1839年
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| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
| 十年紀: | 1810年代 1820年代 1830年代 1840年代 1850年代 |
| 年: | 1836年 1837年 1838年 1839年 1840年 1841年 1842年 |
1839年(1839 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]
1月 - 3月
[編集]- 1月19日 - イギリス東インド会社がアラビア半島南端の要衝アデンを占領。紅海からインド洋へ至るスエズ経由の対インド最短航路の中継補給地・海軍基地として要塞化を進める[1]。
- 1月20日 - ユンガイの戦いでチリ軍がペルー・ボリビア連合軍を撃破。指導者アンドレス・デ・サンタ・クルスが亡命を余儀なくされ、連合が崩壊[2]。
- 1月 - イギリスのカナダ総督ダラム卿が本国政府に「ダラム報告書」を提出。植民地議会に信任される内閣(責任政府)の設置を勧告し、後の自治領(ドミニオン)制度の理論的先駆けとなる[3]。
- 3月10日 - 清の道光帝より特命を受けた欽差大臣林則徐が広州に到着。イギリス商人らに対しアヘンの全面引き渡しと不密輸の誓約書提出を要求し、アヘン密貿易の徹底的取り締まりに着手[4]。
- 3月20日 - イギリスでコブデンやブライトら産業資本家が全国組織反穀物法同盟を結成。地主層を優遇する保護貿易政策である穀物法の撤廃と自由貿易を求めて全国的な政治運動を展開(1846年に廃止達成)[5]。
4月 - 6月
[編集]- 4月6日 - フランスの写実主義作家スタンダールが、イタリアの小宮廷を舞台にした『パルムの僧院』を刊行[6]。
- 4月19日 - 列強(英仏墺普露)とオランダ・ベルギーの間でロンドン条約が締結され、ベルギーのオランダからの独立および永世中立が国際法上正式に確定。同時にルクセンブルク大公国の西部がベルギーに割譲され(リンブルフも分割)、東部はオランダ国王を君主とする同君連合の独立国(永世中立)となる[7]。
- 4月25日 - イギリス軍がアフガニスタンに進攻し、カンダハールを占領(第一次アフガン戦争の本格化、 - 1842年)。ロシアの南下阻止を図る「グレート・ゲーム」の一環[8]。
- 5月7日 - 5月12日 - イギリスで寝室女官事件が発生。ホイッグ党の首相メルバーン子爵辞任に伴い保守党のロバート・ピールが組閣を試みるが、ヴィクトリア女王がホイッグ党系の寝室女官更迭を拒否したため組閣を辞退、第2次メルバーン内閣が続投[9]。
- 6月(天保10年5月) - 日本で蛮社の獄が勃発。モリソン号事件(1837年)における幕府の異国船打払令の適用や鎖国政策を批判した尚歯会の蘭学者グループに対し、目付鳥居耀蔵らの讒言により江戸幕府が弾圧を実施。渡辺崋山(『慎機論』執筆)が蟄居、高野長英(『戊戌夢物語』執筆)が永牢となるなど幕府批判が厳しく抑圧される[10]。
- 6月3日 - 6月25日 - 清の広東省虎門で、林則徐がイギリス商人らから没収したアヘン約2万箱余りを石灰と塩水を用いて全て化学処理・廃棄処分(虎門銷煙)。これに憤激したイギリス議会が軍隊派遣を決定し、アヘン戦争(1840年 - 1842年)の直接の開戦原因となる[11]。
- 6月24日 - 第二次エジプト・トルコ戦争のニジプの戦いで、イブラヒム・パシャ率いるエジプト軍がオスマン帝国軍を壊滅させる。オスマン帝国の崩壊危機に対しイギリスを中心とする列強が軍事干渉(翌年ロンドン条約締結へ)[12]。
7月 - 9月
[編集]- 7月1日 - オスマン帝国の改革派スルタン・マフムト2世が崩御し、子のアブデュルメジト1世(16歳)が即位[13]。
- 7月2日 - アミスタッド号事件:キューバ沿岸を航行中のスペイン船「アミスタッド号」内で、アフリカ(シエラレオネ)から不法に拉致・密輸されていた黒人奴隷53名が武装蜂起して船を掌握。後に米海軍に拿捕されるが、元大統領ジョン・クィンシー・アダムズらの弁護により合衆国最高裁で無罪・自由を獲得し、全米の奴隷廃止運動を大きく高揚させる[14]。
