長野放送

ウィキペディアから、無料の百科事典
株式会社長野放送
Nagano Broadcasting Systems Inc.
長野放送 本社
種類 株式会社
略称 NBS
本社所在地 日本の旗 日本
〒380-8633
長野県長野市中御所岡田町131-7
設立 1968年3月22日
業種 情報・通信業
法人番号 1100001002488 ウィキデータを編集
事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送事業
代表者 外山衆司(代表取締役社長)
資本金 3億円
売上高 46億1149万0000円
(2023年3月期)[1]
営業利益 107万9000円
(2023年3月期)[1]
経常利益 3076万8000円
(2023年3月期)[1]
純利益 8,400万円
(2024年3月期)[2]
総資産 79億2,600万円
(2024年3月期)[2]
従業員数 84人(2023年4月時点)
支店舗数 7(本社、中南信支社、東京支社、名古屋支社、大阪支社、上田支局、諏訪支局、飯田支局)
主要株主 フジ・メディア・ホールディングス 44%
(2023年3月1日時点)[3]
外部リンク https://www.nbs-tv.co.jp/
テンプレートを表示
長野放送
英名 Nagano Broadcasting Systems Inc.
放送対象地域 長野県
ニュース系列 FNN
番組供給系列 FNS
略称 NBS
愛称 NBS
NBSテレビ
NBS長野放送
呼出符号 JOLH-DTV
呼出名称 ながのほうそう デジタルテレビジョン
開局日 1969年4月1日
本社 〒380-8633
長野県長野市中御所
岡田町
131-7
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 8
デジタル親局 長野 15ch
アナログ親局 長野 38ch
ガイドチャンネル 38ch
主なアナログ中継局 #中継局参照
公式サイト https://www.nbs-tv.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社長野放送(ながのほうそう、Nagano Broadcasting Systems Inc.)は、長野県を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者。フジ・メディア・ホールディングスの持分法適用関連会社[4]。

略称はNBSで、FNN・FNS系列のフルネット局。

概要

事業所

本社・演奏所
支社
支局(すべて長野県内に所在)

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典: [6][7][8][9]

2021年3月31日

資本金発行済株式総数
300,000,000円600,000株
株主株式数比率
フジ・メディア・ホールディングス264,000株44.00%
北野建設60,000株10.00%
信濃毎日新聞59,000株9.83%

