(1)有為法
(ういほう、梵: saṃskṛta dharma、サンスクリタ・ダルマ)(72)
(1-1)色法
(しきほう、梵: rūpa dharma、ルーパ・ダルマ[16])(11)
- 眼(げん、梵: cakṣus、チャクシュス) - 見る機能
- 耳(に、梵: śrotra、シュロートラ) - 聞く機能
- 鼻(び、梵: ghrāṇa、グラーナ) - 嗅ぐ機能
- 舌(ぜつ、梵: jihvā、ジフヴァー) - 味わう機能
- 身(しん、梵: kāya、カーヤ) - 触れる機能(以上を五根という(三科を参照))
- 色(しき、梵: rūpa、ルーパ) - 視覚の対象
- 声(しょう、梵: śabda、シャブダ) - 聴覚の対象
- 香(こう、梵: gandha、ガンダ) - 嗅覚の対象
- 味(み、梵: rasa、ラサ) - 味覚の対象
- 触(そく、梵: sparśa、スパルシャ) - 触覚の対象 (以上を五境という(同上))
- 無表色(むひょうしき、梵: avijñapti-rūpa、アヴィジュニャプティ・ルーパ)もしくは無表業(むひょうごう、梵: avijñapti-karman、アヴィジュニャプティ・カルマン) - 行為者の内面に潜み他から認知されないような行為。受戒によって体内に止まり、悪をなさしめない力 。説一切有部の伝統的解釈によれば「悪もしくは善の行為を妨げる習性」で、具体的には律儀、不律儀、非律儀不律儀の三種であり、いわゆる「戒体」と同じものである[注 1]。物質的存在でありながら五感覚器官のいずれの対象ともならない。色蘊に属しながらしかも法処(法界)に含められる特別な法。
(1-2)心法
(しんぼう、梵: citta dharma、チッタ・ダルマ)(1)
(1-3)心所法
(しんじょほう、梵: caitasika dharma、チャイタシカ・ダルマ)(46)[注 2]
(1-3-1)大地法
(だいじほう、梵: mahābhūmika、マハーブーミカ) 。
もしくは遍大地法(へんだいじほう))(10)
- 最も普遍的な心作用。いつも心とともにはたらく心作用。心が生起すれば必ずともに生起する(倶生する)心作用。
- 受(じゅ、梵: vedanā、ヴェーダナー) - 苦・楽・不苦不楽の感受(五蘊の「受」に相当)。
- 想(そう、梵: saṃjñā、サンジュニャー) - 対象を心にとらえる表象作用(五蘊の「想」に相当)。
- 思(し、梵: cetanā、チェータナー) - 心がある方向に動機づけられること(五蘊の「行」に相当)。意志の発動、心を起動させる作用。
- 欲(よく、梵: chanda、チャンダ) - ものごとをしたいという欲求。
- 触(そく、梵: sparśa、スパルシャ) - 根・境・識の接触、すなわち心の内界と外界との触れ合い、感覚と対象と識別作用の合すること。
- 慧(え、梵: mati、マティ) - 分別し判断する作用。正当な分別判断作用(煩悩を止滅する作用を含む)ばかりでなく、誤った分別判断作用(たとえば五見)をも意味する。
- 念(ねん、梵: smṛti、スムリティ) - 記憶作用。対象を亡失しない心のはたらき。
- 作意(さい、梵: manaskāra、マナスカーラ) - 対象に注意を向けること、気をつけるはたらき。
- 勝解(しょうげ、梵: adhimukti、アディムクティ) - 対象がいかなるものかを確認し了解すること。
- 定(じょう、梵: samādhi、サマーディ) - 心を浮動させず一点に集中させること、精神統一。禅定を修する際、ある一つの対象に対して、まっすぐ平等に働き、他の対象に気が移ったり乱れたりしないこころの状態 [29]。 三摩地(さんまじ、梵: samādhi、サマーディ) 、三昧(さんまい、梵: samādhi、サマーディ )、等持(とうじ)ともいう。心の動揺も、集中力の微弱なものという意味で、定に含まれる。
(1-3-2)大善地法
(だいぜんじほう、梵: kuśala-mahābhūmika、クシャラ・マハーブーミカ)(10)
- 善心とあい伴う心作用。
- 信(しん、梵: śraddhā、シュラッダー) - 心のきよらかさ。四諦、三宝、および業とその報いとの間の因果性、とに対する確信、すみきった心の信順、清らかな心で教えを認めること。
