岡田有希子
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1984年撮影 | |
| プロフィール | |
|---|---|
| 別名義 | 岡田 晴子[注釈 1] |
| 愛称 | ユッコ(Yukko) |
| 生年月日 | 1967年8月22日 |
| 没年月日 | 1986年4月8日 |
| 没年齢 | 18歳(数え20) |
| 出身地 | |
| 死没地 | |
| 血液型 | O |
| 瞳の色 | 黒 |
| 毛髪の色 | 黒 |
| 公称サイズ(1984年[1]時点) | |
| 身長/体重 | 155 cm / 44 kg |
| BMI | 18.3 |
| スリーサイズ | 86 - 58 - 84 cm |
| カップサイズ | E |
| 備考 | |
| 活動 | |
| デビュー |
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| ジャンル | |
| 活動期間 | 1983年 - 1986年 |
| 他の活動 | |
| 事務所 | サンミュージック |
| 主な出演作 | 禁じられたマリコ |
| 主な楽曲 | |
| 受賞歴 |
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| アイドル: テンプレート - カテゴリ | |
| 岡田 有希子 | |
|---|---|
| 出生名 | 佐藤 佳代 |
| 学歴 |
名古屋市立向陽高等学校中退 堀越高等学校卒業 |
| ジャンル | |
| 活動期間 | 1984年 - 1986年 |
| レーベル | キャニオンレコード |
| 共同作業者 | |
| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | |
| ジャンル | ミュージックビデオ |
| 登録者数 | 1.81万人 |
| 総再生回数 | 11,350,400回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2026年8月22日時点。 | |
| 署名 | |
岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年〈昭和42年〉8月22日 - 1986年〈昭和61年〉4月8日)は、日本のアイドル歌手。本名は佐藤 佳代(さとう かよ)。愛称はユッコ(Yukko)。
愛知県一宮市生まれ、名古屋市熱田区育ち。名古屋市立向陽高等学校を経て、堀越高等学校卒業。芸能事務所はサンミュージックに所属していた。1984年に音楽賞などの新人賞を総なめにし、「ポスト松田聖子」と期待されていたが[10]、1986年に自殺した[11]。
当時はすでに自殺の連鎖が社会問題となっていたが[12]、岡田に端を発した連鎖「ユッコ・シンドローム」と誤認識された[13]。しかし、後年にマスメディアの過熱報道が連鎖の原因と指摘され[14]、芸能人の自殺に関する報道のあり方が問われ続けている[15]。その一方で、自殺に関する偏見や差別は根強く[16]、出演作品はドキュメンタリー番組や一部の有料チャンネルによる放送を除き、ほとんどは映像ソフト化がされないままとなっている[17]。同様に、岡田が生前に作詩した楽曲[18]も、音楽メディア化や音楽配信が一切されていない。
生涯
生い立ち
1967年(昭和42年)8月22日、愛知県一宮市にて2人姉妹の次女として生まれる。帝王切開も検討されるほどの難産で、未熟児出産による命の危険や脳障害の可能性もあったが、異常はなかった[19]。幼少期は言語障害ではなかったものの、「さ行」が全く言えなかった[20][21]。1969年(昭和44年)、2歳の時に名古屋市熱田区へ引っ越す[22]。幼稚園に入ると、姉が通っていたYMCAの体育教室に通い始めるが[23]、運動神経の無さを自覚したとされる[24]。
小学生になると表現する職業に憧れ、小学3年生の作文では将来の夢として「画家、漫画家、小説家」を挙げていた[24]。小学4年生から水彩画を習い始め、才能があれば将来的には芸術大学に進学したいという意思を母親に話していた[25]。小学5年生の時、朝日新聞社主催の写生大会で入選し、小学6年生の時には熱田神宮の写生大会で宮司賞(金賞)を獲る。中学生になると油絵や日本画、デッサンを学び始め[24]、模写を描き残している[注釈 2]。中学2年生の夏休みの課題では、ファンである河合奈保子の肖像画を油絵で描いて校内で高く評価され、その作品を河合本人に送ろうと考えていた(後述)[30]。
芸能界入りへ
一方で、絵画と同時に芸能タレントにも憧れを持っていた[注釈 3]。小学2年生から合唱部に入り、小学6年生の時に地元のテレビ番組やラジオ番組に出演していた[24]。また、同じく小学6年生の時に、学芸会の音楽劇『浦島太郎』で乙姫役を演じ[31]、校長が見に来たほどだった[24]。その役作りのために、テレビアニメ『ベルサイユのばら』(日本テレビ)で主人公の1人、マリー・アントワネットを研究していた[32]。
中学生になると、ホリプロタレントスカウトキャラバンやテレビドラマなどの様々なオーディションに応募した[33]。名古屋を舞台にした連続テレビドラマ『中学生日記』(NHK名古屋放送局)にエキストラとして出演したが[27]、重要な役を任される矢先に降板している[34]。1981年(昭和56年)8月、姉が購読していた雑誌『高一時代』(旺文社)に載っていたオーディション『ニコン フレッシュギャルコンテスト』に中学2年生で応募し、準グランプリに選ばれた[33]。写真は月刊誌『写楽』(小学館)1982年3月号に掲載された。中学3年生の夏休みには、大阪城で開催された『ニコン 中・高生のためのカメラ教室』の写真モデルになっている[27]。しかし、いずれも芸能界入りにはつながらなかった。
1982年(昭和57年)6月、前年に応募していたオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)の予選会通知が中京テレビから届いた。「中学2年生で出場、中学3年生でデビュー」の計画から1年遅れの通知だった[23]。担任教諭に反対される中、学校を無断欠席して名古屋地区予選に出場。北原佐和子「マイ・ボーイフレンド」を歌い、決戦大会への切符を掴む[35][36]。しかし、家族にも反対されたため[37]、12月の決戦大会出場を断念[35]。ハンガー・ストライキを起こし、自分の部屋に閉じこもる[37]。数日後、芸能界入りの条件として「学内テストで学年1位になること」「中部統一模擬試験で学内5位以内に入ること」「第1志望の名古屋市立向陽高等学校に合格すること」を母親から提示された[38][39]。学業成績が優秀[40]でも厳しい条件だったが、猛勉強の末に全てクリア[38]。さらに、地区予選に立ち会っていた芸能事務所「サンミュージック」専務・福田時雄と番組プロデューサー・金谷勲夫が家族へ説得したこともあり[41]、1983年3月の決戦大会への出場を許された[42]。3月30日、『スター誕生!』第46回決戦大会で中森明菜「スローモーション」を歌い、結果は後日発表されることとなった[注釈 4]。
1983年(昭和58年)4月、名古屋市立向陽高等学校に入学。部活動はサッカー部のマネージャーだったが、スコアの付け方がわからず雑用係だった[30]。それからしばらくして、『スター誕生!』決戦大会の合格が伝えられた[38]。芸能事務所はサンミュージックと研音、レコード会社はキャニオンレコードとVAPから指名され、「サンミュージック」「キャニオンレコード」との契約が決まった[44][45][注釈 5]。5月12日から、名古屋を舞台にした映画『アイコ十六歳』(日本ヘラルド)のオーディションを受けるが、7月11日の第5次選考(最終選考)で落選している[46]。
「岡田有希子」誕生
1983年5月15日、サンミュージックと正式契約。その際に、社長・相澤秀禎の要望で薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」や松田聖子「秘密の花園」を歌唱した[47]。
7月17日、名古屋を拠点とする霊能者で姓名判断師の沖紘子[48]によって、岡田晴子[注釈 1]に芸名が決まった[46]。しかし、同年に歌手デビューをしていた桑田靖子と芸名が似ていたことから、変更を余儀なくされた。本名を使用した岡田佳代子も「性格的に弱い名前で、厳しい芸能界では負ける」との理由で不採用となり、最終的には画数の相性と「希望を有する」の意味合いで岡田有希子に決まった[49][50]。
8月25日、上京して相澤宅に下宿する[46]。同居人には前出の桑田がおり、『スター誕生!』合格者の滝里美[45]とはルームメイトとなった[51][52]。芸能界での目標は「山口百恵のような日本を代表するトップスターになること」だけでなく、河合奈保子への憧憬の念も抱いていた(後述)[53]。ボイストレーナーは『スター誕生!』の審査員も務めていた大本恭敬、ダンス指導は山下康雄のもと、歌手デビューに向けてのレッスンが始まった[54]。
9月1日、堀越高等学校へ編入。同級生には前出の桑田のほか、田中久美、いしのようこ、本田美奈子.、長山洋子、南野陽子、宮崎萬純、永瀬正敏などがいた[注釈 6]。
10月16日、ラジオ番組『とびだせポップシティ!!』(ニッポン放送)、『何かいいことないか仔猫ちゃん』(毎日放送)のパーソナリティとしてタレント活動を開始した。
11月18日、東京大学の学園祭「駒場祭」にタレントとして初登場し、チャリティーオークションのアシスタントを行っている[56][注釈 7]。
11月22日、バラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)にタレントとして初出演した[58][59]。
アイドル歌手デビュー
岡田のタレント活動と並行して、「アイドル歌手」デビューの準備が進められた。キャニオンレコードの音楽プロデューサー・渡辺有三は、岡田のイメージを「六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん」と定め、デビュー曲の制作を竹内まりやに依頼[60][注釈 8][注釈 9]。デビュー曲候補である「学園恋愛三部作」および「ティーンエイジ・ラブ」をテーマとした、合計6曲が提供された[64][注釈 10]。1983年12月10日、一口坂スタジオ[65][66]にて竹内もコーラスとして参加する中[4][61]、初めてのレコーディングが行われた[67][注釈 11]。デビュー以降も竹内からの楽曲提供が続くこととなり、作詞のみも含めて互いに最多の11曲に及んだ[69][4]。
1984年(昭和59年)、休日が1日だけの多忙な年となった[70]。1月10日、若年男性向け情報誌『スコラ』(スコラ)から初めての取材を受けた[71]。3月11日、東京の明治神宮絵画館前でラジオ番組のイベント『とびだせ! ポップシティ お菓子フェア』が開催され、初めてステージに立った[72]。3月20日から4月8日まで、ティーパーティ形式のファン交流会『集まれYukikoフレンズ』が名古屋(プリンセスガーデンホテル)を皮切りに全国7都市[注釈 12]で開催。3月25日放送の音楽番組『ザ・ヒットステージ』(TBS、最終回)[73]、4月14日放送のバラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)と音楽バラエティ番組『アイドルパンチ』(テレビ朝日)で、歌手として初めてテレビ出演した[58]。
4月21日、シングル「ファースト・デイト」でメジャーデビュー。キャッチフレーズは「いつまでも、一緒にいてね。ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」。一方で、デビュー曲は哀愁の入ったマイナー調となっており、他のアイドルとの差別化が図られた[60][68]。名古屋ではグラビア雑誌『BOMB!』(学習研究社)による密着取材の中、日産ギャラリーのキャンペーン、中日スポーツ記者からの取材、CBCラジオ・東海ラジオ・FM AICHIの番組ゲスト出演など、10時から23時まで芸能活動を行っていた[74]。歌手デビュー後はサンミュージックの先輩・松田聖子と比較され、「岡田有希子は第2の松田聖子」「ポスト聖子の第1候補」と言われるようになった。それに対し「自分は自分だから、松田聖子の物真似にはなりたくない」と語っている[63]。また、インタビューで「目標とする歌手は誰か」と問われ「岡田有希子」と答えていた[57]。アイドルについては「やすらぎのため必要なもの」という考えを持っていた[75]。
