福西崇史

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福西 崇史
2012年撮影
名前
愛称 タカシ、さわやかヤクザ
カタカナ フクニシ タカシ
ラテン文字 FUKUNISHI Takashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-09-01) 1976年9月1日(48歳)
出身地 愛媛県新居浜市[1]
身長 181cm[2]
体重 77kg[2]
選手情報
ポジション MF[2]
利き足 右足
ユース
1986-1988 神郷SS[3]
1989-1991 新居浜市立川東中学校[2]
1992-1994 新居浜工業高校[2]
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1995-2006 ジュビロ磐田 292 (53)
2007 FC東京 28 (6)
2008 東京ヴェルディ 29 (3)
2018 南葛SC 0 (0)
通算 349 (62)
代表歴2
1999-2006[4] 日本の旗 日本 64 (7)
監督歴
2019 日本の旗 南葛SC
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月5日現在。
2. 2006年6月18日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
福西崇史
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年3月7日 -
ジャンル サッカー
登録者数 約2.16万人
総再生回数 約241万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年7月16日時点。
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福西 崇史(ふくにし たかし、1976年9月1日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロサッカー選手、スポーツ科学者、サッカー指導者、NHKサッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。元日本代表。サムデイ所属。学位は修士(スポーツ科学)(早稲田大学・2023年)[5]。

日韓、ドイツワールドカップ日本代表メンバー。

経歴

新居浜市立神郷小学校、新居浜市立川東中学校、新居浜工業高校卒業。

プロ入り以前

小学校4年生の時、地元のサッカースクールでサッカーを始めた[6]。また、中学生の頃までは並行して器械体操に取り組んでおり、ここで養われたバランス感覚[7][8] や跳躍力、柔軟性が後にサッカーに活かされることになっていると自身で分析している[9]。

1992年、高校へ進学。当時のポジションはフォワード(FW)だった[10]。高校3年時の1994年に、高校総体に1度出場したものの結果を残せず、世代別代表にも選出されていなかったが[11]、総体県予選の準決勝で、対戦校(南宇和)の選手を視察しに訪れていた[12]ジュビロ磐田の石井知幸スカウトが福西に目を留めたことをきっかけに、プロ入りの機会を掴む[9]。

現役時代

1995年、高校卒業後ジュビロ磐田に入団。FWでの出場機会を得られずにいたところ[13]、ハンス・オフト監督からボランチでのプレーを勧められコンバートを決めた[14]。同ポジションのドゥンガの熱血指導を受けつつ[15][10]、同年8月には早くもトップデビュー。スピードや運動量を不得手とする福西にとって[16]、足の遅さをポジショニングや判断の良さで補うドゥンガのプレーは格好の手本となり[16]、以後、主軸選手として、磐田の黄金期を支えた[7]。一方で、プロフェッショナルファウルを厭わない[8]激しいプレーを身上としたため[11]、審判からは警戒されることになった[11]。

2000年に就任したハジェヴスキー監督は、福西をリベロに配し、しばしば守備システムのバランスを崩してしまっていたが、福西自身の守備センスはこのポジションの経験によって磨かれた。

2005年のJ1開幕戦、対横浜F・マリノス戦(日産スタジアム)では試合終了間際に決勝点を挙げたが[17]、競り合いの中で福西の右手にボールが当たってからの[注 1]ゴールだったことから神の手ゴールとして報じられた[20]。

2006年末に翌シーズンに向けての契約交渉に臨んだ際、若手をまとめるリーダーとしての役割を十分には果たせていなかったという評価から減俸提示を受け[21][1]、加えて、黄金期の磐田のサッカーを理想とし「リアクションではないサッカーがしたい」福西と[22]、アジウソン監督との戦術面での相違[1]が重なったことから交渉が決裂し磐田退団を決意。名古屋グランパス、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原・千葉、FC東京からオファーを受け争奪となった[21]。