- 勤(ごん、梵: vīrya、ヴィーリヤ) - 善行に対して果敢なこと、心の雄々しさ。精進に同じ。つとめ励むこと。
- 捨(しゃ、梵: upekṣā、ウペークシャー) - 心の平静。かたよりのないこと。心が平等で苦楽に傾かないこと 。大煩悩地法の「惛沈」と「掉挙」を離れた平らかな心作用。
- 慚(ざん、梵: hrī、フリー) - 「他者の徳に対する恭敬」、もしくは「みずからを観察することによっておのれの過失を恥じること」。 自らを顧みて恥じること。
- 愧(ぎ、梵: apatrāpya、アパトラーピヤ) - 「自己の罪に対する畏怖」、もしくは「他を観察することによっておのれの過失を恥じること」。他人に対して恥じること。
- 無貪(むとん、梵: alobha、アローバ) - 貪りのないこと 。
- 無瞋(むしん、梵: adveśa、アドヴェーシャ) - 憎しみのないこと、積極的に、欲望の対象を捨てること、他を愛憐すること、怒らないこと。
- 不害(ふがい、梵: ahiṃsā、アヒンサー) - 非暴力、他を害しないこと。
- 軽安(きょうあん、梵: praśrabdhi、プラシュラブディ) - 適応性。心の巧みさ、心身が軽やかなこと。
- 不放逸(ふほういつ、梵: apramāda、アプラマーダ) - 精励、専心して善を行うこと、なげやりの心でなく専心に善を行うこと、なまけないこと。
(1-3-3)大煩悩地法
(だいぼんのうじほう、梵: kleśa-mahābhūmika、クレーシャ・マハーブーミカ)(6)
- すべての不善心と有覆無記(うぶくむき)[注 3]心にあい伴うもの 。不善心と煩悩に覆われているが、有覆無記心をあい伴う心作用 。
- 痴[注 4](ち; 梵: moha、モ-ハ) - 愚かさ、無知のこと。無明ともいう。
- 放逸(ほういつ、梵: pramāda、プラマーダ) - 放恣であり善行に専心しないこと。なまけること 。
- 懈怠(げだい、梵: kauśīdya、カウシーディヤ) - 悪を断ち切り、善を修する努力を尽くしていないこと。心が果敢でないこと。怠惰であること。
- 不信(ふしん、梵: āśraddhya、アーシュラッディヤ) - 信ぜず、心の清らかでないこと。
- 惛沈(こんじん、梵: styāna、スティヤーナ)もしくは昏沈(こんじん) - 心の沈鬱。心が巧みでないこと。ふさぎ込むこと。心を沈鬱で不活発な状態にさせる心理作用、またその状態。大善地法の「軽安」の逆。心身のものういこと。
- 掉挙(じょうこ、梵: auddhatya、アウッダティヤ) - 心の軽躁なこと、心が浮動してしずまりのないこと。心のざわめくこと。
(1-3-4)大不善地法
(だいふぜんじほう、梵: akuśala-mahābhūmika 、アクシャラ・マハーブーミカ)(2)
- 不善心とあい伴う心作用。
- 無慚(むざん、梵: āhrīkya、アーフリーキヤ) - はじらいのないこと。大善地法「慚」の逆の心作用。
- 無愧(むぎ、梵: anapatrāpya、アナパトラーピヤ) - 破廉恥なこと。上記の大善地法「愧」の逆の心作用。
(1-3-5)小煩悩地法
(しょうぼんのうじほう、梵: parīttakleśabhūmika、パリーッタクレーシャブーミカ)(10)
- 不善心や有覆無記心とのみあい伴う心作用。
- 忿(ふん、梵: krodha、クローダ) - 怒り。いきどおり。
- 覆(ふく、梵: mrakṣa、ムラクシャ) - 自己の誤ちの隠蔽。過ちをかくすこと。
- 慳(けん、梵: mātsarya、マーツァリヤ) - ものおしみ。
- 嫉(しつ、梵: īrṣyā、イールシヤー) - 嫉み。
- 悩(のう、梵: pradāsa、プラダーサ) - 他の諌めをいれぬ頑迷さ。
- 害(がい、梵: vihiṃsā、ヴィヒンサー) - 害意。大善地法の「不害」の逆 。
- 恨 (仏教)恨(こん、梵: upanāha、ウパナーハ) - 恨み。
- 諂(てん、梵: śāṭhya、シャーティヤ) - 心の邪曲。へつらうこと。
- 誑(おう、梵: māyā、マーヤー) - 欺瞞。欺くこと。
- 憍(きょう、梵: mada、マダ) - 自己満足。おのれの性質(美貌・若さ・血統・学識など)を優れたものと考えて自己に執着する心のおごり。
(1-3-6)不定法
(ふじょうほう、梵: aniyata dharma)もしくは不定地法(ふじょうじほう)(8)
