1747年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
| 十年紀: | 1720年代 1730年代 1740年代 1750年代 1760年代 |
| 年: | 1744年 1745年 1746年 1747年 1748年 1749年 1750年 |

1747年(1747 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]- イギリス -
- 科学者、ウィリアム・ワトソンがライデン瓶を使って電気回路を示す[1]。
- サミュエル・リチャードソンの書簡体小説・長編小説『クラリッサ』の刊行始まる(-1748年)。
- 議会における政治討議(議事録)の公刊が中断される(-1752年)。→「エドワード・ケイヴ」および「リリパットとブレフスキュ」も参照
- 清 - 米価高騰が問題化[2]。
- 13植民地 - ニューヨーク市の法律家たちにより、アメリカ最初の合法的団体であるニューヨーク法曹協会(英: The New York Bar Association)が組織される。ニューヨーク総督代理、キャドワラダー・コールデンからの攻撃からの自衛を目的とした[3]。
- スイス -
- レオンハルト・オイラーが色消しレンズの原理を提唱[4]。
- アルブレヒト・フォン・ハラーが『生理学要綱』(羅: Primae lineae physiologiae)に着手。近代生理学の基を築く[4]。
- デンマーク - ソーレに貴族子弟向きのアカデミー、ソーレ・アカデミーが設立される[5]。
フランス王国 -
パリ8区、マドレーヌ広場6番地所在のマイユ店舗 - ドイツ
- プロイセン -
- 化学者のアンドレアス・ジギスムント・マルクグラーフがテンサイに糖が含まれていることを発見[4]。
- ゴットホルト・エフライム・レッシングが喜劇『ダーモンあるいは真の友情』を発表[4]。
- フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトックが詩「ギリシャ人の弟子」(独: Der Lehrling der Griechen)を執筆[4]。
- クリスティアン・フュルヒテゴット・ゲレルトが小説『スウェーデンのG伯爵夫人の生涯』(独: Das Leben der Schwedischen Gräfin von G)の刊行開始(-1748年)[4]。

