茅野駅

ウィキペディアから、無料の百科事典
茅野駅
西口(2021年6月)
ちの
Chino
◄CO 55 青柳 (7.2 km)
(6.7 km) 上諏訪 CO 57[* 1]►
所在地 長野県茅野市塚原1丁目1
北緯35度59分38.85秒 東経138度9分8.12秒 / 北緯35.9941250度 東経138.1522556度 / 35.9941250; 138.1522556座標: 北緯35度59分38.85秒 東経138度9分8.12秒 / 北緯35.9941250度 東経138.1522556度 / 35.9941250; 138.1522556
駅番号 CO56
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 ■中央本線
キロ程 195.2 km(東京起点)
電報略号 チノ[1]
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線[1]
乗車人員
-統計年度-
3,352人/日(降車客含まず)
-2023年-
開業年月日 1905年(明治38年)11月25日[1][2]
備考
  1. ↑ この間に普門寺信号場有り(当駅から3.7 km先)。
テンプレートを表示
東口(2021年)。階段の位置付近には1984年まで側線の上り3~5番線があった。

茅野駅(ちのえき)は、長野県茅野市塚原1丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅である[1]。

概要

標高790.3m、諏訪地域の東に位置する茅野市の中心駅である。市内の八ヶ岳、白樺湖、蓼科高原、車山高原など多くの観光地の玄関口で[1]、諏訪大社上社前宮・本宮の最寄り駅でもある。諏訪地方で6年に1度行われる御柱祭のうち、上社の木落しが行われる「木落し坂」は当駅より約600m新宿方の中央本線に面している。駅長配置の直営駅で、管理駅として新宿方の隣駅青柳駅を管理していたが、信濃境駅 - すずらんの里駅間の各駅を管理していた富士見駅委託化に伴い、同区間管理が当駅に移管されている。

かつては年間を通じて全旅客列車が停車していた隣駅の上諏訪駅と異なり、当駅は急行や特急「あずさ」、貨物列車の一部が通過や季節停車となる時代が長かったが、観光需要の高まりを受け、現駅舎供用開始の1986年3月以降は全旅客列車が停車している。また甲府 - 上諏訪間電化の1964年以降は飯田線の一部列車が岡谷経由で当駅まで乗り入れている。当駅 - 上諏訪間に設けられている普門寺信号場 - 岡谷駅間は、辰野支線を除く中央東線唯一の単線区間で、ダイヤ上のネックになっているが複線化の計画はない[4]。

国鉄時代は国鉄バス諏訪本線(茅野-岡谷)および高遠本線(伊那北-茅野)、国鉄トラック北山線(茅野-糸萱ほか)の接続駅で、このほか当駅の側線として戦時特例で敷設された[5]花蒔(北山村大字芹ヶ沢字花蒔下、現・茅野市北山芹ヶ沢)までの貨物専用側線、日本鋼管鉱業諏訪鉱業所専用側線(通称・諏訪鉄山鉄道)が1944年末に設置され、終戦までの数ヶ月間、褐鉄鉱輸送に供用された[6][注 1]。

歴史

当駅の開設にあたっては、ともに甲州街道沿いにあり、上川を挟んだ南北の隣接区である段丘下の宮川村茅野区と、段丘上の永明村塚原区の間で1894年から、諏訪・上伊那郡の諸村を巻き込んだ激しい停車場誘致運動が繰り広げられた[7]。当初は中央線が諏訪湖南岸ルートを採ることを期待した諏訪郡内各村の支持を取り付けた宮川村が有利であったが、北岸ルートに決したことで一気に永明村に支持が傾き、1901年12月に現在位置への設置が決まった[7]。

停車場名については永明村議会が1903年に「永明停車場」とするよう議決したものの、最終的に永明村塚原区よりも人口が上回る宮川村茅野区の名が採用され、「茅野停車場」と命名された[7]。

永明村は1948年の町制施行にあたって、諏訪郡山浦地方の代表駅となった当駅名を町名に採ることにしたものの、駅名の由来である茅野区自体は村外であることから漢字表記を避けて「ちの町」とし、のち宮川村を含む1955年の9か町村合併で誕生した新町において、駅名と同じ漢字表記の「茅野町」(1958年市制施行し現・茅野市)とした[8]。

