遠藤保仁

ウィキペディアから、無料の百科事典
遠藤 保仁
サッカー日本代表での遠藤保仁(2010年)
名前
愛称 ヤット
カタカナ エンドウ ヤスヒト
ラテン文字 ENDO Yasuhito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-01-28) 1980年1月28日(45歳)
出身地 鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)
身長 178cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF(AM、CM、VOL)
利き足 右足
ユース
1995-1997 鹿児島実業高等学校
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1998 横浜フリューゲルス 16 (1)
1999-2000 京都パープルサンガ 53 (9)
2001-2021 ガンバ大阪 605 (98)
2020-2021 →ジュビロ磐田(loan) 50 (5)
2022-2023 ジュビロ磐田 52 (0)
通算 776 (113)
代表歴2
1998-1999  日本 U-20 11 (1)
1999  日本 U-23 7 (0)
2002-2015[1] 日本の旗 日本 152 (15)
獲得メダル
男子サッカー
 日本
AFCアジアカップ
金2004 中国
金2011 カタール
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月12日現在。
2. 2015年1月23日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。現在はガンバ大阪のコーチを務める。

実兄の遠藤彰弘も元プロサッカー選手。日本代表国際Aマッチ出場数最多記録保持者[2]。2009年アジア年間最優秀選手。2014年JリーグMVP。また、Jリーグではアシストの統計をとっていないため、公式記録ではないが、2018年シーズン終了時点での通算Jリーグ最多アシストを記録している[3]。

経歴

プロ入り前

鹿児島県鹿児島郡桜島町に三人兄弟の三男として生まれ、6つ年上の長男・拓哉と4つ年上の次男・彰弘に影響され、物心ついた頃から自宅の庭でボールを蹴り、高校選手権やワールドカップのビデオを見ては、気に入ったプレーを真似していたという[4]。鹿児島実業高等学校では1年生時の1995年に高校選手権優勝。2年生時の1996年には高円宮杯優勝、高校選手権では準々決勝でPK戦で敗れたものの大会優秀選手に選ばれ、U-18日本代表にも選出された。また、2年時には当時鹿児島実業サッカー部を指導していたブラジル人コーチのジョゼ・カルロスの勧めで1カ月ブラジルに短期留学し、サンパウロ州のECサンベントの練習に参加した[5]。

横浜フリューゲルス

高校卒業後の1998年に横浜フリューゲルスへ加入。監督のカルロス・レシャックから才能を見いだされ、リーグ開幕戦の横浜マリノス戦でいきなりプロデビューを果たす。8月1日の鹿島アントラーズ戦でプロ初得点を挙げ、1年目でリーグ戦16試合に出場するなど順調な滑り出しを果たした。

京都パープルサンガ

しかし、同年限りでクラブが消滅したため、手島和希、大島秀夫、辻本茂輝ら他の新人選手とともに1999年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)へ移籍。当時のチームメイトには三浦知良、パク・チソン、松井大輔等がいた。京都ではレギュラーに定着するも、翌2000年にチームは年間15位となりJ2降格となった。

ガンバ大阪

2001年、ガンバ大阪に完全移籍。翌2002年に監督に就任した西野朗の下、攻撃的なスタイルを標榜するチームの中心選手になり、移籍3年目の2003年に初めてJリーグベストイレブンを受賞する。2005年のナビスコカップ決勝のジェフユナイテッド千葉とのPK戦では立石智紀相手にプロ入り以来初めてPKを失敗してナビスコカップ優勝を逃すも[6]、この年自身初のシーズン2桁得点を記録し、リーグ最終節の川崎フロンターレ戦では、PKを決めてG大阪にとって初タイトルとなるJリーグ優勝に貢献し、自身にとっても初となるJリーグ優勝を経験。

2006年からは、二川孝広・橋本英郎に加えこの年新加入した明神智和とで構成された抜群のパスワークで相手を圧倒する中盤は「黄金の中盤」と称され[7]、G大阪の攻撃陣を牽引していたが、10月に日本代表でのインド遠征中に発熱してから体調が戻らず、後にウイルス性肝炎と判明したことで[8]、シーズン終盤は1ヶ月以上の戦線離脱を余儀なくされた。12月2日に行われたリーグ最終節の浦和レッズ戦で復帰するも、チームは敗れリーグ連覇を逃した。2007年はシーズン通して大きな体調不良もなく、リーグ戦全34試合にフル出場し、ナビスコカップ優勝にも貢献。

しかし、2008年6月末にウイルス性感染症により、再び1ヶ月以上の離脱を余儀なくされ[9]、オーバーエイジ枠でのメンバー入りが確実視されていた北京オリンピック日本代表を辞退することとなった[10]。さらに遠藤離脱後、G大阪はリーグ戦で不振に陥った。それでも、復帰後のACLではアシストを連発し、特に準決勝の浦和戦では2戦合計2ゴール2アシストと全得点に絡む活躍でクラブ初のアジア制覇に貢献し、大会MVPを受賞した。同年11月には、イングランド2部のプリマス・アーガイルFCからオファーを受けるが、家族のことなどを考慮してG大阪に残留した。同年12月に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップでも、準々決勝のアデレード・ユナイテッド戦では決勝ゴールを挙げ、準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦ではチームは敗れるも試合終盤にPKでゴールを挙げ、決定的なパスを前線に供給するなど攻守に活躍を見せた。この活躍により、同大会を優勝したマンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンからは「キト(決勝で対戦した南米王者)には遠藤と同じくらいのクオリティーを持った選手はいなかった。」と賞賛された[11]。さらに、同年度の天皇杯優勝にも貢献し、ガンバでは2005年のアラウージョ以来となる日本年間最優秀選手賞を受賞した。

2009年11月にはAFCから日本人では1993年の三浦知良、1995年の井原正巳、1997年、1998年の中田英寿、2002年の小野伸二以来5人目(6度目)となるアジア年間最優秀選手賞を受賞した(ちなみに、この前年も最終候補まで残っていたが受賞はならなかった)。リーグ戦では自身5年ぶりとなる2桁得点を記録し、2010年1月1日に行われた天皇杯決勝の名古屋グランパス戦では、2ゴール1アシストと圧巻の活躍を見せG大阪の天皇杯連覇の立役者となった[12]。なお、この頃からポジションを代表と同じボランチに移すようになった。

2010年は代表との過密日程で開幕からコンディションが安定せず、2月27日に行われたゼロックススーパーカップの鹿島アントラーズ戦では、PK戦で枠を外す失敗をしてしまい[13]、自身の不調と比例するかのようにチームもリーグ戦で低迷。それでも、南アフリカW杯後の復帰初戦となった浦和戦では試合終了間際に決勝ゴールを挙げ[14]、その後は安定した活躍を見せた。

2011年、Jリーグ開幕戦となったセレッソ大阪との大阪ダービーで、プロ14年目にして初となる開幕戦ゴールを決めた。7月には3試合連続得点を記録するなど、優勝争いを続けるチームを牽引していたが、8月以降右内転筋痛によりプレースキックを蹴れない状態が続き[15]、さらにクラブ・代表の過密日程により十分な休養が取れないまま強行出場を続け、最終的に発熱で欠場した1試合を除くリーグ戦33試合に出場したが、シーズン終盤まで完治しなかった。11月26日、J1第33節仙台戦で史上7人目となるJ1通算400試合出場を達成[16]。

2012年、前年に移籍した山口智に代わりG大阪の副主将に就いた。6月23日、J1第15節札幌戦で、三浦淳宏の記録を抜く当時のJリーグ歴代1位となる通算16得点目の直接フリーキックでゴールを決めた[17]。7月21日、カシマスタジアムで行なわれた東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチでは、サポーター投票で最多の320,709票を集め[18]、Jリーグ選抜の一員として出場した。この年、ガンバは極度の不振に陥り、自身は代表との過密日程ながら5年ぶりにリーグ戦全試合に出場したが、京都時代以来のJ2降格となった。