5月31日、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のスポットライト・コーナーに菊池桃子とともに初出演[76]。この時のランキングは22位だった[63][76][注釈 13]。司会の久米宏からはデビュー曲「ファースト・デイト」を「ファースト・レディ」、黒柳徹子からは芸名「おかだゆきこ」を「おかだうきこ」と間違えられている[63][76]。7月29日、サンミュージック公設ファンクラブを結成。京王線新宿駅で一日駅長を務めた後、8両編成の特別列車「リトルプリンセス号[注釈 14]」でファン2,500人と会場のよみうりランドに移動[77]。会場では4,000人のファンと結成式を行った[57]。9月24日に大阪(大阪厚生年金会館)、9月30日に東京(日本青年館)で、岡田自身初のコンサート『恋はじめまして』が開催された。10月8日から翌1985年10月7日まで、ラジオ番組『ちょっとおあずけ』(ニッポン放送)が放送。この番組は岡田の希望によりコーナーは設けられず、楽曲選定を岡田自身が全て行っていた[78]。10月15日に音楽番組『ザ・トップテン』(日本テレビ系列局)で8位、10月18日に『ザ・ベストテン』で10位となり、歌手になってからの目標「10位以内での出演」を達成した[57]。
この年は、新人賞を吉川晃司、菊池桃子、荻野目洋子、長山洋子、SALLY、一世風靡セピアらと争い、『日本レコード大賞』最優秀新人賞をはじめ音楽賞などの新人賞を総なめにした[注釈 15][注釈 16]。『日本歌謡大賞』ほか5つの最優秀新人賞は、吉川と同時受賞した[79]。
1985年以降の芸能活動
1985年(昭和60年)2月9日・14日・15日、グラビア雑誌『BOMB!』(学習研究社)と『DUNK』(集英社)による長時間の密着取材を受けた[注釈 17]。体調不良のために途中で病院の診察を受け、風邪と過労の診断にもかかわらず点滴を打ちながらイベント出演、テレビやラジオ番組の収録、ドラマ撮影、取材などを行った[81]。『DUNK』の記者からは「その忙しい毎日は私たちの体力では無理」との感想が出ていた[83]。
3月25日から5月26日まで、全国コンサート『ハートにキッス』が札幌(札幌市民会館)を皮切りに全13都市[注釈 18]で開催された。岡田自身の曲だけでなく、河合奈保子や中森明菜、小泉今日子らのヒットメドレー、マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」などを歌った(後述)[84]。4月3日の名古屋(愛知厚生年金会館)では、岡田の母親と小学生時代の恩師が鑑賞している[85]。
6月5日から1週間、高校の修学旅行で北海道に滞在する予定だったが[86]、3日目の6月8日にヨーロッパへ出国。スイスのチューリッヒからアルプス山脈のユングフラウヨッホを経由してジュネーブまでを鉄道で廻り、プロモーションビデオや写真集、CMなどの撮影を行った[注釈 19]。ユングフラウヨッホでは6月で気温が氷点下10度のため、1分ほど撮影して体を温めることの繰り返しだった[87]。6月23日に帰国した。
7月25日から10月26日まで、全国コンサート『ファンタジアン』が新宮(新宮市民会館)を皮切りに全23都市[注釈 20]で開催された。
11月5日から放送の連続テレビドラマ『禁じられたマリコ』(TBS系)で初主演。その撮影は、コンサート期間中の9月19日から12月末まで、毎日のように行われた。スケジュールの関係で8時間休憩がなかったり[88]、時には撮影が深夜に及ぶこともあったが[89]、岡田はNGをほとんど出さなかった[88]。
1986年(昭和61年)1月29日、シングル「くちびるNetwork」が発売された。作詞は妊娠により活動休止中だった松田聖子(Seiko名義)の初提供、作曲は坂本龍一という異色のコンビで、松田が自らデモテープを制作し、坂本とともに録音スタジオを訪れている[90]。この楽曲は、2月10日付のオリコンチャートで国生さゆり「バレンタイン・キッス」を抑えて初登場1位となり[91]、沢口靖子をイメージキャラクターとしたカネボウ化粧品「レディ80BIO カラーネットワーク」「86年春のバザール」のCMソングとして使用された。
2月11日から3月2日まで、握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』が全5都市[注釈 21]で開催された。初日の東京(後楽園ホール)では、2部構成で4,000人のファンを動員した[92]。
3月3日、堀越高等学校の卒業式に出席[93]。この時点では出席日数が足りておらず、補習授業を履修して卒業した(後述)[94]。
4月4日、下宿していた相澤宅を出て、東京都港区南青山のマンションで一人暮らしを始めた[95]。ここは、オートロック方式のマンションが見付かるまでの仮住まいだった[96]。
4月5日、全国コンサート『Heart Jack』[注釈 22]がスタート。4月5日の東京(渋谷公会堂)と4月6日の名古屋(名古屋市民会館)の2都市で行われた。
4月7日は休養日で、友人と渋谷パンテオンにて映画『ロッキー4』の試写をしている[97]。4月8日からはテレビドラマ『月曜ワイド劇場・家出少女』(テレビ朝日、仮題)の収録なども控えていた[97][98]。
急死
1986年4月8日、午前9時頃に自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂[95]。2階上のマンション住民がガス臭に気付き、管理人が110番と東京ガスに通報した。レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり泣いていた[99]。港区北青山の北青山病院で治療を受け、新宿区四谷のサンミュージック本社に戻った直後、12時15分に本社が入居しているビルの8階屋上から飛び降り自殺した[97][100]。享年18。遺書とみられる鉛筆書きの便箋が残されていた[101]。
4月9日、新宿区の四谷霊廟で密葬が行われ、渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付された[102][103]。
4月10日、中野区の宝仙寺でサンミュージック社葬として葬儀と告別式が営まれ[104]、最優秀新人賞を争った吉川晃司、番組で共演したロックバンド・SALLYの杉山洋介と岡田尚、岡田がファンだった舘ひろし(後述)、同級生の倉沢淳美や同期デビューの荻野目洋子をはじめ、芸能関係者や3,000人のファンが参列した[105][106]。
岡田の故郷でも、4月11日に名古屋市中区の真宗大谷派名古屋別院、4月15日に同市熱田区の観聴寺で告別式が行われた[107]。
現場の路上ではファンによる献花が山のように積み上げられ、初七日が過ぎても死を悼むファンの輪が現場から消える事はなかった[108]。
法名は侑楽院釈尼佳朋[注釈 23]。墓所は愛知県愛西市の成満寺[109][注釈 23]。
1987年(昭和62年)4月8日、岡田の自宅および新宿区の太宗寺にて一周忌の法要が行われた。太宗寺はサンミュージック主催で、芸能関係者のほかに1,500人のファンが参列した。
同年7月、岡田の直筆で書かれた詩[111]、芸歴や受賞歴、サンミュージック社長・相澤秀禎の哀悼の意が刻まれた記念碑が墓所に建立された。
「永遠のアイドル」と慕うファンからの墓所への献花が絶えることはなく、毎年4月8日の祥月命日[注釈 24]には墓前や現場にファンが集まり、在りし日を偲んでいる[114][115][116][117][112][118][119][120][121][109][122][123][124][125][113][126][127][128][129]。
報道
「ポスト松田聖子」として将来を期待された岡田の自殺は、芸能界のみならず社会に影響を与えた[130][55]。
1986年4月8日、事件の直後に現場へ駆けつけた報知新聞記者・細貝武と芸能リポーター・梨元勝の取材に対し、サンミュージック専務・福田時雄は「岡田が何に悩んでいたかは分からないが、感情の起伏が激しい子だった」と答えた[131][132][95]。同日に開かれた記者会見でも、社長の相澤が「仕事も充実していたし、男友達についても心当たりがない。ただ、感情の起伏の激しい子だった」と答えている[133]。
同日夜、テレビドラマ『禁じられたマリコ』で共演していた峰岸徹が緊急で取材に応じ、岡田の遺書から交際相手とされる報道に対して、峰岸は故人の心境を慮るも交際を否定した[134][135]。しかし、以降は取材に一切応じなかったため、デマによる誹謗中傷を受けた[134]。2カ月後、峰岸はスポーツニッポン記者・中野信行の独占取材に応じ、岡田から手紙をもらったことは認めたものの、シングルファーザーで再婚が近かったこともあり、岡田との交際を改めて否定した[134]。中野の取材記事で誹謗中傷は収まったものの[134]、報道やデマ等による影響は完全には払拭されず、没後も名誉が傷付けられることとなった[136][124][134]。
その一方で、当日夜の報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)[137]では、デスク担当が岡田について知らなかったため後回しとなり(後述)[138]、番組終了時にメインキャスターの久米宏が「連鎖反応を起こす心配があるので、今日は自殺の報道を控えた」とコメントした[139]。同様に、朝日新聞は担当者がみな岡田のことを知らなかったため、自殺未遂発覚の時点では記事にしない予定だった[140]。
4月9日、全ての放送局で事件が取り上げられた[141]。それ以降、報道番組やワイドショーは事件を詳細に放送し、新聞や雑誌は遺体をそのまま掲載したため[142]、視聴者に衝撃を与えた[13]。ウェルテル効果とみられる若者の相次ぐ自殺が顕著となり[143]、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれた[13]。
芸能界では4月8日14時、岡田が初めてレギュラー出演したバラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)で4月13日放送分の追悼特集が収録され、あのねのねらが心境を語った[59][144]。4月15日に収録された4月20日放送分では、岡田を可愛がっていた共演者の近藤真彦と中森明菜が思い出を語るとともに、視聴者に対して自殺を思い留まるよう訴えた[145]。
4月10日、葬儀に参列した黒柳徹子[104]が当日夜放送の音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のエンディングで、視聴者に向けて急逝を惜しむコメントを涙ながらに語った[146]。4月19日、北極に近いカナダのレゾリュートに滞在していた和泉雅子は、「自分自身の身近な目標と頑張る意思を持てば、毎日がもっと楽しくなる。あなたの“北極点”を持ってほしい」と呼びかけた[147]。
4月20日放送の音楽バラエティ番組『歌謡ドッキリ大放送!!』(テレビ朝日)では、収録の4月4日に岡田が出演していたため、収録日と哀悼の意を表すテロップが表示された[148][注釈 25]。4月21日にはサンミュージックの先輩・森田健作がワイドショー『おはよう!ナイスデイ』(フジテレビ)の緊急特集に出演し、若者に後追い自殺をやめるよう訴えた[149][115]。
その一方で、メディアの過熱は収まらず、5月28日には音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ)で中森明菜が「ジプシー・クイーン」[150]を歌唱中に岡田の亡霊[注釈 23]が出現したとして、特集が組まれる騒動となった[151][152]。ただし、中森は6月18日[153]・7月9日・8月6日にも同曲を歌唱しており、後年に映像アルバム『中森明菜 IN 夜のヒットスタジオ』(ユニバーサルミュージック)として発売されている[154]。
サンミュージックは、メディアの過熱報道と止まらない後追い自殺を考慮し、今後の岡田に関する取材には応じず、過去の映像などを提供しないことを決定。主要メディアも岡田の話題は一切取り上げないこととなった[155]。
岡田の死は国会でも取り上げられ[13]、4月9日の衆議院文教委員会では江田五月の質問に文部大臣・海部俊樹が答弁した[156][157]。同年2月1日に男子中学生の葬式ごっこによる自殺が起こっていたこと、若者の自殺の連鎖が止まらないこともあり、4月25日に衆議院文教委員会と参議院特別委員会で「青少年問題」として議題に取り上げられ、善後策を審議することとなった[158][159]。
1986年(昭和61年)の日本国内における若者の自殺は800件を越えた[12][160]。特に、未成年者の後追い自殺が4月8日から2週間で30件余り発生したことから、メディアの過熱との関連が指摘された[14]。2000年(平成12年)にWHOから「自殺報道ガイドライン」が刊行されているものの、以降も過熱報道の事例が発生しており[14]、2023年(令和5年)現在も自殺報道に関する研究と改善が続けられている[15]。
