のと鉄道能登線

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能登線
当線で使用された気動車NT100形
概要
現況 廃止
起終点 起点:穴水駅
終点:蛸島駅
駅数 30駅
運営
開業 1959年6月15日 (1959-06-15)
経営移管 1988年3月25日
廃止 2005年4月1日 (2005-4-1)
所有者 日本国有鉄道(国鉄)→
西日本旅客鉄道(JR西日本)→
のと鉄道(第1種鉄道事業者)
使用車両 使用車両を参照
路線諸元
路線総延長 61.0 km (37.9 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
運行速度 80 km/h
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR
↑七尾線
KBHFxe
0.0 穴水駅
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山王川橋梁 山王川 17.97m
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七尾線→ 1935 - 2001
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小又川橋梁 小又川 29.4m
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い 穴水隧道 250.0m
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ろ 麦ヶ浦隧道 378.0m
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は 仲居隧道 275.0m
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日詰川橋梁 日詰川 32.0m
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5.3 中居駅
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に 第1比良隧道 90.0m
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ほ 第2比良隧道 212.0m
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7.6 比良駅
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へ 川尻隧道 1259.0m
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10.5 鹿波駅
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と 鹿波隧道 190.0m
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ち 野並隧道 745.0m
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14.3 甲駅
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り 黒崎隧道 114.0m
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ぬ 沖波隧道 80.0m
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17.0 沖波駅
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18.1 前波駅
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19.9 古君駅
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る 大円山隧道 598.0m
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山田川橋梁 山田川 48.77m
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22.9 鵜川駅
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を 鵜川隧道 424.7m
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24.1 七見駅
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25.6 矢波駅
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わ 波並隧道 100.0m
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27.8 波並駅
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間島橋梁 57.8m
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30.0 藤波駅
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薬師川橋梁 薬師川 25.8m
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か 第1宇出津隧道 775.0m
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32.7 宇出津駅
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よ 第2宇出津隧道 115.0m
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た 第3宇出津隧道 68.5m
exTUNNEL2
れ 第4宇出津隧道 87.5m
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そ 第5宇出津隧道 165.0m
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つ 第1田の浦隧道 90.0m
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ね 第2田の浦隧道 90.0m
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な 第3田の浦隧道 121.0m
exTUNNEL2
ら 第4田の浦隧道 63.6m
exTUNNEL2
む 第1羽根隧道 213.0m
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35.3 羽根駅
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う 第2羽根隧道 115.0m
exTUNNEL2
ゐ 第3羽根隧道 225.0m
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の 第1小浦隧道 24.0m
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お 第2小浦隧道 155.0m
exTUNNEL2
く 第3小浦隧道 118.0m
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37.0 小浦駅
exTUNNEL2
や 第4小浦隧道 360.0m
exTUNNEL2
ま 第1真脇隧道 42.0m
exTUNNEL2
け 第2真脇隧道 30.0m
exTUNNEL2
ふ 第3真脇隧道 125.0m
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38.4 縄文真脇駅
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こ 小木隧道 963.0m
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40.4 九十九湾小木駅
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え 越坂隧道 252.0m
exTUNNEL2
て 新保隧道 129.0m
exTUNNEL2
あ 長尾隧道 105.0m
exBHF
42.5 白丸駅
exTUNNEL2
さ 樋山隧道 80.0m
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丸山橋梁 34.2m
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き 九里川尻隧道 297.0m
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44.4 九里川尻駅
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九里川尻橋梁 32.5m
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ゆ 第1九里隧道 101.5m
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め 第2九里隧道 145.0m
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松波川橋梁 松波川 25.8m
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46.4 松波駅
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み 松波隧道 205.0m
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し 恋路隧道 510.0m
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48.2 恋路駅
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ゑ 宗玄隧道 135.0m
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49.0 鵜島駅
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ひ 第1鵜島隧道 204.0m
exTUNNEL2
も 第2鵜島隧道 34.0m
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せ 第3鵜島隧道 215.0m
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50.1 南黒丸駅
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鵜飼川橋梁 鵜飼川 47.25m
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51.7 鵜飼駅
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す 谷崎隧道 353.3m
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竹中川橋梁 竹中川 25.4m
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54.4 上戸駅
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56.1 飯田駅
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ん 春日隧道 96.3m
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すず 珠洲隧道 174.2m
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若山川橋梁 若山川 47.0m
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57.4 珠洲駅
exBHF
59.0 正院駅
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61.0 蛸島駅
  • 総トンネル延長 11,697.6m