2013年、J2降格となったG大阪に残留。また、明神智和から引き継ぎプロ入り以来初の主将に就いた。自身初のJ2でのプレーとなったこの年、日本代表との並行日程でリーグ戦の約4分の1ほどを欠場したが、終始安定したプレーを発揮し、G大阪のJ2優勝と1年でのJ1復帰に貢献。シーズン終盤には、フォワードとしてやや高い位置でプレーしながら、この年チーム最多得点を記録した宇佐美貴史をサポートする役割を担った[19]。シーズン終了後のJリーグアウォーズでは、サポーターの投票で選出されるJ2最優秀選手賞にあたる「J2 Most Exciting Player」を受賞した。

2014年、開幕当初は前年の後半戦同様、前線で起用されたが4月以降は今野泰幸とダブルボランチを形成。しかし、開幕当初はミスが目立ちチームも前半戦は極度の不振に陥り、ブラジルW杯による中断前は降格圏の16位に低迷。それでも、中断期間の休養を経て後半戦は調子を取り戻し攻撃の起点となり多くのアシストを記録し、前半戦不振に陥っていた今野の復調も支え、チームの後半戦躍進を加速させた[20]。11月のナビスコカップ決勝のサンフレッチェ広島戦では、前半35分で2点のリードを許す苦しい展開となるも、その3分後にパトリックの得点をアシストし、後半の逆転劇を手繰り寄せ7年ぶりのナビスコカップ優勝を達成[21]。シーズン終盤はカップ戦も勝ち進んだことで過密日程になるも、リーグ戦はフィールドプレーヤーでは唯一の全試合に出場し、FKとPKではそれぞれJ1最多記録に並んだ。先発メンバーに多くの若手選手が名を連ねるようになった中、不動の平常心でチームを牽引し[22]、J1昇格1年目で9年ぶり2回目のリーグ優勝を果たし、さらにはクラブ史上初の国内三冠を達成。Jリーグアウォーズでは11度目のベストイレブンと自身初となるJリーグ最優秀選手賞を受賞した[23][24]。

2015年4月18日、J1.1st第6節・湘南戦でJ1でのPK通算27得点目を決め、福田正博を抜きPK得点単独トップに立った。10月17日のJ1.2nd第14節浦和戦でJ歴代最年少でJ1通算500試合出場を達成[25]。この年もリーグ戦全試合にフル出場。CS準決勝浦和戦では延長後半にフリーキックから浦和ディフェンスの意表をつきパトリックのダメ押しゴールをアシスト。決勝の広島戦では第1戦・第2戦共にセットプレーから今野のゴールをアシストしたが、いずれも勝利には結びつかず後一歩でリーグ連覇を逃した。2015年シーズン最後のタイトルがかかった天皇杯決勝・浦和戦では後半にコーナーキックからパトリックの決勝ゴールをアシストし、天皇杯連覇に貢献。優勝セレモニーではこの年限りで移籍した明神智和のユニフォームを着て壇上に上がり、長年プレーした明神への感謝を示した[26]。

2016年10月29日、2ndステージ第16節のアルビレックス新潟戦で史上13人目、MF登録では藤田俊哉以来2人目となるJ1通算100得点を達成[27]。

2017年4月に行われたACL・江蘇蘇寧足球倶楽部戦での失点に絡むミス[28] やアデレード・ユナイテッドFC戦でのPK失敗[29] など、不調が続き4月30日に行われた第9節の横浜FM戦ではルーキーイヤー以来19年ぶりのベンチに入ったものの出場なしで試合を終えた[30]。しかし、5月5日に行われた第10節の清水戦ではチームが負けている状態で途中出場し、存在感を発揮し、チームを引き分けへと導いた[31]。8月9日、第21節の広島戦では20年連続で得点を決めて、藤田を抜きMF登録で歴代最多得点を記録した[32]。

2018年2月23日、開幕戦の名古屋グランパス戦で得点を挙げ、21年連続ゴールを達成[33]。11月10日、第32節の湘南ベルマーレ戦ではフィールドプレーヤー史上初となるJ1リーグ通算600試合出場を達成した[34]。また、シーズン終了後に放送されたTBS「スーパーサッカー」(2019年2月10日放送)で番組で統計したJリーグ通算アシストランキングの1位にランクインした[3]。

2019年シーズン開幕戦に先発出場し、Jリーグ(J1・J2を含む)史上初の20年連続開幕戦先発の単独記録となった。ちなみに昨シーズンまで並んでいた中澤佑二は昨シーズンをもって引退している[35]。4月20日、第8節の大分トリニータ戦で22年連続ゴールを達成。8月2日、第21節のヴィッセル神戸戦で日本人選手としては初となる公式戦1000試合を達成した[36]。

2020年7月4日、第2節のセレッソ大阪戦でJ1史上最多となる632試合に出場した[37]。同試合後には「選手である以上はスタメンで出たい。常にアピールしていきたい」と口にしていたが、J1リーグ第20節終了時点で出場はJ1リーグ11試合363分、ルヴァン杯2試合100分のみで、J1リーグ開幕戦こそフル出場したものの、新型コロナウイルス感染拡大の影響による中断から再開後は先発出場したリーグ戦2試合、ルヴァン杯1試合を含め全て途中交代にとどまり、J1リーグ第12節・第13節では2戦連続のベンチ外も経験。

ジュビロ磐田

10月5日、出場機会を求めて同シーズンのJ2リーグで13位に低迷しているジュビロ磐田へ期限付き移籍することとなった[38][39]。10月10日、移籍後初の試合となった第25節の松本山雅FC戦で先発フル出場を果たすと、10月25日、第29節のザスパクサツ群馬戦で公式戦5年ぶりに直接FKを決め、移籍後初得点を上げた。加入後、15試合に先発出場し、チームは18試合で僅か3敗と最終的に6位まで立て直し、低迷していたチームを活性化させた。

2021年5月15日、第14節のザスパクサツ群馬戦において決勝点を挙げ、自身が持つJリーグシーズン連続ゴール記録を24年に更新した。1998年のプロデビュー以来毎シーズンのゴールであり、ゴールを記録したシーズン数も歴代1位の24年となり同2位の三浦知良の23年を上回った[40]。シーズンを通して主力として活躍し、チームのJ1昇格、J2優勝に貢献した。12月27日、2022年シーズンより磐田に完全移籍することが発表された[41]。

2022年3月12日、移籍後初の古巣ガンバ大阪との対戦では、G大阪に在籍経験のあるチームメイトの鈴木雄斗、大森晃太郎との連携で先制点を演出した。10月29日に行われたG大阪との試合では、G大阪のホームスタジアム・パナソニックスタジアム吹田のピッチに移籍後初めて立った。チームはG大阪に敗れてJ2降格が決定。奇しくもG大阪はこの試合後に残留を決めて、遠藤は元ホームスタジアムで降格を味わった。試合後には、スタジアムを一周して古巣のサポーターに挨拶をした[42]。遠藤はその後1年プロを続けたのちに引退したため、結果的にこれが現役最後のパナソニックスタジアムでのゲームとなった。シーズンを通してレギュラーとして出場を続けていたが、自身はキャリア初のシーズン無得点に終わり、チームも僅か1年でJ2降格を喫した。

2023年はシーズンを通して中盤まではレギュラーとして多く試合に出場していたが、シーズン中盤以降はスタメンを外れベンチスタートやベンチ外になることも多くなったが、チームは最終節で栃木SCに勝利して自動昇格を争うライバルの2位清水を抜いてリーグ戦2位に浮上して1年でのJ1復帰を決めた。

2024年1月9日、2023シーズンをもっての現役引退を発表した[43]。遠藤の引退により、横浜フリューゲルスに在籍経験のある選手が全員引退した。

代表経歴

1999年、U-20日本代表としてナイジェリアで開催された第10回ワールドユース選手権に出場し、日本代表の準優勝に貢献。この代表メンバーは後にJリーグやフル代表の中心的存在となる選手が多かったことから「黄金世代」と呼ばれている[44]。同年、シドニーオリンピック予選のU-22日本代表にも選出され、アジア1次予選、最終予選はスターティングメンバーとして戦ったが、2000年のシドニーオリンピック本大会では、予備登録メンバーとして選出されるも、出場機会はなかった。