岡田が中学2年生の時に自殺未遂をしていたこと[161][162]、9日前の3月30日に遠藤康子が自殺していたことなど[163]、原因についての様々な憶測や噂が出たものの、いまだに真相は不明のままである[13]。にも関わらず、連日の過熱報道で峰岸との交際があったとされる不確定情報が広まったことから[164]、今日に至るまで検証による原因の特定がされないままとなっている。また、『週刊平凡』(マガジンハウス)が神田正輝との交際および妊娠が原因とされるゴシップ記事を出し[165]、直後に『週刊サンケイ』(サンケイ出版)の反証記事により捏造であることが結論付けられている[166]。しかし、こちらもいまだに捏造記事が信じられており、名誉が毀損される状態が続いている。
没後
予定されていた1986年4月12日の豊橋公演では、サンミュージックの先輩・早見優がアメリカでの仕事をキャンセルして代役を務めた[167]。4月13日の鶴岡公演では森田健作が伊藤つかさと共に代役を務め、5月2日の大阪公演は中止となった。
5月14日に発売予定だったシングル「花のイマージュ」と、コンサートの模様を収めたビデオは商品化が中止となった[4]。これはサンミュージック側が予定通りの発売を要請したのに対し、キャニオンレコード側が難色を示したためである[52]。
書籍でも、アルバムと同名の写真集『ヴィーナス誕生』(ポニカ出版)が4月4日に発売されたばかりだったが、全て回収された[注釈 26]。また、雑誌『中一時代』(旺文社)では1986年4月号から岡田が執筆した小説を連載予定であったが、打ち切りとなった[注釈 27]。音楽情報誌『オリコンウィークリー』(オリコン・エンタテインメント)は4月28日号を緊急追悼号とした[注釈 28]。
出演予定だった『月曜ワイド劇場・家出少女』は『ママ母 VS ママ娘、家出令嬢の課外授業』を正式タイトルに、渡辺典子を代役に立てて撮影。同年8月4日に放送された[168]。
プロマイド専門店のマルベル堂では、岡田はプロマイド売り上げの上位5位から落ちたことがなかった。マルベル堂の常務・三ツ沢博は「これからは悲劇のヒロインの要素も加わり、プロマイドは売れ続ける。第二の赤木圭一郎になるだろう」と販売の継続を示唆した[169][注釈 29]。
1987年(昭和62年)4月5日、愛知県海部郡弥富町(現在の愛知県弥富市)の町民ホールにて「岡田有希子作詞『夢日記』発表会」が行われた[18]。
1988年(昭和63年)7月、岡田の遺稿集『愛をください』(朝日出版社)が出版された[170]。
1989年(平成元年)10月、東京都世田谷区の本多劇場にて演劇『1/2の少女 ―岡田有希子投身事件―』が上演された。劇団「転位・21」の劇作家・山崎哲が作および演出を務めた[171]。
1997年(平成9年)2月9日、『ザ・スーパーサンデー』(テレビ朝日)が放送された。ここでは、報道自粛以降では初めて岡田の特集が組まれ、11年ぶりに岡田本人の映像が流れた[172]。
1998年(平成10年)、東京都新宿区の新宿文化センターにて『岡田有希子展』が3日限りで開催された[155]。
1999年(平成11年)3月、発売が中止されていた「花のイマージュ」を初収録したCDアルバム『メモリアルBOX』が発売され、13年ぶりに岡田の新曲が解禁となった[4]。
2000年(平成12年)7月19日、サンミュージック取締役制作部長で酒井法子(後述)のマネージャーの溝口伸郎が、新宿区四谷の同ビルにて首吊り自殺した[13]。溝口はかつて、岡田のチーフマネージャーを務めていた[173]。
2010年(平成22年)10月19日、ドキュメンタリー番組『解禁!㊙ストーリー』(TBS)が放送され、岡田の幻の一曲として「花のイマージュ」にまつわる真実が紹介された[174]。
2012年(平成24年)7月、元アイドルの田中久美が、福岡県のコミュニティFM局にてラジオパーソナリティを務め、岡田の曲を積極的に発信した[97]。この活動は、2016年9月の降板まで続けられた(後述)。
2013年(平成25年)4月から9月にかけて、テレビドラマ『あまちゃん』(NHK)が放送された。映画監督の大根仁は「聖子ちゃんカットにオープンシャツ姿の若き天野春子(演:有村架純)は、岡田有希子のようだった」と述べた[175]。作中では1980年代に活躍したアイドルが実名で映し出されたが、岡田については名前すら取り上げられなかった。その理由について、放送作家の川野将一は「センセーショナルな死を遂げた彼女を出してしまうと、ストーリーが違う意味を持ってしまうのでは」と推測した[97]。
同年12月10日放送の単発特別番組枠『カスペ!』(フジテレビ)では、サンミュージック社長・相澤の死去までの10日間を追ったドキュメンタリー『独占! 昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎』が放送され、「伝説の美少女アイドル」として岡田の話題とともに映像が公開された。そこでは、相澤が岡田の死を止められず生涯悔やんでいたこと、岡田の写真パネルを社長室に飾っていたこと(後述)、手帳を新調するごとに岡田の写真を表紙裏に貼って絶えず持ち歩いていたことが紹介された[176]。
2015年(平成27年)12月26日、TBS60周年特別企画の年末特番『たけし&安住が贈る!「伝説の芸能60年史」』が放送された[177]。ワイドショー等で岡田の自殺に関する話題は7時間30分放送されており、TBSで放送された芸能ニュースの中では歴代13位の長さとなった。サンミュージックグループ名誉顧問の福田時雄はインタビューで「1度目の自殺は峰岸徹に気付いてもらうため、2度目は事が大きくなりパニックになったから」と推測した。また、司会のビートたけしは当時現場の近所に住んでおり、花を手向けて手を合わせていたことを明かした[135]。
2016年(平成28年)4月、愛知県名古屋市にて岡田有希子を専門に紹介する音楽番組『ドキドキラジオ’84』(東海ラジオ)が開始された[178]。パーソナリティ兼スポンサーはファンである医学博士・ドットーレ山口で、岡田が1984年からパーソナリティを務めた『ドキドキラジオ』の名を冠したトリビュート番組として、毎週にわたり岡田の楽曲や人物像が紹介された[179]。この内容は2019年(令和元年)9月に一旦終了するが[180]、以降は昭和のアイドルやアーティストが取り上げられ、4月と8月には期間限定で岡田についての発信を行っている。
同年6月6日、バラエティ番組『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京)が放送され、ファンであるフランス人男性が没後30年の追悼式に参加した様子などが紹介された[181][182]。
同年8月、前出のラジオ番組『ドキドキラジオ’84』の関連企画で、岡田の没後では初めてファンミーティングが開催された[179]。翌年の開催には、岡田と縁がある桑田靖子・小室哲哉・竹内まりや・尾崎亜美らのメッセージが披露され、コンサート音源が初公開された[17][183]。このイベントには生前からのファンだけでなく、若者や女性も多く参加した[184]。
2018年(平成30年)2月、画家の弓指寛治が1986年4月8日当時の現場をイメージした作品『Oの慰霊』を製作し、神奈川県川崎市の岡本太郎美術館が主催する第21回第21回岡本太郎現代芸術賞で岡本敏子賞(銀賞)を受賞した[185]。弓指は2015年に母親を自殺で失い、それに至る心理を調査する過程で岡田のことを知った[186]。
同年4月、東京都品川区の「ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエ」にて弓指による個展『四月の人魚』が開催された。ここでは『Oの慰霊』の続編であるインスタレーションが展開された[185]。
同年11月25日、竹内まりやのデビュー40周年記念日に『今日は一日“竹内まりや”三昧』(NHK-FM)が放送され、岡田によるカバー「マージービートで唄わせて」のコンサート音源や竹内のセルフカバー「恋、はじめまして」が公開された[187][188]。
2019年(令和元年)3月26日、竹内が『竹内まりや Music&Life〜40年をめぐる旅〜』(NHK総合)にて11年ぶりにテレビ出演し、岡田への思いを語った[65][66]。
同年8月22日、音楽配信サービスのAWAが岡田の楽曲の配信を開始した[189]。ここでは、「花のイマージュ」を含むシングル9枚や『プレゼント』を含むアルバム5枚の他に、岡田の人気曲を集めたプレイリスト『岡田有希子のCLASSICS』が公開されている[189]。
同年9月4日、竹内まりやのアルバム『Turntable』が発売された[190]。岡田に提供した楽曲のセルフカバーも3曲含まれており[190]、いずれも萩田光雄が編曲した原曲が再現されている(後述)[191]。
同年12月31日、竹内がNHK紅白歌合戦に初出場し、「いのちの歌」の歌唱中に演出として岡田の写真が映し出された[192]。
2020年頃、海外で日本のシティポップがブームとなり、岡田の曲も注目された[193]。音楽ストリーミングサービスのSpotifyでは「Summer Beach」が最も多く再生されており[2]、その他の曲も海外による再生比率が高くなっている[193]。
2022年(令和4年)、龍谷大学文学部仏教学科特任准教授の大谷由香が自死問題に関する論文「不殺生と自死」を発表した[194][195][196]。
2023年(令和5年)1月、韓国人プロデューサー兼DJのナイトテンポが「昭和グルーヴ」シリーズ第16弾として、岡田のオリジナル曲をリミックス化して配信した[197][198]。
同年8月、ポニーキャニオンが運営する公式YouTubeチャンネルが開設された。ここでは、岡田の全ての楽曲やミュージックビデオ等が公開されており、2026年4月にアクセス数が1,000万回を超えた[199]。
2024年(令和6年)6月26日、テレビ東京開局60周年企画『テレ東ミュージックフェス2024夏』が放送され、岡田が「くちびるNetwork」を歌唱するシーンが公開された[200]。
同年、コンサート音源がサンミュージック内の倉庫にて発見された[201]。岡田の歌手デビュー40周年であることから、4月には海外で人気の曲が収められた12インチシングル盤、8月には全シングル曲が収められた7インチシングル盤セット、12月にはコンサート音源が収められたCDセットが発売された[202][203]。
2025年(令和7年)3月上旬、東京都渋谷区の東急プラザ内にあるレコードカフェにて、『80年代女性アイドル特集』の企画で岡田とコラボレーションしたカフェが開催された[204]。
同年3月下旬、東京都杉並区にてホラー漫画家の山咲トオルと児嶋都による展覧会『ふたり地獄』が開催された。山咲は岡田のファンであり、「怖くない絵」として岡田の似顔絵を展示した。展覧会には、堀越高校の同級生だった河上幸恵も訪れた[205]。
2026年(令和8年)3月と4月、京都と東京で弓指寛治による個展『続・四月の人魚』が開催された[206]。それに伴い、2018年に開催されていた個展『四月の人魚』の記録集が出版された[207]。
同年、AI(生成AI)で制作された岡田の架空動画が注目された。かつては美空ひばりのAI動画で議論されたことがあり、著作権や肖像権、倫理の観点から物議を醸している[208]。
評価
岡田は没後に過熱報道や放送自粛があったにもかかわらず、忘れられることなく慕われ続けた。アイドルグループ「BEYOOOOONDS」の島倉りか[209][210]やボーカルグループ「Little Glee Monster」のアサヒ[211][212][213]など、平成生まれでファンになった者もいる。
岡田がゲスト出演したラジオ番組『ヤングパラダイス』(ニッポン放送)パーソナリティの三宅裕司は、事件当日の夜に生放送で「共演した人が自殺したのは初めてでショック。彼女には日本テレビの番組の新企画で協力してもらったことがあったが、努力家で将来は大物になると思っていた。頭が良かったから、いろいろと考えることがあったのかもしれない」と述べた[214]。
岡田が相澤宅で下宿していた時期と重なる桑田靖子・滝里美・橋本美加子は女性週刊誌『週刊明星』(集英社)の取材で、岡田の多忙による睡眠不足や男性との交際が苦手だったこと、好きな芸能人(後述)などを語り、岡田が悩みを打ち明けるタイプではなく気付いてあげられなかったと悔やんだ[52]。
詩人の吉本隆明は、1986年5月4日の講演にて岡田について言及し、賢さゆえにフィクションと現実の切り替えが難しかったこと、芸能界という閉鎖された空間で視野が狭くなっていたことと推測した。岡田の自殺を「未来への離脱」と表現し、若者の後追いについてはゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』の内容に例えた[215][216]。
歌番組等で岡田と共演した中森明菜は「岡田は空気のように、言いたいことを言わずいつも一人でいた。私が声をかけると楽しそうだけど影があり、何か言いたいように感じた。自分が何かしてあげられることはなかったのか、今でも悔やまれる。岡田が亡くなった当時は仕事も手につかず、自分を責め、このまま立ち上がれないと思うくらい悲しかった。全部を悪く考えてしまい、あの時は本当に辛かった」と語った[217]。
