ボイド照明
ボイド照明(ボイドしょうめい)は、夜間の街路に接する建物間の隙間、路地、空地、駐車場、建物の奥まった入口などを、歩行者がその形状や奥行き、周囲とのつながりを認識できるように、主観的空間輪郭を促進するための照明手法である。ここでいう「ボイド」は、街路に面して存在する奥まった空間を指す。ぼんぼり光環境計画の角舘政英と日本大学の関口克明らが横浜市の元町仲通りで進めた街路の光環境研究において検討され、後に岩手県大野村や岐阜県白川村平瀬地区などの実地研究へ展開した[1][2][3]。
概念
ボイド照明は、街路の路面に必要な光を確保するだけでなく、歩行者の視野に入る街路周辺の空間を照明計画の対象に含める考え方に基づく。初期の研究では、街路に面する奥まった空間について、「奥まで見えるか」「輪郭を把握できるか」「人が隠れていそうか」などを歩行者に評価してもらい、空間の見通しと不安感との関係を調べた。光源を置く位置によっては、照明そのものが見えても奥の様子は分からず、期待した評価の変化が得られない場合がある。したがって、器具を設置すること自体より、歩行者から空間の構成、主観的空間輪郭が読み取れるようにすることが計画上の要点となる[1][4]。 東京都市大学の小林茂雄研究室も、ボイド照明を、建物間の隙間や空地など都市の暗がりのうち、空間認知に必要な部分を選択的に照らす照明として説明している[5]。街路に接する空間の形や利用状況は場所によって異なるため、個々のボイドの見通し、街路との境界、既存の門灯や店舗からの光などを調べた上で照明を配置する。これらの概念は後のライティングアーバニズム、現代の環境照明史へと展開する。
主観的空間輪郭
研究の経緯と実践例
横浜市元町仲通り
元町仲通りは、この研究系列でボイドの認知と照明配置を検討した初期の対象地である。角舘、関口らによる2000年公表の一連の研究では、横浜市中区の元町仲通りなどで、路面の明るさに加えて街路周辺の空間に対する歩行者の不安を調査した。元町仲通りについては、建物間の隙間、店舗脇、裏口、駐車場などをボイドとして記録し、奥の見え方や人の気配に関する評価を行った。研究では、路地や建物間の隙間のように既存の防犯灯の光が届きにくい場所について、奥まで見えるように光源を配置する必要性が論じられた[1][6]。 同研究系列では、1999年12月に元町仲通りの現況と防犯灯を消灯した状態を比較している。報告では、この通りは住宅と店舗が混在し、店舗などから漏れる光も街路に達していたため、防犯灯の消灯だけでは調査対象としたボイドの印象評価に差が見られなかった。一方、この結果を防犯灯が一般に不要であることの根拠とはせず、街路と沿道の建物との関係に応じて照明を検討する必要があるとした[1]。 続いて、2000年11月3日・4日に行われた元町仲通りのイベントでは、住民と学生が参加するワークショップ形式で現地実験が実施された。既存の門灯や玄関灯に加え、街路に面するボイドに仮設のあんどんを置き、防犯灯を消灯した状態で照度を測定するとともに、学生と住民が18か所のボイドを評価した。2001年に発表された論文では、あんどん設置後は全体として不安感が減少する傾向が報告され、評価の変化には空間全体や輪郭の把握しやすさが関係していた。一方、光源が街路寄りに置かれて奥の見通しが改善しなかった場所では、不安感の軽減に寄与しなかったと考察されている[2][4]。 さらに、元町仲通りを含む性格の異なる横浜市内の5街路を比較した研究では、106か所のボイドを対象に空間の形状や照明の有無などを分類し、街路歩行時の不安感との関係を調べた。同論文は、元町仲通りの実験で、あんどん設置時の平均水平面照度が現況より低かったにもかかわらず、不安感の評価が改善したことを報告している。これは当該実験で得られた評価であり、あらゆる街路で照度を下げれば同じ結果になることを示すものではない[7]。
岩手県大野村
元町仲通りなどで得られた知見は、岩手県大野村(現・洋野町)を対象とする研究にも用いられた。小林憲治、関口らは、街路の周辺にあるボイドを認識しやすくする光、歩道の段差や溝に対応するフットライト、地域の建造物や自然物を見せる光を配置し、現況と実験時の光環境を比較した。22か所のボイドについて住民と学生が評価し、実験後には住民42人へのアンケートも行った[8]。 この報告では、多くのボイドで不安感の評価が改善した一方、間口が広く奥行きがない場所や奥行きが深い場所では改善しない例もあった。また、実験時の路面照度は現況より全体として低かったが、明暗の差は小さくなったと報告している。住民アンケートでは実験時を明るいと感じた回答が多かったものの、より明るい照明を望む回答もあった[8]。翌年には、大野村のまちづくり整備を対象とした研究が照明学会全国大会で発表された[9]。
岐阜県白川村平瀬地区
後年、小林茂雄、角舘政英、名取大輔は、岐阜県白川村平瀬地区の街路に隣接する空地の見通しを対象に、照明の提案と現地実験を行った。論文では、夜間には街路沿いの空地を認識しにくいことを確認した上で、約250メートルの範囲にある各空地の縁に照明を設置した。実験時は従来の照明環境より光束量と照度が低い一方、街路周辺の見通しが向上し、歩行時の危険に関する評価が低下したと報告された。効果は、土地について事前の知識を持たない観光客に対して、より大きかったという[3]。この研究を発表した小林茂雄は、元町仲通りの研究論文に名を連ねる日本大学の小林憲治とは別の研究者であり、論文発表当時は武蔵工業大学に所属していた[2][3]。