能登線(のとせん)は、かつて石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅と同県珠洲市の蛸島駅を結んでいたのと鉄道の鉄道路線(廃線)である。

概要

能登半島の北部、奥能登の南岸を走っていた路線である。1959年に国鉄能登線として穴水駅 - 鵜川駅間が開業し、1964年に蛸島駅まで全通したものの、全通時にはモータリゼーションが進展しており、乗降客は数年増加したのち減少を始め[1]、1968年には早くも赤字83線に名を連ねている。その後、奥能登観光ブームにより一時的に盛り返すも、沿線道路網の発達などにより乗客減に拍車がかかった[2]。

国鉄再建法により全国の不採算路線を廃止する方針が示される中、沿線自治体の存続活動もむなしく、能登線は1985年に第3次特定地方交通線(以下・第3次指定)候補に選定され、国鉄の路線として廃止となる可能性が高まった。これを受け石川県は、「能登振興のために鉄道は必要」として、第三セクター鉄道としての存続に意欲を示し、三セク化によって第3次指定路線の存続を企図していた高知県・愛知県(それぞれ土佐くろしお鉄道・愛知環状鉄道を設立)とともに能登線の早期の第3次指定を国に求め、その結果1986年5月末に第3次指定に先行承認されることとなった[3]。こうして1987年に第三セクター「のと鉄道」が設立され、1988年にのと穴水駅(現・穴水駅) - 蛸島駅間が「のと鉄道能登線」として開業した。

転換後に列車の運転頻度を向上させた結果、収支はほぼ均衡を保ち、転換交付金を積み立てた基金で営業損失を補填した結果、のと鉄道は開業後3年間黒字を計上した[4]。しかし、1991年にのと鉄道が七尾線の経営を引き受けて以降は七尾線の影響でのと鉄道の赤字額が増大しており、2001年に赤字額の大きい七尾線の穴水駅 - 輪島駅間を廃止したところ、利便性の低下による影響で能登線の乗客も減少していった。2004年3月23日ののと鉄道の取締役会で能登線の廃止が決議され[1]、2005年4月1日付で廃止に至った。廃止後は能登中央バス・奥能登観光開発の2社(現在は統合されて北鉄奥能登バスに一本化)による路線バス(代替バス)に転換された。

乗客の平均乗車距離は13.9 km[5]と長く、通学客への影響は大きかった。珠洲市から列車で県立七尾高校に通っていた学生は下宿を余儀なくされ、珠洲市内の高校へ向かう学生も混雑の激しいバスでの通学を強いられているという[6]。

能登線の全49のトンネルにはいろは順に起点から平仮名がふられていた[7]。これには事故などがあった場合にその発生場所を即座に知らせるという目的もあった[8]。

松波 - 恋路間の松波隧道「み」。

路線データ

※廃止時点

  • 路線距離(営業キロ):61.0 km
  • 軌間:1067 mm
  • 駅数:30駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化)
  • 閉塞方式:特殊自動閉塞式(穴水 - 珠洲間)、スタフ閉塞式(珠洲 - 蛸島間)

運行形態

廃止直前時点では各駅に停車する普通列車のみが運行されており、運行系統としては七尾線とほぼ一体であった。廃止直前時点でおおむね2時間に1本が運行されていた。

1988年3月の第三セクター鉄道転換当初は、1時間1本程度の運行であり、自社のパノラマ気動車NT800形を使用した快速「のと恋路号」が運転されており、1991年9月になって「のと恋路号」が急行に格上げ[9]されるとともに、転換前まで運行されていた金沢から直通の急行「能登路」の運行が復活した[10]。「能登路」は2002年3月23日のダイヤ改正で、「のと恋路号」はさらにその半年後の2002年10月に廃止された。なお、穴水駅 - 珠洲駅間の上下最終列車が快速として運転されていた時期もあった[11]。

使用車両

のと鉄道時代の使用車両。すべて気動車。

乗り入れ車両

歴史

鵜川駅における開通祝賀列車(1959年(昭和34年)6月15日)