音楽評論家の高橋修は「時はあたかも素人っぽさが売りのおニャン子クラブが人気絶頂。岡田有希子の最期と共に、プロのアイドル歌手の時代も終わってしまった」と評した[218]。
岡田のファンである中川翔子はブログで「夏の恋を明るく可愛く歌う『彼はハリケーン』は素晴らしいアイドルソング。名曲ばかりで『恋のダブルス』『花のイマージュ』は神」と綴った[219]。のちに「くちびるNetwork」をカバーした際には「『くちびるNETWORK』『花のイマージュ』で岡田を好きになったけど、18歳で歌うには大人びている歌詞。恋と宇宙感が合わさっている曲が80年代には多く、童話の世界や小悪魔な曲など独特の不思議な感じは岡田にしか出せない」と語った[220]。
お笑い芸人の坂本ちゃんはブログで「岡田が描く似顔絵がキュートで好きだった。アルバム『ヴィーナス誕生』は濃厚だけど聴き心地が良く、当時よりも今の方が聴いている。本当に素敵で永遠に好き」と綴った。坂本は岡田が歌手デビューする前からファンレターを送っており、公式ファンクラブの山梨県支部にも最初に加入した[221]。
岡田の2年前に歌手デビューした小泉今日子は、エッセイ『原宿百景』(スイッチ・パブリッシング)で、「彼女」として名こそ出さなかったが岡田について言及している(後述)。そこでは、生前の彼女の印象や最期を揶揄したファンへの心境、夢に出てきた彼女のことを記している[222]。
岡田と同年に歌手デビューした荻野目洋子は、ブログで「同期はライバルとされる風潮があり、会う機会は多くても互いを知る時間は少なかった。自ら命を落とした本人の気持ちや真相が分からず、事実を受け止められなかったのはファンと同じ。生前に相談されたことがなかったため、墓参りをしても心境は複雑だった」と明かし、同期の田中久美(後述)がテレビ番組で心境を明かしたことがきっかけで、長年にわたる胸のつかえが消えたことを記した[223]。荻野目は2025年現在も墓参りを続けている[11][113][128]。
岡田と同年に歌手デビューした辻沢杏子は「年齢も芸能界入りした年も違うけど、岡田は私を姉のように慕ってくれた。とても純粋な子だったから、人間不信になっていったのかなと思う。彼女からの電話も仕事で出られず、今のように携帯電話があれば悩みを聞けたかもしれない。亡くなってからの時間の流れを感じる」と回想した[224]。また、岡田の印象について「今まで出会った人の中で一番可愛くて純粋。女性の私から見ても、天使のように可愛かった」と語った[225]。
トリビュート番組『ドキドキラジオ’84』(前述)パーソナリティのドットーレ山口は「彼女は永遠の理想像で唯一無二の存在。辛い時には彼女の曲で励まされた」と述べた[184]。山口は名古屋市内の放送局で番組を開始した理由について、ブログで「没後30年の節目であり、彼女が愛した地元の名古屋(名古屋都市圏)が一番に彼女を応援するべき。表舞台や裏方の関係者が次々に亡くなり、生き証人がいなくなる前にという焦りもあった」と記していた[226][179]。
歌番組等で岡田と共演した久米宏は、2016年3月19日放送の『おぎやはぎの愛車遍歴』(BS日テレ)で岡田について触れ、TBSに入社した年に岡田が生誕しておりシンパシーを感じていたことを明かした[138][227]。また、『ニュースステーション』のデスク担当が岡田のことを知らずニュースを廃棄したことがショックだったこと[138]、心の整理のため『ザ・ベストテン in 岡山』[228]開催地だった岡山県総合グラウンドを1986年夏に訪れたことを語った[138]。
岡田と同級生の南野陽子(後述)は「誰かと結婚したわけでもない。劣化したと思われることもない。絶対に裏切らない、永遠の18歳のまま」と述べた[94]。
岡田の楽曲を提供した竹内まりやは「シングルの売れ行きだけなら上回った人は何人もいる。しかし、爽やかに登場し『さぁこれから』という時にたった3年で姿を消した歌手というのは空前絶後。ファンに夢を運び、純粋にアイドルを応援する喜びもファンに与えたが、同時にアイドルがアイドルでいることの難しさや孤独を投げかけた。いなくなってさらに存在が大きくなった希有な存在」と語った[229]。
作家でアイドル評論家の中森明夫は、岡田と会った印象について「えくぼがある、はにかんだ笑顔は今でも目に焼き付いている。圧倒的な優等生だった」と語った[230]。中森は毎年、祥月命日に現場を訪れ手を合わせている[230]。
放送作家の川野将一は、1986年4月6日に放送された『夜遊びしナイト』(ニッポン放送系)最終回の内容について「岡田は全国のリスナーに未来しか語っていなかった。彼女の後を追った少年少女たちはその事実を知っていただろうか」と綴った[97]。
音楽評論家の原田和典は、2017年に東京で開催された岡田のファンミーティングについて「未発表のライブ音源は抜粋だけでもリアリティがあり、全長版の公表や発売にも期待がかかる。岡田の写真は、画質が劣り画像修正の概念が無い時代のものでも本物の可愛さで、ドラえもんが誕生する2112年になっても変わらず輝き続けるであろう。リアルタイムで実物の岡田に接したファンは、とんでもない幸福を味わっていたはず」と評した。また、要望として「神がかり的にかわいい1985年春頃までのテレビ出演など、映像をもっと作品化してほしい」と綴った[17]
上記のファンミーティングにゲスト出演した桑田靖子は、事務所の下宿生活や高校の修学旅行のエピソードを明かし、「岡田は強い意志を持つ聡明な人だった」と述べた。桑田は岡田の生前について語ることを避けてきたが、ファンミーティングの主催者であるドットーレ山口の依頼に出演を快諾した[183]
音楽ライターの馬飼野元宏は「岡田のプロジェクト(前述)は金井夕子の存在が念頭にあり、金井でやり切れなかったことを岡田で成功させた。岡田が遺した楽曲は古びることがなく、ポップスとしての煌きと輝きを放っている」と評した[61]。
歌謡曲バーを経営する安東暢昭[231]は、岡田の33回忌にRe:minderのコラムで「松田聖子はリアリスト、岡田はロマンチストのイメージがあるが、実際は逆だったのではないか。岡田の魅力は、意志をはっきりと持ち、現状に対する不満も明確で、それを打破する行動力を備えていたこと。33回忌は、正式な法要が最後である事を意味する。これからどう語り継ぎ、聴き継いでいくかが重要」と記した[232]。
サンミュージックグループ名誉顧問の福田時雄はインタビューで、岡田の芸能界入りを反対する父親に「必ずスターにするとは約束できないが、3年間で立派に成長させてお返しする」と説得したことを明かした。また、岡田の死をきっかけに芸能界を去ろうとしたこと、岡田の父から「娘は人生の縮図のように生きたから幸せだった」と言われて心が救われたことを語った[233]。
レコーディングディレクターを務めた元ポニーキャニオンの国吉美織(旧姓・飯島)は、「岡田は閃きの人で天才型。曲の感覚を掴むのが早く、仮歌を聴いただけで歌い方を理解した。録音は一発録りで、ピッチ修正もない。表拍と裏拍を使い分け、多彩なアーティストの曲を自分のものとして歌っていた。皆に岡田の歌の良さをもっと知ってもらいたい」と回想した[234]。
音楽評論家の宗像明将は、アルバム『岡田有希子 Mariya's Songbook』について「時を経てなお、ティーンエイジポップとしてのみずみずしさを失わない。海外で再評価されている竹内まりやの楽曲『プラスティック・ラヴ』と同時期に作成され、強度の高い普遍性をたたえている。『長年封印されていたシティポップの名盤』と言っても通用するだろう。先入観なく正当な評価をするのは海外のリスナーなのではないか」と評した[4]。
「さよなら・夏休み」等を編曲した清水信之は、同アルバムのアナログLP重量盤(完全生産限定)発売に際して「キラキラしたポップ感と切ない歌詞が、うまくブレンドされた作品。歌詞を見て、憧れを抱くとともに嫉妬もした。岡田は賢い子で曲をすぐに理解し、良い歌のバージョンとなった。むしろ、楽しんでくれていた気がする」と述べた[235]。
コラムニストの宝泉薫は「当時のアイドルはファンタジーからドキュメンタリーへの過渡期だったが、岡田はファンタジーのままだった。しかし、死をもってアイドルが生身であることを示したことで、その後のアイドルは生きやすくなったかもしれない。一方で、岡田が河合奈保子に憧れたのは、近年の傾向である女の子が女性アイドルにはまる感覚に近い。アイドルという文化において重要な先人のひとり」と評した[75]。
現場リポーターを務めた東海林のり子は、岡田の没後に社長宅の下宿部屋がファンのため開放されていたことを明かし、「相澤夫妻は我が子のように可愛がっていたのだと思う」と述べた[113]。
岡田の曲をリミックスしたナイトテンポ(前述)は、著書『Japanese City Pop 100, selected by Night Tempo』(303BOOKS)にて「歌も笑顔もとても素敵な夢のアイドル。明るい曲だけど、聴いているとなぜかエモーショナル(感情的)な気持ちになる」と述べた[197][198]。
日本に在住するギタリストのマーティ・フリードマンは、海外で岡田の曲が注目されたことについて「曲ごとの振れ幅が大きいため、岡田の多才さが分かる。声が明るくて可愛く、歌も上手い。声に癒しやキラキラ要素があり、海外にはなかなかいない存在」と評した[193]。
岡田の楽曲を提供した尾崎亜美は、デビュー50周年のインタビューで「あのような亡くなり方で、岡田の曲は心苦しくて歌えなかったが、ようやく最近歌えるようになった。岡田は私を慕ってくれて、レコーディングが終わるのを待ってくれたこともあった。私が提供した曲の音入れが終わっているのに、必ずその歌を歌ってから他の曲の音入れをしていた(後述)」と語った[236]。
歌謡グループ「純烈」の酒井一圭は、朝のラジオ番組『Brand-New Morning』(TBSラジオ)でリスナーから好きなアイドルを問われ、「岡田有希子が好きだった。亡くなった時、ショックだった」と回想した[237]。酒井は当時、子役として芸能活動をしており、『逆転あばれはっちゃく』(テレビ朝日)では主演を務めていた[238]。
人物
エピソード
- 好きな女性芸能人は河合奈保子。中学2年生の時に油絵で肖像画を描いている(前述)。デビュー後のインタビューで、1981年10月5日に河合がNHKホールで『レッツゴーヤング』(NHK総合)のリハーサル中に転落し、大怪我をした時について「かわいそうで、代わってあげられたら」と語っている[239]。
- 好きな男性芸能人は、岡田と同じ名古屋市出身の舘ひろし[240][241]。テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系列)がきっかけで、1984年10月15日放送の歌番組『ザ・トップテン』(日本テレビ系列)で初めて会ってからファンになっている。後に雑誌『明星』(集英社)の対談で、岡田は舘のレコードやカセットテープ、ポスターを収集していることを語った[242]。同居していた橋本美加子らは没後のインタビューで、舘がテレビ出演すると名前を連呼して上機嫌だったことを明かしている[52]。
- 岡田は学業成績向上に繋がった勉強方法として、各教科とも問題集を1冊に絞って丸暗記したことを紹介している。「カメラマンがシャッターを押すように、精神統一して1ページ1ページ真剣に頭に入れていく。そうすれば思い出すとき、不思議と1枚の写真のように頭によみがえる」と語っている[243][40]。また、芸能界入りに反対していたはずの母親が一転して、猛勉強中に毎日欠かさず夜食を持ってきたとも語り、「夜食で私を太らせ、『スター誕生!』の決勝を落とそうとする母の魂胆だった」と明かしている[38]。
- 歌手デビューの挨拶回りで、キャニオンレコード仙台営業所を訪れた際に「恋人がいる方は3分の1、奥様がいる方は4分の1で結構です。私に愛情をください」と挨拶した[244]。独身の男性社員から「妻も恋人もいないから、全ての愛情を注ぎます」と返された[245]。
- スリーサイズを気にしており、「もっと痩せたい。バストは発育し過ぎたから、もっと小さくしたい」と考えていた[246]。また、水着撮影の時に腹が出ているのを嫌い、1日1回しか食事を取らなかった[247]。
- プライベートでは度の強い眼鏡を使用していた[248][249]。その様子について、小泉今日子は「仕事じゃないときはいつも牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡をかけていた。レンズを通して小さくなった目がなんとも可愛かった[222]」と回想している。一方で、タレント活動中はコンタクトレンズなどを一切使用しておらず、岡田は挨拶せず無視をしていないか気を遣っていたことを語っている[21]。プロモーションビデオ撮影のとき、離れたビデオカメラに向かってまっすぐ歩くことが出来ず、ふらつくことが多かった[250]。
- 早朝は社長の相澤とランニングが日課となっている一方で、仕事で帰宅が遅くなってもテスト勉強や美容体操、部屋の片付けなどでなかなか寝なかった。そのため寝落ちが多く、布団で寝ることは少なかった[52]。
