力学系

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力学系

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ローレンツ方程式(連続力学系の例)
標準写像(離散力学系の例)

力学系(りきがくけい、英語: dynamical system)とは、ある法則に従って前の状態から後の状態が決まるように、対象とする状態が時間発展する系の数学的モデルである[1][2][3]。あるいは、そのようなモデルを扱う数学の一分野でもある[4]。力学系を扱う分野や理論全体を指して力学系理論(りきがくけいりろん、英語: dynamical system theory )という呼び方もする[5][6]。

力学系では、系の状態を表すために必要な全ての変数を集めた空間を考え、その空間内で状態がある初期状態から時間発展するときに描かれる軌跡(曲線や点列)を考える視点を持つ[7][8]。前者の空間は相空間、後者の軌跡は軌道と呼ばれる[7][8]。系の時間発展の厳密解(時間を独立変数として状態を従属変数とする具体的な関数)を得ることよりも、あるいは厳密解を得ることが困難な場合であっても、位相的・幾何的・解析的な手法などを駆使し、系の時間発展の定性的な振る舞いを解明するのが力学系の理論の特徴である[9][10][11]。

力学系の始まりは、ニュートン力学において記述される常微分方程式の解の研究に端を発する[12]。19世紀末頃に、アンリ・ポアンカレによって力学系の基本的な考え方が築かれた[13][14]。力学系という名称自体は英語の dynamical system の翻訳だが、力学系という訳語は、こういったように力学の研究から力学系が生まれたことに由来する[12][15]。現在でも物理学の一分野である力学(英語: mechanics )は力学系の重要な例だが、現在の力学系は力学から独立した一つの数学を成している[15][16]。力学系理論の対象は力学に限定されず、その範囲は極めて広い[15]。自然科学あるいは社会科学で扱うような実現象を数理モデル化して力学系として調べることもあるし、全く抽象的な力学系を構成して調べることもある[17]。さらには、数学の別分野の問題を力学系の問題に帰着させて研究することもある[17]。純粋数学としての一面、自然科学・社会科学・工学に関わる応用数学としての一面、さらにはカオスのように数学外の科学からの刺激で力学系の新たな研究が始まるなど、力学系には多様な側面が存在する[4]。

呼び名

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後述のように、力学系(英語: dynamical system)の始まりは古典力学(ニュートン力学)において記述される常微分方程式の解の研究に端を発する[12]。力学系という名称自体は英語の dynamical system の翻訳だが、力学系という訳語は、物理の力学(英語: mechanics)の研究から力学系が生まれたことに由来する[12][15]。dynamical system をそのままダイナミカルシステムということもある[18][19][20][21]。ダイナミクスないしダイナミックス(英語: dynamics)という語で、系の時間的な変動のことや[22]、あるいは力学系の理論のことを指したりもする[19][23]。状態が時間変化する系という意味の英語 dynamics には力学という訳語が当てられることも多い[21]。常微分方程式を扱う文脈では、力学系の理論を微分方程式の定性理論や常微分方程式の定性的理論ともいう[24][25]。

数学以外の分野を見渡すと、力学系に似た語として物理では動力学といった言葉も使われる[4]。生物学や生命科学などでは、数学的な力学系の定義を超えた範囲も含みつつダイナミクスという言葉が好んで使われる[4]。経済学では、力学系に相当するものは動学系と呼ばれることが多い[21][26]。制御工学では、現在のシステムの出力が過去の入力にも依存し、出力、時間、入力の3つを引数として出力の時間微分が与えられるようなシステムを動的システム(英語: dynamical system または英語: dynamic system)という[27][28]。

力学系の成り立ち

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アンリ・ポアンカレ(1854-1912)

