1796年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
| 十年紀: | 1770年代 1780年代 1790年代 1800年代 1810年代 |
| 年: | 1793年 1794年 1795年 1796年 1797年 1798年 1799年 |
1796年(1796 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる閏年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]


- 2月9日(乾隆60年1月1日) - 清で第6代皇帝乾隆帝が祖父康熙帝の在位年数(61年)を超えないよう配慮して退位し、太上皇となる。第15皇子の顒琰(嘉慶帝)が即位[1]。
- 2月16日 - イギリス軍がオランダ領セイロンの拠点コロンボを占領(フランス革命軍のオランダ侵攻に伴うバタヴィア共和国成立に対抗した接収)[2][3]。
- 3月2日 - フランスの総裁政府、ナポレオン・ボナパルトをイタリア方面軍司令官に任命(3月27日にニースの司令部に着任)。第一次対仏大同盟に対抗する作戦の一環[4]。
- 3月4日(嘉慶元年1月26日) - 清の湖北省で漢民族農民を中心とする白蓮教徒の乱が勃発( - 1804年)[5]。
- 3月9日 - ナポレオン・ボナパルトがジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと民事婚を挙行[6]。
- 3月26日(寛政8年2月18日) - 日本で稲村三伯らが、日本初の本格的な蘭和辞典『ハルマ和解』(江戸ハルマ)の自序を脱稿し完成[7][8]。
- 3月30日 - ドイツの数学者ガウスが、定規とコンパスによる正十七角形の作図可能性を発見(ガウスが数学者となる決意の契機となり、自身のガウスの数学日記の最初の項目として記録)[9][10]。
- 4月8日 - ガウスが平方剰余の相互法則の最初の厳密な証明に成功[11]。
- 4月12日 - フランス革命戦争(イタリア戦役): モンテノッテの戦い。ナポレオン率いるフランス軍がオーストリア・サルデーニャ連合軍を撃破し、北イタリア進出を本格化[12]。
- 5月10日
- フランスで総裁政府の転覆と私有財産制の廃止(共産主義的構想)を計画したフランソワ・ノエル・バブーフやフィリッポ・ブオナローティらが逮捕される(バブーフの陰謀)[13]。
- イタリア戦役: ロディの戦い。フランス軍がオーストリア軍の後衛を破り、ミラノ入城を果たす[14]。
- 5月14日 - イギリスの医師エドワード・ジェンナーが少年ジェームズ・フィップスに初めて牛痘の膿を接種し、種痘法の開発に成功(近代免疫学の先駆け)[15][16]。
- 5月25日-6月29日 - イギリスで総選挙。対仏強硬路線の首相小ピット率いる与党(トーリー派系)が多数派を維持[17]。
- 6月1日 - アメリカ合衆国で南西部領土が16番目の州テネシー州として合衆国へ加盟[18]。
- 9月15日(寛政8年8月14日) - イギリス海軍中佐ブロートン率いる探検船プロビデンス号が内浦湾(噴火湾)に来航し沿岸を測量(9月28日に室蘭港へ入港)。ロシア帝国の南下に加え、イギリス船の接近を認識した江戸幕府は北方警備を強める[19]。
- 11月15日-11月17日 - イタリア戦役: アルコレの戦い。ナポレオン軍がオーストリア軍の援軍を破り、マントヴァ要塞の包囲戦を優勢に進める[20]。アントワーヌ=ジャン・グロがこの戦闘を題材に、英雄像として理想化された肖像画『アルコレ橋のボナパルト』を制作[21]。
- 日付不詳 - フランスの数学者・天文学者ラプラスが『宇宙の体系』(Exposition du système du monde)を刊行。末尾の注釈で、カントの所説(1755年)とともに太陽系の起源に関する「カント・ラプラスの星雲説」の基礎となる仮説を提唱[22][23]。
誕生
[編集]→「Category:1796年生」も参照
- 2月6日 - ジョン・スティーブンス・ヘンズロー[24]、イギリスの植物学者(+ 1861年)
- 2月17日 - フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト[25]、ドイツの医師、博物学者(+ 1866年)
- 2月22日 - アドルフ・ケトレー[26]、ベルギーの統計学者、天文学者(+ 1874年)
- 2月23日(寛政8年1月15日) - 賀集珉平[27]、陶芸家(+ 1871年)
- 3月18日 - ヤコブ・シュタイナー[28]、スイスの数学者(+ 1863年)
- 4月24日 - カール・インマーマン[29]、ドイツの作家(+ 1840年)
- 5月4日 - ホーレス・マン[30]、アメリカの教育家(+ 1859年)
- 6月1日 - ニコラ・レオナール・サディ・カルノー[31]、フランスの物理学者(+ 1832年)
