八王子医療刑務所
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出入口外観 | |
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 所在地 | 東京都八王子市子安町三丁目26番1号 |
| 警備水準 | M級、P級、MW級、PW級、A級、W級 |
| 収容定員 | 433人(発足時は510人) |
| 沿革 | |
| 開設 | 1878年(明治11年)9月 |
| 閉鎖 | 2018年(平成30年)1月 |
八王子医療刑務所(はちおうじいりょうけいむしょ)は、かつて東京都八王子市子安町に存在した法務省矯正局所管の医療刑務所である。通称は「八刑(はちけい、はっけい)」。全国に設置された医療刑務所の一つとして、身体や精神に疾患・障害があり、専門的な医療や治療的処遇を必要とする受刑者を収容していた。
1878年(明治11年)9月に神奈川県監獄八王子支署として開庁し、1895年(明治28年)12月に現在の八王子市子安町へ移転した。1951年(昭和26年)4月1日に八王子少年刑務所から八王子医療刑務所に改称され、矯正施設における医療専門施設としての役割を担った[1][2][3]。
2018年(平成30年)1月、東京都昭島市の国際法務総合センター内に東日本成人矯正医療センターとして移転し、閉所した[1]。跡地は八王子市が取得して再整備を進め、2026年(令和8年)10月3日、公園、図書館、歴史・郷土ミュージアム、交流スペースなどを備えた複合施設「桑都の杜」が開設された[4]。
所在地
沿革・設立の背景
1878年(明治11年)に設立された「神奈川県監獄八王子支署」を前身とし、明治・大正期を経て1927年(昭和2年)に「八王子少年刑務所」へと改編された。
医療刑務所への改編と設立の背景
八王子少年刑務所の時代から、当時猛威を振るっていた結核患者の治療病棟や医療設備が順次整備され、実質的な医療拠点として機能していた。さらに戦後の混乱期には、生活難や社会的混迷に伴い精神障害受刑者が急増し、一般の刑事施設での処遇が困難となったことが大きな課題となっていた。こうした背景から、同所には精神障害受刑者の集中的な収容・観察機能も求められるようになった[5]。
1950年(昭和25年)8月以降は東京大学などの専門医を招喚し、胸部外科手術(胸郭成形術等)が実施されるなど高度医療の導入も進められた[5]。こうした実績と体制の整備を経て、1951年(昭和26年)4月1日、結核対策および精神障害者等への専門的医療の必要性が一層高まったことを背景に、八王子少年刑務所から「八王子医療刑務所」へと正式に組織改編された[6][2]。同年に成立した北方医療刑務所(後の北九州医療刑務所)とともに、当時国内に2つしかない医療刑務所として発足した[3]。発足初期(1951年11月時点)の収容内訳は、結核受刑者267名、精神障害受刑者63名、自営作業に従事する健康受刑者53名などとなっていた[5]。
その後の展開と閉所
一般の総合病院に相当する施設・診療機能を備え、専門医による診療や精神障害受刑者に対する作業療法(紙細工・園芸等)が積極的に導入された。1966年(昭和41年)には自前で看護職員を育成するための「准看護人養成所」を開設したほか[7]、受刑者の高齢化や重症化に伴い、全国の医療刑務所で唯一となる「終末期ケア(ターミナルケア)」の取り組みを実施するなど、更生と医療の両立に深く関わった[8]。
2018年(平成30年)1月、施設の老朽化に伴い東京都昭島市の国際法務総合センター内に新設された東日本成人矯正医療センターへ移転し、閉所した[1]。
年表
- 1878年(明治11年)9月:神奈川県監獄八王子支署として開庁[1]。
- 1878年(明治11年)11月:神奈川県監獄本署監獄八王子支署と改称されたとされる[9]。
- 1893年(明治26年)4月1日:南多摩郡が東京府に編入され、警視庁の所管となった。