2007年、FC東京へ完全移籍[23][24]。同年の選手編成発表[25] 以後の移籍だったため背番号に空きが無く[15]、馴染みの無い37番を付けることになった(23番は梶山陽平が着用)。自身にとって初めての移籍であり、フィットするまでには多少の時間を要したが、結果としてオフ・ザ・ボールの動きの量を高めることになり、プレーの幅を広げた[26]。梶山との併用もあり[27] ボランチだけでなくトップ下でも力を発揮[28]。技術や経験、精神面での貢献は評価されていたものの、高年俸がネックとなり[28]、1シーズン限りで退団した。

首都圏でのプレーを希望し[29]、2008年より東京ヴェルディへ完全移籍[30][31]。ここでも主力として起用されたが、クラブの経営悪化の煽りを受け[32] 1年での契約非更新が発表された。その後行われたJ1第34節川崎フロンターレ戦(味の素スタジアム)では、前半26分、川崎側のコーナーキックのこぼれ球をクリアした際に福西の左腕が寺田周平に当たってしまい、これが主審の岡田正義に乱暴な行為とみなされ一発退場となった。その後福西は処分[注 2]を受け[34][35] これが東京Vでのラストプレーとなり[36]、クラブはJ2降格を喫した[10]。

現役続行に意欲を持ち[37]、地元愛媛県のJ2・愛媛FCからオファーを受けたものの、条件面での不一致や[37] J1へのこだわりから[10] 合意には至らず、現役を引退した。

日本代表

2002年、日韓ワールドカップのメンバーに選出され、第2戦のロシア戦に出場[38]。短時間の出場ながら[38]、愛媛県出身者としては初のワールドカップ出場であり、大会終了後には同県から「文化・スポーツ賞」を贈られた[39]。

ジーコ監督率いる日本代表チームでは、稲本潤一の負傷離脱をきっかけに激戦区となっていたボランチのレギュラーを勝ち取り[40]、危機察知力と競り合いの強さを発揮[9]。中盤のバランサーとして[41] 重用された。ボランチの一角には中田英寿が定着したが、果敢にボールを奪いに行くことを要求する中田と、中盤のスペース管理を優先する福西との間で[16]ぶつかる場面もあった[42]。

2006年、2度目となるドイツワールドカップでは2試合に先発出場した[4]。ジーコの後任を担ったイビチャ・オシムはこの時の日本代表について、中盤での守備を担う選手が不足しているとして「水を運ぶ選手も必要だ。福西1人で水が運べるのか」と評している[43]。福西自身は後年、磐田と代表とでは意識的にプレーを変え、ボール奪取やバランスを取る役割をこなしていたと語る[36]。

現役引退後

2009年1月に現役引退を表明[1]。ドイツワールドカップ日本代表では中田英寿に次いで2人目の引退となった。

5月、JFAアンバサダーに就任[44]。同年末には、公式戦500試合出場を達成した選手として[45] Jリーグから功労選手賞として表彰された。

2009年はスカパー!のサッカー中継に解説者として出演し、NHKのJリーグタイムにもゲスト解説者扱いでたびたび出演した。2010年元日のNHKの天皇杯中継に出演し、2010年より木村和司の後任としてNHKの解説者として活動することが発表された。2012年ロンドンオリンピックではジャパンコンソーシアムの解説者として男女サッカーを担当。

2013年、A級ジェネラルコーチライセンスを受講、2014年に取得[46]。

2014年3月にオーストラリアで行われたAFCアジアカップ2015の組み合わせ抽選会にドロワーとして参加した。

2016年3月、Jリーグの特任理事に就任[47]。同年11月、JFA公認S級コーチの資格を取得した[48]。

南葛SC

2018年8月22日、東京都社会人サッカーリーグ1部の南葛SCへの入団が発表され、現役復帰を果たした[49]。同年12月24日、南葛SCの監督に就任すると発表された[50]。

