野球界の永久欠番

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野球界の永久欠番(やきゅうかいのえいきゅうけつばん)では、野球チームにおける永久欠番について述べる。

概要

野球界における永久欠番の歴史は1939年、MLBアメリカン・リーグのニューヨーク・ヤンキースでルー・ゲーリッグが使用していた4を欠番としたことに始まる。当時ゲーリッグは、現代でも不治の病とされる筋萎縮性側索硬化症(ALS、死後「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれる)で引退を余儀なくされたが、戻ってくるまで他の誰にも使わせずに開けておくとする事でチームに居続けることができるとして歓喜した[注釈 1]。

当初はあくまでもヤンキースという一つの球団によるゲーリッグ個人に対してだけの措置であったが[注釈 2]、ナショナル・リーグでニューヨーク・ジャイアンツが1944年にカール・ハッベルの11を永久欠番に指定し、ナショナルリーグ初の永久欠番となった事で、徐々に広がり各チームが永久欠番を導入していった。ドジャース、レッドソックス、アスレチックスなど多くのチームは、選手のアメリカ野球殿堂入り・チームが定める在籍年数など永久欠番とするための条件を有している。また、選手以外にもファン、オーナー、球場アナウンサーが永久欠番を与えられて顕彰されたり、永久欠番と同様の顕彰を受けているケースもある。

1997年4月15日、メジャーリーグは20世紀初のアフリカ系アメリカ人選手[注釈 3]としてメジャーリーグに出場し、後世のアフリカ系アメリカ人選手たちがメジャーリーグでプレーする道を切り拓いたジャッキー・ロビンソンの功績を讃え、マイナーリーグを含む全てのチームでロビンソンの背番号「42」を永久欠番とした。しかし、「42」が永久欠番に指定された時点で既に背番号「42」を使用していた選手やコーチには例外規定が設けられ、彼らは引退するまで(途中でチームを移籍しても)背番号「42」の使用を許された。モー・ボーンもその例外の一人であり、彼はキャリアを通じて「42」を背負い続け、最後にこの番号を着用したアフリカ系アメリカ人選手となった[1]。当初は約20人の選手やコーチがこの例外規定の対象となっていたが、2013年シーズンに引退したニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラを最後に、例外として認められる人物はいなくなった[注釈 4]。ジャッキー・ロビンソンの功績はもちろんのこと、永久欠番の珍しさもあり、アメリカ国外のプロ野球において外国人選手、特にアフリカ系の選手が好んで背番号「42」を選択することがある。特に日本では「42」が「死に」と読めることから「死」を連想させる忌み数として日本人に避けられる傾向があり、現在NPBでは殆どの球団で「42」は外国人選手が着用することの多い背番号になっている。

その他マイナー・リーグにおいても永久欠番が独自で制定されている[注釈 5]。

日本のプロ野球においてもかなり早い段階で導入している。読売ジャイアンツでプレーしていた黒沢俊夫が1947年6月23日に腸チフスにより33歳の若さで急死。それを受けて1947年7月9日に沢村栄治の「14」とともに「4」が日本のプロ野球界として史上初の永久欠番に指定された。なお、この時点でMLBで永久欠番に指定されていたのは上述のゲーリッグの「4」とハッベルの「11」のみである[3]。

日本のプロ野球で、傘下に社会人野球扱いの女子チームを保有している、あるいは別組織の女子チームと提携・協力関係をもつ球団の場合、母体球団の永久欠番については読売ジャイアンツ女子チームでは適用している一方、阪神タイガース Womenや埼玉西武ライオンズ・レディースでは適用していないため、両球団とも実際に着用した選手が在籍したことがある。

メジャーリーグベースボール(MLB)の永久欠番

日本プロ野球(NPB)の永久欠番

dagger 野球殿堂表彰者

・欠番選手名の太字はそのチームの永久欠番指定第1号表彰者である。なお第1号が複数人の場合はいずれもを太字とする。

チーム番号対象の選手名ポジション指定期日備考
読売ジャイアンツ1王貞治dagger内野手1989年3月16日1980年の現役引退後、助監督・監督時代(1981年 - 1988年)にも使用している。
3長嶋茂雄dagger内野手1974年11月21日第2期監督時代の2000年 - 2001年にも使用している[注釈 6]。
4黒沢俊夫外野手1947年7月9日日本野球界初の永久欠番の一つ。1947年のシーズン途中に現役のまま腸チフスで急死。
14沢村栄治dagger投手1947年7月9日日本野球界初の永久欠番の一つ。引退する1943年まで使用していたが、翌年に戦死した[注釈 7]。
16川上哲治dagger内野手1965年1月18日1958年の現役引退後、コーチ・監督時代(1959年 - 1964年)も使用している[注釈 8]。
34金田正一dagger投手1970年4月2日
阪神タイガース10藤村富美男dagger内野手1958年11月30日球団創設メンバーとして10を着用し、その後引退とともに永久欠番とされた。そのため、阪神で背番号10を着用した経験を持つ選手は藤村のみであり、「一人の選手だけが着用した永久欠番」はNPB唯一である[注釈 9]。
11村山実dagger投手1972年11月2日第2期監督時代の1988年 - 1989年にも使用している[注釈 10]。
23吉田義男dagger内野手1987年10月13日1969年の現役引退以降、相応しい人物の入団まで欠番とされたが、結局使用した選手がいないまま、1987年の第二次監督退任に伴い正式に永久欠番とされた[注釈 11]。
中日ドラゴンズ10服部受弘投手1960年3月20日二軍監督時代の1977年にも使用している。
15西沢道夫dagger内野手1959年3月15日ヘッドコーチ・監督時代の1963年 - 1966年にも使用している[注釈 12]。
広島東洋カープ3衣笠祥雄dagger内野手1987年9月21日[注釈 13]
8山本浩二dagger外野手1986年10月27日第2期監督時代の2001年 - 2005年にも使用している[注釈 14]。
15黒田博樹dagger投手2016年11月1日2008年のMLB移籍から、2015年に広島に復帰するまでの間も欠番となっていた[4]。
埼玉西武ライオンズ24稲尾和久dagger投手2012年7月4日1970年の現役引退後も、1972年までは稲尾自身が監督として着けていた[注釈 15]。
その後、40年の時を経て欠番に指定された[注釈 16]。
北海道日本ハムファイターズ100大社義規daggerオーナー2009年2月1日2009年度の野球殿堂入りを記念し、永久欠番に制定された[注釈 17][注釈 18]。
東北楽天ゴールデンイーグルス10ファンナンバーその他2004年12月17日スターティングメンバーの9人に続く10人目、サブメンバーの一人という意味[注釈 19][注釈 20][注釈 21]。
77星野仙一dagger監督2018年3月26日NPB初の「監督」の永久欠番である[注釈 22][5]。
オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ
(ファーム・リーグ参加球団)
10サポーター背番号その他2007年新潟のプロ野球団実現を望みながら急死した野球少年にちなむ形でBCリーグ時代に指定された(詳細は後述)。イースタン・リーグ加入に際して「サポーター背番号」の意味合いを併せ持つ形に変更された[6]。
22高津臣吾dagger投手・監督2012年9月22日BCリーグ時代の2012年に制定。
解消した永久欠番
  • 近鉄バファローズは鈴木啓示の現役引退を機に、1985年7月31日づけで1を永久欠番に指定した[注釈 23]。その間、鈴木が監督に就任した直後の1993年に、ドラフト5位で入団した大島公一がアマチュア時代に長く着用していた経緯から、永久欠番であることを承知の上で1を希望するという出来事があった[注釈 24][7]。その後、2004年の近鉄とオリックスとの合併を受けて、鈴木本人がオリックス球団から背番号1をオリックスの永久欠番にすることを相談されたが、本人が辞退し[8]、合併後のオリックス・バファローズでは背番号1は永久欠番ではなくなった。合併後最初に背番号1を背負ったのは、合併前のオリックスからの継続となった後藤光尊だった。