沿革

駅構造

駅舎に接して単式ホーム1面1線、その奥に島式ホーム1面2線、計2面3線を有する地上駅である。のりばは駅舎側より単式ホームに1番線(下り本線)、島式ホームに2番線(中線)、3番線(上り本線)がある。上り本線の東側に並行して側線が2線(上り1、2番線)あり、現在は使用されておらず架線は撤去されている。改札内の売店は2・3番線ホームにある。

西口にある2階建の駅舎は開設以来の木造駅舎を増改築した旧駅舎を解体し、国鉄時代の1986年3月に完成した橋上駅舎[11]で、駅舎2階に自動券売機(指定席券売機・話せる指定席券売機[3]を含む)、自動改札機(Suica利用可)、立ち食いそば屋[1]、売店NewDays KIOSK[1]などが設置されている。駅舎と跨線橋には2000年にエレベーターが設置された。駅舎1階は茅野警察署茅野駅前交番があり、隣接して1990年代に営業していたびゅうプラザ跡が閉鎖された状態で残っている。

跨線橋とは別にコンコースが構内を跨っており、東口駅前広場に連絡している。新駅舎建設時に設けられた現在の跨線橋の新宿方に隣接して旧駅舎時代の構内跨線橋が倉庫として残存していたが、現跨線橋へのエレベーター設置工事を行った2000年に解体撤去された。2・3番ホーム上には1955年ごろ、地元住民が八ヶ岳冷山(茅野市北山)から運び出した黒曜石が「一駅一名物」として展示されている[1]。かつては観光駅としてホーム上にシラカバも植えられていた。

貨物取扱所

当地は戦前から国内生産のおよそ半分を占める寒天生産が盛んで、当駅に毎年6月から9月までの4ヶ月間に集中して到着する貸切扱による原料テングサの扱量は、大正末期の1924年の段階で4811tに達し[17]、昭和に入って国際輸出商品として生産の急拡大が始まった1920年末には5000tを突破[18][19]。さらに当駅から欧米向けに輸出される寒天製品も、太平洋戦争開戦の1941年までの間、年々増加の一途を辿った。戦後も、1950年代末には茅野市北山浦地方全域に路線網を拡大し野菜や花卉類の農産物輸送を行った国鉄トラック北山線の接続駅となるなど、当駅は長く貨物駅としての機能が大きかった。

このため大正時代には、駅前広場に面する下り本線名古屋方の西側に大型上屋を備える貨物ホーム1面、貨物側線3線(下り1~3番線)と貨物置場を持つ規模の大きい貨物取扱所が開設されており[20]、貨物取扱の急伸を受けて戦前の1934年には篠ノ井駅などと同時に貨車移動用の遷車台が設置された[21]。

1984年の貨物営業廃止に伴い貨物取扱所の施設は撤去され、1985年着工の新駅舎建設に伴って商業ビル「モンエイト」と公園、市営駐車場(現・茅野市営青空駐車場)の用地に転用された。アスファルト舗装で整備された駐車場用地内の一部には、貨物取扱所時代のコンクリート舗装も残されており、当時の下り3番線の痕跡がみられる。

上り側線群

上り本線に並行する構内東側の側線群は非電化時代、現存する2線(上り1、2番線)の外側(東側)にさらに3線(上り3~5番線)が存在し、計5線あった。この上り側線群は、対欧米輸出で寒天取扱量が急伸した1930年代半ばに、上記の貨物取扱所で貨物の積み卸しを行うために当駅で貨物列車に解結される貨車の授受やその留置用として設けられたもので、日本鋼管諏訪鉱業所(北山村)の操業開始(1937年)後は、トラックから無蓋貨車への褐鉄鉱積み込み作業場所ともなった[22]。

