池口史子

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池口 史子
池口 史子
生誕 (1943-02-24) 1943年2月24日(81歳)
日本の旗 関東州大連市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京芸術大学美術学部卒業
東京芸術大学大学院
美術研究科修了
著名な実績 洋画
代表作 『赤い煙突』(2011年)
『深まる秋』(2012年)
配偶者 堺屋太一(夫)
受賞 倫雅美術奨励賞(1993年)
両洋の眼河北倫明賞
(2002年)
損保ジャパン
東郷青児美術館大賞

(2004年)
日本芸術院賞恩賜賞
(2012年)
旭日中綬章(2024年)
選出 日本芸術院
民族 大和民族
影響を受けた
芸術家
山口薫

池口 史子(いけぐち ちかこ、1943年2月24日 - )は、日本の洋画家。立軌会同人、日本芸術院会員。

来歴

生い立ち

南満洲鉄道に勤める堤禎章の娘として[1]、大日本帝国の租借地であった関東州の大連市にて生まれ[2][注釈 1]、東京都で育った。東京芸術大学に進学し[3]、美術学部の油画科にて学び[2]、山口薫の指導を受けた[2]。1966年、東京芸術大学を卒業する[3]。そのまま東京芸術大学の大学院に進学し[3]、美術研究科にて学んだ[3]。1968年、東京芸術大学の大学院を修了した[3]。

画家として

東京芸術大学を卒業してから、個展やグループ展で作品を発表する。1975年、通産官僚であり小説家でもある堺屋太一と結婚した。1992年より立軌会に同人として加わる[4]。2004年、『ワイン色のセーター』にて損保ジャパン東郷青児美術館大賞を受賞した[5]。2012年、立軌展に出品した『深まる秋』で日本芸術院賞恩賜賞を受賞した[6]。同年12月15日、日本芸術院の会員に選出され[7]、第一部の第二分科に所属した[7]。

顕彰

住居および夫である堺屋太一の事務所ならびに史子のアトリエとして使用していた新宿区愛住町にある「愛住館」を整備し[8][9]、私立美術館として「美術愛住館」を開館[8][9]。2019年に東京藝術大学へ寄贈整備され『堺屋太一記念 東京藝術大学 美術愛住館』となった。

家族・親族

父である堤禎章は、東京帝国大学工学部を卒業し南満洲鉄道に勤務していた[1]。夫の堺屋太一こと池口小太郎は、東京大学経済学部を卒業して通商産業省に勤務するとともに小説家としても活躍し、小渕内閣では経済企画庁長官として入閣し、それ以来小渕第1次改造内閣、小渕第2次改造内閣、第1次森内閣、第2次森内閣まで務めた。

略歴

賞歴

著作

単著

共著

脚注

注釈

  1. ↑ 関東州大連市は、のちに中華民国を経て中華人民共和国に帰属し、遼寧省大連市となった。

出典

  1. 1 2 堺屋太一『堺屋太一が見た戦後七〇年七色の日本』朝日新聞出版、2015年。
  2. 1 2 3 4 「第27回損保ジャパン東郷青児美術館大賞受賞記念池口史子展――静かなる叫び」『池口史子展 | 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館』SOMPO美術館。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 「池口史子」『立軌会 | 池口 史子』立軌会。
  4. 1 2 「立軌会年譜」『立軌会 | 立軌会の概要と年譜』立軌会。
  5. 1 2 3 4 5 「受賞」『立軌会 | 池口 史子』立軌会。
  6. ↑ 「日本芸術院賞受賞者決定」『日本芸術院賞受賞者決定 :: 東文研アーカイブデータベース』東京文化財研究所、2015年11月20日。
  7. 1 2 3 「会員詳細」『【会員詳細】日本芸術院』日本芸術院。
  8. 1 2 池口史子「愛住館と私」『次回展覧会 | 美術愛住館』美術愛住館。
  9. 1 2 堺屋太一「美しく楽しい催しを――開館にあたりあらためて」『次回展覧会 | 美術愛住館』美術愛住館。
  10. ↑ 『官報』号外259号、令和6年11月5日
  11. ↑ “令和6年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2024年11月3日). 2024年11月5日閲覧。

関連人物

関連項目

外部リンク