1822年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
| 十年紀: | 1800年代 1810年代 1820年代 1830年代 1840年代 |
| 年: | 1819年 1820年 1821年 1822年 1823年 1824年 1825年 |
1822年(1822 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]
- 1月13日(グレゴリオ暦)/ 1月1日(ユリウス暦) - 前年に始まったギリシア独立戦争のさなか、第1回エピダウロス国民議会でギリシャの独立宣言が採択され、暫定政府(ギリシャ第一共和政)が発足[1]。
- 4月 - キオス島の虐殺。オスマン帝国軍がキオス島の住民を虐殺・奴隷化。ヨーロッパ知識社会に同情と連帯(親ギリシア主義)が広まる[2]。
- 5月19日 - メキシコ独立革命の軍事指導者アグスティン・デ・イトゥルビデが皇帝に推戴され、メキシコ帝国(メキシコ第一帝政)が成立(7月21日に戴冠。ブラジル帝国と並び、独立期ラテンアメリカで稀有な君主制を採用)[3]。
- 5月24日 - ピチンチャの戦い。スクレ率いる独立軍が王党派軍を破り、キト(現エクアドル)を解放[4]。
- 7月26日 - グアヤキル会談。南米独立運動の指導者であるシモン・ボリバルとホセ・デ・サン・マルティンが秘密会談。主導権をボリバルに委ねたサン・マルティンは政界・軍務から引退を決意[5]。
- 9月〜11月(文政5年8月〜10月) - コレラが西日本一帯で流行(日本最初のコレラ流行。ベンガル地方から始まった第1次コレラ・パンデミックの伝播)[6]。
- 9月7日 - ブラジル独立(イピランガの叫び)。ポルトガル皇太子ペドロが本国からの独立を宣言し、10月にブラジル帝国が樹立(南米では稀有な立憲君主制による独立)[7]。
- 9月16日 - イギリス外相にジョージ・カニングが就任(8月に自殺したカースルレーの後任)。ウィーン体制(神聖同盟・五国同盟)の保守反動的な内政干渉策と距離を置き、ラテンアメリカ市場の開拓を目指して諸国の独立を支持・承認する方針を採る[8]。
- 9月27日 - フランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンが、ロゼッタ・ストーンの多言語碑文を手がかりに古代エジプトのヒエログリフの解読成功を学士院で発表(ダシエ氏への書簡)。近代エジプト学が本格的に成立[9]。
- 10月 - ヴェローナ会議(五国同盟会議)開催。スペイン立憲革命に対するフランスの軍事干渉(翌年実行)が決議されるが、イギリスがこれに反対して事実上離脱し、五国同盟は崩壊、ウィーン体制の動揺が顕在化[10]。
月日不詳
[編集]- リベリアの建設開始。アメリカ植民地協会が解放奴隷の再定住先として西アフリカ沿岸部(現モンロビア)を確保し、入植が本格化[11]。
- フランスのウジェーヌ・ドラクロワが、サロンに『ダンテの小舟』を出品して注目を集め、ロマン主義画家としてデビュー[12]。
- オーストリアのシューベルトが『交響曲第7(8)番「未完成」』を作曲[13]。
- ドイツのヤーコプ・グリム(グリム兄弟の兄)が『ドイツ文法』第2版で、印欧祖語とゲルマン語の音韻対応規則(グリムの法則)を体系化。近代比較言語学およびドイツ国語学の基礎が確立される[14]。
- フランスのジョゼフ・フーリエが『熱の解析的理論』を刊行。熱伝導方程式の解法としてフーリエ級数を展開[15]。
- 宇田川榕菴が、日本初の近代西洋植物学の紹介書『菩多尼珂経』を刊行[16]。
- 大蔵永常が、各地のすぐれた農具を図解・紹介した総合農書『農具便利論』を刊行[17]。
誕生
[編集]→「Category:1822年生」も参照
- 1月2日 - ルドルフ・クラウジウス[18]、ドイツの物理学者、熱力学の創始者の一人でエントロピー概念を提唱(+ 1888年)
