| Hi-Hi | |
|---|---|
| メンバー |
岩崎一則 上田浩二郎 |
| 結成年 | 1994年 |
| 事務所 |
吉本興業 →ケイダッシュステージ・漫才協会 |
| 活動時期 |
1994年4月 - 1996年2月 1998年10月 - |
| 出身 | 銀座7丁目劇場 |
| 出会い | 高校の同級生 |
| 旧コンビ名 |
ダブルモッシュ →岩崎・上田 →バリカンステッチ →ハミングステッチ →ハミング |
| 旧グループ名 |
ザリキラー ガムガムスリーチャンネル |
| 現在の活動状況 | ライブ、テレビ |
| 芸種 | 漫才、コント |
| ネタ作成者 | 上田浩二郎 |
| 過去の代表番組 |
爆笑オンエアバトル オンバト+ ザ・イロモネア 爆笑ホワイトカーペット 爆笑レッドカーペット Hi-Hiの真王伝説 マサカメTV はたらくヨロコビ スパゲッTV めんこい8オシ研究所 Hi-Hiのオールナイトニッポン0(ZERO) など |
| 同期 |
ロンドンブーツ1号2号 ペナルティ DonDokoDon |
| 公式サイト | 公式プロフィール |
| 受賞歴 | |
| 2011年 THE MANZAI 決勝 最終決戦4位 | |
Hi-Hi(ハイハイ)は、ケイダッシュステージに所属する日本のお笑いコンビ。当初は吉本興業に所属していた。1994年4月結成。2019年6月14日より漫才協会入会。
上田 浩二郎(うえだ こうじろう、1973年11月9日 - )(50歳)
岩崎 一則(いわさき かずのり、1973年9月17日 - )(51歳)
高校卒業後、音響系の専門学校へ進学した上田がトラック運転手をしていた岩崎を含めた友人たちと4人組ハードコアバンド「ザリキラー」を結成。上田は当時S.O.BやLip Cream等を好んで聴いていた影響から、オリジナル曲の他にFEARLESS VAMPIRE KILLERS(同名の海外バンドではなく、横須賀で活動していた国内バンド)のカバー等を披露していた[22]。専門学校を卒業と同時に上田・岩崎を除く他のメンバーが脱退してしまい、「2人で何か出来る事はないか」と考えた上田が岩崎を誘う形でお笑いコンビを結成[23]。吉本興業東京本社のオーディションに合格し、1994年より所属芸人となる(当時の同期にはロンドンブーツ1号2号やペナルティなどがいる)。
しかし、2年後の1996年2月に銀座7丁目劇場で行われたライブ「タッチアウト!!スペシャル -リストラの嵐-」での結果、クビを宣告されてしまう[24]。この時点で一旦芸人を辞めフリーターをしながらバンド活動を再開し、メロコアバンド「ガムガムスリーチャンネル」として活動[22][25]。さらに2年半後、生活が行き詰まった事もあって再びお笑いコンビとして再出発し、オーディションを受けて現在の事務所に所属する[26][27]。初めての前説は「進め!電波少年」(日本テレビ)で、初めてのゴールデンタイムでのテレビ出演は「ジャングルTV 〜タモリの法則〜」(毎日放送・TBS系。「50人隊」の企画での出演)だった[28]。
コンビ名を何度も変えている。「ダブルモッシュ」(吉本興業に所属していた頃)から始まって、「岩崎・上田」(ケイダッシュ移籍間もない頃)、「バリカンステッチ」(上田案が「バリカン」、岩崎案が「ステッチ」で、この2つを合わせた[29])、「ハミングステッチ」(事務所から、ハゲを連想させるバリカンの名前に待ったがかかり、「もっとキレイな響きの言葉を」と言われ改名。トラックの運転手をしていた時に視かけた「ハミング」の看板を思い出して名付けた[29])、「ハミング」(前のコンビ名をよく略されて「ハミング」だけで呼ばれていた事から改名。しかし、この時は事務所から「お前らがハミングだと意味がわからない」とも言われたという[29])と変遷。
2005年、「Hi-Hi」に改名。このコンビ名はGyaOジョッキーでの企画で決定したが、表向きは「30案くらい候補を出して、その中から事務所が決めた」と答えるようにしているという。「灰になるまでハイになろう」「high、highで高い所まで上がれるように」という由来は全部後付けだという[29]。
THE MANZAI 2011にて認定漫才師50組に選ばれ本戦サーキットに出場。その結果サーキットランキング14位に入り決勝進出を決めた後、決勝戦でBブロックを制して最終決戦の4組まで勝ち上がった。翌年のTHE MANZAI 2012でも認定漫才師に選ばれたが、サーキットランキング18位でワイルドカード決定戦進出に終わる。
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