元六

ウィキペディアから、無料の百科事典
平野駅
北口(2026年9月)
ひらの
Hirano
所在地 大阪市平野区平野元町9-12
北緯34度37分51秒 東経135度33分6秒 / 北緯34.63083度 東経135.55167度 / 34.63083; 135.55167座標: 北緯34度37分51秒 東経135度33分6秒 / 北緯34.63083度 東経135.55167度 / 34.63083; 135.55167
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 ヒラ
駅構造 地上駅(橋上駅)[1]
ホーム 2面3線[2]
乗車人員
-統計年度-
9,446人/日(降車客含まず)
-2024年-
開業年月日 1889年(明治22年)5月14日[3]
乗入路線 3 路線
所属路線 ■関西本線(大和路線)
駅番号 JR-Q22
キロ程 167.5 km(名古屋起点)
加茂から46.6 km
◄JR-Q23 加美 (1.5 km)
(1.5 km) 東部市場前 JR-Q21►
所属路線 関西本線(貨物支線)
キロ程 0.0 km(平野起点)
(1.4 km) 百済(タ)►
所属路線
キロ程 1.5 km(正覚寺信号場起点)
◄正覚寺(信) (1.5 km)
備考
テンプレートを表示

平野駅(ひらのえき)は、大阪市平野区平野元町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である[2]。駅番号はJR-Q22。平野区の北の玄関口で、かつてはバスのターミナル駅であった。南口一帯には「元六(もとろく)」の通称があり、ショッピングセンターや高層マンション群が密集する。

平野旧市街(旧平野郷町中心街)の北縁に位置する。旧南海平野駅・地下鉄平野駅とは離れた位置にあるが、大念仏寺(融通念仏宗総本山)や杭全神社(平野総鎮守)、旧官庁街である宮前通(国道25号)などからは近い。

かつては駅前に「大阪府下紡績工場の冠」と評される平野紡績工場(のちの大日本紡績〈現・ユニチカ〉平野工場)が存在したが1969年に閉鎖し、跡地には「メガロタウン」としてイズミヤショッピングセンター平野と高層マンション群が再開発された。2026年には、閉鎖していたイオンタウン平野の跡地にマチノマ大森(東京都大田区)「マチノマ」ブランドの商業施設として、「マチノマ平野」の建設が発表された[4]。

乗り入れ路線

関西本線を所属線としている[3]。旅客駅はアーバンネットワーク内にあり、関西本線は「大和路線」の路線愛称設定区間に含まれている。

このほか当駅からは日本貨物鉄道(JR貨物)の第一種鉄道事業者区間となっている百済貨物ターミナル駅への関西本線支線[2]、およびおおさか東線の正覚寺信号場から分岐するJR西日本の片町線支線(城東貨物線の一部。城東貨物南連絡線とも呼ぶ)が接続しており[2]、貨物列車の運行では両路線が一体となっている。

歴史

大日本紡績平野工場(1929年)
昭和天皇行幸の際に撮影。手前に駅構内と工場への引込線が見える。

当駅は大阪鉄道線開業当初から存在する鉄道駅であり、貨客機能を併せ持つ一般駅として1889年(明治22年)5月14日、平野泥堂町(当時)に開業した。当初は天王寺 - 平野 - 河内国分間に馬車軌道の計画があったが、予算の推定を依頼された平野馬場町の井上治の提言により普通鉄道での計画に変更され、これが大阪鉄道会社となった。

開業時は湊町 - 柏原間の全線が単線であり、当駅に当時唯一の行違い設備が設けられていた。また、大阪鉄道本線から分岐する枝線の城東線(現・大阪環状線)は、当駅から玉造駅を経由して梅田駅(官営鉄道梅田停車場に接続)の間で計画されていたが、最終的には天王寺駅での分岐に変更された。その後も玉造駅への連絡線が構想されたものの、実現には至っていない。