2019年11月、退任が発表された[51]。

退任後

「サッカースクールSKY」での指導を行っている[52]。

人物

家族

  • 息子が2人。家族をとても大切にしており、本人も「趣味は家族サービス」と公言している[53]。

嗜好

交友関係

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995磐田-J101-00101
199627210011383
1997232146131306
19982225130303
1999J1271031003011
20002754030345
20012947020384
20022851030325
20032658000345
20042660050316
20052321021263
20062671031308
2007FC東京372866100347
2008東京V232935010353
2018南葛SC33東京都1部---00
通算日本J1 3496257426443270
総通算 3496257426443270

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2004磐田2341
200520
通算AFC 61
その他の国際公式戦
出場歴

代表歴

出場大会など

  • 1999年 コパ・アメリカ パラグアイ大会
  • 2002年 FIFAワールドカップ 韓国・日本大会
  • 2003年 東アジア選手権 日本大会
  • 2004年 AFCアジアカップ 中国大会
  • 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ ドイツ大会
  • 2005年 東アジア選手権 韓国大会
  • 2006年 FIFAワールドカップ ドイツ大会

試合数

  • 国際Aマッチ 64試合 7得点 (1999年 - 2006年)[53][4]
日本代表国際Aマッチ
年出場得点
199930
200000
200120
2002100
200360
2004185
2005141
2006111
通算 647

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1999年06月29日パラグアイの旗アスンシオン ペルー●2-3フィリップ・トルシエコパ・アメリカ
2.1999年07月02日パラグアイの旗アスンシオン パラグアイ●0-4コパ・アメリカ
3.1999年09月08日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン△1-1キリンチャレンジ
4.2001年10月04日フランスの旗ランス セネガル●0-2国際親善試合
5.2001年10月07日イングランドの旗サザンプトン ナイジェリア△2-2国際親善試合
6.2002年03月21日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ウクライナ○1-0キリンチャレンジカップ
7.2002年03月27日ポーランドの旗ウッジ ポーランド○2-0国際親善試合
8.2002年04月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 コスタリカ△1-1キリンチャレンジカップ
9.2002年04月29日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スロバキア○1-0キリンカップ
10.2002年05月02日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 ホンジュラス△3-3キリンカップ
11.2002年05月14日ノルウェーの旗オスロ ノルウェー●0-3国際親善試合
12.2002年05月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スウェーデン△1-1キリンチャレンジカップ
13.2002年06月09日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ロシア○1-0ワールドカップ
14.2002年10月16日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ジャマイカ△1-1ジーコキリンチャレンジカップ
15.2002年11月20日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 アルゼンチン●0-2山本昌邦(代行)キリンチャレンジカップ
16.2003年04月16日大韓民国の旗ソウル 韓国○1-0ジーコ国際親善試合
17.2003年06月08日日本の旗大阪府長居陸上競技場 アルゼンチン●1-4キリンカップ
18.2003年06月11日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 パラグアイ△0-0キリンカップ
19.2003年12月04日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 中華人民共和国○2-0東アジア選手権
20.2003年12月07日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 香港○1-0東アジア選手権
21.2003年12月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 韓国△0-0東アジア選手権
22.2004年02月12日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 イラク○2-0国際親善試合