- 1月6日 - ハインリヒ・シュリーマン[19]、ドイツの考古学者、ホメロスの記述を信じトロイア遺跡・ミケーネ遺跡を発掘(+ 1890年)
- 1月12日 - ジャン=ジョゼフ・エティエンヌ・ルノアール[20]、ベルギーの技術者・実業家、初の実用的な内燃機関を発明(+ 1900年)
- 1月22日(文政4年12月30日) - 小中村清矩[21]、日本の国学者・法制史家(+ 1895年)
- 1月28日 - アレキサンダー・マッケンジー[22]、第2代カナダ首相(+ 1892年)
- 2月16日 - フランシス・ゴルトン[23][24]、イギリスの人類学者・統計学者、優生学の創始者、指紋の個人識別研究(+ 1911年)
- 2月25日(ユリウス暦2月13日) - レフ・メイ[25]、ロシアの詩人・劇作家(+ 1862年)
- 3月16日 - ローザ・ボヌール[26]、フランスの写実主義の画家・彫刻家(+ 1899年)
- 3月17日 - サイード・パシャ[27]、ムハンマド・アリー朝エジプト総督(ワーリー)、スエズ運河開削計画を決定(+ 1863年)
- 3月20日 - フレデリック・パシー[28]、フランスの経済学者・政治家、第1回ノーベル平和賞受賞者(+ 1912年)
- 3月25日 - アルブレヒト・リッチュル[29]、ドイツのプロテスタント神学者、自由主義神学の代表者(+ 1889年)
- 3月27日 - アンリ・ミュルジェール[30]、フランスの小説家、歌劇『ラ・ボエーム』の原作者(+ 1861年)
- 4月6日(文政5年2月15日) - 根本通明[31]、日本の漢学者、易経の権威(+ 1906年)
- 4月26日 - フレデリック・ロー・オルムステッド[32]、アメリカのランドスケープ・アーキテクト(+ 1903年)
- 4月27日 - ユリシーズ・グラント[33]、南北戦争時の北軍総司令官、第18代アメリカ合衆国大統領(+ 1885年)
- 5月1日(文政5年3月10日) - 栗本鋤雲[34]、幕臣、江戸幕府外国奉行・勘定奉行、明治期のジャーナリスト(+ 1897年)
- 5月26日 - エドモン・ド・ゴンクール[35]、フランスの小説家・美術評論家、弟ジュールと共にゴンクール賞を遺言で創設(+ 1896年)
- 5月27日 - ヨアヒム・ラフ[36]、ドイツの作曲家・ピアニスト(+ 1882年)
- 6月20日 - アントニウス・ボードウィン[37]、オランダの軍医・お雇い外国人、上野恩賜公園の開設を提言(+ 1885年)
- 6月24日 - レオポルト・ミュルレル[38]、ドイツの医師、東京大学医学部の基礎を築いたお雇い外国人(+ 1893年)
- 6月29日(文政5年5月11日) - 小笠原長行[39]、江戸幕府老中格・外国事務総裁、生麦事件の賠償金支払いを英側に決断(+ 1891年)
- 6月 - 7月(文政5年5月) - 新見正興[40]、江戸幕府外国奉行、日米修好通商条約批准書交換のための万延元年遣米使節正使(+ 1869年)
- 7月13日 - ハインリヒ・ダレスト[41]、ドイツの天文学者、ガレと共に海王星を視認確認(+ 1875年)
- 7月20日 - グレゴール・ヨハン・メンデル[42]、オーストリアの修道士・植物学者、遺伝の法則(メンデルの法則)を発見(+ 1884年)
- 8月12日 - ロドルフ・ブレスダン[43]、フランスの版画家、ルドンの師(+ 1885年)
- 8月15日 - ヘンリー・メイン[44]、イギリスの法学者・比較法史学者、『古代法』著、「身分から契約へ」の命題で著名(+ 1888年)
- 10月4日 - ラザフォード・ヘイズ[45]、第19代アメリカ合衆国大統領、レコンストラクションを終結(+ 1893年)
- 10月18日 - ミドハト・パシャ[46]、オスマン帝国の大宰相、アジア初の憲法(ミドハト憲法)を制定(+ 1884年)
