1827年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
| 十年紀: | 1800年代 1810年代 1820年代 1830年代 1840年代 |
| 年: | 1824年 1825年 1826年 1827年 1828年 1829年 1830年 |
1827年(1827 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
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- 3月(文政10年2月) -
江戸幕府が関東取締出役を増員し、関八州の農村に寄場組合(改革組合村)の結成を命じる(文政の改革)[1]。 - 3月26日 -
ドイツ出身の作曲家ベートーヴェンがオーストリア帝国の首都ウィーンで死去(ベートーヴェンの死)[2]。 - 4月 -
ギリシャ独立戦争の最中、トロイゼーンで国民議会が開催され、元ロシア帝国外務大臣イオアニス・カポディストリアスがギリシャ第一共和政の初代大統領に選出される( - 1831年)[3]。 - 4月(文政10年3月) -
佐藤信淵が、国家による産業統制と重商主義的政策を論じた『経済要録』を著す[4]。 - 4月10日 -
ジョージ・カニングが英首相に就任。外相時代に続きギリシャ独立戦争への積極的調停・介入方針(東方問題への関与)を推進[5]。 - 6月15日(文政10年5月21日) -
頼山陽が、武家の興亡を描き幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた歴史書『日本外史』を元老中松平定信に献上[6]。 - 6月15日 -
イギリス海軍のスループ艦ブロッサム号が小笠原諸島父島(現在の二見港)に来航・測量し、イギリス国王ジョージ4世の名のもとに領有宣言を行う[7]。 - 7月6日 -
イギリス・フランス・ロシアの三国がロンドン条約に調印。オスマン帝国に対しギリシャの自治承認と停戦を要求し、拒絶された場合の共同武力介入を定めた秘密条項を設ける[8]。 - 8月8日 -
カニング首相がロンドン近郊のチジック・ハウスで急死[9]。 - 8月31日 -
ゴドリッチ子爵が首相に就任[10]。 - 10月20日 -
ナヴァリノの海戦。英・仏・露の連合艦隊が、オスマン帝国・エジプト連合艦隊を撃破。戦列艦をはじめとする木造帆船同士による最後の大規模な艦隊戦となり、ギリシャ独立が決定的となる[11]。 - 10月 -
第二次ロシア・ペルシア戦争で、ロシア軍がガージャール朝の要衝タブリーズを占領[12]。
月日不明
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ハイネが初期の代表的詩集『歌の本』を刊行[13]。
シューベルトが、ヴィルヘルム・ミュラーの詩に基づく連作歌曲集『冬の旅』を作曲[14]。
マンゾーニが歴史小説『いいなづけ』を刊行。17世紀のスペイン支配下を舞台に描き、リソルジメントの精神的高揚に寄与[15][16]。
物理学者ゲオルク・オームが、電圧・電流・電気抵抗の比例関係を定式化したオームの法則を確立[17]。
植物学者ロバート・ブラウンが、水中に浮遊する花粉から放出された微粒子の不規則な熱運動(ブラウン運動)を発見・観察[18]。
オーデュボンが『アメリカの鳥類』の出版を開始[19]。
薩摩藩で調所広郷が財政改革主任に起用され、藩政改革が本格化[20]。
加賀藩の前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の息女・溶姫を迎えるにあたり、江戸本郷の藩邸に御守殿門(赤門)を建立[21]。
誕生
[編集]→「Category:1827年生」も参照


- 1月7日 - サンドフォード・フレミング[22][23]、カナダの土木技師、電信工学者(+ 1915年)
- 1月27日(文政10年1月1日) - 河井継之助[24]、越後長岡藩家老(+ 1868年)
