郡寺(ぐんじ[4]、ぐんでら[5])は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、日本各地で造られた古代寺院の一種である。郡名を冠する「郡名寺院」を指す場合もあれば、評衙跡や郡衙跡が近接する「評・郡衙寺院」を指す場合もあるなど、研究者によってその定義は異なる[3]。また、郡寺が公的な性格を有するかどうかも議論となっている[3]。平安時代中頃には、ほとんどが廃寺となったため、不明な点が多い。[要検証]

郡寺の諸説

郡寺論の端緒となったのは、1946年に発表された田中重久の「郡名寺院」論である[3] 。郡名寺院とは、郡名で呼ばれる地方寺院のことである[3]。その後、山中敏史は、郡衙の周辺に寺院が多数存在することに着目し、これらの寺院を考古学の見地から「評・郡衙周辺寺院」と呼んだ[3]。また、櫻井信也は、日本史学の見地から「評・郡衙隣接寺院」と呼んだ[3]。 こうした郡寺は各地の郡司層の関与のもとで造営されたと考えられるが、これらの寺院が公的な色彩を持っていたとする議論には批判もある[3]。

郡寺の主要な諸説は以下のようなものがあるという[8]。

三舟隆之は、氏寺説以外の説を批判しつつ「今後の研究の進展に期待する」とした[9]。後に三舟は、神郡には古代寺院が存在しない(小規模な仏堂のぞく)と指摘した[10]。

郡寺について

古代の瓦は、「呼吸し[11]」、内側からも守ってきた。
墨書土器の一例

古代仏教寺院

釈迦の死後、その遺骨(仏舎利)が信仰の対象となり、それを納めた「八仏塔」が造られた。マウリヤ朝アショーカ王は「八万四千」と表現されるまでに多くの仏塔をインド亜大陸各地に建てた[12]。

中国大陸・漢時代、漢字の「寺」は「役所」の意味であった。西域から多くの僧侶が鴻臚寺などに滞在したことで現在の意味となっていった[13]。西域から来た仏図澄は、893の寺を建てさせた。

北魏・太武帝の仏教弾圧(三武一宗の法難の第一)の後、文成帝 (北魏)は、郡県に官立寺院を造営し、隋を建てた文帝(楊堅)は、新都・大興城内に大興善寺と玄都観(道教)を置き、45州に大興国寺と114カ所に仁寿舎利塔を建てさせた。この仁寿 (隋)年間の頃に最初の遣隋使が送られている。 唐を建てた高祖(李淵)は京師に三寺二観、諸州に寺観各一所にまとめようとしたが、玄武門の変により中止、高宗は諸州に寺観各1カ所を置き、武則天による大雲寺、中宗による大唐中興(後に龍興寺)、そして玄宗は各州の寺を開元寺と改名した[14]。

東アジアでは、北魏・永寧寺、百済・弥勒寺、新羅・皇龍寺(慶州歴史地域)、日本・百済大寺と「九重塔」が国力を示す象徴として造られた。郡寺を含めた日本の古代寺院でも塔心礎が見つかっている[15]。

日本・古代仏教は、祖先信仰の氏族仏教、王統護持の宮廷仏教、鎮護国家の国家仏教、現世利益の民衆仏教と多層からなり、それらが併存していたと考えられる[16]。古代寺院の場所は「河合の地」など交通の要衝となる所に造られ、平地にある寺院の相当数が「山」を意識した場所にあるとの指摘がある[17]。また、古代仏教寺院には、軍事的要素があったとの指摘[18]がある。

ジュニア向けの歴史本には「各地で古墳をつくってきた地域の一部の豪族が、評家をもうけ、寺院の建立を行っていくことが、この時代の新しい動きです。[19]」と書かれている。