2002年、当時の日本代表監督ジーコによってフル代表に初招集され、11月20日のキリンチャレンジカップ・アルゼンチン戦で初出場を果たし、以降、代表レギュラーの座を勝ち取る。翌2003年には、FIFAコンフェデレーションズカップ2003に全試合スタメン出場。同年8月20日のナイジェリア戦で待望の代表初ゴールを挙げる[1]。当時のボランチは同期の小野伸二や稲本潤一、中田浩二といった海外組を始め、同じ国内組の福西崇史などがいたため激戦区であったが、2004年のアジアカップレギュラーとして日本代表の優勝に貢献した。翌年、中田英寿のボランチへのコンバート志願のあおりを受け、再び控えに回る事になり、2006年のドイツW杯ではフィールドプレーヤー(GK以外の選手)で、唯一ピッチに立つことがなかった[45]。

ドイツW杯後、新監督イビチャ・オシムからの指導でプレースタイルに磨きをかけ、代表の中心的存在に登りつめ[46]、ドイツW杯を最後に現役を引退した中田の背番号7を引き継いだ。オシムジャパンではボランチではなく、オフェンシブハーフとして起用されたのが特徴である(ガンバ大阪では同様の起用法は頻繁に見られるが、日本代表では主にボランチで起用されていた)。

2007年12月、オシムが病に倒れ退任、急遽監督に就任した岡田武史は、当初、オシムのチームを引き継ぐという立場であったため、遠藤もオシム時代同様にオフェンシブハーフでの起用が多かったが、岡田が「俺のやり方でやる」と宣言した2008年の南アフリカW杯アジア3次予選から、長谷部誠とダブルボランチを形成。守備陣と攻撃陣のパイプ役を担って、南アフリカW杯予選突破に貢献し、岡田からは「チームの心臓」と称された[47]。その後も、代表でのレギュラーの座を不動のものにしていたが、W杯直前にリーグ戦やACL、さらには日本代表戦など、連戦による過密日程をこなすことで大きくコンディションを落とし、2010年2月の東アジア選手権や親善試合のセルビア戦では低調なパフォーマンスに終わり、クラブに戻っても数試合は休養を取らざるを得なかったほどに疲労に苛まれていた。

2010年5月10日に南アフリカW杯のメンバーに選出され、6月の本大会ではグループリーグ3試合と決勝トーナメント1試合の全試合に司令塔としてスタメン出場を果たした。6月25日のグループリーグ第3戦のデンマーク戦では直接フリーキックを決めてW杯初得点を挙げ、4試合トータルでチーム1の走行距離を記録するなど、日本代表初のアウェーでのベスト16入りに大きく貢献した。このフリーキックについて遠藤本人は、「(本田圭佑が蹴る事を希望していたが)圭佑は1本目決めてたんで、俺に蹴らせろみたいな感じ」で自身が蹴る事にしたと語っている[48]。尚、本大会は公式ボールが無回転シュート向けの特性を持ち、横回転を掛け難い“ジャブラニ”が採用されたため、多くのカーブ系のキックを得意とする選手が悪戦苦闘する事態になった。そんな中、遠藤はジャブラニを自在に操り、前述のフリーキックだけでなく起点としてもカメルーン戦の本田のゴール、デンマーク戦の岡崎のゴールを演出。岡田監督が「このチームの心臓」と評したとおりの活躍を見せ期待に応えた。ちなみにW杯で1試合2本のフリーキック成功は44年ぶりである[49]。

2010年10月12日、親善試合の韓国戦で、井原正巳、川口能活、中澤佑二に次ぐ4人目、GKとDF以外のポジションの選手では初となるフル代表100試合出場を達成[50]。

南アフリカW杯後に日本代表監督に就任したアルベルト・ザッケローニからもレギュラーとして起用され、2011年1月に開催されたアジアカップでは全6試合にスタメン出場を果たし、チーム最年長、チーム最多CAP選手として若いチームを引っ張り、中盤の底から決定的なパスを何本も供給し、ゲームをコントロールし続けた大車輪の活躍で、日本代表の2大会ぶりのアジア制覇に大きく貢献し[51]、大会MVPに輝いた本田圭佑は、MVPについて感想のコメントを求められ「個人的にはヤットさん(遠藤)だと思う。ああいう人がいなかったら勝負は紙一重だった」と遠藤を讃えた[52]。

2011年3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、先制点となるフリーキックを決めた[53]。

2012年10月12日、フランスとの国際親善試合にフル出場し、井原正巳が持っていた日本代表の国際Aマッチ最多出場記録の122試合に並ぶと[54]、続く16日のブラジル戦にも出場し、最多出場記録を13年ぶりに更新[55]。さらに翌2013年9月10日のガーナ戦に出場したことで、それまで東アジア諸国の国際Aマッチ最多出場記録を持っていた韓国・洪明甫の136に並び、10月11日のセルビアとの欧州遠征第1戦に出場して137試合目となり、東アジア最多出場記録を更新した。

2014年5月、ブラジルW杯代表に選出され、日本代表では唯一ドイツ大会から3大会連続選出となった。本大会では、クラブで調子を落としていたことから直前でレギュラーから外され、第1戦コートジボワール戦、第2戦ギリシャ戦ともに長谷部誠に代わり後半から出場。第3戦コロンビア戦は出場機会がなくチームも敗れグループリーグで敗退した。

ブラジルW杯以降、ハビエル・アギーレ体制となってからは代表から外れていたが11月に代表復帰。同年12月、AFCアジアカップ2015の代表メンバーに選出され、日本代表としては初のアジアカップ4大会連続選出となった。グループリーグ第1戦パレスチナ戦では先発出場で先制ゴールを決め、三浦知良が持っていたアジアカップの日本代表最年長ゴール記録(29歳9カ月)を34歳11カ月に更新、さらにアジアカップの出場数も通算最多となった[56]。続く第2戦イラク戦にも先発出場し、国際Aマッチ150試合出場を達成した[57]。

ヴァイッド・ハリルホジッチ体制後からは代表に選出されておらず、ハリルはその理由を最初の代表発表の場で「遠藤は日本のレベルを上げてくれた。でもリストには入ってない。私はW杯ロシア大会の準備のために日本に来ている。メンバーは、今までのリストを中心に、さらに自分の考えを加えて作成している。遠藤はこれまで、日本のために貢献してくれた。敬意を表したい。」とロシアW杯時の年齢を配慮し選出しない事を宣言している[58]。

2013年9月6日に行われたグアテマラ戦で遠藤がFKで決めた得点以降[59]、日本代表は直接FKでの得点は2018年11月に原口元気が決めるまでの約5年間無かった。

現役引退後

引退発表と同時にガンバ大阪のトップチームコーチ就任が発表された[43][60]。

プレースタイル

ボランチとしてボールキープが巧みで[61] タメをつくることができ、正確なパスを散らすゲームメーカー[62]。短距離〜やや長い浮き球のパスを得意とし、中央からの散らしに関しては足元・スペースを正確に突く、特に短距離のパスは相手の重心と反対の方向へ出すことでカットされにくく、日本でも屈指の精度を誇る。G大阪の戦術上、中・長距離のパスは用いることは少ないが、こちらも非常に高い精度を持つ[62]。

ポジションは主に攻撃的MFおよびセントラルMF。スピードやフィジカルに頼ったプレーやヘディングは得意としていないが[63]、プレースキックの精度が高く、直接得点したりアシストする場面が頻繁に見られる。直接フリーキックはプロ入り初期はそれほど蹴っていなかったが、日本代表に選出された後、監督のジーコからプレースキッカーの役割を担うよう提言を受け、以降はクラブや代表でもプレースキックを任されることが多くなった。強い回転系のシュートを得意としており[49]、ペナルティエリアやや外くらいからゴールマウスを的確にとらえられる高精度のミドルシュートを持つ。また、テクニックタイプではあるがボディーコンタクトも強い。[独自研究?]