23.2004年04月25日ハンガリーの旗ザラエジェルツェグ ハンガリー●2-3国際親善試合
24.2004年04月28日チェコの旗プラハ チェコ○1-0国際親善試合
25.2004年05月30日イングランドの旗マンチェスター アイスランド○3-2国際親善試合
26.2004年06月01日イングランドの旗マンチェスター イングランド△1-1国際親善試合
27.2004年06月09日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 インド○7-0ワールドカップ予選
28.2004年07月09日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 スロバキア○3-1キリンカップ
29.2004年07月13日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 セルビア・モンテネグロ○1-0キリンカップ
30.2004年07月20日中華人民共和国の旗重慶 オマーン○1-0アジアカップ
31.2004年07月24日中華人民共和国の旗重慶 タイ○4-1アジアカップ
32.2004年07月28日中華人民共和国の旗重慶 イラン△0-0アジアカップ
33.2004年07月31日中華人民共和国の旗重慶 ヨルダン△1-1(PK4-3)アジアカップ
34.2004年08月03日中華人民共和国の旗済南 バーレーン○4-3(延長)アジアカップ
35.2004年08月07日中華人民共和国の旗北京 中華人民共和国○3-1アジアカップ
36.2004年08月18日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム アルゼンチン●1-2キリンチャレンジカップ
37.2004年09月08日インドの旗コルカタ インド○4-0ワールドカップ予選
38.2004年10月13日オマーンの旗マスカット オマーン○1-0ワールドカップ予選
39.2004年12月16日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ドイツ●0-3キリンチャレンジカップ
40.2005年01月29日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 カザフスタン○4-0キリンチャレンジカップ
41.2005年02月02日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シリア○3-0キリンチャレンジカップ
42.2005年02月09日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 北朝鮮○2-1ワールドカップ予選
43.2005年03月25日イランの旗テヘラン イラン●1-2ワールドカップ予選
44.2005年03月30日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 バーレーン○1-0ワールドカップ予選
45.2005年05月22日日本の旗新潟県新潟スタジアム ペルー●0-1キリンカップ
46.2005年05月27日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アラブ首長国連邦●0-1キリンカップ
47.2005年06月03日バーレーンの旗マナマ バーレーン○1-0ワールドカップ予選
48.2005年06月08日タイ王国の旗バンコク 北朝鮮○2-0ワールドカップ予選
49.2005年06月16日ドイツの旗ハノーバー メキシコ●1-2コンフェデレーションカップ
50.2005年06月19日ドイツの旗フランクフルト ギリシャ○1-0コンフェデレーションカップ
51.2005年06月22日ドイツの旗ケルン ブラジル△2-2コンフェデレーションカップ
52.2005年07月31日大韓民国の旗大田 北朝鮮●0-1東アジア選手権
53.2005年08月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン○2-1ワールドカップ予選
54.2006年02月10日アメリカ合衆国の旗サンフランシスコ アメリカ合衆国●2-3国際親善試合
55.2006年02月18日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム フィンランド○2-0キリンチャレンジカップ
56.2006年02月22日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 インド○6-0アジアカップ予選
57.2006年02月28日ドイツの旗ドルトムント ボスニア・ヘルツェゴビナ△2-2国際親善試合
58.2006年03月30日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 エクアドル○1-0キリンチャレンジカップ
59.2006年05月09日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ブルガリア●1-2キリンカップ
60.2006年05月13日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 スコットランド△0-0キリンカップ
61.2006年05月30日ドイツの旗レバークーゼン ドイツ△2-2国際親善試合
62.2006年06月04日ドイツの旗デュッセルドルフ マルタ○1-0国際親善試合
63.2006年06月12日ドイツの旗カイザースラウテルン オーストラリア●1-3ワールドカップ
64.2006年06月18日ドイツの旗ニュルンベルク クロアチア△0-0ワールドカップ