- 8月 - イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンが、世界周航の記録と地質学的・生物学的観察をまとめた『ビーグル号航海記』を刊行[15]。
- 8月7日 - 第一次アフガン戦争:英印軍がアフガニスタンの首都カーブルを占領し、親英派の前国王シュジャー・シャーを復位させる(君主ドースト・ムハンマド・ハーンは逃亡)[16]。
- 8月19日 - フランスでルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが実用化した銀板写真法(ダゲレオタイプ)が、フランス科学アカデミーと芸術アカデミーの合同会議で公表され、フランス政府が特許を買い上げて人類共通の無償技術として全世界に公開[17]。
- 9月4日 - 香港九龍沖でイギリス船と清国水師が武力衝突(九竜沖海戦)。アヘン戦争の事実上の前哨戦となる。
10月 - 12月
[編集]- 11月3日 - オスマン帝国の外相ムスタファ・レシト・パシャが、新スルタン・アブデュルメジト1世の名でギュルハネ勅令を発布。身分・宗教を問わない生命・名誉・財産の保障、公正な裁判、徴税・徴兵制度の改革などを内外に宣言し、近代化・西欧化改革(恩恵改革・タンジマート)が本格的に開始される( - 1876年)[18][19]。
- 11月3日 - 広東沖で英清両軍による穿鼻海戦が発生。イギリス海軍のフリゲート艦が清のジャンク船団を撃破し、両国は完全な交戦状態に突入。
- 11月4日 - イギリスのウェールズ地方で、普通選挙権と労働者の権利を掲げるチャーティスト運動の急進派による武装蜂起(ニューポートの反乱)が発生するが、軍隊により武力鎮圧される[20]。
月日不詳
[編集]- フランスの社会主義者ルイ・ブランが主著『労働組織論』を発表。自由競争を批判し国家資金による「社会作業場(社会工場)」の設立を提唱(1848年の二月革命後の国立作業場設立の理論的根拠となる)[21]。
- ドイツの解剖学者・動物学者テオドール・シュワンが「動物の細胞説」を提唱し、前年のシュライデン(植物)の説とあわせて「動植物の構造と発生の基本単位は細胞である」とする細胞説を統合・確立[22]。
- アメリカ合衆国の発明家チャールズ・グッドイヤーが生ゴムに硫黄を化合させる「加硫法」を発見(ゴムの耐久性と耐熱性を飛躍的に高め、工業用ゴム・タイヤ産業の基礎を築く)[23]。
- イギリスの物理学者ウィリアム・ロバート・グローブが、水素と酸素の化学反応を利用して電気を発生させる世界初の燃料電池を開発[24][25]。
誕生
[編集]→「Category:1839年生」も参照
- 1月1日 - ウィーダ[26]、イギリスの作家。『フランダースの犬』著者(+ 1908年)
- 1月16日(天保9年12月2日) - 桐野利秋[27]、薩摩藩士、陸軍少将。西南戦争で戦死(+ 1877年)
- 1月19日 - ポール・セザンヌ[28]、フランスの画家。ポスト印象派(後期印象派)を代表する「近代絵画の父」(+ 1906年)
- 2月11日(天保9年12月28日) - 有村次左衛門[29]、薩摩藩士。桜田門外の変で井伊直弼を討ち取る(+ 1860年)
- 2月16日(天保10年1月3日) - 甲賀源吾[30]、幕臣、軍艦頭並。宮古湾海戦で戦死(+ 1869年)
- 2月21日 - ウィラード・ギブズ[31]、アメリカの物理学者、数学者。熱力学・統計力学の創始者の一人(+ 1903年)
- 3月3日 - ジャムシェトジー・タタ[32]、インドの民族資本家。タタ・グループの創設者(+ 1904年)
- 3月7日 - ルードウィッヒ・モンド[33]、ドイツ出身のイギリスの化学者、実業家(+ 1909年)
- 3月16日 - シュリ・プリュドム[34]、フランスの詩人。高踏派。第1回ノーベル文学賞受賞者(+ 1907年)
- 3月17日 - ヨーゼフ・ラインベルガー[35]、リヒテンシュタイン出身の作曲家、オルガン奏者(+ 1901年)
- 3月21日 - モデスト・ムソルグスキー[36]、ロシアの作曲家。「ロシア5人組」の一人。『展覧会の絵』『禿山の一夜』(+ 1881年)