名誉番号(準永久欠番)

偉大な功績をあげた選手が退団する際、その功績を讃え着用していた背番号を「名誉番号」「準永久欠番」として、前任選手や球団の「預かり」という形で一定の期間空き番号としておく場合がある。MLBにおいては「Honored(Honoured)Number」と称されている。

名誉番号が制定される経緯としては、移籍によって退団した選手が再び球団に戻ってきたときに備えて欠番としておく場合や、その番号を「継承」するにふさわしい選手の台頭を待つことを目的とする場合、永久欠番とすることを検討したものの選手本人に固辞されたり反対意見があったりなどして正式決定に至らなかった場合、不慮の死などに見舞われた人物への追悼の意味を込めてその背番号を凍結する場合、など様々なものがある[9]。

また球団によっては、一部の番号について一般的な名誉番号とは一線を画し、その番号の「継承」に関して一定の明確な条件を定めていることもある(東京ヤクルトスワローズの1など)[注釈 25]。

継続中の名誉番号(通算5年以上のみ)

ここでは、対象番号が現役球団関係者より「名誉番号」「準永久欠番」「欠番とする」と公式に表明され、かつ通算5年以上欠番状態が続く番号、もしくは長期間欠番状態が続く、事実上の永久欠番の番号を記載する。ただし、2009年から欠番となっている日本ハムの「00」と「0」は趣旨が異なるためここに記載せず「その他」の節に掲載する。

チーム番号欠番対象者ポジション欠番期間備考
阪神タイガース6金本知憲dagger外野手2013年 -2012年の現役引退の際に永久欠番にすることが検討されたが、金本が固辞した事もあり見送られた[注釈 26][10]。2016年 - 2018年の監督在任中に再び着用したが、退任後はふさわしい選手が出てくるまで再び欠番となっている[11]。
オリックス・バファローズ51イチローdagger外野手2001年 -2001年MLB移籍後、そのまま誰も使用しないまま、2019年シアトル・マリナーズで現役を引退。それを受け球団は改めて、「事実上の永久欠番」としての扱いを継続することを表明した[12]。
なお、マリナーズでは2025年に彼が着けていた51番が永久欠番に認定されたが、オリックスでは2026年現在正式な永久欠番には認定されていない。
北海道日本ハムファイターズ11ダルビッシュ有投手2018年 -2012年のダルビッシュのMLB移籍後、1年空けて新入団の大谷へ継承された。2018年の大谷のMLB移籍後、球団は「2人に匹敵するスター選手が登場するまで」として連名での欠番とすることを表明[13]。エスコンフィールドHOKKAIDO内の施設である『TOWER11』でこの2選手を称えている。
大谷翔平投手・外野手
86大沢啓二監督1995年 -2010年に死去した際に永久欠番化が検討されたが、最終的には見送られた[14]。ただし現在も欠番状態が継続中で、また、東急・東映などの前身球団を含めた球団史上でも、86は大沢しか使用していない。
福岡ソフトバンクホークス15藤井将雄投手2001年 -2000年10月に現役のまま病死。その際、永久欠番化が検討され、さらにその後も15を使用した選手は一人もおらず、親会社がソフトバンクに変わった現在も欠番のまま[15]。
89王貞治dagger監督2009年 -2008年限りでの監督退任後、永久欠番化も検討されたが王本人が辞退[16]。その後は長期間欠番状態が続いていたが、2026年には球団が、同年より「みんなの番号」として、「事実上の永久欠番」として扱うことを表明した。なおこの時も永久欠番化が再度検討されたが、王本人が固辞したため見送られた[17]。
千葉ロッテマリーンズ9福浦和也内野手2020年 -2019年1月に福浦が現役引退を発表したと同時に、翌年より9番を欠番にすることを球団が表明した[18]。
26ファンナンバーその他2005年 -2005年よりファンのための番号として事実上の永久欠番にしている。これはベンチ入り25人の選手に次ぐ「26番目の選手」の意味[19]。試合中、ベンチには26のユニフォームが飾られており、また、ホーム開幕戦での始球式に登板する人物が26番を着用することがある。