過去の資本構成

沿革

  • 1962年(昭和37年)3月 - 長野県第2波の免許申請受付開始。県内からは『長野テレビジョン放送』『テレビ長野』『長野放送』、県外からは『長野読売テレビ放送』『長野毎日放送』『長野中日テレビ』『長野サンケイテレビジョン放送』、そして1965年(昭和40年)4月に申請した『長野朝日放送』[注釈 3]の、計8件の申請があった。これを受け、当時の西沢権一郎長野県知事の斡旋により、一本化調整が進められた[11]。
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)
    • 2月1日 - 中継車を導入[16]。
    • 3月28日 - この日の信濃毎日新聞朝刊の別紙面にて、開局を告げる全面カラー紙面「長野放送開局 PR特集」を発行[17][18]。
      • この時点でのロゴは、シアン色の『N』の中に白色の『NBS』の文字が入ったロゴであった[17]。
      • 当紙面の7ページに、開局前の主調整室に装備されている設備(マスター(主調整卓)、APC用コンピューター、2インチカラーVTR(東芝アンペックス社製 VR-1200[19])、カラーフィルムカメラ、音声自動スポット編集機)が、写真付きで公開される[20]。
    • 4月1日 - 開局。地上アナログテレビ放送の本放送開始[注釈 7]。FNNに加盟。当時は美ヶ原親局と松本、岡谷諏訪、飯田、善光寺平の4中継局の体制であった[17]。開局当時のカラー化率はゴールデン67%、全日22%で、当時は県内で最もカラー化が進んでいた[21]。
    • 5月 - 初代本社社屋完成[22]。
      • サービス放送開始時から本放送開始初期までは、スタジオと外装が未完成だった。
    • 8月1日 - 電電公社マイクロ回線の上り線が開通。『小川宏ショー』『3時のあなた』などがNBSからの全国中継が可能となった[16]。
    • 10月1日 - この日発足したFNSに加盟。同時に佐久平、戸倉上山田の2中継局を新設[17]。名古屋支局を東海テレビ放送4階に開設[23]。
    • 10月3日 - 開局後初の本格的な自社制作番組『200万人の広場 チャンネルU』が放送開始(1972年(昭和47年)3月まで)[24]
  • 1970年(昭和45年)
    • 2月1日 - 天気予報をカラー化[23]。
    • 3月31日 - カラー化率が全日46.8%、ゴールデン81.7%となる[25]。
    • 5月 - 自社カラー送出装置が完成。これに伴い、中継部分等を除く自社ローカル番組がカラー化される[注釈 8]。
    • 6月1日 - 「奥さま4時です」全面カラー化。自社制作の生番組をカラーで放送するのは県内の民放局では初[25]。
    • 9月 - 自社ローカル取材によるニュースフィルムがカラー化される[21]。
  • 1971年(昭和46年)5月1日 - 諏訪支局を諏訪文化会館内に開設[26]。
  • 1972年(昭和47年)2月28日 - 連合赤軍あさま山荘事件で犯人逮捕・連行の瞬間を、キー局のフジテレビと協力してスクープ撮影をして、FNNを通じて、全国に生放送した[注釈 9]。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月2日 - カラー中継車導入。初仕事は長野市雲上殿からの満開の桜の生中継であった[27]。これにより、自社送出番組のカラー化が完了する。
    • 12月1日 - 飯田支局を開設[28]。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - 毎日放送制作の番組が腸捻転ネット解消により信越放送に移行。代わって朝日放送制作の番組が放送されるようになる(1980年(昭和55年)9月30日まで)。
  • 1977年(昭和52年)
  • 1978年(昭和53年)3月18日 - 本社別館が完成。報道局が別館に移転し以降自社制作のニュース番組はここから放送するようになる[30]。
  • 1979年(昭和54年)4月1日 - ENG搭載のミニ中継車を導入[31]。
  • 1980年(昭和55年)
    • 6月21日 - アナログ・テレビでの音声多重放送の実用化試験放送のサービス放送を開始(SBCと同日)[32]。
    • 7月1日 - アナログ・テレビでの音声多重放送の実用化試験放送を正式に開始(SBCと同日)[32]。
    • 10月1日 - テレビ信州(TSB)の開局に伴い、テレビ朝日の番組の大部分がTSBへ移行、フジテレビ系列のフルネット局となる(ただしテレビ朝日の一部の番組は、その後も数年間番組放映権買いという形で購入し、それらを同時ネットまたは時差放送していた)。
  • 1981年(昭和56年)4月 - 16mmフィルムによる取材・番組制作を廃止。これにより、全面的に生放送かVTRを使った取材・番組制作に完全移行する。