現代的な力学系の理論は、フランスのアンリ・ポアンカレによって19世紀末頃に創始された[29][30]。さらに遡ること17世紀、イギリスのアイザック・ニュートンは『プリンキピア』を著し、物体の運動法則を述べてニュートン力学を構築した[31]。ニュートン力学にもとづき、物体の運動は常微分方程式によって表現される[32]。ニュートンは、太陽のまわりの地球の運動を二体問題として解いて完全に解決した[33][34]。その後、多くの物理学者や数学者たちが、これを三体問題あるいは多体問題へ拡張し、解決を試みた[34][35]。しかし、三体問題は二体問題と比較してはるかに解くのが困難で、長年の努力の末に、何らかの数式で明示するという意味で三体問題を解くことは本質的に不可能であることが明らかとなった[35]。

三体問題の数値計算例

三体問題に限らず、微分方程式の解を求めること――すなわち解を独立変数の既知関数として表すこと――は大抵の微分方程式でできない[36][37]。特に微分方程式が非線形のときには、ほとんどの場合で不可能である[38][39]。三体問題の研究を通じ、この問題を深く認識したポアンカレは、微分方程式を解析的に解く定量的方法の代わりに、微分方程式の解の挙動を定性的に研究する方法を生み出した[36]。言い換えると、解自体の記述を得ることを主眼とするそれまでの研究から、解けない微分方程式を解けないままにしながらその解の重要な性質を探求する研究へと、発想の転換を主導した[40]。このような研究を、ポアンカレは微分方程式の定性的理論と呼んだ[41]。1881年の論文 Mémoire sur les courbes définies par une équation différentielle(微分方程式によって定義される曲線についての研究論文)にて、ポアンカレは以下のように述べている[42]

さらにまた、この定性的研究自体はそれ自身としてきわめて興味ある問題である。事実、解析学や力学におけるきわめて重要な問題がこれに帰着できる。三体問題を例にとってみよう。たとえば天体の一つがつねに有限の天空内の領域にとどまっているだろうか、それとも無限に遠ざかっていくだろうか? 二つの天体の距離が限りなく増大したり減少したりするだろうか、それとも、いつもある限界の間にとどまっているだろうか? このような問題が考えられるのではないか。そしてこの種の、三つの天体の軌道を定性的に追跡することができれば完全に解けてしまうような問題は、まだいくらでも提出できるのではないだろうか。 — アンリ・ポアンカレ、Mémoire sur les courbes définies par une équation différentielle [43]

ポアンカレが1881年から1886年にかけて出版した一連の論文が、現在の力学系理論の基本的な考え方の出発点である[13][14]。微分方程式の定性的理論を展開するために、ポアンカレは位相的な手法を縦横に利用した[44]。後の位相幾何学もまた、ポアンカレのこの研究の中から誕生していった[44][45]。微分方程式の定性的理論はポアンカレの死後に力学系理論として結実し、ポアンカレは力学系理論の生みの親となった[29][46]。

ジョージ・デビット・バーコフ(1884-1944)

ポアンカレの後、微分方程式の定性的理論は米国のジョージ・デビット・バーコフや帝政ロシアのアレクサンドル・リアプノフへと引き継がれ、20世紀以降大きな発展を遂げる[47]。特にバーコフはポアンカレから直接の指導を受けたわけではないが、著作を通じてその影響を受け、彼の真の師はポアンカレだったと言われるほどであった[48][49]。バーコフはポアンカレの手法と問題を引き継ぎ、発展させた[50]。

バーコフの研究がまとめられた著書は、Dynamical Systems(力学系)という名で1921年に発行された[48]。バーコフも、ポアンカレ同様に微分方程式から定義される力学系を見ていたが、一方で、微分方程式で起こる複雑な挙動を理解する方法として写像の反復で定義される力学系についても研究・強調した[48][30]。また、バーコフは、微分方程式の解の性質から位相的性質を調べる上で必要なもののみを抜き出して、もはや微分方程式の存在を前提としないような抽象的な力学系の概念を作り上げた[51][52]。これにより、微分方程式から独り立ちした力学系理論の基礎が形成された[52]。