かつて欠番指定された番号

球団から明確に欠番指定されてから、後継の選手に継承されてその役割を終えた時点までの期間を記載。 †:野球殿堂表彰者

  • 読売ジャイアンツ
    • 55 - 松井秀喜†(外野手)2003年 - 2008年、2014年 - 2021年
      • 2003年MLBに移籍後、2009年から13年まで大田泰示が着用。その他の期間は、松井が2012年に現役を引退した後も欠番状態が続き[16]、2022年に後継者として秋広優人が着用することになるも[20]、2025年途中にソフトバンクに移籍して空き番なった。2026年シーズン終了後に松井が監督に就任した際には90を着用。
  • 阪神タイガース
    • 1 - 鳥谷敬(内野手)2020年 - 2022年
      • 2020年にロッテに移籍したあと、球団はふさわしい選手が現れるまで準永久欠番扱いとする方針を固めた[21]。2023年からドラフト1位で入団した森下翔太が着用することとなった[22]。
    • 31 - 掛布雅之†(内野手)2014年 - 2015年、2018年
      • 1988年に引退した後、背番号については、1989年から1991年までの空き番扱いを経て、1992年に萩原誠が着用して以降は欠番に指定することなく生え抜き・移籍加入を問わず複数の選手が着用していたが[注釈 27]、2014年に林威助の退団と同時に掛布がゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(DC)として阪神に復帰したことを機として、掛布の後を継ぐに足る選手が台頭するまで31を凍結する方針を固めた[23]。
      • 周囲からは特別な番号として慎重な扱いを求める見解が表明された一方[注釈 28]、掛布本人は元々「31番はグラウンドで動いている選手が背中につけて、生きてる方がいいと思う」「現役の選手が競争を通じて31番を奪い取って欲しい」という見解を持ち、着用者の経緯や守備位置についても特にこだわらない姿勢だった。
      • 2016年に掛布が二軍監督に就任した際に着用し、2017年シーズン限りでの退任後再び欠番となった後、掛布自身が前述の考えに基づいて「背番号は僕のものでもなんでもなく球団のもの」であるとして判断を球団に委任したことで、掛布の後を継ぐ選手の番号という意味合いは薄らいでいる。
      • その後は2019年から2022年まで掛布の公認のもと、外国人選手のジェフリー・マルテが[24]、2025年のシーズン途中からは閉幕まで、育成選手から支配下登録された投手の早川太貴が着用したが、2026年シーズンより51に変更し、同年は空き番となった。
    • 53 - 赤星憲広(外野手)2010年 - 2013年、2015年 - 2017年
      • 赤星の引退は試合中の怪我による電撃的な引退であったこともあって欠番とされていたが[25]、2014年途中に入団した建山義紀がこの番号を継承し[26]、その後は3年間欠番になった後、2018年にドラフト4位で入団した島田海吏が継承したことでその役割を終えた[27]。
  • 中日ドラゴンズ
    • 13 - 岩瀬仁紀†(投手)2019年
      • 2018年の引退後、「後継者にふさわしい選手が台頭するまで空き番号とする」とされた[28]。その後、2020年から橋本侑樹に継承されその役割を終えた[29]。
  • 広島東洋カープ
    • 1 - 前田智徳(外野手)2014年 - 2018年
    • 7 - 野村謙二郎(内野手)2006年 - 2012年
    • 9 - 緒方孝市(外野手)2010年 - 2013年
    • 20 - 北別府学†(投手)1995年 - 2002年
      • 4人とも、引退時に球団の「名誉番号」として預かり番号の指定をされ、本人推薦のもとで継承された。
      • 20は2003年に永川勝浩、7は2013年に堂林翔太、9は2014年に丸佳浩、1は2019年に鈴木誠也にそれぞれ継承され[30]、その役割を終えたが、1は鈴木が2022年にシカゴ・カブスに移籍して以降、正式な発表がないまま欠番状態となっている。
    • 25 - 新井貴浩(内野手)2019年 - 2022年
      • 2018年に新井が現役を引退した際、球団が「しばらくは凍結する」として、ふさわしい選手が出るまで欠番扱いにすることを表明した。その後、2023年に新井が監督に就任した際に再び着用した。
  • 東京ヤクルトスワローズ(ヤクルトスワローズ)
    • 6 - 宮本慎也(内野手)2014年 - 2020年
      • 2013年の現役引退後、ふさわしい選手が出るまで欠番指定された。その後、2021年から元山飛優が着用することになりその役割を終えたが、2024年に元山が西武に移籍した後は、2026年から松下歩叶が着用するまで2年間空き番となるなど扱いに慎重な配慮が見られた。
    • 8 - 大杉勝男†(内野手)1984年
      • 引退時の1983年11月9日に「保留欠番とし、来春3月下旬に引退試合を行うことを決めた」と発表[注釈 29]。1年の期間をおいて、1985年から広沢克己に継承された。
