。
  3. 1 2 3 4 ELECTORE. “幼き夢を叶えたのは、強い思い女優・野川由美子 | 総合美 | エルビュー 公式WEBマガジン”. sougoubi.com. 2025年4月18日閲覧。
  4. 1 2 3 4 “野川由美子|人物|NHKアーカイブス”. NHKアーカイブス. NHK. 2024年9月4日閲覧。

関連項目

外部リンク