夜と霧の隅で

ウィキペディアから、無料の百科事典
夜と霧の隅で
作者 北杜夫
国 日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 中編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出 『新潮』1960年5月
刊本情報
出版元 新潮社
出版年月日 1960年6月
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示

『夜と霧の隅で』(よるときりのすみで)は、北杜夫が1960年に『新潮』に発表した中編小説。ナチス体制下のドイツで懊悩する精神科医たちを描く。第43回芥川賞を受賞した。

あらすじ

第二次世界大戦末期、ドイツでは不治の精神病患者に対する強制的な安楽死(T4作戦)が断行されていた。そのような状況下で日々を送る州立精神病院が本作の舞台となる。そこには脳細胞の研究に没頭する医師、断種政策の是非をめぐり議論を交わす医師、白いバラにひそかな共感を抱く医師がいる。そしてまた、そこには高島という日本人病理学者が入院していた。彼は戦争の激化とともに帰国の途を閉ざされ、さらにユダヤ人の父を持つ妻がユダヤ人狩りに巻き込まれ、心労で精神を病んでいるのだった。戦時下の逼迫の中でも本質的には変化のない日々を送っていた医師たちだったが、スターリングラードでの敗北を経て情勢が悪化するなか、世間から孤立したこの病院にも、ついに親衛隊が足を踏み入れることになる。不治の患者たちを救うため、絶望的な治療が試みられていく。

執筆の背景

ユーモアエッセイ『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーとなる中で発表された小説である。奥野健男は「これが「どくとるマンボウ航海記」と同じ作家の書いたものであるかと驚くほど、シリアスである」[1]と評している。

船医として渡航する前から、北は本作を構想していた。だが執筆に難航し、気晴らしとして『どくとるマンボウ航海記』を書いたという経緯がある。また、北はポレミックな題材を扱った本作を「私の諸作の中では変っていると言われている」としつつも、当時はユダヤ人虐殺に比べて精神病患者の断種や抹殺が注目されていなかったことに触れ、精神科医としての使命感から本作を書いたと語っている[2]。

なお、本作の執筆にあたって、北は辻邦生と手紙のやりとりで執筆が進まないことを打ち明けており、辻は以下のような助言を与えている。

竹山道雄ではないけれど、ドイツ人はすべてトーマス・マンぎらいで(というのはマンはドイツ人は戦争責任があるといったからです)つねに自分を正当化する。はたして今みたいな過渡期、したがって戦争なり平和なり、人種なりについての考え方がどんどん変ってゆくとき、あくまでも不変の、正しい見方があるかどうか。仮構から仮構へと綱渡りしているんじゃないかという疑いも持てます。そんなところにもふれたらどうかしら。 — 辻邦生、1959年9月28日[3]

作品評価

第43回芥川賞選考では選考委員たちからおおむね高く評価され、同じく候補作であった倉橋由美子の『パルタイ』を抑えて受賞した。瀧井孝作は「戦争最中に人の命が紙屑のように扱われる時世に、精神病院の患者を何とかして治そうと骨折る医者、職務に実直な、人の命の大切な、このテーマはよい」と称賛した。井伏鱒二は「大きく伸びつつある作家」と評し、佐藤春夫などとともに、北の作家としての力量の向上を評価した[4]。一方、山本健吉は本作について、事実それ自体のもたらす感動があるとしつつも「ナマの事実からの移調、あるいは昇華が、まったく認められない」と批判的な見方を示した[5]。

埴谷雄高は本作のテーマに注目し「電気ショック、インシュリン、ロボトミーの療法など次々に試みて苦闘する医師たちの姿は「夜と霧」の片隅におけるひとつの目立たぬ、しかも、記念碑的な人間性の証明となっている」と論じている[6]。篠田一士は北との対談の中で、戦後のいわゆる「アンガージュマン文学」として本作を読むことを批判し、ペシミズムの中でそれでも生きていく人間の姿が感銘を与えると語っている[7]。また日沼倫太郎は「ナチスの反ヒューマニズムでも、戦争の暴力でもない。狂気、つまり時代と個人の狂気がテーマなのだ」「どうやらこの作家は、常人よりもひそかに狂人を愛しているらしい。でなければこんなにも合理的狂気をにくむ作品が書けるわけはない」と本作を評した[8]。

書誌情報

  • 『夜と霧の隅で』新潮社、1960年
  • 『新日本文学全集32』集英社、1964年
  • 『現代日本文学大系88』筑摩書房、1970年
  • 『日本文学全集53』河出書房、1971年
  • 『日本文学全集42』新潮社、1971年
  • 『筑摩現代文学大系87』筑摩書房、1976年
  • 『北杜夫全集2』新潮社、1977年
  • 『芥川賞全集 第6巻』文藝春秋、1982年
  • 『昭和文学全集第22巻』小学館、1988年

脚注

出典

  1. ↑ 奥野健男『北杜夫の文学世界』中公文庫、1982年3月、101頁。初出は『日本文学全集 第42巻』新潮社、1971年。
  2. ↑ 北杜夫『見知らぬ国へ』新潮文庫、2015年11月、188-189頁。初出は『北杜夫全集』月報。
  3. ↑ 『若き日の友情』新潮社、2010年7月、190-191頁。
  4. ↑ 『文藝春秋』1960年9月号。
  5. ↑ 山本健吉『文芸時評』河出書房新社、1969年6月、初出は北海道新聞など。
  6. ↑ 『夜と霧の隅で』解説、新潮文庫、1963年。
  7. ↑ 「物語の重厚と洒脱」『国文学解釈と教材の研究』学燈社、1973年2月。
  8. ↑ 日沼倫太郎『現代作家案内』三一書房、1967年5月。

関連項目

外部リンク