ジョー・ボッサノ

ウィキペディアから、無料の百科事典
ジョー・ボッサノ
2016年のボッサノ
経済開発・企業・電気通信・ジブラルタル貯蓄銀行担当大臣
就任
2011年12月9日
首相ファビアン・ピカルド
ジブラルタル首相
任期
1988年3月25日 – 1996年5月17日
君主エリザベス2世
前任者アドルフォ・カネパ(英語版)
後任者ピーター・カルアナ
個人情報
生誕 (1939-06-10) 1939年6月10日(87歳)
ジブラルタル
政党対英統合党(1972年–1975年)
英領ジブラルタル民主党(1975年–1977年)
ジブラルタル社会労働党(1977年–)
配偶者ローズ・マリー
子供4人
教育バーミンガム大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
受賞聖マイケル・聖ジョージ勲章(2018年)

ジョセフ・ジョン・ボッサノ(Joseph John Bossano)は、英領ジブラルタルの政治家。

ジブラルタル社会労働党の創始者であり、1988年から1996年までジブラルタルの首相を務め、1978年から2011年までジブラルタル社会労働党の党首を務めた。また、1984年から1988年、および1996年から2011年まで野党党首を務めた。1972年、当時のジブラルタル下院に初当選した。ジブラルタルで最も長く議員を務めていることから「議会の父」と呼ばれる[1]。

来歴

2011年、ジブラルタル国民の日(英語版)にグランド・ケースメイツ広場(英語版)で開催された政治集会に参加するジョー・ボッサノ

1939年6月10日ジブラルタルで生まれ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の学位を取得した[1]。また、バーミンガム大学でイタリア語の学位を取得している。1960年代イギリスで船員として働くなかで労働組合運動に加わり[2]、英国労働党に所属した。

帰郷したボッサノは、1972年の選挙で対英統合党から出馬し、当選した。またボッサノは運輸一般労働組合(英語版)の支部役員にもなった。同組合はジブラルタルの公共部門を担当し、ジブラルタル住民の賃金をイギリスと同水準にする取り組みを主導した。

1975年、ボッサノは公民権推進協会を離党し、ジブラルタル民主運動を結成した。同党は1976年の選挙で議会の4議席を獲得した。ジブラルタル民主運動党首から降ろされ、党名も英領ジブラルタル民主党となるとボッサノは離党し、ジブラルタル社会労働党を立ち上げた。

ボッサノは、ジブラルタル住民の同意を得ないままスペインに主権が譲渡されることに一貫して強硬に反対した。1980年にはリスボン協定(英語版)に基づいてスペインとイギリスが交渉を開始することに抗議し、約2,000人のジブラルタル住民によるデモを率いた[3]。

1987年、ボッサノは、ジブラルタル国際空港の共同使用をめぐるスペインとイギリスの合意に反対するジブラルタル政府および議会の立場を支持した。11月10日、ボッサノは当時の首相ジョシュア・ハッサン(公民権推進協会)とともに約12,000人のジブラルタル住民によるデモを率いた。これはジブラルタル史上最大級のデモだった[4]。

1988年2月、ボッサノと公民権推進協会党首アドルフォ・カネパ(英語版)は、スペインとイギリスが1987年12月に合意した空港共同使用協定について、スペインが地峡に対するイギリスの主権を認めない限り、ジブラルタル下院は承認しないと表明した[5].

1988年の選挙で、ボッサノ率いる社会労働党は自決権を訴え、スペインとイギリスによるジブラルタルの主権交渉に反対し、ジブラルタルの主権をスペインに移譲することにも反対した。また、ブリュッセル宣言に関する交渉の打ち切りを求め、空港協定にも反対した。社会労働党は15議席中8議席を獲得し、得票率は58.2%だった。社会労働党は与党となり、ボッサノがジブラルタル首相に就任した。ボッサノ個人の得票数は8,1128票で、対立候補のアドルフォ・カネパを約4,000票上回った[6]。

1992年の選挙では、「スペインに希望を持たせるな」(Give Spain No Hope)をスローガンに掲げ、得票率72%で再び与党となった。この結果は、30年来のジブラルタル領有権問題(英語版)の解決策を模索していた英西両政府との間に大きな摩擦を引き起こした。首相在任中、ボッサノは地方自治体レベルのスペインの政治家とは良好な関係を維持したが、ジブラルタルの主権について彼らと協議することは拒んだ。首相在任中には従来の雇用源であったイギリス国防省などの縮小を背景として、オフショア金融センターと観光産業を基盤とする民間部門の経済が形成されるなど、経済に大きな変化が生じた。