- 1月27日(文政10年1月1日) - ジョン万次郎(中浜万次郎[25])、幕臣、通訳(+ 1898年)
- 2月1日 - アルフォンス・ド・ロチルド[26]、フランスのユダヤ系銀行家(+ 1905年)
- 2月9日 - ウィリアム・ドワイト・ホイットニー[27]、アメリカの言語学者、サンスクリット学者(+ 1894年)
- 2月26日(文政10年2月1日) - 五姓田芳柳[28]、画家(+ 1892年)
- 4月2日 - ウィリアム・ホルマン・ハント[29]、イギリスの画家(+ 1910年)
- 4月5日 - ジョゼフ・リスター[30]、イギリスの外科医(+ 1912年)
- 4月15日(文政10年3月20日) - 釈雲照[31]、真言宗の僧(+ 1909年)
- 5月1日(文政10年4月6日) - 木村正辞[32]、国文学者(+ 1913年)
- 5月3日(文政10年4月8日) - 佐藤尚中[33]、外科医、順天堂医院の創始者(+ 1882年)
- 5月4日 - ジョン・ハニング・スピーク[34][35]、イギリスのアフリカ探検家(+ 1864年)
- 5月11日 - ジャン=バティスト・カルポー[36]、フランスの彫刻家(+ 1875年)
- 5月14日(文政10年4月19日) - 中林梧竹[37]、書家(+ 1913年)
- 5月21日 - コンスタンチン・ポベドノスツェフ[38][39]、ロシアの政治家(+ 1907年)
- 5月31日(文政10年5月6日) - 楠本イネ[40]、医師(+ 1903年)
- 6月5日(文政10年5月11日) - 木内喜八[41]、木工家(+ 1902年)
- 6月12日 - ヨハンナ・シュピリ[42][43][44]、スイスの児童文学者(+ 1901年)
- 7月4日(文政10年6月11日) - 川上冬崖[45]、画家(+ 1881年)
- 7月16日(文政10年6月23日) - 小栗忠順[46](小栗上野介[47])、江戸幕府外国奉行・軍艦奉行・勘定奉行(+ 1868年)
- 7月17日 - フレデリック・エイベル[48]、イギリスの化学者(+ 1902年)
- 8月5日 - デオドロ・ダ・フォンセカ[49]、ブラジルの初代大統領(+ 1892年)
- 8月20日 - ヨーゼフ・シュトラウス[50]、オーストリアの作曲家、指揮者(+ 1870年)
- 10月16日 - アルノルト・ベックリン[51]、スイスの画家(+ 1901年)
- 10月25日 - マルセラン・ベルテロ[52]、フランスの化学者(+ 1907年)
- 11月4日(文政10年9月15日) - 武田斐三郎[53](武田成章[54])、兵学者、五稜郭の設計者(+ 1880年)
- 11月23日 - カール・ヨハン・マキシモヴィッチ[55]、ロシアの植物学者(+ 1891年)
- 11月24日(文政10年10月6日) - 重野安繹[56]、歴史学者(+ 1910年)
- 11月26日 - エレン・グールド・ホワイト[57]、アメリカのセブンスデー・アドベンチスト教会の指導者(+ 1915年)
- 11月27日(文政10年10月29日) - 山内容堂[58](山内豊信[59])、第15代土佐藩主(+ 1872年)
- 12月25日(文政10年11月8日) - 島田蕃根[60]、仏教学者(+ 1907年)
死去
[編集]→「Category:1827年没」も参照








- 1月5日 - フレデリック (ヨーク・オールバニ公)[61]、イギリスの王族、陸軍軍人(* 1763年)
- 2月17日 - ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ[62]、スイスの教育実践家(* 1746年)
- 2月22日 - チャールズ・ウィルソン・ピール[63]、アメリカの画家・軍人・博物学者(* 1741年)
- 2月24日(文政10年1月29日) - 笠森お仙[64]、美人画のモデルとして知られる女性(* 1751年?)