茨城県大洗町
大洗町の「大洗まちあかり散策マップ」では、地域の照明方針の一つとしてボイド照明が挙げられ、街路の凹部を認識できるようにする照明と説明されている。これは元町仲通りや平瀬地区の実験論文とは異なり、地域の照明計画を説明する資料である[10]。
主な関連論文
- 角舘政英、関口克明ほか「街路空間の光環境の在り方に関する研究」2000年。元町仲通りを含む初期の調査と、ボイドの認知を踏まえた照明配置の検討を収録。[1]
- 角舘政英、関口克明、合田奈緒子、下平裕之、鈴木清久「『街路空間の光環境の在り方』に関する研究―その4. まちづくりとしての光環境整備の提言」『照明学会誌』84巻Appendix号、151–152頁、2000年。[6]
- 小林憲治、鈴木清久、関口克明、角舘政英、下平裕之「『街路空間の光環境の在り方』に関する研究―その5. あんどん設置による光環境の変化について」『照明学会誌』85巻Appendix号、129–130頁、2001年。[2]
- 鈴木清久、小林憲治、関口克明、角舘政英、下平裕之「『街路空間の光環境の在り方』に関する研究―その6. ボイドの空間的要素と街路評価」2001年。[7]
- 小林憲治、関口克明、角舘政英、鈴木清久、野中太郎、川島勇「街路照明における空間認知に関する基礎的検討」2002年。岩手県大野村における実地実験を扱う。[8]
- 角舘政英ほか「周辺部を考慮した夜間街路の光環境に関する研究―岩手県大野村まちづくり整備―」『照明学会全国大会講演論文集』、2003年。[9]
- 小林茂雄、角舘政英、名取大輔「街路に隣接する空地の見通しを高めた屋外照明の提案―岐阜県白川村の平瀬地区を対象として―」『日本建築学会環境系論文集』72巻621号、1–7頁、2007年。[3]
関連項目
主要関連
/環境照明史 /レジリエント照明 /照明性能計画 /ライティング・アーバニズム /まちあかり /あかりからのまちづくり /あかりクラスター
都市建築系
/景観 /都市計画 /建築計画 /都市環境 /まちづくり
照明系
/照明 /街路灯 /防犯灯 /光害 /環境照明 /ライトアップ /一戸一灯運動 /光害 /景観照明 /誘導照明 /防犯適応照明(防犯性に合わせたあかりの調整)
/ボイド照明 /危険予測照明 /歩行性能照明 /歩行最小限照明 /窓あかり(防犯・機能的な視点) /あかり観光クラスター /あかり拠点 /ボーダレス・ライティング(敷地境界を無くすあかり) /あかり拠点
環境心理系
/主観的空間輪郭 /主観的輪郭 /ガエタノ・カニッツァ /環境心理 /環境心理学
防災系
/防災照明 /非常灯 /非常口 /フェーズフリー /レジリエンス /防犯環境設計 /避難経路 /避難誘導 /防犯適応照明(防犯性に合わせたあかりの調整)
関連
/照明学会 /建築学会 /土木学会 /日本大学理工学部 /東京都市大学 /東日本大震災 /復興まちづくり /避難誘導 /避難経路 /防災計画 /東日本大震災 /三陸沖地震 /宮城県気仙沼 /岩手県釜石 /小林茂雄 /角舘政英 /ぼんぼり光環境計画
脚注
- 1 2 3 4 5 角舘政英、関口克明ほか (2000年). “街路空間の光環境の在り方に関する研究” (PDF). 角舘政英光環境計画. 2026年9月21日閲覧。
- 1 2 3 4 小林憲治、鈴木清久、関口克明、角舘政英、下平裕之「「街路空間の光環境の在り方」に関する研究―その5. あんどん設置による光環境の変化について」『照明学会誌』第85巻Appendix、2001年、129–130頁、doi:10.2150/jieij1980.85.Appendix_129。
- 1 2 3 4 小林茂雄、角舘政英、名取大輔「街路に隣接する空地の見通しを高めた屋外照明の提案―岐阜県白川村の平瀬地区を対象として―」『日本建築学会環境系論文集』第72巻第621号、2007年、1–7頁、doi:10.3130/aije.72.1_11。
- 1 2 小林憲治、鈴木清久、関口克明、角舘政英、下平裕之 (2001年). “「街路空間の光環境の在り方」に関する研究―その5. あんどん設置による光環境の変化について―” (PDF). 2026年9月21日閲覧。
- ↑ “都市照明研究30年の展開”. 東京都市大学建築学科小林研究室. 2026年9月21日閲覧。
- 1 2 角舘政英、関口克明、合田奈緒子、下平裕之、鈴木清久「「街路空間の光環境の在り方」に関する研究―その4. まちづくりとしての光環境整備の提言」『照明学会誌』第84巻Appendix、2000年、151–152頁、doi:10.2150/jieij1980.84.Appendix_151。
- 1 2 鈴木清久、小林憲治、関口克明、角舘政英、下平裕之 (2001年). “「街路空間の光環境の在り方」に関する研究―その6. ボイドの空間的要素と街路評価―” (PDF). 2026年9月21日閲覧。
- 1 2 3 小林憲治、関口克明、角舘政英、鈴木清久、野中太郎、川島勇 (2002年). “街路照明における空間認知に関する基礎的検討” (PDF). 2026年9月21日閲覧。
- 1 2 角舘政英ほか「周辺部を考慮した夜間街路の光環境に関する研究―岩手県大野村まちづくり整備―」『照明学会全国大会講演論文集』2003年、doi:10.11515/ieijac.36.0.67.0。
- ↑ “大洗まちあかり散策マップ” (PDF). pp. 5–6. 2026年9月21日閲覧。