- コンサートで岡田の持ち歌以外の選曲は、邦楽や洋楽に関係なく岡田の希望が反映されていた。また、ステージ衣装にこだわりがあり、すでに仕上がっているものに対しても、注文や変更をするのが当たり前だった。なお、巨大な衣装を披露した事もあった[201]。
- シングル曲「Summer Beach」のレコーディング以降、他の曲をレコーディングする前にもこの曲を必ず歌唱していた[61]。同じプロデューサーで岡田が慕っていた楽曲提供者の尾崎亜美は[61]、この行為についてディレクターから相談されており、後年のインタビューで「岡田にとっての柔軟体操だったのではないか」と述懐している[251]。1986年3月には尾崎がセルフカバーをしており、岡田の生前にリリースされた唯一のカバー曲となった(後述)。
- アルバム『十月の人魚』に収録されている「Sweet Planet」「水色プリンセス」は、音楽ユニット・TM NETWORKの小室哲哉が職業作曲家として初めて提供した曲である[252]。「水色プリンセス」はクラシック調の難しい曲であるにも関わらず、岡田は歌いこなしていると評価された[253]。その一方で、当時ディレクターだった国吉美織はインタビューで「岡田は頑張っていたけど歌いこなせていないようで、最終的には曲の世界観が引き出せなかった。デモテープの小室の歌唱が素晴らしかったので、それを出したいくらいだった」と語っている[60]。
- 1985年10月16日放送の『夜のヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ系列)に出演した時、急遽番組内でセントラル・リーグ優勝の瞬間まで生中継をすることとなった。歌唱はなく、司会の芳村真理や古舘伊知郎ら共演者と共に阪神タイガースの優勝を見届けた[254]。なお、岡田は読売ジャイアンツのファンだった[63]。
交友関係
- 1967年度生まれで堀越高校の同級生だった南野陽子、田中久美、いしのようこ、長山洋子、宮崎萬純、1984年に歌手デビューした菊池桃子、荻野目洋子、辻沢杏子(前述)らと仲が良かった。
- 南野は1984年10月27日放送の情報番組『モーニングサラダ』(日本テレビ)で岡田と初共演している[255]。その時点で南野は兵庫県神戸市の高校に通っており、テレビドラマ『名門私立女子高校』(日本テレビ)の生徒役の一人で俳優デビューする前だった。後年のインタビューで、堀越高校に転入した時に岡田が覚えていたことに感動し、地元の友人に報告したことを語っている[256]。互いに多忙のため高校で会う機会は少なかったが、卒業間際に出席日数が足りず岡田と自習をした時に、将来の進路などを語り合ったことを明かしている[94]。
- 田中は岡田と同期デビューだったが、1986年3月限りでアイドルを辞めて福岡県に帰郷し、翌月に訃報を知る。4月1日には岡田と電話連絡をしており、4月5日のコンサートに誘われたのが最後の会話だった[257]。26年後の2012年7月から2016年9月まで、福岡県築上郡築上町のコミュニティFM「スターコーン・エフエム」のローカルワイド番組『スターコーンほっと! ネットラジオ』でラジオパーソナリティを務めており、そこでは岡田の曲を必ず流していた。きっかけは岡田の27回忌である2012年4月8日、現場となった東京・四谷の追悼イベントでファンが献花や黙祷を捧げていたのを目の当たりにしたからだった[97][257]。番組はサイマルラジオでも配信され、海外に在住のファンからもメール投稿が届いていた[257]。その模様は、情報バラエティ番組『爆報! THE フライデー』(TBSテレビ)[258]や『明石家さんまの転職DE天職』(日本テレビ)[259]にも取り上げられた。
- 岡田がサンミュージック社長・相澤秀禎宅から引っ越すまでルームメイトだった1年後輩の橋本美加子、ラジオ番組『夜遊びしナイト!』(ニッポン放送他)で共演した2年後輩の水谷麻里、1985年12月に上京して下宿生活を始めたばかりの酒井法子を可愛がっていた。酒井に関しては1986年4月5日、岡田が引越しの時に廃棄処分しようとしていた写真パネルを酒井が欲しがったため、「To のりっぺ Kun」(のりっぺ君へ)とサインを入れてプレゼントしている[260]。同日、元気のない岡田を気遣って「お前はこれから事務所を背負って立つ存在なのだから頑張って」と励ます相澤社長夫妻に「私の代わり(酒井)がいるじゃない」と返している[97][136]。岡田の他界後、写真パネルは酒井から相澤に譲渡され、社長室に飾られることとなった[176]。
音楽
シングル
| No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 7inch 1984年4月21日 |
20位 | 学園恋愛三部作の第1弾。 歌手デビューと同日に発売。 グリコ協同乳業「カフェゼリー」CMソング。 | |
| 2 | 7inch 1984年7月18日 |
14位 | 学園恋愛三部作の第2弾。 | |
| 3 | 7inch 1984年9月21日 |
7位 | 学園恋愛三部作の第3弾。 江崎グリコ「セシルチョコレート」CMソング。 | |
| 4 | 7inch 1985年1月16日 |
4位 | 東芝「レッツチャット」CMソング。 「二人だけのセレモニー」の作詞者である夏目純は、作曲者の尾崎亜美がパーソナリティを務めたラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のリスナーであり、この曲が処女作となる[261]。 | |
| 5 | 7inch 1985年4月17日 |
5位 | グリコ協同乳業「カフェゼリー」CMソング。 テレビアニメ『タッチ』挿入歌(第7話「Summer Beach」、第26話「星と夜と恋人たち」)。 2020年ごろからのシティポップブームで、「Summer Beach」が海外から注目された[5]。 | |
| 6 | 7inch 1985年7月17日 |
7位 | 月曜ドラマランド『かぐや姫・とんで初体験?!』(1985年7月1日放送、フジテレビ)主題歌。 テレビアニメ『タッチ』挿入歌(第36話「哀しい予感」)。 | |
| 7 | 7inch 1985年10月5日 |
5位 | 江崎グリコ「セシルチョコレート」CMソング。 | |
| 8 | 7inch 1986年1月29日 |
1位 | カネボウ化粧品「レディ80BIO カラーネットワーク」「86年春のバザール」CMソング。 | |
| 9 | 7inch 1986年5月14日 (発売中止) |
- | 岡田の死去のため発売中止。 1999年3月17日発売のCDアルバム『メモリアルBOX』に初収録。 | |
| 10 |
|
CD 2002年12月4日 |
63位 | 2002年12月18日発売のCDアルバム『贈りものIII』の先行シングルとして発売。 オリジナル曲のボーカルのみを抽出し、作曲・編曲家の服部隆之がオーケストラアレンジを施している。 |
| 11 | 岡田有希子 Night Tempo presents ザ・昭和グルーヴ
|
配信 2023年1月11日 |
- | 韓国人プロデューサー兼DJのNight Tempoが手掛ける「昭和グルーヴ」シリーズの第16弾として、オリジナル曲のうち2曲をリミックス化[197]。 ジャケットイラストは韓国人イラストレーターのtree13(ナムサーティーン)が手掛ける[198]。 |
| 12 | 12inch / 配信 2024年4月20日 |
30位 | 歌手デビュー40周年企画の第1弾。 海外で人気となった曲を初の12インチシングル化[5][262]。 ジャケットは岡田の顔写真をもとに、曲のイメージ「海」「夏」「シティポップ」をキーワードに加え、img2imgで画像生成されている[263]。 同日、リリックビデオがYouTubeで公開された[263]。 | |
| 13 | 岡田有希子 7インチシングル・コンプリートBOX
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7inch 2024年8月22日 |
- | 歌手デビュー40周年企画の第2弾。 7インチシングルとして初めて復刻。アナログのマスタリングとカッティングは、ピッコロオーディオワークス社の松下真也が担当[264]。 『花のイマージュ』を含む9枚組で、シングルごとに異なる色のカラーヴァイナル仕様となっている。 |
オリジナルアルバム
| No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | 備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 1 | LP / CT 1984年9月5日 CD 1984年12月21日 |
7位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2 |
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LP / CT / CD 1985年3月21日 |
2位 | 全曲の編曲を松任谷正隆が担当[3]。 収録曲「二人だけのセレモニー」は、シングルよりもビートが強調されている[3]。 (以降、曲名に「Single Version」「Album Version」を付けて区別する。) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 3 | LP / CT / CD 1985年9月18日 |
4位 | 全曲の編曲およびサウンドプロデュースを松任谷正隆が担当[265]。 ジャケット写真は芦ノ湖にて撮影[265]。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 4 |
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LP / CT / CD 1986年3月21日 |
5位 |
ベストアルバム
| No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | 備考 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 1 | 贈りもの
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LP / CT 1984年11月28日 |
6位 | LP(レコード)とCT(カセットテープ)で曲順が異なる。 CTのみ、シングルA面3曲のオリジナルカラオケが追加収録されている。(カラオケ含む全10曲収録) 唯一、単体でCDにはなっていない。 収録曲「Believe In You」は、東芝「パソピアIQ」CMソング。 2002年12月4日、同名でシングル化。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2 | 贈りものII
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LP / CT 1985年12月5日 CD 1985年12月15日 |
17位 | 歌手デビュー前、一番初めにレコーディングされた「小羊NOTE」[68]が収録されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 3 | メモリアルBOX
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CD 1999年3月17日 |
30位 | ベストアルバム『贈りもの』『贈りものII』、オリジナルアルバム『ヴィーナス誕生』に、1986年5月14日に発売予定だったシングル『花のイマージュ』を加えた4枚組。 各アルバムの収録曲は、先に単品で発売されているものと同じ内容である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 4 | ALL SONGS REQUEST
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CD 2002年5月15日 |
47位 | 2002年3月1日 - 3月31日、ポニーキャニオンのサイト内で人気投票が行われた。 そこで選ばれた上位15曲と、CD化されていなかった「二人だけのセレモニー (Single Version)」と「恋のエチュード」(「くちびるNetwork」のB面)が収録されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 5 | 贈りものIII 岡田有希子CD/DVD-BOX 「☆」印が付いている楽曲はボーナストラック。
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CD+DVD 2002年12月18日 復刻版 2010年9月15日 通信販売 2019年9月11日 |
19位(初版) 59位(復刻版) |