出雲国風土記

元明天皇の詔より作られた各国の風土記は、ほとんどが失われた。ほぼ完全に現存する出雲国風土記には、「寺」・「新造院」・「堂」について記述がある[20]。

出雲国風土記によると、意宇郡舎人郷・教昊寺のみ、「寺」として記載がある。創建者である僧・教昊の法号がつけられた寺で、安来市の野方廃寺が最有力である。出土した瓦は7世紀・第4四半期と島根県内で最古となり、新羅系といえる文様が見られたという。

「新造院」は出雲国風土記には郡家からの方位・距離や造営者(7院が郡司層)などが記載されていることから、島根県古代文化センターは、新造院を国家に寺として認可してもらうための施設だと有力視している。ほかに、716年の寺院併合例(続日本紀)後に新たに造られた施設だとする説がある。

「堂」は、日本霊異記の記述から、瓦葺きでない村落内寺院とされ、出雲では神社と併設されることがあった。

瓦文様

山田寺式、川原寺式、法隆寺式など、畿内寺院の瓦文様を持つ瓦が出土することが特徴となっている[21]。

墨書土器

墨書土器などに見られる「大寺」については諸説ある。畿内では天皇発願の寺院を指し[22]、地方では尊称として使われていたとされる[23]。

沿革

斑鳩宮と若草伽藍を初めに、日本の都城と寺院が「同一の地割り上に乗っていた」との指摘がある。他にも百済宮と百済大寺、大津京と南滋賀廃寺・崇福寺跡、藤原京と本薬師寺・大官大寺があり、官衙は律令と儒教のシンボル、寺院は仏教のシンボルであり、漢字が結びつけていたとの指摘がある[24]。

『地方官衙と寺院 -郡衙周辺寺院を中心として-』の中で山中敏史は、孝徳天皇(在位645年〜654年)から天武天皇(在位673年〜686年)前半までを前期評段階、天武天皇後半から文武天皇(在位697年〜707年)までを後期評段階、8世紀第1四半期を初期郡段階と仮称した[25]。

評造(評督、助督など)・郡司(大領、少領など)を務めた豪族が、寺院を建てることによって、中央との仕奉を示すとともに、中央からの先進的技術・物・思想を持ち込み、評・郡内での支配を強化しようとしたと考えられる[26]。

天平19年(747年)11月の「国分寺造営督促の詔」により、造営体制を国司から郡司層に移行させたとされる。実際、武蔵国分寺や下野国分寺からは、国内の郡すべての文字瓦などが発掘され、美濃国分寺(在地豪族の氏寺か)、能登国分寺(大興寺)、若狭国分寺(太興寺廃寺)には前身といえる寺院があった[27]。また、定額寺に指定された寺院は郡寺クラスが多かったとの指摘がある[28]。

10世紀後半、国司制度が受領制(請負制)になると郡衙は一斉に無くなる[29]。それに伴い、ほとんどの郡寺が廃寺に追い込まれたと考えられる[30]。

略年表

郡寺(比定寺院)の一覧

岐阜県博物館の特別展で[34]「全国的にも寺院と郡家が近接する位置にセットで存在することが明らかになっている。飛鳥・奈良時代の郡の支配において、官衙とともに寺院が大きな役割を果たしたことを示しており、今後、寺院跡が見つかっていない多藝郡などにおいても新たに見つかる可能性は大きい。また、逆に寺院跡の近辺からは郡家が見つかる可能性もある」との指摘がある。

郡寺は、各郡1寺が存在する国(伊賀国など)、各郡に郡寺が存在しない国(丹後国など)、各郡に複数寺院が存在する国(摂津国嶋上郡など)、郡寺が確認できていない国(伊勢国度会郡など)等がある[35]。一覧表は、奈良文化財研究所(2005)『地方官衙と寺院』等を参考に作成したものである[36] 。