1964年の電化時には上り4番線付近に架線柱を建植する形で上り本線寄りの3線(上り1~3番線)が電化され、貨車の授受留置のほか、団臨など諏訪地方各駅発着の臨時列車や中央線乗り入れの飯田線電車の滞泊にも用いられた。1984年の貨物営業廃止に伴い上り3番線および遊休化していた上り5番線と、旧上り4番線の残存設備はただちに撤去されたのち、1985年の駅東口建設時に駐輪場へ転用され駅構内は縮小した。残る上り1、2番線は引き続き旅客列車の滞泊線として民営化後の1990年代まで使用された。

駐輪場に転用された上り3~5番線の跡地は2005年に茅野市民館用地などの一部に取り込まれて再転用されたため、痕跡を見いだすことは完全にできなくなった。残存する上り1、2番線については、JR東日本が列車の滞泊留置利用を取りやめ軌道の荒廃が目立ち始めた2010年前後から、その荒廃具合を根拠とした「戦時末期の日本鋼管鉱業諏訪鉱業所専用側線(諏訪鉄山鉄道)の遺構である」とする説がインターネット上に突如出現し、現在も流布が続いている[注 3]。

のりば

番線路線方向行先備考
1 CO 中央本線 下り 塩尻・松本・長野方面[23]
2 上り・下り 待避、始発列車
3 上り 小淵沢・甲府・新宿方面[23]

(出典:JR東日本:駅構内図)

駅弁

主な駅弁は下記の通り[24]。小淵沢駅を本拠とする丸政が出店しており、下記以外の弁当(「元気甲斐」など)についても事前予約(10個以上)があれば対応している[25]。

  • そば屋の天むす(5ヶ入り)

利用状況

JR東日本によると、2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は3,352人である[利用客数 1]。

なお、2000年度(平成12年度)以降の推移は以下の通り。

乗車人員推移
年度 1日平均
乗車人員
出典
2000年(平成12年) 3,674 [利用客数 2]
2001年(平成13年) 3,678 [利用客数 3]
2002年(平成14年) 3,861 [利用客数 4]
2003年(平成15年) 3,815 [利用客数 5]
2004年(平成16年) 3,843 [利用客数 6]
2005年(平成17年) 3,670 [利用客数 7]
2006年(平成18年) 3,514 [利用客数 8]
2007年(平成19年) 3,566 [1][利用客数 9]
2008年(平成20年) 3,563 [利用客数 10]
2009年(平成21年) 3,441 [1][利用客数 11]
2010年(平成22年) 3,429 [利用客数 12]
2011年(平成23年) 3,372 [利用客数 13]
2012年(平成24年) 3,537 [利用客数 14]
2013年(平成25年) 3,604 [利用客数 15]
2014年(平成26年) 3,558 [利用客数 16]
2015年(平成27年) 3,715 [利用客数 17]
2016年(平成28年) 3,791 [利用客数 18]
2017年(平成29年) 3,753 [利用客数 19]
2018年(平成30年) 3,778 [利用客数 20]
2019年(令和元年) 3,668 [利用客数 21]
2020年(令和2年) 2,696 [利用客数 22]
2021年(令和3年) 2,798 [利用客数 23]
2022年(令和4年) 3,175 [利用客数 24]
2023年(令和5年) 3,352 [利用客数 1]

駅周辺

茅野駅西口にある再開発商業施設「ベルビア」。駅舎からのコンコースが接続する中央出入口がかつての駅前商店街入り口に相当する。中央出入口北側のエレベーターからバス待合所にかけて、再開発前は旅館「永明館」とスーパーマーケット「松電ストア」(旧諏訪自動車車庫)が立地した(2008年)
東口駅前広場の蒸気機関車C12 67。画面右奥には明治・大正期の繭倉を移築した地紙世商店の寒天倉庫が2004年まで存在した

コンコースを挟んだ駅舎北側にはステーションビルMIDORI運営の駅ビル「Mont-8(モンエイト)」があり、西口駅前広場を挟んだ西側には、同地にあった駅前商店街や民家を撤去して1987年に開業した再開発商業施設「BELLVIA(ベルビア)」、東口には旧・茅野市民会館(1967年完成)や寒天問屋倉庫などを取り壊して2005年に完成した文化複合施設「茅野市民館」がある。

