1792年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
| 十年紀: | 1770年代 1780年代 1790年代 1800年代 1810年代 |
| 年: | 1789年 1790年 1791年 1792年 1793年 1794年 1795年 |
1792年(1792 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]



- 1月9日 - 露土戦争: ヤッシーの講和により終戦。ロシア帝国がクリミア併合を承認させ、黒海沿岸の覇権を確立[1]。
- 2月7日 - オーストリア(レオポルト2世)とプロイセン王国(フリードリヒ・ヴィルヘルム2世)が対仏軍事同盟を締結し、対仏包囲網を形成[2]。
- 3月16日 - スウェーデン国王グスタフ3世が仮面舞踏会で狙撃され、3月29日に死去(反革命十字軍の結成構想が頓挫)[3]。
- 3月23日 - フランス国王ルイ16世、対外強硬派のジロンド派内閣を任命[4]。
- 4月20日 - フランス革命戦争勃発:フランス立法議会がオーストリア(フランツ2世)へ宣戦布告[5]。
- 4月25日
- 工兵大尉ルージェ・ド・リールが「ライン軍のための軍歌」(後の国歌『ラ・マルセイエーズ』)を作詞作曲[6]。
- パリで、受刑者の苦痛軽減と身分平等を期して採用されたギロチンによる初の死刑執行[7]。
- 5月17日 - 米国ウォール街で24人の仲買人がすずかけ協定に調印(ニューヨーク証券取引所の発祥)[8]。
- 5月18日 - ポーランド・ロシア戦争勃発:ロシア軍が侵攻[9]。
- 5月21日(寛政4年4月1日) - 肥前国で雲仙岳噴火に伴う眉山崩壊により有明海で津波が発生(島原大変肥後迷惑、死者1万5000人以上)[10]。
- 6月1日 - ケンタッキー州がアメリカ合衆国第15番目の州に昇格[11]。
- 7月5日(寛政4年5月16日) - 江戸幕府老中松平定信、海防の不備を説いた仙台藩士林子平の著書『海国兵談』『三国通覧図説』を発禁・板木没収とし、子平を蟄居処分に処す[12]。
- 7月11日 - フランス立法議会が「祖国は危機にあり!」の非常事態宣言を布告し、全国から義勇兵がパリに集結[13]。
- 7月25日 - オーストリア・プロイセン連合軍司令官ブラウンシュヴァイク公が、パリ市民に対し王室危害への報復威嚇宣言(ブラウンシュヴァイクの宣言)を発令。
- 8月10日 - 8月10日事件:パリの民衆(サン・キュロット)と義勇兵がテュイルリー宮殿を襲撃。立法議会が王権を停止し、国王一家をタンプル塔に幽閉[14]。
- 9月2日 - 九月虐殺:反革命の恐怖に駆られたパリ市民が、監獄内の囚人や反革命容疑者を虐殺[15]。
- 9月20日
- 9月21日 - 男子普通選挙による国民公会が招集され、王制廃止を決議[18]。
- 9月22日 - フランス国民公会がフランス第一共和政樹立を宣言(後に共和国暦第1年第1日と規定)[19]。
- 10月9日(寛政4年8月23日) - 江戸幕府、昌平坂学問所(旧・湯島聖堂)で旗本・御家人を対象とする官吏登用試験「学問吟味」を初実施[20]。
- 10月12日 - 米国で初のコロンブス・デー(新大陸到達300周年記念)[21]。
- 10月13日 - 米国の新首都ワシントンD.C.で大統領官邸(後のホワイトハウス)の建設着工[22]。
- 10月18日(寛政4年9月3日) - ロシア使節アダム・ラクスマンが蝦夷地根室沖に来航(10月20日入港)。伊勢の漂流民大黒屋光太夫らを送還し通商を要求[23]。
- 11月6日 - ジュマップの戦い:フランス軍がオーストリア軍を破り、オーストリア領ネーデルラント(ベルギー)を占領[24]。
- 11月19日 - フランス国民公会、他国の人民への革命支援・対外進出を明記した友愛と援助の布告を採択[25]。
- 12月3日 - 米大統領選挙で現職ジョージ・ワシントンが満場一致で再選[26]。
- 12月25日(寛政4年11月12日) - 尊号一件:光格天皇の実父閑院宮典仁親王への「太上天皇」尊号授与を巡り、老中松平定信が拒絶を通告[27]。
- 12月26日 - フランス国民公会で前国王ルイ16世の公判の最終弁論が行われる[28]。
- 月日不明 - イギリスのメアリ・ウルストンクラフトが『女性の権利の擁護』を刊行。近代フェミニズムの先駆的著作となる[29]。
誕生
[編集]→「Category:1792年生」も参照
- 2月17日 - カール・エルンスト・フォン・ベーア[30]、ドイツの動物発生学者(+ 1876年)
- 2月19日 - ロデリック・マーチソン[31]、イギリスの地質学者(+ 1871年)
