笑福亭鶴光

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笑福亭(しょうふくてい) 鶴光(つるこ)
笑福亭(しょうふくてい) 鶴光(つるこ)
五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。
本名 小林 幸男(こばやし ゆきお)
別名 Mr.オールナイトニッポン[1]
エロカマキリ[2]
生年月日 (1948-01-18) 1948年1月18日(78歳)
出身地 日本の旗 日本・大阪府中河内郡長吉村(後の大阪市東住吉区、現:平野区域)
師匠 6代目笑福亭松鶴
弟子 笑福亭學光
笑福亭笑光
笑福亭里光
笑福亭和光
笑福亭羽光
笑福亭竹三
笑福亭希光
笑福亭茶光
笑福亭ちづ光
出囃子 春はうれしや
活動期間 1968年 -
活動内容 上方落語
ラジオパーソナリティ
タレント
俳優
所属 松竹芸能
上方落語協会
落語芸術協会
公式サイト 笑福亭鶴光のブログ つるこうでおま!
受賞歴
ゴールデン・アロー賞 芸能新人賞
夜のレコード大賞 最優秀新人賞
ギャラクシー個人撰賞
全国人気DJ第1位
第11回みうらじゅん賞
備考
上方落語協会顧問
落語芸術協会会員

2代目 笑福亭 鶴光(しょうふくてい つるこ[3][4][5] / つるこう[6]、1948年〈昭和23年〉1月18日[7] - )は、上方落語の落語家、ラジオパーソナリティである。上方落語協会顧問、落語芸術協会上方真打で、松竹芸能に所属している。

血液型はO型。出囃子は『春はうれしや』。6代目桂文枝、4代目桂春団治と同期。2021年現在、松鶴の筆頭弟子となっている。

芸名の読み

高座名の読み方が「しょうふくていつるこ」なのは、師匠である6代目笑福亭松鶴の前々名である光鶴(こかく)の順序を逆にしたものに由来するためで、読み方もそれに倣っている。ただし、「つるこ」だと一般には言いづらく、また『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』のブレイクで「つるこう」との呼び方が一般に定着したため、鶴光自身はラジオパーソナリティ・タレントとしては「つるこう」、本業の落語家としては「つるこ」と使い分けている。なお、上方落語協会公式ホームページの会員プロフィールではこの読みどおりだが、落語芸術協会公式ホームページでは「しょうふくていつるこう」となっており、自身のブログでもタイトルを「つるこうでおま!」としている。また、自身の弟子については、上方の弟子である学光や元弟子の笑光らは「〜こ」、里光以下東京の弟子はいずれも(「光」が入らない竹三を除く)「〜こう」と読ませている。

来歴

高校卒業まで

大阪府中河内郡長吉村川辺(現:大阪市平野区長吉川辺)出身である[8]。

生まれた時点で、母は実父と別れていた[9]。母親は働いていたため、5歳まで長吉川辺に住む母方の祖父に預けられて育った[9][10]。この祖父は、新世界にあった温泉演芸場(のちの新花月)に鶴光を頻繁に連れて行ったという[11]。6歳のときに、母が歳の離れた植木職人の男性(成人した連れ子が3人いた)と再婚したが、商売気の薄い義父にはほとんど稼ぎがなく、母が内職で家計を支えていた[12]。中学に入ると新聞配達のアルバイトを始めたが、父の過去の新聞料金未払いが発覚し、給料から返済分を差し引かれる苦労を味わった[13]。また、兄が鉄工所を始めると、夏休みは昼間そこで働いた[13](ただし、鉄工所で働いた事実はないとする経営者家族の証言がある)。一方、中学時代にラジオで落語を聞き覚えるようになり、学校のホームルームなどで演じた[14]。学業成績はよかったため高校進学を勧められたが、父の連れ子である3人の兄が高校(に当たる上級学校)を出ていないという事情から、1963年に定時制である大阪市立天王寺第二商業高等学校に進学した[15]。

昼間はいくつかの職を変えながら働き、学校では演劇部に入った[14]。演劇部の同級生に4代目林家小染がいた[14]。小染とは2人だけで落語研究会も立ち上げたが、1年生の冬に小染は高校を中退して3代目林家染丸に弟子入りした[14]。小染から染丸門下への誘いがあったものの、弟弟子になるのがいやで断念した[14]。また、落語家に必要な教養を身につけるべきで学業での3年程度の「まわり道」は「どうということはない」と考えており[14]、中退はしなかった。