畿内

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
平群郡平群寺(平隆寺:県史跡)『興福寺官務牒疏』
吉野郡吉野寺(比蘇寺)『日本書紀』欽明14年5月是月条
高市郡和田廃寺墨書土器「大寺」
忍海郡唯一:地光寺跡(忍海漢人)
京都市最古の広隆寺、前身名に葛野秦寺(合併説あり)がある。
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
久世郡正道官衙遺跡久世廃寺・正道廃寺
乙訓郡乙訓寺跡『日本紀略』延暦4年9月庚申条
葛野郡葛野秦寺(広隆寺)『日本書紀』推古31年秋7月条
愛宕郡愛宕寺(珍皇寺)『伊呂波字類抄』6 オ 諸寺
紀伊郡紀伊寺『日本文徳天皇実録』嘉祥3年3月乙巳条
綴喜郡普賢寺(観音寺 (京田辺市))『興福寺官務牒疏』
宇治郡山階寺(大宅廃寺? 興福寺の前身)
相楽郡高麗寺跡(国史跡、府内最古?)
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
安宿郡円明遺跡安宿寺(円明廃寺)墨書土器「安宿寺」「安寺」
錦部郡錦部遺跡(細井廃寺?)『歓心寺勘録縁起資材帳』
古市郡古市寺(西琳寺)『西琳寺文永注記』
讃良郡更荒寺(讃良寺跡)『とはずがたり』巻2
茨田郡茨田寺(中山観音寺跡か高瀬寺跡)『聖徳太子伝私記』
若江郡若江寺跡『尊意贈僧正伝』
河内郡皿池遺跡群河内寺廃寺(国史跡)廃寺跡は史跡公園
石川郡新堂廃寺(国史跡)
交野郡倉山周辺に長宝寺
渋川郡渋川廃寺(阿刀氏?)
志紀郡舟橋遺跡?
丹比郡平尾遺跡?丹比廃寺?後に丹南郡・丹北郡・八上郡
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
和泉郡周辺に府中遺跡和泉寺?[39]
日根郡海会寺跡
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
嶋上郡郡家川西芥川廃寺(嶋上郡衙跡附寺跡:国史跡)今城塚古代歴史館・展示
豊島郡金寺山廃寺(唯一、瓦は豊中市文化財)
菟原郡芦屋廃寺(唯一、芦屋市立美術博物館・展示)[40])
雄伴郡(後に八部郡)房王寺廃寺(唯一)
有馬郡金心寺跡(唯一)
百済郡百済寺(堂ヶ芝廃寺?)
川辺郡伊丹廃寺跡など

