1806年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
| 十年紀: | 1780年代 1790年代 1800年代 1810年代 1820年代 |
| 年: | 1803年 1804年 1805年 1806年 1807年 1808年 1809年 |
1806年(1806 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]

- 1月1日 - 前年のアウステルリッツの戦いでのフランス軍勝利とプレスブルクの和約の規定に基づき、親仏同盟を結んでいたバイエルン選帝侯国がバイエルン王国へ、ヴュルテンベルク公国がヴュルテンベルク王国へそれぞれ昇格を宣言(マクシミリアン1世およびフリードリヒ1世が即位)[1]。
- 1月8日 - ナポレオン戦争に乗じ、イギリス軍がバタヴィア共和国領ケープ植民地に侵攻してオランダ軍を撃破(ブレウベルグの戦い)。1月18日の降伏協定を経てイギリス領ケープ植民地を再占領[2][3]。
- 2月11日 - 対仏大同盟を主導してきたイギリス首相小ピットが1月23日に死去したことを受け、ホイッグ党のウィリアム・グレンヴィルを首班とする内閣が成立[4][5]。
- 3月15日(文化3年1月26日) - 江戸幕府が異国船に対する文化の薪水給与令を発令。ロシア帝国使節ニコライ・レザノフの長崎退去(1805年)以降激化する北方での緊張を受け、遭難船や補給を求める異国船に薪水・食料を与えて穏便に退去させる方針をとる[6]。
- 3月18日(文化3年1月29日) - 江戸幕府が関東郡代を廃止。関東天領の支配機構が勘定奉行直轄へ移管され、前年に新設された関東取締出役(八州廻り)の活動活発化への契機となる[7]。
- 3月30日 - ナポレオンが兄ジョゼフ・ボナパルトをナポリ王に即位させる[8][9]。
- 4月22日(文化3年3月4日) - 江戸市中の広範囲(芝・京橋・日本橋・神田・浅草など)を焼失する文化の大火が発生。幕府は被災民救済のため御救小屋の開設や施米を実施[10]。
- 6月5日 - ナポレオンが弟ルイ・ボナパルトを国王に据え、バタヴィア共和国を改編してホラント王国を成立させる[11]。
- 7月12日 - ナポレオンを保護者として西南部ドイツ16邦の代表がパリでライン同盟規約に調印し、ライン同盟が結成される(8月1日に神聖ローマ帝国議会へ正式に離脱を通知)[12]。
- 8月6日 - ライン同盟結成と帝国議会崩壊を受け、神聖ローマ皇帝フランツ2世が帝冠を放棄して退位を宣言。962年のオットー1世戴冠以来、約840年続いた神聖ローマ帝国が正式に消滅・解体する(皇帝は1804年にすでに自ら創設・即位していたオーストリア皇帝フランツ1世としての称号のみを維持)[13][14]。
- 10月6日 - ライン同盟成立に危機感を強めたプロイセンが、イギリス・ロシア・スウェーデンとともに第四次対仏大同盟を結成(10月9日にプロイセンがフランスに宣戦布告)[15]。
- 10月14日 - イエナ・アウエルシュタットの戦い。フランス軍がブラウンシュヴァイク公率いるプロイセン・ザクセン連合軍を壊滅させる[16]。
- 10月22日(文化3年9月11日) - レザノフの通商要求を拒否された報復として、ロシア軍人フヴォストフらが樺太南部のクシュンコタンを襲撃し、松前藩の番所や会所を焼き払う(文化の露寇の発端)[17]。
- 10月27日 - ナポレオン率いるフランス軍がプロイセンの首都ベルリンに入城[18]。
- 11月21日 - ナポレオンが占領下のベルリンで大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発布。イギリスに対する通商・通信を禁止し、対英経済的打撃とフランス産業によるヨーロッパ大陸市場の独占を図る[19]。
- 12月11日 - プロイセン側からフランス側へ講和したザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト3世が、ナポレオンとポーゼンの和約を締結。ザクセン選帝侯領からザクセン王国へ昇格(国王フリードリヒ・アウグスト1世として即位)し、ライン同盟に加盟[20][21]。
誕生
[編集]→「Category:1806年生」も参照
- 1月13日 - ミシェル・シュヴァリエ[22]、フランスの経済学者、サン=シモン主義者(+ 1879年)
- 1月14日 - マシュー・フォンテーン・モーリー[23]、アメリカの海軍士官・海洋学者(+ 1873年)
- 1月27日 - ホアン・クリソストモ・アリアーガ[24]、スペインの作曲家(+ 1826年)
- 2月22日 - アントワーヌ・ヴィールツ[25]、ベルギーの画家(+ 1865年)
