琉球古典音楽
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琉球古典音楽
琉球古典音楽(りゅうきゅうこてんおんがく)は、琉球王国時代に王府の士族を中心として継承・発展した沖縄の伝統音楽であり[1]、琉球王国時代の宮廷音楽の総称とされている[2]。
14世紀末から15世紀に中国から伝来したとされる三線と密接に関わって発展し、三線を弾きながら歌う「歌三線」を中心とする[1]。伴奏には箏、笛、胡弓、太鼓なども用いられ、独立した音楽として演奏されるほか、組踊や琉球舞踊の音楽としても重要な役割を担う[1]。
現在は湛水流、安冨祖流、野村流の三流派が伝承されている[3]。2000年(平成12年)6月6日には、国の重要無形文化財「琉球古典音楽」に指定された[1]。

来歴と概要
[編集]琉球の歌・三線については、尚真王時代に活躍したとされる赤犬子をその始祖とする伝承がある。赤犬子は歌唱の名人とされ、『おもろさうし』巻八には、赤犬子が各地を巡って歌った、あるいは赤犬子を讃えたとされるおもろが収録されている[4]。
一方、琉球の三線は14世紀末から15世紀ごろに中国から伝来したとされ、当初は宮廷楽器として定着し、士族を中心に演奏された[1][2]。琉球王国では、中国から来琉した冊封使を歓待する芸能などと三線音楽が密接に結びつき、王府を中心とした芸能文化の中で発展した[5]。
17世紀には幸地賢忠(湛水親方)が、それまでの三線音楽の優れた技法をまとめて洗練させ、琉球古典音楽の基礎を築いたとされる[1]。18世紀には屋嘉比朝寄がその伝統にさらに改良を加えるとともに、三線音楽の楽譜を整備し、後代の工工四の基礎を形成した[1][6]。
屋嘉比の系統は豊原朝典を経て知念績高へと伝えられ、知念の弟子には安冨祖正元と野村安趙がいた[7]。安冨祖正元は1840年に『安冨祖工工四』を編纂したとされ[8]、一方、野村安趙は1867年に尚泰王の命を受けて工工四の再整備に着手し、1869年に弟子の松村真信らとともに新たな記譜様式による工工四を編纂した[9]。これらの師承や工工四の系統は、後の安冨祖流・野村流の形成へとつながった[7]。
1879年(明治12年)の琉球処分によって琉球王国が廃されると、王府の士族を中心として担われていた三線音楽を取り巻く社会的環境も変化した。王国崩壊後、琉球古典音楽は次第に民間へと広まり、沖縄の伝統音楽として定着していった[10]。
近代に入っても、王国時代の士族によって伝承された歌三線は各地で継承された。1936年(昭和11年)には東京の日本青年館で「琉球古典芸能大会」が開催され、この時期以降、こうした士族系統の歌三線に対して「琉球古典音楽」という呼称が用いられるようになったとされる[11]。また、20世紀には各流派で演奏団体の組織化や工工四、声楽譜などの整備が進められ、現在につながる伝承体制が形成された[12]。
1972年(昭和47年)には、湛水流・安冨祖流・野村流がそれぞれ「沖縄伝統音楽湛水流」「沖縄伝統音楽安冨祖流」「沖縄伝統音楽野村流」として沖縄県指定無形文化財に指定された[13]。さらに2000年(平成12年)6月6日、流派を横断する形で国の重要無形文化財「琉球古典音楽」が指定され、保持者の各個認定が行われている[1]。
流派と系統
[編集]現在、琉球古典音楽には湛水流、安冨祖流、野村流の三流派が伝承されている [3][14]。 一方、現在の三流派とは別に、成立過程には聞覚流や、屋嘉比朝寄の音楽を受け継ぐ「当流」と呼ばれた楽統が存在した[3]。
歴史上の流派・系統
[編集]聞覚流
