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| 「ミス仙台[※ 1]」 | |
|---|---|
| 二葉あき子 の シングル | |
| B面 |
躍進宮城[※ 2] (歌:櫻井健二) |
| リリース | |
| 規格 |
レコード(10インチ≒25cm) (78回転、SPレコード) |
| 録音 | 1936年(昭和11年)6月6日 |
| ジャンル | 新民謡(流行歌) |
| 時間 | |
| レーベル | コロムビア |
| 作詞・作曲 |
作詞:西條八十 作曲:古關裕而 編曲:奥山貞吉 |
| 「ミス仙台」 | |
|---|---|
| 二葉あき子 の シングル | |
| B面 |
宮城音頭[※ 4] (歌:赤坂小梅、筑波一郎) |
| リリース | |
| 録音 | 1936年(昭和11年)6月6日 |
| 時間 | |
| レーベル | コロムビア |
| 「ミス仙台」 | |
|---|---|
| (二代目)コロムビア・ローズ の シングル | |
| B面 |
宮城音頭[※ 6] (歌:花村菊江、中村渉) |
| リリース | |
| 規格 |
レコード(7インチ≒17cm) (45回転、ドーナツ盤) |
| 時間 | |
| レーベル | コロムビア |
| 「ミス仙台」 | |
|---|---|
| 島倉千代子 の シングル | |
| B面 |
七夕おどり[※ 8] (歌:島倉千代子) |
| リリース | |
| 規格 |
レコード(7インチ≒17cm) (45回転、ドーナツ盤) |
| 時間 | |
| レーベル | コロムビア |
| 作詞・作曲 | 編曲:山路進一[5] |
ミス仙台(ミスせんだい)は、宮城県仙台市の新民謡(ご当地ソング)として、1936年(昭和11年)に西條八十が作詞し、古関裕而が作曲した流行歌。通称「仙台小唄」。
歌い出しの「森の都の花乙女」により、仙台の雅称「杜の都」を世に広めた。
仙台において二葉あき子(当時21歳)の歌唱でヒットし、戦中・戦後は青春の歌として会合や酒宴で出席者が一緒に歌う愛唱歌となった。高度経済成長期には支店経済都市となった仙台に異動してきた転勤族らにも(二代目)コロムビア・ローズ(当時18歳)の歌唱で親しまれた。安定成長期に入ると島倉千代子(当時36歳)の歌唱で「七夕おどり」と共に盆踊り曲としても浸透した。誕生から約80年が経ち、歌詞に描かれた仙台と現在の仙台との間にズレが生じているが、仙台七夕のBGMの定番として今も親しまれている。
1930年代半ば当時の仙台の四季の様子を織り交ぜながら、恋の思い出を表現した新民謡の流行歌であり、歌詞は七五調(繰り返される「仙臺、仙臺、なつかしや」は八・五で字余り)、曲は4分の4拍子、変ロ長調のヨナ抜き音階(日本民謡の長調でみられる五音音階)で作られている。
1936年(昭和11年)、二葉あき子(当時21歳)の歌唱で初めて発売。当時のシングルは電気録音やシェラック製の78回転SPレコードがデファクトスタンダードになっていたため、『ミス仙台』は10インチSPレコードの片面のほぼ最大録音時間である3分30秒[1]の演奏時間だった。伴奏では、1小節に8つの8分音符のうち、表打ちとなる4つの下拍(ダウンビート)には単音のベースライン、裏打ちとなる4つの上拍(アップビート)には和音が配され、軽快なリズムとなっている。また、間奏でのソロや助奏が管楽器になっている。
二葉はデビューしてからヒット曲に恵まれないまま、17作目に『ミス仙台』を発売した。そんな無名歌手の曲ながら、『ミス仙台』は仙台市や宮城県でヒットした[※ 10]。そのため、『ミス仙台』の曲をそのままに、西條が新たに作詞した「乙女十九」が作られ、やや速いテンポで二葉が歌い(演奏時間:3分22秒[6])、『ミス仙台』の発売から半年後の1937年(昭和12年)1月に発売された。これが二葉にとって初の全国ヒットとなった[※ 11]。なお、『ミス仙台』の替え歌の「水府望郷歌」(水戸小唄)が、(旧制)水戸高等学校時代から茨城大学で歌い継がれている。
1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が始まると、レコードの原料のシェラックが不足するようになり、『ミス仙台』は1943年(昭和18年)3月に廃盤となった。また、戒厳下の東京で制作され、検閲(参照)も受けて発売された『ミス仙台』だったが、敵性語が含まれていたため、戦時中から戦後占領期までは「仙台小唄」との通称でも呼ばれたとされる。しかし占領期も終わりに近付き、原盤を用いて1951年(昭和26年)1月に『ミス仙台』が再び発売されると、通称は廃れた。