当時の平野駅は、堺市・岸和田町(当時)に次ぐ大阪府下第四都市であった平野郷町唯一の鉄道駅であり、列車間隔が1時間に一本程度しかなかったなかでも、融通念仏宗総本山大念仏寺の参詣客や通勤通学の旅客が利用し、駅前ロータリーには多数の人力車が待機していた[5]。また、平野紡績・平野撚糸ほか多数の繊維企業や、大阪精油所など精油企業が工場を稼働し、駅周辺に工業地帯を形成していたことから、貨物取扱の構内・量ともに広大であり、構内作業員や荷物揚げ降ろしの仲仕が多数働いていた[5]。戦前の主な到着貨物は精油原料・棉花・石炭、主な発送貨物は撚糸・肥料であった。

1910年(明治43年)2月1日には加美駅・百済駅が当駅の管轄下にある簡易駅として両隣に設置され[6]、加えて大阪 - 平野間のインターアーバンであった阪南電車(のちの南海平野線)が1914年(大正3年)、平野旧市街の中央部にターミナルを構えた[5]。これ以降、当駅は列車本数の少ないいわゆる「汽車ダイヤ」であったことから、一時乗客が漸減した[5]。しかし、大阪市電があべの橋に延伸したため、乗客は稍増した。

戦後の当駅周辺では加美エリアの工業都市化に加え、市営住宅が相次いで建設され、人口増加が進行した[5]。一方、当駅含む関西線は大都市近郊区間であったにも関わらず、依然として多くの運用を蒸気機関車の牽引による客車列車が占めていた[5]。このため混雑緩和を目的として、101系に準じた設計の通勤型気動車であるキハ35系が開発された。「サンロクトオ」直後の1961年(昭和36年)12月10日より集中投入を開始し、電車に準じた高頻度ダイヤへ再編成を行い、さらに1973年(昭和48年)には奈良までの電化・当駅手前までの高架化に至った[5]。しかしこれがさらなる乗降の急増を引き起こし、朝夕のラッシュ時には積み残しが常となり、昭和後期における一日の平均乗降人員も3万1千人を推移した[7]。

1963年(昭和38年)10月1日を以て、天王寺駅および当駅の貨物設備の統合により百済貨物駅が開業し、当駅は旅客駅となった[7]。1969年(昭和44年)3月6日には、加美駅が当駅の管轄化を脱して独立駅となり、各駅停車がすべて停車するようになったため、当駅の混雑が多少緩和されることとなった[7]。また同年を以て平野紡績工場(ニチボー平野工場)が閉鎖されると、その跡地が大阪市立平野北中学校および「メガロタウン」として再開発された。メガロタウンは商・住一体型の複合商業施設で、高層マンション群の低層階にショッピングセンターやアーケード商店街が入居する形態である。

年表

駅構造

旅客営業を行っている関西本線(大和路線)は、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームと通過線(天王寺方面)1線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。2・3番のりばが島式ホームとなっている。さらに、北側に貨物専用線を1線有する。

王寺駅が管理している直営駅で、ICカード乗車券「ICOCA」が利用できる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。

のりば

のりば路線方向行先
1 Q 大和路線 下り 天王寺・JR難波・大阪方面[15]
2・3 上り 王寺・奈良方面 / 高田方面[15]
  • 上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。
付記事項
  • 3番のりばでは、定期旅客列車は天王寺方面からの列車しか着発しないが、貨物列車のみ奈良方面からの通過が存在する。そのため駅放送も双方向からの通過を想定したものとなっている。
  • 1番のりばが下り副本線、2番のりばが上り本線、3番のりばが副本線である。
  • 下り本線は1番のりばと2番のりばの間にホームのない通過線として存在し、快速列車などが通過する。平日朝7時台の全てのJR難波行きと一部の王寺行きの普通列車は当駅で通過待ちを行う。また、平日夕ラッシュの柏原行きの普通列車に限って3番のりばで快速列車の待避を行う。
  • 運転取り扱い上では、1番のりばが「1番線」、通過線が「2番線」、2番のりばが「3番線」、3番のりばが「4番線」となっている。

配線図

久宝寺駅 - 平野駅間および久宝寺駅 - 衣摺加美北駅間 構内配線略図
↑ おおさか東線 放出方面
←
関西本線
JR難波方面
久宝寺駅 - 平野駅間および久宝寺駅 - 衣摺加美北駅間 構内配線略図 →
関西本線
加茂方面
凡例
出典:[16]


