アンドリュー・ジョーンズ

ウィキペディアから、無料の百科事典
アンドリュー・ジョーンズ
Andruw Jones
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
出身地  キュラソーの旗 キュラソー
生年月日 (1977-04-23) 1977年4月23日(47歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手、一塁手、指名打者
プロ入り 1993年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1996年8月15日
NPB / 2013年3月29日
最終出場 MLB / 2012年10月3日
NPB / 2014年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム オランダの旗 オランダ
WBC 2006年、2013年
プレミア12 2015年

アンドリュー・ルドルフ・ジョーンズ(Andruw Rudolf Jones, 1977年4月23日 - )は、オランダ領アンティルのキュラソー島ウィレムスタット出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投げ右打ち。

日本でのニックネームは「A.J」、MLBでのニックネームは「スマイルボーイ」、「ザ・キュラソー・キッド」など。原音ではアンドリューよりもアンドルーに近く、アンドルー・ジョーンズとも表記される。

MLBでは、1998年から2007年まで10年連続でゴールドグラブ賞を受賞する守備と、2005年から2年連続で「40本塁打・100打点」を記録したパワーを持ち合わせた、MLBを代表する外野手のひとりだった。

経歴

プロ入りとブレーブス時代

1993年、アマチュア・フリーエージェントでアトランタ・ブレーブスに入団。

1996年8月15日の対フィラデルフィア・フィリーズ戦において、19歳でメジャーデビューを果たす。その年はわずか31試合の出場ながら5本塁打、13打点を記録した。この年のポストシーズンにも出場し、リーグ優勝決定戦第7戦ではポストシーズン史上最年少本塁打を、ワールドシリーズ第1戦第1打席で本塁打を放ち、ミッキー・マントルの同シリーズ史上最年少記録を更新。さらに第2打席でも本塁打を放ち、同シリーズ初打席から2打席連続本塁打(24年ぶり史上2人目)も記録した[1][2]。

1997年に右翼手としてレギュラーに定着。153試合に出場して打率.231、18本塁打、70打点、20盗塁の成績を残し、新人王の投票で5位に入った。

1998年には中堅手へコンバートされ、リーグを代表する外野手に成長。自己最高の159試合に出場し、打率.271、31本塁打、90打点、27盗塁の成績を残し、史上最年少で「20本塁打・20盗塁」を達成[3]。9月13日にはMLB史上6番目・球団史上最年少でシーズン30本塁打を達成した[4]。また自身初のゴールドグラブ賞を受賞、以後同賞を10年連続で受賞することになる。

1999年には全162試合に出場。

2000年にはオールスターゲームに初めて選出される。この年の打率.303は自己最高、また36本塁打、21盗塁も記録し、ハンク・アーロンに次いで球団史上2人目となる3年連続「20本塁打・20盗塁」を達成した[5]。2001年2月20日、年俸調停において2001年の年俸820万ドルを勝ち取り、マリアノ・リベラの725万ドルを上回る史上最高額となり[3]、2001年シーズン終了後に6年総額7500万ドルで契約延長した[6]。

2005年には、打率・出塁率こそ平凡だったものの、51本塁打、128打点で二冠のタイトルを獲得。本塁打は、1953年のエディ・マシューズと1971年のアーロンが放った47本塁打を上回る球団新記録でもあった[7]。得点圏打率.207と勝負弱さが垣間見えたものの、この年のMVP投票ではアルバート・プホルスに次ぐ2位に入り、選手選出の最優秀選手となった[3]。

アトランタ・ブレーブス時代(2006年)

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ代表に選出された。

シーズンではWBCに合わせ調整を早く行った結果、本来はスロースターターであるが4月に8本塁打を記録した[8]。5月・6月は失速したが、41本塁打(リーグ5位)、129打点(同4位)を記録した。

2007年は6年契約の最終年のため5月にひじを痛めた後も出場を続け、痛みがひどくなった8月以降は鎮痛剤の注射をして出場し続け154試合に出場[9]。打率.222、26本塁打、94打点と、特に打率に関してはレギュラー定着以来、自己最低に落ち込んだ。チームも2年連続でポストシーズン進出を逃した。オフの10月31日にFAとなった。