定義

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力学系は、

の3つから成る[15][1]。ここでの時間とは、物理的な系を扱うときなどは文字通り時間の意味だが、数学的には単にパラメータである[53]。相空間あるいは状態空間は、何らかの変数で系の状態を表し、系が取り得る全ての状態から成る集合である[54][55]。相空間内の1点を指定することで、系の状態が一意に定まる [56]。時間発展の法則は、時間と共に状態がどのように変化するかを決めるものであり、普通は決定論的な(ある状態から次の状態が一意に決まるような)法則を与える[1]。物理の単振り子のモデルであれば、振り子の角度 θ と角速度 ω によって振り子の状態が一意に決まるので、この場合の相空間は θ と ω の2つを座標とする空間である[1]。また、この場合の時間発展の法則はニュートンの運動方程式である[57]。

より数学的には、力学系は、群または半群 G の空間 X への群作用 ϕ : G × X → X として定義される[53][15]。G が時間、X が相空間、ϕ が時間発展の法則に対応する[15]。各 t ∈ G に対して t を固定した写像 ϕt : X → X を、ϕt(x) = ϕ (t, x)(ただし x ∈ X)と定義する。ϕt は、任意の t, s ∈ G および単位元 0 ∈ G について群作用の性質から、

(3-1)
(3-2)

が成り立つ[58]。ここで ∘ は写像の合成、idX は X 上の恒等写像である。条件 (3-1) は、ある状態が t + s 時間経った後に移る状態と、t 時間経った後にさらに s 時間経った後に移る状態は同じということを意味する[59][60]。

時間を連続的に考えるか、離散的に考えるかに応じて、力学系は大きく連続力学系と離散力学系とに分けられる[24]。ℝ を実数全体の集合、ℤ を整数全体の集合とすると、G = ℝ のときが連続力学系、G = ℤ のときが離散力学系である[61]。ℝ+ を非負実数全体の集合、ℤ+ を非負整数全体の集合とする。G = ℝ+ と G = ℤ+ のとき、連続力学系と離散力学系はそれぞれ非可逆な力学系となる[62]。写像 ϕt が 0 ≤ t < ∞ のみで定義されるときは半力学系といった呼ばれ方もする[63]。

基本的な用語

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力学系を調べるにあたって重要な概念となるのが相空間上の軌道である[64]。相空間上の点 x に対し

(4-1)

と定義される集合を x を通る軌道という[61]。軌道 O(x) は x の時間発展の様子を表している[65]。力学系研究の主目的は、軌道の性質・振る舞いを調べること、軌道の構造の完全な特徴付けを与えることにある[66][67][68]。実際のところ、任意の x ∈ X に対する O(x) の具体的な表示を得ることはほとんどの場合で不可能である[69]。それにもかかわらず、系自体が持っている性質から軌道の振る舞いの理解を試みるのが、力学系理論の基本的な立場だといえる[69]。

振る舞いは単純だが、とても重要な軌道の種類が不動点または平衡点、さらに周期軌道または周期点である[70][71][72]。不動点または平衡点とは、時間経過しても初期状態から全く動かない軌道である[73]。時間を G = ℝ および G = ℤ とすると、不動点または平衡点とは、任意の t ∈ ℝ または t ∈ ℤ について ϕt(x) = x を満たすような点 x である[74]。周期軌道とは、一定時間ごとに全く同じ時間変化を繰り返す軌道である[75]。同じく G = ℝ および G = ℤ とすると、ある T ∈ ℝ または T ∈ ℤ が存在し、ϕT(p) = p かつ 0 < t < T で ϕt(p) ≠ p が成り立つときの p を周期点と呼び、p を通る軌道 O(p) が周期軌道である[76][77]。不動点・平衡点ならびに周期軌道は一般的な軌道よりも調べやすいため、力学系を理解するための大事な手がかりとなる[78]。