- 10月26日(文政5年9月12日) - 島義勇[47]、佐賀藩士、開拓使判官として札幌の街づくりに着手、後に佐賀の乱の首謀者(+ 1874年)
- 10月27日(文政5年9月13日) - 奈良専二[48]、明治農法を指導した代表的老農(+ 1892年)
- 11月26日 - リリー・マーティン・スペンサー[49]、アメリカの女性風俗画家(+ 1902年)
- 12月10日 - セザール・フランク[50]、ベルギー出身のフランスの作曲家・オルガニスト、循環形式を多用(+ 1890年)
- 12月24日 - マシュー・アーノルド[51]、イギリスの詩人・批評家(+ 1888年)
- 12月24日 - シャルル・エルミート[52]、フランスの数学者、自然対数の底eの超越数を証明、エルミート行列に名を残す(+ 1901年)
- 12月27日 - ルイ・パスツール[53]、フランスの化学者・細菌学者、低温殺菌法・狂犬病ワクチンの開発、自然発生説の否定(+ 1895年)
- 12月29日(文政5年11月17日) - 阪谷朗廬[54]、日本の儒学者・教育者、明六社同人(+ 1881年)
- 月日不詳
死去
[編集]→「Category:1822年没」も参照
- 1月24日 - テペデレンリ・アリー・パシャ[57][58]、アルバニア出身のオスマン帝国の総督(* 1741年?)
- 2月27日(文政5年閏1月6日) - 式亭三馬[59]、江戸後期の戯作者、滑稽本『浮世風呂』『浮世床』作者(* 1776年)
- 4月18日 - ドミートリー・レヴィツキー[60]、ロシア帝国の肖像画家(* 1735年)
- 5月3日(文政5年3月12日) - 上杉治憲[61](上杉鷹山[62])、米沢藩主、財政再建を成功させた江戸中・後期の代表的名君(* 1751年)
- 5月4日(文政5年3月13日) - 本木正栄(本木庄左衛門[63])、長崎の阿蘭陀通詞(* 1767年)
- 6月23日(文政5年5月5日)- 夏目甕麿[64]、日本の国学者・歌人、本居宣長の門人(* 1773年)
- 6月25日 - E.T.A.ホフマン[65]、ドイツのロマン派作家・作曲家、『くるみ割り人形とねずみの王様』『牡猫ムルの人生観』著(* 1776年)
- 6月25日(文政5年5月7日) - 亜欧堂田善[66]、日本の洋風画家・銅版画家、白河藩主松平定信に重用される(* 1748年)
- 7月8日 - パーシー・ビッシュ・シェリー[67]、イギリスのロマン派詩人、『鎖を解かれたプロメテウス』著(* 1792年)
- 7月19日(文政5年6月2日) - 烏亭焉馬[68]、江戸後期の戯作者・浄瑠璃作家、落語の復興(* 1743年)
- 8月12日 - ロバート・ステュアート (カースルレー子爵)[69]、イギリスの外相、ウィーン会議で正統主義や勢力均衡を主導(* 1769年)
- 8月25日 - ウィリアム・ハーシェル[70]、ドイツ出身のイギリスの天文学者、天王星の発見および赤外線の発見(* 1738年)
- 9月12日(文政5年7月27日) - 馬場貞由(馬場佐十郎[71])、江戸後期の洋学者・ロシア語通詞(* 1787年)
- 10月13日 - アントニオ・カノーヴァ[72]、イタリアの新古典主義の彫刻家、『アモルの接吻で蘇るプシュケ』作者(* 1757年)
- 11月6日 - クロード・ルイ・ベルトレー[73]、フランスの化学者、ラヴォアジエと共に近代化学命名法を創案(* 1748年)
- 11月26日 - カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク[74]、プロイセンの首相、改革を主導(* 1750年)
- 月日不詳 - 陳鴻寿[75]、清の文人・篆刻家・書画家(* 1768年)
出典
[編集]- ↑ 『コロコトロニス』 - コトバンク
- ↑ 『キオス』 - コトバンク
- ↑ 『イトゥルビデ』 - コトバンク
- ↑ 『エクアドル』 - コトバンク
- ↑ 『サン・マルティン』 - コトバンク