ドジャース時代

2007年12月6日にロサンゼルス・ドジャースと総額3620万ドルの2年契約を結んだ[10]。

2008年は、ドジャース待望の大砲として期待され、ジョーンズ自身も復活を目指す年となるはずだった。しかし、開幕からかつてない不振に喘ぎ、挙句の果てに故障者リスト入り。後半戦は、守備のみでの試合出場が増え、メジャーデビューを果たした1996年、当時まだ19歳であった自身の成績をも下回り、1998年から10年連続で受賞していたゴールドグラブ賞も逃した。ドジャースは不振のジョーンズを放出することを決断、ジョーンズも出場機会が激減していたことから、2009年1月6日に残る年俸2210万ドルのうち、約1600万ドルを6年かけて支払ったうえでジョーンズが退団することで双方が合意[11]、1月15日にジョーンズはドジャースから解雇された[12]。

レンジャーズ時代

2009年2月10日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約(+出来高50万ドル)を結び[13]、自身初のアメリカンリーグでプレイする事となった。レンジャーズでは、打率こそ2年連続で.220にも届かない状態であったが、前年とほぼ同数且つシーズン全体の約半分の出場試合数で17本塁打を放った。一方、守備面では10年連続でゴールドグラブ賞を獲得した経歴の持ち主であるが、指名打者としての出場が大半を占めており、外野守備に就いたのはわずか17試合であった。また、メジャーデビュー以来初めてとなる内野守備(ファースト)も経験した。オフの11月6日にFAとなった。

ホワイトソックス時代

2009年11月25日にシカゴ・ホワイトソックスと50万ドルの1年契約を結んだ[14]。

2010年は体重の管理をしっかり行うようになり、14.6打数に1本のペースで本塁打を記録し、3年ぶりにシーズン100試合以上に出場した[15]。打率.230、19本塁打、48打点はいずれも、2009年の数字を上回り、実に4シーズンぶりとなる.800以上のOPSをマークした。

ヤンキース時代

ヤンキース時代(2012年)

2011年1月20日にニューヨーク・ヤンキースと200万ドルの1年契約を結んだ[16]。打率.247、出塁率.356、13本塁打、33打点と、かつてほどの成績ではないものの堅実な成績を収めた。オフの10月30日にFAとなったが、12月30日にヤンキースと160万ドルの1年契約を結んだ[17]。

2012年は前半戦は.244、11本塁打、OPS.862とまずまずの成績を残すも、後半戦は.142、3本塁打、OPS.511と大きく失速し、最終的には2008年以来の打率1割台を記録した。オフの10月29日にFAとなった。

楽天時代

2012年12月16日に東北楽天ゴールデンイーグルスとの契約合意が発表された[18]。年俸は推定3億[19]。

2013年1月29日には、前年途中からヤンキースに所属していたケーシー・マギーと揃って入団会見に臨んだ。楽天とは1年契約で、背番号は25。同年3月に開催された第3回WBCのオランダ代表に選出されている[20][21]。ウラディミール・バレンティンなどと共にクリーンアップの一角を担いながら、代表史上初のWBCベスト4進出に貢献した。

