| 竹内流捕手腰廻小具足 たけのうちりゅうとりて こしのまわりこぐそく | |
|---|---|
| 発生国 |
|
| 発祥地 | 美作国(現在の岡山市北区建部町角石谷) |
| 発生年 |
戦国時代 天文元年(1532年)6月24日 |
| 創始者 | 竹内中務大輔源久盛 |
| 派生流派 | 竹内畝流、呑敵流、双水執流、力信流、片山伯耆流、竹内三統流、竹之内判官流、風伝流、専当一心流、天然理心流、竹内流備中伝、高木流 |
| 主要技術 | 捕手、小具足、羽手、捕縄、拳法、剣法、抜刀、棒、薙刀、殺活法 |
| 公式サイト | 竹内流相伝家 |
| 伝承地 | 岡山県、広島県 |
竹内流(たけのうちりゅう)、は、日本武術の流派。歴史を遡る事が出来る最古の日本柔術の流派と言われている。正式名称は「竹内流捕手腰廻小具足(たけのうちりゅうとりてこしのまわりこぐそく)」という。捕手と腰之廻小具足を中心に成立し、捕手術、羽手、小具足、捕縄術、棒術、剣術、居合、十手、薙刀などの総合的な技術を今に伝える。
1532年(天文元年)美作国一ノ瀬城主の竹内中務大輔源久盛によって創始された流派である。流祖は中世から戦国時代に垪和を拠点とした垪和氏の竹内久盛である。以降三代にわたって体系化され流儀の完成に至った。
1836年(天保7年)八代目の竹内久愛が45歳の若さで亡くなったが子の竹内久雄と竹内久種はまだ若く、流儀を究めるのが難しかった。この時、淡州で武術指南を行なっていた7代目竹内久孝から印可を授かった高弟の池内雅門太が竹内道場へと呼び戻された。池内雅門太は竹内家のために藩主から許しを得て、竹内久雄と竹内久種に指導を行った。
これにより、池内雅門太は竹内姓を授かって九代目竹内藤一郎久居を襲名した。その後、竹内久雄が十代目を継ぎ弟の竹内久種は流儀断統を防ぐために立てられた分家の当主となり竹内藤十郎を名乗った。この時に相伝家が生まれ当主は竹内藤十郎を襲名するようになった。
現在は、宗家である竹内藤一郎家と相伝家である竹内藤十郎家の伝承が残っており、岡山市北区建部町角石谷にある竹内家で伝承されている。現存している柔術流派の中では最も古い文献や記録が残っているため、日本柔術現存最古の流派と言われる事が多い。
流祖、竹内久盛の時代は捕手五ヶ条、腰之廻二十五ヶ条、迅縄七ケ条、殺活だけだった。
二代目、竹内久勝が必勝五ヶ条、八ヶ条極意を竹内流に加え[2]、さらに三代目の竹内久吉が腰之廻裏五十四ケ条、小裏十五ヶ条、裏極意五ヶ条等を加えて竹内流の基礎を確立したとされる[2]。
1532年の創始の際に編み出された神伝捕手五ヶ条は、現在も秘伝として伝えられている。
竹内流では一般で言う柔術の事を羽手(はで)と称する。
竹内流編纂委員会編纂の『新装増補版 日本柔術の源流 竹内流』記載の技の名称を、次のように記している[3]
竹内流の師範と著名な門人は以下の通りである。
宗家
相伝家

日本の多くの武術流派に影響を与えて来た流派であり、この流派からは多くの分派支流が派生している。 以下に竹内流から派生した流派の一覧を示す。これらの流派以外にも多くの流派が竹内流から派生、または影響を受けている。
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