在学中に毎日放送の『素人名人会』で『寄合酒』を演じて「名人賞」を獲得し、さらに複数の素人参加番組で「常連」となった[16]。卒業間際に再度『素人名人会』の「名人賞」を獲得したことで、本格的に落語家になることを決意した[16]。

落語家として

高校卒業後、6代目笑福亭松鶴に入門した。松鶴を選んだ理由は、(染丸以外の)松鶴・3代目桂米朝・3代目桂春団治・3代目桂小文枝の中で「名前の字数が一番多い」ことに加え、母が「顔の怖い人ほど心根は優しい」と言ったことにあった[17][18]。2021年までは3代目笑福亭仁鶴に次ぐ2番弟子であったが、仁鶴の死去により筆頭弟子となった[19]。笑福亭鶴瓶は弟弟子、明石家さんまは従弟弟子に当たる。

入門の際、松鶴のもとを直接訪問せずに、「弟子にするなら○、弟子にしないなら×で返事をください」との内容を記した往復はがきを郵送した[17][18][20]。結局返信がなかったため、直接道頓堀角座に出ていた松鶴のもとを訪れ、弟子入りを直訴した[17][18]。松鶴は、はがきを送ったことに加えて宛名を「松福亭松鶴」と誤記した点を、「なんちゅう失礼なやつ」「ナショナルの会社の前へ行って、東芝と言うてるようなもんや」と激怒した[17][18]。偶然そのとき持ち込まれた独演会のチラシに同じ誤記があったことから、松鶴は「プロが間違うなら、素人が間違っても仕方がない」と述べ、鶴光に大声を出すよう命じた。鶴光が叫ぶと、近くでそれを聞いた砂川捨丸が「大きな声を出せるということは芸人に向いてる」と弟子に取ることを勧め、松鶴は誤字の件を「水に流そう」と言って入門を認めた[17][18]。

正式な入門は1967年4月で、入門当日からいきなり稽古が始まった[17][21]。高座名は、松鶴が「鶴之(つるゆき)」と「鶴光」のどちらかを選ぶように指示し、鶴光は「鶴光」を選んだという[22]。

初舞台は1968年2月の新花月である[23]。入門時点で自動車運転免許を持っていたため、やはり免許を持っていた6代目笑福亭松喬が入門するまで松鶴の運転手をした[24]。松鶴がしばしば無茶な運転を強要し、鶴光は急停止などで「意趣返し」をしていたという[24]。また、松鶴が7回破門したと著書に記している[24]。

1970年代前半、ラジオのパーソナリティとして人気を集め、1974年にニッポン放送の『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務め(『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』)、その知名度を高めた(後述)。『オールナイトニッポン』からは書籍(『かやくごはん』)やレコード(『うぐいすだにミュージックホール』)も出し、いずれもヒットした。だが、松鶴がタレント活動に苦言を呈したこともあり、落語にも本腰を入れて取り組むようになった[25]。

上方落語協会、関西演芸協会のほか、5代目春風亭柳昇の口添えで1990年より落語芸術協会(芸協)にも上方真打として参加し、通常は東京の寄席に出演している。これは、鶴光が1987年から2003年の間、東京のニッポン放送で平日帯のレギュラー番組(後述)を持っていたというスケジュール上の事情が背景にある[26]。最初に東京の寄席(新宿末廣亭)に出たのは1989年9月で、当初は定席として出演する扱いだったが、それに対する風当たりを感じて代演という体裁に変えてもらい、約半年後に芸協側から「準会員としてちゃんと出てもらおう」という形になった[26]。また、江戸落語では三味線・長唄・笛・日本舞踊の素養が必須と聞いてすべて習得した(上方落語では三味線の囃子方は職分として落語家とは別にいる[27])[26]。

「6代目の(松鶴)師匠にはお世話になったから」(東京の落語家の来阪時にもてなした)と、東京の落語家に便宜を図ってもらう機会が何度もあり、鶴光は師匠への感謝の念を著書に記している[28]。