公式戦では開幕戦から「4番・指名打者」としてスタメンに起用。4月5日の対千葉ロッテマリーンズ戦(クリネックススタジアム宮城)では、8回裏に来日初本塁打となる2点本塁打を伊藤義弘から放った。その後は、主に3番・銀次、5番・マギーと共にクリーンアップトリオを構成。オールスターゲームでは、ファン投票・選手間投票ともパ・リーグの指名打者部門で選出された。7月28日には、対ロッテ戦(Kスタ宮城)の8回裏にMLB/NPB通算2000本安打(MLB1933安打・NPB67安打)を達成[22][23]。9月26日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)では、1対3で迎えた7回表の2死満塁で右中間へ3点適時二塁打を放って、チーム史上初のパ・リーグ優勝決定に貢献した[24]。シーズン通算では、翌27日の対ロッテ戦に欠場しただけで、残りの143試合にすべて4番打者として出場。打撃面では、26本塁打・94打点という成績を残す一方で、リーグ最多の164三振を喫した。打率は.243だが、リーグ最多の105四球で、出塁率は.391と高い水準を記録。ロッテとのクライマックスシリーズファイナルステージ(Kスタ宮城)では2本塁打を放っている。読売ジャイアンツとの日本シリーズの第4戦(東京ドーム)では、1回表に先制の3点本塁打を放ったことで、同シリーズとワールドシリーズの両方で本塁打を記録。この記録は、ジョーンズで史上4人目に当たる[25]。なお、マギーはシーズン終了後の契約期間満了を機に、家庭の事情などからMLBへ復帰。しかし、ジョーンズは「楽天のナインに『勝利の哲学』のようなものを伝えたい」「来日を決めた時からアメリカ(MLB)には戻らない覚悟でいる」という姿勢から楽天への残留を決めた[26]。

2014年は監督の星野仙一の方針で4番打者に固定されたが、星野から「身長(185cm)より低い」と表現されるほどオープン戦から打率が低迷[27]。その一方で、延長12回までもつれ込んだ4月22日の対西武戦(楽天Koboスタジアム宮城)では来日初のサヨナラ本塁打[28]、5月1日の対ロッテ戦(コボスタ宮城)では1試合2本塁打を放っている[29]。5月2日の対福岡ソフトバンクホークス戦(コボスタ宮城)では、6回裏の第3打席で放った左中間への大飛球が「フェンス直撃の二塁打」と判定されたことをめぐって、首脳陣にビデオ判定の依頼を要求。星野からの依頼を受けた審判団が打球の映像を確認したところ、打球が外野席のファンを直撃した後でグラウンドに跳ね返っていたことが判明したため、判定が本塁打に改められた[30]。9月17日の対ロッテ戦では3四球を記録し、来日以来2年連続で100四球をクリアした。最終的にはパ・リーグ記録となる118四球を記録。また、このシーズンでは規定打席に到達しながら安打数(99)よりも四球数(118)の方が多かったが、これは2リーグ分裂以後3人目(あとの2人は王貞治が4回とクラレンス・ジョーンズが1回)という珍しい記録となった。楽天は同年限りでジョーンズとの契約を終了し、退団が決まった。オフの12月2日、自由契約公示された[31]。

楽天退団後

2015年2月17日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の欧州代表に選出された[32][33]が、3月4日に家庭の事情で辞退した[34][35]。

オフの10月12日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手36名に選出され[36]、10月20日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表選手28名に内野手として選出された[37]。

2016年1月8日にキューバ代表との強化試合のオランダ代表に選出された[38]。3月に古巣ブレーブスのスプリングトレーニングにて特別コーチとして若手を指導し、ブレーブスから球団殿堂入りの打診を受けたのを機に現役引退を発表した[39]。

引退後

2016年8月3日に第34回ヨーロッパ野球選手権大会のオランダ代表コーチを務めることが発表された[40]。尚、第2回フランス国際野球大会でもコーチを務める[41]。両大会で優勝を果たした[42]。 10月26日に日本代表との強化試合のオランダ代表ベンチコーチを務めることになった[43]。12月2日に第4回WBCのオランダ代表コーチを務めることが発表された[44]。

2023年4月3日、アトランタ・ブレーブス時代の背番号『25』がブレーブスの永久欠番に制定されることが発表された[45]。

選手としての特徴

打撃

MLB時代には、30本前後の本塁打をコンスタントに記録。さらに2005年頃からパワーが増してきており、本塁打王を獲得した同年から2年連続で40本以上の本塁打を放った。その一方で三振も多く、打率がリーグの平均を下回るシーズンも多い。ジョーンズは、「自分は打率.270くらいの打者」「『打率よりも本塁打を打って打点を挙げるのが自分の役割である』と考えている」と語っている[46]。