- 1895年(明治28年)12月:現在の東京都八王子市子安町に移転[1]。
- 1927年(昭和2年):八王子少年刑務所に改称。
- 1946年(昭和21年)7月30日:受刑者が脱獄し、後に住友友成の子供を誘拐する事件を起こした。同年9月23日に逮捕された[10]。
- 1950年(昭和25年)8月:胸部外科手術が開始され、専門医や東京大学等の連携による外科的治療体制が構築される[5]。
- 1951年(昭和26年)4月1日:八王子少年刑務所から八王子医療刑務所に改称された[2]。同年、八王子と北方(現在の城野)の医療刑務所が組織法上正式に認められた[3]。
- 1966年(昭和41年)4月:矯正施設に勤務する看護職員の養成を目的として、准看護人養成所が設置された[7]。
- 1981年(昭和56年):施設を改修。
- 2018年(平成30年)1月:東京都昭島市の国際法務総合センター内に東日本成人矯正医療センターとして移転し、閉所[1]。
- 2026年(令和8年)10月3日:跡地に複合施設「桑都の杜」が開設された[4]。
施設設備
医療刑務所発足当時における敷地面積は約16,098坪であり、主要な建物として庁舎(1,121坪)、病舎(2,317坪)、工場(369坪)、取調所(163坪)、病棟(311坪)、研究室(84坪)、講堂(262坪)などが配置されていた[5]。また屋外設備としてプール(10m×130m)も備えられていた[5]。
収容分類級
収容分類級は、受刑者の心身の状態や犯罪傾向などに応じて施設への収容や処遇を行うための分類である。八王子医療刑務所では、主に以下の分類級に該当する受刑者を対象としていた[11]。
- M級:精神障害のある者(精神疾患や知的障害等があり、医療的処遇を必要とする受刑者)
- P級:身体上の疾患または障害のある者(身体的な病気や障害があり、医療的治療や療養を必要とする受刑者)
- MW級:女子の精神障害者(M級に属する女性受刑者)
- PW級:女子で身体上の疾患または障害のある者(P級に属する女性受刑者)
また、医療処遇を必要とする女子受刑者のほか、施設内の炊事、洗濯、清掃、維持管理などの自営作業に従事させるため、犯罪傾向の進んでいない健康な受刑者(A級・W級)も一部収容されていた。
収容定員
433人(発足初期の昭和26年時点では定員510人[5])。
医療機能
八王子医療刑務所は、一般の刑事施設における医療体制を補完する医療専門施設として設置されていた。発足初期の1950年代においては、ストレプトマイシンやPASなどの抗結核薬を用いた内科的化学療法や、東京大学等の専門医と連携した外科的手術(胸郭成形術等)が実施されたほか、島津製作所製のX線装置を用いたレントゲン科、外部医師を招集しての歯科診療、定期的な臨床検査体制が完備されていた[5]。
内科診療と給食・栄養管理
発足初期の内科診療においては、主として結核患者や身体疾患を有する受刑者に対する化学療法や安静療法が行われた[5]。患者の病状や進行度に応じた医療処遇を行うとともに、一般の刑事施設と異なり、病床にある受刑者の体力回復や療養を目的とした配慮の行き届いた給食(病食)管理や栄養管理がなされていた[5]。
また、内科的・外科的治療を経て回復期に入った受刑者に対しては、病状経過や検査結果を慎重に確認しながら段階的に「試験的軽作業」に従事させるなど、再発防止と治癒に向けた細やかな回復期管理が行われていた[5]。
1970年代の犯罪白書によれば、八王子医療刑務所では、精神障害のある受刑者に対する医療的処遇のほか、手術や専門的治療を必要とする結核その他の疾患に対する治療が行われていた[12]。
1989年版の犯罪白書では、八王子医療刑務所は岡崎・城野の各医療刑務所、大阪・菊池の各医療刑務支所とともに、専門的治療を要する受刑者や長期療養を必要とする受刑者に対応する医療専門施設として位置づけられている[13]。
受刑者の診療は原則として施設内の医師が行い、病状に応じて外部の専門医による診療を受けさせることや、施設内で適切な治療を行うことが困難な場合に外部の病院へ一時入院させることも、犯罪白書で説明されている[13]。