  • 1983年(昭和58年)6月 - アナログ・テレビの音声多重放送の本放送の免許を取得(SBCと同時)。これに伴い、同放送が本放送に切り替わる[33]。
  • 1984年(昭和59年)
    • 7月2日 - 旧本館裏に現在の本社社屋が完成し移転。初代本社社屋は後に取り壊され前庭となる[34]。
    • 12月1日 - コーポレートアイデンティティ(CI)導入、ロゴを変更[34]。1994年(平成6年)9月頃に文字中の斜線が消滅し現在のロゴに。ちなみに和文ロゴはデザイナーの大高猛が制作した。
  • 1985年(昭和60年)5月10日 - 前年12月に完成していた本社社屋内多目的ホール『NBSホール』オープン[35]。
  • 1993年(平成5年)頃 - ソニー製のD2方式によるデジタルVTRを導入。
  • 1996年(平成8年)4月27日 - 長野県更埴市(現・千曲市)で発生した山火事の消火活動の取材のため、飛行していた自社所有のヘリコプター(朝日航洋に運航委託)が、同じく取材飛行中のテレビ信州チャーターのヘリコプター(東邦航空所属)と長野市篠ノ井横田の上空で衝突し、墜落する事故が発生。自社所有ヘリコプターに搭乗していた機長及びカメラマン計2名全員が死亡[注釈 10][36]。
  • 1998年(平成10年)10月25日 - この日から『スーパー競馬』の放送を開始[37]。当初はGI級競走に限っての放送だったが翌年の1999年(平成11年)10月24日から通年放送となる[38]。
  • 2005年(平成17年)
    • 6月10日 - 地上デジタルテレビ放送の予備免許を取得(長野のNHK、他の民放テレビ3局も同時に取得)[39]。
    • 10月1日 美ヶ原送信所から、地上デジタルテレビ放送の試験電波を発射する(地デジ送信機は東芝製)。
    • 11月7日 - 地上デジタルテレビ放送開始に伴い、マスター(主調整室)をデジタル・アナログ統合型に更新(東芝製)。
  • 2006年(平成18年)
    • 地上デジタルテレビ放送のサイマル放送試験に先立ち、スタジオのハイビジョン化工事が完了。
    • 7月1日
      • 地上デジタルテレビ放送のサイマル放送の試験を開始(長野県内の民放初)。
      • 局初の正式キャラクターとして「ベスト犬 ハチポ」が登場する。
    • 9月25日 - 地上デジタルテレビ放送の本免許を取得(長野の他の民放テレビ3局も同日に取得)[40]。
    • 10月1日
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)11月3日
    • 翌年4月の開局40周年に先立ち、同じ翌月の12月16日に開局40周年を迎えるフジ系のNST新潟総合テレビと共同で両局開局40周年特番の共同制作「スマイル・これだね!」をNSTと同時に生放送を行う。これを機に、同局とは毎年1回(10月下旬か11月上旬)、同番組の共同制作を行う様になる[注釈 13]。
    • NBSのコーナー 天気予報・今日の俳句・あなたのベストショットで使われるヴァーチャルスタジオのデザインが変更される。
  • 2009年(平成21年)5月14日 - WEBサイト(ホームページ)の名称が、「ハチポワールド」となる(2017年(平成29年)2月15日の同サイトの完全リニューアル前まで)。
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)5月7日 - 5月18日 - フジテレビの平日のお昼の番組『知りたがり!』の時間帯[注釈 14]に、自局初のデータ放送を使ってのNBSローカル独自のプレゼント・キャンペーンを行う(尚、同番組がない12日・13日は不実施)[注釈 15]。
  • 2017年(平成29年)2月15日 - WEBサイト(ホームページ)を完全リニューアルし、全ページSSL通信となり、尚且つ、PC、スマホ、タブレットの全形態対応型となる[44]。
  • 2019年(平成31年・令和元年)
    • 1月1日 - 3か月後に迎える開局50周年に伴い、「きっといいこと with NBS」をキャッチ・フレーズに、開局50周年プロジェクトがスタートする[45]。
    • 4月1日 - 開局50周年。
    • 5月10日 - 同年3月21日に放送された、ローカル送出番組『働き方改革から始まる未来』について、放送倫理・番組向上機構(BPO)の第137回放送倫理検証委員会にて、「CMと誤解を招きかねず放送基準に抵触する疑い」ということで、同番組の審議入りを決定[46][47][48]。
    • 10月7日 - 前述のローカル送出番組『働き方改革から始まる未来』について、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、同番組において、放送倫理違反があったという、委員会決定を発表[49][50][51][52][53][54][55]。
  • 2022年(令和4年)
    • 6月27日 - WEBサイト(ホームページ)をリニューアル[56]。