元々遠藤は運動量がそれほど多くなく、中盤の底からゲームメイクをするバランサータイプの選手であったが、2006年に日本代表監督に就任したイビチャ・オシムから「チームのために走りなさい」と指導され、以降は自らドリブル突破やゴール前でのワンツーからの飛び出しなど仕掛ける動きが目立つようになり、攻撃的な役割を担う部分が多くなった[45]。オシムの指導によって豊富な運動量も遠藤の武器となり、[独自研究?]南アフリカワールドカップで計測された4試合389分での走行距離は47.02 km。同大会に出場した日本代表選手での中で本田圭佑(45.48 km)、長友佑都(45.43 km)らを抑え最長を記録した[64]。また、状況判断力にも長け、パスを供給する位置やタイミングを自在に把握する広い視野と戦術眼も併せ持っており[65][66]、本人の何事にも動じない落ち着いた性格からどんな状況でも常に慌てることなくプレーできるなど精神面も強い[65]。

各年代の評価

オシムからは「常に自分をコントロールし、チームメイトや対戦相手もコントロールする。その知性はチームに大きなプラスアルファをもたらす。彼がいれば監督は必要ない」と高い評価を得ている[67]。遠藤保仁はクラブ・日本代表双方において必要不可欠な存在とされており、様々な見地から「遠藤保仁不在」が不安視されていた[65][68]。日本代表における遠藤の後継者候補に挙げられていた選手には柴崎岳[69]、扇原貴宏[70]、家長昭博[71]、柏木陽介[72]、高橋秀人[73] がいたが、いずれも候補止まりであり、ポスト遠藤の評価を得るまでには至っていない。

2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれた[74]。

ペナルティーキック

遠藤はPKを蹴る際、しばしば遅めの球速で蹴る場合がある。ボールがピッチ上をコロコロと転がりながらゴールマウスに向かう様子からメディアやファンからは「コロコロPK」と呼ばれている[75]。助走時間を長く取ってゆっくりとボールに近づき、ボールは一切見ず相手ゴールキーパーの動きを最後まで見ることで相手の重心の動きを見極め[6]、ゴールキーパーが動いた方向とは逆方向にインサイドキックでボールを転がすように蹴る[76]。もしゴールキーパーが動かなかった場合はサイドに強く蹴る[76]。近年では詳細が知れ渡ってしまったため、上記のキックをしないことが多い。

リーグ戦でのPK成功率は9割以上であり[75]、J1での通算PK得点(30得点、2015年シーズン終了時点)はJ1最多記録である。さらに、2008年のFIFAクラブワールドカップ準決勝のマンチェスター・ユナイテッドとの対戦では、コロコロPKで元オランダ代表のファン・デル・サールからゴールを奪い[75]、2010年のFIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でも、1人目を任されて成功させる(ただし、この時はジャブラニがコロコロPKに合わないという理由でサイドに鋭く蹴った)[77] など、代表での試合を含め国際大会においても成功率は高い。

エピソード

  • 憧れの選手はという問いには「2人の兄」を挙げており[78]、6つ上の長男・拓哉は次男よりも憧れの選手で、鹿児島実業高校では前園真聖と同期で背番号10を背負ってプレーし、高校選手権では2年、3年と連続して優秀選手に選ばれ、[79] 大学選抜や実業団(九州サッカーリーグ、鹿児島県社会人サッカーリーグなどに所属した京セラ川内サッカー部)で活躍。4つ年上の次男・彰弘は横浜FMや神戸で活躍し、アトランタオリンピックでは10番を背負ったなど、サッカー界では有名な「遠藤3兄弟」として知られている[78]。
  • 夫人は高校時代の同級生で[80]、4人の子供(娘2人、息子2人)がいる[81]。
  • 夫人と長男は2010 FIFAワールドカップに帯同。長男が「ゴール決めてね」といった後、父親・保仁は本当にゴールを決めた(デンマーク戦)。
  • フジテレビ『ポンキッキシリーズ』のマスコット「ガチャピン」と容姿が瓜二つである。スタジアムでポンキッキーズガチャピンのイラストや人形を掲げて応援するサポーターも多数[82]。2005年9月24日放送の「ポンキッキーズ」に出演した際、本物のガチャピンと共演し、「僕に似てるって言われるでしょ」と質問をされ、「昔は良く似てるって言われてました」と答えた[83]。2010年には所属するガンバ大阪やフジテレビKIDSで、遠藤とガチャピンのコラボグッズが発売された[84]。2010年9月8日にはガンバのホーム万博記念競技場へガチャピンが来場し[85]、2011年9月25日にはガンバの練習場に訪れたガチャピンにサッカーを教えた[86]。2011年12月4日に万博記念公園で行われたファン感謝祭では、自らガチャピンの着ぐるみを着て登場し、「本物です」「(似ているといわれて)嬉しいです」と答えた[87]。
  • 一番好きな食べ物はレバ刺し。ゴルフが趣味であり、時間があったらもっとのめり込んでいたかもしれないと話している。また、スポーツ全般に興味があり、ゴルフの他には野球にも興味がある[88]。
  • サッカー選手になっていなかったら、漁師になっていたかもしれないとインタビューでは答えており、昔は釣りをするために海に出かけることもよくあった。
  • 性格はマイペースでおっとりしているところがあり、本人曰くのんびりしすぎる時もあるのでそこが自分の弱点かもしれないと述べている[88]。鹿児島実業高校時代の恩師・松澤隆司監督によると「運動能力が高く、持久走では1番になれる力がありながら、いつも3〜4番」とあまり目立とうとしないタイプで[89]、親友の中村俊輔いわく「プレッシャーをかけてもゆっくり」とのこと。本人は「緊張はしないし、慌てたりすることもない。ストレスは感じない方。人の話をあまり聞いてないところが欠点」と自己分析している[90]。
  • 趣味は競馬。2008年スプリンターズステークス優勝馬のスリープレスナイトの一口馬主であった。また騎手の福永祐一と交友がある。
  • 2010年の南アフリカワールドカップでの活躍で、セリエAのジェノアが獲得に乗り出したと地元メディアで報じられたが、本人は「レベルの高いところでやりたい気持ちはあるけど、イタリアの(守備的な)スタイルは嫌い」と苦笑いしていた[91]。
  • 2011年3月6日、アメーバブログに遠藤を名乗る偽ブログが掲載される騒動が起こった。8日にガンバ側が遠藤本人のブログではないことを公表し[92]、同日中にブログは閉鎖された。2014年1月15日、アメーバで公式ブログが開始された[93]。2016年4月からはLINEブログに移行している。
  • 2012年4月13日放送の『僕らの音楽』で、大のサッカーファンである歌手の森山直太朗と対談した[94]。
  • 2012年4月14日に公開された劇場版アニメ『名探偵コナン 11人目のストライカー』で声優に初挑戦した。遠藤は、主人公の江戸川コナンにフリーキックの心得を伝授する役で三浦知良、楢﨑正剛、中村憲剛、今野泰幸とともに出演した。遠藤はコナンファンであり、遠藤の家族もコナンファンだと言う[95]。パンフレットの独占インタビューでも、「国民的アニメのコナンに出演するということで、とても緊張していた」ことなどを述べている。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997鹿児島実高7---1010
1998横浜F27J1614000201
1999京都14J12442020284
20002956110366
2001G大阪192944031365
2002303058110396
200373046020384
20042990030329
2005331040203910
200625900412910
20073488140469
20082761030316
2009321020433813
20103030022325
20113340000334
20123452043408
2013J2335-00335
2014J13466050456
20153453140416
20163423120393
20173114010361
20183416010411
20192815010341
202011020-130
磐田50J2152--152
2021353-00353
2022J13101000320
2023J22101020240
通算日本J1 6721037754810797118
日本J2 10410102010710
日本他 --1010
総通算 7761137855110905128

その他の公式戦

  • 2006年
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2015年
  • 2016年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2006G大阪753-
200810332
200961-
201030-
201171-
201241-
2015120-
201651-
201770-
通算AFC 591032

その他の国際公式戦

Jリーグ

タイトル

クラブ

鹿児島実業高校
横浜フリューゲルス
ガンバ大阪
ジュビロ磐田

代表

個人

その他

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 152試合 15得点(2002年 - 2015年)[1]
日本代表国際Aマッチ
年出場得点
200210
2003111
2004162
200580
200680
2007131
2008163
2009120
2010152
2011130
2012111
2013162
201482
201541
通算 15215