初球に強い一方で、2ストライクからの打率は低い。相手投手は、この傾向を警戒するあまり、ボール先行の投球になりやすい[8]。さらに、ジョーンズ自身の選球眼も高いため、結果として四球で出塁することが多い。来日後は、四球の数が格段に多くなり、低打率ながら、楽天時代の2013年と2014年と共に、パ・リーグ1位の四球を記録し、4割近い出塁率を残した。楽天では入団以来4番打者を務めていたが、2014年7月13日の対ロッテ戦(コボスタ宮城)以降は、出塁率の高さを生かすチーム方針から3番打者に起用されている[47]。

走塁

スイングが大きいため、一塁までの到達スピードは4.25秒と平均をやや上回る程度だが、一塁から三塁にまわる際や守備の際に本来のスピードを発揮していた[48]。

守備

外野手として10年連続でゴールドグラブ賞を獲得している。MLB時代は俊足であり守備範囲も広かったので、守備位置は浅めに守ることが多かった。打球の落下点へ正確かつ素早く向かうことができるため、通常の外野手では到底取れないような打球も難なく処理し、[48]肩も強く、送球も正確と、外野手に必要な能力をすべて備えていた。1999年の刺殺数は493に及んだが、これは外野手の刺殺数としてはMLB歴代11位、1981年以降では歴代1位である。

楽天へ入団した2013年には、パ・リーグが公式戦で指名打者制度を採用していることから、(同制度を採用しないセ・パ交流戦のセ・リーグ加盟球団主催試合を含めても)守備に就いた試合は17試合にとどまった。いずれもMLB通算で8試合しか経験のない一塁手での出場であったが、無失策で守備をこなした。同年の日本シリーズでは、指名打者制度を採用しない巨人のホームゲーム(東京ドームでの第3~5戦)に挑むにあたって、「銀次より俺の方が絶対にうまい」という直訴によって左翼や中堅の守備に就いている(銀次が一塁手)[49][50]。2014年には、7月3日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で、来日後初めて「4番・右翼手」としてスタメンに起用された[51]。

家族

息子のドリュー・ジョーンズも野球選手で、2022年のMLBドラフトでアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名を受けて入団している[52][53]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1996 ATL 31113106112371547133000700291.217.265.443.708
1997 15346739960921811816670201153562410711.231.329.416.745
1998 15963158289158338313009027414408412910.271.321.515.836
1999 1626795929716335526286842412027611910311.275.365.483.848
2000 1617296561221993663635510421605590910012.303.366.541.907
2001 1616936251041572523428810411409563314210.251.312.461.773
2002 15465956091148340352879483068341013514.264.366.513.879
2003 156659595101165282363051164306532512518.277.338.513.851
2004 1546465708514934429278916602719314724.261.345.488.833
2005 1606725869515424351337128530764131511219.263.347.575.922
2006 1566695651071482904130012941098291312713.262.363.531.894
2007 1546595728312727226236945209704813816.222.311.413.724
2008 LAD 752382092133813521401012701765.158.256.249.505
2009 TEX 823312814360180171294351034532727.214.323.459.782
2010 CWS 10732827841641211913548920245037315.230.341.486.827
2011 NYY 7722219027478013943300002903623.247.356.495.851
2012 9426923327467014953400032815712.197.294.408.701
2013 楽天 143604478811162112621794430610511516415.243.391.454.845
2014 13858144869992002419171230311851214016.221.394.426.820
MLB:17年 2196866475991204193338336434369012891525967189169971748192.254.337.486.823
NPB:2年 281118592615021541150408165660922362730431.232.392.441.833
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

MLB

表彰

MLB
NPB
MiLB

記録

MLB

NPB

初記録
その他の記録
  • シーズン100四球:2013年 - 2014年 ※史上20人目
  • シーズン100四球+100三振:2013年 - 2014年 ※史上9人目
  • 2年連続100四球+100三振:2013 - 2014年 ※史上初
  • シーズン118四球:2014年 ※パ・リーグ記録
  • オールスターゲーム出場:1回(2013年)

MLB/NPB通算

背番号

  • 25(1996年 - 2010年、2013年 - 2014年)
  • 18(2011年)
  • 22(2012年)

