| とりでし 取手市 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
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| 国 |
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| 地方 | 関東地方 | ||||
| 都道府県 | 茨城県 | ||||
| 市町村コード | 08217-1 | ||||
| 法人番号 | 4000020082171 | ||||
| 面積 |
69.94km2 | ||||
| 総人口 |
103,445人 [編集] (推計人口、2025年2月1日) | ||||
| 人口密度 | 1,479人/km2 | ||||
| 隣接自治体 |
つくばみらい市、龍ケ崎市、守谷市、北相馬郡利根町 千葉県:我孫子市、柏市 | ||||
| 市の木 |
モクセイ ゲッケイジュ | ||||
| 市の花 |
ツツジ フジ | ||||
| 市の鳥 |
フクロウ カワセミ | ||||
| 取手市役所 | |||||
| 市長 | 中村修 | ||||
| 所在地 |
〒302-8585 茨城県取手市寺田5139番地 北緯35度54分41秒 東経140度03分01秒 / 北緯35.9115度 東経140.05036度座標: 北緯35度54分41秒 東経140度03分01秒 / 北緯35.9115度 東経140.05036度 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
市の中央部を南北に水戸街道(国道6号)が通り、古くは千住宿から5つ目の宿場町として取手宿が置かれ、利根川水運の拠点地・物資集積地でもあったこととあいまって、当時200軒程度の家並みが並ぶ集落を形成していた。1970年代から1980年代にかけて、東京都心へ通勤・通学する人々が住むベッドタウンとして市内各所でニュータウンの開発が行われ、人口が増加した。それ以降、いわゆる「茨城都民」と呼ばれる住民が多くなった。
1995年をピーク[1]として以降、都心回帰現象の影響や、子供が成長して家を離れるケース[注釈 1]も多く見受けられ、人口は減少傾向に推移している。その一方で、世帯数は増加しており、少数世帯化・少子高齢化が進み、市立学校では校舎の老朽化が進行したことから、2008年から市内の小・中学校の大幅な統合が実施された。
2005年に北相馬郡藤代町との合併によって人口10万人を突破[2]するとともに、茨城県の「まちづくり特例市」に認定され、土地利用や福祉関係等の県主要事務の権限移譲を受けた。2020年現在、取手駅周辺再開発や土地区画整理事業、宅地開発などが新たに行われているほか、都市再生機構(UR)による常総ニュータウン「取手ゆめみ野」の開発が進められている。
市内に、東京芸術大学取手キャンパスがあることから、「アートのまち取手[3]」としてまちづくりを展開しており、その一環として1999年より市民と取手市、東京芸術大学の三者が共同で、取手アートプロジェクト(TAP=Toride Art Project略)を行っている。

県庁所在地の水戸市まで約70キロメートル(km)、東京までは約40kmに位置する。JR常磐線や常総線の駅を中心に市街地が広がる一方、田園地帯も多く残る。また、古くは水戸街道の宿場町だったことから、それに関連した史跡・文化財が多数見られる。交通面は、鉄道ではJR常磐線、関東鉄道常総線が、道路では国道6号と、そこから分岐する国道294号の事実上の始点があり、茨城県南地域の交通の要衝として機能している。
関東平野に位置し、利根川と小貝川に面していることから、かつては水害が多かった。現在でも、市南西部と南東部の台地上の地域を除くと、市域の多くで浸水の危険性が見られる。詳しくは 浸水想定区域図 を参照。しかし、近年は利根川、小貝川などの堤防の高機能化により、河川氾濫に伴う浸水被害[4]はほとんどなくなっている。一方、集中豪雨により市内の一部低地などでは道路が冠水するなどの被害が発生する。
1911年(明治44年)から1920年(大正9年)の利根川河川改修によりできた、利根川を挟んだ千葉県側に「取手市小堀(おおほり)」と呼ばれる、いわゆる対岸飛び地があり、渡し船である小堀の渡しによって結ばれている[5]。また、小堀地区を循環するバス[6]も運行されている。尚、この地区は古利根沼が千葉県我孫子市との境である。