- 2月29日 - ジョアキーノ・ロッシーニ[32]、イタリアの作曲家(+ 1868年)
- 3月7日 - ジョン・ハーシェル[33]、イギリスの天文学者(+ 1871年)
- 3月15日(寛政4年2月23日) - 本居内遠[34]、国学者(+ 1855年)
- 3月 - 源伴存(畔田翠山[35])、博物学者(+ 1859年)
- 4月2日 - フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル[36]、コロンビアの政治家、軍人(+ 1840年)
- 4月25日 - 中島広足[37]、国学者、歌人(+ 1864年)
- 5月13日 - ピウス9世[38]、ローマ教皇(+ 1878年)
- 5月15日 - ジャコブ・マイエール・ド・ロチルド、銀行家 • 貴族(+ 1868年)
- 5月18日 - マーガレット・アン・ネーヴ、女性初の確証あるスーパーセンテナリアン (+ 1903年)
- 5月21日 - ガスパール=ギュスターヴ・コリオリ[39]、フランスの物理学者、工学者、コリオリの力の提唱者(+ 1867年)
- 7月10日 - フレデリック・マリアット[40]、イギリスの海軍士官、小説家(+ 1848年)
- 8月4日 - パーシー・ビッシュ・シェリー[41]、イギリスの詩人(+ 1822年)
- 8月18日 - ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)[42]、イギリス首相(+ 1878年)
- 8月22日(乾隆57年7月5日) - 龔自珍[43]、清の学者(+ 1841年)
- 9月27日 - ジョージ・クルックシャンク[44]、イギリスの風刺画家、挿絵画家(+ 1878年)
- 10月3日 - フランシスコ・モラサン[45]、中央アメリカ連邦共和国の大統領(+ 1842年)
- 11月28日 - ヴィクトル・クザン[46]、フランスの哲学者(+ 1867年)
- 12月1日 - ニコライ・ロバチェフスキー[47]、ロシアの数学者(+ 1856年)
- 12月5日 - アンドレス・デ・サンタ・クルス[48]、ボリビアの軍人、政治家(+ 1865年)
- 12月6日 - ウィレム2世[49]、オランダ王(+ 1849年)
- 12月12日 - アレクサンドル・イプシランティ[50]、ギリシア独立運動の指導者(+ 1828年)
- 月日不詳 - 飯岡助五郎[51]、博徒(+ 1859年)
- 月日不詳 - 菊岡検校[52]、地歌箏曲家(+ 1847年)
- 月日不詳 - 沼田順義[53]、国学者(+ 1850年)
死去
[編集]→「Category:1792年没」も参照
- 2月12日(寛政4年1月20日) - 久村暁台(加藤暁台[54])、俳人(* 1732年)
- 2月23日 - ジョシュア・レノルズ[55]、イギリスの肖像画家(* 1723年)
- 2月23日(寛政4年2月2日) - 龍草廬[56]、漢詩人(* 1714年)
- 3月1日 - レオポルト2世[57]、神聖ローマ皇帝(* 1747年)[58]
- 3月3日 - ロバート・アダム[59]、スコットランドの建築家(* 1728年)
- 3月10日 - 第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアート[60]、スコットランド出身の政治家(* 1713年)
- 3月29日 - グスタフ3世[61]、スウェーデン王(* 1746年)
- 6月4日 - ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツ[62]、ドイツの詩人、劇作家(* 1751年)
- 7月18日 - ジョン・ポール・ジョーンズ[63]、大陸海軍およびロシア帝国海軍の提督(* 1747年)
- 8月3日 - リチャード・アークライト[64]、イギリスの発明家、水力紡績機を発明(* 1732年)
- 8月4日 - ジョン・バーゴイン[65]、イギリスの将軍(* 1722年)
- 8月5日 - フレデリック・ノース[66][67]、イギリスの政治家(* 1732年)
- 8月13日(寛政4年6月26日) - 河村秀根[68]、国学者(* 1723年)
- 9月25日 - ジャック・カゾット[69]、フランスの小説家(* 1719年)
- 10月7日 - ジョージ・メイソン[70]、アメリカの政治家(* 1725年)
- 10月28日 - ジョン・スミートン[71]、イギリスの土木工学者(* 1724年)
- 12月12日 - デニス・フォンヴィージン[72]、ロシアの劇作家(* 1745年?)