1922年には既に改正鉄道敷設法で飯田までの建設が定められていたが、戦後まで着工されなかった。1953年になってようやく着工されるが、国鉄ローカル線合理化のさなか建設が推し進められたため、政治路線との批判に晒されることとなった[13]。1959年に穴水 - 鵜川間、1960年に鵜川 - 宇出津間が開業。このうち後者には開業から1961年5月20日までの間通常の1.6倍の割増運賃が適用された[14]。1961年4月6日の運賃改定で当該区間が割高となるため割増率が1.3倍に軽減され[14]、同年5月に新線建設補助特別措置法が成立し、補助金が支給されるようになるとこの割増運賃制度は撤廃された[14]。さらに1962年には改正鉄道敷設法別表に飯田 - 蛸島間が追加され、1963年に宇出津 - 松波駅間、1964年9月に松波 - 蛸島間が開業[15]、このうち後者は日本鉄道建設公団による初めての建設線であった。

1994年から1996年にかけて近代化補助金を活用して列車集中制御装置 (CTC) の設置を行っている。

年表

駅一覧

  • 全駅石川県に所在。
  • カッコ内の駅名は、のと鉄道転換前の駅名。*印を付けた駅は転換後の開業。駅所在地は路線廃止時点。
  • 線路(全線単線) … ◇・∨:列車交換可能、|:交換不可
駅名 駅間キロ 営業キロ JR時代の
営業キロ
接続路線 線路 所在地
穴水駅 - 0.0 0.0 のと鉄道:七尾線 ∨ 鳳珠郡 穴水町
中居駅 5.3 5.3 5.3   |
比良駅 2.3 7.6 7.5   ◇
鹿波駅 2.9 10.5 10.5   |
甲駅 3.8 14.3 14.3   ◇
沖波駅
(立戸の浜駅)
2.7 17.0 17.0   |
前波駅 1.1 18.1 18.1   |
古君駅 1.8 19.9 19.9   |
鵜川駅 3.0 22.9 22.9   ◇ 能登町
*七見駅 1.2 24.1 ---   |
矢波駅 1.5 25.6 25.6   |
波並駅 2.2 27.8 27.8   |
藤波駅 2.2 30.0 30.0   |
宇出津駅 2.7 32.7 32.8   ◇
羽根駅 2.6 35.3 35.4   |
小浦駅
(能登小浦駅)
1.7 37.0 37.1   |
縄文真脇駅
(真脇駅)
1.4 38.4 38.5   |
九十九湾小木駅
(能登小木駅)
2.0 40.4 40.5   ◇
白丸駅
(能登白丸駅)
2.1 42.5 42.6   |
九里川尻駅
(能登川尻駅)
1.9 44.4 44.5   |
松波駅 2.0 46.4 46.6   ◇
恋路駅 1.8 48.2 48.3   |
鵜島駅 0.8 49.0 49.1   | 珠洲市
南黒丸駅 1.1 50.1 50.2   |
鵜飼駅
(能登鵜飼駅)
1.6 51.7 51.8   ◇
上戸駅 2.7 54.4 54.5   |
飯田駅
(珠洲飯田駅)
1.7 56.1 56.2   |
珠洲駅 1.3 57.4 57.4   ◇
正院駅 1.6 59.0 59.1   |
蛸島駅 2.0 61.0 61.1   |

延長構想の頓挫

1996年に蛸島駅より東の鉢ヶ崎海岸で第16回全国豊かな海づくり大会が開催されるにあたり、そのアクセス路線として当路線の延長が1993年から検討された。1994年には県議会で、同年度中の免許取得や施工認可を得て1995年度から土地買収や工事の着手に当たりたいという県企画開発部長の答弁もなされている[25]。しかし予定ルートに道路との交差があり、そこを立体化しないと運輸省の認可が下りないことが判明する。さらに阪神・淡路大震災を受けて運輸省が鉄道施設等の耐震基準を見直したことも加わり、この二つの理由で工費が当初の予定よりも大幅に増加することから、構想は取りやめになった[26]。

廃線後の状況

線路・施設の撤去は2006年11月1日から本格的に開始された[24]。現在ではほとんどの区間でレール・枕木が撤去されており、橋梁、路盤の撤去も頻繁に行われ、能登線の痕跡は消えつつある。