力学系理論では、軌道がどこかに落ち着くか?という意味での安定性と、力学系を定める方程式自体が変化しても変化が充分小さければ系の性質は保たれるか?という意味での安定性、2つの安定性の問題に興味を持つ[79][80]。前者の安定性は、不動点、周期軌道、あるいはコンパクト不変集合の近傍の軌道は充分に時間経過後も離れていかない、あるいは近傍の軌道はそれらへ漸近するかなどを問題とする[81][82][83]。後者の安定性は構造安定性と呼ばれ、摂動によって系の位相的性質が変わらないことによって定義されて調べられている[79][84]。

逆に、摂動によって力学系の位相的性質が変わる現象を力学系の分岐と呼ぶ[84]。不動点の数が変わる、周期軌道の周期が倍になる、リミットサイクルが出現する、非周期軌道が出現するなどが分岐の例である[84][85]。パラメータに依存する力学系の軌道の構造がパラメータ変化に応じてどう変化するかを調べることも、力学系の研究の主目的の一つである[67]。具体的には、時間的に変動しないパラメータ μ を有する力学系の族 ϕμ において、パラメータを変化させたときに力学系がどのように変化するかを調べる[86][87][8]。力学系の分岐を研究する分野は分岐理論と呼ばれる[88]。

主な種類

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連続力学系と離散力学系

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力学系は、時間を連続的に考える場合と離散的に考える場合に大別される[24][89]。連続的に考える場合は時間を実数で考え、そのような力学系を連続力学系と呼ぶ[90][91]。あるいは、連続時間の力学系[90][91]や連続時間力学系[92][93]とも呼ばれる。離散的に考える場合は時間を整数または自然数で考え、そのような力学系を離散力学系と呼ぶ[90][94]。あるいは、離散時間の力学系[90][94]や離散時間力学系[95][96]とも呼ばれる。

連続力学系の軌道の様子

連続力学系の場合、常微分方程式あるいはベクトル場によって与えられるのが典型的である[91][92]。 相空間を ℝm として、独立変数 t ∈ ℝ と従属変数 x ∈ ℝm の自律系常微分方程式

(5-1 )

が与えられたとする。初期値 (t = 0, x = x0) を満たす (5-1) の解を ϕt(x0) と書き表すとする。解の存在と一意性が満たされるとき ϕt(x0) はただ一つ存在し、力学系の条件 (3-1), (3-2) を満たす[97]。したがって、ϕt(x0) は連続力学系における時間発展の法則を与える[15]。相空間 ℝm で、各軌道上の点 x の接ベクトルは v(x) で与えられることから、常微分方程式 (5-1) は同時にベクトル場も表す[98]。

離散力学系の軌道の様子

離散力学系の場合は、写像の反復または差分方程式によって与えられる[99]。相空間を ℝm として、ℝm から ℝm への写像 f が与えられたとする。ある x ∈ ℝm に対して f を再帰的に n 回合成して得られる f n(x) は、

(5-2 )

と表される[100]。n = 0 のときは f 0(x) = x と定義する[101]。任意の t, s ∈ ℤ+ に対して f t + s = f t ∘ f s が成り立ち、f により離散力学系が定まる[102]。さらに f が逆写像 f−1 を持つときは、n ∈ ℤ で f n が成り立ち、同様に離散力学系が定まる[101]。同様のことは、x0 = x, x1 = f (x), x2 = f 2(x), …, xn = f n(x) と表せば、

(5-3 )

という差分方程式の形で書き表すこともできる[100][103]。f が逆写像を持てば、xn−1 = f −1(xn) とすることで、n ∈ ℤ で xn が定義できる[103]。