    • 27 - 古田敦也†(捕手)2008年 - 2021年
      • 2007年での現役引退後、正捕手の番号[注釈 30]として、球団・古田本人のいずれかが推薦する捕手が出るまで欠番となっていた。2022年から中村悠平に継承された[20]。
  • 横浜DeNAベイスターズ
    • 18 - 三浦大輔(投手) 2017年 - 2018年、2021年
      • 2016年の現役引退時に、横浜ナンバーと称し「チームを牽引し象徴となるべき存在がつける番号」として、球団と三浦の双方の合意を得たふさわしい選手が出るまで欠番とした[31]。2019・20年には三浦自身がコーチ・二軍監督として着用したが、2021年の一軍監督就任と同時に81に変更。2022年から小園健太に譲った。
    • 25 - 筒香嘉智(外野手) 2020年 - 2024年途中
      • 2020年のMLB移籍時、球団代表が「彼が現役の間、他の選手が付けることはない。帰ってきたときのためにも」として、筒香が引退するかNPBに復帰するまで欠番にすることを表明[32]、2024年途中に筒香がDeNA復帰し、再び本人が着用することになった。
  • オリックス・バファローズ(阪急ブレーブス、オリックス・ブレーブス、オリックス・ブルーウェーブ)
    • 7 - 福本豊†(外野手)1992年 - 2000年
      • 引退後、球団名が「オリックス・ブレーブス」となった1989年から「オリックス・ブルーウェーブ」となった1991年までのコーチ・二軍監督時代も使用。福本退団後の1992年、新加入の田口壮に7番が提示されたが、本人が「恐れ多い」として辞退し6を着用したため、その後は特別な番号として2000年まで欠番状態が続いた。2001年以降は断続的に使用されている[注釈 31]。
  • 福岡ソフトバンクホークス(福岡ダイエーホークス)
    • 2 - 城島健司(捕手)2006年 - 2009年
      • 城島のMLB移籍とともに、将来的な復帰を想定して凍結していた。しかし、2010年に城島がソフトバンクではなく阪神でNPBに復帰したことで、球団として欠番指定を解除し、城島の出身高校の後輩に当たる今宮健太が継承した[33]。
    • 9 - 小久保裕紀(内野手)2004年 - 2006年
      • 2003年シーズン終了後に巨人へ無償トレードした際に、将来的な復帰を想定して「監督預かり」としており[15]、小久保がホークスに復帰した2007年から引退する2012年まで再び使用した。引退後は3年間欠番になった後、2015年に柳田悠岐が継承した。なお、小久保本人は2021年にコーチ・二軍監督・一軍監督に就任したときには後述の90を着用している。
  • 埼玉西武ライオンズ
  • (西鉄ライオンズ時代)
    • 3 - 大下弘†(外野手)1960年 - 1967年
      • 1959年限りで引退した際、「大下選手の名に恥じない選手が出ればその選手に渡す。またその際には大下選手の同意を求める」という当時の西亦次郎球団社長の意向で当分の間欠番としていたが[34]、 1968年に大下が古巣・東映フライヤーズの監督に就任し、さらに背番号3をつけた事で自ら背番号を返上、その年に中日から移籍した広野功が使用することになった[注釈 32]。
    • 6 - 中西太†(内野手)1970年 - 1972年
      • 1969年の引退後、相応しい選手が出るまで欠番とされていたが、1972年暮れに西鉄から中村長芳(福岡野球=太平洋クラブライオンズ)への売却後に「もう新球団になったんだからいいじゃないか」として、当時の稲尾和久監督の推薦で菊川昭二郎に継承された。
  • (西武ライオンズ・埼玉西武ライオンズ時代)
    • 27 - 伊東勤†(捕手)2004年 - 2006年、2011年
      • 2003年の現役引退及び監督就任に伴い、自らが後継者として認める正捕手が出るまで欠番とした。その後、2006年に細川亨が、さらに細川の移籍後は1年の空白を置いて2012年に炭谷銀仁朗が継承し、その役割を終えた[注釈 33]。
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス
    • 18 - 田中将大(投手)2014年 - 2020年、2025年
      • 2014年にニューヨーク・ヤンキースに移籍したことで、「ふさわしい選手が出るまで欠番」扱いとなったが、2021年に田中の楽天への復帰が決まり、再び本人が着用することになった。その後、2025年に田中が巨人へ移籍した後は再び空き番号となっていたが、2026年からメジャーリーグから日本球界に復帰した前田健太が着用することになった。
    • 19 - 野村克也†(監督)2010年 - 2016年
      • 2009年限りで監督を退任した際に名誉監督というポストで永久欠番とすることが提案されたものの[35]、正式な発表がなされないまま欠番扱いの状態が続いていた。その後、2017年に藤平尚真が着用することで欠番状態が解消された[36](その後、藤平は2022年に背番号を46に変更。2023年からは荘司康誠が背番号19を着用している)。