西口駅前広場には中央本線建設時に撤去された姥塚古墳[26]の由来を伝える石碑(1966年建立)や、近年の弥生通り再開発工事で出土した巨石が展示されている[27]。再開発後の弥生通りに新設された「茅野駅前縄文公園」 には2体の国宝土偶(縄文のビーナスと仮面の女神(英語版))のレプリカがある。

明治の開設時には一面の水田地帯だったが、駅舎が設けられた甲州街道側の駅西方はまもなく商店などが集積した。新宿方には関西本線の二代目木曽川橋梁または二代目揖斐・長良川橋梁(共に1928年供用開始)の工事用仮橋のものと推測されているラチス桁を転用した跨線人道橋(現存)が1931年に完成し、大正末期から民家や飲食店が急速に建ち並んで新市街を形成した駅東側の塚原区旭町(現・仲町区)と駅前が直結された。

さらに1985年の駅舎新築工事に伴い、観音通(市役所通り)の西端突き当たりにあった民家や商店、倉庫を立ち退かせて駅構内を横切る東西連絡通路と駅前広場が設けられ、当駅に初めて「東口」が誕生した。東口は2005年の茅野市民館建設に伴い茅野市が再度の大規模整備を行い、駅前広場には茅野市民会館駐車場にあった蒸気機関車C12 67が移された。

寒天倉庫群

戦前の当駅は国内随一の寒天積出駅として全国的に有名で[28]、国内外向けに出荷される寒天製品保管用の寒天倉庫[29]が駅構内の上り側線群に面して幾棟も並んで威容を誇り、戦中戦後にかけて半世紀あまりにわたって当駅を象徴する光景となっていた。

これらの倉庫は岡谷方面の製糸業者のほか、当駅北側に隣接した信厚館製糸場(跡地は信濃寒天工業組合を経て現・茅野市民館用地の一部)など、昭和初期の恐慌で廃業した製糸工場の繭倉を寒天問屋が購入し、当駅上り側線群の設置に合わせて1930年代に移築転用したものである[29]。

国内生産の半分近くを占める当地の寒天生産は1920年代後半から太平洋戦争開戦までの間、化学工業用の需要が激増した欧米向け輸出が急伸して盛況を呈し、1927年に611.25tだった年間生産量は1934年に1.5倍の930t、1940年には2倍の1245tに達する急成長を遂げていた[29]。

1927年の「長野県大霜害」に端を発する農村恐慌で地域経済が長く深刻な打撃を受けるなか、寒天業は当地の一大主力産業となり、寒天問屋は長野県寒天倉庫組合が管理するこれらの寒天倉庫を用いて市場の価格動向を見ながら製品を積み置き、高値の時に当駅から出荷して利益を上げていた[29]。当時、当駅は寒天製品発送の月間貨物扱量実績を毎月発表し、地元の新聞がそれを逐次報道していた[30]。

当時の当駅と地域経済の歴史を伝えていたこれらの寒天倉庫群は戦後、旧授産所跡地への茅野市民会館(1967年開館)建設や、スーパーマーケット魚力茅野店(のち西友茅野店)の旧信厚館跡地への進出(1971年)で数を減らし、最終的に茅野市が実施した茅野市民館建設工事と東口再整備に伴い、残っていた3棟(寒天問屋地紙世商店)が2004年にすべて廃却され消滅した。

モンエイト・ベルビア

西口の茅野駅ビル「モンエイト」は、旧貨物ホーム用地を転用して1986年に長野鉄道管理局の関連企業・長野ステーションビル株式会社がオープンした商業施設で、開業当初は1階でレストランやサーティワンアイスクリーム、2階でブティックやドムドムハンバーガーなどが営業していたがすべて撤退し、現在は居酒屋チェーン店や土産物店のほか、空テナント部分が茅野市観光案内所や茅野商工会議所運営「茅野・産業振興プラザ」などに転用されている。

駅舎およびモンエイトと向かい合って立地する「ベルビア」は、茅野商工会議所などが1980年に「地元商店街と県外資本による大型施設で商業を活性化する」とうたって策定した当駅周辺4ヶ所への「大型店配備計画」[注 4]の掉尾として、駅前にバスターミナル・松電ストアを持っていた諏訪バスと駅前商店街が、新駅舎建設に伴う市の駅周辺再開発事業にあわせて岡島百貨店(甲府市)をキーテナントに招き1987年にオープンしたものである。