自然現象は微分方程式で表されることが多く、理工分野では微分方程式が幅広く用いられるため、その点において離散力学系よりも連続力学系の方が考察する機会は多い[104][105]。ニュートンの運動方程式 F = ma で表される物体の運動も、連続力学系の例である[106]。離散力学系も実現象のモデルとして使われるほか、連続力学系を離散力学系の問題へと帰着させるポアンカレ写像と呼ばれる手法により連続力学系を調べるツールとしても利用される[107][108]。離散力学系独自の結果を応用・修正あるいは懸垂の手法によって対応する連続力学系の結果を得られる場合もあり、離散力学系の理論それ自体も美しさや独自の存在価値を持つ[109]。

位相力学系

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相空間 X を一般的な位相空間とし、f : X → X を連続写像とするとき、これらによって構成される力学系を位相力学系や位相力学と呼ぶ[110][69][111]。連続写像 ϕ : ℝ × X → X で定義される時間が連続的な位相力学系 {ϕt}t ∈ ℝ は流れとも呼ばれる[112][113]。ϕt が時間 ℝ+ においてのみ定義される場合は半流とも呼ばれる[114]。位相力学系は力学系に課す条件を可能な限り緩めて作られており、基本的・原始的な力学系であり、包容力は大きい[115]。一方、位相力学系の条件のみで明らかにできる軌道の性質は、位相的性質に限られる面もある[116]。

上記で見たように微分方程式から力学系の研究は始まったが、位相的な手段を使って軌道を調べるときに軌道が微分方程式で定義されていることが必ずしも必要ではない[117]。このために導入されたのが位相力学系で、これによって微分方程式によって定義できないような多くの対象を含むことができる[118]。歴史的には、ポアンカレの仕事を引き継いだバーコフにより、位相力学系の基礎的な枠組みが最初にまとめ上げられた[51][119]。非遊走集合、極限集合、位相的推移性などが位相力学系的な概念の例で、これらもバーコフによって導入された[49]。力学系のある種の分類、あるいは位相力学系同士の同値関係も、位相共役という概念によって定義される[120][121]。平面上のベクトル場の極限集合の分類を与えるポアンカレ・ベンディクソンの定理が、位相力学系的な視点が現れている分かりやすい例である[122][123]。

微分可能力学系

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平面または球面上の微分同相写像であるスメールの馬蹄形写像

相空間を微分可能多様体 M とし、f : M → M を連続微分可能な写像とするとき、これらによって構成される力学系を微分可能力学系、可微分力学系、滑らかな力学系などと呼ぶ[110][69][124]。f が同相写像で、その逆写像も微分可能な場合は f は微分同相写像である[110]。微分同相写像 ϕ : ℝ × M → M で定義される流れも微分可能力学系を生成する[110]。式 (5-1) のようなユークリッド空間上の自励的常微分方程式で定義される力学系、あるいはもう少し一般的には微分可能多様体上のベクトル場で定義される力学系が、微分可能力学系の典型である[125]。

歴史的には、1960年前後にマウリシオ・ペイショート(英語版)、ドミトリー・アノソフ(英語版)、スティーブン・スメールによって微分可能力学系に関する先駆的な仕事が行われた[126][127]。特にスメールは微分可能力学系の開拓者的存在で、その後、スメールとその彼を中心とした学派は微分可能力学系を大きく発展させた[109][128]。構造安定性は微分可能力学系で調べられている主題の一つで、多くの結果が得られている[129][130]。双曲型集合と安定多様体に関する理論、相空間全体が双曲型不変集合であるアノソフ系、当時知られていた構造安定な力学系からスメールが定式化した公理A系などが微分可能力学系で特に基本なものとなる[131][109][132]。

可測力学系

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保測かつエルゴード的なパイこね変換

相空間 X が測度空間または確率空間とする。すなわち、X にσ-集合体 F が存在し、測度または確率 μ が与えられているとする。変換 f : X → X が F について可測(任意の A ∈ F に対して f −1(A) ∈ F )であり、なおかつ μ について保測である(任意の A ∈ F に対して μ(f −1(A)) = μ(A) )とする。このような力学系 (X, F, μ, f) を可測力学系や測度論的力学系という[133][134]。流れ {ϕt}t ∈ ℝ が可測かつ保測変換の場合も同様に定式化される[135]。

