床寿(とこじゅ、1943年11月15日[1] - 2019年4月30日[2])は、高砂部屋に所属していた大相撲の特等床山。青森県出身。本名は日向端隆寿(ひなはた たかじゅ)。「伝説の床山」と評されていた[3]。
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日向端は相撲どころの青森県出身であり、子供の頃から相撲が大好きであった。そのため将来は相撲界へ進みたいと思っていたが、体格が小さいため力士になることはあきらめ、歌うことが好きで喉に自信があったため、出来れば呼出になりたかったという。中学3年の時、八戸市に高砂部屋の元呼出がいることを知り、その元呼出に相談したところ、部屋に連絡を取ってもらって相撲界に進む手掛かりをつかんだ。しかしその時には呼出の欠員が生じていなかったため、やむを得ず高校へ進学した。しかし、高校入学から間もなく、「床山なら1人空きができた」と連絡が来たため、すぐに高校を中退して上京した。1959年5月場所採用。以降、停年まで床寿の名で活動。入門の際、母からは辛くても3年は辞めないで頑張れと言われ、自分も3年は故郷に帰らないことを決意した[4][5]。
はるばる青森からやってきたため、「まあ、頑張れよ」という感覚で周囲からは可愛がられていたが、部屋での生活は厳しかった。最初は若い力士たちと大部屋で一緒に寝て午前4時に起き、部屋の掃除、犬の散歩、薪での風呂焚き、ちゃんこの調理補助などの雑用に明け暮れたが、床寿の入門当時の高砂部屋には100人近い力士がいたため、ちゃんこ作りを手伝うのは相当の重労働であった。さらにその後、稽古を終えて風呂から上がった力士たちの髷を結うが、たくさんの力士がいたため床寿はいつまで経っても食事の時間を確保できなかったという。それでも相撲が好きで入った世界なので仕事が辛いと思うことはあまりなかったが、母と約束した入門から3年後、どうしても故郷に帰りたくなったため、父は入門前に亡くなっていたにも関わらず「チチキトク、スグカエレ」という偽の電報を部屋に打ったことがあった。しかし、これは彼だけでなく諸先輩が使っていた手口であったため、4代高砂親方からは「嘘だろ、この電報は」とあっさり見破られ、故郷に帰ることは許されなかった。その晩、泣きながら母に手紙を書き、インクが涙で滲んだという。
髪結いの練習のために、稽古が終わってちゃんこ、昼寝、一服などをして落ち着きたい力士には頼みにくいため、若い力士に食事を奢るなど普段から可愛がっておいて、必要な時に頼んで練習台になってもらうなど工夫をした[4][5]。床寿が入門した頃は、床山といえば見よう見まねで技術を覚えるしかなかったが、通常は大銀杏を結えるまでに最低でも10年はかかると言われる中、入門から約1年という異例の早さで大銀杏を任されるようになり、この時点で関取格となった。彼が初めて大銀杏を担当したのは当時十両であった高錦昭應であったが、高錦本人は停年後に「でも、結われる方は嫌がりますよね、ほとんど経験のないヘタな床山なんだから(苦笑)」と振り返っている。 1967年に出羽海一門から高砂一門に加入した九重部屋には熟練の床山がいなかったことから、九重部屋の髪も手掛けることになった[4]。
朝青龍は本人へ頼み込んで横綱昇進4場所目の2003年9月場所から髪結いを担当してもらった[6]。2008年1月場所には、床邦(春日野部屋)とともに大相撲史上初めて床山として番付に掲載された。同年11月場所で停年退職。同年末には長年の功績が称えられ、スポーツ功労者・文部科学省大臣顕彰を受賞。停年直後の2009年1月場所には23回目の優勝を果たした朝青龍と共に優勝パレードのオープンカーに乗った[4]。
また、相撲甚句の名人としても知られ、レコード・CDも発売している[4]。
若い頃は見よう見まねで床山としての技術を磨いたが、自身が上に立ってからは講習会を開くなどして若手にアドバイスをしていた[4][5]。
停年後も元気な姿を目撃していた関係者は多く、高砂部屋の力士には2018年末も「何かあったら連絡するから」と、陽気に話していたという[6]。2019年4月30日、肺炎のため東京都内の病院で死去。75歳没[2][7]。奇しくも平成最後の日のことであった。5月5日に行われた通夜には、八角理事長はじめ高砂一門の親方衆や相撲協会所属の現役床山ら多数の関係者が参列した。元朝青龍も弔問に訪れ、「癖のある自分を直すために、いろいろ言ってくれた。平成の元で出会った2人が令和で別れた」と恩人の死を悼んだ[8]。葬儀は6日に江戸川区内で行われ、協会参与の12代大山を始めとする各界関係者が参列。出棺の際には、総武相撲甚句会が甚句を披露。「床寿先生も本日限り(中略)せっかくなじんだ先生と 今日はお別れせにゃならぬ(後略)」と、うたい上げる中、日向端を乗せた霊柩車が葬儀所から出棺された[3]。
床寿は定年後の相撲関連書籍で、大銀杏を結う時に特に大事なのは、髪を3つに分けて湯を付けて揉む作業であると話している。これを一生懸命揉んで油をきちんとつけることで、激しい相撲でも乱れることのない、きれいな大銀杏になるという。しかし揉む時にどうしても髪を引っ張るので、下手な床山がやると力士が痛い思いをするとのこと[4]。
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