ロンドン版『人体筋骨図譜』。1749年刊行。
- ネーデルラント連邦共和国 - ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌスがライデンで『人体筋骨図譜』(羅: Tabulae sceleti et musculorum corporis humani)を出版。
- ロシア帝国 -
- サンクトペテルブルク大学がロシア科学アカデミー内部で再編[4]。
- ミハイル・ロモノーソフが『冷と熱の原因に関する考察』(ラテン語: Meditationes De Solido Et Fluido)を発表[4]。
- ベトナム - 広南国の王、阮福濶が、カンボジアで新たに即位したアントンに対する反乱を支援するため、同地に軍隊を派遣。阮氏の軍隊はソクチャンを占領し、カンボジアの首都であるウドン城まで進撃した。
- 西アジア - マムルーク勢力がバグダードの支配を掌握[5]。
- 西アフリカ - 東部(現在のベナン)から南部のナイジェリアを占領していたヨルバ人が、ダホメ王国を侵略。ダホメ王国はオヨ王国への貢納が義務付けられる(-1818年)[1]。
- 日本 -
1月-3月
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- 1月11日 –ドイツ7大名窯のひとつ、フュルステンベルグ窯(現在のニーダーザクセン州フュルステンベルク)が開業。ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世 の命による。
- 1月31日 – 性病専門の病院(駆黴院)としては世界初のロンドン駆黴院が開業(-1952年)。
- 2月11日 – ジョージ王戦争 - グランプレの戦い。ニコラ・アントワーヌ・クロン・デ・ヴィラーズ2世率いるヌーベルフランスの軍隊とミクマク族の民兵が、ノバスコシア州、グラン=プレでイギリス軍を破る。
- 2月 -
- 3月3日 - ガンデンポタンの財務大臣ポラネー没する。その子、ギュルメー・ナムギュルは清に対し独立政策をとる[2]。
- 3月7日 – スペイン領フィリピン総督代理の司教フアン・デ・アルチェデラが、スペイン軍とスールー・スルタンのアジム・ウッディーン1世(Azim ud-Din I)の軍勢を統合させる。 ビサヤ諸島で発生していたモロ人の反乱を鎮圧が目的であった[10]。
- 3月19日 – スコットランドの貴族、ラヴァト卿サイモン・フレイザーが、チャールズ・エドワード・ステュアートを王位につけんがためにイギリス王ジョージ2世に対して起こした、1745年ジャコバイト蜂起の首謀者の一人であった廉で反逆罪に問われ、有罪・死刑判決を受ける[11]。貴族院で行われた7日間の弾劾裁判と有罪判決の後、フレイザーは最終判決の同日に首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑に処されることに決まる。しかしながら、この判決はジョージ2世によって斬首刑に変更された。
4月-6月
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- 4月9日 - ラヴァト卿ジョン・フレイザーが斬首によって公開処刑される。執行人はジョン・スリフト。これはイギリス史上最後の斬首刑となった。
- 4月20日(延享4年3月21日)– 遠江で、東海道の盗賊日本左衛門(歌舞伎『白浪五人男』の日本駄右衛門のモデル)が見附で獄門に処される。
- 4月 -
- オーストリア継承戦争に伴うフランス軍の侵攻により、オラニエ公ウィレム4世がオランダ全州の総督に任命される。
- カーナティック戦争 - ナンジャ・ラージャ(クリシュナ・ラージャ2世の兄弟)率いるマイソール王国の軍隊がデーヴァナハッリ城を攻略する。この戦役に従軍したハイダル・アリーが軍功を認められ、軍人として名を挙げることとなった[12]。
5月7日 – ヨハン・ゼバスティアン・バッハが、ポツダムに同年完成したサン・スーシ宮殿でフリードリヒ2世と謁見、御前で即興演奏を行う[4]。同年7月には楽譜に書き起こしてフリードリヒ2世に献呈し、さらに9月末には新しく作曲したカノンとリチェルカーレ、フルートの参加するトリオ・ソナタを加えたものを『音楽の捧げもの』として出版する。
『音楽の捧げもの』六声のリチェルカーレ譜面。ドイツ、ベルリン州立図書館蔵。 - 5月14日 – オーストリア継承戦争 – 第一次フィニステレ岬の海戦。提督ジョージ・アンソン率いるイギリスの艦隊がフランスの艦隊を破る。
- 5月20日 - イギリスの海軍外科医、ジェームズ・リンドが、壊血病の原因を突き止めるために実験を開始する。
- 5月24日(延享4年4月16日)– 江戸城二の丸が焼失する。
7月-9月
[編集] 7月2日 – オーストリア継承戦争 – ラウフフェルトの戦い。モーリス・ド・サックス元帥率いるフランス軍がハノーファー・グレートブリテン・ネーデルラントの同盟軍相手に決定的な勝利を収める。これによって、フランス・オーストリア戦争の趨勢がほぼ決した。
ナーディル・シャー暗殺後のイラン - 7月19日 – ナーディル・シャー暗殺。以後アフシャール朝は崩壊しながら衰退し、1796年にガージャール朝によってとどめを刺されることとなる。
- 7月 - 八旗漢軍人に外省居住が許される[2]。
- 8月15日 – イギリス、ロシア、ネーデルラントの三国が、フランスとプロイセンへの対抗を目的としたサンクトペテルブルク協定(1747年)に合意。
- 8月24日 – キプロスの太守であったサイイド・アブドゥラ・パシャがオスマン帝国の大宰相に就任し、1750年まで勤める。