ボッサノは首相就任前から深刻だったジブラルタルの住宅問題の解決にも取り組み、海を埋め立てて数百戸の低価格住宅を建設し、非常に手頃な価格で提供した。これにより、多くの住民が公営住宅から個人の所有する住宅に住めるようになった。

ボッサノの政治的目標は、可能な限り高度な自治を実現することでジブラルタルの脱植民地化を達成し、ジブラルタルを国際連合非自治地域リストから除外することである。

社会労働党党首を退いた現在も、ボッサノはジブラルタル政界で大きな存在感を保っている。2011年4月に党首を辞任し、後任にはファビアン・ピカルドが就任した。ボッサノは政治活動を続け、2011年の選挙でも社会労働党から出馬し、企業・訓練・雇用担当大臣に任命された[7]。

ピカルド率いるジブラルタル社会労働党・自由党同盟政権は、2015年の総選挙でも勝利した。2017年から、ボッサノは経済開発・電気通信・ジブラルタル貯蓄銀行担当大臣を務めている[8]。

叙勲

ボッサノは、2018年の新年叙勲において、エリザベス2世女王から聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・コマンダーに叙された[9]。

物議を醸した発言

モロッコ人に関する発言

首相在任中、ボッサノは、国際法により「妻4人と子ども10人」を持つモロッコ人がジブラルタルに容易に入国できることになるのであれば、自分と家族はジブラルタルに来ないと、地元メディアに語った。その後、国連でも、移民に関する国際法には従わない意向を示した。

この発言は地元のモロッコ人コミュニティの反発を招いた。コミュニティ側は、ボッサノが述べたような大家族を持つ人物がジブラルタルにいるとは知らないと述べた。モロッコ人は1969年の国境閉鎖によって失われたスペイン人労働者に代わって働き手となり、ジブラルタルにとって重要な存在だった。また、その30年後も大多数が劣悪で非人道的な環境で暮らし、働いていた。この一連の出来事をきっかけに人種差別に抗議するデモが起こった。この件は2023年総選挙の際、SNS上で再び取り上げられた。

障害に関する発言

2023年7月31日、ラジオ・ジブラルタルの番組「Today Gibraltar」のコーナーでインタビューを受けた際、障害者の支援付き雇用について、ボッサノはその制度を「保護雇用」と表現した。また、障害のある従業員は健常者ほど職場で積極的に働いたり生産性を発揮したりできない可能性があり、他の人よりも多くの病気休暇を必要とするかもしれないと述べた。

この発言に対し、障害者協会とSNAG(Special Needs Action Group)は否定的な反応を示し、発言は「侮辱に近い」ものであり、「障害者差別を助長する」と批判した。翌日、同じ番組コーナーで発言によって不快な思いをした人々に謝罪するかと尋ねられたが、ボッサノは自分の発言を撤回せず謝罪もしないと答えた。

関連項目

参考文献

  1. 1 2 Mascarenhas, Alice (24 June 2022). “Sir Joe Bossano, 50 years a Parliamentarian”. Gibraltar Chronicle. 2024年2月13日閲覧.
  2. ↑ Delaney, Paul (27 March 1988). “Socialist's Victory on Gibraltar Favors Britain”. The New York Times. 2010年1月12日閲覧.
  3. ↑ Peter Gold (2005). Gibraltar: British or Spanish?. Routledge. p. 28. ISBN 0-415-34795-5
  4. ↑ Peter Gold (2005). Gibraltar: British or Spanish?. Routledge. p. 92. ISBN 0-415-34795-5
  5. ↑ Peter Gold (2005). Gibraltar: British or Spanish?. Routledge. p. 100. ISBN 0-415-34795-5
  6. ↑ Peter Gold (2005). Gibraltar: British or Spanish?. Routledge. p. 101. ISBN 0-415-34795-5
  7. ↑ Gibraltar Chronicle: “Picardo Announces New Govt. Ministerial Portfolios” (2011年12月13日). 2012年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月14日閲覧。
  8. ↑ “List of Government Ministers”. HM Government of Gibraltar. HM Government of Gibraltar. 2015年9月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
  9. ↑ “Arise Sir Joe, 'a Gibraltarian patriot'”. Gibraltar Chronicle. 30 December 2017. 2017年12月30日閲覧.
公職
先代
議員
2011年–現在
次代
先代
党の創設
ジブラルタル社会労働党党首
1978年–2011年
次代
ファビアン・ピカルド
先代
アドルフォ・カネパ
ジブラルタルの首相
1988年–1996年
次代
ピーター・カルアナ