東海道

郡名寺的として、阿拝郡に三田廃寺、伊賀郡が財良寺跡、名張郡が夏見廃寺、山田郡に鳳凰寺廃寺があるという[41]。

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
桑名郡天王平遺跡?北小山・南小山廃寺が隣接多度神宮寺
員弁郡山田遺跡?員弁廃寺が近接
三重郡西ヶ広遺跡?周辺に縄生廃寺(朝日町歴史博物館・展示)
朝明郡久留倍官衙遺跡(国史跡)
河曲郡狐塚遺跡大鹿廃寺(南浦廃寺)[43]
鈴鹿郡八野遺跡?
奄芸郡郡山遺跡群
安濃郡浄土寺南遺跡?
多気郡神郡、逢鹿瀬廃寺(伊勢神宮の神宮寺?)
度会郡神郡、寺院跡なし
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
葉栗郡葉栗尼寺(黒岩廃寺?)『塵袋』第5
春部郡勝川遺跡?廃寺が隣接
山田郡志賀公園遺跡?
愛知郡正木町遺跡?願興寺が近接尾張氏が有力
海部郡大渕遺跡?
中島郡尾張国分寺含め9廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
渥美郡存在を推定市道遺跡
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
敷智郡城山・伊場遺跡存在を推定
磐田郡磐田寺(寺谷廃寺?)『日本霊異記』中巻 第31
長田郡永田遺跡群木船廃寺709年に長上郡・長下郡に分離
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
益頭郡郡遺跡存在を推定
志太郡御子ヶ谷遺跡存在を推定
富士郡東平遺跡?三日市廃寺?
庵原郡尾羽周辺尾羽廃寺廬原君が有力
安倍郡川合遺跡?
有渡郡ケイセイ遺跡?
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
山梨郡国府遺跡寺本廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
鎌倉郡今小路西遺跡千葉地遺跡
足下郡下曽我遺跡千代廃寺
高座郡下寺尾官衙遺跡郡(国史跡)下寺尾廃寺相模国分寺・尼寺
大住郡四之宮下郷廃寺
御浦郡宗元寺と深田廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
海上郡西野遺跡今富廃寺
武射郡嶋戸東遺跡武射寺(真行寺廃寺)墨書土器「武射寺」
望陀郡祇園・長須賀古墳群上総大寺廃寺
畔蒜郡丹過遺跡?唯一:真里谷廃寺
周准郡外箕輪遺跡?九十九坊廃寺が近接
夷隅郡唯一:岩熊廃寺
山辺郡大椎廃寺と小食土廃寺のみ
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
葛飾郡国府に一体(井上駅も)下総国分寺・尼寺と流山廃寺
埴生郡大畑I龍角寺印波国造が有力
匝瑳郡八日市場大寺廃寺
結城郡峯崎遺跡結城廃寺墨書土器「大寺」
相馬郡郡衙正倉は日秀西遺跡
印旛郡高岡遺跡群?長熊廃寺(千葉県史跡)?
海上郡内野遺跡?木内廃寺が近接
千葉郡大北遺跡?千葉寺廃寺が近接
相馬郡唯一:船戸廃寺
香取郡龍正院廃寺と名木廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
新治郡古郡遺跡新治廃寺(国史跡)ヘラ書き文字瓦「新治寺」
筑波郡平沢官衙遺跡中台廃寺
久慈郡長者屋敷遺跡久(慈)寺墨書土器「久寺」
那珂郡台渡里官衙遺跡台渡里廃寺(仲寺)墨書土器「仲寺」
河内郡金田官衙遺跡九重東岡廃寺
茨城郡茨城廃寺跡墨書土器「茨木寺」「茨寺」
鹿島郡神野向遺跡鹿島神宮寺跡
信太郡稲敷市君山?下君山廃寺?
白壁郡(真壁郡)下谷貝廃寺
多珂郡大津廃寺