初登場87位[266]。 CD6枚とDVD1枚がセットになったスペシャルBOX。CDはオリジナルアルバムごとにボーナストラックが収録されている。 「二人だけのセレモニー」は、アルバムバージョン(Disc2)とシングルバージョン(Disc5)の両方を収録。 「Fly Up! Angel」「Believe In You (2003 Present-Mix Version)」は、このBOXのみの特典(Disc5に収録)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 6 | ザ・プレミアムベスト 岡田有希子
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CD 2012年11月21日 |
139位 | 8枚のシングルAB面16曲と、「花のイマージュ」「Believe In You (2003 Strings Version)」を収録。 同じ曲順のオリジナルカラオケが同梱されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 7 | ゴールデン☆アイドル 岡田有希子
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CD 2014年7月30日 |
79位 | TOP100入りは3年11ヶ月ぶり。初登場TOP100入りは11年7ヶ月ぶり[266]。 『花のイマージュ』を含む、9枚のシングルレコード盤AB面を完全収録。 CDパッケージは、シングルレコードサイズの見開きダブル紙ジャケット。すべてのシングルレコードジャケットの表紙と歌詞面をほぼ原寸で復元したブックレットが付属されている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 8 | 岡田有希子 Mariya's Songbook
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CD 2019年10月16日 LP 2020年2月26日 |
13位 | 竹内まりやが提供した楽曲を集めたコンピレーションアルバム。 CDは全曲で2015年のリマスター音源を使用。 LPは数量限定で、表面の4枚のジャケットはCDとは別絵柄となっている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 9 | ファースト コンサート「恋・はじめまして」 |
CD 2024年12月25日 |
- | 歌手デビュー40周年企画の第3弾。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 10 | GIFT / 1984-1986 Live Tour Box | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| - | 新人系列 岡田有希子
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CT 不明 |
- | 台湾で発売。レーベルは新興唱片(Xinxing Records)[267]。 長山洋子の曲も収録されている。 |
ハイレゾリューションオーディオ
| No. | タイトル | 発売日 | 備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 1 | 「★」印が付いている楽曲はボーナストラック。
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配信 / CD 2015年9月16日 |
9枚のシングルと4枚のオリジナルアルバムの全56曲を、アナログのマスターテープから新たにリマスタリングされている。 ハイレゾリューションオーディオ化には、1984・1985年当時のレコーディングディレクターだった国吉美織(旧姓・飯島)がマスタリング作業に参加[68]。 オリジナルアルバム『シンデレラ』『FAIRY』『十月の人魚』『ヴィーナス誕生』、新編集のアルバム未収録曲集『プレゼント』が復刻された[注釈 30]。 オリジナルアルバム単位での再発売は今回が初めてであり、それぞれボーナストラックとして、シングルのB面曲が追加収録されている[69]。 CD(UHQCD)も同日に発売され、シングルレコードサイズの紙ジャケット仕様。LPレコードの歌詞カードや盤面デザイン、帯やステッカーの紙質まで忠実に再現されている[268]。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2 | 「★」印が付いている楽曲はボーナストラック。
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| 3 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 4 | 「★」印が付いている楽曲はボーナストラック。
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| 5 |
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| 6 | 配信 2015年9月16日 |
上級者向けのパッケージ。 「二人だけのセレモニー」のような完全なバージョン違いまでとは言えないものの、微妙な音の違いがある「シングル用」「アルバム用」のマスターテープから、5曲のシングル用マスターテープをハイレゾリューションオーディオ化[269]。 「ファースト・デイト」「リトル プリンセス」「丘の上のハイスクール」は、アルバムバージョンとLRが逆になっている。「哀しい予感 」「くちびるNetwork」は定位の違いはなく、特定の楽器のイコライジング(周波数特性の補正等)やエフェクトが若干異なる[269]。 |
映像
| No. | タイトル | 発売日 | 備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 1 | Yukiko in SWISS
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VHS / β 1985年8月21日 LD 1985年10月21日 |
ポニーより発売。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2 | VHS / β / LD 1985年12月5日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 3 | Memories in Swiss
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DVD 2002年12月18日 |
ポニーキャニオンより発売。 『Yukiko in SWISS』『Memories of Switzerland』が収録されている。 |
制作
スタッフ
- プロデューサー
- 渡辺有三(キャニオンレコード)[6][7][8][9]
- ディレクター
- 飯島美織(キャニオンレコード)[6][7][8]
- アシスタントディレクター
- 倉中保(キャニオンレコード)[8][9]、田中洋子(同)[9]
- レコーディングエンジニア
- 益本憲之[6][7]、猪俣彰三[6]、玉川俊雄[6]、前田信雄[7][8]、矢野真一[7][8]、井上禎[8]、中越道夫[9]、赤川新一[9]
- ミキシングエンジニア
- 益本憲之[6]、前田信雄[7][8]
- アシスタントエンジニア
- 矢野真一[6][7]、板東宏治[6][7]
- デザイナー
- 山田充[6][7][8][9]
- フォトグラファー
- 武藤義[6][7][8][9]
- スタイリスト
- 武藤ネコ[6][7][8][9]
- コーディネーター
- 小林修一(サンミュージック出版)[6][7][8][9]
- エグゼクティブプロデューサー
- 杉村昌子(サンミュージック出版)[6][7][8][9]
ミュージシャン
- ドラムス
- 林立夫[6][7][8]、村上秀一[6]、島村英二[6][7]、菊地丈夫[6][8]、渡嘉敷祐一[7]、かしぶち哲郎[9]
- ベースギター
- 高水健司[6][7][8]、富倉安生[6]、長岡道夫[6]、岡沢茂[6][8]、奈良敏博[9]
- エレクトリックギター
- 松原正樹[6]、芳野藤丸[6]
- アコースティックギター
- 安田裕美[6]、笛吹利明[6]
- ギター
- 松原正樹[7][8]、今剛[7][8]、白井良明[9]、岩倉健二[9]、鈴木智文[9]
- エレクトリックピアノ
- 富樫春生[6]、大谷和夫[6]
- アコースティックピアノ
- 山田秀俊[6]
- キーボード
- 大谷和夫[6]、富樫春生[6]、松任谷正隆[7][8]、岡田徹[9]、西平彰[9]、丸尾めぐみ[9]
- インストゥルメント
- 清水信之[6]
- シンセサイザー
- 大村雅朗[6]、中西康博[6]、山田秀俊[6]、富樫春生[6]
- シンセサイザープログラミング
- 遠山淳[6]、松武秀樹[6]、浦田恵司[7][8]、森達彦[9]、土岐幸男[9]、深沢順[9]
- パーカッション
- ペッカー[6]、斎藤ノブ[7][8]、浜口茂外也[7][8]
- サクソフォン
- Jake H. Concepcion[7][8]、矢口博康[9]
- フリューゲルホルン
- 数原晋[7][8]
- フルート
- 旭孝[6]
- オーボエ
- 大野守[6]
- ハープ
- 田中祐子[6]、山川恵子[7]
- ストリングス
- 多アンサンブル[6]、ジョーアンサンブル[6]
- コーラス
- EPO[6]、比山清[6]、木戸泰弘[6]、山川恵津子[6]、バズ[6]、尾形道子[6]、竹内まりや[6][8]、桐ヶ谷仁[7][8][9]、桐ヶ谷俊博[7][8][9]、白鳥英美子[7][8][9]、中山みさ[9]、木下伸司(FANTI)[9]、三井一正(同)[9]
カバー曲
オリジナルのカバー
- 尾崎亜美
- 竹内まりや
- 中嶋美智代
- 「ロンサム・シーズン」 - 編曲は新川博。シングル『恥ずかしい夢』、アルバム『中嶋美智代プライベート・セレクション I'll be there』に収録。
- 酒井法子
- 「恋人たちのカレンダー」 - 編曲は西脇辰弥。アルバム『あなたが満ちてゆく』、ベストアルバム『Singles 〜NORIKO BEST〜 III』に収録。
- 中川翔子
- 「くちびるNetwork」 - コンピレーションアルバム『しょこたん☆かばー4』に収録。
- さんみゅ〜
- 「ファースト・デイト」「くちびるNetwork」 - 編曲は中野定博。シングル『くちびるNetwork』、アルバム『未来地図』に収録。
- 「Love Fair」「花のイマージュ」 - 昭和アイドルアーカイブスのトリビュート企画アルバム『僕らのプレシャス』に収録。
- テンテンコ(元BiS)
- 「花のイマージュ」 - かしぶち哲郎のトリビュートアルバム『a tribute to Tetsuroh Kashibuchi -ハバロフスクを訪ねて-』に収録。
歌詞変更のカバー
- 伊能靜
- 坂本龍一
- 「Ballet Mecanique」 - オリジナルは「WONDER TRIP LOVER」。作詞は矢野顕子、翻訳はピーター・バラカン、編曲は坂本龍一。1924年製作の映画「Ballet Mécanique」から影響を受ける。アルバム『未来派野郎』『US』に収録。
- 「Ballet Mecanique - orchestrated by Dai Fujikura」 - クラシック音楽。編曲は坂本龍一。2014年、坂本が主催するコンサート「Playing the Orchestra」にて東京フィルハーモニー交響楽団と共演。指揮は藤倉大(名古屋フィルハーモニー交響楽団)。アルバム『The Best of 'Playing the Orchestra 2014'』、Blu-ray / DVD『坂本龍一「Playing the Orchestra 2014」』に収録[271]。
- 中谷美紀
- やくしまるえつこ・砂原良徳
- 「Ballet Mécanique」 - 坂本龍一バージョンのカバー。映画『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』挿入歌。配信リリース。
その他のカバー
テーマにした楽曲
- スピッツ
- 「4・8」[272] - 1988年、インディーズ時代に制作。後にタイトルを「アイドル」に変更。
- RHYMESTER
- 「LIFE GOES ON feat. Full Of Harmony」 - 歌詞の途中、1986年4月8日の出来事が綴られており、岡田のファンである宇多丸(RHYMESTER)が担当[273]。アルバム『HEAT ISLAND』に収録。
- The CONELY
出演
テレビ
音楽番組
- スター誕生!(日本テレビ)