- 3月26日(天保10年2月12日) - 中根香亭[37]、漢学者、文筆家(+ 1913年)
- 4月1日(天保10年2月18日) - 井上頼圀[38]、国学者、文献学者(+ 1914年)
- 4月12日 - ニコライ・プルジェヴァリスキー[39]、ロシアの軍人、中央アジア探検家。プルジェヴァリスキー馬の発見者(+ 1888年)
- 4月20日 - カロル1世[40]、初代ルーマニア国王。露土戦争を経てルーマニア完全独立を達成(+ 1914年)
- 4月30日(天保10年3月17日) - 月岡芳年[41]、浮世絵師(+ 1892年)
- 5月13日(天保10年4月1日) - 三遊亭圓朝[42]、落語家。『怪談牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』の口演・創作(+ 1900年)
- 5月23日(天保10年4月11日) - 永倉新八[43]、新選組隊士(二番隊組長)(+ 1915年)
- 6月21日 - マシャード・デ・アシス[44]、ブラジルの作家、詩人。ブラジル文学の最高峰(+ 1908年)
- 6月22日(天保10年5月12日) - 松田道之[45]、官僚、政治家。琉球処分を断行、第7・8代東京府知事(+ 1882年)
- 6月25日(天保10年5月15日) - 島津源蔵 (初代)[46]、発明家、実業家。島津製作所創業者(+ 1894年)
- 7月8日 - ジョン・D・ロックフェラー[47]、アメリカの実業家。スタンダード・オイルを創業し石油トラストを形成(+ 1937年)
- 7月25日 - フランシス・ガルニエ[48]、フランスの海軍士官、探検家。メコン川探検およびハノイ攻略を主導(+ 1873年)
- 8月4日 - ウォルター・ペイター[49]、イギリスの美学者、批評家。唯美主義の先駆(+ 1894年)
- 8月19日(天保10年7月11日) - 久米邦武[50]、歴史学者。岩倉使節団に随行し『米欧回覧実記』を編纂(+ 1931年)
- 9月2日 - ヘンリー・ジョージ[51]、アメリカの経済学者・社会思想家。単一土地税(地価税)を主張(+ 1897年)
- 9月10日 - チャールズ・サンダース・パース[52]、アメリカの論理学者、哲学者。プラグマティズムの創始者(+ 1914年)
- 9月27日(天保10年8月20日) - 高杉晋作[53]、長州藩士、尊皇攘夷派志士。奇兵隊創設、功山寺挙兵を主導(+ 1867年)
- 10月2日 - ハンス・トーマ[54]、ドイツの画家(+ 1924年)
- 10月28日(天保10年9月22日) - 毛利元徳[55]、長州藩第14代藩主(+ 1899年)
- 10月30日 - アルフレッド・シスレー[56]、フランスの印象派画家(+ 1899年)
- 11月5日(天保10年9月30日) - 小室信夫[57]、明治期の政治家・実業家。自由民権運動で民撰議院設立建白書に署名(+ 1898年)
- 11月16日 - ウィリアム・ド・モーガン[58]、イギリスの陶芸家、デザイナー。アーツ・アンド・クラフツ運動に参加(+ 1917年)
- 11月18日 - アウグスト・クント[59]、ドイツの物理学者。クントの実験(定在波測定)(+ 1894年)
- 11月26日(天保10年10月21日) - 岡田良一郎[60]、報徳運動指導者、掛川信用金庫の前身を設立(+ 1915年)
- 11月29日 - ルートヴィヒ・アンツェングルーバー[61]、オーストリアの劇作家(+ 1889年)
- 12月5日 - ジョージ・アームストロング・カスター[62]、アメリカ陸軍将校。リトルビッグホーンの戦いで全滅(+ 1876年)
- 12月18日 - テオデュール・アルマンド・リボー[63]、フランスの心理学者。フランス実験心理学の創始者(+ 1916年)
- 12月28日(天保10年11月23日) - 佐藤誠実[64]、国学者、日本法制史学者(+ 1908年)
- 月日不詳
死去
[編集]→「Category:1839年没」も参照
- 1月5日(天保9年11月20日) - 長谷川寛[69]、和算家(* 1782年)
- 1月19日(天保9年12月5日) - 岸駒[70]、江戸時代後期の絵師、岸派の祖(* 1756年?)