しかし「茅野岡島」は業績低迷に苦しみ、いったん増床した館内の百貨店売り場を縮小して直営のディスカウントストアを開設するなど迷走の末、テナント権利を茅野市に譲渡して2000年に撤退。館内は再開発前からの地元地権者らが残るだけとなり、岡島百貨店による後継の新規出店者探しも結局不発に終わった。当初「公共施設への転用は考えていない」としていた茅野市[31]は対応に迫られ、子育て支援施設などの市施設を空きフロア対策として入居させたものの、ベルビア全体の利用はその後も長い低迷が続いている[32]。

ベルビア内にあるアルピコ交通バスカウンターと待合所は旧駅舎時代、諏訪自動車(諏訪バス)が駅舎正面の商店街入口付近(旅館「永明館」北隣)のバス車庫跡に置いた「松電ストア」と、駅前の車庫を移して駅舎北西の商店街裏に開設していた「茅野バスターミナル」を継承したもので、2018年までは「諏訪バスターミナル」を名乗っていた。松電ストアと茅野バスターミナルは共にベルビア用地の一部となっており、現在のバスカウンターは元のバスターミナルの場所に近い。

駅舎に相対する現在のベルビア中央出入口付近にあったかつての駅前通り入口には、ダイヤ菊酒造(現・戸田酒造、茅野市ちの)による赤地に白文字の「清酒・ダイヤ菊」の大型アーチ看板が掲げられており、ベルビア建設に伴い撤去されたが、同社の敷地内に移されて現存している。

茅野市は駅舎とモンエイト、ベルビアに挟まれた「西口広場」について、開業40年近くを経てなお低迷が続くベルビア救済のために、現駅舎建設以降通算3度目となる駅周辺への巨額インフラ投資を再び実施する大規模再開発事業の基本計画を策定している。素案では駅前の南北を遮断して規模の大きい「バス・タクシーベイ」および「一般車両ベイ」を新設するほか、モンエイトを解体し、旧貨物取扱所跡地にかけて大規模マンションなどを建設するとうたっている[33]。

バス路線

西口バスターミナルから発着する。特記無き路線は、アルピコ交通による運行である。

のりば運行事業者系統・行先備考
1 アルピコ交通 「岡谷線」は平日のみ運行、土日・祝祭日、お盆・年末年始は運休
2  
3 白樺湖線:上諏訪駅  
4 美濃戸口線:美濃戸口 土曜日、日曜日、祝日、及び7月27日から8月25日運行
アルピコタクシー 中沢線:山田上  
茅野バス観光 穴山・原村線:払沢車庫  
5 中央高速バス 諏訪線:バスタ新宿(新宿駅南口)  
アルペン諏訪号:USJ  
アルピコ交通  
6 茅野バス観光
  • 丸山線:丸山上 / 東向ヶ丘入口
  • 豊平・泉野線:豊平・泉野方面
「豊平・泉野線」はデマンドバス方式、利用登録制(茅野市民のみ利用可)
アルピコタクシー 御狩野線:御狩野公民館  
茅野市福祉バス
「ビーナちゃん」
  • 柏原線:柏原区上
  • 中道線:中道公民館
  • 丸山線・東向ヶ丘線:望岳の湯
  • 大日影経由考古館線・小泉経由考古館線:尖石縄文考古館
  • 市街地西循環線:アクアランド茅野・宮川口・西山方面
  • 白井出線・白井出・北大塩線:白井出
  • 玉川循環線:中央病院
  • 横谷峡・金山線:横谷峡入口 / 金山
  • 「柏原線」「中道線」「丸山線」は火曜のみ運行
  • 「東向ヶ丘線」「大日影経由考古館線」「市街地西循環線」は水曜のみ運行
  • 「白井出線」「玉川循環線」は木曜のみ運行
  • 「横谷峡・金山線」「小泉経由考古館線」「白井出・北大塩線」は金曜のみ運行
7 (定期バス降車専用)
8・9
(ビル南側)
(標柱なし〔バスベイのみ〕)
10
(ビル南側)
(定期バス降車専用)
駅舎側エレベータ前 JRバス関東
  • 高遠線:高遠駅
  • 南アルプスジオライナー:高遠駅・仙流荘・粟沢駐車場
  • 「高遠線」は毎年4月の特定日のみ運行
  • 「南アルプスジオライナー」は7月 - 10月の特定日のみ運行

