| 弥谷寺 | |
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本堂 | |
| 所在地 | 香川県三豊市三野町大見乙70 |
| 位置 | 北緯34度13分47秒 東経133度43分27.34秒 / 北緯34.22972度 東経133.7242611度座標: 北緯34度13分47秒 東経133度43分27.34秒 / 北緯34.22972度 東経133.7242611度 |
| 山号 | 剣五山 |
| 院号 | 千手院 |
| 宗派 | 真言宗善通寺派 |
| 寺格 | 大本山 |
| 本尊 | 千手観音菩薩 |
| 創建年 | (伝)奈良時代 |
| 開基 | (伝)行基、聖武天皇(勅願) |
| 正式名 | 劍五山千手院彌谷寺 |
| 別称 | 弘法大師御学問所 |
| 札所等 | 四国八十八箇所71番 |
| 文化財 |
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| 公式サイト | 弥谷寺公式HP |
| 法人番号 | 3470005003873 |
弥谷寺(いやだにじ)は、香川県三豊市三野町にある大本山の寺格を持つ真言宗善通寺派の寺院。剣五山 (けんござん)、千手院(せんじゅいん)と号す。本尊は千手観音菩薩。四国八十八箇所第七十一番札所。

弥谷山(標高382 m)の中腹225 m辺りに本堂があり、その背後の岩盤には創建時に千手佛が納められた岩穴が残る。また、山全体が霊山であるとの信仰があり、日本三大霊場(他は恐山・臼杵磨崖仏)[注釈 2]の一つに数えられたといわれる。
なお、弥谷山周辺は弥谷山自然環境保全地域に指定されている[1]。
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立し、光明皇后の菩提を弔うため、大方広仏華厳経(伝・光明皇后書写)を祀り、寺院を創建したとされる。当初は中国、四国の八国が眺められたことにちなみ蓮華山八国寺と称したという。また、空海(弘法大師)は7 – 12歳の期間、当寺にある岩窟である獅子之岩屋で学問に励んだという。
807年(大同2年)、唐より帰国後の空海は当地を再び訪問し獅子之岩屋にて護摩を修し千座満願のとき蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し、唐から持ち帰った金銅四天王五鈷鈴と五柄の剣を納め、山号を剣五山、仏の住む山である弥山から仏の谷という意味とされる弥谷に改めたと伝わる。
室町時代には天霧城主・香川氏の庇護を受け、東院・西院・中尊院と6坊を備えて大寺になっていたが、天正期に兵火により荒廃し[注釈 3]、現在の中尊院のみが存続、のち丸亀藩主京極氏の帰依により1600年(慶長5年)復興された。
また、縁起によると「此岩窟大師四十二歳ノ契天下泰平五穀豊壌或ハ四十二歳厄除衆生ヲ救為千座之護摩修行シ跡伝ワレリ」とあり、これを聞いた後の住持が大師堂再建の折に弘法大師42歳の姿を刻み、奥之院本尊として厄除大師を祀ったといわれ、その後(焼失・盗難を恐れたなど諸説あり)、岩屋の中に石仏の厄除大師像・佐伯善通卿像・玉寄御前像を建立し、それまで祀っていた木像を秘仏としたことから、石造と木造の2体の厄除大師像が祀られている。また、澄禅の『四国遍路日記』(承応2年・1653年)には、木像がお祀りされていると記述され、寂本の『四国遍禮霊場記』(元禄2年・1689年)には、「いにしヘは木像にてありけるを石にて改め作り奉る」と記されている。2014年、大師堂厨子内に安置されているその秘仏木造厄除大師像が元禄2年以来320年ぶりに、同時に江戸期以来300年ぶりに本堂に安置されていた木造伝持の大師像、また、金銅四天王五鈷鈴(重文)も公開された。

(ここでは下から記する)
少し上ると山門(標高140 m)があり、灌頂川に沿って長い石段の参道を登っていくと大きな金剛拳菩薩が迎えてくれる。その先に赤い手すりの108階段を上り詰めると目の前に大師堂(標高190 m)がある。右に進むとすぐ左上に多宝塔があって稲荷社はその脇にある。鐘楼は正面にあり、その前の石段を上って行くと途中の右に観音堂、左に十王堂があり、上り詰めると正面に岩窟の護摩堂がある。その護摩堂の右脇の急斜面に荒れた激急坂歩道の上に権現堂が見える。護摩堂を左に進むと水場があり、石段は二手に分かれ右の方に上がると途中、岩壁に弥陀三尊磨崖仏があり、それを過ぎるとやっと本堂がある。納経所は大師堂の中にあり、洞地蔵尊は大師堂中央あたりから山側を見ればある。なお、寺を去るとき、決して振り返ってはいけない、それは死者を背負って帰ってしまうからとの云い伝えがある。

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