測度論の重要な特徴は零集合を除いて議論するところにある[136]。確率的に起き得ない事象を無視することで、系の振る舞いの漸近的な性質に対する良い見通しを得るのが可測力学系の特徴である[137]。幾何的な手法に加えて測度論を基礎に置く実解析的な手法を併用することで、幾何的な手法だけでは解明困難な非線形力学系の現象の理解が進められている[138]。エノンアトラクターなどの非一様な双曲型不変集合に対しても、SRB測度などを通じた特徴付けがなされている[139][140]。

ルートヴィッヒ・ボルツマンが提唱したエルゴード仮説を起源とするエルゴード理論は、現在では力学系の大きな一分野を成す[49][141]。端的には、エルゴード理論は力学系の測度論的な研究といえる[142]。歴史的にはポアンカレの回帰定理、バーコフの個別エルゴード定理、ノイマンの平均エルゴード定理などが、今日的なエルゴード理論の出発点である[143][144]。

線形力学系と非線形力学系

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2次元線形常微分方程式の軌道の振る舞いの分類

時間発展の法則が線形であるような力学系は線形力学系と呼ばれる[145]。一方で、時間発展の法則が非線形であるような力学系は非線形力学系と呼ばれる[145]。それぞれ線形系や非線形系とも呼ばれる[146]。A を実 n-次正方行列とし、x ∈ ℝn とする。典型的には、線形の連続力学系は次のような定数係数線形微分方程式で、線形の離散力学系は次のような線形写像で与えられる[147]。

(5-4 )
(5-5 )

非常に大雑把に言えば、線形の方程式は比較的簡単で一般的な解く方法が確立しているのに対し、非線形の方程式は難しく一般的な解く方法もない[148]。高次元の非線形力学系には未だ充分に解明できていない現象もあり、力学系が主な研究対象とするのは非線形力学系である[149]。非線形系では、与えられた方程式がさほど複雑でないとしても、その軌道ではカオスのような複雑な振る舞いが起こり得る[150]。一方で、非線形力学系を理解する上でも線形力学系の理解が欠かせない[149]。非線形の常微分方程式系の平衡点または微分同相写像の不動点が双曲型であれば、平衡点または不動点の近傍の軌道は線形系と定性的に同じとなる[151][152]。これによって、非線形力学系を (5-4) および (5-5) のように線形近似し、平衡点および不動点の安定性を考えることが正当化される[153][154]。

複素力学系

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複素平面上のマンデルブロ集合

複素数を変数とする複素関数によって定まる力学系を複素力学系という[155]。特に正則関数または有理型関数 f が扱われ、それらの n 回反復合成 f nで複素力学系が定義される[156]。離散力学系かつ微分可能力学系の一種だが[157][158]、複素力学系では複素関数論が主要な理論的道具として用立てられるのが特徴である[4]。フラクタル図形が生み出される代表例としても知られる[157]。

複素力学系は、歴史的には1920年代のガストン・ジュリアとピエール・ファトゥの研究に始まる[159]。彼らの名を冠するジュリア集合とファトゥ集合は、複素力学系の最も基礎的な不変集合である[160]。パラメータ c を含む多項式 fc (z) = z2 + c はジュリアとファトゥ以降よく調べられている[161][162]。コンピュータが発達した1980年代には、ブノワ・マンデルブロによってマンデルブロ集合が発見された[163]。マンデルブロ集合の魅力的な画像がジュリアとファトゥの仕事への興味を改めて呼び起こし、エイドリアン・ドゥアディ(フランス語版)、ジョン・ハバード(英語版)、デニス・サリヴァンなどの数学的成果が続いた[163]。