[編集]照喜名聞覚は新里朝住に三線を学び、「聞覚流」を開いたとされる[15]。 その系譜は、幸地賢忠(湛水親方)から沢岻良沢、新里朝住を経て聞覚へと続くもので、聞覚の弟子には屋嘉比朝寄がいた[3]。
聞覚流については、その位置づけに異なる見方もある。 琉球古典音楽の実演家(野村流・湛水流)である山内盛彬は、聞覚流について、湛水以来の謡法に聞覚独自の技法が加えられたものであり、 「流派と呼ぶほどのものではなかった」としている。 また、聞覚の芸風は大宜味朝和に伝えられて家伝となり、 明治中頃まで残存した後、その一部が安冨祖流に吸収されたともされる。[16]
当流
[編集]屋嘉比朝寄は照喜名聞覚に師事し、聞覚から受け継いだ音楽に謡曲の唱法などを取り入れて改革を加え、それは後に「当流」と呼ばれるようになった [17][3]。 また、屋嘉比は三線の楽譜を整備し、後代の工工四の基礎となった[18]。
当流は屋嘉比から豊原朝典を経て知念績高へと継承された。 知念績高の弟子には安冨祖正元と野村安趙がおり [19]、 近代にはその後継者たちによって「安冨祖流」「野村流」の呼称が用いられるようになった[7]。
現存する流派
[編集]湛水流
[編集]1972年(昭和47年)12月28日、「沖縄伝統音楽湛水流」として沖縄県指定無形文化財に指定された[20]。 その音楽は「枯淡幽玄」と称される。 湛水流は、幸地賢忠(湛水親方)を祖とする流派である。 現在は《作田節》《ヂャンナ節》《首里節》《諸鈍節》《暁節》の昔節5曲と、《早作田節》《揚作田節》の揚出・下出を合わせた7曲9種が伝承されている [21][22]。
19世紀後半、琉球王国最後の国王である尚泰王は、湛水流音楽の保存・継承を図り、湛水流演奏者であった名護良保から山内盛熹、仲里朝規、喜舎場朝賢、仲吉良平らに湛水流を修得させた。 また1872年には、尚泰王の命を受けた松村真信が、名護良保の演奏をもとに『御拝領湛水流工工四』を編製した[23]。
このうち、名護良保から受け継いだ湛水流を次世代へ伝えたのは山内盛熹であり、その後の伝承は山内盛熹を介して複数の系統へと分かれた[23]。
系統・団体
[編集]山内盛熹は、廃藩後に越来間切山内へ移住したのち、喜納昌宗に湛水流を伝授し、喜納から中村孟順へと伝えられた。また、晩年には孫の山内盛彬へも伝えている。
- 琉球古典音楽湛水流保存会
- 1960年発足。山内盛熹から喜納昌宗を経て中村孟順へ伝えられた系統を継承する。中村孟順は世禮國男とともに1939年に『声楽譜附湛水流工工四』を出版した。この工工四は2024年時点で、同団体内において使用されている[23]。
安冨祖流
[編集]1972年(昭和47年)12月28日、「沖縄伝統音楽安冨祖流」として沖縄県指定無形文化財に指定された[25]。 その音楽は「深山幽谷」と称される。 安冨祖流は、知念績高に師事した安冨祖正元の系統を継承する流派である。 安冨祖正元は1840年に『安冨祖工工四』を編纂した。 琉球古典音楽の実演家(安冨祖流)・研究者でもある和田信一は、その序文などから、安冨祖が知念績高の風をまとめて同工工四を編纂したものと推定している[8]。
1867年、野村安趙は王命を受けて工工四の再整備に着手し、1869年に弟子の松村真信らとともに新たな記譜様式による工工四を編纂した。 一方、安室朝持はこの工工四ではなく、安冨祖正元から受け継いだ工工四を流派の基礎とし、1912年に工工四を編纂した。 和田信一は、この二つの工工四の系統が、後の安冨祖流と野村流の形成要因の一つになったとしている[9]。
面授口伝による伝習