1747年9月号の『ジェントルマンズ・マガジン』誌に掲載された、南西から臨むヴェスヴィオ山。この雑誌は、1731年に創刊された、世界で初めて"magazine"の語を用いた逐次刊行物であった。 - 9月13日 – オーストリア継承戦争 - ベルヘン・オプ・ゾーム攻囲戦。70日間の攻防の末、ネーデルラントの街、ベルヘン・オプ・ゾームがフランス軍によって陥落させられる[13]。
- 9月21日 – カリブ海で発生したハリケーンが、主にセント・キッツ島に停泊していた軍監を中心に11隻沈没させる。
10月-12月
[編集] 10月1日 - ヒジュラ暦1160年シャウワール (第10月)7日、カンダハールのパシュトゥーン族長たちが大会議(ロヤ・ジルガ)を開き、アフガニスタンの指導者にドゥッラーニー部族連合のアフマド・シャー・ドゥッラニーを選出する。これをもってドゥッラニー帝国が建国された(-1842年)[5]。
10月:アフマド・シャー・ドゥッラーニーがアフガン帝国のシャーに即位。 - 10月21日 - ジョージ2世が、カンタベリー大主教ジョン・ポターの死を受けて、その3日目のこの日に、ヨーク大主教であったトーマス・ヘリングを後任に異動させる。
- 10月24日 - カリブ海のハリケーンが、イギリスとフランスの間で領有権が争われていたセント・キッツ島を襲う。イギリスの貨物船12隻とフランスの貨物船1隻が沈没[15]。
- 10月25日 - オーストリア継承戦争 - 第二次フィニステレ岬の海戦。イギリス海軍がまたもフランス艦隊を破る。
- 11月9日 - アムステルダムで政治改革を求める暴動が勃発[16]。

ニンフェンベルク窯産のロココ様式の花瓶。1760年代。 - 11月11日 - ドイツ7大名窯のひとつ、ニンフェンブルク磁器製造所(現在のバイエルン州ミュンヘン)が、バイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの命によりニンフェンブルク宮殿内で開業。
- 11月17日から19日 – マサチューセッツ湾植民地、ボストンでノウルズ暴動 が3日間に渡って発生。イギリス海軍による強制徴募に抗議するものであった。
- 12月7日 - ベンジャミン・フランクリンがペンシルベニア植民地初の民兵組織であるペンシルバニアアソシエイターズを組織する。同植民地は平和主義であったクエーカー教徒によって整備されたため、既存の民兵組織が無かった[17]。
- 12月13日 - メリーランド植民地船籍の貨物船であったスループ船エンデヴァー号の漂流。アナポリスを出港して西インド諸島に向かって航海を行っている最中に、ハリケーンに巻き込まれる。マストと索具が失われたままエンデヴァー号は6ヶ月ものあいだ漂流したのち、スコットランド、タイリー島に漂着した[18]。

『義経千本桜』。初代坂東三津五郎演じる源九郎狐。勝川春常画。サンディエゴ美術館蔵。 - 12月17日(延享4年11月16日) – 大坂、竹本座で竹田出雲ら作『義経千本桜』が初演され成功する。
- 12月27日 - イギリス議会が1740年帰化法を修正し、非英国国教会系プロテスタント教派にも適応範囲を拡げた[19]。
- 12月 - 乾隆帝、各省の督撫に米貴問題(米価高騰問題)の解決策について諮問する[20]。
誕生
[編集]→「Category:1747年生」も参照
- 1月1日(延享3年11月21日) - 荒木田久老[21]、国学者、歌人(+ 1804年)
- 1月4日 - ドミニク・ヴィヴァン[22]、フランスの画家、外交官(+ 1825年)
- 1月10日 - アブラアム=ルイ・ブレゲ[23]、フランスの時計製造業者(+ 1823年)
- 1月19日 - ヨハン・ボーデ[24]、ドイツの天文学者(+ 1826年)

ヨハン・ボーデ - 1月22日 - ティモシー・デクスター[25]、アメリカの実業家、奇人(+ 1806年)
- 3月1日(延享4年1月20日) - 野呂介石[26]、南画家(+ 1828年)
- 3月20日(延享4年2月10日) - 会田安明[27]、和算家(+ 1817年)
- 3月25日 - アレクサンドル・ベズボロドコ[28]、ロシア帝国の宰相(+ 1799年)
- 4月13日 - ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)(フィリップ・エガリテ)[29]、フランスの王族、政治家(+ 1793年)
- 4月14日(洗礼) - ユーヴドール・プライス[30]、イギリスの貴族、造園家(+ 1829年)
- 5月5日 - レオポルト2世[31]、神聖ローマ皇帝(+ 1792年)