配線変更工事

かつては、3番のりばが上り本線、2番のりばが上り副本線であった。2番のりばは、城東貨物線からの貨物列車が百済駅(現・百済貨物ターミナル駅)への入線待ちで停車したり、奈良方面行き普通列車が通過列車を待避するのに使用していた。後述の貨物専用線新設工事に伴い、貨物列車は4番線の北側に新設された5番線を2010年5月23日から使用している。その後、2番のりばは上り線改良工事のため一旦使用休止した後、2010年10月30日から上り本線として使用が開始された。これと入れ替わりに3番のりばが改良工事のため使用休止となったが、2011年3月12日から上り副本線として使用が開始された。

百済第一信号場

関西本線上の平野駅から加美駅寄りに設けられた、おおさか東線正覚寺信号場(放出駅方面)へ向かう片町線貨物支線(城東貨物南連絡線)との分岐点にある信号施設である。正式には平野駅構内の扱いであり、独立した信号場ではないが、貨物列車の時刻表では百済第一信号場は採時駅として記載されていた。ただし一時期は独立した信号場として扱われ、こちらが「正覚寺信号場」を名乗っていた。

2010年10月29日までは、放出駅からおおさか東線を経由して百済駅(現・百済貨物ターミナル駅、貨物駅)に向かう貨物列車は関西本線(大和路線)に合流して当駅まで約700メートルを上り線を逆走する形で平野駅の2番のりばに入り、そこから百済駅へ進入していた。貨物線から百済駅方面へは、関西本線への合流部が百済第1場内、平野駅への進入が百済第2場内、平野駅から百済駅への進入が百済第3場内となっていた。

この信号場は1931年に片町線貨物支線として放出駅 - 平野駅間が開業した際に「正覚寺信号場」(初代)として設置されたが、1939年に八尾駅への片町線貨物支線が開業した際に平野駅の構内扱いとなった。1941年に平野駅から再び独立して「正覚寺信号場」(2代目)となったが、1961年に再度平野駅の構内扱いとなった。なお、「正覚寺信号場」の名称はその後、おおさか東線上の久宝寺駅方面と城東貨物南連絡線(平野駅方面)の分岐点に継承されている(正覚寺信号場を参照のこと)。

梅田駅の貨物機能の一部が百済駅に移転に伴う百済駅改修事業の一環として、百済第一信号場 - 当駅間に貨物専用線が新設される工事が行われ、2010年10月30日に貨物専用線の使用を開始し、貨物列車と旅客列車の走行線路が分離された。これにより百済第一信号場は廃止された。

利用状況

2024年(令和6年)度の1日平均乗車人員は9,446人である。

各年度の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。

年度別1日平均乗車人員[統計 1][統計 2]
年度 1日平均
乗車人員
出典
1988年(昭和63年) 13,487 [大阪府 1]
1989年(平成元年) 13,315 [大阪府 1]
1990年(平成2年) 13,083 [大阪府 2]
1991年(平成3年) 12,974 [大阪府 3]
1992年(平成4年) 12,823 [大阪府 4]
1993年(平成5年) 12,594 [大阪府 5]
1994年(平成6年) 12,714 [大阪府 6]
1995年(平成7年) 12,773 [大阪府 7]
1996年(平成8年) 12,766 [大阪府 8]
1997年(平成9年) 12,477 [大阪府 9]
1998年(平成10年) 12,266 [大阪府 10]
1999年(平成11年) 12,042 [大阪府 11]
2000年(平成12年) 11,860 [大阪府 12]
2001年(平成13年) 11,862 [大阪府 13]
2002年(平成14年) 11,721 [大阪府 14]
2003年(平成15年) 11,861 [大阪府 15]
2004年(平成16年) 11,838 [大阪府 16]
2005年(平成17年) 11,807 [大阪府 17]
2006年(平成18年) 11,831 [大阪府 18]
2007年(平成19年) 11,606 [大阪府 19]
2008年(平成20年) 11,500 [大阪府 20]
2009年(平成21年) 11,187 [大阪府 21]
2010年(平成22年) 11,377 [大阪府 22]
2011年(平成23年) 11,572 [大阪府 23]
2012年(平成24年) 11,548 [大阪府 24]
2013年(平成25年) 11,824 [大阪府 25]
2014年(平成26年) 11,606 [大阪府 26]
2015年(平成27年) 11,639 [大阪府 27]
2016年(平成28年) 11,457 [大阪府 28]
2017年(平成29年) 11,428 [大阪府 29]
2018年(平成30年) 11,162 [大阪府 30]
2019年(令和元年) 10,848 [大阪府 31]
2020年(令和2年) 8,751 [大阪府 32]
2021年(令和3年) 8,963 [大阪府 33]
2022年(令和4年) 9,463 [大阪府 34]
2023年(令和5年) 9,528 [大阪府 35]
2024年(令和6年) 9,446 [大阪府 36]