上方落語協会に籍を置いて東京の寄席でトリを取る資格を持つのは鶴光のみである(弟子の里光、和光、羽光が芸協の真打のため「唯一の上方落語家」ではないが、里光、和光、羽光は上方落語協会の正会員ではない。なお、2025年4月に笑福亭べ瓶が上方落語協会員の資格を保持した状態で「客員」として落語芸術協会に加入した[29])。NHK教育テレビの演芸番組『日本の話芸』にもしばしば出演している。

ラジオパーソナリティ

松鶴に入門するや否や「まずは顔と名前を売らなアカン!」と考えた鶴光は、「兄弟子の仁鶴、同期の三枝(現:文枝)」をライバルとして、修業時代から関西ローカルのテレビ番組やラジオ番組に出演した。折しも時代は演芸ブームであり、長髪という落語家らしからぬ風貌と機転の利いたしゃべりはすぐに注目を集め、ラジオのレギュラーだけで13本を抱える売れっ子になった。京阪神のすべてのAMラジオ局でレギュラー番組を持った落語家は鶴光だけである[要出典]。

1971年4月より『MBSヤングタウン』のパーソナリティを務めた。局アナの角淳一、佐々木美絵とのコンビであった[要出典]。

ニッポン放送の亀渕昭信(後に同社社長)が、全国ツアーで『あのねのねのオールナイトニッポン』を3か月間休むことになっていたあのねのねのピンチヒッター要員を選ぶ際に、候補を尋ねた部下のディレクターとラジオ大阪のプロデューサーがそろって名を挙げたことから、1973年11月に鶴光にオーディションを受けさせた[30]。亀渕は、最初のオーディションに間違って桂朝丸(のちの桂ざこば)を呼んでしまったという逸話がある[31]。オーディションに合格した鶴光は、1974年1月から『オールナイトニッポン』土曜日パーソナリティを3か月間担当した[32]。初回放送前にはリスナーからのはがきも数枚しかなく、しかもその内容で初めて3か月間の代役と知って「好きにやらせてもらおうか」と開き直ったという[32]。初回は持ち時間すべて小咄を演じて評判となったが、亀渕が「セックスアピールが足りない」と述べ、鶴光は「どうせ3か月で終わるから」と下ネタを前面に押し出した[32]。これにより一気にブレイクし、全国区への足がかりとなった。1974年4月からは水曜日枠でレギュラーに昇格し、その後同年7月にあのねのねがツアーのため再度『オールナイトニッポン』を休むと土曜日の担当に変わり、最終的には11年9か月という当時の歴代最長パーソナリティ記録を樹立した[33][34]。鶴光は「自分の代わりなど掃いて捨てるほどいる」という考えから、土曜の枠を死守するため極力休まないように心がけ、一度体調不良で休んだ次の週には、台風の中を自家用車でニッポン放送まで駆けつけて出演したという[35]。鶴光の成功により、以降明石家さんまをはじめ多くの上方芸人が東京のラジオで活躍することになった。

『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』は「この歌はこんなふうに聞こえる」「ミッドナイトストーリー」「驚き桃の木ピンク話」「その時、君は…」など、当時は少数だった男性パーソナリティによるお色気系のコーナーが満載で、まだAVが存在しない時代でもあったので、若い男性にとっては貴重な番組でもあった。ただし、「公序良俗に反する」というクレームが来たため、1か月だけ下ネタを完全に排除したことがある[36]。これで抗議が収まったため、徐々に元の路線に戻した[36]。

タモリとともに「なんちゃっておじさん」ブームも巻き起こした[37]。

  • 連続企業爆破事件が起きた時期に、「鶴光死ね」という手紙とともに目覚まし時計が何度も届き、時限爆弾の疑いがあったため、丸の内警察署から捜査員が来たり、警察官が立ち会って放送する事態になった。[38]
  • 長丁場の番組中、空腹を催し、屋台のおでんを食べに行こうということで、ミキサー1人を残してスタジオを離れ、場つなぎとして「河内音頭」のレコードをフルコーラス(およそ30分)放送した[39]。亀渕(当時:編成部長)がこれを聴いて異変に気付き、スタジオに出向いて戻ってきた鶴光たちを叱責した[39]。亀渕が「俺の分はないのか?」と聞くと、鶴光は「ない」と答え、亀渕はさらに怒ったという[39]。