晩年の神聖ローマ皇帝レオポルト2世 ハインリヒ・フリードリヒ・フューガー筆 - 6月15日(延享4年5月8日) - 高山彦九郎[32]、尊皇思想家(+ 1793年)
- 7月6日 - ジョン・ポール・ジョーンズ[33]、大陸海軍およびロシア帝国海軍の提督(+ 1792年)
- 7月25日 - ロジェ・デュコ、フランス革命期・第一帝政期の政治家(+ 1816年)
- 9月29日 - ユゼフ・ヴィビツキ、ポーランドの貴族、軍人、文筆家人(+ 1822年)
- 11月1日(延享4年10月8日) - 尾藤二洲[34]、儒学者(+ 1814年)
- 12月31日 - ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー[35]、ドイツの詩人、「ほら吹き男爵の冒険」著者
- 岩井半四郎 (4代目)[36]、歌舞伎俳優(+ 1800年)
- 清原雄風[37]、歌人(+ 1810年)
- 源琦(駒井琦)[38]、円山派の絵師(+ 1797年)
- グリゴリー・シェリホフ[39]、ロシアの毛皮商人、探検家(+ 1795年)
- 司馬江漢[40]、洋風画家(+ 1818年)
- 並木五瓶(初世)[41]、歌舞伎狂言作者(+ 1808年)
- 森狙仙[42]、絵師(+ 1821年)
死去
[編集]→「Category:1747年没」も参照

- 3月3日 - ポラネー[43]、チベットの政治家(* 1689年)
- 3月23日 - クロード・アレクサンドル・ド・ボンヌヴァル(アフメト・パシャ)[44]、フランス出身のオスマン帝国軍人(* 1675年)
- 4月9日 - サイモン・フレイザー (第11代ラヴァト卿)[45]、スコットランドの貴族、ジャコバイト(*1667年頃)
- 5月28日 - リュック・ド・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグ[46]、フランスのモラリスト(* 1715年)
- 5月31日 - アンドレイ・オステルマン[47]、ロシア帝国の外相、政治家(* 1686年)
- 7月7日(延享4年5月30日) - 太宰春台[48]、儒学者(* 1680年)
- 7月9日 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ[49]、イタリアの作曲家、チェロ奏者(* 1670年)
- 7月10日(延享4年6月3日) - 小川破笠[50]、蒔絵師(* 1663年)
- 7月11日(延享4年6月4日) - 初代竹田出雲[51]、浄瑠璃作者、文人(* 不詳)
- 7月16日 - ジュゼッペ・マリア・クレスピ[52]、イタリアの画家(* 1665年)
- 7月19日 - ナーディル・シャー[53]、アフシャール朝初代皇帝(* 1688年)
- 10月4日 - アマロ・ロドリゲス・フェリペ、スペインの海賊(* 1678年)

脚注
[編集]注釈
出典
- 1 2 DK 2013, p. 253.
- 1 2 3 4 歴史学研究会 2017, p. 196.
- ↑ 中村 2010, p. 286.
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 松岡 2024, p. 175.
- 1 2 3 4 歴史学研究会 2017, p. 197.
- ↑ “maille.jp : マイユ 270年の歴史”. マイユ. 2022年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月24日閲覧。
- 1 2 松岡 2024, p. 174.
- 1 2 山本 2007, p. 122.
- ↑ 高田時雄『乾隆得勝圖平定金川戰圖』〈臨川書店〉2012年。ISBN 4653040729。2021年2月14日閲覧。
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- ↑ 矢田 2020, pp. 9–10.
- ↑ Lloyd's List No. 1259, December 18, 1747
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- ↑ T"Associators", by Paul G. Pierpaoli, Jr., in American Revolution: The Definitive Encyclopedia and Document Collection (ABC-CLIO, 2018) p85
- ↑ Rosemary F. Williams, Maritime Annapolis: A History of Watermen, Sails & Midshipmen (Arcadia Publishing, 2009)
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