その他

  • 福岡ソフトバンクホークス
    • 90 - 景浦安武(外野手)1973年 - 2015年
      • 景浦は、水島新司の野球漫画『あぶさん』に登場する南海ホークスの架空の主力選手。
      • 景浦が背番号90を着用していたことから、1973年の連載開始とともに、連載に合わせる形で球団は南海からダイエーを経てソフトバンクに至るまで90を凍結していた(なお、1973年の連載開始以前、球団創設の時点からホークスで背番号90を着用した者はいなかった)。2014年の連載終了後、永久欠番にすることも考慮されていたが、水島の了解を得た上で2016年からロベルト・スアレスが着用することとなり[37]、欠番状態が解消された。スアレスの退団[38]以降は再び欠番となるが、2021年シーズンからはヘッドコーチに就任した小久保裕紀が着用し、その後の二軍・一軍監督就任後も継続着用している[39]。
  • 北海道日本ハムファイターズ
    • 00・0 - 欠番扱い(その他)2009年 -
      • 00はカルロス・ミラバルを最後に、0は古城茂幸を最後に、それぞれ着用者がおらず「0や00から始まるのはおかしい」として、2008年のシーズン終了後に両番号の使用を停止することを球団が発表した[40]。
  • 横浜DeNAベイスターズ
    • 100 - 欠番扱い(球団に対して貢献のある複数の著名人に贈呈したユニフォームの背番号)1997年 - 2011年
      • 1997年より、100を永久欠番と称して、1997年11月11日の桃原功(元宜野湾市議会議員)を最初に、球団に対して貢献が認められた複数の著名人に対し100番が入ったユニフォームを贈呈していた。その後、2012年に育成ドラフト1位で入団した今井金太が100番を着用したことにより、この取扱いは廃止された。

韓国プロ野球(KBO)の永久欠番

韓国では、1986年にOBベアーズ(現在の斗山ベアーズ)に捕手として在籍していた金栄伸の54を制定したことに始まる。永久欠番に指定されている選手は現在で18人いる。

台湾プロ野球(CPBL)の永久欠番

dagger 台湾棒球名人堂の野球殿堂入り表彰者
チーム番号欠番対象者ポジション制定年月日備考
中信兄弟23彭政閔dagger内野手2019年チームに19年間在籍。台湾プロ野球史上最高となる出塁率.425をマーク。
67曽紀恩(中国語版)dagger監督2012年初代監督。球団社長も務めた。2012年3月25日指定。
統一ライオンズ1ファンナンバーその他2015年年間スローガンの発表式で制定された。
56劉芙豪外野手2022年チーム史上初となる1000安打、100本塁打、100盗塁をマークし、3連覇に大きく貢献した。
富邦ガーディアンズ39マイク・ローリー投手2022年台湾プロ野球の外国人選手としては史上初となる100勝をマーク。
楽天モンキーズ10ファンナンバーその他2007年年間スローガン「All For Fans」の発表を記念して制定された。
52陳金鋒dagger外野手2016年100本塁打をマークし、チームの創成期を支えた。
味全ドラゴンズ85徐生明(中国語版)dagger監督2021年当初は富邦の永久欠番であったが、2021年10月16日に引き継ぐ形で制定。
台湾史上初の700勝を挙げる名監督であったが、富邦監督時代の2013年に、前期優勝の後、後期の試合後に心筋梗塞で急逝。