なお、地元自治体ならびに沿線住民の希望により、以下の区間は線路が残された。

  • 穴水駅から山王川橋梁付近 - 車両の入換などに使用されている。
  • 間島橋梁付近から薬師川橋梁付近(波並 - 藤波 - 宇出津間) - 1km以上にわたり2006年以後も線路が残されていたものの、2022年5月に入り道路橋の下に静態保存されていたNT100形気動車とともに撤去された。
  • 恋路駅前後 - 再敷設されたもの。地元の宗玄酒造により、「のトロ」という名称の軌道自転車に有料で乗ることができる[27]。
  • 珠洲駅跡地 - 道の駅すずなり内の、のと鉄道記念広場としてホームや線路の一部が保存されている。
  • 珠洲市正院町小路地区から同町川尻地区間(正院 - 蛸島間) - この区間は、動態保存車両であったNT100形気動車の走行に使用された。
  • 蛸島駅構内

脚注

  1. 1 2 3 4 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』、JTBパブリッシング、2008年、150頁。ISBN 978-4-533-07145-4
  2. ↑ 川島令三『全国鉄道事情大研究 北陸編(1)』、相思社、1995年、208頁。ISBN 4-7942-0616-X
  3. ↑ 寺田裕一『日本のローカル私鉄2000』、ネコ・パブリッシング、2000年。ISBN 4-87366-207-9
  4. ↑ 所澤秀樹『鉄道地図の「謎」』、山海堂、2002年、222頁。ISBN 4-381-10423-4
  5. ↑ 2002年度のデータ。『私鉄の廃線跡を歩くIII』150頁より。
  6. ↑ 『私鉄の廃線跡を歩くIII』、154頁。
  7. ↑ “鉄道トリビア(444) のと鉄道に「いろは」順で名づけられた49のトンネルがあった”. マイナビニュース. (2018年2月24日) 2019年8月16日閲覧。
  8. ↑ 『全国鉄道事情大研究 北陸編(1)』、209頁。
  9. ↑ 今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』6号 北信越、新潮社、2010年、p.56
  10. ↑ 今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』6号 北信越、新潮社、2010年、p.54
  11. ↑ 『全国鉄道事情大研究 北陸編(1)』218頁。
  12. ↑ “【よみがえる鉄路の記憶 西脇恵さん撮影】穴水で切り離し 2方面へ”. 中日新聞Web. (2020年10月26日). オリジナルの2020年11月27日時点におけるアーカイブ。 2021年2月23日閲覧。
  13. ↑ 『全国鉄道事情大研究 北陸編(1)』、207頁。
  14. 1 2 3 4 5 6 種村直樹『時刻表の旅』中公新書、1979年、124-125頁。
  15. 1 2 “日本鉄道建設公団30年略史”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 8. (1993年3月23日)
  16. ↑ 「鉄道省告示第399号」『官報』1935年9月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ↑ 「運輸省告示第265号」『官報』1946年10月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. 1 2 3 4 5 6 7 “広報のと平成17年4月号” (PDF). 能登町広報情報推進課 (2017年4月1日). 2021年2月23日閲覧。
  19. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 寺田 2010, p. 9.
  20. 1 2 3 “旧国鉄能登線 懐かし!写真展 きょうから 穴水・プルートで展示”. 中日新聞Web. (2020年12月5日) 2021年2月23日閲覧。
  21. ↑ 寺田 2010, p. 11.
  22. 1 2 『全国鉄道事情大研究 北陸編(1)』、215頁。
  23. 1 2 3 寺田裕一『ローカル私鉄列車ダイヤ25年 西日本編』、JTB、2004年、44頁。ISBN 4-533-05585-0
  24. 1 2 『私鉄の廃線跡を歩くIII』、151頁。
  25. ↑ 石川県議会1994年9月14日定例会議事録 2009年4月7日閲覧
  26. ↑ 石川県議会1996年3月7日定例会議事録 2009年4月7日閲覧。
  27. ↑ “奥のとトロッコ鉄道”. 能登町観光ガイド. 2016年12月10日閲覧。

参考文献

  • 寺田裕一『新消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪 7 北陸』ネコ・パブリッシング、2010年12月29日。ISBN 978-47770-1091-2。 

関連項目

外部リンク