射的(しゃてき)とは対象物(標的・的など)に対し簡易な銃器をもちいて投射物を当てる遊戯。
また稀に、目標に向けて銃弾や矢を飛ばして射当てる行いのこと。
ここでは、対象物と投射物が規格としてある程度決められていて、遊びや競技として確立している射的や、狩を起源とする遊びや競技として確立されたものも記載する。
日本語で「射」の字を”物に当てる”という意味で使うことは限定的であり、「射的」という言葉は例外的である。
「射」は元来は矢などを飛ばす行為であるが、銃器が発達するにつれ、的に「当てる」意味としても使われように変化した。これは中国でも同様のようで銃器を扱う場合やサッカーおよびバスケットボールといった球技の得点に関して「射」という文字が目的に当てる意味で使われる。英語についても同様に shot と hit の区別が時代が下るにつれ曖昧になってきている。
日本語においては、的は古くは「イクハ」と呼び、これは「イクハス、サ」であり「射交わす、矢」のことである「イクハス、サ」は「イクサ・戦い」の語源ともなっていて、転じて戦闘の意となった。この的から的弓・的矢、的場といった言葉が生まれた。鉄砲がポルトガルから伝来し、その役割や機能から弓矢と同等に扱われ、修法から所作や用語まで弓術から借用し、発展した武術体系になった。
矢は弓で射ることが多いが、他に投げ矢(ダーツ・投壺・手矢)などもあり、矢の形態も様々である。矢の起源は銛やヤス、槍や鉾との区別が曖昧である。弓矢においても中国の弾弓や日本以外での機械弓などの発達から、必ずしも矢を飛ばすものではなく、礫や石から砲弾、果ては、人や油の入った火を付けた樽(原理は火炎瓶と同じ)にまで至る。他に、輪投げ、投扇興、アメリカ発祥の蹄鉄投げ、投げ縄やフリスビーといったものがある。
銃や弓矢や矢による現在に知られる競技の多くで、標的は同心円状に線引き色分けされた円形のものが知られている。中国の投壺は矢を壺に入れる。シューティングやアーチェリーは必ずしも円形のターゲットを射ぬくとは限らない。
古くは狩り(かり)や争いにおいての投石、槍投げ、弓矢や吹き矢があり、また漁り(いさり)の時の銛打ちなどがあげられる。また矢や玉や礫状のものではないが、輪投げや投網も対象物に向かって当てるという面においては、狩猟を起源とする射的といえるだろう。時代を追っ人の狩猟が発達するにつれ、道具と大規模な狩が行われ、アトラトルという槍投げ器の発明がマンモスを人間の手で絶滅に追いやったとする説もある。詳しくはマンモスを参照。
射的競技の弓矢から派生したものとして吹き矢・ダーツ(日本では投げ矢という)・洋弓銃(機械弓のこと)がある。現在では弓矢・吹き矢・ダーツ・洋弓銃はスポーツや射的として楽しまれている。そのうち洋弓銃は軍や警察機構の武器や兵器として採用する国もある。また弓矢と吹き矢は、世界各地で現在も生活の糧を得るため狩猟で使われている。
欧米のアミューズメントパークや移動遊園地やイベントの出店で、目標物に投射物をあてる出し物の遊技があり、バスケットボールを模したターゲットリングやハンマーとシーソーを使って投射物を目標のエリアに落とす、器に入れるといったものがあり、アメリカの西部開拓時代には、実弾を使った銃による射的の出し物も存在した。
現在では、アミューズメントパークやゲームセンターなどで、古いものとして無くなりつつあるが、射撃や大砲を模したもので圧搾空気を使った大がかりな的当てや小さな箱状の機械としてあり、多くはアーケードゲームといわれるコンピューターにおけるプログラムとしての画面上の仮想空間による、いわゆるシューティングゲームなどが誕生し、一般家庭でもテレビゲームの種別の一つとして普及している。
射的は射礼(じゃらい)と呼ばれる儀式として平安時代より宮廷で行われていた[1]。射礼は中国の同様の儀式の模倣であり、『延喜式』によれば射礼は正月中旬に催された。また、『小右記』や『御堂関白記』などの貴族の日記には貴族の間で賭射(のりゆみ)と呼ばれる懸賞をかけた射的が行われていた記録がある。賭射も儀礼的な要素が多く、『山槐記』によれば厳密な作法に則って行われていたという。賭射は騎射でも行われ、寛治6年(1092年)には武者20人による笠懸が行われている。同時代、賭射を気楽な遊戯化した「小弓合せ」という室内遊戯も盛んに行われた[1]。
戦国時代には、手裏剣が忍者とともに発生し、ポルトガルから伝来した鉄砲や古来からの弓矢を総称して「飛び道具」と呼んだ[要出典]。しかし日本では槍投げという戦術や武道は発達しなかった。

庶民においては江戸時代以降に特に栄えた祭り文化において、市や縁日や祭りなどの射的も古くは弓矢で行われていた。寺社普請の一環として富籤などとともに、祭り弓矢と夕楊弓などが結び付き、市や祭礼の行われる門前町や縁日において、懸け物(景品交換式遊技)といわれる出し物が行われるようになっていった。弓矢の射的を中心に輪投げや吹き矢も行われるようになり、当時は射的ではなく的矢(まとや)と呼ばれ、的矢を営む者を的屋(まとや)と呼び、後の露天商を生業とする的屋(てきや)になったと言われる。近代では的屋が行う射的に性質の似た遊戯として弓矢や吹き矢、コルク栓式空気銃や水鉄砲、輪投げ、「・・・釣り」や金魚掬いなどがある。
昭和初期まで、祭礼の行われる場所や市や縁日などを始めとし、都市部の商店街や繁華街や遊園地などで常設や仮設も含め、盛んに行われていた射的だが、パチンコホールの台頭などもあり廃れていき、現在では、観光地や温泉場や古くからある遊園地や、数少なくなった縁日などでしか、見ることはできなくなっている。理由の一つとしては、寺社普請などの地域振興であった射的としての懸け物や賭け事が、法律の改正により、小さな集落としての自治の社会基盤整備の資金集めの一環として、簡単に出来なくなってしまったことが挙げられる。
宝くじの抽せん会では、江戸時代に使われた吹き矢の的である「ぶん回し」といわれる的とほぼ同じものを使って、洋弓銃による番号の抽せんが行われている。





バスケットボールやターゲットリングに似たものとして、運動会で行われる玉入れがあり、高い棒のうえに籠を設置しその籠めがけ小豆などが入った布製の玉を投げ入れる競技。
玉入れに似ている物として「火祭り」の一つの神事として、高い棒の上に籠を置き松明を入れ、先端に荒縄でまいた重石に荒縄をむすんだものに火をつけたのち、縦に振り回転させ、その反動で縄を籠に投げ入れ松明を早く着火させる、といった競技もある。形状と原理は、上に投げるか水平に投げるかの違いはあるが、中国の武器である流星錘・縄鏢や競技のハンマー投と同じである。
球で的を狙う競技でも、ほとんどの時間、球などが地を這う転がるもの(ボウリングやビリヤードなど)は省いた。
元は狩の道具であったものが競技や玩具として確立されたもので、弾丸や矢の形状ではないが、的を狙うもの。
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