- 月日不詳 - ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ[73][74]、アラビアのイスラム復古主義者(* 1703年)
脚注
[編集]- ↑ 『ヤシ条約』 - コトバンク
- ↑ 『対仏大同盟』 - コトバンク
- ↑ 『グスタフ3世』 - コトバンク
- ↑ 『ジロンド派』 - コトバンク
- ↑ 『フランス革命史』 - コトバンク
- ↑ 『ラ・マルセイエーズ』 - コトバンク
- ↑ 『ギロチン』 - コトバンク
- ↑ 『ニューヨーク証券取引所』 - コトバンク
- ↑ 『ポーランド分割』 - コトバンク
- ↑ 『島原大変肥後迷惑』 - コトバンク
- ↑ 『ケンタッキー州』 - コトバンク
- ↑ 『海国兵談』 - コトバンク
- ↑ 『フランス革命』 - コトバンク
- ↑ 『八月十日事件』 - コトバンク
- ↑ 『九月虐殺』 - コトバンク
- ↑ 『ヴァルミーの戦い』 - コトバンク
- ↑ 『立法議会』 - コトバンク
- ↑ 『国民公会』 - コトバンク
- ↑ 『第一共和政』 - コトバンク
- ↑ 『昌平坂学問所』 - コトバンク
- ↑ 『コロンブスデー』 - コトバンク
- ↑ 『ホワイトハウス』 - コトバンク
- ↑ 『ラクスマン』 - コトバンク
- ↑ 『デュムーリエ』 - コトバンク
- ↑ 前川貞次郎『フランス革命史研究』創文社、1956年、248頁。
- ↑ “United States presidential election of 1792”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月17日閲覧。
- ↑ 『尊号事件』 - コトバンク
- ↑ 『ルイ16世』 - コトバンク
- ↑ 『ウルストンクラフト』 - コトバンク
- ↑ 『ベーア』 - コトバンク
- ↑ 『マーチソン』 - コトバンク
- ↑ 『ロッシーニ』 - コトバンク
- ↑ 『ハーシェル』 - コトバンク
- ↑ 『本居内遠』 - コトバンク
- ↑ 『畔田翠山』 - コトバンク
- ↑ 『サンタンデル』 - コトバンク
- ↑ 『中島広足』 - コトバンク
- ↑ Pius-IX - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『コリオリ』 - コトバンク
- ↑ 『マリヤット』 - コトバンク
- ↑ 『シェリー』 - コトバンク
- ↑ 『ラッセル』 - コトバンク
- ↑ 『龔自珍』 - コトバンク
- ↑ 『クルックシャンク』 - コトバンク
- ↑ 『モラサン』 - コトバンク
- ↑ 『クーザン』 - コトバンク
- ↑ 『ロバチェフスキー』 - コトバンク
- ↑ 『サンタ・クルス』 - コトバンク
- ↑ William-II-king-of-The-Netherlands - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『イプシランディス』 - コトバンク
- ↑ 『飯岡助五郎』 - コトバンク
- ↑ 『菊岡検校』 - コトバンク
- ↑ 『沼田順義』 - コトバンク
- ↑ 『加藤暁台』 - コトバンク
- ↑ 『レイノルズ』 - コトバンク
- ↑ 『竜草廬』 - コトバンク
- ↑ 『レオポルト2世』 - コトバンク
- ↑ セレスタン・ギタール著 レイモン・オベール編 河盛好蔵監訳『フランス革命下の一市民の日記』中央公論社、昭和55年2月15日、p.86
- ↑ Robert-Adam - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『ビュート伯』 - コトバンク
- ↑ 『グスタフ』 - コトバンク
- ↑ 『レンツ』 - コトバンク
- ↑ 『ジョーンズ』 - コトバンク
- ↑ 『アークライト』 - コトバンク
- ↑ 『バーゴイン』 - コトバンク
- ↑ 『ノース卿』 - コトバンク
- ↑ Frederick-North-Lord-North-of-Kirtling - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『河村秀根』 - コトバンク
- ↑ 『カゾット』 - コトバンク
- ↑ 『メーソン』 - コトバンク
- ↑ 『スミートン』 - コトバンク
- ↑ 『フォンビージン』 - コトバンク
- ↑ 『ムハンマドブンアブドアルワッハーブ』 - コトバンク
- ↑ Muhammad-ibn-Abd-al-Wahhab - ブリタニカ百科事典