本社社屋関係

  • 1967年(昭和42年)12月22日 - 創立事務所を長野市南石堂町の長栄ビル7階に設置[12][57]。1968年(昭和43年)3月18日の設立後は本社事務所として使用[57]。
  • 1968年(昭和43年)
    • 7月13日 - 長野市岡田町の県蚕業試験場跡地にて初代社屋の地鎮祭[13]。
    • 12月20日 - 初代社屋(2階建て鉄筋コンクリート作り延床面積1,988.23m2)の一部(主調整室)が完成[58]。この時点では建物内部もコンクリートの地肌がむき出しになっている状態で、アナブースには机すらなく、床に直接マイクが置かれているだけの状態であった[57]。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月2日 - 本社事務所が南石堂町から岡田町の初代社屋に移転[16]。この時点で内装全てが完成。
    • 5月 - 外装工事が完了し初代本社社屋が完成[22](鉄塔には旧ロゴの「NBS」を象った青いネオンサインが縦に付いていた)。
  • 1977年(昭和52年)8月8日 - 別館の建設に着手[30]。
  • 1978年(昭和53年)3月18日 - 鉄筋コンクリート3階建て、延床面積1,268m2の本社別館が完成[30]。
  • 1983年(昭和58年)11月 ‐ 本社新社屋着工[59]。
  • 1984年(昭和59年)7月2日 - 現在の本社社屋本館(4階建て一部5階建て、床面積3,269m2)が完成。初代本社社屋は取り壊され1985年春までに前庭となる[注釈 16][60]。
  • 1985年(昭和60年)5月10日 - NBSホールがオープン[35]。
社史関係
  • 1989年(平成元年)5月25日 - 「長野放送二十年の歩み」刊行。

テレビネットワークの移り変わり

マスコット・キャラクター

  • マスコットは創立以来、2006年(平成18年)まで正式なものがなく、2001年(平成13年)に暫定として「ダッくん」(サービス放送開始時から開局前までのオープニングや、同じくサービス放送開始時から数年間、CMのフィラーとして局の宣伝として放映されていたカラーアニメの中に出てくる、アヒルをモチーフにしたキャラクター)が設定されていたが、2006年(平成18年)7月1日にベストと犬を掛け合わせたキャラクター「ベスト犬 ハチポ」が初の正式マスコットとして採用されデビューし(これに伴い「ダッくん」は引退)、翌年7月1日には、ハチポのガール・フレンドである「ベスト犬 ハチナ」もデビューし、このハチポとハチナが現在、同局のキャラクターとして活躍している(ハチポ、ハチナの詳細については、各項目を参照のこと)。

主な番組

出典:[63]

※太字は字幕放送

自主制作番組

  • ふるさとライブ(月 - 金曜 15:20 - 15:45)
  • NBSみんなの信州(月 - 金曜 18:09 - 19:00)[注釈 17]
  • パチFUN!(水曜 25:25 - 25:55)
  • ハッピーライフ(木曜 24:55 - 25:00)
  • NBSフォーカス∞信州(月1回金曜 19:00 - 19:57)[注釈 18]
  • 未来への便り(第1土曜 8:55 - 9:00)
  • N☆1〜NBSトクセン〜(土曜 10:25 - 10:45)
  • NBSサタデースペシャル(土曜 10:45 - 11:15、14:00 - 16:00)
  • 土曜はこれダネッ!(土曜 18:00 - 19:00)[注釈 19]
  • い〜の!レイクリゾート(土曜 17:25 - 17:30)
  • かんてんぱぱのわくわくクッキング(日曜 17:25 - 17:30)
  • 健康ばんざい(第4土曜 14:00 - 14:30)
  • おはようNBS(第4日曜 5:55 - 6:00)