駅周辺

JR西日本の平野駅(上)とOsaka Metroの平野駅(下)の位置関係

当駅は、中世に堺と並ぶ環濠自治都市として、近世に「綿都」として発展した歴史都市である平野旧市街に近接する。

南口の駅前筋には商店や高層マンションが並び、大阪市電の最寄り停留所からできた「上六(上本町六丁目)」などと同様、市バスの最寄り停留所「平野元町六丁目(現・JR平野駅筋)」が由来の「元六(もとろく)」という通称がある[17]。元町六丁目が特に元六と通称されるのに至ったのは、市営・近鉄の平野元町六丁目停留所と当駅とが、共に平野市街の玄関口として発展してきたこと、また当駅周辺にあった工業地帯の再開発に伴い、商業施設やマンションの建設が相次いで行われたことによる。

駅前筋を南に下った大念仏寺北交差点では、宮前通(国道25号)と交差する。宮前通はかつて平野郷町役場があった旧官庁街で、区役所が本町通・次いで南港通(地下鉄平野駅前)に移転してからも、金融機関が多く立地している。駅前筋は旧市街に入って本山筋となり、大念仏寺門前から本町通(旧南海平野駅前)に達する。

旧市街の南縁にある地下鉄平野駅や、旧市街の中央部にある旧南海平野駅は当駅から離れており、特に前者は1キロメートル以上の距離がある[2]。

教育機関

史跡

大念仏寺本堂(2005年12月)

金融機関

4店舗のいずれも宮前通・田村橋通(国道25号)沿線にある。かつてはこれに加え、十五銀行・山口銀行・鴻池銀行・協和銀行・幸福相互銀行・大阪商業信用組合も支店を置いていた。

商業施設

メガロタウン一番街(2026年8月)
メガロタウン五番街(2026年8月)

かつては駅北側にイオンタウン系列の「イオンタウン平野」が営業し、「快活CLUB」や「やまとの湯」なども立地していた。イオンタウン平野は2023年(令和5年)8月31日に、周辺店舗も同時期に閉業し解体され、現在では同敷地に「マチノマ平野」および物流施設が建設途中である。

その他

平野紡績工場が存在した経緯から、駅周辺にはユニハイム(旧ユニチカ資本)による高層マンションが多く立地する。宮前通には業務ビルなどが並ぶ。

バス路線

「JR平野駅」停留所および「JR平野駅筋」停留所にて、大阪シティバスの路線が発着する。かつて発着していた近鉄バスは、撤退まで「平野元町六丁目」の停留所名を名乗り続けていた。

当駅へのバス路線の進出は1924年(大正13年)7月1日、大阪乗合自動車の「青バス」が、平野 - 阿倍野橋間の路線を開業したことに始まる[18][19]。青バスはのちに八尾・大友・小阪・布施への路線も開業した[19]。これに加えて大大阪時代の1927年(昭和2年)2月26日、大阪市編入後の大阪市電気局による大阪市営バスのあべの橋 - 平野元町六丁目(現・JR平野駅筋)間が、大阪市はじめての市営バス路線「銀バス」として営業を開始し[20]、奈良街道を両局のバスが並行していた[21][19]。