出場

#開催日開催地 スタジアム対戦国勝敗監督試合概要
1.2002年11月20日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 アルゼンチン●0-2山本昌邦(代行)キリンチャレンジカップ2002
2.2003年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国●0-1ジーコ国際親善試合
3.2003年06月11日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 パラグアイ△0-0キリンカップサッカー2003
4.2003年06月18日フランスの旗サンドニスタッド・ド・フランス ニュージーランド○3-0FIFAコンフェデレーションズカップ2003
5.2003年06月20日フランスの旗サンテティエンヌスタッド・ジェフロワ=ギシャール フランス●1-2
6.2003年06月22日フランスの旗サンテティエンヌ コロンビア●0-1
7.2003年08月20日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ナイジェリア○3-0キリンチャレンジカップ2003
8.2003年09月10日日本の旗新潟県新潟スタジアム セネガル●0-1
9.2003年11月19日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 カメルーン△0-0
10.2003年12月04日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 中華人民共和国○2-0東アジアサッカー選手権2003
11.2003年12月07日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 香港○1-0
12.2003年12月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 韓国△0-0
13.2004年02月07日日本の旗茨城県茨城県立カシマサッカースタジアム マレーシア○4-0キリンチャレンジカップ2004
14.2004年02月12日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 イラク○2-0国際親善試合
15.2004年02月18日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 オマーン○1-02006 FIFAワールドカップ・アジア1次予選
16.2004年04月25日ハンガリーの旗ザラエジェルツェグZTEアレナ ハンガリー●2-3国際親善試合
17.2004年04月28日チェコの旗プラハレトナ・スタジアム チェコ○1-0
18.2004年05月30日イングランドの旗マンチェスターシティ・オブ・マンチェスター・スタジアム アイスランド○3-2
19.2004年07月09日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 スロバキア○3-1キリンカップサッカー2004
20.2004年07月13日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 セルビア・モンテネグロ○1-0
21.2004年07月20日中華人民共和国の旗重慶市重慶奥林匹克体育中心 オマーン○1-0AFCアジアカップ2004
22.2004年07月24日 タイ○4-1
23.2004年07月28日 イラン△0-0
24.2004年07月31日 ヨルダン△1-1(PK4-3)
25.2004年08月03日中華人民共和国の旗済南市山東体育場 バーレーン○4-3(延長)
26.2004年08月18日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム アルゼンチン●1-2キリンチャレンジカップ2004
27.2004年11月17日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シンガポール○1-02006 FIFAワールドカップ・アジア1次予選
28.2004年12月16日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ドイツ●0-3キリンチャレンジカップ2004
29.2005年01月29日 カザフスタン○4-0キリンチャレンジカップ2005
30.2005年02月02日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シリア○3-0
31.2005年02月09日 北朝鮮○2-12006 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
32.2005年05月22日日本の旗新潟県新潟スタジアム ペルー●0-1キリンカップサッカー2005
33.2005年06月08日タイ王国の旗バンコクスパチャラサイ国立競技場 北朝鮮○2-02006 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
34.2005年06月19日ドイツの旗フランクフルトコメルツバンク・アレーナ ギリシャ○1-0FIFAコンフェデレーションズカップ2005
35.2005年07月31日大韓民国の旗大田大田ワールドカップ競技場 北朝鮮●0-1東アジアサッカー選手権2005
36.2005年08月17日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン○2-12006 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
37.2006年02月10日アメリカ合衆国の旗サンフランシスコAT&Tパーク アメリカ合衆国●2-3国際親善試合
38.2006年02月22日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 インド○6-0AFCアジアカップ2007・最終予選
39.2006年05月09日日本の旗大阪府長居陸上競技場 ブルガリア●1-2キリンカップサッカー2006
40.2006年05月13日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 スコットランド△0-0
41.2006年08月16日日本の旗新潟県新潟スタジアム イエメン○2-0イビチャ・オシムAFCアジアカップ2007・最終予選
42.2006年09月03日サウジアラビアの旗ジッダプリンス・アブドゥッラー・アル・ファイサル・スタジアム サウジアラビア●0-1
43.2006年09月06日イエメンの旗サヌアアリー・ムフシン・スタジアム イエメン○1-0
44.2006年10月04日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ●0-1キリンチャレンジカップ2006
45.2007年03月24日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ペルー○2-0 キリンチャレンジカップ2007
46.2007年06月01日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム モンテネグロ○2-0キリンカップサッカー2007
47.2007年06月05日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 コロンビア△0-0
48.2007年07月09日ベトナムの旗ハノイミーディン国立競技場 カタール△1-1AFCアジアカップ2007
49.2007年07月13日 アラブ首長国連邦○3-1
50.2007年07月16日 ベトナム○4-1
51.2007年07月21日 オーストラリア△1-1(PK4-3)
52.2007年07月25日 サウジアラビア●2-3
53.2007年07月28日インドネシアの旗パレンバンゲロラ・シュリーヴィジャヤ・スタジアム 韓国△0-0(PK5-6)
54.2007年08月22日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 カメルーン○2-0キリンチャレンジカップ2007
55.2007年09月07日オーストリアの旗クラーゲンフルトヴェルターゼー・シュターディオン オーストリア△0-0(PK3-4)3大陸トーナメント
56.2007年09月11日 スイス○4-3
57.2007年10月17日日本の旗大阪府長居陸上競技場 エジプト○4-1アジア・アフリカチャレンジカップ2007
58.2008年01月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 チリ△0-0岡田武史キリンチャレンジカップ2008
59.2008年01月30日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ボスニア・ヘルツェゴビナ○3-0
60.2008年02月06日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 タイ○4-12010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
61.2008年02月17日中華人民共和国の旗重慶市重慶奥林匹克体育中心 北朝鮮△1-1東アジアサッカー選手権2008
62.2008年02月20日 中華人民共和国○1-0
63.2008年02月23日 韓国△1-1
64.2008年03月26日バーレーンの旗マナーマバーレーン・ナショナル・スタジアム バーレーン●0-12010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
65.2008年05月24日日本の旗愛知県豊田スタジアム コートジボワール○1-0キリンカップサッカー2008
66.2008年05月27日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 パラグアイ△0-0
67.2008年06月02日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 オマーン○3-02010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
68.2008年06月07日オマーンの旗マスカットロイヤル・オマーン・ポリス・スタジアム オマーン△1-1
69.2008年06月14日タイ王国の旗バンコクラジャマンガラ競技場 タイ○3-0
70.2008年06月22日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 バーレーン○1-0
71.2008年09月06日バーレーンの旗マナーマバーレーン・ナショナル・スタジアム バーレーン○3-22010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
72.2008年10月15日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 ウズベキスタン△1-1
73.2008年11月19日カタールの旗ドーハジャシム・ビン・ハマド・スタジアム カタール○3-0
74.2009年02月04日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 フィンランド○5-1キリンチャレンジカップ2009
75.2009年02月11日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 オーストラリア△0-02010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
76.2009年03月28日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 バーレーン○1-0
77.2009年05月27日日本の旗大阪府長居陸上競技場 チリ○4-0キリンカップサッカー2009
78.2009年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ベルギー○4-0
79.2009年06月06日ウズベキスタンの旗タシケントパフタコール・マルカジイ・スタジアム ウズベキスタン○1-02010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
80.2009年09月05日オランダの旗エンスヘーデデ・フロルーシュ・フェステ オランダ●0-3国際親善試合
81.2009年09月09日オランダの旗ユトレヒトスタディオン・ハルヘン・ワールト ガーナ○4-3
82.2009年10月08日日本の旗静岡県静岡市清水日本平運動公園球技場 香港○6-0AFCアジアカップ2011・最終予選
83.2009年10月14日日本の旗宮城県宮城スタジアム トーゴ○5-0キリンチャレンジカップ2009
84.2009年11月14日南アフリカ共和国の旗ポート・エリザベスネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム 南アフリカ共和国△0-0国際親善試合
85.2009年11月18日香港の旗香港香港スタジアム 香港○4-0AFCアジアカップ2011・最終予選
86.2010年02月02日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 ベネズエラ△0-0キリンチャレンジカップ2010
87.2010年02月06日日本の旗東京都東京スタジアム 中華人民共和国△0-0東アジアサッカー選手権2010
88.2010年02月11日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 香港○3-0
89.2010年02月14日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国●1-3
90.2010年03月03日日本の旗愛知県豊田スタジアム バーレーン○2-0AFCアジアカップ2011・最終予選
91.2010年04月07日日本の旗大阪府長居陸上競技場 セルビア●0-3キリンチャレンジカップ2010
92.2010年05月24日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 韓国●0-2
93.2010年05月30日オーストリアの旗グラーツUPCアレーナ イングランド●1-2国際親善試合
94.2010年06月04日スイスの旗シオンスタッド・ドゥ・トゥールビヨン コートジボワール●0-2
95.2010年06月14日南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーンフリーステイト・スタジアム カメルーン○1-02010 FIFAワールドカップ
96.2010年06月19日南アフリカ共和国の旗ダーバンモーゼス・マヒダ・スタジアム オランダ●0-1
97.2010年06月24日南アフリカ共和国の旗ルステンブルクロイヤル・バフォケン・スタジアム デンマーク○3-1
98.2010年06月29日南アフリカ共和国の旗プレトリアロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム パラグアイ△0-0(PK3-5)
99.2010年10月08日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 アルゼンチン○1-0アルベルト・ザッケローニキリンチャレンジカップ2010
100.2010年10月12日大韓民国の旗ソウルソウルワールドカップ競技場 韓国△0-0国際親善試合
101.2011年01月09日カタールの旗ドーハカタールSCスタジアム ヨルダン△1-1AFCアジアカップ2011
102.2011年01月13日 シリア○2-1
103.2011年01月17日カタールの旗ライヤーンアフメド・ビン=アリー・スタジアム サウジアラビア○5-0
104.2011年01月21日カタールの旗ドーハアル・ガラファ・スタジアム カタール○3-2
105.2011年01月25日 韓国△2-2(PK3-0)
106.2011年01月29日ハリーファ国際スタジアム オーストラリア○1-0(延長)
107.2011年06月01日日本の旗新潟県新潟スタジアム ペルー△0-0キリンカップサッカー2011
108.2011年06月07日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 チェコ△0-0
109.2011年08月10日日本の旗北海道札幌ドーム 韓国○3-0キリンチャレンジカップ2011
110.2011年09月02日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 北朝鮮○1-02014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
111.2011年09月06日ウズベキスタンの旗タシケントパフタコール・マルカジイ・スタジアム ウズベキスタン△1-1
112.2011年10月11日日本の旗大阪府長居陸上競技場 タジキスタン○8-0
113.2011年11月11日タジキスタンの旗ドゥシャンベパミール・スタジアム タジキスタン○4-0
114.2012年02月24日日本の旗大阪府長居陸上競技場 アイスランド○3-1キリンチャレンジカップ2012
115.2012年02月29日日本の旗愛知県豊田スタジアム ウズベキスタン●0-12014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
116.2012年06月03日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 オマーン○3-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
117.2012年06月08日 ヨルダン○6-0
118.2012年06月12日オーストラリアの旗ブリスベンブリスベン・スタジアム オーストラリア△1-1
119.2012年08月15日日本の旗北海道札幌ドーム ベネズエラ△1-1キリンチャレンジカップ2012
120.2012年09月06日日本の旗新潟県新潟スタジアム アラブ首長国連邦○1-0
121.2012年09月11日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 イラク○1-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
122.2012年10月12日フランスの旗サンドニスタッド・ド・フランス フランス○1-0国際親善試合
123.2012年10月16日ポーランドの旗ヴロツワフヴロツワフ市立競技場 ブラジル●0-4
124.2012年11月14日オマーンの旗マスカットスルタン・カーブース・スポーツ・コンプレックス オマーン○2-12014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
125.2013年02月06日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 ラトビア○3-0キリンチャレンジカップ2013
126.2013年03月22日カタールの旗ドーハハリーファ国際スタジアム カナダ○2-1国際親善試合
127.2013年03月26日ヨルダンの旗アンマンアンマン国際スタジアム ヨルダン●1-22014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
128.2013年05月30日日本の旗愛知県豊田スタジアム ブルガリア●0-2キリンチャレンジカップ
129.2013年06月04日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 オーストラリア△1-12014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
130.2013年06月11日カタールの旗ドーハグランド・ハマド・スタジアム イラク○1-0
131.2013年06月15日ブラジルの旗ブラジリアエスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア ブラジル●0-3FIFAコンフェデレーションズカップ2013
132.2013年06月19日ブラジルの旗レシフェアレナ・ペルナンブーコ イタリア●3-4
133.2013年06月22日ブラジルの旗ベロオリゾンテミネイロン メキシコ●1-2
134.2013年08月14日日本の旗宮城県宮城スタジアム ウルグアイ●2-4キリンチャレンジカップ2013
135.2013年09月06日日本の旗大阪府長居陸上競技場 グアテマラ○3-0
136.2013年09月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ○3-1
137.2013年10月11日セルビアの旗ノビサドスタディオン・カラジョルジェ セルビア●0-2国際親善試合
138.2013年10月15日ベラルーシの旗ミンスクトルペド・スタジアム ベラルーシ●0-1
139.2013年11月16日ベルギーの旗ヘンククリスタル・アレナ オランダ△2-2
140.2013年11月19日ベルギーの旗ブリュッセルボードゥアン国王競技場 ベルギー○3-2
141.2014年03月05日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ニュージーランド○4-2キリンチャレンジカップ2014
142.2014年05月27日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 キプロス○1-0
143.2014年06月02日アメリカ合衆国の旗タンパレイモンド・ジェームス・スタジアム コスタリカ○3-1国際親善試合
144.2014年06月06日 ザンビア○4-3国際親善試合
145.2014年06月14日ブラジルの旗レシフェアレナ・ペルナンブーコ コートジボワール●1-22014 FIFAワールドカップ
146.2014年06月19日ブラジルの旗ナタールアレーナ・ダス・ドゥーナス ギリシャ△0-0
147.2014年11月14日日本の旗愛知県豊田スタジアム ホンジュラス○6-0ハビエル・アギーレキリンチャレンジカップ2014
148.2014年11月18日日本の旗大阪府長居陸上競技場 オーストラリア○2-1
149.2015年01月12日オーストラリアの旗ニューカッスルニューカッスル・スタジアム パレスチナ○4-0AFCアジアカップ2015
150.2015年01月16日オーストラリアの旗ブリスベンブリスベン・スタジアム イラク○1-0
151.2015年01月20日オーストラリアの旗メルボルンメルボルン・レクタンギュラー・スタジアム ヨルダン○2-0
152.2015年01月23日オーストラリアの旗シドニースタジアム・オーストラリア アラブ首長国連邦△1-1(PK4-5)