2012年シーズン前に、中信兄弟の前身である兄弟エレファンツの林易増(中国語版)の4(2001年~)、王光輝(中国語版)内野手の26(2008~)、統一ライオンズの曽智偵(中国語版)捕手の10(1999~)の永久欠番指定を一斉に解消している。その後兄弟エレファンツは2012年3月25日に初代監督である曾紀恩の番号「67」を改めて永久欠番を制定。

同じく富邦ガーディアンズの前身である、興農ブルズ時代に10がファンの番号、17が黄忠義(中国語版)二塁手の番号として2009年に永久欠番に指定されていたが、2012年に義大ライノズに買収された際にチーム一新として消滅した。

日本の独立リーグの永久欠番

日本独立リーグ野球機構(IPBL)に加盟している四国アイランドリーグplus、ベースボール・チャレンジ・リーグ、北海道フロンティアリーグ、日本海リーグ、関西独立リーグ(旧・BASEBALL FIRST LEAGUE)の球団でも永久欠番を制定している球団が存在する。✝は野球殿堂入り選手。

四国アイランドリーグplusの永久欠番

高知ファイティングドッグス
愛媛マンダリンパイレーツ
  • 77:弓岡敬二郎(監督)[44] 2016年11月25日
    チーム初のリーグ総合優勝、独立リーグ日本一、前後期優勝とリーグ総合優勝を合わせた完全優勝を達成。2016年監督退任並びにオリックス・バファローズへのコーチ復帰時に永久欠番に指定された。2022年から監督に再任するに当たって再び着用している[45]。

ルートインBCリーグの永久欠番

リーグ全球団
  • 10
    リーグ発足前年、急死した新潟県在住の少年野球選手が生前「新潟のプロ野球球団を応援したい」という思いを抱いていたことを遺族の手紙でリーグ創設者の村山哲二が知り、それを励みにリーグを実現させたことから、少年が所属していた野球チームでキャプテンが使用する番号(少年が付けることを望んでいた)をリーグ全球団の永久欠番としている[46]。リーグ発足当初は新潟アルビレックス・ベースボール・クラブだけが永久欠番としていた[47]。2014年の時点では欠番に指定していたのは新潟と信濃グランセローズであった[48]。この段階では10番を付けた選手が在籍する球団があったが、2015年の開幕前に石川ミリオンスターズ[49]および群馬ダイヤモンドペガサス[50]の該当選手が番号を変更したことで、このシーズンよりリーグに10番の選手はいなくなった[51]。
    その後、リーグから西地区4チームが離脱して日本海オセアンリーグを結成し(2022年にリーグ戦開始)、同リーグはこの番号の扱いについて明確にしていなかったが、2022年シーズン開幕時点のロースターでは10番を付ける選手は在籍していなかった[52]。2023年からは日本海オセアンリーグは構成球団を入れ替える形でベイサイドリーグとなり、脱退した富山GRNサンダーバーズと石川ミリオンスターズは新たに日本海リーグを結成したが、2023年の両リーグには10番を付けた選手が在籍しており(千葉スカイセイラーズと石川ミリオンスターズ)[53][54]、いずれもリーグとして欠番扱いは取りやめている。
    2024年より新潟はイースタン・リーグに移ったが、BCリーグとしてこの番号の扱いを変更するという話は出ていない。

北海道フロンティアリーグの永久欠番

士別サムライブレイズ
  • 10:ファンナンバー
    「応援してくれる皆様の番号」としてサポーターズNo.に指定されている。

日本海リーグの永久欠番

石川ミリオンスターズ
  • 12:木田優夫(投手) 2014年9月14日
    プロ野球選手として実働26年、56試合の独立リーグ最多登板を記録。独立リーグ日本一に貢献。
  • 34:森慎二(監督・コーチ・投手)[55] 2017年9月2日
    監督としてチームを初の独立リーグ日本一に導く。2017年、西武コーチ在任中に急逝し、永久欠番指定された[55]。

さわかみ関西独立リーグの永久欠番

兵庫ブレイバーズ
  • 17:山川和大(投手)[56] 2016年12月28日
    2016年のドラフト会議で巨人に育成選手指名され、入団決定。その後、山川は2022年に兵庫に復帰したが、背番号は前回所属時とは異なる30を使用する[57]。
  • 27:薬師神真之(内野手)[56] 2016年12月28日
    2016年のシーズン中に現役のまま急逝[58]。「活躍、ならびに志と高い人間性に敬意を表して」決定された[56]。
  • 50:向谷拓巳(内野手)[56] 2016年12月28日
    2016年のドラフト会議で楽天に育成選手指名され、入団決定。
  • 66:山崎章弘(監督)[56] 2016年12月28日
    チーム創設以来指導に携わり(当初はコーチ、2013年より監督)、監督時代は毎年優勝またはそれに準じる成績をあげた。なお、2019年の再任に際して再度着用した(同年限りで退任)。
  • 77:田中耀飛(外野手)[59] 2017年12月25日
    2017年のドラフト会議で、リーグ史上初の支配下登録枠で楽天に指名され、入団決定。
  • 99:山崎照英(外野手)[60]
    2025年のドラフト会議で阪神に育成選手指名され、入団決定。