東山道

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
栗太郡岡遺跡霊山寺遺跡?『西宮記』巻8 群行
甲賀郡甲賀寺跡『続日本紀』天平16年11月壬申条
滋賀郡志我山寺(崇福寺跡)『続日本紀』大宝元年8月甲辰条
野洲郡小篠原遺跡?益須寺跡『日本書紀』持統8年3月己亥
蒲生郡御前館遺跡?蒲生寺『聖徳太子伝私記』
犬上郡犬上寺『左経記』寛仁3年10月29日条
犬上郡竹ヶ鼻遺跡?廃寺が隣接(犬上寺?)
浅井郡浅井寺跡『華頂要略』巻第55上
神崎郡大郡遺跡?
愛知郡長野遺跡?
坂田郡大東遺跡?廃寺が隣接
伊香郡井口遺跡?華寺廃寺が隣接
高島郡日置前遺跡?廃寺が隣接
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
武儀郡弥勒寺官衙遺跡弥勒寺跡 (関市)
厚見郡厚見寺(瑞龍寺 (岐阜市))型押文字瓦「厚見寺瓦」
各務郡広畑野口遺跡?山田寺(5廃寺中最古・最大)
席田郡「郡府」周辺席田廃寺:席田郡定額尼寺(日本三代実録)
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
大野郡三仏寺廃寺ヘラ書き文字瓦「大寺」
荒城郡上町遺跡?
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
水内郡県町遺跡善光寺の前身金刺舎人(科野国造)が有力
高井郡長者屋敷・八幡浦遺跡?周辺に左願寺廃寺須坂市立博物館・展示
埴科郡屋代遺跡群雨宮廃寺廃寺に伝埴科大領館跡が隣接
伊那郡恒川官衙遺跡存在を推定
更級郡社宮司遺跡青木廃寺?
諏方郡榎垣外官衙遺跡諏訪大社上社に神宮寺
小県郡信濃国分寺・尼寺
佐久郡長土呂遺跡群周辺?
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
新田郡天良七堂遺跡(国史跡)寺井廃寺
緑野郡緑野寺(浄法寺)『続日本後紀』承和元年5月乙丑条
佐位郡三軒屋遺跡(佐位郡正倉跡:国史跡)上植木廃寺
吾妻郡唯一:金井廃寺(東吾妻町指定史跡)
邑楽郡「大泉町古永」想定東矢島廃寺
多胡郡多胡碑周辺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
那須郡那須官衙浄法寺廃寺なす風土記の丘小川館・展示
芳賀郡堂法田遺跡大内廃寺(栃木県史跡)
河内郡上神主・茂原官衙遺跡下野薬師寺跡
足利郡国府野遺跡
寒川郡千駄塚浅間遺跡
都賀郡下野国分寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
榛沢郡中宿遺跡(埼玉県史跡)岡廃寺
豊島郡御殿前遺跡存在を推定
都筑郡長者原遺跡存在を推定
幡羅郡幡羅遺跡西別府廃寺
橘樹郡千年伊勢山台遺跡影向寺
多磨郡多磨寺(武蔵国府京所地区)型押文字瓦「多寺」「□磨寺」
足立郡氷川神社周辺?大久保領家廃寺・宿宮前遺跡?
比企郡西浦・山王裏遺跡?小用廃寺
入間郡霞ヶ関遺跡群?
埼玉郡池上・小敷田・北島遺跡?
男衾郡百済木遺跡?
豊島郡御殿前遺跡
久良岐郡弘明寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
賀美郡東山官衙遺跡菜切谷寺廃寺(宮城県史跡)
玉造郡名生館官衙遺跡伏見廃寺
名取郡仙台郡山遺跡郡山廃寺
伊具郡角田郡山遺跡存在を推定
安達郡郡山台遺跡郡山台廃寺
白河郡関和久官衙遺跡借宿廃寺
標葉郡郡山五番遺跡存在を推定
行方郡泉官衙遺跡(国史跡)植松廃寺
磐城郡根岸官衙遺跡夏井廃寺(国史跡)
磐瀬郡栄町遺跡上人壇遺跡(国史跡)[61]
牡鹿郡赤井遺跡

北陸道

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
三方郡三方寺『華頂要略』巻第55上
遠敷郡太興寺廃寺(若狭国分寺の前身)
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
丹生郡府中城跡大虫廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
加賀郡加茂遺跡加茂廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
射水郡小窪廃寺[65]
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
古志郡八幡林官衙(国史跡、長岡市)702年まで越中国
頸城郡栗原遺跡(妙高市)?702年まで越中国

山陰道

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
何鹿郡青野南綾中廃寺綾部市資料館・展示
氷上郡市辺遺跡三ツ塚廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
八上郡万代寺遺跡土師百井廃寺(国史跡)
気多郡上原遺跡寺内廃寺・上原南遺跡
高草郡唯一:菖蒲廃寺
巨濃郡(岩井郡)唯一:岩井廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
八橋郡大高野官衙遺跡(国史跡)斎尾廃寺跡
会見郡長者屋敷坂中廃寺・大寺廃寺
久米郡久米寺大御堂廃寺(国史跡)墨書土器「久米寺」