- 3月6日 - エリザベス・バレット・ブラウニング[26]、イギリスの詩人(+ 1861年)
- 3月21日 - ベニート・フアレス[27]、メキシコ大統領(+ 1872年)
- 4月9日 - イザムバード・キングダム・ブルネル[28]、イギリスの技術者(+ 1859年)
- 4月27日 - マリア・クリスティーナ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス[29]、スペイン王フェルナンド7世の妃(+ 1878年)
- 4月28日(嘉慶11年3月10日)- 鄭珍[30]、清の学者、詩人(+ 1864年)
- 5月3日(文化3年3月15日)- 高井鴻山[31]、陽明学者(+ 1883年)
- 5月4日(文化3年3月16日)- 藤田東湖[32]、儒学者、水戸藩士(+ 1855年)
- 5月12日 - ユーハン・ヴィルヘルム・スネルマン[33]、フィンランドの政治家、哲学者(+ 1861年)
- 5月20日 - ジョン・スチュアート・ミル[34]、イギリスの哲学者、経済学者、論理学者(+ 1873年)
- 6月12日 - ジョン・ローブリング[35]、ドイツ生まれのアメリカで活躍した土木技術者、ブルックリン橋を設計(+ 1869年)
- 6月19日 - ヨハン・ネポムク・ホーフツィンザー[36]、オーストリアの奇術師(+ 1875年)
- 6月27日 - オーガスタス・ド・モルガン[37]、イギリスの数学者(+ 1871年)
- 7月28日 - アレクサンドル・アンドレイェヴィチ・イワノフ[38]、ロシアの画家(+ 1858年)
- 10月16日 - ウィリアム・フェッセンデン[39]、アメリカ合衆国財務長官(+ 1869年)
- 10月17日(文化3年9月6日) - 野村望東尼[40]、歌人、尊皇攘夷運動家(+ 1867年)
- 10月25日 - マックス・シュティルナー[41]、ドイツの哲学者(+ 1856年)
- 10月28日 - アルフォンス・ドゥ・カンドール[42]、スイスの植物学者(+ 1893年)
- 12月4日 - ヨハン・ブルグミュラー[43]、ドイツの作曲家・ピアニスト(+ 1874年)
- 月日不詳
死去
[編集]→「Category:1806年没」も参照
- 1月16日 - ニコラ・ルブラン[46]、フランスの化学者、ルブラン法を発明(* 1742年)
- 1月23日 - ウィリアム・ピット(小ピット)[47]、イギリスの首相(* 1759年)
- 2月3日 - ニコラ・エドム・レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ[48]、フランスの作家(* 1734年)
- 3月1日(文化3年1月12日) - 荒木田麗女[49][50]、女流文学者(* 1732年)
- 4月4日 - カルロ・ゴッツィ[51]、イタリアの劇作家(* 1720年)
- 4月9日 - ウィレム5世[52]、オランダ総督(* 1748年)
- 4月30日(文化3年3月12日) - 小野川喜三郎[53]、大相撲第5代横綱(* 1758年)
- 5月9日 - ロバート・モリス[54]、アメリカの商人、政治家(* 1734年)
- 5月31日 - ジョージ・マカートニー[55]、イギリスの政治家、外交官(* 1737年)
- 7月4日 - シャルル=アンリ・サンソン、フランス革命期の死刑執行人(* 1739年)
- 7月10日 - ジョージ・スタッブス[56]、イギリスの動物画家(* 1724年)
- 8月3日 - ミシェル・アダンソン[57]、フランスの植物学者(* 1727年)
- 8月10日 - ミヒャエル・ハイドン[58]、オーストリアの作曲家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟(* 1737年)
- 8月16日(文化3年7月3日) - 志筑忠雄[59]、蘭学者(* 1760年)
- 8月22日 - ジャン・オノレ・フラゴナール[60]、フランスの画家(* 1732年)
- 8月23日 - シャルル・ド・クーロン[61]、フランスの物理学者(* 1736年)
- 9月7日(文化3年7月25日) - 伴蒿蹊[62]、国学者、歌人(* 1733年)
- 9月13日 - チャールズ・ジェームズ・フォックス[63]、イギリスの政治家(* 1749年)
- 10月17日 - ジャン=ジャック・デサリーヌ[64]、ハイチの独立運動指導者(* 1758年)
- 10月19日? - ベンジャミン・バネカー[65]、アメリカの天文学者(* 1731年)
- 10月25日 - ヘンリー・ノックス[66]、アメリカ合衆国陸軍長官(* 1750年)
- 10月31日(文化3年9月20日) - 喜多川歌麿[67]、浮世絵師(* 1753年?)