日本のアマチュア野球の永久欠番

大学野球

日米大学野球選手権大会日本チーム(現・侍ジャパン大学日本代表)
早稲田大学(東京六大学野球連盟)
  • 9:東門明(三塁手)1972年 -
國學院大學(東都大学野球連盟)
  • 38:彬子女王(皇族、三笠宮家)
    • 2016年に同学の特別招聘教授に就任し、同年9月21日の秋季リーグ戦(対東洋大学)にて始球式を務めたことによる。38は「宮(ミヤ)家」にちなむ。
創価大学(東京新大学野球連盟)
  • 15:鳥居輝之(投手)1992年 - 2015年
    • 3年時の1992年2月10日に病没。2015年秋季より田中正義がつけるまで監督の岸雅司が欠番としていた[61][62]。
岐阜協立大学(東海地区大学野球連盟)
  • 15:中野宏紀(投手)(2014年 - )
    • 1年時の2014年5月に交通事故死。

女子プロ野球の永久欠番

埼玉アストライア

野球ナショナルチームの永久欠番

野球中華民国代表

✝:台湾棒球名人堂の野球殿堂表彰者

野球アメリカ合衆国代表
野球プエルトリコ代表

✝:アメリカ野球殿堂表彰者

野球ベネズエラ代表

✝:アメリカ野球殿堂表彰者

脚注

注釈

  1. ↑ 引退の際、 "Today, I consider myself the luckiest man on the face of the Earth."(「今日の私は自分を地球上で最も恵まれた男だと思っています」)と名言を残している
  2. ↑ 一例としてベーブ・ルースの「3」が永久欠番に指定されたのは1934年のヤンキース退団から14年後の1948年6月であり、その間に合計7人の選手が背番号「3」のユニフォームを着用している。
  3. ↑ メジャーリーグ史上初のアフリカ系アメリカ人選手は、1884年にトレド・ブルーストッキングスに所属していた「モーゼス・フリート・ウォーカー」とその弟「ウェルデイ・ウォーカー」である。
  4. ↑ ニューヨーク・ヤンキースは球団独自の永久欠番としてマリアノ・リベラの背番号「42」を指定している。ニューヨーク・ヤンキースにおける背番号「42」は、ジャッキー・ロビンソンとマリアノ・リベラ両名に関連した永久欠番となっている。
  5. ↑ 例えば読売ジャイアンツでプレーしたこともあるジェフ・マントはトロント・ブルージェイズ傘下AAA級チームであるバッファロー・バイソンズにおいて優れたリーダーシップによって優勝に貢献したとして、彼が着用していた「30」が永久欠番に指定されている[2]。
  6. ↑ 第1期監督時代は90を使用。第2期監督時代も、1993年から1999年までは33を着用。その後、2000年シーズンよりFAで江藤智が加入したため33番は江藤に譲られ、長嶋は3番を着用することとなった。
  7. ↑ ただし、永久欠番指定前の1946年には今泉勝義と坂本茂も使用していた。
  8. ↑ 1965年からは77を着用。現役時代についても、1946年の一時期は水野忠彦が着用していた。
  9. ↑ MLBではヤンキースの4が同様にルー・ゲーリッグのみの番号となっている他、NPBでは大沢啓二が日本ハムファイターズの監督に就任した際に球団史上初めて86を着用し、退団後より準永久欠番扱いされているという事例がある。
  10. ↑ 第1期監督時代は選手兼任だったため、背番号はそのまま11。背番号11にまつわるエピソードも参照。
  11. ↑ 第1期監督時代は1を、第2期監督時代は81を、第3期監督時代は83を着用。永久欠番に制定されている球団の監督を務めながら、その番号を使用しなかったという珍しいケースである。
  12. ↑ 1967年には68を着用。また、現役時代のうち1938年 - 1946年は17を着用。
  13. ↑ 1974年までは28を着用。
  14. ↑ 第1期監督時代は88を着用。なお、現役時代では1970年まで27を着用しており、8番は翌1971年からである。
  15. ↑ 1973年 - 1974年には81を着用。
  16. ↑ 稲尾の退団から欠番指定までに24を着用したのは古賀正明、トニー・ミューサー、小川史、秋山幸二、ジョージ・ブコビッチ、平野謙、小野和義、金村義明、眞山龍、松永浩典、ライアン・マルハーンの11人。
  17. ↑ それ以前、日本ハムファイターズ時代の1993年から2005年までは、マスコットの「ファイティー」が付けていた。
  18. ↑ 前身の東映フライヤーズ時代には、1962年に初優勝した時、当時のオーナー・大川博が「100」の背番号を付けたユニフォームを着用し、パレードなどに参加したことがあった。なお、東映製作による記録映画として『東映優勝 背番号100』が同年制作・公開されている。
  19. ↑ 球団や球界に対する功績を残した特定人物を称える意味ではなく、不特定のファンのための番号を「永久欠番」と称したのは当時日本プロ野球界では初の試みであった。球団創設の年に制定されたため、チーム発足以来背番号「10」を使用した選手・監督・コーチは一人もいない。なお、マスコットの「クラッチ」がイーグルス・ファンの1人として背番号10を着用している。
  20. ↑ ちなみに日本のサッカークラブにおいては同様の発想で、スターティングメンバーの11人に続く12人目のメンバーという意味で「12」をサポーターのための番号として欠番としているチームが多い。永久欠番#サッカー界の永久欠番を参照。
  21. ↑ 当初は「東京六大学野球での主将の番号だった」という理由から西谷尚徳の背番号に内定していたが、「ファンのための欠番」となったことで、入団発表直前に6へと変更された( 広野功『広野功の楽天誕生秘話』。日刊ゲンダイ、2013年11月19日号、33面)。
  22. ↑ 川上哲治の「16」、長嶋茂雄の「3」、王貞治の「1」、村山実の「11」、山本浩二の「8」など、現役引退後に本人が監督・コーチなどとして再び着用した例は上記のように複数あり、特に王貞治は巨人時代に選手・助監督・監督を通して一貫して「1」を着用していたが、「監督」としてのみ着用した背番号が永久欠番になった例はこれが初となる(現役時代の星野は中日で「22」と「20」を着用)。なお、中日と阪神で監督を務めたときにも星野は同様に背番号「77」を着用しているが、両球団では永久欠番には指定されていない。
  23. ↑ 1993年から1995年まで近鉄の監督を務めた時の背番号は70であった。球団は1を着用させる意向を示していたが、本人が辞退して空き番から選んだ。
  24. ↑ 結果的に背番号は00に決定した。その後移籍したオリックスでは52を着用した。
  25. ↑ 1989年の若松勉の現役引退に際し、原則として「球団生え抜き、かつそれに見合う実績を挙げた選手」が「ミスタースワローズ」の称号とともに継承する番号とした。その後は池山隆寛(1992 - 99)、岩村明憲(2001 - 06)、青木宣親(2010 - 11)、山田哲人(2016 - )と引き継がれている。なお、2014年オフに大引啓次がフリーエージェントで移籍加入した際には、契約時に球団から誠意として提示されたが、前述の経緯を尊重して本人が辞退し、2を選択した。
  26. ↑ 金本の固辞の他にも、本拠地球場である阪神甲子園球場内にある甲子園歴史館では6番が「栄光の背番号」として紹介されており、金本以前にも景浦將、藤田平、和田豊など歴代の名選手が代々背負ってきた番号である事から、球団内外でも6を金本「のみ」の番号にすることに対しては異論が多かった。
  27. ↑ 特に、ヤクルト・巨人で主軸打者として実績のあった広澤克実は、球団から「掛布のイメージを払拭して欲しい」という要望を受けてこの番号を着用している。
  28. ↑ 山田雅人は、掛布本人とトークショーで対談した際、「永久欠番にして欲しい」との希望を表明したが、掛布は後述の現役選手による着用の継続希望を表明した。また、上岡龍太郎は、移籍選手の広澤に着用させたことを功労者への配慮がない安易な扱いと批判し、阪神ファンから近鉄ファンに転向していた。
  29. ↑ 後年の文献・資料では「永久欠番」と記述している物も見受けられるが(ベースボール・マガジン社『週刊プロ野球データファイル』等)、引退表明を1面で大きく扱ったサンケイスポーツ(東京版・1983年11月10日付)の記事では「保留欠番」と記述されているため、本項もそれに従う。
  30. ↑ 国鉄時代の根来広光以後、加藤俊夫、大矢明彦、古田と歴代の正捕手が継承してきたが、1989年のみ例外的に投手のロン・デービスが着用した。
  31. ↑ 使用したのは進藤達哉、日高剛、水口栄二、濱中治、赤田将吾、糸井嘉男、吉田正尚、西川龍馬の8人。このうち、オリックス生え抜き選手は日高と吉田の二人のみだった。
  32. ↑ 当時の西日本スポーツ(1968年1月21日)は、「広野の背番号は大型打者にふさわしく、大下弘選手(現東映監督)が(昭和)36年に引退してから、長い間欠番になっていた『3』に決まった」と報じている。
  33. ↑ 炭谷がFAで西武に移籍後、楽天を経て西武に復帰するまでの間は、人的補償として巨人から加入した内海哲也(投手)が着用した。伊東以後では唯一捕手以外が着用した事例だった。