ゴール

#開催年月日開催地 スタジアム対戦国勝敗試合概要
1.2003年8月20日日本の旗東京 国立霞ヶ丘競技場ナイジェリアの旗 ナイジェリア○3-0キリンチャレンジカップ2003
2.2004年2月7日日本の旗鹿嶋 茨城県立カシマサッカースタジアムマレーシアの旗 マレーシア○4-0キリンチャレンジカップ2004
3.2004年7月7日日本の旗横浜 横浜国際総合競技場セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ○1-0キリンカップサッカー2004
4.2007年7月16日ベトナムの旗ハノイ ミーディン国立競技場ベトナムの旗 ベトナム○4-1AFCアジアカップ2007
5.2008年2月6日日本の旗埼玉 埼玉スタジアム2002タイ王国の旗 タイ○4-12010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
6.2008年6月7日オマーンの旗マスカット ロイヤル・オマーン・ポリス・スタジアムオマーンの旗 オマーン△1-1
7.2008年9月6日バーレーンの旗マナーマ バーレーン・ナショナル・スタジアムバーレーンの旗 バーレーン○3-2 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
8.2010年2月14日日本の旗東京 国立霞ヶ丘競技場大韓民国の旗 韓国●1-3東アジアサッカー選手権2010
9.2010年6月24日南アフリカ共和国の旗ルステンブルク ロイヤル・バフォケン・スタジアムデンマークの旗 デンマーク○3-12010 FIFAワールドカップ
10.2012年8月15日日本の旗札幌 札幌ドームベネズエラの旗 ベネズエラ△1-1キリンチャレンジカップ2012
11.2013年9月6日日本の旗大阪 大阪長居スタジアムグアテマラの旗 グアテマラ○3-0キリンチャレンジカップ2013
12.2013年9月10日日本の旗横浜 横浜国際総合競技場ガーナの旗 ガーナ○3-1
13.2014年6月2日アメリカ合衆国の旗タンパ レイモンド・ジェームス・スタジアムコスタリカの旗 コスタリカ○3-1国際親善試合
14.2014年11月14日日本の旗豊田 豊田スタジアムホンジュラスの旗 ホンジュラス○6-0キリンチャレンジカップ2014
15.2015年1月12日オーストラリアの旗ニューカッスル ニューカッスル・スタジアムパレスチナの旗 パレスチナ○4-0AFCアジアカップ2015