ニッポン放送は、これまでの功績をたたえ、高嶋ひでたけや萩本欽一とともに鶴光をレジェンドパーソナリティーに位置づけている。なお、鶴光は、「つるこ」と「つるこう」を呼び分けるように、落語とラジオも「別物」として厳密に分類しており、著書では「落語は本職、DJは趣味と実益を兼ねた天職のようなもの」と記している[35]。

コミックソング

鶴光は多数のレコードをリリースしたが、ヒットしたのは約20万枚を売り上げた『うぐいすだにミュージックホール』(作詞・作曲:山本正之)のみである。しかし、この曲のヒットが原因で、師匠の松鶴が「ろくに落語も出来ないくせに流行歌手か!」「ストリップの唄なんか歌いやがって!」と激怒し、それを契機に「落語もしっかり」やることを決意したという[40]。

映画

さまざまな映画にも出演している。代表作はレギュラー出演した『トラック野郎シリーズ』で、ビニ本屋の店長役などを演じた。五月みどり主演の『奥様はお固いのがお好き』などのポルノ映画にも出演している。また、Vシネマ『ミナミの帝王シリーズ』の3作品にも友情出演している。

テレビCM

2005年、リクルートの「フロム・エー(FROM A)関東版/関西版」のテレビCMに出演した。さまざまなシチュエーションで「ええんか?ええんか?」と語りかけるCMが話題となった。「ええか?ええか?」は『鶴光のオールナイトニッポン』時代からのギャグフレーズであるが、当時の流行を知らない若者の間でもこのフレーズが再度ブレイクし、このフレーズの着メロのダウンロードは増加した。

落語

売れ始めた頃にはテレビなどで新作落語や小噺などを披露し放送時間をつないでいたが、その後は師匠譲りの話芸で『三十石夢の通い路』『相撲場風景』『三人旅』『阿弥陀池』『ぜんざい公社』などを得意としている。

また、『木津の勘助』『荒茶』『鼓ヶ滝』『竹の水仙』などの講談種や『掛川の宿』『甚五郎の首(左甚五郎江戸の巻)』などの浪曲種、『袈裟御前』『紀州』といった地噺なども得意としており、落語家・鶴光の特徴の一つである。講談のネタは旭堂南鱗からの伝授である。講談(講釈)種については「物語の進行の骨格がきっちりできていて」、そこにひねりを加えられる部分が適度にあることから好きであると述べている[41]。

2008年の著書では『らくだ』『三十石』『高津の富』『一人酒盛』『天王寺詣り』を「笑福亭一門」の「いわば必修科目」と記しながら[42]、『らくだ』については師匠の6代目松鶴の口演を見た経験から「『らくだ』だけはやらない。どう考えたってこのネタは絶対できない。無理」としていた[43]。その後、2010年代になってからは演じるようになっている[44]。

ラジオでは「エロ」を売りの一つとするが、落語では「直球勝負を続けていきたい」という理由から艶笑噺は「あえて演じない」と述べている[25]。

自身のTwitterでは、時折自らの落語論、演芸論を述べるなど、テレビ、ラジオ出演時のキャラクターとは違う一面も見せている。

高座は都内の定席や国立演芸場、関東圏の市民ホールなどが中心であるが、学校寄席にも取り組んでいる。地元大阪で2006年に開場した天満天神繁昌亭の定席では、大トリを務めることもある。また、横浜にぎわい座で年2回「鶴光一門会」を開いている。松竹芸能が新宿にオープンした寄席・新宿角座では月に1度「角座深夜寄席 -特選真打ちの会-」をプロデュースし、鶴光一門と落語芸術協会所属の落語家が出演している。

人物

母親への思いは強く、落語家・タレントとして成功すると、旅行に何度も連れていった[45]。母親に末期の直腸がんが見つかり、余命いくばくもないと知ると、点滴しか受けられない母にもう一度だけ食事をさせたいと担当医に相談し、特別な手術で3日間だけ食事可能にしてもらい、その間に寿司を食べさせて、ほどなく死去したという[45]。

