208年
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| 千年紀: | 1千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 2世紀 - 3世紀 - 4世紀 |
| 十年紀: | 180年代 190年代 200年代 210年代 220年代 |
| 年: | 205年 206年 207年 208年 209年 210年 211年 |
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]- 春 - 孫権、亡父(孫堅)の仇を報ずるという名目で荊州に侵攻、兵士の馮則は劉表の将黄祖を刺殺。
- 春 - 後漢の献帝、司空の曹操の献言によって三公を廃して丞相を復する。
- 7月9日(建安13年6月9日)- 曹操、丞相に就任、朝廷の全権を掌握し、南征の準備を始める。
- 8月 - 荊州牧劉表が死去、後継した劉琮は戦わずして曹操に降伏し、荊州は曹操の翼下に編入される(『後漢書』による。『三国志』によれば、劉琮の降伏は翌月)。
- 8月頃 - 曹操、龐統らを見出した荊州の隠士司馬徽を招聘せんとするが、司馬徽は程なくして死去する。
- 9月26日(建安13年8月29日)- 曹操、孔融を不遜の廉で族誅に処す。
- 10月(建安13年9月) - 劉備、当陽(県名、荊州南郡)で曹操に敗れるが、曹操に拐かされた劉禅ら劉備の妻子は趙雲が単騎で救出し、殿軍となった張飛は怒髪して曹操の追撃を防いだため、劉備は夏口(県名、荊州江夏郡)の劉琦のもとに落ち延びる(長坂の戦い)。
- 秋 - 劉備、夏口で孫権の重臣魯粛と出会い、柴桑(県名、揚州豫章郡)に諸葛亮を遣わし孫権との同盟を締結。
- 秋 - 曹操、孫権に降伏を勧告し、孫権の重臣張昭らは降伏を唱えたが、周瑜・魯粛らは主戦を具申、孫権はついに曹操との開戦を決意する。
- 12月以前 - 揚州刺史劉馥が死去、廬江で雷緒らが曹操に叛乱するが、夏侯淵に討伐される。
- 12月以前 - 曹操、侍医の華佗を処刑(時期については諸説ある)。
- 12月 - 曹操、大軍を統率して長江に進軍し、孫権は建威中郎将周瑜に全権を託す。両軍は長江中流の赤壁で衝突、周瑜の将黄蓋は火攻めによって曹操の水軍を全滅に追い込んだ。敗れた曹操軍は陸上に逃れたが、劉備の将関羽がこれを追撃し、また疫病の蔓延もあって曹操は華北へ帰還した。この敗戦によって曹操の天下統一の望みは灰燼に帰し、三国の鼎立が様相を呈した(赤壁の戦い)。
- 12月 - 周瑜と程普、赤壁での戦勝に乗じて江陵(県名、荊州南郡)を攻撃するが、曹仁が堅守し戦況は膠着。
- 12月 - 孫権、東南の兵を北進させ、合肥(侯国名、揚州九江郡)で曹操軍と衝突、巴丘まで進んだが、曹操軍の援軍を務めた蔣済の機略によって撤兵(合肥の戦い)。
- 月日不詳 - 孫権、丹陽郡を分割して新都郡を設ける。
- 月日不詳 - 曹沖、13歳で病死し、父の曹操に華佗を殺したことを悔しませしむ。死後、曹操は事実上の冥婚を挙式。
誕生
[編集]→「Category:208年生」も参照
死去
[編集]→「Category:208年没」も参照
脚注
[編集]注釈
出典