記号力学系

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…0110101… を …1101011… へ写すシフト写像

a, b, c,… や 1, 2, 3,… のような記号を使って無限の列を構成し、そのような記号列の集まりである空間を想定する[164]。このような記号列を右から左へ1つずらすような写像 σ を考える力学系を記号力学系や記号力学と呼ぶ[165][166]。記号が 0 と 1 の両側無限列のケースであれば、Σ2 = { (…s−2s−1s0s1s2…) | sj = 0 または 1} という空間からその上へのシフト写像 σ(…s−2s−1s0s1s2…) = (…s−1s0s1s2s3…) によって記号力学系が定まる[167]。

記号力学系はそれ自体でも興味深い研究対象だが、記号力学系ではない力学系を調べる手段としても有効である[168]。歴史的には、19世紀末ごろにジャック・アダマールが負の曲率の曲面上の測地流に記号力学系の考え方を適用したのが始まりである[169]。与えられた力学系の相空間を適当に分割して記号を割り振り、軌道が通る分割に応じて記号列を作ることで、記号力学系の問題へと帰着できる場合がある[170]。コンパクトで孤立した双曲型不変集合 Λ に対してはマルコフ分割を構成し、有限型のサブシフトを通じて Λ 上の力学系に半共役な記号力学系を構成できる[171]。記号力学系自体ではデータストレージやデータ転送のような計算機科学とも関連性を持つ[172][170]。記号力学系の高次元化も研究対象であり、2次元記号力学系は数学のタイル張り問題のワンのタイルの定式化を与える[173][170]。

ハミルトン力学系

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二重振り子の実物

(q1, q2, …, qn, p1, p2, …, pn) という座標に持つ相空間 ℝ2n 上でハミルトン力学の正準方程式によって定義される力学系をハミルトン力学系またはハミルトン系と呼ぶ[174][175][176]。ハミルトン系は、その性質からユークリッド空間 ℝ2n ではなくシンプレクティック多様体上でハミルトニアンによって定まるベクトル場として考えることもできる[177]。ハミルトン系のポアンカレ写像または流れはシンプレクティック写像になるという意味でシンプレクティック写像がハミルトン系の離散力学系バージョンに相当する[178]。実現象では、太陽系中の天体の運動が最もなじみのあるハミルトン系の例といえる[179]。摩擦を無視した二重振り子などもハミルトン系の例である[180]。シンプレクティック写像の場合は、簡単な例である標準写像がよく調べられている[181]。

歴史的には、ニュートン力学およびラグランジュ力学を引き継いで19世紀にウィリアム・ローワン・ハミルトンによってハミルトン力学が定式化された[182][183]。その後、微分形式の発見を経て、シンプレクティック多様体上の力学系理論として現代的に定式化された[182][183]。可積分なハミルトン系に摂動が加わっても、摂動が充分に小さければ元の可積分系で存在していたトーラス上の規則的な振る舞いの多くが残ることを証明したKAM定理(定理を示したアンドレイ・コルモゴロフ、ユルゲン・モーザー、ウラジーミル・アーノルドの名に因む)は、20世紀の力学系研究における重大成果の一つである[184][2]。

散逸系と保存系

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非減衰振動(左)と減衰振動(右)の運動を相平面で表したもの。保存系は左のように面積が変わらず、散逸系は右のように時間発展に伴い面積が縮小する

相空間上のある体積が時間経過に伴い常に縮小するような力学系を散逸系と呼ぶ[185][186]。一方、相空間上のある体積が時間経過しても常に一定であるような力学系を保存系と呼ぶ[187][188]。それぞれ散逸力学系や保存力学系とも呼ばれる[189]。縮小に限定せずに、体積一定ではない場合を散逸系と呼ぶ場合もある[190][187]。保存系は第一積分や保存量と呼ばれる時間に対して不変な実連続関数を持つことがあり[179]、こちらの条件を満たすものを保存系と呼ぶ場合もある[191][192][193]。