准看護人養成所
矯正施設では看護職員の確保が課題となっていたことから、1966年(昭和41年)4月、八王子医療刑務所に准看護人養成所が設置された。受講人員は毎年20人、修学期間は2年間とされ、矯正施設で勤務する看護職員の養成が行われた[7]。
法務省の犯罪白書によれば、同養成所の卒業者は、1980年(昭和55年)3月末までに247人、1989年(平成元年)3月末までに430人、1991年(平成3年)3月末までに473人に達した[3][13][14]。
組織
1953年当時の組織
1953年(昭和28年)2月刊行の『矯正医学会誌』に掲載された組織図によれば、当時の八王子医療刑務所には、所長の下に医務部、総務部および保安課が置かれていた[5]。
医務部には、次の各課が設けられていた[5]。
- 医療第一課:精神・神経系疾患の診療、分類および保護
- 医療第二課:身体疾患の診療および臨床検査
- 保健課:一般健康診断、防疫対策、調剤、医薬品・衛生材料の受払、医療器械の保管その他の医療関係事務
- 指導課:教育および作業
総務部には庶務課、用度課および会計課が置かれ、保安課も設けられていた[5]。
後年の組織
所長の下に3部を持つ3部制である。
- 総務部(庶務課、会計課、用度課)
- 処遇部(処遇担当、企画担当)
- 医務部(保健課、医療第一課、医療第二課、医療第三課、看護課)
関連文芸
『刑政』は、矯正協会が発行する月刊誌であり、矯正職員の執務上の参考や教養の向上を目的とする部内機関誌としての性格と、刑事政策に関する学術誌としての性格を併せ持つ。矯正行政の施策、刑務所などの矯正施設における実務、受刑者の処遇、職員の職務経験など、矯正に関する幅広い記事を掲載している[15]。
『研修』は、法務研修所や法務総合研究所と関係する誌友会などを背景に刊行されてきた法務分野の専門誌である。法務行政、刑事法、司法実務などに関する論説や研究を掲載し、法務関係職員の研修や知識の向上に関わる役割を担ってきた。国立国会図書館の書誌情報には、出版者として法務研修所、法務総合研究所、誌友会事務局研修編集部などが記録されている[16]。
これらの雑誌には、刑務所の制度や業務を直接扱う記事だけでなく、職員による文芸作品も掲載されていた。なかでも、八王子医療刑務所の職員が詠んだ以下の2句は、受刑者を刑罰の対象としてのみ捉えるのではなく、病気や身体的な苦痛を抱える人間として見つめる視点がうかがえる作品である。
- 『研修』第179号(1963年5月)の全国法務職員俳句募集では、八王子医療刑務所職員が詠んだ「病囚をいたはる医師や寒の入り」が佳作に入選した[18]。
医療と矯正が重なる現場において、職員が病気の受刑者や医師の姿をどのように捉えていたかを知る当時の資料の一つとなっている。
著名な受刑者・収容者
- 平沢貞通:画家。帝銀事件の死刑確定者。1985年4月29日に八王子医療刑務所へ移送され、1987年5月10日に同所で死亡した[19][20]。
- 奥西勝:名張毒ぶどう酒事件の死刑確定者。2012年に健康状態が悪化し、名古屋刑務所から八王子医療刑務所に移送された。2015年10月4日に同所で死亡した[21]。
- 永田洋子:連合赤軍事件の死刑確定者。脳腫瘍治療のため2006年5月に八王子医療刑務所へ移送され、その後東京拘置所へ戻された[22]。
- 見沢知廉:作家、活動家。服役中の1989年に八王子医療刑務所へ移送され、同所での実状や受刑者たちの様子を獄中手記『囚人狂時代』で描いた[23]。
- 横井英樹:実業家。ホテルニュージャパン火災における業務上過失致死傷罪で禁錮3年の実刑判決が確定後、高齢および病気療法のため1994年5月から1996年7月の仮釈放まで八王子医療刑務所で服役した[24]。
- 丸岡修:元日本赤軍幹部。無期懲役の確定後、宮城刑務所等を経て八王子医療刑務所に収監されていたが、持病の心臓病等の治療を巡り、2011年5月29日に同施設内で病死した[25]。