- ヤンヤン歌うスタジオ(1983年11月22日 - 1986年3月18日〈計40回出演〉、テレビ東京)
- ザ・ヒットステージ(1984年3月15日、TBS)
- アイドルパンチ(1984年4月10日 - 1985年3月19日〈計13回〉、テレビ朝日)
- レッツGOアイドル(1984年4月25日 - 1986年3月19日〈計22回〉、テレビ東京)
- レッツゴーヤング(1984年4月30日 - 1985年12月16日〈計13回〉、NHK)
- ザ・トップテン(1984年5月14日 - 1986年3月31日〈計13回〉、日本テレビ)
- 歌謡ドッキリ大放送!!(1984年5月15日 - 1986年4月4日〈計18回〉、テレビ朝日)
- シャボン玉プレゼント(1984年5月16日 - 1986年3月14日〈計9回〉、朝日放送)
- ザ・ベストテン(1984年5月31日 - 1986年3月13日〈計16回〉、TBS)
- Do-Up歌謡テレビ(1984年10月5日・12月7日・1985年2月8日、テレビ朝日)
- 歌まね振りまね スターに挑戦!!(1985年1月15日・4月23日、日本テレビ)[275] - 歌マネスターとして出演。
- 生だ!さんまのヒットマッチ(1985年4月21日、テレビ朝日)
- 夜のヒットスタジオDELUXE(1985年5月29日 - 10月30日〈計4回〉、フジテレビ)
バラエティ番組
- おはようスタジオ(1984年4月16日 - 1985年4月22日〈計24回出演〉、テレビ東京)
- TVグラフィティ(1984年4月21日・1985年8月31日・1986年2月1日、フジテレビ)
- クイズ・ドレミファドン!(1984年5月24日 - 1986年2月6日〈計8回〉、フジテレビ)
- カックラキン大放送!!(1984年5月10日 - 1986年2月27日〈計15回〉、日本テレビ)
- クイズ・ドレミファドン!(1984年5月24日 - 1986年2月6日〈計8回〉、フジテレビ)
- モーニングサラダ(1984年7月5日・10月19日・1985年3月19日、日本テレビ)
- スーパージョッキー(1984年7月22日 - 1986年1月26日〈計9回〉、日本テレビ)
- ペアで挑戦!目方でドン(1984年7月26日、日本テレビ)
- 8時だョ!全員集合(1984年8月18日 - 1985年5月18日〈計5回〉、TBS)
- スターどっきり㊙報告(1984年10月4日・1985年7月18日、フジテレビ)
- 新春スター・かくし芸大会(1985年1月1日・1986年1月1日、フジテレビ)
- 未公開! みんなが知らない舞台裏!!(1985年3月5日) - 1985年版の舞台裏を放送。
- ぴったし カン・カン(1985年3月5日、TBS)
- EXPOスクランブル(1985年4月22日・5月20日、TBS)
- わくわく生ネットワーク・EXPOスクランブル(1985年7月22日、TBS) - リニューアル版
- 大きなお世話だ!(1985年9月11日、日本テレビ)
- ごきげん!月曜7時半(1986年2月20日、日本テレビ) - リニューアル版
- おもしろ人間ウォンテッド!!(1985年12月7日、日本テレビ)[276] - クイズの出題者として出演。歌舞伎の演目『白浪五人男』の登場人物、日本駄右衛門の台詞を即興で披露した。
- 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(1986年3月11日、TBS)
- ’86 輝け! 第6回 紅白そっくり大賞(1986年3月22日、フジテレビ) - 番組枠『金曜おもしろバラエティ』内のバラエティ番組。
テレビドラマ
- 中学生日記(1981年、NHK名古屋放送局) - 芸能界入り前、エキストラとして出演[27]。
- 『ヤンヤン歌うスタジオ』内の5分枠ドラマ(テレビ東京)
- マッチの青春叛逆児(アウトロー) PART2(1983年)
- マッチの青春スクランブル PART1 - PART2 (1984年 - 1985年)
- 『真田太平記』第17話・19話・23話・24話・28話(1985年4月3日 - 1986年3月19日、NHK総合「NHK新大型時代劇」枠) - 於菊役
- かぐや姫・とんで初体験!?(1985年7月1日、フジテレビ) - ミル役。『月曜ドラマランド』にて放送された単発ドラマ。
- 禁じられたマリコ(1985年11月5日 - 1986年1月28日〈全12話〉、TBS) - 杉浦麻里子役
ラジオ
パーソナリティ・レギュラー
- サトミ・ヒトミ・ユキコの何かいいことないか仔猫ちゃん(1983年10月16日 - 1984年3月9日〈毎週〉、毎日放送) - パーソナリティ
- サンミュージック製作のトーク番組。
- 奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ(1984年4月9日 - 1985年10月7日〈毎週〉、東海ラジオ他) - パーソナリティ
- サンミュージック製作のトーク番組。
- エド山口のまんてんワイド(1984年7月4日 - 1984年10月3日〈毎週〉、TBSラジオ) - アシスタント
- 岡田有希子 ちょっとおあずけ(1984年10月8日 - 1985年10月6日〈毎週〉、ニッポン放送) - パーソナリティ
- 夜遊びしナイト(ニッポン放送系[注釈 31]) - パーソナリティ。サンミュージック製作。
ゲスト・不定期
- メイク・ア・チャンス!とびだせポップシティ!!(1983年10月16日 - 1984年3月25日〈計15回出演〉、ニッポン放送)
- 番組枠『朝から音楽めいっぱい!!サンデーモーニングワイド』内の音楽番組。
- 百万人の英語(1984年2月9日、文化放送・ラジオたんぱ他)
- パーソナリティは早見優。
- ひるの散歩道(1984年4月26日 - 1986年3月25日〈計4回〉、NHKラジオ第1他)
- 笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(1984年7月21日・8月19日・1985年1月6日、ニッポン放送)
- 明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送(1984年9月15日 - 1985年4月20日〈計4回〉、ニッポン放送)
- ヤングタウンTOKYO(1984年12月22日 - 1986年2月1日〈計5回〉、TBSラジオ)
- 三宅裕司のヤングパラダイス(1985年1月17日・4月19日・5月2日、ニッポン放送)
CM・広告
- 日本光学工業「Nikon EM」(1981年) - 撮影は立木義浩。
- 「ニコン フレッシュギャルコンテスト」準グランプリ副賞。
- 資生堂「ekubo」(1983年)
- 『スター誕生!』のスポンサー企業。
- グリコ協同乳業「カフェゼリー」(1984年 - 1986年) - ナレーションは平光淳之助。
- 1984年版 - 使用曲は「ファースト・デイト」。
- 1985年版 - 使用曲は「小羊NOTE」「Summer Beach」。
- 1986年版 - 原泉、平光淳之助と共演。
- 江崎グリコ「セシルチョコレート」(1984年 - 1985年)
- 1984年版 - 監督は大林宣彦[277][注釈 32]。使用曲は「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」。
- 1985年版 - 使用曲は「森のフェアリー」「Love Fair」。
- 東芝(1985年) - 初代ヤングイメージキャラクター[注釈 33]。
- パーソナルコンピュータ「パソピアIQ」
- MSX規格 - 使用曲は「Believe In You」
- MSX2規格
- パーソナルテレビ「U-30」 - 使用曲は「二人だけのセレモニー」。
- Let's Chatシリーズ[注釈 34] - アニメキャラクターのパッツィダック[注釈 34]と共演。ナレーションは古谷徹。使用曲は「二人だけのセレモニー」。
- カールブラシ「しっかりくるりん」
- ヘアードライヤー「my set」[注釈 35]
- つくばEXPO'85東芝館 - 名誉館長
- パーソナルコンピュータ「パソピアIQ」
- 牛乳石鹸共進社「ラブジュ シャンプー&リンス」(1985年)
- エスエス製薬「エスタック顆粒」「ブロン液W」(1985年)
- 尾崎商事「カンコー学生服」「カンコー女子通学服」(1985年)
- 月星化成(1985年)
- ベンチャートランザム
- ベンチャーΣ - 使用曲は「Fly Up! Angel」。
- 郵政省(現・日本郵便)「電子郵便」(1985年)
- のちに「レタックス」が商品名となる。
- 旺文社「中一時代」「ハイトップ」(1986年)
広報
書籍
雑誌
- 写楽(小学館、1982年) - 芸能界入り前(前述)
- POPEYE(マガジンハウス、1983年・1984年)
- マイアイドル(小学館、1984年)
- 月刊ヤングルーキー(マクセル出版、1984年)
- 月刊歌謡曲(ブティック社、1984年)
- スコラ(スコラ、1984年・1985年)
- DELUXEマガジン(講談社、1984年・1985年)
- Beppin(英知出版、1984年・1985年)
- 月刊カメラマン(モーターマガジン社、1984年・1985年)
- 週刊少年マガジン(講談社、1984年・1985年)
- 週刊少年サンデー(小学館、1984年・1985年)
- 手芸フレンド ピチ(学習研究社、1984年・1985年)
- Olive(マガジンハウス、1984年・1985年)
- ザ・ベスト・ワン(学習研究社、1984年・1985年)
- THE SUGAR(サン出版、1984年・1985年)
- 科学と学習(学習研究社)
- 4年の学習(1984年・1985年)
- 5年の学習(1984年・1985年)
- 明星(集英社、1984年 - 1986年)
- 明星ヘアカタログ(集英社、1984年 - 1986年)
- 明星MEN'Sヘアカタログ(集英社、1985年)
- 平凡(マガジンハウス、1984年 - 1986年)
- BOMB!(学習研究社、1984年 - 1986年)
- DUNK(集英社、1984年 - 1986年)
- Momoco(学習研究社、1984年 - 1986年)
- 上級生(Momoco特別編集、学習研究社、1985年)
- 近代映画(近代映画社、1984年 - 1986年)
- Steve(近代映画特別編集、近代映画社、1984年・1985年)
- 中学時代(旺文社)
- ティーンアイドル(講談社、1985年)
- non-no(集英社、1985年)
- TALK ON(シーズ、1985年)
- DoLiVe(青人社、1985年)
- 小学五年生(小学館、1985年)
- ザテレビジョン(角川書店、1985年・1986年)
写真集
- ENDLESS SUMMER(近代映画社) - オムニバス写真集
- Part1(近代映画特別編集、1984年6月)
- Part2(近代映画ハロー、1984年9月)
- 岡田有希子special(近代映画社、1984年8月)
- ミューズブロマイド Vol.2 岡田有希子(ミューズ、1985年)
- あなたとふたりきり…(デラックス近代映画、近代映画社、1985年6月)
- もっと逢いたい…有希子(野村誠一、講談社、1985年10月) ISBN 9784061016217
- SWEET LOVE DREAM(武藤義、ARENA37℃臨時増刊、音楽専科社、1985年12月)
- 復刻版(音楽専科社、2002年12月) ISBN 9784872791204
- ヴィーナス誕生(ポニカ出版、1986年4月) ISBN 9784893530769
- 復刻版(扶桑社、2002年12月) ISBN 9784594037680
- さよなら…有希子(Cookie1986年6月号別冊、シーズ、1986年6月)
テーマにした書籍
- 実録まんが岡田有希子(白雪社〈著〉・小林利史〈絵〉、アイドル・コミックス、学習研究社、1984年4月) ISBN 9784051007072
- 瞳はヒミツ色 ―あなただけにこの想い―(ワニブックス、1985年1月) ISBN 9784847010293
- 奈美子・有希子・小緒里のドキドキブック「ドキドキ・ラジオ」NYXより愛をこめて(旺文社、1985年7月) ISBN 9784010099728
- 岡田有希子はなぜ死んだか(上之郷利昭、新森書房、1986年10月) ISBN 9784931207011
- ベスト・オブ岡田有希子(よい子の歌謡曲増刊号、よい子の歌謡曲編集部、1987年)
- 愛をください(岡田有希子〈著〉・ウルトラ企画〈編〉、朝日出版社、1988年7月) ISBN 9784255880587 - 遺稿集
- オシャレ泥棒(中森明夫、マガジンハウス、1988年7月) ISBN 9784838700219
- サクリファイス(白倉由美、弓立社、1989年11月) ISBN 9784882399230
