堀込征雄
| 堀込 征雄 ほりごめ いくお | |
|---|---|
| 生年月日 | 1942年2月5日 |
| 出生地 |
|
| 没年月日 | 2025年3月6日(83歳没) |
| 死没地 |
(国立病院機構信州上田医療センター) |
| 出身校 | 中央大学 |
| 所属政党 |
(日本社会党→) (新進党→) (太陽党→) (民政党→) (民主党→) 民進党 |
| 親族 | 父:堀込義雄 |
| 選挙区 |
(旧長野2区→) 比例北陸信越ブロック |
| 当選回数 | 5回 |
| 在任期間 | 1990年2月19日 - 2005年8月8日 |
概要
長野県上田高等学校及び中央大学法学部卒業。1990年2月の第39回衆議院議員総選挙で旧長野2区から社会党公認で初当選。社会党時代は右派に属し、政治改革に取り組んだ。
政治改革関連法が成立し小選挙区が導入され元首相の羽田孜と同じ選挙区となったことや、94年6月29日首班指名選挙で党議に反し党中央執行委員長村山富市ではなく旧連立与党側の海部俊樹に投票するなど自社さ連立に否定的だったため、日本社会党を離党しようとして逆に除名。新進党に所属した。その後は羽田の側近として太陽党、民政党、民主党と行動を供にした。1999年7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に賛成票を投じた。
第44回衆議院議員総選挙で落選後の2007年、後進に道を譲るとして次期総選挙には立候補せず、政界から引退することを表明した。地盤は公募候補である矢崎公二が受け継いだ。引退後は民主党や民進党で長野県連顧問を務めた[1]。
2025年3月6日午後、肺炎のため、長野県上田市の国立病院機構信州上田医療センターで死去した[2]。83歳没。
略歴
経歴
- 1967年
- 長野県経済農業協同組合連合会(現:JA全農長野)勤務。
- 1976年
- 長野県農団労(長野県農林漁業団体職員労働組合)委員長就任。
- 1983年
- 長野県労働組合評議会(長野県評)副議長就任。
政歴
- 1990年
- 2月18日 第39回衆議院議員総選挙(旧長野2区・日本社会党公認)当選。
- 1991年
- 9月12日 社会党シャドーキャビネット農林政務次官就任。
- 1993年
- 7月18日 第40回衆議院議員総選挙(旧長野2区・社会党公認)2期目当選、41,246票。
- 1995年
- 1996年
- 10月20日 第41回衆議院議員総選挙(北陸信越ブロック・新進党公認)3期目当選。
- 新進党離党、太陽党結成。
- 1998年
- 2000年
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(北陸信越ブロック・民主党公認)4期目当選。
- 2001年
- 1月 衆議院農林水産委員長就任。
- 2003年
- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(北陸信越ブロック・民主党公認)5期目当選(比例復活)。
- 2004年
- 4月 衆議院災害対策特別委員長就任。
- 2005年
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(長野4区・民主党公認)落選。
脚注
- ↑ “民進党長野県連 県連役員”. 民進党. 2016年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月29日閲覧。
- ↑ “堀込征雄さん死去 衆院旧長野2区 社会党元議員 |信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト”. 信濃毎日新聞デジタル (2025年3月8日). 2025年3月8日閲覧。
関連項目
外部リンク
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 米沢隆 |
衆議院災害対策特別委員長 2004年 |
次代 西村眞悟 |
| 先代 宮路和明 |
2001年 |
次代 鉢呂吉雄 |