「取手」の都市名の由来は、戦国時代に大鹿太郎左衛門[7]の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名づけられたといわれている。ただし、平安時代末の11世紀には伊勢神宮の相馬御厨として、当市周辺の地名が既に史料に記されており、さらに13世紀になると、稲村、戸頭、高井、大鹿などの地名も相馬氏の領地として史料に登場することから、正確な由来は判明していない。平将門が城堡(砦)を築いた事に由来するとの説もある。また、「取手」「鳥手」「鳥出」という標記がされている歴史書なども見受けられる。
1995年の国勢調査で11万8282人を記録して以降は減少傾向にある。2021年の人口は約10万4000人。
| 取手市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 取手市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 取手市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
取手市(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2024年現在約10万人となっており現在は人口減少が続いている。取手市の人口変遷を見ると、60年代半ば程までは緩やかな増加で推移していたが、70年代に入ると東京都市圏の拡大による宅地開発の波が取手市を含む茨城県南部まで押し寄せ、取手市では年間3,000人前後の人口増加が続いた。1950年時点で3.3万人程の人口に過ぎなかった取手市の人口が4万人を超えるまでは17年を要したが、1967年に4万人を上回ると、1972年には6万人、1978年には8万人、1981年には10万人を超えるなど爆発的な人口増加が起こった。しかし1995年に11.8万人の人口を記録してからは都心回帰の流れや宅地の高齢化なども進み人口は減少に転じている。
| 実施年 | 取手市人口(人) | 旧取手市人口(人) | 旧藤代町人口(人) | 取手市増加数(人) | 旧取手市増加数(人) | 旧藤代町増加数(人) | 取手市増加率(%) | 旧取手市増加率(%) | 旧藤代町増加率(%) | 国内増加率(%) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1950年 | 32,699 | 19,630 | 13,069 | - | - | - | - | - | - | - |
| 1955年 | 34,174 | 21,233 | 12,941 | |||||||
| 1960年 | 35,188 | 22,582 | 12,606 | |||||||
| 1965年 | 39,181 | 26,179 | 13,002 | |||||||
| 1970年 | 56,596 | 40,287 | 16,309 | |||||||
| 1975年 | 73,223 | 52,816 | 20,407 | |||||||
| 1980年 | 97,715 | 71,247 | 26,468 | |||||||
| 1985年 | 108,365 | 78,608 | 29,757 | |||||||
| 1990年 | 114,409 | 81,665 | 32,744 | |||||||
| 1995年 | 118,282 | 84,477 | 33,805 | |||||||
| 2000年 | 115,993 | 82,527 | 33,466 | |||||||
| 2005年 | 111,327 | 78,742 | 32,585 | |||||||
| 2010年 | 109,651 | 77,222 | 32,429 | |||||||
| 2015年 | 106,570 | 74,876 | 31,694 | |||||||
| 2020年 | 104,524 | 74,218 | 30,306 |

取手市では、本所機能を分散させた分庁舎方式を採用している。
| 候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 中村修 | 当 | 60 | 自由民主党 | 現 | 10,552票 |
| 川口政弥 | 当 | 65 | 自由民主党 | 現 | 9,879票 |
| 佐野太一 | 落 | 54 | 日本共産党 | 新 | 8,580票 |
| 当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 葉梨康弘 | 62 | 自由民主党 | 前 | 109,448票 | ○ |
| 梶岡博樹 | 44 | 立憲民主党 | 新 | 63,674票 | ○ | |
| 岸野智康 | 27 | 日本維新の会 | 新 | 31,100票 | ○ |