ゴール

#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要[3]
1.2004年6月9日日本の旗 日本、さいたま市インドの旗 インド○ 7-02006 FIFAワールドカップ・アジア予選
2.2004年7月9日日本の旗 日本、広島市スロバキアの旗 スロバキア○ 3-1キリンカップサッカー2004
3.2004年7月24日中華人民共和国の旗 中国、重慶市タイ王国の旗 タイ○ 4-1AFCアジアカップ2004
4.2004年8月7日中華人民共和国の旗 中国、北京市中華人民共和国の旗 中国○ 3-1
5.2004年9月8日インドの旗 インド、コルカタインドの旗 インド○ 4-02006 FIFAワールドカップ・アジア予選
6.2005年3月25日イランの旗 イラン、テヘランイランの旗 イラン● 1-2
7.2006年2月22日日本の旗 日本、横浜市インドの旗 インド○ 4-0AFCアジアカップ2007 (予選)

指導歴

  • 2015年 - スポルティング品川[48]

個人タイトル

その他

出演

書籍

著書

関連書籍

DVD

  • 福西崇史DVDバイオグラフィー (2006年5月26日)
  • 23ボランチ (2010年10月24日)
  • 福西崇史のサッカー上達法「PROGRESS METHOD」

ゲームソフト

脚注

注釈
  1. ↑ 当時のルールでは、ボールを意図的に手で扱った場合にはファウルとなるが、福西からはボールの軌跡が見えておらず、競り合ってバランスを崩していたので、この場合には当たらないとされた[18][19]。
  2. ↑ 当時東京Vの監督だった柱谷哲二によると、その後、この試合で主審を務めた岡田正義からこの判定は誤審だったとの謝罪があったという[33]。
出典
  1. 1 2 3 4 元日本代表・福西、現役引退へ ジュビロ磐田の黄金期支える 47NEWS (2009年1月26日)
  2. 1 2 3 4 5 6 7 登録選手一覧表 Jリーグ 2008.12.12.
  3. 1 2 3 4 5 試合情報|日本代表|プロフィール 日本サッカー協会 (2006年6月22日)
  4. 1 2 3 “福西 崇史”. サッカー日本代表データベース
  5. ↑ “元サッカー日本代表、福西崇史が早稲田大学大学院を修了 ラグビー五郎丸歩らとの“卒業”ショット公開”. ねとらぼ (2023年3月28日). 2023年3月28日閲覧。
  6. ↑ 【スペシャルインタビュー Vol.13】ジュビロ磐田:福西崇史選手 J's GOAL (2005年9月11日)
  7. 1 2 “【福西崇史・ふくにしたかし】 元・サッカー日本代表 (2009年4月27日~2009年5月1日オンエア)”. スポーツリアルトーク (ニッポン放送). (2009年5月1日) 2021年2月3日閲覧。
  8. 1 2 “名ボランチ福西崇史氏が熱い思い語った!”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ). (2009年2月1日) 2021年2月3日閲覧。
  9. 1 2 3 “地域選抜組 同年代、切磋琢磨し上へ”. asahi.com (朝日新聞社). (2005年9月5日) 2021年2月3日閲覧。
  10. 1 2 3 4 福西現役引退「密度の濃い14年間だった」 日刊スポーツ (2009年1月31日)
  11. 1 2 3 サッカーファミリー 第20回:松﨑康弘審判委員長対談 リスペクトし合うために必要なこと 福西崇史氏を迎えて 日本サッカー協会 (2009年6月22日)
  12. ↑ “福西崇史”. 超WORLDサッカー! (CWS Brains) 2021年2月3日閲覧。
  13. ↑ GESカップ 福西崇史サッカークリニック 和歌山サッカー協会
  14. ↑ “元日本代表MF福西が語る引退の理由 磐田、移籍、代表、自身のキャリアを振り返る”. スポーツナビ (Yahoo! JAPAN). (2009年6月2日) 2021年2月3日閲覧。
  15. 1 2 東京の福西誕生 今野と日本最強Wボランチ 東京中日スポーツ (2007年1月23日)
  16. 1 2 3 “第53回 6億円のゴール”. 二宮清純「フットボールの時間」(10、20日更新) (スポーツコミュニケーションズ). (2007年10月20日) 2021年2月3日閲覧。
  17. ↑ “2005Jリーグ ディビジョン1 第1節第1日”. J. League Data Site (Jリーグ). (2005年3月5日) 2021年2月3日閲覧。
  18. ↑ “福西の得点は正当と結論/意図的でないと日本協会”. 四国新聞社 SHIKOKU NEWS (四国新聞社). (2005年3月8日) 2021年2月3日閲覧。
  19. ↑ 日本協会、福西の得点は正当と結論 - ウェイバックマシン(2005年3月10日アーカイブ分)日刊スポーツ (2005年3月8日)