出典

  1. ↑ “メジャー最後はリベラ 各球団最後の背番号「42」は誰?”. www.mlb.jp. MLB日本語公式サイト. 2024年7月17日閲覧。[リンク切れ]
  2. ↑ 大リーグ永久欠番物語 p69
  3. ↑ プロ野球背番号を楽しむ小事典 p16
  4. ↑ “広島が黒田背番号「15」半永久欠番に”. 日刊スポーツ. 2007年12月1日. 2012年7月13日閲覧.
  5. ↑ “楽天が星野仙一氏の背番号「77」の永久欠番発表”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 2018年3月26日. 2022年7月2日閲覧.
  6. ↑ サポーター背番号変更のお知らせ - オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2024年2月5日)2024年2月5日閲覧。
  7. ↑ 『ベースボールマガジン』1993年夏「背番号は生きている」 、ベースボール・マガジン社、1993年。
  8. ↑ 背番号にまつわるエトセトラ『週刊ベースボール』2012年2月27日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/26, 31頁。
  9. ↑ 西武が森慎二の「89」を準永久欠番に! 6月多臓器不全で急死「功労者。当分はそういう流れになる」
  10. ↑ 金本「6」永久欠番見送り…「誰が付けてもいい」本人の意向尊重 Sponichi Annex 2012年10月29日
  11. ↑ 阪神 金本前監督の背番号6来季欠番に 球団幹部「ふさわしい選手が出てくるまで」 Sponichi Annex 2018年11月13日
  12. ↑ オリックス、イチローの「51」は事実上の永久欠番 日刊スポーツ 2019年3月22日
  13. ↑ “ハム、大谷「11」は“半永久欠番” 次のスター登場まで空き番号”. スポーツニッポン. 2018年1月17日. 2018年3月21日閲覧.
  14. ↑ “エースの象徴がたった1年で…ダル父 ハムの背番号“管理”疑問”. スポーツニッポン. 2012年12月10日. 2018年3月21日閲覧.
  15. 1 2 西日本スポーツ2005年1月30日付、スポーツ報知2005年1月30日付
  16. 1 2 『プロ野球 永久欠番のタブー真相』[要ページ番号]
  17. ↑ 石橋隆雄「【ソフトバンク】王貞治球団会長の「89」“永久欠番”扱いに 城島CBO「特別な番号になって」」『日刊スポーツ』2026年1月30日。2026年1月30日閲覧。
  18. ↑ “【ロッテ】福浦が今季限りで引退…背番号9は“準永久欠番”に”. スポーツ報知 (2019年1月24日). 2023年12月14日閲覧。
  19. ↑ “26番目の戦士たち”. 千葉ロッテマリーンズ. 2010年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年5月10日閲覧。
  20. 1 2 “松井秀喜、古田敦也に“後継者”出現…各球団で扱い別れる「重い背番号」の現況は?”. Full-Count (2022年1月6日). 2024年10月12日閲覧。
  21. ↑ “鳥谷級スター現れるまで…阪神、背番「1」準永久欠番に 16年間「球団の顔」に敬意”. スポーツニッポン (2019年10月15日). 2023年1月30日閲覧。
  22. ↑ “【阪神】鳥谷敬氏が背番号1後継者にエール「縦じま1番のイメージを森下翔太に塗り替えて」”. 日刊スポーツ (2022年12月12日). 2024年10月12日閲覧。
  23. ↑ 【阪神】背番「31」15年ぶり欠番! 掛布DC自ら「2世」育てる - スポーツ報知、2013年11月11日付
  24. ↑ 阪神の新外国人マルテに掛布氏背番号「31」で賛否
  25. ↑ スポーツニッポン2009年12月11日付
  26. ↑ 背番号は赤星氏の53 建山「お断りしたいと伝えたんですが…」 スポーツニッポン 2014年6月26日
  27. ↑ INC, SANKEI DIGITAL (2017年12月5日). “8年の封印解いた!阪神D4・島田、赤星背番53に「驚きでいっぱい」”. サンスポ. 2025年1月30日閲覧。
  28. ↑ 岩瀬の背番号「13」準永久欠番に ふさわしい後継者出るまで 中日スポーツ、2018年11月28日(2019年3月23日閲覧)。
  29. ↑ “中日2位橋本「ビックリ」岩瀬氏背番「13」継承”. 日刊スポーツ (2019年12月16日). 2024年10月12日閲覧。
  30. ↑ 広島鈴木誠也が背番1へ、前田智徳氏の引退後空き番
  31. ↑ 三浦の背番号18は半永久欠番「横浜ナンバー」に スポーツニッポン 2016年9月21日
  32. ↑ “DeNA、筒香の背番号「25」を準永久欠番扱いに”. サンケイスポーツ (2020年1月9日). 2023年12月4日閲覧。
  33. ↑ ソフトB城島と決別!背番号「2」を解禁
  34. ↑ 西日本スポーツ(野口正明『大下君ご苦労さん』)・西日本新聞・読売新聞。1960年3月2日。
  35. ↑ ノムさん背番「19」楽天の永久欠番に
  36. ↑ 楽天ドラ1・藤平に栄光の背番「19」決定でボヤキ炸裂
  37. ↑ 【ソフトB】新助っ人スアレス、球団初あぶさんの「90」背負う! - スポーツ報知、2015年11月4日。
  38. ↑ ソフトバンク、来日2年目ミランダと4年目スアレスが退団へ 今季はともに精彩を欠く内容 - ベースボールチャンネル
  39. ↑ 新入団コーチのお知らせ|福岡ソフトバンクホークス
  40. ↑ ハム、「0」「00」に違和感で永久欠番 - 日刊スポーツ、2008年12月29日。
  41. ↑ 梶田主将「幸せな10年間」 - 読売新聞高知版2014年9月14日[リンク切れ]
  42. ↑ “FD・梶田宙選手の引退式にファン続々”. 高知新聞. 2014年9月14日. 2014年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  43. ↑ “10年目梶田が今季で引退”. 高知新聞. 2014年9月7日. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ.
  44. ↑ 愛媛マンダリンパイレーツ球団初! 弓岡監督の背番号「77」を永久欠番に!!【チームからのお知らせ】 - 愛媛マンダリンパイレーツ(2016年11月21日)
  45. ↑ 監督・コーチ・新入団選手の背番号決定 及び 一部選手の背番号変更のお知らせ【チームからのお知らせ】 - 愛媛マンダリンパイレーツ(2022年1月27日)2022年1月28日閲覧。
  46. ↑ MIKITO AED PROJECT - ベースボール・チャレンジ・リーグ
  47. ↑ 杉山正己「野球少年のハートを守る」『練馬の印刷 - ウェイバックマシン(2017年10月12日アーカイブ分)』2008年1月号、東京都印刷工業組合練馬支部、p.12(記事中に掲載されている新聞記事に「地元のリーグチームも背番号「10」を永久欠番とし」とある)
  48. ↑ 「「ミキトAEDプロジェクト」協賛で公式戦 アルビBC、悲劇を繰り返さぬために」『上越タイムス』2017年7月22日。2017年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月13日閲覧。
  49. ↑ 【2015年新入団監督・ヘッドコーチ・新入団選手背番号及び既存選手背番号変更】(石川ミリオンスターズ、2015年2月9日) - ウェイバックマシン(2015年3月10日アーカイブ分)
  50. ↑ 背番号変更のお知らせ - ウェイバックマシン(2015年3月23日アーカイブ分) - 群馬ダイヤモンドペガサス(2015年3月7日)
  51. ↑ 出場選手登録 (PDF) - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2015年4月13日)
  52. ↑ 【NOL】2022シーズン開幕ロースター(日本海オセアンリーグ、2022年4月1日) - ウェイバックマシン(2022年4月1日アーカイブ分)
  53. ↑ 松尾健一 - ウェイバックマシン(2023年9月28日アーカイブ分) - 千葉スカイセイラーズ
  54. ↑ 高木 海:外野手 10 - ウェイバックマシン(2023年6月2日アーカイブ分) - 石川ミリオンスターズ
  55. 1 2 2017年9月2日 - 石川ミリオンスターズ公式twitter
  56. 1 2 3 4 5 永久欠番について - ウェイバックマシン(2017年4月2日アーカイブ分) - 兵庫ブルーサンダーズ(2016年12月28日)
  57. ↑ 新入団選手のお知らせ - 兵庫ブレイバーズ(2022年3月4日)2022年3月9日閲覧。
  58. ↑ 薬師神 真之選手 訃報のお知らせ - ウェイバックマシン(2017年4月2日アーカイブ分) - 兵庫ブルーサンダーズ(2016年9月1日)
  59. ↑ 永久欠番について - 兵庫ブルーサンダーズ(2017年12月25日)[リンク切れ]
  60. ↑ 「関西独立リーグ・兵庫が阪神育成ドラ2山崎照英の「99」を永久欠番に 2年連続盗塁王」『日刊スポーツ』2025年12月2日。2025年12月2日閲覧。
  61. ↑ “創価大・田中正義、あるぞ史上初の12球団競合”. ニッカンスポーツ. 2015年12月31日. 2016年10月22日閲覧.
  62. ↑ “田中正義が背負う特別な背番号「15」”. デイリースポーツ. 2016年1月9日. 2016年10月22日閲覧.

関連項目