彰徳府

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河南省の彰徳府の位置(1820年)

彰徳府(しょうとくふ)は、中国にかつて存在した府。金代から民国初年にかけて、現在の河南省安陽市一帯に設置された。

概要

1192年(明昌3年)、金により相州が彰徳府に昇格した。彰徳府は河北西路に属し、安陽・湯陰・臨漳・林慮・輔巌の5県と天禧・永和・豊楽・鶴壁・鄴の5鎮を管轄した[1]。

1265年(至元2年)、モンゴル帝国により彰徳府は彰徳路総管府と改められた。元のとき、彰徳路は中書省に属し、録事司と安陽・臨漳・湯陰の3県と林州、合わせて1司1州3県を管轄した[2]。

明のとき、彰徳府は河南省に属し、直属の安陽・臨漳・湯陰・林の4県と磁州に属する武安・渉の2県、合わせて1州6県を管轄した[3]。

清のとき、彰徳府は河南省に属し、安陽・臨漳・湯陰・林・武安・渉・内黄の7県を管轄した[4]。

1913年、中華民国により彰徳府は廃止された。

脚注

  1. ↑ 『金史』地理志中
  2. ↑ 『元史』地理志一
  3. ↑ 『明史』地理志三
  4. ↑ 『清史稿』地理志九