新世界になじんで育ったこともあり、東京でも下町(浅草・下谷・入谷・谷中・目黒)を好み、飲み屋も庶民的な店が好きだと記している[46]。

吉幾三や桑田佳祐と並ぶ下ネタ好きとして知られる。

六代目 三遊亭円楽の代演で笑点に出たとき、江戸落語家で下ネタ好きの三遊亭小遊三と共演し、東西の下ネタ好きの落語家がそろった。

弟子

落語家

上方落語協会

落語芸術協会

真打
  • 笑福亭里光
  • 笑福亭和光
  • 笑福亭羽光
二ツ目

落語以外の弟子

廃業

落語家

  • 笑福亭笑光(後の嘉門達夫、現:嘉門タツオ)
  • 笑福亭迷光
  • 笑福亭大五郎
  • 笑福亭扇光
  • 笑福亭真光
  • 笑福亭久光
  • 笑福亭新之介 - 鶴光の長男で、現在は起業家である。
  • 笑福亭光壱 - 初めての東京の弟子である。
  • 笑福亭つぐみ - 女流、1999年入門。
  • 笑福亭典光
  • 笑福亭乃光 - 本名:出来谷 純一。破門されたことを理由に脅迫事件を起こし、逮捕された[47]。

鶴光劇団

  • 海野たら
  • 海野いわし - 現在は大衆演劇・劇団さむらい座長の皐月竜馬である。
  • 海野かつお
  • 畑野とまと
  • 畑野ふき
  • 畑野いちご

影響を与えた人物

主なギャグ

※ただし落語の登場人物関連のものは除く。

  • 「鶴光でおま」
  • 「わんばんこ」
  • 「ええか〜ええのんか〜最高か〜」
  • 「明日の幸せより目の前のゼニ」
  • 「乳頭の色は?」
  • (ベルを鳴らしてその後に口で擬音のように言う)「◯◯◯(下半身の呼び名)」

主な出演番組

2000年代以降は落語活動に力を入れているため、マスコミの露出は以前に比べて少なくなったが、J:COMテレビやニッポン放送などでレギュラー出演するほか、映画やドラマでも脇役として出演している。

放送局の名称は現在のもので記す。

ラジオ

ニッポン放送

特別番組
  • ラジオ紅白歌合戦(1975年) - 白組キャプテン
  • 鶴光・美和子噂のゴールデンリクエスト(2004年12月13日 - 17日・2005年2月21日 - 25日)
  • 初日の出!笑福亭鶴光の落語でおめでとう(2006年1月1日)
  • 笑福亭鶴光と松本ひでおの歌の日本シリーズ(2006年10月スペシャルウィーク)
    • 笑福亭鶴光と松本ひでおの歌の紅白リクエスト合戦(2006年12月スペシャルウィーク)
    • 笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエスト(2007年2月スペシャルウィーク)
  • 笑福亭鶴光と増山さやかのサウンドコレクション(2007年6月スペシャルウィーク)
  • 笑福亭鶴光のオールナイトニッポンDX(2009年2月26日)
  • 笑福亭鶴光のオールナイトニッポンGOLD増刊号(2010年2月17日)
  • セイ!ヤング・オールナイトニッポンコンサートまであと26日 Are you ready?Oh!の魅力(2011年1月3日)
  • オールナイトニッポン大百科(2012年4月16日)
  • 伝説のパーソナリティが今を語る オールナイトニッポン45時間スペシャル(2013年2月22日 - 24日) - 総合司会
  • ホリデースペシャル 鶴光・美和子の浅草ヘルスセンター(2013年9月16日)
  • ストリッパー物語(2018年6月16日)
  • 鶴光の噂の20分(2024年9月1日)
  • 鶴光のふたたびわんばんこ(2024年9月1日)

ラジオ関西

  • ラジオ関西のナマナマ大放送(1970年5月 - 1972年3月)
  • さんちか サテライトジョッキー
  • サテスタで逢いましょう[7]
  • ポケットジャーナル
  • ジュエルコーナー
  • おとなの子守唄(ラジオ版)

朝日放送ラジオ

KBS京都

  • 丸物わいわいカーニバル(1972年 - 1974年)
  • KBSワイドスコープ
  • オールナイト電話リクエスト[7]

MBSラジオ

  • MBSヤングタウン(1971年4月 - 1972年9月・1973年4月 - 1975年3月・10月 - 1984年3月)[7]
  • ごきげんさん!3時は笑福亭鶴光です
  • ジャンボサタデー
  • 歌謡ゴーゴーファイブ
  • やる気満々藤本永治です
  • ミュージックハイウェイ
  • 歌うハイウェイ

ラジオ大阪

  • ごきげんさん!大阪リクエスト
  • 鶴光の何かありそな
  • サテスタ テークファイブ
  • 鶴光の笑って下さい歌謡曲
  • サントリー出前寄席
  • ナイタージョッキー
  • ハットでヤンヤン
  • おっと!モモンガ
  • 鶴光のメン食いランド
  • どっきん!面白天国
  • 鶴光のつるつる90分(1991年10月 - 1993年3月)
  • 鶴光の土曜日でおま!