山陽道

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
明石郡吉田南遺跡?太寺廃寺
賀茂郡河合廃寺?他に広渡廃寺[70]
賀古郡溝之口遺跡周辺に野口廃寺
揖保郡小神芦原遺跡?周辺に小神廃寺
佐用郡長尾・沖田遺跡?長尾廃寺が隣接
印南郡塩田遺跡?中西廃寺と山角廃寺のみ
詫賀郡思い出遺跡多哥寺遺跡(量興寺の前身)
飾磨郡播磨国分寺・尼寺ふくめ5寺跡
神崎郡唯一:溝口廃寺
宍粟郡唯一:千本屋廃寺
赤穂郡唯一:与井廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
津高郡富原北廃寺と神力寺跡(吉備津彦神社隣接))のみ
赤坂郡赤坂門前遺跡?備前国分寺・尼寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
苫田郡美作国府の前身
英田郡高本江見廃寺
勝田郡勝間田・平遺跡存在を推定
久米郡宮尾遺跡久米廃寺(岡山県史跡)
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
英賀郡小殿遺跡英賀廃寺
賀夜郡近接を想定栢(かや)寺廃寺郡名寺院
窪屋郡三須河原遺跡三須廃寺が隣接
都宇郡幸利神社周辺?惣爪廃寺が近接備中国分寺・尼寺
浅口郡唯一:占見廃寺
小田郡唯一:関戸廃寺
後月郡唯一:寺戸廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
三谷郡三谷寺寺町廃寺『日本霊異記』上巻 第7
三次郡下本谷遺跡
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
高宮郡郡山城下町遺跡・郡山大通院谷遺跡?

南海道

和歌山県立博物館の展示によると、7世紀後半の古代寺院として最上廃寺跡など15カ所あるという。

津名郡に志筑廃寺(淡路島最古)、三原郡に山惣廃寺がある。

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
三木郡三木寺(始覚寺跡?)『日本霊異記』下巻 第26
那珂郡郡家遺跡?宝幢寺廃寺?
大内郡唯一:白鳥廃寺 
鵜足郡唯一:法勲寺跡
多度郡仲村廃寺と善通寺跡(善通寺東院)が隣接
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
板野郡黒谷川宮ノ前遺跡法輪寺と大唐国寺跡
名方郡石井廃寺(徳島県史跡)?896年に名西郡と名西郡に分離
那賀郡立善廃寺?715年に勝浦郡が分離
美馬郡郡里廃寺跡(国史跡)?860年に三好郡が分離
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
久米郡久米官衙遺跡(国史跡)来住廃寺松山市考古館・展示
周敷郡法安寺(国史跡、西条市、伊予国最古?)

西海道

郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
上座郡井出野遺跡長安寺廃寺
那珂郡 (福岡県)高畑遺跡?
御原郡小郡官衙遺跡周辺に井上廃寺
遠賀郡北浦廃寺(夜久駅家)と浜口廃寺(島門駅家)のみ
糟屋郡阿恵遺跡妙心寺梵鐘「糟屋郡評造舂米連広国」
早良郡有田遺跡
穂波郡唯一:大分廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
三井郡三(井)寺(ヘボノ木遺跡)墨書土器「三寺」
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
上毛郡大ノ瀬官衙遺跡(国史跡)垂水廃寺
下毛郡長者屋敷官衙遺跡(国史跡)相原廃寺
企救郡長野A遺跡
田河郡下伊田遺跡
宇佐郡瓦塚遺跡?別府遺跡?法鏡寺廃寺跡?
仲津郡福原長者原遺跡?(初期国庁?)豊前国分寺
田河郡唯一:天台寺
京都郡椿市廃寺と菩提廃寺のみ
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
大分郡下郡地域?大分市歴史資料館・展示
海部郡中安遺跡?大分市歴史資料館・展示
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
神埼郡吉野ヶ里遺跡周辺に辛上廃寺
郡名比定郡衙比定寺院根拠・備考
玉名郡立願寺遺跡塔の尾廃寺
託麻郡神水遺跡水前寺廃寺