高度経済成長期の1962年(昭和37年)11月には(二代目)コロムビア・ローズ(当時18歳)が、オイルショックによる狂乱物価最中の1974年(昭和49年)7月には島倉千代子(当時36歳)が『ミス仙台』をカバーして発売した。島倉のバージョンでは、二葉のオリジナルと比べてテンポが遅く、歌い方もこぶしを多用する演歌風になっている。また、伴奏では裏打ちとなる4つの上拍(アップビート)が強調されず、間奏でのソロや助奏も木琴に替わっている。なお、当時のシングルはビニール製の45回転ドーナツ盤(片面の最大録音時間は5分〜8分)がデファクトスタンダードになっていたため、演奏時間が3分46秒[5]の島倉のバージョンでも収録可能だった(2004年3月31日発売の島倉の全集CDにおける演奏時間は3分54秒[7])。
その後、1979年(昭和54年)にすがいかよ、2005年(平成17年)に美波京子、2013年(平成25年)に綾華といった地元にゆかりがある歌手がカバーしている。
『ミス仙台』は流行歌の一分野である新民謡、すなわち現在で言うご当地ソングであるが、後に「さんさ時雨と並ぶご当地ソング」とも言われるほど広く受け入れられた。地元でのヒットの過程には、当時の最先端のマスメディアであり、宮城県では1928年(昭和3年)に放送が始まったラジオの影響はあまりなかったとされる。
市民や県民は『ミス仙台』を、手にしたレコードや楽器店から街に流れる音色を聴いて親しんだり、新聞広告[※ 12]に見られるように合唱で親しんだりしたようである。仙台市出身や宮城県出身ではない者が少なからずおり、数年しか仙台に住まないような芸者や学生(旧制二高や東北帝国大学等)もみんな歌えた[8]とのことであり、酒宴で歌われることも多かったと見られる。
二葉あき子の1936年(昭和11年)の初版B面は「躍進宮城」という新民謡だったが、戦後の1951年(昭和26年)の再発盤B面は、多人数で歌うことを前提とした音頭という形式の歌「宮城音頭」となった。すなわち『ミス仙台』は、当初考えられた鑑賞や合唱から、会合や酒宴で出席者が一緒に歌う曲へと既に変化していると発売元も認識していたと考えられる。1962年(昭和37年)にも(二代目)コロムビア・ローズが歌う『ミス仙台』が発売されるが、B面は二葉の再発盤と同様に「宮城音頭」だった。レコードプレーヤーが一般家庭にも広まった高度経済成長期、支店経済都市となった仙台で勤務した転勤族らにより、仙台のご当地ソングとして『ミス仙台』は全国に広められた[9]。
| 画像外部リンク | |
|---|---|
| 仙台市内の人口集中地区 (DID) | |
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(1960年から2000年まで5年毎) 1960年(昭和35年): 32.6 km2 2000年(平成12年): 133.3 km2 この間に約4倍に拡大。 |
同1962年(昭和37年)、仙台七夕祭り協賛会、河北新報社(仙台市)、東北放送(仙台市)が協賛した「七夕おどり」が島倉千代子の歌唱で発売された。同シングルの歌詞カードにはA面用の振付のほか、B面用にフォーク・ダンス振付が載っていた。同曲は仙台七夕に因むご当地ソングとして急速に地元で普及するが、その一方で盆踊りの曲としても地元で広く使用された。1974年(昭和49年)、島倉が歌う『ミス仙台』(B面:七夕おどり)が発売されるが、歌詞カードには『ミス仙台』の振付が写真入りで説明されていた。このような歌と踊りをセットにしたプロモーションによって、島倉が歌う『ミス仙台』は「七夕おどり」とともに、昭和40年代から急速に拡大した郊外住宅地(ベッドタウン)[10]などで新住民同士の交流のため盛んに行われた、地域の夏祭りにおける盆踊り用の曲として改めて浸透していった[11]。以上のような町内会や小学校学区ごとに網羅的に行われた夏の体験により、市民・県民は『ミス仙台』を島倉の曲だと認識するように変化した。