未決収容者の特記事項
脚注
- 1 2 3 4 5 6 法務省「東日本成人矯正医療センター」
- 1 2 3 「八王子医療刑務所の活動」『刑政』第64巻第12号、矯正協会、1953年12月、85頁。
- 1 2 3 4 法務省『昭和55年版 犯罪白書』第4編第2章第1節
- 1 2 八王子市「八王子駅南口集いの拠点整備(愛称:桑都の杜)」
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 大谷正敏・菅本栄・三橋沢弘「八王子医療刑務所の沿革と現況」『矯正医学会誌』第2巻第1号、矯正医学会、1953年2月、68–80頁。
- ↑ 第10回国会 衆議院 本会議 第23号、昭和26年3月24日。
- 1 2 3 法務省『昭和44年版 犯罪白書』第2編第2章第1節
- ↑ 「『終末期ケア』で更生を=重症受刑者に実施―医師不足や世論反発課題・医療刑務所」『ウォール・ストリート・ジャーナル』時事通信社、2013年6月15日。
- ↑ 八王子辞典の会『八王子辞典』かたくら書店、2001年。
- ↑ 重松一義『日本刑罰史年表 増補改訂版』柏書房、2007年、273頁。
- ↑ 「受刑者処遇規程」(昭和47年法務省令第28号)第12条。
- ↑ 法務省『昭和49年版 犯罪白書』第2編第3章第1節
- 1 2 3 法務省『平成元年版 犯罪白書』第2編第3章第3節
- ↑ 法務省『平成3年版 犯罪白書』第2編第3章第3節
- ↑ 矯正協会「出版事業」
- ↑ 国立国会図書館サーチ「研修」
- ↑ 「選後に」『刑政』第63巻第9号、矯正協会、1952年9月、96頁
- ↑ 「全国法務職員俳句佳作入選作(二)」『研修』第179号、誌友会事務局研修編集部、1963年5月、179頁
- ↑ 遠藤誠 (1986). 帝銀事件裁判の謎 : GHQ秘密公文書は語る. 青山館
- ↑ 平沢貞通 (1988). 平沢武彦. ed. われ、死すとも瞑目せず : 平沢貞通獄中記. 毎日新聞社. p. 323. ISBN 978-4-620-30620-9
- ↑ アムネスティ・インターナショナル | 日本:死刑囚として46年 奥西さんが死亡
- ↑ 永田洋子『私生きてます : 死刑判決と脳腫瘍を抱えて』彩流社、1986年。
- ↑ 見沢知廉『囚人狂時代』新潮社〈新潮文庫〉、1998年4月。ISBN 978-4-10-147321-5。
- ↑ 「横井英樹受刑者を八王子医療刑務所に収監」『朝日新聞』1994年5月18日朝刊。
- ↑ 週刊金曜日「元日本赤軍・丸岡氏の病死受け――刑務所所長らを告発」
- ↑ 『現代の眼』第21巻第2号、現代評論社、1980年2月、249–250頁
参考文献
- 八王子辞典の会『八王子辞典』かたくら書店、2001年。
- 重松一義『日本刑罰史年表 増補改訂版』柏書房、2007年。
- 八王子医療刑務所編『八王子医療刑務所沿革誌』八王子医療刑務所、1970年。
- 大谷正敏・菅本栄・三橋沢弘「八王子医療刑務所の沿革と現況」『矯正医学会誌』第2巻第1号、矯正医学会、1953年2月、68–80頁。
- 『研修』第179号、誌友会事務局研修編集部、1963年5月。
- 『刑政』第63巻第9号、矯正協会、1952年9月。
- 平沢貞通 [著]、平沢武彦 [編]『われ、死すとも瞑目せず : 平沢貞通獄中記』毎日新聞社、1988年5月。
- 遠藤誠『帝銀事件裁判の謎 : GHQ秘密公文書は語る』青山館、1986年2月。
- 『現代の眼』第21巻第2号、現代評論社、1980年2月。
- 永田洋子『私生きてます : 死刑判決と脳腫瘍を抱えて』彩流社、1986年。
- 見沢知廉『囚人狂時代』新潮社〈新潮文庫〉、1998年4月。
- 法務省『矯正統計年報』法務省大臣官房司法法制部。
- 法務省矯正局『刑事施設受刑者処遇規程』
関連項目
外部リンク
- 東日本成人矯正医療センター - 法務省
- 八王子駅南口集いの拠点整備(愛称:桑都の杜) - 八王子市
- 刑事施設一覧 - 法務省