その他

テレビ

日本テレビ

テレビ朝日

TBS

テレビ東京

フジテレビ

毎日放送

朝日放送テレビ

関西テレビ

読売テレビ

サンテレビ

名古屋テレビ

その他

ウェブテレビ

  • おまっ!(DMM.R18)
  • 日本をゆっくり走ってみたよ 〜あの娘のために日本一周〜(2017年 - 2018年、Amazonプライム・ビデオ) - 梅原父 役
  • シモネタGP(2018年5月14日 - 6月4日・9月17日 - 12月3日、AbemaTV) - 審査委員長

CM

  • 登喜和冷凍食品 鶴羽二重高野豆腐(CMの最後のせりふは「略して鶴高(鶴光とかけたダジャレ)」だった)
  • リコー リコマチック 600M(1975年)
  • 味の素 ほんだし
  • 竹屋 (味噌製造) タケヤみそ
  • リクルート フロム・エー
  • 東洋ニッポー
  • 東京団子の切り餅

映画

DVD・セルビデオ

  • 鶴光のオールナイトニッポンDELUX・鶴光でおま(ビクターエンタテインメント)
  • ワザオギ落語会 Vol.3(ワザオギ)
  • 鶴光のおとなの子守唄
  • 平成紅梅亭特選落語会/特選!噺家の会8(ポニーキャニオン)
  • 繁昌亭らいぶシリーズ6 ?笑福亭鶴光?(テイチクエンターテインメント)
  • 電車男(ポニーキャニオン) ※舞台版/声の出演

著書

  • 『かやくごはん 鶴光のむちゃくちゃハンセー記』(ペップ出版、1975年)。のち角川文庫「鶴光のかやくごはん 女はカオ、男はゼニで勝負」
  • 『続かやくごはん 「鶴光自身」むちゃくちゃ特大号』(ペップ出版、1975年)。のち角川文庫
  • 『午前1時のひまつぶし』(ペップ出版、1975年)
  • 『午前2時のひまつぶし』(ペップ出版)
  • 『新かやくごはん』(ペップ出版、1976年)
  • 『ニューかやくごはん』(ペップ出版、1977年)
  • 『元祖ナンチャッテおじさん』(ペップ出版、1977年)
  • 『お子様ランチ』(ペップ出版、1978年)
  • 『驚き桃の木ビックリ話』(サンケイ出版、1979年)
  • 『鶴光の新かやくごはん』第1-5集(ワニの豆本、ベストセラーズ、1980-81年)
  • 『あの子はだあれ?』(ワニの豆本、ベストセラーズ、1980年)
  • 『驚き桃の木ピンク話』(サンケイ出版、1980年)
  • 『笑福亭鶴光の金魚鉢の青春』(ニッポン放送オールナイト・ニッポン共編、サンケイ出版、1983年)
  • 『笑福亭鶴光のセクシーなぞなぞ』(ワニ文庫、ベストセラーズ、2001年)
  • 『鶴光のなじょなじょ512発!!―出して快感!出されて悶絶!』(ニッポン放送出版、2002年)
  • 『つるこうでおま!』(白夜書房、2008年)
  • 『六代目松鶴逸話 鶴光、何さらしてけつかんねん!』(飯塚書店、2023年)