NBSが制作に協力したフジテレビ系番組

ネット番組

フジテレビ系列・主なローカルセールス枠の番組

制作局の表記のない番組はフジテレビ制作。

テレビ東京系列番組
その他

※2022年10月現在は放送なし

過去の自主制作番組

過去の差し替え番組

過去の他系列番組

テレビ東京系列
ナースエンジェルりりかSOS→こどものおもちゃ(『赤ずきんチャチャ』はTSBで放送・『姫ちゃんのリボン』は県内では未放送)
超星神グランセイザー→幻星神ジャスティライザー→超星艦隊セイザーX
ただしTSBでも何度か再放送されていた。
ドラマ
バラエティ
紀行番組
NET→テレビ朝日系列
秘密戦隊ゴレンジャー→ジャッカー電撃隊→電子戦隊デンジマン [82](1980年10月からTSBにネット局変更)
キャンディ・キャンディ→花の子ルンルン→魔法少女ララベル(「スーパー戦隊シリーズ」同様1980年10月からTSBにネット局変更)
同系列で毎日放送制作の番組(腸捻転解消前)
仮面ライダー→仮面ライダーV3→仮面ライダーX(『…アマゾン』は放送せず。平成・令和シリーズはabnで放送)
  • 狼・無頼控
  • テレビスター劇場
  • 野生の王国(SBCより移行 開局から1969年9月28日までは日曜18:00-18:30、1969年10月5日から1972年9月24日までは日曜 17:30 - 18:00、1972年10月1日から1975年3月30日までは日曜 17:45 - 18:00に放送されていた。腸捻転解消後再びSBCへ移行[93])
同系列で朝日放送制作の番組(腸捻転解消後)
必殺仕業人→必殺からくり人→必殺からくり人・血風編→新・必殺仕置人→新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅→江戸プロフェッショナル・必殺商売人→必殺からくり人・富嶽百景殺し旅→翔べ! 必殺うらごろし→必殺仕事人(第41話まで。第42話から第67話まで放送なし。第68話以降TSB[94]にネット局変更)
日本テレビ系列(※TSB開局まで)
その他

アナウンサー

現在

男性
女性

過去

●は故人。

男性アナウンサー

女性アナウンサー

チャンネル

フジテレビ系列のリモコンキーID地図

リモコンキーIDは8。

中継局

デジタル放送
  • 親局 美ヶ原 15ch 1kW
中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)
善光寺平3420飯山495松本2610真田4910佐久493白馬263
軽井沢4410岡谷諏訪4920伊那2610飯田49100山ノ内151明科391
戸倉上山田291岡谷川岸260.3大町563塩尻東391木曽福島261八千穂15
信州新町19戸隠陣場平34上松15倉本50富士見15大岡西34
辰野47高遠34麻績34牟礼41坂城34望月45
南牧29中条19駒ヶ根中沢43飯田川路34飯田阿智26白樺湖26
飯山愛宕34飯山奈良沢34山ノ内湯ノ原26西裾花台長野西須坂東
松代東条信濃町車山望月城山飯綱湖中軽井沢
アナログ放送

2011年7月24日停波時点

  • 親局 美ヶ原 38ch 10kW
  • 中継局(全72局)
中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)中継局ch出力(W)
善光寺平42200飯山4150松本42100四賀会田57真田40100佐久[注釈 34]32300
軽井沢51100岡谷諏訪47200伊那57100飯田401K山ノ内43明科123
戸倉上山田57[注釈 35]大町58木曽福島41八千穂58辰野34岡谷山岸42
富士見34上松51倉本59牟礼58戸隠陣場平42信州新町41
白馬47小川瀬戸川58本城乱橋54長門47阿南21高遠41
木祖楢川60天龍平岡56遠山48南木曽40麻績47南牧41
川上61望月58望月城山39木曽杭ノ原56中川田島56飯田阿智57
中川小和田56坂城41小谷34飯山奈良沢46飯山愛宕58飯山桑名川58
栄村33塩尻東35伊那野底47車山46山ノ内湯ノ原59大桑41
新野57阿南北条60長野西39鬼無里47駒ヶ沢中沢58須坂東61
長野松代53更埴54須坂南原49長野西条43富士見瀬沢42開田末川56
白樺湖60開田西野28飯田川路56大岡西25若穂58中条57

※山ノ内、明科は共にVHFによる中継局である。

情報カメラ設置ポイント

●…ハイビジョンカメラ

  • 長野市(本社屋上鉄塔)●
  • 松本市(昭和ビル)●
  • 上田市●
  • 諏訪市(アーク諏訪)●
  • 飯田市●
  • 白樺湖●

『あさま山荘事件』犯人逮捕のスクープ裏話

1972年(昭和47年)2月28日、長野県北佐久郡軽井沢町で起きた連合赤軍あさま山荘事件で、フジテレビと協力して犯人逮捕→連行の模様を生中継するという報道史上に残る快挙を達成したが、これは、当時のNBSのテレビ中継車が未だにカラー化されずモノクロであった状況が逆にプラスに作用した。その時の模様の一部は、後にNHK-BS2の「BSスペシャル 青春TVタイムトラベル 第2回『1972年2月28日 テレビの一番長い日〜ニュース映像の衝撃 連合赤軍浅間山荘事件に関係したTVマンたちの一日』(1992年(平成4年)10月31日放送)」でもNHK及び民放各局(長野のNBS、SBCも含む)の当時のVTRを始めとする映像と一緒にまとめて紹介され、その際スクープ映像のVTRも一緒に放送された[注釈 9]。