物理的な現象で言えば、摩擦がありエネルギーが減少していくような系が散逸系で、摩擦がなくエネルギーが保存されるような系が保存系である[194]。身近な物理現象の系はおおかた散逸系に該当する[195]。散逸系の場合、アトラクターと呼ばれる極限集合を持つのが特徴である[196] [197]。対して、保存系にはアトラクターが存在しないという特質がある[198]。

自励系と非自励系

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周期的な外力を受ける単振り子のストロボ写像

力学系の時間発展の法則が時間に依存して変わらないとき、そのような力学系を自励的と呼ぶ[65]。力学系の時間発展の法則が時刻 t に依存して変わるとき、そのような力学系を非自励的と呼ぶ[65]。それぞれ自律的と非自律的、自励系と非自励系、自律系と非自律系とも呼ばれる[199][200][201]。実現象的でいえば、系の外からの力を受けずに系自身によって状態の時間発展が進むのが自励系で、系の外からの力を受けながら時間発展が進むのが非自励系である[194]。

具体的には、自励的な連続力学系は (5-1) のような常微分方程式で定まる[202]。自励的な離散力学系は (5-3) のような差分方程式で定まる[96]。一方で、非自励的な連続力学系とは

(5-6 )

のように方程式に時間 t ∈ ℝ を陽に含む常微分方程式によって与えられる[203][204]。非自励的な離散力学系とは

(5-7 )

のように時間 n ∈ ℤ(または n ∈ ℤ+)を陽に含む差分方程式によって与えられる[205][206][96]。

自励系常微分方程式の解または流れ ϕt は群作用の条件 (3-1) (3-2) を満たし[207]、力学系も元々は自励系常微分方程式を抽象化したものであった[208]。しかし、1960年代頃より力学系理論の枠組みの中で非自励系も扱う試みが始まった[208]。非自励系の時間変数 t を新しい状態変数と見なした相空間(拡大相空間)で考えたり、周期 T で周期的な変化する非自励系の場合は時間 T 写像 ϕT(ストロボ写像)を考えることで、非自励的を自励系として扱える[65][209][210]。

セルオートマトン

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2次元セルオートマトンであるライフゲーム(シュシュポッポ列車)

整数で定義されるような有限の状態が与えられた格子状のセルを並べ、離散的な時間の経過で各セルの状態を変化させる計算モデルをセルオートマトンと呼ぶ[211]。各セルの現在の状態から次の時刻の状態を決める規則が定められており、対象のセルとその近傍の現在の状態からそのセルの次の状態が決定される[211]。このようなセルオートマトンは、時間だけでなく空間も離散的な力学系と見なせる[212]。

力学系的にはセルオートマトンは次のように定義される。有限集合 A = {0, 1, … n − 1} と d 次元に配置されたセルの集合 L = ℤd から成る直積集合 X = A L を考える。i ∈ L に対応するセルの状態を xi と表すと、X の各要素は x = {xi}i ∈ L である。L の有限部分集合 Λ = {v1, … vr} を定めて、xi の近傍 Ar = {xi + v1, … xi + vr} から xi の次の状態を決める局所規則 f : Ar → A を決めておく。これらによって、x ↦ τ(x) = {f (xi + v1, … xi + vr)}i ∈ L と定義された写像 τ : X → X を(d 次元)セルオートマトンと呼ぶ[213][214]。例えば A = {0, 1}, Λ = {−1, 1}, f (xi − 1, xi + 1) = xi − 1 + xi + 1 で定義すると、これはルール90と呼ばれる1次元セルオートマトンとなる[213][214]。

歴史的には1950年代に、ジョン・フォン・ノイマンとスタニスワフ・ウラムによって最初にセルオートマトンが考え出された[215]。その後、ジョン・ホートン・コンウェイが作成した2次元セルオートマトンのライフゲームが1970年代にマーティン・ガードナーによって紹介され、セルオートマトンが世界的に知られるようになった[216]。

出典

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参照文献

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外部リンク

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