- 11月11日 - ヨーゼフ・ゴットリープ・ケールロイター[68]、ドイツの植物学者(* 1733年)
- 11月18日 - クロード・ニコラ・ルドゥー[69]、フランスの建築家(* 1736年)
- 12月14日 - ジョン・ブレッキンリッジ[70]、アメリカ合衆国司法長官(* 1760年)
- 月日不詳
脚注
[編集]注釈
出典
- ↑ 『バイエルン』 - コトバンク
- ↑ “The Battle of Blaauwberg takes place”. South African History Online. 2026年9月10日閲覧。
- ↑ 『ケープ植民地』 - コトバンク
- ↑ “William Wyndham Grenville, Baron Grenville”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月10日閲覧。
- ↑ 『グレンビル』 - コトバンク
- ↑ 『薪水給与令』 - コトバンク
- ↑ 『関東郡代』 - コトバンク
- ↑ “Joseph Bonaparte”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月10日閲覧。
- ↑ 『ボナパルト』 - コトバンク
- ↑ 『文化3年の大火』 - コトバンク
- ↑ 『オランダ王国』 - コトバンク
- ↑ 『ライン同盟』 - コトバンク
- ↑ 『神聖ローマ帝国』 - コトバンク
- ↑ 『フランツ2世』 - コトバンク
- ↑ 『対仏大同盟』 - コトバンク
- ↑ 『イエナの戦い』 - コトバンク
- ↑ 『レザノフ』 - コトバンク
- ↑ “Brandenburger Tor”. Berlin.de. 2026年9月10日閲覧。
- ↑ 『大陸封鎖令』 - コトバンク
- ↑ 『ザクセン』 - コトバンク
- ↑ “Frederick Augustus I”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月10日閲覧。
- ↑ 『シュバリエ』 - コトバンク
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- ↑ Juan-Crisostomo-Arriaga - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『ウィールツ』 - コトバンク
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- ↑ 『マリア・クリスティナ』 - コトバンク
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- ↑ 『荒木田麗女』 - コトバンク
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- ↑ 『モリス』 - コトバンク
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- ↑ 『スタッブズ』 - コトバンク
- ↑ 『アダンソン』 - コトバンク
- ↑ 『ハイドン』 - コトバンク
- ↑ 『志筑忠雄』 - コトバンク
- ↑ 『フラゴナール』 - コトバンク
- ↑ 『クーロン』 - コトバンク
- ↑ 『伴蒿蹊』 - コトバンク
- ↑ 『フォックス』 - コトバンク
- ↑ 『デサリーヌ』 - コトバンク
- ↑ Benjamin-Banneker - ブリタニカ百科事典
- ↑ Henry-Knox - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『喜多川歌麿』 - コトバンク
- ↑ 『ケルロイター』 - コトバンク
- ↑ 『ルドゥー』 - コトバンク
- ↑ John-Breckinridge - ブリタニカ百科事典
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