当時、系列キー局の大半が全番組のカラー化を完了していたが、当時の地方局のカラー化の事情については、地方局がどの系列局に属するか、また、放送局の事情などでも、大きな違いがあった。

信越放送(SBC)は、1958年(昭和33年)にテレビ放送を開局した長野県の老舗の民放であり、ニュースネットワークはTBS系のJNNで、同組織の方針も手伝い、カラー中継車を始めとするカラー放送設備も既に完備していた。

しかしNBSは、1967年(昭和42年)のUHF第1次チャンネルプランに基づき1969年(昭和44年)に開局したテレビ局で、NBSを含めこの頃から相次いで開局した地方の民放UHFテレビ局のほとんどは未だにカラー中継車を導入しておらず、モノクロの中継車しかなかった[注釈 36]。

この事件の生中継でも、NHK及びSBCは当然カラー中継で、NBSはその点では不利な状況に置かれていた。 しかし、NBSは、ニュースネットワークが開局時からフジテレビ系列のFNNのみであることが、この事件の報道に於いて最終的にはスクープ映像を生み、功を奏した結果となったのである。

事件当日、既にNBSはFNNとしての報道取材の協力体制を確立し、テレビの生中継はメインをフジテレビが自社のカラー中継車で行うこととし、NBSではフジテレビが放送している事件の模様の生放送を、放送回線(当時は電電公社の放送専用のマイクロ波回線)を通してそのまま放送する状況だった。しかし、当時はカラー放送が普通である時代に入っていた為、フジテレビ・FNNではNBSのモノクロ中継車の扱いをどうするのかが問題となっていた。一方で当時のカラーカメラは、普通、モノクロカメラの最低3倍もの照度がなければ映像として映し出すことができない性能であり[注釈 37] 、それはその裏を返せば「モノクロならば映し出すことができる照度が、カラーのそれより低い」ということになり、その点においてはモノクロカメラにまだ分があった。そんな中、既にフジテレビでは当時モノクロのハンディー型の高感度カメラを所有していたため、後の犯人が連行される現場にそのカメラとNBSのモノクロ中継車を配置する判断がなされ、決行。そして18時過ぎに犯人連行の瞬間の模様を撮影し、それがフジテレビ・FNNを通じ全国に生放送された。

その時の判断を記す文献が、NBSが1989年(平成元年)に発行した社史「長野放送二十年の歩み」に掲載されており、「(前略)犯人逮捕が夕方になると判断した中継スタッフは日照時間を調べカラー放送は無理と判断、そこにちょっとした偶然が重なった。というのも、長野放送は当時カラー化を進めていたが、その現場に出ていた中継車はまだ白黒用だった。・・・」という一文が書かれている。

更に、前述のNHK-BS2の「青春TVタイムトラベル」の中では、スクープを撮影した当時のフジテレビのカメラマンの証言が放送され、それによると配置された後、長い時間、下にいるスタッフに足を抱えられながら持ち上げられて、前に述べた当時としては小型(と言っても、後の放送用のHDV規格の一体型カメラに比べれば約一回りも大きい)のハンディーカメラを抱え続けながら長時間待ち続けて、スクープ撮影に成功したのだという。

一方、当時唯一のライバル局のSBCは、すでに自社送出番組のカラー化を完了しており、カラー中継車をフルに使うなどものすごい意気込みで事件報道に取り組んでいたが、NBSが快挙を達成した日にはカメラマンが銃撃されて負傷、挙句の果てには犯人逮捕→連行の瞬間も逃すという大失敗に終わった。

2001年(平成13年)に発行された同社の社史「信越放送の50年」には「(前略)残念だったのは現場に中継用の(カラー)高感度カメラがなく、生中継で写せなかった事である。」とあり、NBSとフジテレビが協力して行ったスクープがいかに歴史的なものだったかの証明になっている。

一方、スクープの撮影・生放送を行ったフジテレビでは、これを機に、報道に力を入れるようになったと当時フジテレビ職員であった日枝久が、前述のNHK-BS2の「青春TVタイムトラベル」の中で述べていた(日枝はこの放送当時フジテレビの社長で、後にフジテレビ及びフジ・メディア・ホールディングスの会長となった)。