一時期は大阪阿部野橋停車場 - 平野郷停車場間の路線敷設免許を申請していた二代目大阪鉄道も、大鉄バスとして1928年(昭和3年)5月より平野元町六丁目 - 松原間の路線が開業した(のちの近鉄バス)[22]。戦後の最盛期には平野元町六丁目停留所を中心として、市バスがあべの橋・喜連・流町・八尾・今里・瓜破方面[19]、近鉄バスがあべの橋・松原・藤井寺・大堀・柏原・巽・本町・奈良方面へ路線を運行していた[22]。市バスでは1974年(昭和49年)11月28日、平野区・東住吉区限定でゾーンバス制度が制定されると[23]、南部に新設の出戸バスターミナル・中部の平野南口停留所とともに、幹線・支線問わず路線が集中するターミナル駅としての様相を呈した。

バス運転士不足の中、近鉄バスが柏原線のあべの橋乗入れを元六発着に変更、最終的に元六乗入れも取りやめた。加えて最後まで残存していた加美線の廃止により、2024年(令和6年)9月20日を以て平野元町六丁目停留所含む平野区内から完全に撤退するなど、ターミナル駅としての機能は縮小している[24]。

停留所名 系統 行先 担当 備考
北行き 南行き
JR平野駅
JR平野駅筋
19 地下鉄今里 加美東三丁目北 守口 JR平野駅筋の北行きは他とのりばが異なる
30 あべの橋 平野区役所前 住吉
JR平野駅筋 1 出戸バスターミナル
9 平野区役所前 住之江

隣の駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)
Q 大和路線(関西本線)
■大和路快速・■快速・■区間快速
通過
■普通
加美駅 (JR-Q23) - 平野駅 (JR-Q22) - 東部市場前駅 (JR-Q21)
片町線貨物支線(城東貨物南連絡線、旅客列車の運転なし)
正覚寺信号場 - 平野駅
日本貨物鉄道(JR貨物)
関西本線貨物支線(旅客運行なし)
平野駅 - (貨)百済貨物ターミナル駅

脚注

記事本文

注釈

出典

  1. 1 2 “12日使用開始 関西本線平野駅の橋上化”. 交通新聞. 交通協力会. 1984年12月7日. p. 2.
  2. 1 2 3 4 5 『週刊 JR全駅・全車両基地』 16号 奈良駅・新今宮駅・王寺駅ほか70駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年11月25日、23頁。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、343-344頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
  4. ↑ 「2027年春開業予定の商業施設名称を「マチノマ平野」に決定」『三菱商事都市開発株式会社』2026年10月13日。2026年10月17日閲覧。
  5. 1 2 3 4 5 6 7 平野振興会 1980, p. 112.
  6. ↑ 一日上り4本、下り3本程度のみの停車であったため、平野駅への影響は阪南電車ほどのものではなかった。
  7. 1 2 3 平野振興会 1980, p. 113.
  8. 1 2 「関西本線平野駅に新跨線橋」『交通新聞』交通協力会、1967年3月14日、2面。
  9. ↑ 朝日新聞出版分冊百科編集部(編)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』曽根悟(監修)、朝日新聞出版、2009年8月30日、13頁。
  10. ↑ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '99年版』ジェー・アール・アール、1999年7月1日、185頁。ISBN 4-88283-120-1。
  11. ↑ “「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜”. 西日本旅客鉄道 (2003年8月20日). 2004年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月29日閲覧。
  12. ↑ “高さ4mの「時計台」突然倒壊…JR平野駅前の広場 旧国鉄時代に寄付され経年劣化か”. 毎日放送 (2022年2月23日). 2022年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月29日閲覧。
  13. ↑ 浪間新太「駅前で時計台が倒れる 重さ70キロ、高さ4メートル 大阪・平野」『朝日新聞デジタル』2022年2月23日。オリジナルの2022年4月2日時点におけるアーカイブ。2024年9月29日閲覧。
  14. 1 2 “【大阪市平野区】JR平野駅に設置されている「みどりの窓口」は、6月30日日曜日をもって営業を終了されるそうです。”. 地域NEWS号外NET平野区. 2024年6月9日. 2024年6月11日閲覧.
  15. 1 2 “平野駅|時刻表:JRおでかけネット”. JRおでかけネット. 西日本旅客鉄道. 2022年9月28日閲覧。
  16. ↑ 飯島正泰「2019年3月16日全線開業 おおさか東線 工事・路線の概要」『鉄道ピクトリアル』第960巻、電気車研究会、2019年6月、107頁。
  17. ↑ 「平野元町六丁目」は、当駅そのものの住所でもあった。なおこの「平野元町」は旧町名であり、現行の同名町名は丁番を持たない。
  18. ↑ 青バスは市バスと大きく競合していたが、1940年(昭和15年)6月1日に大阪市が買収し、市バスと競合する当路線は廃止された。
  19. 1 2 3 4 平野振興会 1980, p. 114.
  20. ↑ このほか旧平野郷町は、奈良街道上を通り平野京町1丁目交差点(現・平野東1丁目)までの大阪市電敷設を編入条件に入れていたが、実現しなかった。
  21. ↑ 当時の奈良街道は河内東部から大阪市への唯一の道路であり、交通量が非常に多かったにも関わらず「陸上の玄界灘」と称せられる悪路であった。
  22. 1 2 平野振興会 1980, p. 116.
  23. ↑ ゾーンバス制度による幹線・支線の別そのものは、2002年(平成14年)1月27日を以て廃止された。
  24. ↑ 「【2018年12月21日】布施駅前~平野駅前間の運行経路を短縮し、一部停留所を取止めいたします。」近鉄バス株式会社、2018年11月19日。2018年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月22日閲覧。