脚注

  1. 佐藤信『古代の地方官衙と社会』(日本史リブレット8)山川出版 2007年 p62
  2. 古川ら5名『長野県の歴史』山川出版社 1997年 p77
  3. 1 2 3 4 5 6 7 梶原(2009年)pp.11-12
  4. ↑ 佐藤信『古代の地方官衙と社会』(日本史リブレット8)山川出版 2007年 p62
  5. ↑ 古川ら5名『長野県の歴史』山川出版社 1997年 p77
  6. 佐藤信『古代の地方官衙と社会』(日本史リブレット8)山川出版 2007年 p62
  7. 古川ら5名『長野県の歴史』山川出版社 1997年 p77
  8. ↑ 奈良文化財研究所(2005年)p2-p9,準官寺説のみp21
  9. ↑ 三舟隆之(2013)p367
  10. ↑ 加藤謙吉[編]『日本古代の王権と寺院』大和書房 2015年
  11. ↑ 志村忠夫『「ハイテク」な歴史建築』 p41「古代瓦は自ら"呼吸"し、屋内の湿度調整をすることによって、高温多湿の日本の気候から、古代木造建築物を内から守ってきたのです。」
  12. ↑ 「新アジア仏教史 01」佼成出版社 2010年 p369、新アジア仏教史 02」佼成出版社 p272
  13. ↑ 中山和久『47都道府県・寺社信仰百科』丸善出版 p6-7
  14. ↑ 須田勉 佐藤信[編]『国分寺の創建 組織・技術編』吉川弘文館p2、 著者7名『新アジア仏教史 06』佼成出版社 2010年 p332-p346
  15. ↑ 岡本厚『岩波講座 日本歴史 第3巻』岩波書店
  16. ↑ 三舟隆之(2013年)p372-p384
  17. ↑ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p6-7
  18. ↑ 甲斐弓子『わが国古代寺院にみられる軍事的要素の研究』雄山閣 飛鳥寺などを代表例にあげる
  19. ↑ 引用:小畑ら4名「Jr.日本の歴史① 国のなりたち」小学館 2010年 p285
  20. ↑ 島根県古代文化センター[編]『解説 出雲風土記』今井出版 p60-p61
  21. ↑ 三舟隆之(2013)p176
  22. ↑ 三舟隆之(2013)p111-p113
  23. ↑ 三舟隆之(2013)p116
  24. ↑ 大津ら5名『岩波講座 日本歴史 第3巻』岩波書店 p191,p202
  25. ↑ 奈良文化財研究所(2005年) P2
  26. ↑ 佐藤信(2007年)p71-p72
  27. ↑ 須田勉『国分寺の誕生 』吉川弘文館
  28. ↑ 佐藤信『古代東国の地方官衙と寺院』山川出版社 2017年 p14
  29. ↑ 三舟隆之(2013年)p368
  30. ↑ 佐藤信(2007年)p101
  31. ↑ 小畑ら(2010年)p264、原典は日本書紀
  32. ↑ 東日本2008 p4より書き下しを引用:「天皇より伴造にいたるまで、造るところの寺、造ること能はずは朕皆助け作らん」
  33. ↑ 小畑ら(2010年)p264、原典は扶桑略期
  34. ↑ 岐阜県博物館『壬申の乱の時代-美濃国・飛騨国の誕生に迫る』平成29年度秋季 p38-p39より引用
  35. ↑ 三舟隆之(2013)p366
  36. ↑ 主に、奈良文化財研究所『地方官衙と寺院』2005 リストp231-p233、掲載元図p361-p368から作成。
  37. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 畑中ら6名『滋賀県の歴史』山川出版 p76リスト:飛鳥・白鳳寺院数
  38. ↑ 和泉市いずみの国歴史館『和泉国誕生』平成22年度特別展
  39. ↑ チヌの県主(日本霊異記に大領)と坂合部連の知識寺?
  40. ↑ 芦屋市教育委員会『芦屋廃寺遺跡(第122地点)発掘調査報告書)』 p7「古代菟原郡の中枢地であったことが判明」