- あるときは善心と、あるときは不善心と、あるときは無記心とあい伴うもの。
- 悪作(おさ、梵: kaukṛtya、カウクリティヤ)- 後悔。過去の悪い行いに対してその誤ちを悔いる心作用。
- 睡眠(すいめん、梵: middha、ミッダ) - 心の鈍重さ。心をくらからしめること。眠(みん)とも呼ぶ。
- 尋伺尋(じん、梵: vitarka、ヴィタルカ) - 推究的で粗大な心の動き。分別のひとつである自性分別(じしょうふんべつ)は尋および伺であるとされる[40] 。
- 伺(し、梵: vicāra、ヴィチャーラ) - 観察的で微細な心の動き。分別のひとつである自性分別(じしょうふんべつ)は尋および伺であるとされる[40]。
- 貪(とん、梵: rāga、ラーガ) - 貪り。心にかなう対象に対する欲求。
- 瞋(しん、梵: dveśa、ドヴェーシャ) - 憎しみ。嫌うこと、いかること。心にかなわない対象に対する憎悪。
- 慢(まん、梵: māna、マーナ) - 慢心。おのれは他より優れていると妄想して他人に対して誇りたがる心のおごり。
- 疑(ぎ、梵: vicikitsā、ヴィチキッツァー) - 疑い。「四諦」の真理に対してあれこれと思いまどうこと。
(1-4)心不相応行法
(しんふそうおうぎょうほう、梵: citta-viprayukta-saṃskāra dharma、チッタヴィプラユクタ・サンスカーラ・ダルマ)(14)[注 5]
- 心に伴わないもの。
- 得(とく、梵: prāpti、プラープティ) - ダルマを獲得させる原理。すべての有情数の法と必ず倶生する。
- 非得(ひとく、梵: aprāpti、アプラープティ), 凡夫性(ぼんぶしょう)[43] - 聖道の非得。[44] - いずれかのダルマの分離の原理。
- 同分(どうぶん、梵: sabhāgatā、サバーガター) - 法の同類性。生きものの同類性。有情の各類に共通な同類性。それぞれの人にはすべて人として共通の、それぞれの牛にはすべて牛として共通の同類性がある(有差別同分)。また、すべての有情には有情としての共通性がある(無差別同分)。衆同分ともいう。
- 無想定(むそうじょう、梵: asaṃjñisamāpatti、アサンジュニサマーパッティ) - 心の活動作用を止息させる瞑想。無意識にまで至るほどな極度の精神集中。無想天に生まれることを真の解脱と誤解してそれを求める者が修する。
- 無想(むそう、梵: āsaṃjñika、アーサンジュニカ) - 無想定を修することによって達する境地。無想天に生まれた者の獲得する無意識な状態。無想果(むそうか)とも呼ぶ。
- 滅尽定(めつじんじょう、梵: nirodhasamāpatti、ニローダサマーパッティ) - 心のはたらきがすべて尽きてしまった瞑想。心のはたらきが消滅した状態にある精神集中。聖者が寂静の境地を楽しもうとして修する。
- 命根(みょうこん、梵: jīvita-indriya、ジーヴィタ・インドリヤ) - 生命持続の力。生命機能。体温と心のはたらきとを維持する生命力を法の一要素として見たもの。
- 生(しょう、せい、梵: jāti、ジャーティ) - 生起。四相の一要素。どんな有為法にも必ずあい伴う。説一切有部では、すべての有為法の上にある特殊な法の存在を考えて、心不相応行法の中に数える 。
- 住(じゅう、梵: sthiti、スティティ) - 存続。生起した状態を保つこと。四相の一要素。
- 異(い、梵: jarā、ジャラー) - 変化。状態が変異すること。四相の一要素。
- 滅(めつ、梵: anityatā、アニティヤター) - 消滅。四相の一要素。
- 名身(みょうしん、梵: nāmakāya、ナーマカーヤ) - 名称の集まり。文すなわち音節、句すなわち文章に対して、名辞を意味する。名ともいう。本項以下の名・句・心の三つによって、言葉のはたらきが、それによって認識が、成立すると考えられている。。
- 句身(くしん、梵: padakāya、パダカーヤ) - 文章の集まり。名すなわち名辞、文すなわち音節に対して、まとまった意味を表しうる文章を意味する。
- 文身(もんしん、梵: vyañjanakāya、ヴィヤンジャナカーヤ) - 字母の集まり。名すなわち名辞、句すなわち文章に対して、音節を意味する。