1973年3月23日に取手駅東口にカタクラショッピングプラザ、1985年に取手駅西口に取手とうきゅうが開店した。1986年8月には西友が撤退したが、1988年9月21日にボックスヒル取手店が開店し、1990年頃に取手駅前は市の商業の中心地として最盛期を迎える。しかし、カタクラショッピングプラザは2001年のイトーヨーカドーの撤退後、キーテナントにマルエツ、ダイソーなどを入れたが2007年4月26日に閉店[56]。現在は取り壊されている。また、取手とうきゅうも2010年8月31日をもって閉店した。市内にはラーメン店を展開する「ゆにろーず」の本社と製麺所があり、ベイシアの出店計画も2005年より存在する[57]。そのような中、2012年度中に西友が取手とうきゅう跡地に出店すると報じられ[58]、「リボンとりで」として開業した(西友は1階部分で営業し、2階以上は専門店)。2020年3月にボックスヒルがアトレ取手に改称した。
市東部では、ミスターマックス取手店が2011年12月1日に開業した。
市西部では、戸頭地区の街開き後にマスダやリブレ京成などのスーパーが出店し、新大利根橋・常総ふれあい道路の開通、隣接する守谷市の常総ニュータウン南守谷・ヒルズ美園などの開発が進むと、ジャスコ取手店が出店。さらに2001年(平成13年)にジャスコに隣接する場所にカルフール[59]、戸頭に隣接する米ノ井にベイシアが出店する予定であったが[60]、これらは中止となっている。しかし、カルフール予定地には、戸頭地内にあったケーズデンキが移転し、ホーマック(現DCM)も新規出店。2007年(平成19年)にはヤオコーが出店した。2015年(平成27年)9月、イオン取手店(旧ジャスコ取手店)は閉店した。跡地には、2019年7月にヨークタウン(ヨークベニマル取手戸頭店等)が開業した。
上記の他、取手市桑原地区(国道6号線周辺地域)に土地区画整理事業が計画され、イオンモール(株)・イオンタウン(株)のJVが選定された。同地区の北側(約32.6ha)に専門店が連続する商業施設を、南側(約35ha)に多目的な大規模商業施設を整備する計画がある。
取手市は民放キー局、NHK東京教育、NHK水戸総合、放送大学の放送対象地域である。また、放送対象地域外であるがほとんどの地域でNHK東京総合/チバテレ/TOKYO MXが視聴できる。
尚、アンテナの設置方向の関係、具体的には、南の東京スカイツリー向きと、北の筑波中継局もしくは水戸放送局向きと、2つのアンテナを設置している建物はほぼ見当たらないことから、NHK総合テレビについても、NHK東京総合(JOAK-DTV)を設定、視聴している世帯が多いものと推定される。
| リモコンキーID | 放送局名 | コールサイン | チャンネル |
|---|---|---|---|
| 1 | NHK水戸総合 | JOEP-DTV | 49 (筑波中継局) |
| 2 | NHK東京教育 | JOAB-DTV | 26 |
| 3 | チバテレ (放送対象地域外) | JOCL-DTV | 30 |
| 4 | 日本テレビ | JOAX-DTV | 25 |
| 5 | テレビ朝日 | JOEX-DTV | 24 |
| 6 | TBSテレビ | JORX-DTV | 22 |
| 7 | テレビ東京 | JOTX-DTV | 23 |
| 8 | フジテレビ | JOCX-DTV | 21 |
| 9 | TOKYO MX (放送対象地域外) | JOMX-DTV | 16 |
| 12 | 放送大学(2018年10月30日終了) | JOUD-DTV | 28 |
ケーブルテレビは、土浦ケーブルテレビ(J:COM茨城)のサービスエリアである。
当市では茨城県内をカバーしているLuckyFM茨城放送のほか、隣県の千葉県のBAYFMや、埼玉県のNACK5をはじめとして、在京AM局・FM局が聴取エリアである。聴取エリア内ではないものの、電波状況によっては、神奈川県のFMヨコハマ、山梨県のFM FUJI、栃木県のRADIO BERRYも聴取可能な場合がある。同じく、東京方面も含む近隣地域のコミュニティFMが聴取できることがある。
旧取手市域の市外局番は02977(小堀・取手の一部のみ0471)となっていたが、1986年(昭和61年)8月に桁ずれを行い、0297(市内局番は7X)に変更された。小堀・取手の一部は、0471区域(千葉県・柏MAと同じ地区の扱いである)の市内局番の不足に伴い2002年(平成14年)2月11日に04(市内局番は71XX)に変更された。
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