主な受賞歴

関連企業・関連施設

福利厚生施設としては、『長野放送CCコテージ』(木曾カントリーコテージ)や『湯沢リゾート』(シャーレゆざわ内)が存在[106]。

この他、契約スキー宿舎や契約スポーツ施設が各地に所在する[106]。

脚注

注釈

  1. ↑ Nippon Broadcasting System。長野放送のS(複数形)と異なりニッポン放送のSは単数形。
  2. ↑ ただし、2016年時点では、下記の通りフジ・メディア・ホールディングスと地元紙の信濃毎日新聞の出資比率が増加した一方、中日新聞と産経新聞の出資比率が減少した。
  3. ↑ 現在の『長野朝日放送』とは無関係。
  4. ↑ 当時のUHF第1次チャンネルプランに基づくもので、この日は他にも新潟総合テレビ(NST)、テレビ静岡(SUT)等にも、予備免許が交付された
  5. ↑ サービス放送期間を民間放送史上例を見ない3か月余と長めに設定したのは、開局までに1台でも多くコンバーターを取り付けてもらい、長野放送のテレビを見てもらうという狙いがあった[15]。
  6. ↑ サービス放送初日は、11時56分より社歌(NBSの歌)を流した後『只今からサービス放送を開始致します NBS長野放送』と画面が表示され、『JOLH-TV、JOLH-TV ただいまからサービス放送を開始します』と師田栄一アナウンサーのナレーションが流れた後、サービス放送最初の番組である、フジテレビからのネット番組『お昼のゴールデンショー』に接続した[15]。ちなみにカラー放送としての最初の番組は、翌21日19時からの『戦え! マイティジャック』(同じくフジテレビからのネット)だった。
  7. ↑ ちなみに、開局初日の最初の番組は、8時45分からの『朝の歌謡曲』だった。
  8. ↑ これにより、ネット受けを含むカラー化率が急速にアップする。当時UHFでは、ネット受けで精一杯といわれていただけに大いに注目された。
  9. 1 2 NHK-BS2「BSスペシャル 青春TVタイムトラベル 第2回『1972年2月28日 テレビの一番長い日~ニュース映像の衝撃 連合赤軍浅間山荘事件に関係したTVマンたちの一日』(1992年10月31日放送、NHKクロニクルにも記載)」にて、その瞬間のVTR映像が再放送され、それを撮影した、当時のフジテレビのカメラマンの証言が放送された。NBSは、その時の中継車等の中継関係で協力した。同番組は、NHKの番組「NHKアーカイブス」の2012年(平成24年)2月26日放送にて、時間を短縮編集させて再放送された。(URL https://web.archive.org/web/20121111074337/https://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2011/120226.html )
  10. ↑ テレビ信州チャーターのヘリコプターに搭乗していた機長、報道記者ら計4名も全員死亡した[36]。
  11. ↑ ちなみに、地デジの本放送での初放送番組は、『通販DJ』だった。
  12. ↑ ちなみにここで言うFNS主要局は、以下の通り。フジテレビ、北海道文化放送、仙台放送、東海テレビ、関西テレビ、テレビ新広島、テレビ西日本。
  13. ↑ 2008年(平成20年)の初回は、NSTのスタジオをメインに各中継を結ぶ生放送だったが、翌年からは、製作局はその年によって異なり、製作を行わない方は、制作協力の方に廻る様になっている。
  14. ↑ 当番組は、この年の4月から14時開始に移行した。フジテレビを始めとする一部の局では、第2部の15時52分まで放送しているが、NBSでは、大半のネット局と同様、第1部のみの14時から14時58分まで放送だが、NBSでは編成上、15時までの放送扱いとなっている。
  15. ↑ 同番組時間中に、ワンセグを除く通常の12セグメントの地上波に於けるデータ放送で、キーワードを表示し、視聴者がネット又は携帯にてその日の17時まで応募。毎日5名ずつ、計50名に各々5千円が当たるというもの。
  16. ↑ 前庭は市民の憩いの場になるよう構成されており、中央にはアントワーヌ・ポンセ氏の彫刻作品『ウバツゥバ』が配置されている。
  17. ↑ 18:45.30 - 18:55はフジテレビ『Live News イット!』をネット。
  18. ↑ ローカルセールス枠の関係で『坂上どうぶつ王国』を不定期に遅れネットにするための代替編成。
  19. ↑ 18:00 - 18:30は、多くのフジテレビ系列局で『ミュージックフェア』を放送しているが、NBSでは1981年9月で放送を打ち切られた。ただし、一部地域ではフジテレビ、東海テレビ、テレビ静岡のいずれかを受信すると『ミュージックフェア』が視聴可能。
  20. ↑ 2023年4月より第1部からのネットを開始した。
  21. ↑ 都合により2019年6月26日から7月17日までグータンヌーボ2に差し替えられていた。
  22. ↑ 2019年10月 - 12月の期間は木曜 25:30 - 26:30に拡大されていた。
  23. ↑ 編成の都合などで放送がない時は「NBSフォーカス∞信州」またはNST新潟総合テレビとの共同制作番組「スマイル・これダネッ!」を放送。ただし、当日の深夜または後日放送の場合あり。
  24. ↑ スポーツ中継などで短縮、休止あり。
  25. ↑ 7:30 - 8:25はネットセールス枠。
  26. ↑ 2006年秋のローカル枠降格までは同時ネットで放送、2013年4月14日にネット再開。
  27. ↑ 以前は土曜または日曜の昼に不定期で放送されていたが、2022年5月14日から現在の時間に遅れネットでの放送を開始。
  28. ↑ 過去にTSB→abn→SBCの順に遅れネットで放送した実績があるため、当局でのネット開始により長野県内の民放4局すべてで放送経験を持つこととなった。
  29. ↑ 2015年4月19日よりネット再開。
  30. ↑ スポーツ中継などで休止または放送日時変更あり。
  31. ↑ 2作目はフジテレビ製作、途中まで同時ネット。3作目・4作目は県内未放送。
  32. ↑ 2018年1月3日 - 1月6日(1月2日 - 1月5日深夜)にまとめて放送。
  33. ↑ 2018年9月まではBSジャパン
  34. ↑ 1969年10月の中継局設置当初は44chであった[17]
  35. ↑ 1969年10月の中継局設置当初は12ch(VHF)であった[17]
  36. ↑ これらの局がそれを導入するようになったのは、主にこの事件の直後から翌年にかけてのことである。ちなみにNBSは、1973年の3月末頃に導入した。
  37. ↑ 当時のカラーカメラは普通、1つの画像を3原色の赤・青・緑用の各撮像管によって撮影している為、照度は最低モノクロの3倍必要で、当時はこれが普通だったものの、後にその3原色に加えてモノクロ用を加えた4本の撮像管にすることにより、カラーS/N比は下がるものの、感度が向上するカラーカメラも一部で実用化されており、その場合はモノクロ専用カメラの2倍の照度となる。尚、1970年にはNHKが従来のカラーカメラの約50倍の感度を持つ超高感度カラーカメラを導入、使用開始している[102]。