[編集]安冨祖流では、従来用いられてきた工工四には三線の勘所と歌詞のみが記され、歌の音高を示す声楽譜は付されていない。 このため、歌唱の伝習は師匠の歌を模倣する面授口伝を基本としてきた[26]。 声楽譜の導入については長く議論が行われ、2007年には『琉球古典音楽安冨祖流工工四 声楽手様譜附教本』第1巻が刊行されたが、和田信一によれば、2020年時点でも広く普及しておらず、安冨祖流の規範とはなっていなかった[27]。
これに対し、野村流では1935年に世禮國男が伊差川世瑞の歌唱を記譜した『声楽譜附野村流工工四』が刊行され、その後、声楽譜を用いた伝習が一般化した[28]。
系統・団体
[編集]野村流
[編集]1972年(昭和47年)12月28日、「沖縄伝統音楽野村流」として沖縄県指定無形文化財に指定された[34]。その音楽は「大廈高楼」と称される。 野村流は、知念績高に師事した野村安趙を祖とする流派である。 1867年、野村安趙は尚泰王の命を受けて工工四の再整備に着手し、1869年に弟子の松村真信らとともに新たな記譜様式による工工四を編纂した。 この工工四は王命によって編纂されたことから、一般に『欽定工工四』と呼ばれている[9][35]。
近代には野村安趙の門下から複数の師承系統が形成された。1900年代初頭には、野村安趙の高弟である松村真信の門下と桑江良真の門下があり、1909年には松村門下が「野村風与那原音楽会」(現在の琉球古典音楽野村流松村統絃会)を発足させた[29]。1924年には桑江門下を中心として、伊差川世瑞を初代会長とする野村流音楽協会が発足した[29][36]。
声楽譜と伝習
[編集]1935年、伊差川世瑞と世禮國男は『聲楽譜附野村流工工四』を刊行した。 世禮は、三線の勘所と歌詞を記した従来の工工四に、歌の音高を工工四の譜字によって示す「声楽譜」を加え、師である伊差川世瑞の歌を採譜した[28][37][38]。
声楽譜はその後、野村流の伝習に広く用いられるようになった[28]。
系統・団体
[編集]- 琉球古典音楽野村流松村統絃会
- 野村安趙の高弟松村真信の門下を母体とし、1909年に「野村風与那原音楽会」として発足した[29]。その後、1960年(昭和35年)に「琉球古典音楽野村流松村統絃会」へ改称されたとされる。
- 野村流伝統音楽協会
- 1982年、野村流音楽協会の那覇・宮古・久米島各支部に所属していた有志によって発足した。同協会は、野村流の保存・継承とともに、幸地亀千代の功績を顕彰し、その歌風を継承することを設立目的の一つとしている[41]。
重要無形文化財「琉球古典音楽」保持者
[編集]保持者
[編集]過去の保持者
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 文化庁「琉球古典音楽」『国指定文化財等データベース』、2026年9月3日閲覧。
- 1 2 国立劇場おきなわ「三線音楽」『沖縄の伝統芸能』、2026年9月3日閲覧。
- 1 2 3 4 5 和田 2021, p. 4.
- ↑ “赤犬子”. 読谷村史編集室へようこそ. 2026年9月3日閲覧。
- ↑ 文化庁「歌と三線で紡ぐ沖縄のこころ、平和への祈り」『文化庁広報誌 ぶんかる』、2025年。
- ↑ 小学館『日本大百科全書』「工工四」項。
- 1 2 3 和田 2021, pp. 28–30.
- 1 2 和田 2021, pp. 16–19.
- 1 2 3 和田 2021, pp. 18–19.
- ↑ 遠藤, 美奈「ブラジルにおける琉球古典音楽の継承―沖縄からもたらされたそれぞれの「国際化」―」『移民研究』第8号、2012年、23-42頁、doi:10.24564/0002010114。
- ↑ 和田 2021, p. 3.