隣の駅

※特急「あずさ 」の隣の停車駅は列車記事を参照。

東日本旅客鉄道(JR東日本)
CO 中央本線
青柳駅 (CO 55) - 茅野駅 (CO 56) - (普門寺信号場) - 上諏訪駅 (CO 57)

脚注

記事本文

注釈

  1. ↑ 2000年代以降、インターネット上の記述を発端に「諏訪鉄山鉄道は当時『国鉄北山線』とも呼ばれていた」との説が流布されているが、国鉄(鉄道省)は前年の1943年に省営トラック路線の「北山線」を開設して当時は営業中であり(1983年廃止)、後から誕生した日本鋼管の私有専用側線が同名で呼ばれることはあり得ず、そのような資料も存在しない。
  2. ↑ 駅舎改築を3月28日、駅ビル開業を3月31日とする資料もある[12]。
  3. ↑ 駅南方の跨線人道橋にある仲町側階段部の延長改造の様子から、側線群設置は1931年の人道橋完成以後とみられているが、1935年ごろにかけて相次いで駅東側に移築された複数の寒天倉庫が上り5番線に沿う形で建てられていることから、設置時期は諏訪鉱業所操業開始(1937年)より早く、諏訪鉄山鉄道開通(1944年)より10年程度古い可能性がある。
  4. ↑ 当駅周辺ではこの「大型店配備計画」に基づき、1982年に丸万と松電ストアによる「諏訪バスプラザ」(塚原2丁目)、1983年に駅構内に隣接していた西友茅野店が移転した「イオ」(本町東)、1986年に松電ストアとケーヨーによる「メリーパーク」(宮川)が立て続けにオープンしていた。「諏訪バスプラザ」(2008年閉業)と「イオ」(2015年閉業)は全テナント撤退に伴って既に消滅しており、唯一オープン時の出店スキームを維持できていた国道20号沿いのメリーパークも2023年に核店舗のメリーパーク(旧松電ストア)が撤退した。