- 2月6日(天保9年12月23日) - 高井蘭山[71]、戯作者、読本作者(* 1762年)
- 2月23日 - ミハイル・スペランスキー[72]、ロシア帝国の政治家。アレクサンドル1世の下で自由主義的国制改革を推進(* 1772年)
- 5月21日 - ヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツ[73]、ドイツの教育者、「近代体育の父」(* 1759年)
- 6月13日(天保10年5月3日) - 柴田鳩翁[74]、心学者(* 1783年)
- 6月17日 - ウィリアム・ベンティンク[75]、イギリスの政治家。初代インド総督。サティー(寡婦殉死)の禁止など実施(* 1774年)
- 6月27日(天保10年5月17日) - 小関三英[76]、蘭学者、医師。蛮社の獄に連座して自刃(* 1787年)
- 6月27日 - ランジート・シング[77][78]、パンジャーブ地方のシク王国初代マハラジャ(* 1780年)
- 7月1日 - マフムト2世[79]、オスマン帝国第30代スルタン。イェニチェリの解体や近代化改革を推進(* 1785年)
- 7月10日 - フェルナンド・ソル[80]、スペインの作曲家、ギター奏者。「ギターのベートーヴェン」(* 1778年)
- 7月19日 - モーリス・ド・ゲラン[81]、フランスの詩人(* 1810年)
- 8月28日 - ウィリアム・スミス[82]、イギリスの地質学者。示準化石による「地層同定の法則」を発見し層序学を確立(* 1769年)
- 9月29日 - フリードリッヒ・モース[83]、ドイツの鉱物学者。モース硬度を提唱(* 1773年)
- 11月15日 - ウィリアム・マードック[84]、スコットランドの技術者・発明家。ガス灯の実用化(* 1754年)
- 12月3日 - フレデリク6世[85]、デンマーク王、ノルウェー王。キール条約でノルウェーをスウェーデンに割譲(* 1768年)
- 12月8日(天保10年11月3日) - 岡研介[86]、蘭方医、緒方洪庵の師(* 1799年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ 『アデン』 - コトバンク
- ↑ 『サンタ・クルス』 - コトバンク
- ↑ 『ダラム報告』 - コトバンク
- ↑ 『林則徐』 - コトバンク
- ↑ 『反穀物法同盟』 - コトバンク
- ↑ 『パルムの僧院』 - コトバンク
- ↑ 『ロンドン条約』 - コトバンク
- ↑ 『アフガン戦争』 - コトバンク
- ↑ 『ビクトリア』 - コトバンク
- ↑ 『蛮社の獄』 - コトバンク
- ↑ 『アヘン戦争』 - コトバンク
- ↑ 『エジプト・トルコ戦争』 - コトバンク
- ↑ 『アブデュルメジト1世』 - コトバンク
- ↑ 『アミスタッド』 - コトバンク
- ↑ 『ビーグル号航海記』 - コトバンク
- ↑ 『アフガン戦争』 - コトバンク
- ↑ 『ダゲレオタイプ』 - コトバンク
- ↑ 『タンジマート』 - コトバンク
- ↑ 『ギュルハネ勅令』 - コトバンク
- ↑ 『チャーチスト運動』 - コトバンク
- ↑ 『ブラン』 - コトバンク
- ↑ 『細胞説』 - コトバンク
- ↑ 『加硫』 - コトバンク
- ↑ 『燃料電池』 - コトバンク
- ↑ 『水素酸素燃料電池』 - コトバンク
- ↑ 『ウィーダ』 - コトバンク
- ↑ 『桐野利秋』 - コトバンク
- ↑ 『セザンヌ』 - コトバンク
- ↑ 『有村次左衛門』 - コトバンク
- ↑ 『甲賀源吾』 - コトバンク
- ↑ 『ギブズ』 - コトバンク
- ↑ Jamsetji-Nusserwanji-Tata - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『モント』 - コトバンク
- ↑ 『シュリ・プリュドム』 - コトバンク
- ↑ 『ラインベルガー』 - コトバンク
- ↑ 『ムソルグスキー』 - コトバンク
- ↑ 『中根淑』 - コトバンク
- ↑ 『井上頼圀』 - コトバンク
- ↑ 『プルジェバリスキー』 - コトバンク
- ↑ 『カロル1世』 - コトバンク
- ↑ 『月岡芳年』 - コトバンク
- ↑ 『三遊亭円朝』 - コトバンク
- ↑ 『永倉新八』 - コトバンク
- ↑ 『マシャード・デ・アシス』 - コトバンク
- ↑ 『松田道之』 - コトバンク
- ↑ 『島津源蔵』 - コトバンク
- ↑ 『ロックフェラー』 - コトバンク
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- ↑ 『久米邦武』 - コトバンク
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- ↑ 『クント』 - コトバンク
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- ↑ 『ランジート・シング』 - コトバンク
- ↑ Ranjit-Singh-Sikh-maharaja - ブリタニカ百科事典
- ↑ Mahmud-II-Ottoman-sultan - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『ソル』 - コトバンク
- ↑ 『ゲラン』 - コトバンク
- ↑ 『スミス』 - コトバンク
- ↑ 『モース』 - コトバンク
- ↑ 『マードック』 - コトバンク
- ↑ Frederick-VI - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『岡研介』 - コトバンク