潮見町駅
| 潮見町駅 | |
|---|---|
|
しおみちょう Shiomichō | |
| 所在地 | 北海道紋別市真砂町2丁目 |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 | 名寄本線 |
| キロ程 | 91.9 km(名寄起点) |
| 電報略号 | シチ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線 |
| 開業年月日 | 1959年(昭和34年)11月1日[1] |
| 廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
| 備考 | 名寄本線廃線に伴い廃駅 |

潮見町駅(しおみちょうえき)は、北海道(網走支庁)紋別市真砂町にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122117[2]。
歴史
1955年(昭和30年)12月25日に名寄本線・渚滑線・興浜南線でレールバスの運行が開始された後に[3]、利用者の利便を図って増設された旅客駅のひとつである[4]。
年表
駅名の由来
駅構造
廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の北西側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[9]。
無人駅となっており、駅舎及び待合所は存在しなかった。ホームは名寄方に90度の角度で設置された階段を有し[9]、駅施設外に連絡していた。簡易型の単式ホームであった。駅自体は完全無人駅であったが、近隣の商店に乗車券の販売を委託した簡易委託駅であった。
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | |||
| 1978年(昭和53年) | 55 | [5] | ||
駅周辺
旧北海道紋別北高等学校などの通勤通学の最寄り駅として利用された。
駅跡
2001年(平成13年)時点ではホームと線路は撤去され、駅跡地にはコンクリート製のホームに上る階段のみが残存していた[10]。当駅跡から遠軽方の線路跡も、旧潮見坂踏切まで砂利敷きの道床が残存していた[10]。2011年(平成23年)時点でも同様で階段のみが残存し[11]、遠軽方の築堤上には「L」の記載や「15‰」の記載が残る勾配標が残存していた[11]。この築堤は道路として再利用されている模様であった[11]。駅跡は空き地として放置されたあと、並行市道の拡張用地として道路化された。その後、駅跡に残されていた階段も撤去された。
隣の駅
脚注
- 1 2 3 4 5 6 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、911頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 1 2 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236。2023年3月21日閲覧。
- ↑ 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編『旭川・鉄道八十八年の歩み』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1987年3月、83頁。doi:10.11501/13278510。
- ↑ 紋別市史編さん委員会 編『新紋別市史 下巻』紋別市、1983年3月30日、684-685頁。doi:10.11501/9570999。
- 1 2 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、905頁。doi:10.11501/12065814。
- 1 2 3 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、35頁。
- ↑ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、196頁。ASIN B000J9RBUY。
- ↑ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、187頁。ISBN 978-4893915498。
- 1 2 3 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、210頁。ISBN 978-4093951012。
- 1 2 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2001年7月、35頁。ISBN 978-4533039072。
- 1 2 3 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、123頁。ISBN 978-4894536128。