利用状況

大阪府統計年鑑

  1. 1 2 大阪府統計年鑑(平成2年) (PDF)
  2. ↑ 大阪府統計年鑑(平成3年) (PDF)
  3. ↑ 大阪府統計年鑑(平成4年) (PDF)
  4. ↑ 大阪府統計年鑑(平成5年) (PDF)
  5. ↑ 大阪府統計年鑑(平成6年) (PDF)
  6. ↑ 大阪府統計年鑑(平成7年) (PDF)
  7. ↑ 大阪府統計年鑑(平成8年) (PDF)
  8. ↑ 大阪府統計年鑑(平成9年) (PDF)
  9. ↑ 大阪府統計年鑑(平成10年) (PDF)
  10. ↑ 大阪府統計年鑑(平成11年) (PDF)
  11. ↑ 大阪府統計年鑑(平成12年) (PDF)
  12. ↑ 大阪府統計年鑑(平成13年) (PDF)
  13. ↑ 大阪府統計年鑑(平成14年) (PDF)
  14. ↑ 大阪府統計年鑑(平成15年) (PDF)
  15. ↑ 大阪府統計年鑑(平成16年) (PDF)
  16. ↑ 大阪府統計年鑑(平成17年) (PDF)
  17. ↑ 大阪府統計年鑑(平成18年) (PDF)
  18. ↑ 大阪府統計年鑑(平成19年) (PDF)
  19. ↑ 大阪府統計年鑑(平成20年) (PDF)
  20. ↑ 大阪府統計年鑑(平成21年) (PDF)
  21. ↑ 大阪府統計年鑑(平成22年) (PDF)
  22. ↑ 大阪府統計年鑑(平成23年) (PDF)
  23. ↑ 大阪府統計年鑑(平成24年) (PDF)
  24. ↑ 大阪府統計年鑑(平成25年) (PDF)
  25. ↑ 大阪府統計年鑑(平成26年) (PDF)
  26. ↑ 大阪府統計年鑑(平成27年) (PDF)
  27. ↑ 大阪府統計年鑑(平成28年) (PDF)
  28. ↑ 大阪府統計年鑑(平成29年) (PDF)
  29. ↑ 大阪府統計年鑑(平成30年) (PDF)
  30. ↑ 大阪府統計年鑑(令和元年) (PDF)
  31. ↑ 大阪府統計年鑑(令和2年) (PDF)
  32. ↑ 大阪府統計年鑑(令和3年) (PDF)
  33. ↑ 大阪府統計年鑑(令和4年) (PDF)
  34. ↑ 大阪府統計年鑑(令和5年) (PDF)
  35. ↑ 大阪府統計年鑑(令和6年) (PDF)
  36. ↑ 大阪府統計年鑑(令和7年) (PDF)

参考文献

  • 粕谷栄一(編)『平野郷 大阪市編入五〇周年記念誌』平野振興会、1980年3月1日。

関連項目

外部リンク