- 3月5日 - アレッサンドロ・ボルタ[65]、イタリアの物理学者(* 1745年)
- 3月5日 - ピエール=シモン・ド・ラプラス[66]、フランスの数学者、天文学者(* 1749年)
- 3月17日(文政10年2月20日) - 徳川治済[67]、一橋徳川家第2代当主(* 1751年)
- 3月26日 - ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン[2]、ドイツの作曲家(* 1770年)→詳細は「ベートーヴェンの死」を参照
- 4月3日 - エルンスト・クラドニ[68]、ドイツの物理学者(* 1756年)
- 4月22日 - トマス・ローランドソン[69][70]、イギリスの風刺画家(* 1756年)
- 4月25日(文政10年30日) - 大槻玄沢[71]、蘭学者・蘭方医(* 1757年)
- 4月30日(文政10年5月) - 高田屋嘉兵衛[72]、廻船業者、海商(* 1769年)
- 5月5日 - フリードリヒ・アウグスト1世[73]、ザクセン王(* 1750年)
- 6月26日 - サミュエル・クロンプトン[74]、イギリスの発明家、ミュール紡績機を発明(* 1753年)
- 7月14日 - オーギュスタン・ジャン・フレネル[75]、フランスの物理学者(* 1788年)
- 8月8日 - ジョージ・カニング[9]、イギリス首相、トーリー党員(* 1770年)
- 8月12日 - ウィリアム・ブレイク[76]、イギリスの画家・詩人・銅版画職人(* 1757年)
- 9月10日 - ウーゴ・フォスコロ[77]、イタリアの詩人、小説家(* 1778年)
- 10月1日 - ヴィルヘルム・ミュラー[78]、ドイツの詩人(* 1794年)
- 10月3日(文政10年13日) - 菅茶山[79]、儒学者・漢詩人(* 1748年)
- 11月18日 - ヴィルヘルム・ハウフ[80]、ドイツの童話作家、小説家(* 1802年)
- 11月21日(文政10年3日) - 尾崎雅嘉[81]、国学者(* 1755年)
出典
[編集]- ↑ 『御改革組合』 - コトバンク
- 1 2 『ベートーベン』 - コトバンク
- ↑ 『カポディストリアス』 - コトバンク
- ↑ 『経済要録』 - コトバンク
- ↑ “History of George Canning”. GOV.UK. 2026年8月25日閲覧。
- ↑ 『日本外史』 - コトバンク
- ↑ “イギリス船が父島に来航し、領有宣言を行うが、イギリス政府は正式に承認しなかった”. 笹川平和財団海洋政策研究所 島嶼資料センター. 2026年8月25日閲覧。
- ↑ 『ロンドン条約』 - コトバンク
- 1 2 『カニング』 - コトバンク
- ↑ “History of Frederick Robinson, Viscount Goderich”. GOV.UK. 2026年8月25日閲覧。
- ↑ 『ナバリノの海戦』 - コトバンク
- ↑ 『トルコマンチャーイ条約』 - コトバンク
- ↑ 『ハイネ』 - コトバンク
- ↑ 『冬の旅』 - コトバンク
- ↑ 『婚約者』 - コトバンク
- ↑ 『いいなずけ』 - コトバンク
- ↑ 『オームの法則』 - コトバンク
- ↑ 『ブラウン運動』 - コトバンク
- ↑ クレッグ 2020, pp. 147.
- ↑ 『調所広郷』 - コトバンク
- ↑ “東大史Q&A Q4-1”. 東京大学. 2026年8月30日閲覧。
- ↑ 『フレミング』 - コトバンク
- ↑ Sandford-Fleming - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『河井継之助』 - コトバンク
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- ↑ 『ボルタ』 - コトバンク
- ↑ 『ラプラス』 - コトバンク
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- ↑ 『ローランソン』 - コトバンク
- ↑ 『大槻玄沢』 - コトバンク
- ↑ 『高田屋嘉兵衛』 - コトバンク
- ↑ Frederick-Augustus-I - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『クロンプトン』 - コトバンク
- ↑ 『フレネル』 - コトバンク
- ↑ 『ブレーク』 - コトバンク
- ↑ 『フォスコロ』 - コトバンク
- ↑ 『ミュラー』 - コトバンク
- ↑ 『菅茶山』 - コトバンク
- ↑ 『ハウフ』 - コトバンク
- ↑ 『尾崎雅嘉』 - コトバンク
参考文献
[編集]- ブライアン・クレッグ 著、石黒千秋 訳『世界を変えた150の科学の本』創元社、2020年2月20日。ISBN 978-4-422-40045-7。