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、64頁。ISBN 9784784071647。
  2. 1 2 3 4 5 6 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、183頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
  3. 1 2 3 4 “駅の情報(茅野駅):JR東日本”. 東日本旅客鉄道. 2022年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月1日閲覧。
  4. ↑ JRダイヤ改正の知事のコメントについて
  5. ↑ 「戦時下の建設と改良」『日本国有鉄道百年史・第11巻』p.280、公共企業体日本国有鉄道、1973年。
  6. ↑ 「戦時下における鉄道輸送」『茅野市史・下巻』p.546、茅野市、1988年3月31日
  7. 1 2 3 「茅野停車場位置問題」『茅野市史・下巻』pp.219-222、茅野市、1988年3月。
  8. ↑ 「一町八か村の合併」『茅野市史・下巻』p.608、茅野市、1988年3月。
  9. 1 2 日本国有鉄道編『鉄道辞典』 (上巻/下巻) 日本国有鉄道発行、昭和33年3月。
  10. ↑ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号、25頁
  11. 1 2 『鉄道ジャーナル』第20巻第7号、鉄道ジャーナル社、1986年7月、119頁。
  12. ↑ 長野鉄道管理局 編『写真でつづる長野鉄道管理局の歩み』長野鉄道管理局、1987年3月10日、337・482頁。
  13. ↑ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号、27頁
  14. ↑ “茅野駅にエレベーター”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2000年4月11日)
  15. 1 2 『Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えます』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2013年11月29日。オリジナルの2019年2月14日時点におけるアーカイブ。2020年3月24日閲覧。
  16. ↑ 『JR東日本長野支社管内へ「駅ナンバリング」を拡大します』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道長野支社、2024年12月13日。オリジナルの2024年12月13日時点におけるアーカイブ。2024年12月16日閲覧。
  17. ↑ 「重要貨物情況 第17編」鉄道省運輸局、1925年。
  18. ↑ 「主要貨物情報 第5巻4号」鉄道省運輸局、1929年4月。
  19. ↑ 「信州諏訪地方の寒天生産状況・今期は暖気の影響を受けて製造業者は損失模様」『中外商業新報』、株式会社中外商業新報社、1930年4月1日。
  20. ↑ 「鉄道省鉄道統計資料 大正13年度」p111、鉄道省、1926年。
  21. ↑ 「鉄道省年報 昭和9年度」p253、鉄道省、1935年。
  22. ↑ 「鉱業之日本 第14巻5号」、鉱業之日本社、1943年5月。
  23. 1 2 “駅構内図(茅野駅)”. 東日本旅客鉄道. 2019年11月21日閲覧。
  24. ↑ 『JTB時刻表 2024年3月号』JTBパブリッシング、2024年、537頁。
  25. ↑ 駅弁一覧(通年販売) - 駅弁の丸政
  26. ↑ 直径31mの円墳で8世紀末築造と見られている。
  27. ↑ 長野県茅野市のJR茅野駅近くに祭られている 毎日新聞(2015年09月11日)
  28. ↑ 伽藍康裕・編「興亜日本建国史 第4巻 (中部大観)」日本同盟通信社、1941年。
  29. 1 2 3 4 「地場産業の進展」『茅野市史・下巻』pp.516-517、1988年3月31日、茅野市
  30. ↑ 堀内雅一「寒天及寒天業」 大日本水産会、1939年。
  31. ↑ 「岡島茅野店が営業を終了 不況や、大型店と競合響く」『信濃毎日新聞』2000年3月23日付朝刊21面、信濃毎日新聞株式会社。
  32. ↑ 「中心市街地における大型空き店舗等遊休不動産の活用に係る調査・研究事業報告書 平成23年度中心市街地商業等活性化支援業務」経済産業省商務流通グループ中心市街地活性化室、2012年3月。
  33. ↑ 茅野駅西口駅前広場リニューアル基本計画(概要版) 茅野市都市建設部都市建設課

利用状況

  1. 1 2 “各駅の乗車人員(2023年度)”. 東日本旅客鉄道. 2024年7月21日閲覧。
  2. ↑ “各駅の乗車人員(2000年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  3. ↑ “各駅の乗車人員(2001年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  4. ↑ “各駅の乗車人員(2002年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  5. ↑ “各駅の乗車人員(2003年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  6. ↑ “各駅の乗車人員(2004年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  7. ↑ “各駅の乗車人員(2005年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  8. ↑ “各駅の乗車人員(2006年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  9. ↑ “各駅の乗車人員(2007年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  10. ↑ “各駅の乗車人員(2008年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  11. ↑ “各駅の乗車人員(2009年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  12. ↑ “各駅の乗車人員(2010年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  13. ↑ “各駅の乗車人員(2011年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  14. ↑ “各駅の乗車人員(2012年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  15. ↑ “各駅の乗車人員(2013年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  16. ↑ “各駅の乗車人員(2014年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  17. ↑ “各駅の乗車人員(2015年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  18. ↑ “各駅の乗車人員(2016年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  19. ↑ “各駅の乗車人員(2017年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  20. ↑ “各駅の乗車人員(2018年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年7月10日閲覧。
  21. ↑ “各駅の乗車人員(2019年度)”. 東日本旅客鉄道. 2020年7月10日閲覧。
  22. ↑ “各駅の乗車人員(2020年度)”. 東日本旅客鉄道. 2021年7月20日閲覧。
  23. ↑ “各駅の乗車人員(2021年度)”. 東日本旅客鉄道. 2022年8月3日閲覧。
  24. ↑ “各駅の乗車人員(2022年度)”. 東日本旅客鉄道. 2023年7月11日閲覧。

参考文献

  • 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「中央本線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第5号、朝日新聞出版、2009年8月9日。 

関連項目

外部リンク