| Vela | |
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| 属格形 | Velorum |
| 略符 | Vel |
| 発音 | 英語発音: [ˈviːlə]、属格:/vɨˈlɔərəm/ |
| 象徴 | 帆[1] |
| 概略位置:赤経 | 08h 03m 26.8s - 11h 05m 49.6s[2] |
| 概略位置:赤緯 | −37.16°- −57.17°[2] |
| 広さ | 499.649平方度[3] (32位) |
| バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 50 |
| 3.0等より明るい恒星数 | 5 |
| 最輝星 | γ Vel(1.714等) |
| メシエ天体数 | 0 |
| 隣接する星座 |
ポンプ座 らしんばん座 とも座 りゅうこつ座 ケンタウルス座 |
ほ座(ほざ、Vela)は、現代の88星座の1つ。18世紀半ばにプトレマイオスの48星座の1つアルゴ座の中に設けられた小区画を起源とする新しい星座で、船の帆をモチーフとしている[1][4]。明るい星が多いものの、日本の多くの地域では星座の全域を見ることはできない。ほ座のδ星とκ星、りゅうこつ座のι星とε星を結んでできる十字架形は、南十字星と見誤りやすいため「にせ十字」と呼ばれる[5]。
アルゴ座が3つに分割された際、ギリシア文字の符号はアルゴ座のものがそのまま使われることとなったため、ほ座には α星やβ星が存在しない[4]。
2等星が4つ、3等星が4つと明るい星が多い。2023年6月現在、国際天文学連合 (IAU) によって7個の恒星に固有名が認証されている[6]。
その他、以下の恒星が知られている。
ほ座の原型となったのは、古代ギリシアの伝承に登場するアルゴ船をモチーフとした星座アルゴ座である[4]。しかし、現在のほ座の領域全てがアルゴ座の一部と見なされるようになったのは18世紀半ばになってから、また独立した星座として扱われるようになったのは19世紀後半からである。
星座としてのアルゴ座は紀元前1000年頃には生まれていたと考えられており、紀元前4世紀頃の古代ギリシアの天文学者クニドスのエウドクソスの著書『ファイノメナ (古希: Φαινόμενα)』に既に名前が登場している[51]。2世紀頃にアレクサンドリアで活躍した帝政ローマ期の学者クラウディオス・プトレマイオスの著書『アルマゲスト』には、45個の星がアルゴ座に属するとされた。プトレマイオスの示した45個の星が、現代のどの星に相当するのかについては研究者間で多少の相違は見られるが、現在のほ座の領域の東半分に位置する μ・φ・PP・q などの星は含まれていなかったとされる[52]。
大航海時代以降、南天の観測記録が欧州にもたらされるようになると、アルゴ座の領域は『アルマゲスト』に記されたものから東と南に拡張されていった。ドイツの法律家ヨハン・バイエルが、オランダの天文学者ペトルス・プランシウスやヨドクス・ホンディウスが製作した天球儀から南天の星の位置をコピーして製作した全天星図『ウラノメトリア』では、アルゴ座の領域はプトレマイオスが示したものよりも南東方向に拡張された[53][54][55][56]。しかしバイエルはアルゴ座の星座絵に帆の部分をほとんど書いておらず[54]、現在のほ座の東半分の星は星表にも記載されなかった[53][55][56]。
17世紀イギリスの天文学者エドモンド・ハリーは、自身のセントヘレナ島での観測記録を元に製作・出版した南天の星図『Catalogus Stellarum Australium』で、アルゴ座とケンタウルス座の間にあった未所属の星とアルゴ座の南東部の星を用いて、チャールズ2世に縁のあるロイヤルオークをモチーフとした新星座「Robur Carolinum (チャールズの樫)」を設けた[51][57][58]。ハリーが考案したこの新星座には、現在のほ座の東半分にあたる μ・p などの星が含まれていた[51]。しかし、多分に政治的色合いの濃いこの星座は天文学者たちから忌避され、次第に廃れていった[51]。

現在のほ座の枠組みを初めて設けたのは、18世紀フランスの天文学者ニコラ=ルイ・ド・ラカイユであった[4]。ラカイユは、1756年に出版されたフランス科学アカデミーの1752年版紀要に寄稿した星表と星図でアルゴ座に以下の改変を加えた[59][60][61]。
ラカイユによるこれらの改変によって生まれた小区画の1つ Voilure du Navire または Argûs in velis が、ほ座 (Vela) の原型となった。
ラカイユはプトレマイオスの権威を尊重し、それまでの天文学者らと同じくアルゴ座を1つの星座と見なしていた[61][67]。これは19世紀の天文学者らも同様で、19世紀半ばにイギリスの王室天文官を務めたフランシス・ベイリーが編纂した全天星表『The Catalogue of Stars of the British Association for the Advancement of Science』、いわゆる『BAC星表』でも Vela は独立した星座ではなく、あくまでアルゴ座の小区画 (subdivision) として扱われた[68]。
巨大なアルゴ座とその中にある小区画、という入れ子構造に不満を覚える天文学者も少なくなかった。19世紀後半のアメリカの天文学者ベンジャミン・グールドもその一人であった[61]。1879年、アルゼンチン国立天文台で台長の職にあったグールドは、南天の観測記録を元に星表『Uranometria Argentina』を刊行した。グールドはこの星表を編纂するにあたって、大き過ぎるが故に不便なことの多いアルゴ座に対して以下の要領で改変することとした[69]。
このグールドによる改変によって、ほ座は独立した星座として扱われるようになった。また、ラカイユがギリシア文字を付した星として γ・δ・κ・λ・μ・ο・φ・ψ の8個だけがほ座の星として残された[70]。そのため、現在もα星やβ星などはない[4]。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が提案された際、ラカイユ以降に「アルゴ座」とされていた領域は、Carina(りゅうこつ座)、Puppis(とも座)、Vela(ほ座)の3つに分割されることが決定され、ほ座の星座名は Vela、略称は Vel と正式に定められた[71]。
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、ほ座の星々は二十八宿の南方朱雀七宿の第二宿「鬼宿」の星官に配されていた[72]。λ星は単独で鳥獣の年齢・寿命を司る星官「天記」とされた[72]。e星とd星はらしんばん座の4星と不明の1星とともに、天界に住む犬を表す星官「天狗」に置かれた[72]。また、γ2・b・δ・κ・Nの5星は不明の1星とともに、土地神を祀る廟を表す星官「天社」を成すとされた[72]。
日本では、明治末期には「帆」という訳語が充てられていたことが、1910年(明治43年)2月刊行の日本天文学会の会報『天文月報』第2巻11号に掲載された「星座名」という記事でうかがい知ることができる[73]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「帆(ほ)」として引き継がれた[74]。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[75]とした際に、Vela の日本語の学名は「ほ」と定められ[76]、これ以降は「ほ」という学名が継続して用いられている。
現代の中国では船帆座[77]と呼ばれている。
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