代表歴

コーチ歴

脚注

  1. ↑ "1996 Career Highlights," The Official Site of The Los Angeles Dodgers. 2008年3月17日閲覧。
  2. ↑ “The Ballplayers - Andruw Jones Biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月7日閲覧。
  3. 1 2 3 “The Ballplayers - Andruw Jones Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月7日閲覧。
  4. ↑ "1998 Career Highlights," The Official Site of The Los Angeles Dodgers. 2008年3月17日閲覧。
  5. ↑ "2000 Career Highlights," The Official Site of The Los Angeles Dodgers. 2008年3月17日閲覧。
  6. ↑ "Andruw Jones agrees to a $75 million, six-year extension - Sports - Brief Article." 2008年3月17日閲覧。
  7. ↑ "Atlanta Braves Batting Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年4月9日閲覧。
  8. 1 2 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、280頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
  9. ↑ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、446頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
  10. ↑ Ken Gurnick / MLB.com, "Andruw, Dodgers reach agreement / Deal calls for two years and $36.2 million, per a baseball official," The Official Site of Major League Baseball, December 6, 2007. 2008年3月17日閲覧。
  11. ↑ “Boras: Dodgers to part with Jones soon Club likely to release or trade vet, who may draw Braves' interest”. dodgers.com. 2009年1月17日閲覧。
  12. ↑ “Dodgers cut ties with Jones Team releases outfielder after efforts to work a trade prove fruitless”. dodgers.com. 2009年1月17日閲覧。
  13. ↑ “Rangers sign OF Andruw Jones and RHP Brendan Donnelly to Minor League contracts”. MLB.com Rangers Press Release (February 10, 2009). June 1, 2014閲覧。
  14. ↑ “White Sox Agree to Terms on One-Year Contract with 10-Time Gold Glove Winner Andruw Jones”. MLB.com White Sox Press Release (November 25, 2009). June 1, 2014閲覧。
  15. ↑ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、62頁頁。ISBN 978-4-331-51518-1。
  16. ↑ Bryan Hoch (January 20, 2011). “Andruw agrees to one-year deal with Yankees”. MLB.com. June 1, 2014閲覧。
  17. ↑ Bryan Hoch (December 30, 2011). “Jones returning to Yankees in 2012”. MLB.com. June 1, 2014閲覧。
  18. ↑ “アンドリュー・ジョーンズ選手との契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト (2012年12月16日). 2012年12月16日閲覧。
  19. ↑ “東北楽天、来季は1億円プレーヤー13人 歴代年俸10傑を調べてみた”. 河北新報 (2021年12月30日). 2022年1月29日閲覧。
  20. ↑ Kingdom of the Netherlands at the 2013 World Baseball Classic
  21. ↑ 松井選手・田中選手・ジョーンズ選手がんばれキャンペーン開催!
  22. ↑ “ジョーンズ 日米2000安打「アメリカには戻らない覚悟」”. Sponichi Annex(スポーツニッポン). (2013年7月29日) 2014年3月16日閲覧。
  23. ↑ “楽天・ジョーンズ、2000安打に「感無量だ」”. SANSPO.COM(サンケイスポーツ). (2013年7月29日) 2014年3月16日閲覧。][リンク切れ]
  24. ↑ 楽天初V 「最初のゴールはリーグ優勝」ジョーンズ、4番の仕事
  25. ↑ AJ史上4人目、日米シリーズ弾も空砲
  26. ↑ 楽天 ジョーンズは残留「日本に来た時からアメリカには戻らない覚悟」
  27. ↑ “楽天星野監督が主砲ジョーンズの不調嘆く”. nikkansports.com(日刊スポーツ). (2014年4月20日) 2014年5月26日閲覧。
  28. ↑ “楽天ジョーンズ12回に来日初サヨナラ弾”. nikkansports.com(日刊スポーツ). (2014年4月22日) 2014年5月26日閲覧。