出演

テレビアニメ

劇場アニメ

CM・広告

  • アンブロ
  • ACジャパン「ルールブックにはないルール(2009年 -・近畿圏のみ)
  • スカパー!(2010年 - )
  • でん(2011年 - )
  • ウィズガス住宅 日本ガス株式会社(2012年 - 、鹿児島)
  • 対話式進学塾 1対1ネッツ(2013年)
  • サイバード『バーコードフットボーラー』(2014年)
  • 西川産業『Air』(2014年)
  • LION『ソフラン』キャンペーンキャラクター(2014年)
  • 明治安田生命『Number Extra』(2015年)

関連作品

書籍

DVD

脚注

  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 “遠藤 保仁”. サッカー日本代表データベース
  2. ↑ “個人記録”. サッカー日本代表データベース
  3. 1 2 【アシストランキング⑨】 TBSスーパーサッカーTwitter 2019年2月14日
  4. ↑ “【Jリーグ】桜島を訪ねて ~遠藤保仁の育成環境を探る”. J SPORTS (2009年4月23日). 2011年9月19日閲覧。
  5. ↑ “アナザースカイ-遠藤保仁”. アナザースカイ. 2014年2月2日閲覧。
  6. 1 2 【ヤマザキナビスコカップFINAL激闘録 PLAY BACK 2004-08】2005年 千葉 vs G大阪(後編)立石が仕掛けた PK戦前の駆け引き J's GOAL 2009.11.2付記事
  7. ↑ 18歳・宇佐美、G大阪の「黄金の中盤」に新風 日本経済新聞、2010年12月2日
  8. ↑ MF 遠藤保仁選手の病状について ガンバ大阪オフィシャルサイト、2006年10月21日
  9. ↑ “遠藤がV宣言! G大阪3発先勝/ACL”. goo スポーツ (2008年11月6日). 2008年11月24日閲覧。
  10. ↑ 元川 悦子 (2008年8月8日). “【Jリーグ】遠藤保仁のJリーグ復帰に思う”. J SPORTS. 2008年11月24日閲覧。
  11. ↑ ファーガソン監督(マンチェスター・U)決勝後会見 TOYOTA プレゼンツ FIFA クラブワールドカップ ジャパン 2008 スポーツナビ、2008年12月22日
  12. ↑ “遠藤保仁の“凄み”とは何なのか?天皇杯に和製シャビ・アロンソを見た!”. Number Web (2010年1月10日). 2011年9月25日閲覧。
  13. ↑ 疲労ピーク…遠藤PK外す/ゼロックス杯 日刊スポーツ、2010年2月28日
  14. ↑ 遠藤が決勝ゴール!G大阪 浦和を下す スポニチ、2010年7月18日
  15. ↑ 遠藤、負傷していた…右内転筋痛も強行出場 スポニチ、2011年9月3日
  16. ↑ G大阪・遠藤、7人目の400試合出場 サンスポ、2011年11月26日
  17. ↑ G大阪遠藤お目覚め14戦目1号/J1 日刊スポーツ、2012年6月23日
  18. ↑ 【東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ】出場選手決定 サポーター投票最多得票選手は遠藤 保仁選手(ガンバ大阪) Jリーグ公式サイト、2012年7月6日
  19. ↑ ““FW遠藤”を成功に導いた宇佐美の巧みな動き。ガンバで見せる天才の進化に迫る”. フットボールチャンネル (2013年10月23日). 2013年12月2日閲覧。
  20. ↑ “G大阪、後半の猛追を支えた2ボランチ ブレない遠藤と悩み抜いた今野が舵を握る”. スポーツナビ (2014年12月7日). 2014年12月20日閲覧。
  21. ↑ “試合の流れを変えた遠藤の戦術眼。ガンバ大阪が今季1冠目を獲得し、3冠に弾み。”. J SPORTS (2014年11月10日). 2014年12月20日閲覧。
  22. ↑ “首位浮上も不変のルーティン。泰然自若と引き締め役。2人のベテランが支えるG大阪に慢心なし”. フットボールチャンネル. (2014年12月3日) 2014年12月20日閲覧。
  23. ↑ “遠藤保仁が、激動の1年を振り返る「今季はキャリアハイじゃない」”. Number Web (2014年12月17日). 2014年12月20日閲覧。
  24. ↑ “フットボールチャンネルが選ぶ2014年ベスト30。34歳にして新境地を開拓したガンバのキャプテン、遠藤保仁(1位)”. フットボールチャンネル. (2014年12月28日) 2014年12月29日閲覧。
  25. ↑ “【遠藤保仁セレクト】J1・500試合の中から本人が選ぶ「記憶に残る5つのゲーム」”. soccerdigestweb (2015年10月23日). 2016年1月11日閲覧。
  26. ↑ “退団濃厚の明神ユニで天皇杯掲げた遠藤「一緒にプレーしたかった」”. 日刊スポーツ (2016年1月1日). 2016年1月11日閲覧。
  27. ↑ “G大阪遠藤J1通算100ゴール 史上13人目”. 日刊スポーツ (2016年10月29日). 2016年10月30日閲覧。
  28. ↑ “G大阪遠藤「ミスからリズムを崩した」ACL3連敗”. 日刊スポーツ (2017年4月11日). 2017年5月11日閲覧。
  29. ↑ ““名手”遠藤のPK失敗に海外メディアも驚き 「シュートを空に放つ」「観衆に打ち込む」”. Football ZONE web (2017年4月25日). 2017年5月11日閲覧。
  30. ↑ “ベンチ入りして出番なしは19年ぶり G大阪MF遠藤「ケガではない」”. スポニチ (2017年4月30日). 2017年5月11日閲覧。
  31. ↑ “G大阪・遠藤は途中出場で存在感 同点弾の倉田「やりやすくなった」”. デイリースポーツ (2017年5月5日). 2017年5月11日閲覧。
  32. ↑ ガンバ遠藤 20年連続ゴール!MF単独1位も悔しいドロー スポニチ 2017年08月10日
  33. ↑ “「これぞヤット!!」 遠藤保仁、二人の間を射抜く“精密弾”に反響「ゴールにパス」”. FOOTBALL ZONE WEB (2018年2月24日). 2018年11月17日閲覧。
  34. ↑ フィールドプレーヤー史上初のJ1通算600試合出場達成! 遠藤保仁のキャリアを振り返る サッカーキング(2018年11月11日)
  35. ↑ “磐田・遠藤 23年連続開幕戦先発出場 J1出場最多記録も更新”. sponichi. スポーツニッポン. 2022年5月8日閲覧。
  36. ↑ 遠藤保仁「人の支えに感謝」22年目で1000試合 日刊スポーツ(2019年8月3日)
  37. ↑ G大阪遠藤保仁の両親も快挙喜ぶ「ほめてあげたい」 日刊スポーツ(2020年7月4日)2020年7月5日閲覧。
  38. ↑ 遠藤 保仁選手が期限付き移籍加入 ジュビロ磐田 2020年10月5日
  39. ↑ “G大阪MF遠藤の磐田期限付き移籍が正式発表 背番号「50」”. スポニチ (スポーツニッポン新聞社). (2020年10月5日) 2020年10月5日閲覧。
  40. ↑ “磐田遠藤保仁が24年連続得点 41歳弾はカズ、中村俊輔に次ぐ年長記録”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年10月5日) 2021年5月15日閲覧。
  41. ↑ 『遠藤 保仁選手 ジュビロ磐田へ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)ガンバ大阪、2021年12月27日。2021年12月27日閲覧。
  42. ↑ 「アカン、何回見ても泣ける」ジュビロ磐田MF遠藤保仁がパナスタ初凱旋でガンバ大阪戦後に「涙の場内一周」! サポーターの感動を誘った降格決定後のあいさつ サッカー批評編集部 2022年10月30日
  43. 1 2 “遠藤 保仁選手 現役引退のお知らせ”. www.jubilo-iwata.co.jp. 2024年1月9日閲覧。
  44. ↑ “<'99Wユース決勝> 黄金世代 「完敗から手にしたもの」”. Number Web (2010年3月26日). 2011年12月29日閲覧。