出典

  1. 1 2 3 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、341頁。
  2. 1 2 株式会社長野放送 第57期決算公告
  3. ↑ 基幹放送事業者の議決権保有状況等 地上系放送事業者 - 総務省電波利用ホームページ 2023年11月3日閲覧
  4. ↑ “有価証券報告書-第75期(平成27年4月1日-平成28年3月31日)” (PDF). フジ・メディア・ホールディングス (2016年6月28日). 2021年8月6日閲覧。
  5. ↑ “有価証券報告書-第75期(平成27年4月1日-平成28年3月31日)” (PDF). フジ・メディア・ホールディングス (2016年6月28日). 2021年6月23日閲覧。
  6. ↑ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、191頁。
  7. ↑ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、276頁。
  8. ↑ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、296頁。
  9. ↑ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、336頁。
  10. ↑ 長野放送 取締役相談役
  11. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)33 - 34頁。
  12. 1 2 3 4 5 6 7 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)80頁。
  13. 1 2 3 4 5 6 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)81頁。
  14. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)29pより。
  15. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)29頁。
  16. 1 2 3 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)82頁。
  17. 1 2 3 4 5 6 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)153pより。
  18. ↑ 信濃毎日新聞 1969年3月28日 朝刊 別紙面「長野放送開局 PR特集」(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  19. ↑ 信濃毎日新聞 1969年3月28日 朝刊 別紙面「長野放送開局 PR特集」P.4 東芝アンペックス社広告(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  20. ↑ 信濃毎日新聞 1969年3月28日 朝刊 別紙面「長野放送開局 PR特集」P.7(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  21. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)40頁より。
  22. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)67頁より。
  23. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)83頁より。
  24. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)36、83頁より。
  25. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)153pより。
  26. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)84頁より。
  27. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)85頁より。
  28. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)86頁より。
  29. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)89頁より。
  30. 1 2 3 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)75 - 76頁より。
  31. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)91頁より。
  32. 1 2 信濃毎日新聞 1980年6月30日 夕刊 P.8 テレビ欄 「SBC・NBSの音声多重放送 あすから本格開始 記念番組を編成しPR」(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  33. ↑ 信濃毎日新聞 1983年9月23日 朝刊 P.2「TSBにも免許 音声多重放送」の記事に記載。(信濃毎日新聞データベースにて閲覧)
  34. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)129頁より。
  35. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)144頁より。
  36. 1 2 運輸省航空事故調査委員会『航空事故調査報告書 (PDF)』(レポート)、1997年2月20日。
  37. ↑ 1998年10月25日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  38. ↑ 1999年10月24日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  39. ↑ この日は、長野県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  40. ↑ 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年9月20日付
  41. ↑ CSR Report,2014年6月23日,関西テレビ放送
  42. ↑ “5月28日(日)”. カンテレ通信. 関西テレビ放送. 2023年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月2日閲覧。
  43. ↑ “FNN各局も参加 「首都直下型地震」を想定し、大規模な災害放送訓練を実施”. 2011年度活動報告,CSR. フジテレビジョン. 2023年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月2日閲覧。
  44. ↑ ウェブサイトリニューアルのお知らせ(NBSのWEBサイト 2017年2月15日付) リンク切れ
  45. ↑ NBS開局50周年サイトに掲載。
  46. ↑ “第137回放送倫理検証委員会議事概要 "CMと誤解を招きかねず放送基準に抵触する疑い"長野放送『働き方改革から始まる未来』審議入り”. 放送倫理・番組向上機構 (2019年5月10日). 2019年10月24日閲覧。
  47. ↑ “長野放送の番組、BPO審議 1社提供もCMと明示せず”. 朝日新聞デジタル. (2019年5月10日) 2019年10月24日閲覧。
  48. ↑ “広告か番組か? 長野放送 BPO審議入り”. 日テレNEWS24. (2019年5月10日) 2019年10月24日閲覧。
  49. ↑ “放送倫理検証委員会決定第30号 長野放送『働き方改革から始まる未来』に関する意見” (PDF). 放送倫理・番組向上機構 (2019年10月7日). 2019年10月24日閲覧。
  50. ↑ “第501回長野放送番組審議会” (PDF). 長野放送 (2019年5月8日). 2021年1月27日閲覧。
  51. ↑ “長野放送番組「広告放送と誤解される」 BPOが意見書”. 朝日新聞デジタル. (2019年10月7日) 2019年10月24日閲覧。
  52. ↑ “長野放送に倫理違反「広告と誤解されかねない」”. ANNnewsCH(YouTube公式チャンネル). (2019年10月7日) 2019年10月24日閲覧。
  53. ↑ “メ〜テレオンブズ 2019年11月10日放送”. 名古屋テレビ放送 (2019年11月10日). 2021年1月27日閲覧。
  54. ↑ “"視聴者が広告放送と疑いを抱く",長野放送にBPOが放送倫理違反の判断”. NHK放送文化研究所 (2019年12月24日). 2021年1月27日閲覧。
  55. ↑ NHK放送文化研究所 編『NHK年鑑2020』NHK出版、2020年12月11日、13頁。
  56. ↑ NBSホームページ リニューアルのお知らせ(2022年6月27日付) 2022年7月9日閲覧
  57. 1 2 3 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)75頁より。
  58. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)67、81頁より。
  59. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)128頁より。
  60. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)123、129頁より。
  61. 1 2 1984年10月4日、1986年3月27日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  62. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)175頁より。
  63. ↑ 2020年4月~ NBS基本番組表
  64. ↑ 2013年3月31日、4月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  65. 1 2 3 4 『長野放送二十年の歩み』(平成元年5月25日発行)174ページ。
  66. 1 2 3 4 5 6 7 『長野放送二十年の歩み』(平成元年5月25日発行)175ページ。
  67. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)36pより。
  68. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)37pより。
  69. ↑ 2000年7月20日、2006年4月12日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  70. ↑ 1992年11月17日、1993年5月18日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  71. ↑ 2003年5月21日、2004年4月21日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  72. ↑ 2004年4月28日、2005年5月11日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  73. ↑ 1979年10月16日、1980年4月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  74. ↑ 1976年6月24日、1977年4月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  75. ↑ 1977年4月22日、12月2日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  76. ↑ 1978年2月23日、11月23日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  77. ↑ 1989年10月22日、1990年10月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  78. ↑ 1992年5月1日、10月23日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  79. ↑ 2006年4月6日、2012年3月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  80. ↑ 「マスカットナイト」・「マスカットナイト・フィーバー!!!」・「恵比寿マスカッツ横丁!」の3番組は長野県では放送されていない。
  81. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(平成元年5月25日発行)175ページ
  82. ↑ 『バトルフィーバーJ』はTSBで時差ネットで放送
  83. ↑ 1976年5月24日、11月8日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  84. ↑ 1979年12月12日、1980年10月13日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  85. ↑ 1973年10月9日、1974年10月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  86. ↑ 1975年7月27日、1976年1月18日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  87. ↑ 1976年1月25日、1977年4月10日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  88. ↑ 1979年9月27日、1980年9月11日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  89. ↑ 1980年5月11日、9月21日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  90. ↑ 1973年10月5日、1980年8月29日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  91. ↑ 1975年10月4日、1976年10月16日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  92. ↑ 1980年4月1日、8月8日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  93. ↑ 1969年4月6日、9月28日、1969年10月5日、1972年10月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  94. ↑ 開局後最初の放送。
  95. ↑ 1976年1月14日、6月16日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  96. ↑ 信濃毎日新聞 1978年2月18日、1980年10月6日、1981年2月7日 テレビ欄
  97. ↑ 1974年11月13日、1975年5月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  98. 1 2 3 NHKウィークリーステラ1997年6月13日号全国アナウンサー名鑑
  99. ↑ “林勇”. <アナウンサー紹介>. 長野放送. 1999年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月5日閲覧。
  100. 1 2 3 4 5 6 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)165頁。
  101. 1 2 『月刊ながの情報』1994年8月号
  102. ↑ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、42, 209頁。
  103. ↑ “FNSドキュメンタリー大賞”. フジテレビ. 2024年9月29日閲覧。
  104. ↑ “2024年日本民間放送連盟賞 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. j-ba.or.jp. 2024年9月29日閲覧。
  105. ↑ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)133頁。
  106. 1 2 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)133頁より。

外部リンク