- ↑ 『コレラ』 - コトバンク
- ↑ 『いぴらんがの叫び』 - コトバンク
- ↑ 『カニング』 - コトバンク
- ↑ 『シャンポリオン』 - コトバンク
- ↑ 『ヴェローナ会議』 - コトバンク
- ↑ 『リベリア共和国』 - コトバンク
- ↑ 『ドラクロワ』 - コトバンク
- ↑ 『未完成交響曲』 - コトバンク
- ↑ 『グリムの法則』 - コトバンク
- ↑ 『熱の解析的理論』 - コトバンク
- ↑ 『菩多尼訶経』 - コトバンク
- ↑ 『農具便利論』 - コトバンク
- ↑ 『クラウジウス』 - コトバンク
- ↑ 『シュリーマン』 - コトバンク
- ↑ Etienne-Lenoir - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『小中村清矩』 - コトバンク
- ↑ 『マッケンジー』 - コトバンク
- ↑ 『ゴルトン』 - コトバンク
- ↑ 『ゴールトン』 - コトバンク
- ↑ 『メイ』 - コトバンク
- ↑ Rosa-Bonheur - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『サイードパシャ』 - コトバンク
- ↑ 『パシー』 - コトバンク
- ↑ 『リッチュル』 - コトバンク
- ↑ Henri-Murger - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『根本通明』 - コトバンク
- ↑ 『オルムステッド』 - コトバンク
- ↑ 『グラント』 - コトバンク
- ↑ 『栗本鋤雲』 - コトバンク
- ↑ 『ゴンクール』 - コトバンク
- ↑ 『ラフ』 - コトバンク
- ↑ 『ボードイン』 - コトバンク
- ↑ 『ミュラー』 - コトバンク
- ↑ 『小笠原長行』 - コトバンク
- ↑ 『新見正興』 - コトバンク
- ↑ Heinrich-Louis-dArrest - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『メンデル』 - コトバンク
- ↑ 『ブレズダン』 - コトバンク
- ↑ 『メーン』 - コトバンク
- ↑ 『ヘーズ』 - コトバンク
- ↑ 『ミドハト・パシャ』 - コトバンク
- ↑ 『島義勇』 - コトバンク
- ↑ 『奈良専二』 - コトバンク
- ↑ Lilly-Martin-Spencer - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『フランク』 - コトバンク
- ↑ 『アーノルド』 - コトバンク
- ↑ 『エルミート』 - コトバンク
- ↑ 『パスツール』 - コトバンク
- ↑ 『阪谷朗廬』 - コトバンク
- ↑ 『洪仁玕』 - コトバンク
- ↑ 『細木香以』 - コトバンク
- ↑ 『アリー・パシャ』 - コトバンク
- ↑ 『アリ・パシャ』 - コトバンク
- ↑ 『式亭三馬』 - コトバンク
- ↑ 『レビツキー』 - コトバンク
- ↑ 『上杉治憲』 - コトバンク
- ↑ 『上杉鷹山』 - コトバンク
- ↑ 『本木庄左衛門』 - コトバンク
- ↑ 『夏目甕麿』 - コトバンク
- ↑ 『ホフマン』 - コトバンク
- ↑ 『亜欧堂田善』 - コトバンク
- ↑ 『シェリー』 - コトバンク
- ↑ 『烏亭焉馬』 - コトバンク
- ↑ 『カースルレー』 - コトバンク
- ↑ 『ハーシェル』 - コトバンク
- ↑ 『馬場佐十郎』 - コトバンク
- ↑ 『カノーバ』 - コトバンク
- ↑ 『ベルトレ』 - コトバンク
- ↑ 『ハルデンベルク』 - コトバンク
- ↑ 『陳鴻寿』 - コトバンク
関連項目
[編集]外部リンク
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