田付流(たつけりゅう)は、日本の砲術の流派のひとつ。

開祖は近江国出身の田付景澄。徳川家康に召し抱えられ、幕末まで代々江戸幕府鉄砲方として勤めた。国産の火縄銃を扱う外記流の井上家に対し、田付流は主に外国産の火縄銃や大筒を担当した。江戸時代初期は500石の旗本で、3代目田付景利からは火付盗賊改方も兼任する。

田付流の火縄銃は銃床が直線に切断されている特徴がある。

田付流(兵庫助・四郎兵衛)歴代当主

江戸田付・大田付とも称される。[1][2][3]

田付流(左太夫)歴代当主

大垣藩田付流・小田付とも称される。[8]

田付流砲術書

脚注

  1. ↑ 日置昌一『日本系譜総覧』 1973
  2. ↑ 『大武鑑』
  3. ↑ 『寛政重修諸家譜』
  4. ↑ 『日本系譜総覧』では景治までを兵庫助と表記。
  5. ↑ 四郎兵衛家を継ぐ前は「圓方」だが、「方圓」とする書もある。
  6. ↑ 田付新兵衛某は田付景澄の弟。景治と景利は従弟。
  7. ↑ 田付又四郎『田付又四郎先祖書』 筑波大学附属中央図書館所蔵 寛政11年(1799年)10月
  8. ↑ 大垣市 編『大垣市史(通史編 自然・原始~近世)』 2013
  9. ↑ 二男は近江商人の田付新助景豊であるが、武士の身分を捨てた田付新助景豊を除いて、正景を次男とする書もある。
  10. ↑ 大垣市 編『大垣市史(中巻)』 1930
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