- 7月2日 - ミヒャエル・トーネット[32]、ドイツの家具デザイナー(+ 1871年)
- 7月6日 - ニコライ1世[33]、ロマノフ朝第11代ロシア皇帝(+ 1855年)
- 7月16日 - ジャン=バティスト・カミーユ・コロー[34]、フランスの画家(+ 1875年)
- 11月11日 - 潘清簡[35]、ベトナムの政治家、外交官(+ 1867年)
- 11月30日 - カール・レーヴェ[36][37]、ドイツの作曲家(+ 1869年)
- 12月22日(寛政8年11月24日) - 鳥居耀蔵[38]、幕臣(+ 1873年)
- 月日不詳
死去
[編集]→「Category:1796年没」も参照
- 2月17日 - ジェイムズ・マクファーソン[45]、スコットランドの詩人(* 1736年)
- 3月8日 - ウィリアム・チェンバーズ[46]、イギリスの建築家(* 1723年)
- 5月6日 - アドルフ・クニッゲ[47]、ドイツの作家、社会評論家(* 1752年)
- 7月21日 - ロバート・バーンズ[48]、スコットランドの詩人(* 1759年)
- 10月7日 - トマス・リード[49]、哲学者、スコットランド常識学派の創始者(* 1710年)
- 11月6日 - エカチェリーナ2世[50]、ロシア帝国女帝(* 1728年)
- 12月11日 - ヨハン・ティティウス[51]、ドイツの自然科学者(* 1729年)
脚注
[編集]注釈
出典
- ↑ 『嘉慶帝』 - コトバンク
- ↑ 『コロンボ』 - コトバンク
- ↑ “British Ceylon (1796–1900)”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月13日閲覧。
- ↑ “French Revolutionary Wars: Bonaparte's Italian Campaign”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月13日閲覧。
- ↑ 『白蓮教徒の乱』 - コトバンク
- ↑ 『ナポレオン1世』 - コトバンク
- ↑ 『ハルマ和解』 - コトバンク
- ↑ “年表 - 江戸時代の日蘭交流”. 国立国会図書館. 2026年9月13日閲覧。
- ↑ 『正多角形』 - コトバンク
- ↑ 『ガウス』 - コトバンク
- ↑ 『整数論』 - コトバンク
- ↑ “bataille de Montenotte (12 avril 1796)”. Éditions Larousse. 2026年9月13日閲覧。
- ↑ 『バブーフ』 - コトバンク
- ↑ “Battle of Lodi”. Encyclopædia Britannica. 2026年9月13日閲覧。
- ↑ 『ジェンナー』 - コトバンク
- ↑ 『種痘』 - コトバンク
- ↑ “The History of Parliament: British General Election of 1796”. The History of Parliament. 2026年9月13日閲覧。
- ↑ 『テネシー』 - コトバンク
- ↑ 『ブロートン』 - コトバンク
- ↑ 『なぽれおん戦争史』 - コトバンク
- ↑ 『グロ』 - コトバンク
- ↑ 『ラプラス』 - コトバンク
- ↑ 『星雲説』 - コトバンク
- ↑ John-Stevens-Henslow - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『シーボルト』 - コトバンク
- ↑ 『ケトレ』 - コトバンク
- ↑ 『賀集珉平』 - コトバンク
- ↑ 『シュタイナー』 - コトバンク
- ↑ 『インマーマン』 - コトバンク
- ↑ 『マン』 - コトバンク
- ↑ 『カルノー』 - コトバンク
- ↑ 『トーネット』 - コトバンク
- ↑ 『ニコライ』 - コトバンク
- ↑ 『コロー』 - コトバンク
- ↑ 『ファンタインザン』 - コトバンク
- ↑ 『レーウェ』 - コトバンク
- ↑ 『レーベ』 - コトバンク
- ↑ 『鳥居耀蔵』 - コトバンク
- ↑ 『アブドゥッラー』 - コトバンク
- ↑ Abdullah-bin-Abdul-Kadir - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『鈴木其一』 - コトバンク
- ↑ 『高久靄厓』 - コトバンク
- ↑ 『鶴屋南北』 - コトバンク
- ↑ 『寺門静軒』 - コトバンク
- ↑ 『マクファーソン』 - コトバンク
- ↑ William-Chambers-British-architect - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『クニッゲ』 - コトバンク
- ↑ 『バーンズ』 - コトバンク
- ↑ 『リード』 - コトバンク
- ↑ 『エカチェリーナ』 - コトバンク
- ↑ 『ティティウス』 - コトバンク