レコード・CD

コミックソングほか

  • 男心の番外地/鶴光小唄(1972年4月、キング)
  • 鶴光の大阪小唄/鶴光の浪速の子守唄(1974年2月、東芝EMI)
  • うぐいすだにミュージックホール/ももえちゃん(1975年5月、ワーナーパイオニア)
  • 鶴光のかやくごはん LP(1975年7月、ワーナーパイオニア)
  • イザベル =関西篇=/買わなきゃ、Song!Song!(1975年11月、ワーナーパイオニア) ※シャルル・アズナヴール「Isabelle」の日本語(関西弁)カバー。
  • 鶴光のかやくごはん2 LP(1975年11月、ワーナーパイオニア)
  • 星のふる夜/ア!なんだなるほど節(1976年4月、ワーナーパイオニア)
  • スイタラ・タンゴ/Mr.ツルコー(1977年5月、ワーナーパイオニア) ※B面曲は「ミスター・ムーンライト」の日本語(関西弁)カバー。
  • なんちゃって行進曲/なんちゃって人生(1978年4月発売予定だったが、レコード会社の判断により発売中止) ※A面曲は植木等のヒット曲のメドレー。
  • 鶴光の新説SOS/ナンチャッテ一代男(1978年12月、日本コロムビア) ※A面曲は岡林信康『セレナーデ』内のアルバム収録曲カバー。B面曲は、発売中止となった「なんちゃって行進曲」のB面曲に予定されていた「なんちゃって人生」の改題である。
  • レコード版かやくごはん総集篇・ベスト・オブ・ツルコウ(1979年12月、キャニオン)
  • すんまへ〜ん!「あっごめん!」サラリーマン編/人気的英雄 スーパーヒーロー(1980年12月、ポニーキャニオン)
  • ええかええかのテーマ(MBSヤングタウン・木曜日の歌)(1983年、CBSソニー/福武書店) ※角淳一と共演
  • オール・ザット・おもろない/ええかええかのテーマ(1983年、クラウン)
  • ええんやったら/クリスマスやったね(1990年12月、ポニーキャニオン) ※田中美和子と共演
  • 涙の綱取物語(1994年7月、ポニーキャニオン)
  • うぐいすだにミュージックホール2000(2000年2月、日本クラウン)
  • 宝船だよ!! 七福神/夢色の人生(2001年2月、テイチク) ※田中美和子と共演
  • いっしょに歌お!CBCラジオ 今月の歌セレクション Vol.4鶴光&まな「ほんまにええのんか」(2007年7月、Rock Chipper) ※東海地区のサークルKサンクスで限定発売
  • 未来無きロマンス/そう、さよなら(2013年1月) ※加藤リナと共演
  • もっこり音頭(2025年3月、テイチクエンタテインメント) ※音楽配信限定リリース。作詞も担当。[50]

落語

  • 上方落語大全集・朝日放送1080分落語会実況録音盤(テイチク)
  • やんぐ寄席・松竹編(クラウン)
  • 島之内寄席ライブ第一集(キング)
  • ライブ上方艶笑落語集5(日本コロムビア)
  • 上方艶笑落語(エヌ・ジー・シー)
  • 上方落語名人選・珍品抱腹上方お色気噺(ビクター)
  • 笑福亭鶴光集成 1(落語のワザオギ)
  • 笑福亭鶴光大全集 第1巻(4枚組・CURELLE RECORDS)

ゲーム

連載

  • 日本はこれで、えぇのんか??(週刊アサヒ芸能)
  • 笑福亭鶴光のチン談マン談(週刊アサヒ芸能)