1978年(昭和53年)5月5日にさとう宗幸が歌う「青葉城恋唄」が発売されるが、6月12日に宮城県沖地震が発生すると、被災地に住むさとうの同曲は注目を集め、全国的なミリオンヒットとなった。これ以降、仙台のご当地ソングの地位は、『ミス仙台』(新民謡/演歌)から「青葉城恋唄」(フォークソング)に取って代わられてしまった。また、協賛会や地元有力マスメディアが推す「七夕おどり」が、仙台七夕を象徴する曲として定着した。さらに、歌詞の内容が現代の仙台とズレがあって分かり辛いこと、会合や酒宴で出席者が一緒にご当地ソングを歌う習慣の衰退、少子化に伴う地域の夏祭りの衰退なども重なり、地元でも『ミス仙台』を知らない人が多くなった。それでも島倉のシングルのB面「七夕おどり」とともに、仙台七夕のイメージが付いたため、現在でも仙台七夕まつりにおけるBGMの定番ソングの1つとして、期間中は街のあちこちで(主に島倉の)『ミス仙台』を耳にすることが出来る。


| 画像外部リンク | |
|---|---|
| 日本コロムビア | |
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英語において、未婚女性の姓に冠する敬称 Miss(ミス)は、ミス・アメリカ(1921年開始)のように地名・職業名・年号などに冠するとミスコンテスト(美人コンクール)の優勝者の意味にもなる。しかし、昭和初期の日本では、ミスコンテストとは関係なく、レーベル名にミスを冠した歌手や地名にミスを冠した新民謡(流行歌)があった。
1931年(昭和6年)、日本で録音された最初のラテン音楽「南京豆売り」(ビクター)が発売されるが、同曲は覆面歌手の鉄仮面こと作間毅が歌った。1932年(昭和7年)になると、覆面歌手の金色仮面(ゴールデン・マスク)こと小林千代子が「ミス東京」(ビクター)を発売し、大和屋花一は「ミス南地」(コロムビア)を発売した。ビクターの覆面歌手が大いに注目され人気を博したことから、コロムビアも1933年(昭和8年)に覆面歌手のミス・コロムビアこと松原操を、タイヘイレコードも1935年(昭和10年)に覆面歌手のミス・タイヘイこと奥田英子をデビューさせた。1936年(昭和11年)春にコロムビア専属となった二葉あき子は、同年『ミス仙台』、翌1937年(昭和12年)には「ミス東北」[※ 15]と「ミス秋田」(いずれもコロムビア)を発売している。
一方、仙台市の(特に仙台七夕まつりの)観光振興のための親善大使を、仙台商工会議所が公募してミスコンテストのような形式で選出してきた。戦後占領期が終わった1953年(昭和28年)から20年間は、「ミス織姫」「ミス七夕」「ミス観光」といった名称で未婚女性が選出された。オイルショックを機に中断されていたが、仙台市が政令指定都市移行に向けて動き出した1986年(昭和61年)に「ミス仙台」との名称で復活した。ジェンダーフリー等を意識して、2004年(平成16年)からは「せんだい・杜の都親善大使[21]」との名称になり、応募資格に婚姻歴制限や性別制限が無くなった。
| 1935年(昭和10年)国勢調査人口 | 最新推計人口 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 全国 | 東北地方 | 全国 | 東北地方 | |||||
| 1 | 東京市 ※ | 5,875,667人 | 仙台市 ※ | 219,547人 | 東京23区 ※ | 9,876,493人 | 仙台市 ※ | 1,094,738人 |
| 2 | 大阪市 ※ | 2,989,874人 | 青森市 ※ | 93,414人 | 横浜市 ※ | 3,766,732人 | いわき市 | 316,563人 |
| 3 | 名古屋市 ※ | 1,082,816人 | 山形市 ※ | 69,931人 | 大阪市 ※ | 2,794,005人 | 郡山市 | 318,391人 |
| 4 | 京都市 ※ | 1,080,593人 | 盛岡市 ※ | 69,130人 | 名古屋市 ※ | 2,332,154人 | 秋田市 ※ | 295,122人 |
| 5 | 神戸市 ※ | 912,179人 | 八戸市 | 62,210人 | 札幌市 ※ | 1,954,124人 | 盛岡市 ※ | 280,058人 |
| 6 | 横浜市 ※ | 704,290人 | 秋田市 ※ | 60,646人 | 福岡市 ※ | 1,658,978人 | 福島市 ※ | 271,018人 |
| 7 | 広島市 ※ | 310,118人 | 郡山市 | 54,709人 | 神戸市 ※ | 1,489,183人 | 青森市 ※ | 259,295人 |
| 8 | 福岡市 ※ | 291,158人 | 米沢市 | 50,448人 | 川崎市 | 1,550,817人 | 山形市 ※ | 239,344人 |
