山ノ内町

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やまのうちまち ウィキデータを編集
山ノ内町
山ノ内町旗 山ノ内町章
山ノ内町旗 山ノ内町章
国 日本の旗 日本
地方 中部地方(甲信越地方)
都道府県 長野県
郡 下高井郡
市町村コード 20561-3
法人番号 7000020205613 ウィキデータを編集
面積 265.90km2
総人口 10,181人 [編集]
(推計人口、2026年9月1日)
人口密度 38.3人/km2
隣接自治体 中野市、上高井郡高山村、下高井郡木島平村、下水内郡栄村
群馬県吾妻郡中之条町
町の木 ツガ
町の花 リンゴ
町の鳥 ウグイス
山ノ内町役場
町長 平澤岳
所在地 〒381-0498
長野県下高井郡山ノ内町大字平穏3352-1
北緯36度44分40秒 東経138度24分46秒 / 北緯36.74458度 東経138.41269度 / 36.74458; 138.41269座標: 北緯36度44分40秒 東経138度24分46秒 / 北緯36.74458度 東経138.41269度 / 36.74458; 138.41269
外部リンク 公式ウェブサイト

山ノ内町位置図

■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村

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夜間瀬地区と高井富士(高社山)
蓮池と志賀レークホテル
志賀高原スキー場、西館山と東館山

山ノ内町(やまのうちまち)は、長野県の北東に位置する町。上信越高原国立公園が位置する地域であるとともに、景観法に基づく景観行政団体でもある[1]。町内の志賀高原や湯田中渋温泉郷など観光地として有名である。

地理

東西約39Km、南北12km、標高は十三崖の424mから裏岩菅山2341m。 面積の90%以上が山林原野である。河岸段丘や扇状地には集落・田のほか、リンゴ・ブドウ・モモなどの耕作地が斜面に広がっている。河川流域には火山活動の影響により温泉地が広がる。森林セラピー基地に認定されている。

冬は日本海からの湿った空気が高山にぶつかるため降雪が多く、山腹はスキー場として利用されている。また、降水量が多く、火山性の地質であり、標高差が激しいことなどから、夜間瀬川水系はたびたび水害が発生した。県境をまたぐ信濃川・千曲川の支流のため、一級河川として国が管理している。

高原には、火山活動の痕跡のため、大小70以上の湿原、池が点在し、高山植物や、野獣鳥が生息するほか、石の湯の源氏蛍をはじめ珍しい植生が観察できる。

大沼池の大蛇神社(黒姫伝説)

隣接している自治体

歴史

佐野遺跡

旧石器時代は黒曜石、頁岩で作った石器が発掘されている。縄文時代は上条遺跡、伊勢宮遺跡、佐野遺跡(英語版)などで発掘されている。縄文晩期前半の佐野遺跡で出土された土器は佐野式として指標となっている。 古墳時代は夜間瀬地区に夜間瀬本郷東町古墳群が残り、奈良平安時代には薬草が朝廷に献上され、平安時代には朝廷の馬を育てる御牧が設けられていた。

鎌倉南北朝、室町時代には地方有力豪族の高梨氏、夜交氏、小島氏の支配下となり、後にこれら豪族は上杉氏の家臣となり、慶長3年に上杉氏の会津転地とともに移転していった。江戸時代には慶長3年から寛永元年までの26年の間に多くの領主交代があった。寛永元年からは天領(徳川家直轄地)と松代藩(真田)領となり、幕末まで徳川幕府の統治が行われた。

徳川幕末時点の人口はおよそ8000人ほど。人口に比べ耕作地が少なかったため、米はほとんど年貢として納め、雑穀を主食としていた。竹細工、木工品、薪、炭の生産と、草津街道の運搬補助、湯治場が主な産業であった。

また、水利権争いが度々起きていた。平穏や和合会などの名称は地域の争いが起きないように願いつけられた。奥志賀高原では木島平村と夜間瀬村の水争いもあった。

夜間瀬川水系の水利権は、下流の中野市側にあったことや、耕作地が少ないことから、原野開拓が盛んに行われた。

特に徳川幕末、松代真田藩領では佐久間象山が高井郡沓野村・佐野村・湯田中村の利用係となり、頻繁に指導、鉱山開発などもした(無給の使役に対する沓野村農民の松代直訴、天領上条の湯女騒動などもあった)。

山林原野は歴史的に地域共同体としての所有をしていた。 明治政府により国有とされた時期があったが、多くを奪還し以降の土地所有権は入会権をもって山岳部は共同保有され、上信越国立公園の中の志賀高原のほとんどの所有権は財団法人の共有名義となっている。