  41. ↑ 斎宮歴史博物館 三重県埋蔵文化センター『斎宮・国府・国分寺』p43
  42. 1 2 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館
  43. ↑ 伊勢国分寺跡の近くに、河曲郡衙跡と郡寺であろう大鹿廃寺があるという。斎宮歴史博物館 三重県埋蔵文化センター『斎宮・国府・国分寺』p42
  44. ↑ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p72 かつて長福寺廃寺(一宮市)が最古とされた。
  45. ↑ 三鬼清一郎『愛知県の歴史』山川出版社 p53 図より
  46. ↑ 山梨県立考古博物館 『平成30年度夏季企画展 願いをかなえてほとけさま -甲斐の古代寺院-』
  47. ↑ 神奈川県立歴史博物館『特別展 瓦が語る-かながわの古代寺院』2008年 p5より引用
  48. ↑ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p91
  49. ↑ 須田勉 佐藤信[編]『国分寺の創建 組織・技術編』吉川弘文館p306
  50. ↑ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p75
  51. ↑ 大津市歴史博物館『企画展 大津の都と白鳳寺院』2017年
  52. ↑ p38 土岐郡・恵奈郡・長野県木曽郡は「刀支評」で正家廃寺がある p9
  53. ↑ 岐阜県博物館『壬申の乱の時代-美濃国・飛騨国の誕生に迫る』p38
  54. ↑ 岐阜県博物館『壬申の乱の時代-美濃国・飛騨国の誕生に迫る』p60
  55. ↑ 川崎保『信濃国の考古学』雄山閣
  56. ↑ 群馬県立歴史博物館・展示
  57. ↑ 栃木県立しもつけ風土記の丘資料館『ムラから見た奈良・平安時代 -寺や役所が立ち並ぶなかで-』2011年
  58. ↑ 埼玉県立歴史と民俗の博物館『仏教伝来 埼玉の古代寺院』2010年
  59. ↑ 田代ら4名『埼玉県の歴史』山川出版社 p73
  60. ↑ 田代ら4名『埼玉県の歴史』山川出版社 p74
  61. ↑ 丸井ら4名『福島県の歴史』山川出版社p49
  62. ↑ 奈良文化財研究『郡庁域の空間構成』2017年 p82
  63. ↑ 美浜町教育委員会「耳別氏、若狭に起つ」2018年
  64. ↑ 野々市ふるさと歴史館・展示、道君(加宜国造?)
  65. ↑ 射水郡大領として万葉集にある安努君広嶋(あぬのきみひろしま):氷見市立博物館
  66. 1 2 内藤ら3名『鳥取県の歴史』山川出版社p64-p65
  67. ↑ 因幡万葉歴史館の常設展示より
  68. 1 2 松尾ら6名『島根県の歴史』山川出版社 p100
  69. ↑ 梶原義実『古代地方寺院の造営と景観』吉川弘文館 p118
  70. ↑ 小野市立好古館では広渡廃寺(国史跡)が郡内最古と展示。「古代地方寺院の造営と景観」p109では河合廃寺が郡内最古・郡寺の可能性と掲載
  71. ↑ 渡哲夫・亀田修一『吉備考古ライブラリ13 吉備の古代寺院』2006年 p146
  72. ↑ 大橋泰夫「古代国府の成立と国郡制」p54
  73. ↑ 渡哲夫・亀田修一『吉備考古ライブラリ13 吉備の古代寺院』2006年 p147
  74. ↑ 渡哲夫・亀田修一『吉備考古ライブラリ13 吉備の古代寺院』2006年p17-18、p146
  75. ↑ 広島県立歴史博物館『平成22年度春の企画展 広島・古代史発掘 -安芸・備後の成立へ-』
  76. ↑ 香川県立ミュージアム『讃岐びと、時代を動かす』2017年 p36
  77. ↑ 徳島県立博物館[編]『瓦か見る古代の阿波 寺院と役所』2015年
  78. ↑ 萩ら5名『高知県の歴史』山川出版社 p45

参考文献

関連項目

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