- ↑ 和田 2021, pp. 28–39.
- ↑ 沖縄県教育庁文化財課 2021, pp. 36, 38, 40.
- ↑ “野村流伝統音楽協会とは”. 琉球古典音楽野村流伝統音楽協会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “照喜名聞覚”. コトバンク. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 講談社. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “琉球古典音楽家列伝”. 節歌の読み方. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “屋嘉比朝寄”. コトバンク. 日本大百科全書. 小学館. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “工工四”. コトバンク. 日本大百科全書. 小学館. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “知念積高”. コトバンク. 日本大百科全書. 小学館. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ 沖縄県教育庁文化財課 2021, p. 36.
- ↑ 山内 2024, p. 133.
- ↑ “三線音楽公演「琉球古典音楽 湛水流の美」”. 国立劇場おきなわ (2010年2月27日). 2026年8月13日閲覧。
- 1 2 3 4 山内 2024, p. 134.
- ↑ 山内 2024, pp. 134–135.
- ↑ 沖縄県教育庁文化財課 2021, p. 40.
- ↑ 和田 2021, pp. 1, 5.
- ↑ 和田 2021, p. 5.
- 1 2 3 和田 2021, pp. 4–5.
- 1 2 3 4 5 和田 2021, p. 30.
- ↑ “安冨祖流とは?・参考文献”. 琉球古典音楽安冨祖流絃聲会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ 和田 2021, pp. 34–36.
- ↑ 和田 2021, p. 37.
- 1 2 和田 2021, pp. 37–39.
- ↑ 沖縄県教育庁文化財課 2021, p. 38.
- ↑ “野村流伝統音楽協会とは”. 琉球古典音楽野村流伝統音楽協会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “野村流音楽協会とは”. 琉球古典音楽野村流音楽協会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ 仲村 2010, pp. 83–103.
- ↑ “野村流音楽協会とは”. 琉球古典音楽野村流音楽協会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “野村流音楽協会とは”. 琉球古典音楽野村流音楽協会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “琉球古典音楽野村流保存会とは”. 琉球古典音楽野村流保存会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “野村流伝統音楽協会とは”. 琉球古典音楽野村流伝統音楽協会. 2026年8月13日閲覧。
- ↑ “琉球古典音楽”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2026年8月9日閲覧。
- ↑ “重要無形文化財「首里の織物」、「琉球古典音楽」保持者に各個認定(人間国宝)された祝嶺恭子氏、大湾清之氏の教育長挨拶”. 沖縄県公式ホームページ. 沖縄県 (2024年2月7日). 2026年8月9日閲覧。
- ↑ “沖縄市名誉市民”. 沖縄市公式ホームページ. 沖縄市. 2026年8月9日閲覧。
- 1 2 “文化財保護法”. e-Gov法令検索. 2026年8月9日閲覧。
- ↑ “人間国宝の照喜名朝一さん死去 90歳 琉球古典音楽”. 沖縄タイムス. 2022年9月10日. 2026年8月9日閲覧.
参考文献
[編集]- 和田, 信一『琉球古典音楽安冨祖流における演奏理論と実践の研究―金武良仁の録音記録とその音声分析から―』(博士(芸術学)論文)沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科、2021年。2026年8月13日閲覧。
- 仲村, 善信「琉球古典音楽の理解の仕方(野村流)」『地域研究』第7号、沖縄大学地域研究所、2010年、83-103頁、doi:10.34415/00000406。
- 山内, 昌也「琉球古典音楽「湛水流」楽曲分析―7曲9種の独自性―」『沖縄県立芸術大学紀要』第32号、沖縄県立芸術大学、2024年、133-148頁。
- 沖縄県教育庁文化財課『みんなの文化財図鑑―無形文化財・民俗文化財編―』沖縄県教育委員会、2021年。2026年8月13日閲覧。
関連項目
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