  29. ↑ “楽天AJ連発キング 5月別人3戦5発”. nikkansports.com(日刊スポーツ). (2014年5月24日) 2014年5月26日閲覧。
  30. ↑ “楽天ジョーンズ、ビデオ判定要求で本塁打”. nikkansports.com(日刊スポーツ). (2014年5月2日) 2014年5月26日閲覧。
  31. ↑ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  32. ↑ 欧州代表が選手発表!NPB所属の2選手も招集 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年2月17日) 2015年2月18日閲覧
  33. ↑ Europe vs Japan Rosters Announced; Asics Sponsors Europe as Official Outfitter CONFEDERATION OF EUROPEAN BASEBALL (2015年2月17日) 2015年2月18日閲覧
  34. ↑ “「侍ジャパン」と強化試合、野球欧州代表が来日”. YOMIURI ONLINE. (2015年3月4日) 2015年3月4日閲覧。
  35. ↑ “「ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」出場選手変更について”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト. (2015年3月4日) 2015年3月4日閲覧。
  36. ↑ Bernadina en Jones in selectie voor Premier 12 de Nederlandse honkbalsite (オランダ語) (2015年10月12日) 2015年10月20日閲覧
  37. ↑ Definitieve selectie Kingdom of the Netherlands voor de Premier12 KNBSB (オランダ語) (2015年10月20日) 2015年10月20日閲覧
  38. ↑ Team Kingdom als onderdeel van handelsmissie naar Cuba KNBSB - Koninklijke Nederlandse Baseball en Softball Bond (オランダ語) (2016年1月8日) 2016年8月19日閲覧
  39. ↑ “楽天初の日本一に貢献…アンドリュー・ジョーンズが現役引退を発表”. マイナビニュース. (2016年2月25日) 2016年3月4日閲覧。
  40. ↑ Andruw Jones naar het EK Honkbal Honkbalsite | Honkbalnieuws uit Nederland (オランダ語) (2016年8月3日) 2016年8月19日閲覧
  41. ↑ Andruw JONES au France International Baseball Tournament 2016 Site officiel de la Fédération Française de Baseball et de Softball (フランス語) (2016年8月4日) 2016年8月19日閲覧
  42. ↑ Netherlands win European Championship 2016 The official site of Confederation of European Baseball (英語) (2016年9月18日) 2016年11月8日閲覧
  43. ↑ Jurickson Profar met Koninkrijksteam naar Japan Honkbalsite | Honkbalnieuws uit Nederland (2016年10月26日) 2016年11月8日閲覧
  44. ↑ Hall of Famer Bert Blyleven in technische staf Koninkrijksteam Honkbalsite | Honkbalnieuws uit Nederland (オランダ語) (2016年12月2日) 2016年12月15日閲覧
  45. ↑ “Braves to retire No. 25 in honor of Andruw on Sept. 9” (英語). MLB.com. 2023年4月4日閲覧。
  46. ↑ 田尻賢誉「AJインタビュー アンドリュー・ジョーンズ」 『月刊スラッガー』2005年9月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、30-31頁。
  47. ↑ 楽天ジョーンズ、来日初3番でつないだ(『日刊スポーツ』2014年7月13日付記事)
  48. 1 2 現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-10、26-29頁。
  49. ↑ http://www.sanspo.com/baseball/news/20131029/gol13102905040001-n1.html
  50. ↑ 第5戦(10月31日)では、「4番・中堅手」としてスタメンに起用。4回裏からは左翼に回った。また、第3・4戦(10月29日・30日)には、「4番・左翼手」として出場。フル出場になった第4戦以外では終盤に森山周と交代したものの、いずれも無失策で終えた。
  51. ↑ 楽天AJ、来日後初4番右翼スタメン出場(『日刊スポーツ』2014年7月3日付記事)
  52. ↑ “Top pick Druw Jones eyes his own MLB path” (英語). MLB.com. 2023年2月23日閲覧。
  53. ↑ “元楽天AJ息子が高校生史上最高額11億円合意、ダイヤモンドバックスから1巡目指名ドリュー - MLB : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年2月23日閲覧。
  54. ↑ “楽天 ジョーンズ 日米通算2000安打で勝利に貢献”. Sponichi Annex(スポーツニッポン). (2013年7月28日) 2014年3月19日閲覧。

関連項目

外部リンク