脚注

注釈

出典

  1. ↑ “笑福亭鶴光が迫る「オールナイトニッポン」の伝説、放送開始50年の秘話を発掘”. スポーツ報知 (2018年2月17日). 2023年10月18日閲覧。
  2. ↑ “【関西レジェンド伝】笑福亭鶴光(2)「警察沙汰やぞ」一番怒られた企画は…”. サンケイスポーツ (2017年7月11日). 2023年10月18日閲覧。
  3. ↑ “笑福亭鶴光 |松竹芸能株式会社”. 松竹芸能株式会社. 2022年2月9日閲覧。
  4. ↑ “笑福亭 鶴光 | 上方落語家名鑑”. kamigatarakugo.jp. 2022年2月9日閲覧。
  5. ↑ NHK. “笑福亭鶴光|NHK人物録”. NHK人物録 | NHKアーカイブス. 2026年4月11日閲覧。
  6. ↑ “笑福亭鶴光 - 協会員プロフィール|落語芸術協会”. www.geikyo.com. 2022年2月9日閲覧。
  7. 1 2 3 4 5 6 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、86頁。
  8. ↑ 鶴光が居住した当時は長吉村であった。1956年に大阪市に編入して東住吉区になった後、1974年に旧長吉村を含む一部地域が東住吉区から分かれて平野区となった。
  9. 1 2 笑福亭鶴光 2008, p. 10.
  10. ↑ 弟弟子の笑福亭鶴瓶も同じ平野区(旧長吉村)出身である。
  11. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 12.
  12. ↑ 笑福亭鶴光 2008, pp. 15–16.
  13. 1 2 笑福亭鶴光 2008, pp. 17–19.
  14. 1 2 3 4 5 6 笑福亭鶴光 2008, pp. 22–25.
  15. ↑ 笑福亭鶴光 2008, pp. 20–21.
  16. 1 2 笑福亭鶴光 2008, pp. 26–30.
  17. 1 2 3 4 5 6 戸田 2014, pp. 292–294.
  18. 1 2 3 4 5 笑福亭鶴光 2008, pp. 34–35.
  19. ↑ 入門当時と比較して、兄弟子の死去や廃業が相次いだため、筆頭弟子に昇格している
  20. ↑ のちに弟弟子の笑福亭松葉も同様の往復はがきを送ったが、こちらは返事を受け取っている(ただし「即答できないので道頓堀角座まで来い」という内容)(戸田、2014年、pp.348 - 349)。
  21. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 37.
  22. ↑ 小佐田定雄(編)『青春の上方落語』NHK出版〈NHK新書〉、2013年、p.30(笑福亭鶴瓶からの聞き書き。松鶴は鶴瓶にも「鶴之」と「鶴瓶」から選ぶよう指示した)
  23. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 42.
  24. 1 2 3 笑福亭鶴光 2008, pp. 75–79.
  25. 1 2 笑福亭鶴光 2008, p. 116.
  26. 1 2 3 笑福亭鶴光 2008, pp. 196–197.
  27. ↑ 小佐田定雄『青春の上方落語』NHK出版〈NHK出版新書〉、2013年、p.25
  28. ↑ 笑福亭鶴光 2008, pp. 70、205.
  29. ↑ “新協会員ご紹介 笑福亭べ瓶”. 落語芸術協会 (2025年4月1日). 2025年4月1日閲覧。
  30. ↑ 笑福亭鶴光 2008, pp. 96–97.
  31. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 98.
  32. 1 2 3 笑福亭鶴光 2008, pp. 100–102.
  33. ↑ この結果、あのねのねは土曜担当に戻れなくなり、かつて鶴光が担当した水曜(1部)担当で復帰することになった。
  34. ↑ 現在の最長パーソナリティはナインティナインの岡村隆史である。
  35. 1 2 笑福亭鶴光 2008, pp. 117–118.
  36. 1 2 笑福亭鶴光 2008, p. 134.
  37. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 126.
  38. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 132.
  39. 1 2 3 笑福亭鶴光 2008, p. 131.
  40. ↑ 笑福亭鶴光 2008, pp. 116、208.
  41. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 144.
  42. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 150.
  43. ↑ 笑福亭鶴光 2008, p. 170.
  44. ↑ らくだやりました - 笑福亭鶴光オフィシャルブログ「つるこうでおま!」(2013年4月27日)
  45. 1 2 笑福亭鶴光 2008, pp. 137–139.
  46. ↑ 笑福亭鶴光 2008, pp. 240–241.
  47. ↑ “鶴光の元弟子が落語芸術協会を脅迫逮捕 - 芸能ニュース”. nikkansports.com. 2022年3月30日閲覧。
  48. ↑ 放送当時は「中部日本放送」。
  49. ↑ “河崎実「還暦高校生」でひかる一平と直江喜一が「3年B組金八先生」以来の共演”. 映画ナタリー. ナターシャ (2025年5月28日). 2025年5月28日閲覧。
  50. ↑ “笑福亭鶴光の作詞楽曲「もっこり音頭」配信リリース決定!”. 松竹芸能株式会社. 2025年4月12日閲覧。

参考文献

関連項目

  • 松鶴一門
  • 三遊亭百生#2代目 - 鶴光自身は著書で彼が初代「鶴光」だとする説を記している。
  • 三遊亭小遊三 - 鶴光と同様に、メディア出演時に下ネタを売りにする落語家である。『笑点』の「東西対抗大喜利」で共演する。

外部リンク