| 9 | 呉市 | 231,333人 | 福島市 ※ | 48,484人 | 京都市 ※ | 1,433,933人 | 八戸市 | 212,239人 |
| 10 | 仙台市 ※ | 219,547人 | 若松市 | 46,119人 | さいたま市 ※ | 1,351,107人 | 弘前市 | 158,954人 |
| 11 | 長崎市 ※ | 211,702人 | 弘前市 | 46,014人 | 広島市 ※ | 1,179,203人 | 石巻市 | 131,186人 |
| 12 | 八幡市 | 208,629人 | 鶴岡市 | 37,224人 | 仙台市 ※ | 1,094,738人 | 大崎市 | 120,658人 |
| 13 | 函館市 | 207,480人 | 釜石町 | 36,230人 | 千葉市 ※ | 984,247人 | 鶴岡市 | 114,529人 |
| 14 | 静岡市 ※ | 200,737人 | 石巻市 | 33,530人 | 北九州市 | 905,695人 | 会津若松市 | 110,779人 |
| 15 | 札幌市 ※ | 196,541人 | 酒田市 | 31,866人 | 堺市 | 805,135人 | 一関市 | 103,232人 |
| 16 | 熊本市 ※ | 187,382人 | 内郷村 | 29,917人 | 新潟市 ※ | 764,117人 | 奥州市 | 105,642人 |
| 17 | 横須賀市 | 182,871人 | 塩竈町 | 29,364人 | 浜松市 | 773,089人 | 酒田市 | 93,552人 |
| 18 | 鹿児島市 ※ | 181,736人 | 能代港町 | 25,756人 | 熊本市 ※ | 736,949人 | 花巻市 | 88,237人 |
| 19 | 和歌山市 ※ | 179,732人 | 平町 | 25,741人 | 相模原市 | 722,583人 | 北上市 | 91,880人 |
| 20 | 佐世保市 | 173,283人 | 白河町 | 22,831人 | 岡山市 ※ | 711,567人 | 横手市 | 78,389人 |
| 業種 | 軒数 | 逓昇 変圧器数 |
|---|---|---|
| カフェー・喫茶店 | 34 軒 | 111 台 |
| 製菓会社広告用 ビール会社広告用 |
10 軒 | 21 台 |
| 楽器店 | 5 軒 | 7 台 |
| 菓子店・パン店 | 5 軒 | 6 台 |
| 食堂・料理店 | 4 軒 | 7 台 |
| 呉服店 | 3 軒 | 24 台 |
| 薬局 | 3 軒 | 7 台 |
| 洋品店 | 3 軒 | 3 台 |
| 食料品店 | 2 軒 | 3 台 |
| ラヂオ電気商 | 2 軒 | 3 台 |
| 金物店 | 1 軒 | 2 台 |
| 活動常設館 | 1 軒 | 2 台 |
| その他[※ 22] |

| 順 | 積雪量 | 観測日 |
|---|---|---|
| 1 | 41 cm | 1936年2月9日 |
| 2 | 37 cm | 1932年2月26日 |
| 3 | 35 cm | 2014年2月9日 |
| 4 | 34 cm | 1935年1月1日 |
| 1974年1月22日 | ||
| 1976年12月25日 | ||
| 5 | 33 cm | 1936年1月26日 |
| 1977年1月1日 | ||
| 6 | 32 cm | 1974年2月8日 |
| 7 | 30 cm | 1980年12月14日 |

1930年頃の仙台の画像を以下に列挙する。
「仙台小唄」には同名異曲が4曲知られている。『ミス仙台』にとって「仙台小唄」は通称であるが、同曲以外は「仙台小唄」が正式な曲名。
| 経緯 | 歌唱 | レーベル | 作詞 | 作曲 |
|---|---|---|---|---|
| 1931年(昭和6年)に発売された「仙台小唄」 | 和歌吉歌 | タイヘイ | 島川観水 | 大村能章 |
| 1935年(昭和10年)1月に発売された「仙台小唄」 | 松平晃 | コロムビア | 高橋掬太郎 | 貝塚晴美 |
| 1935年(昭和10年)5月12日の河北新報ラヂオ欄掲載の「仙台小唄」 | 不明 | 不明 | 松国松翁 | 柏伊三郎 |
| 1936年(昭和11年)7月1日に発売された『ミス仙台』 | 二葉あき子 | コロムビア | 西條八十 | 古関裕而 |
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