  20. ↑ 元祖はもちろんマラドーナ…福西、メッシも スポーツニッポン (2009年11月20日)
  21. 1 2 FC東京オファー 福西 週明けにも発表 東京中日スポーツ (2007年1月21日)
  22. ↑ 福西『ジュビロに勝つ』古巣でお別れ会見 東京中日スポーツ 2007.01.24
  23. ↑ 福西崇史選手 FC東京へ完全移籍 - ウェイバックマシン(2007年1月29日アーカイブ分) ジュビロ磐田 (2007年1月22日)
  24. 1 2 3 福西崇史選手 移籍加入決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年3月12日アーカイブ分) FC東京 2007.01.22
  25. ↑ 2007年シーズン新体制を発表 - ウェイバックマシン(2007年1月28日アーカイブ分) FC東京 (2007年1月14日)
  26. ↑ 元日本代表MF福西が語る引退の理由 磐田、移籍、代表、自身のキャリアを振り返る 2/2 スポーツナビ (2009年6月2日)
  27. ↑ 梶山 練習試合で猛アピール 東京中日スポーツ 2007.06.08
  28. 1 2 東京大刷新 土肥&福西戦力外 原監督が退任 新監督に城福氏 東京中日スポーツ (2007年11月19日)
  29. ↑ 東京Vが福西と土肥の獲得を発表 日刊スポーツ (2007年12月31日)
  30. ↑ 福西崇史選手 東京ヴェルディ1969へ完全移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年12月31日アーカイブ分) FC東京 (2007年12月30日)
  31. ↑ 福西崇史選手 加入のお知らせ 東京ヴェルディ (2007年12月30日)
  32. ↑ 人件費削減…東京V 福西、服部ら11人解雇 スポーツニッポン (2008年12月1日)
  33. ↑ 柱谷監督「レフェリーに問題がある」 - ウェイバックマシン(2012年6月10日アーカイブ分) エル・ゴラッソweb版 BLOGOLA (2012年4月18日)
  34. ↑ 公式記録 2008Jリーグ ディビジョン1 第34節第1日 Jリーグ (2008年12月6日)
  35. ↑ J1第34節 退場に伴う 福西 崇史選手(東京V)の出場停止処分について Jリーグ (2008年12月9日)
  36. 1 2 3 現役最後の試合は退場だった……福西崇史がもがき続けてたどり着いた「生きる道」とは ぐるなび・みんなのごはん (2017年4月6日)
  37. 1 2 福西が引退決意、今後はタレント活動も スポーツニッポン (2009年1月26日)
  38. 1 2 福西02年5分間「ドイツは全部出たい」 日刊スポーツ (2006年5月16日)
  39. 1 2 愛媛県が福西選手表彰 47NEWS (2002年6月20日)
  40. ↑ 稲本レギュラー再奪取へ万全 日刊スポーツ (2006年5月18日)
  41. ↑ 福西はベテランらしく冷静 日刊スポーツ (2006年5月27日)
  42. ↑ アブダビの夜 W杯へ激論 朝日新聞デジタル (2006年11月7日)
  43. ↑ 千葉オシム監督、守備的選手不足を指摘 日刊スポーツ (2006年6月6日)
  44. ↑ 平成21年度 第2回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2009年5月14日)
  45. ↑ 功労選手賞について Jリーグ (2009年9月15日)
  46. ↑ 2013(平成25)年度 公認A級コーチジェネラル養成講習会 合格者【113名】 (PDF) 日本サッカー協会 (2014年4月10日)
  47. ↑ 理事・監事内定の件 (2016年2月23日)
  48. 1 2 2016年度 第11回理事会 報告事項 日本サッカー協会 (2016年11月10日)
  49. ↑ 福西崇史氏入団のお知らせ 南葛SC 2018年8月22日
  50. ↑ 『【TOP】福西 崇史 新監督就任のお知らせ』(プレスリリース)南葛SC、2018年12月24日。2018年12月24日閲覧。
  51. ↑ 『【TOP/NEWS】福西 崇史監督 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)南葛SC、2011年11月11日。2020年3月8日閲覧。
  52. ↑ “豪華指導者がそろう『サッカースクールSKY』、1月末にセレクションを開催”. サッカーキング (2017年1月6日). 2020年7月17日閲覧。
  53. 1 2 3 4 5 選手データベース 福西崇史 - ウェイバックマシン(2008年5月10日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  54. ↑ 第8回<クラリーノ>美脚大賞授賞式を開催 クラレ (2010年10月4日)

関連項目

外部リンク