- 1/2の少女(山崎哲、戯曲集4、思潮社、1990年6月) ISBN 9784783722960
- イイナ -Feel for Love-(S-nery Angel〈原作〉・成瀬かおり〈作画〉、あすかコミックスDX、角川書店、1998年10月) 上巻 ISBN 9784048529136、下巻 ISBN 9784048529785
- 青い秋(中森明夫、光文社、2019年10月) ISBN 9784334913151
- 四月の人魚(弓指寛治、DUSTBUNNY LLC、2026年3月) ISBN 9784991375514
評論
- 清純少女歌手の研究 ―アイドル文化論―(竹内義和、プラザ、1987年6月)
- 死よりも遠くへ(吉岡忍、新潮社、1989年6月) ISBN 9784103630029
- 菫礼礼少年主義宣言(あがた森魚、新宿書房、1990年4月) ISBN 9784880081342
- 相澤家の愛しき卒業生たち ―スターを育てて27年―(相澤てる子、近代映画社、1995年5月) ISBN 9784764817616
- アイドルという人生(オルタブックス4、メディアワークス、1997年12月) ISBN 9784073078272
- 人気づくりの法則(相澤秀禎、東洋経済新報社、1998年4月) ISBN 9784492553091
- レコード・コレクターズ増刊 遺作 ―ミュージシャンの死とラスト・アルバム―(ミュージック・マガジン社、1998年1月)
- 夭折の系譜 ―20人のアーチストの死から考える―(アートブックの森、2001年9月) ISBN 9784876937738
- 100万人のアイドルポップス ―青春復刻! ときめきアイドルポップス150―(別冊宝島690、宝島社、2002年9月) ISBN 9784796629195
- 歌謡曲という快楽 ―雑誌『よい子の歌謡曲』とその時代―(宝泉薫〈編〉・ファッシネイション〈編〉、オフサイド・ブックス、彩流社、2002年11月) ISBN 9784882026235
- 「おたく」の精神史 ―1980年代論―(大塚英志、講談社現代新書、講談社、2004年2月)
- 音楽誌が書かないJポップ批評 ―尾崎豊特集号―(別冊宝島1009、宝島社、2004年4月) ISBN 9784796640688
- 蘇る! 夭折のスター達(セントラルSOG、2005年)
- 昭和・平成日本「怪死」事件史 ―“疑惑の死”から見える日本の「闇」と「タブー」―(別冊宝島1324、宝島社、2006年6月) ISBN 9784796653558
- 疑惑の最期! 非業のカリスマ列伝(竹書房、2006年1月) ISBN 9784812463246
- 劇画 死の真相(ミリオン出版、2007年5月) ISBN 9784813050612
- 人生に拍手を!(相澤秀禎、講談社、2007年11月) ISBN 9784062143721
- アイドルと病(前田忠明、メディアファクトリー新書、メディアファクトリー、2010年6月) ISBN 9784840134385
- 「誰にも書けない」アイドル論(クリス松村、小学館新書213、小学館、2014年8月) ISBN 9784098252138
- 闇に葬られた「怪死」の真相(別冊宝島編集部〈編〉、宝島社、2016年4月) ISBN 9784800254795
- Japanese City Pop 100, selected by Night Tempo(Night Tempo、303BOOKS、2022年2月) ISBN 9784909926111
- スターの臨終(小泉信一、新潮新書1075、新潮社、2025年1月) ISBN 9784106110757
- 時代を超える昭和アイドル・ヒット 80年代編 サブスク・チャートと当事者秘話で新発見(臼井孝、シンコーミュージック、2026年3月) ISBN 9784401657100
受賞
- 第3回メガロポリス歌謡祭(1984年7月) - 最優秀新人ダイアモンド賞(吉川晃司と同時受賞)
- 第10回日本テレビ音楽祭(1984年9月) - 最優秀新人賞(吉川晃司と同時受賞)
- ABCヤング歌謡大賞'84 新人グランプリ(1984年9月) - グランプリ
- 第14回銀座音楽祭(1984年10月) - グランプリ
- 第17回新宿音楽祭(1984年10月) - 金賞(吉川晃司と同時受賞)
- 第11回横浜音楽祭(1984年10月) - 新人特別賞
- 第10回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭(1984年10月) - 最優秀新人賞(吉川晃司と同時受賞)
- 第15回日本歌謡大賞(1984年11月) - 優秀放送音楽新人賞(吉川晃司と同時受賞)
- 第17回日本有線大賞(1984年12月) - 新人賞[279]
- 全日本有線放送大賞(1984年12月) - 新人賞
- 第11回FNS歌謡祭(1984年12月) - 最優秀新人賞
- FM東京リスナーズグランプリ(1984年12月) - 5月期月間グランプリ
- 第26回日本レコード大賞(1984年12月) - 最優秀新人賞
- 第22回ゴールデン・アロー賞(1985年2月) - 音楽新人賞
- 第11回日本テレビ音楽祭(1985年8月) - 金の鳩賞
- 第11回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭(1985年10月) - 金賞
- 第12回FNS歌謡祭(1985年12月) - 優秀歌唱音楽賞
脚注
注釈
- 1 2 「晴」は目偏に青[46]。
- ↑ 模写 ルノワール『ロメーヌ・ラコー嬢の肖像[26]』『ピアノに寄る少女たち[27]』、ジャン・オノレ・フラゴナール『読書する娘(未完成)[28]』、ダ・ヴィンチ『モナ・リザ[29]』、他。
- ↑ その時期について、新書『アイドルコミックス・実録まんが岡田有希子』(1984年、学研)では「小学5年生」、グラビア雑誌『BOMB!』1984年6月号では「小学6年生」と語っている。
- ↑ 『スター誕生!』第46回決戦大会は、病気などの理由でいままで出演できなかった、地区予選合格者のための臨時大会として行われた。そのため、1983年1月から始まった7週勝ち抜き制ではなく、出場を断念した1982年12月当時に行われていた「合否判定」方式で結果が決められた[43]。
- ↑ 研音には『スター誕生!』出身で岡田が歌唱した中森明菜が在籍していた。VAPは菊池桃子と契約しており、菊池は岡田と同日に歌手デビューした。
- ↑ 堀越高校同級生 桑田靖子、いしのようこ、岡村有希子、河上幸恵、菊地陽子、本田美奈子.、倉沢淳美、岡田有希子、柴田くに子、高部知子、森奈みはる、田中久美、長沢ゆりか、長山洋子、松尾久美子、松本友里、南野陽子、宮崎萬純、片岡孝太郎、永瀬正敏(再入学)[55]
- ↑ 雑誌『POPEYE』No.161(1983年10月25日号、マガジンハウス)の紙面で「期待の新人」として紹介され、それを見た東京大学の学生がサンミュージックに出演依頼をしたことによる[57]。
- ↑ 渡辺有三と竹内まりやは慶応義塾大学出身[61]。
- ↑ 「竹内まりやが曲の制作依頼を断り、岡田が竹内に直談判したところ制作を快諾した」という話があるが[62]、岡田はこの件について音楽雑誌『よい子の歌謡曲』(よい子の歌謡曲編集部)のインタビューで、「最初から断られてもいないし、普通に頼んで作ってもらった。曲は、会う前に作ってくれた」と答えている[63]。また、キャニオンレコードのレコーディングディレクターだった国吉美織(旧姓:飯島)も、後年のインタビューでこの話を否定している[60]。
- ↑ 提供曲 学園恋愛三部作「ファースト・デイト」「リトル プリンセス」「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」 ティーンエイジ・ラブ「気まぐれTeenage Love」「さよなら・夏休み」「憧れ」
- ↑ 一番初めにレコーディングされたのは「小羊NOTE」(作詞:康珍化、作曲:山川恵津子、編曲:大村雅朗)である[68]。
- ↑ ファン交流会『集まれYukikoフレンズ』開催地 名古屋、大阪、仙台、札幌、福岡、広島、東京
- ↑ 菊池桃子のランキングは21位[63][76]。
- ↑ 運行された特別列車は京王6000系6711編成。ヘッドマークは京王資料館に保管されており、通常は一般非公開。
- ↑ 新人賞受賞者(1984年) 岡田有希子、吉川晃司、菊池桃子、荻野目洋子、SALLY、田中久美、長山洋子、神野美伽、一世風靡セピア、渡辺桂子、辻沢杏子、山本ゆかり、小椋幸子、清水宏次朗、青木美保、君津旭、岸浩太郎、出本浩、山本陽一、椎菜、若山かずさ、芦屋雁之助、三門忠司、斎藤誠、滝里美、麗美、播束和彦、松本友里、鮎川麻弥、中村あゆみ、池田幸司[79]
- ↑ SALLYと一世風靡セピアは『日本レコード大賞』新人賞と『日本有線大賞』新人賞を受賞。菊池桃子は『日本レコード大賞』新人賞を受賞。三者はその他の音楽賞にもノミネートされていたが、全て辞退した[79]。
- ↑ 2月9日は仙台で8時から21時まで13時間[80]。14日は東京で10時から22時まで12時間[81]。2月15日は9時から23時まで14時間[82]。
- ↑ コンサート『ハートにキッス』開催地 札幌、苫小牧、仙台、秋田、芝、名古屋、大阪、福岡、大宮、京都、郡山、沼津、磐田
- ↑ 撮影地 カペル橋(ルツェルン)、インターラーケン城(インターラーケン)、シヨン城(モントルー)、ノートルダム大聖堂(ローザンヌ)、他。
- ↑ コンサート『ファンタジアン』開催地 新宮、紀伊田辺、名古屋、鹿児島、熊本、都城、福岡、金沢、大阪、秋田、遠野、水戸、新宿、徳島、松山、広島。(追加公演)芝、伊勢崎、甲府、小倉、防府、千葉、東村山。
- ↑ 握手会イベント『くちびる・ときめきネットワーク』開催地 東京、大阪、札幌、名古屋、福岡
- ↑ コンサート『Heart Jack』開催予定地 東京、名古屋、豊橋、鶴岡、大阪
- 1 2 3 浄土真宗では他力本願が考えの基本であり、「阿弥陀如来を信じ念仏を唱えれば、亡くなり方に関係なくすぐに成仏され、極楽浄土にて生まれ変わる」(往生即成仏)とされている。成仏を祈るための供養が必要ないため、法要は故人への感謝を表す場として行われる[110]。
- ↑ 岡田の没後に結成されたファン有志により「佳桜忌」(けいおうき)と呼ばれるようになった[112][113]。
- ↑ これが岡田の生涯最後のテレビ出演だった。
- ↑ 写真集『ヴィーナス誕生』は、2002年に扶桑社から復刻版として発売された。
- ↑ ラジオ番組で共演した青木小織里をモデルとした作品。完成済みの作品はムック『Cookie1986年6月号別冊「さよなら…有希子」』(シーズ)に収録された。
- ↑ 前号で荻野目洋子の特集が予告されていたが、内容が差し替えられた。
- ↑ 『週刊現代』2013年6月29日号「悲劇のアイドル岡田有希子を語ろう」によれば、2013年5月時点でもベスト10入りしていた。
- ↑ 「Fly Up! Angel」「Believe In You (2003 Strings Version)」「Believe In You (2003 Present-Mix Version)」は含まれていない。
- ↑ ただし、番組の収録はニッポン放送本社ではなく、東海ラジオ放送東京支社内のスタジオで行っていた。また本番組の局を「文化放送」とする文献資料があるが誤記。文化放送でレギュラー番組を持ったことは一度もない。
- ↑ 大林は1983年の映画『アイコ十六歳』で総監修を務めており、岡田はそのオーディションに参加していた。
- ↑ 2代目は西村知美。
- 1 2 1981年にソニー・クリエイティブプロダクツ(S.C.P.)が製作した、「アヒルのパッツィダック」「ペンギンのペンジャミン」を主人公としたアニメシリーズ。同社が著作権を所有する[278]。
- ↑ その他に、アイロンとレディシェーバーもキャラクター商品化されていた。
出典
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参考文献
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- 梁瀬敦 編『日本のタブー―芸能人・有名人が過去に起こした犯罪&事件』ミリオン出版〈ミリオンムック67〉、2012年9月10日。ISBN 9784813066675。
関連項目
外部リンク
- 岡田有希子ポニーキャニオン公式チャンネル - YouTubeチャンネル
- 岡田有希子 最新リリース情報 - ポニーキャニオン公式
- 岡田有希子 | ポニーキャニオン - ウェイバックマシン(2020年9月27日アーカイブ分)
- 岡田有希子のリトルランド - ミニコミ誌(サンミュージックおよびキャニオンレコード公認、バックナンバー)
- ドットーレ山口のドキドキラジオ'84 - YouTubeチャンネル(東海ラジオ製作のトリビュート番組、2016年4月 - 2019年9月放送分)
- 『岡田有希子』 - コトバンク