| 名寄駅 | |
|---|---|
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駅舎(2019年4月) | |
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なよろ Nayoro | |
![]() | |
| 所在地 | 北海道名寄市東1条南6丁目1番1号 |
| 駅番号 | ○W48 |
| 所属事業者 | |
| 所属路線 | ■宗谷本線 |
| キロ程 | 76.2 km(旭川起点) |
| 電報略号 | ナロ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 2面3線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
353人/日(降車客含まず) -2019年- |
| 開業年月日 | 1903年(明治36年)9月3日[1] |
| 備考 | |
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| 名寄駅 | |
|---|---|
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なよろ Nayoro | |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 開業年月日 | 1919年(大正8年)10月20日[2] |
| 廃止年月日 | 1995年(平成7年)9月4日[3] |
| 乗入路線 | |
| 所属路線 | 名寄本線 |
| キロ程 | 0.0 km(名寄起点) |
| 所属路線 | 深名線 |
| キロ程 | 121.8 km(深川起点) |
名寄駅(なよろえき)は、北海道名寄市東1条南6丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)宗谷本線の駅である。事務管理コードは▲121818[4][5]。駅番号はW48。
名寄市の中心駅であり、1903年(明治36年)9月に旭川方面から伸びる天塩線(宗谷本線の前身)の終着駅として開業し[1]、8年後の1911年(明治44年)11月に路線が恩根内駅まで延伸し、途中駅となった。1919年(大正8年)10月には下川方面へ向かう名寄線(後の名寄本線)が開業し[2]、1937年(昭和12年)11月には名雨線(後の深名線)が開業して各線との乗換駅となった[3]。
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、名寄駅は北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された[1]。名寄本線・深名線もJR北海道が継承したが、名寄本線は1989年(平成元年)5月に[2]、深名線は1995年(平成7年)9月に廃止された[3]。貨物列車は1996年(平成8年)9月に廃止され、トラック代行輸送となっている。
宗谷本線のみの途中駅となった現在でも、全列車が停車する主要駅であり、普通・快速列車は原則当駅で系統分断されており、直通する列車も当駅で列車番号が変わる。

市名より。天塩川と名寄川が合流することから「ナイオㇿプトゥ(nay-or-putu)」(川・の所・の口)が由来とされる[21]。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎(改札口)は西側1箇所にあり、日本最北のLED発車標導入駅である[注釈 1]。以前は駅舎脇直結の島式ホームがあり2面4線であったが、0番のりばが廃止された後、単式ホームになった[注釈 2]。1 - 3番のりばはいずれも折り返しが可能。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
留置線が敷設され、夜間滞泊の運用もある。このうち1本は音威子府駅発着で、当駅まで回送して滞泊している。
終日社員配置駅。駅構内にはみどりの窓口・自動券売機・指定席券売機(クレジットカード専用)[22]がある。営業担当社員が不在の早朝・夜間は営業上無人駅扱いとなるが、信号扱いを行う輸送担当社員は線路を隔てて反対側にある輸送事務室(名寄運転所と同じ建物内)に終日配置されている。
| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 1 - 3 | ■宗谷本線 | 下り | 音威子府・稚内方面 |
| 上り | 旭川・札幌方面 |
JR貨物の名寄駅は、コンテナ貨物(JR規格12フィートコンテナのみ)の取扱駅となっている。コンテナ集配基地の名寄オフレールステーション(略称:名寄ORS)が駅舎北側に併設されており、貨物列車の代行のトラック便が北旭川駅との間に1日5往復運行されている[注釈 3]。JR貨物の施設としては最北端に位置している。
かつては1面2線のコンテナホームがあったが、貨物列車の発着が廃止された1996年(平成8年)9月以降、荷役線は使用されずホームのみコンテナ基地として使用されている。貨物列車の発着がない自動車代行駅となった後、2006年(平成18年)4月の貨物駅の名称整理の際に、名寄オフレールステーションとなっている。
また1993年(平成5年)ごろまでは岩谷産業名寄LPGセンターへの専用線があり、本輪西駅発送の液化石油ガス (LPG) 輸送用のタキ25000形貨車が到着していた。また、それより前には王子マテリア名寄工場への専用線もあり、同工場向けの石油輸送用タンク車も到着していた。
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみ判明している年については、1/2した値を括弧書きで示す。「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
| 年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
| 1955年(昭和30年) | 1,005,534 | (2,747.4) | [23] | ||
| 1956年(昭和31年) | 1,112,633 | (3,048.3) | |||
| 1957年(昭和32年) | 1,191,578 | (3,264.6) | |||
| 1958年(昭和33年) | 1,208,888 | (3,312.0) | |||
| 1959年(昭和34年) | 1,219,198 | (3,331.1) | |||
| 1960年(昭和35年) | 1,219,100 | (3,340.0) | |||
| 1961年(昭和36年) | 1,153,822 | (3,161.2) | |||
| 1962年(昭和37年) | 1,166,533 | (3,196.0) | |||
| 1963年(昭和38年) | 1,133,010 | (3,095.7) | |||
| 1964年(昭和39年) | 1,086,408 | (2,976.5) | |||
| 1965年(昭和40年) | 1,132,321 | (3,102.2) | |||
| 1966年(昭和41年) | 1,085,414 | (2,973.7) | |||
| 1967年(昭和42年) | 1,004,553 | (2,744.7) | |||
| 1968年(昭和43年) | 1,018,386 | (2,790.1) | |||
| 1978年(昭和53年) | 1,940.0 | [24] | |||
| 1992年(平成4年) | (1,035.0) | [25] | 1日乗降客数2,070名 | ||
| 2003年(平成15年) | 577 | [26] | |||
| 2004年(平成16年) | 541 | ||||
| 2005年(平成17年) | 526 | ||||
| 2006年(平成18年) | 500 | ||||
| 2007年(平成19年) | 468 | ||||
| 2008年(平成20年) | 447 | [27] | |||
| 2009年(平成21年) | 434 | ||||
| 2010年(平成22年) | 421 | ||||
| 2011年(平成23年) | 434 | ||||
| 2012年(平成24年) | 442 | [28] | |||
| 2013年(平成25年) | 441 | ||||
| 2014年(平成26年) | 441 | ||||
| 2015年(平成27年) | 442 | 10名以上 | [28][JR北 3] | ||
| 2016年(平成28年) | 445 | 442.6 | [29][JR北 4] | ||
| 2017年(平成29年) | 401 | 448.2 | [29][JR北 5] | ||
| 2018年(平成30年) | 371 | 426.0 | [29][JR北 6] | ||
| 2019年(令和元年) | 353 | 377.8 | [29][JR北 7] | ||
| 2020年(令和2年) | 220 | 334.8 | [30][JR北 8] | ||
| 2021年(令和3年) | 217 | 294.0 | [30][JR北 9] | ||
| 2022年(令和4年) | 262.2 | [JR北 10] | |||
| 2023年(令和5年) | 248.4 | [JR北 11] | |||
駅売店のほか、ワゴン販売のある特急「スーパー宗谷」の車内でも販売されていた。なお、角舘商会は2009年(平成21年)6月30日限りで廃業した[新聞 3]。
2013年(平成25年)4月1日に「駅前交流プラザ『よろーな』」がオープンし、同日より併設されたバス乗り場に発着する[31][32]。
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