  45. 1 2 遠藤 飄々ヤット、泥臭く 朝日新聞、2009年10月9日
  46. ↑ ワールドカップで遠藤に何ができるのか 世界を待ち望む司令塔の覚悟 スポーツナビ、2010年2月15日
  47. ↑ プロサッカー選手・遠藤保仁のお母さん:2 あんなに喜ぶ姿 初めて見た asahi.com 2010.9.7付記事
  48. ↑ 【2010FIFAワールドカップ南アフリカ デンマーク vs 日本】試合終了後の遠藤保仁選手(G大阪)コメント J's GOAL 2010.6.25付ニュースリリース
  49. 1 2 本田は無回転、遠藤は高速回転…日本のFK分析 読売新聞、2010年6月26日
  50. ↑ 史上4人目! 遠藤が100試合出場達成 SOCCER KING、2010年10月13日
  51. ↑ “【日本代表】代表最年長、遠藤保仁が示した「絶大な存在感」”. J SPORTS (2011年2月18日). 2011年7月15日閲覧。
  52. ↑ MVPは本田圭 サッカーアジア杯優勝 朝日新聞、2011年1月31日
  53. ↑ 公式記録に載らない「歴史的な一夜」(2/2) 日本代表 2-1 Jリーグ選抜 スポーツナビ、2011年3月30日
  54. ↑ “井原の持つ最多出場記録に並んだ遠藤「周りのサポートのおかげ」/フランス戦”. SOCCER KING (2012年10月13日). 2012年10月13日閲覧。
  55. ↑ “遠藤 国際Aマッチ出場123試合の日本歴代最多記録”. スポニチアネックス (2012年10月16日). 2012年10月16日閲覧。
  56. ↑ “遠藤が最年長弾! ア杯カズ越え34歳11カ月”. 日刊スポーツ (2015年1月13日). 2015年1月13日閲覧。
  57. ↑ “祝・遠藤胴上げ! Aマッチ通算150試合”. 日刊スポーツ (2015年1月16日). 2015年1月16日閲覧。
  58. ↑ “ハリル新日本!敬意も遠藤外しロシアW杯へ/復刻”. 日刊スポーツ (2017年3月20日). 2017年5月11日閲覧。
  59. ↑ 最後に決まったのは4年以上前……。三浦淳寛が推す代表のFK候補者は。 Number 2018年1月4日
  60. ↑ “遠藤 保仁選手 トップチームコーチ就任のお知らせ”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. 2024年1月12日閲覧。
  61. ↑ 遠藤保仁、今野泰幸『観察眼』株式会社角川書店、2012年、208ページ、ISBN 978-4-04-110110-0
  62. 1 2 “アタッカー全盛の今だからこそ!!“現代的パッサー”遠藤保仁の再評価”. Number Web (2011年7月15日). 2011年7月15日閲覧。
  63. ↑ 遠藤保仁選手インタビュー GAMBA TV〜青と黒〜 2009年9月28日放送分。
  64. ↑ STATISTICS 7 Yasuhito ENDO FIFA.com
  65. 1 2 3 “【日本代表】"本田不在"以上の悲劇をもたらす、"遠藤不在"対策を考える”. Sportiva (2011年10月13日). 2011年10月15日閲覧。
  66. ↑ “【後藤健生コラム】37年ぶりの完勝。そして再確認した遠藤の価値”. J SPORTS (2011年8月11日). 2011年11月25日閲覧。
  67. ↑ “オシムが語るガンバ大阪と遠藤保仁。「彼がいれば監督は必要ない」”. Number Web (2014年11月18日). 2014年12月20日閲覧。
  68. ↑ 遠藤不在響く…G大阪・西野監督「攻めの形が…」 スポニチ、2011年10月10日
  69. ↑ “【日本代表】ザック・ジャパンの世代交代。遠藤の後継者は柴崎か?”. J SPORTS (2011年5月28日). 2011年11月25日閲覧。
  70. ↑ “急成長が光った大型ボランチ扇原貴宏「遠藤保仁の後継者」になれるか?”. スポーツナビ (2012年3月16日). 2012年5月20日閲覧。
  71. ↑ “【日本代表】ザック監督から遠藤の後継者候補の指名を受けた家長昭博”. J SPORTS (2011年6月8日). 2012年5月20日閲覧。
  72. ↑ “「さばくボランチ」で存在感を示す!遠藤を追う柏木陽介の自覚と決意”. Number Web (2011年2月23日). 2012年5月20日閲覧。
  73. ↑ “遠藤保仁の後継者とザック監督に期待される男・高橋秀人が語った世界基準”. J SPORTS (2012年11月29日). 2012年11月30日閲覧。
  74. ↑ “英メディアが「21世紀の日本代表ベスト11」を選出! “海外未経験”でセレクトされた2選手は?(SOCCER DIGEST Web)”. Yahoo!ニュース. 2020年4月29日閲覧。
  75. 1 2 3 魅せて決めるゾ!遠藤コロコロPKだ デイリースポーツ、2010年6月11日
  76. 1 2 サッカーの科学 遠藤 GKの「本能」利用 読売新聞、2010年6月27日
  77. ↑ 目には涙…“職人”遠藤「PKはしょうがない」 スポニチ、2010年6月30日
  78. 1 2 プロサッカー選手・遠藤保仁のお母さん ヤス子さん:2 ボール蹴り、ヨチヨチ歩きのころから asahi.com、2010年9月14日
  79. ↑ 遠藤選手インタビュー あこがれの選手 GAMBA TV〜青と黒〜 インタビュー
  80. ↑ 遠藤保仁選手インタビュー 奥様 GAMBA TV〜青と黒〜 インタビュー
  81. ↑ 遠藤保仁 - サッカー 日刊スポーツ
  82. ↑ フォトニュース【J1:第21節 G大阪 vs 浦和 】 J's GOAL 2009.8.15付ニュースリリース
  83. ↑ 遠藤とガチャピン、夢のコラボレーショングッズ発売へ SOCCER KING、2010年7月21日
  84. ↑ 「遠藤選手×ガチャピン」コラボグッズ、間もなく発売開始! ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年7月27日
  85. ↑ 遠藤選手とぼくは……似てる? ガチャピン日記、2010年9月9日
  86. ↑ 遠藤選手にサッカーを教えてもらったよ! ガチャピン日記、2011年9月26日
  87. ↑ 【G大阪】監督がサポにたこ焼き振る舞う 日刊スポーツ、2011年12月4日
  88. 1 2 【一問一答】自由過ぎる、マイペース過ぎる遠藤保仁の頭の中をのぞく soccerking、2013年4月24日
  89. ↑ 日本代表のキーマン 遠藤保仁のちょっと「イイ話」 OCNスポーツ、2010年10月24日
  90. ↑ 挑む23選手:サッカー・W杯日本代表/4 MF・遠藤保仁 毎日新聞、2010年5月21日
  91. ↑ ジェノアが遠藤獲り?本人苦笑い デイリースポーツ、2010年8月1日
  92. ↑ 遠藤保仁選手の偽ブログについて ガンバ大阪オフィシャルサイト、2011年3月8日
  93. ↑ 遠藤選手ブログ開始のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2014年1月15日
  94. ↑ 直太朗「僕らの音楽」で遠藤保仁とガンバ大阪練習場に ナタリー、2012年4月10日
  95. ↑ Jリーグ選手代表で劇場版コナンに参加!ガンバ大阪・遠藤、もしコナンになったらテストで100点取りたい!? シネマトゥデイ、2012年4月9日
  96. ↑ “県勢発展への尽力たたえる 南日本文化賞、3氏2団体を表彰”. 373news.com. 南日本新聞 (2020年11月5日). 2020年11月5日閲覧。
  97. ↑ “「名探偵コナン」遠藤保仁選手が本人役で再びゲスト出演「前回よりよかった」”. コミックナタリー (株式会社ナターシャ). (2018年6月26日) 2018年6月26日閲覧。
  98. ↑ “名探偵コナン 11人目のストライカー”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月11日閲覧。

関連項目

外部リンク