沿革

人口

山ノ内町と全国の年齢別人口分布(2005年) 山ノ内町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 山ノ内町
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
山ノ内町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 19,166人
1975年(昭和50年) 19,022人
1980年(昭和55年) 18,964人
1985年(昭和60年) 18,546人
1990年(平成2年) 17,680人
1995年(平成7年) 16,951人
2000年(平成12年) 15,900人
2005年(平成17年) 14,704人
2010年(平成22年) 13,678人
2015年(平成27年) 12,429人
2020年(令和2年) 11,352人
2025年(令和7年) 10,294人
総務省統計局 国勢調査より

行政

警察

長野県警察
  • 長野県中野警察署(中野市)
    • 山ノ内町交番
    • 山ノ内町志賀高原警察官駐在所

消防

常備消防事務は岳南広域消防組合が処理する。

  • 山ノ内消防署
    • 志賀高原分遣所

議会

長野県議会

長野県議会議員選挙では定数2の中野市下高井郡選挙区(中野市、木島平村、野沢温泉村との合区)に属する。

国会

衆議院

衆議院議員小選挙区選挙では長野1区 (長野市(旧大岡村・豊野町・戸隠村・鬼無里村・信州新町・中条村域を除く)、須坂市、中野市、飯山市、上高井郡、下高井郡、下水内郡)に属する。

参議院

参議院議員選挙区選挙では長野県選挙区に属する。

経済

産業

友好都市・提携都市

背景:疎開地として当時平穏村人口6千5百人に対して学童疎開人口5千弱、 足立区からは千8百余名を受け入れた事に由来する交流

教育

交通

鉄道

長野電鉄

バス

道路

一般国道
県道
道の駅

名所・旧跡・観光スポット

木戸池

名所

文化財

地獄谷温泉後楽館と間欠泉
湯田中駅旧駅舎
金具屋旅館 夜景

温泉

湯田中温泉街
星川温泉街
地獄谷野猿公苑

山ノ内町の町内には60近くの外湯、160近くの温泉宿泊施設が有る[3]。


観光

文化施設

コンサートホール

博物館・美術館

出身有名人

ゆかりの人々


脚注

注釈

  1. ↑ 1305年(嘉元3)京都臨済宗東福寺の虎関師練国師が草庵を建て温泉の効能を教えた。1556年(弘治2)佐久曹洞宗貞祥寺から節香徳忠禅師を招いて横湯山温泉寺として開山。武田信玄が1564年(永禄7)に伽藍を寄進し寺の紋を武田菱とした。川中島の戦いのおり武田方の湯治場となっていた。現在境内には和式サウナが復元されている。
  2. ↑ 昭和13年に護国観音として青銅製33mの大観音を山田山光師が建立、昭和19年金属供出で解体。現在の大観音は昭和39年に完成。25mのブロンズ製で、東洋の金属製観音像としては最大。台座には四国三十三箇所の写し本尊が安置され、地下には回廊が作られている。
  3. ↑ 文久年間ころから伝わる。2月立春に御岳教中正講社の行者が五難・七難即滅、雨乞いを祈祷する。燃え盛る炭の上を素足で火渡りする。
  4. ↑ 7年に一度の諏訪社による御柱祭り。(天川神社、金倉神社、諏訪八幡社、高井水上神社、湯宮神社)
  5. ↑ 県下最大の根周径、国土地理院地形図に「千歳桜」と記述、昭和3年天皇御大典を記念して命名。もとは月見桜、見返り桜と呼称。
  6. ↑ 幹周860cmの国内最大周のシナノキ“環境省巨樹巨木林調査データベース”. 環境省. 2021年2月26日閲覧。
  7. ↑ 昭和30年6月22日指定
  8. ↑ 昭和51年12月25日指定
  9. ↑ 昭和2年4月8日指定
  10. ↑ 平成15年7月12日登録
  11. ↑ 平成15年12月25日登録
  12. ↑ 平成16年12月10日登録
  13. ↑ 大本山總持寺独住2世貫首、曹洞宗第三代管長
  14. ↑ 沓野山に巣守衆を配置。
  15. ↑ 高井野藩主、夜間瀬、戸狩、上条、寒沢を領地とする
  16. ↑ 松代藩利用係
  17. ↑ 同上
  18. ↑ 1952年、移住。湯田中渋温泉の不動山荘を借りてこの地を終の棲家とした

出典

  1. ↑ “拡張登録地「志賀高原」の概要について”. 林野庁. 2025年8月7日閲覧。
  2. ↑ “国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2021年2月26日閲覧。
  3. ↑ 1953年3月、『長野縣(下高井郡)平穏温泉調査報告 地質調査所月報 第4巻 第3号』

関連項目

外部リンク