日本製鋼所

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株式会社日本製鋼所
THE JAPAN STEEL WORKS, LTD.
本社(右側:ゲートシティ大崎ウエストタワー)
種類 株式会社
市場情報
名証1部 5631
2017年3月11日上場廃止
福証 5631
2014年5月2日上場廃止
札証 5631
2014年5月2日上場廃止
略称 日本製鋼、日鋼、JSW、アーム
本社所在地 日本の旗 日本
〒141-0032
東京都品川区大崎1丁目11番1号
ゲートシティ大崎ウエストタワー
設立 1950年(昭和25年)12月11日
(創業:1907年(明治40年)11月1日)
業種 機械
法人番号 5010701019531 ウィキデータを編集
事業内容 機械、鉄鋼、産業機械、電力機器、化学プラント、防衛機器
代表者 代表取締役社長 松尾敏夫
代表取締役副社長 出口淳一郎
資本金 197億37百万円
発行済株式総数 7433万2356株
売上高 連結:2525億01百万円
(2024年3月期)
営業利益 連結:180億14百万円
(2024年3月期)
純利益 連結:142億78百万円
(2024年3月期)
純資産 連結:1786億13百万円
(2024年3月時点)
総資産 連結:3667億75百万円
(2024年3月時点)
従業員数 単体1767名
連結5329名
(2022年3月時点)
決算期 3月31日
主要株主 主要株主の項を参照
主要子会社 関連会社の項を参照
関係する人物 伊藤博文
松方正義
井上角五郎
山内万寿治
團琢磨
東泉豊(元副社長)
外部リンク www.jsw.co.jp/en/index.html ウィキデータを編集
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株式会社日本製鋼所(にほんせいこうしょ、The Japan Steel Works, Ltd.)は、鋼板、鍛造品、鋳造品、プラスチックの射出成形機、鉄道車両向け製品、戦車や艦艇などの砲を製造する日本の株式会社である[注 2]。

三井グループに属する。略称は日鋼(にっこう)、あるいは英語表記の頭文字をとってJSWと記される。日経平均株価の構成銘柄の一つ[1]。

概要

旧株式会社日本製鋼所は、1907年(明治40年)、英国の技術を導入して国産の兵器を製造する会社として、北海道炭礦汽船株式会社、英国アームストロング・ホイットワース会社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)、英国ヴィッカース会社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)の出資によって北海道室蘭市に設立された。これは、製鋼事業としては安来製鋼所に次ぐ画期的な出来事であった。太平洋戦争の敗戦に伴い、企業再建整備法により後の1950年(昭和25年)に解散した。

解散された旧会社の資産と人材をもとに新たに設立された株式会社日本製鋼所は、兵器の製造で培った鍛造技術、鋳造技術を活用し、発電所、化学プラントに用いられる特殊な鍛造品、鋳造品、プラスチック・マグネシウムの射出成形機や各種の産業機器を製造している。また、戦車や艦艇の火砲や発射システムなどの防衛機器の製造も続けている。

首都高速道路公団からの依頼を受け、首都高速道路江戸橋ジャンクションの曲線道路橋桁の鋳造に関わったことでも知られている[2]。

製作所として、発電用蒸気タービンや原子力用部材、化学プラントに用いられる鉄鋼製品やブレードやタワーなど風力発電用風車を生産する室蘭、プラスチック・マグネシウムの射出成形機、戦車や艦艇の火砲などを生産する広島、レーザーアニール装置など電子機器用装置を生産する横浜がある。かつては産業用機械を生産する東京、鹿島工場のほか、軍需用機器を製造・補修していた宇都宮(後のシンガー日鋼)、赤羽作業所、および輪西工場(現・日本製鉄室蘭製鉄所)があった。

従来、本社機能は東京都千代田区有楽町、日比谷三井ビルディングと東京都府中市日鋼町1番地1号の旧自社ビル(日本製鋼所東京製作所跡地、2004年(平成16年)に売却)に分かれていたが、2007年(平成19年)8月14日、東京都品川区のゲートシティ大崎ウエストタワーに移転した。

設立経緯

日本製鋼所の設立経緯について、特筆しておくべきこととして帝国海軍(以下、海軍)との関係や、初の外国資本導入(ここでは英国)が挙げられる。

当時代議士でもあった、北海道炭礦汽船の専務取締役の井上角五郎は、かねてより製鉄業こそが近代化の根幹であると考えており、鉄道国有化による売却益を利用して、北海道の地に製鉄事業に進出することを計画して、伊藤博文、松方正義ら元老に働きかけた(日本製鋼所室蘭製作所の迎賓館である瑞泉閣には、伊藤博文の「日本製鋼所」という揮毫が残っている)。

一方、海軍においても日露戦争の経験から兵器国産化を目指していたが、そのためには先進国から技術を導入する必要があった。そこで、この計画に乗る形で呉鎮守府の山内万寿治中将を参画させる(現役将官が民間企業の顧問となるのは極めて異例である)ことで、兵器国産化を目的とした、製鋼事業を起業することが急速に具体化していった。当初、井上は追分で産出された石炭から作ったコークスと、倶知安などで産出した鉄鉱石を用いて高炉製鉄とそれに付随して製鋼を行うことを企図していたが、海軍側の説得により製鋼と兵器製造を中心とすることになっていった。井上の念願であった製鉄事業については、1909年(明治42年)に北海道炭礦汽船輪西製鐵場を開設して、現在の日本製鉄室蘭製鉄所へとつながっていく。

先進国からの技術導入であるが、当時の海軍は英国のアームストロング・ウイットウォース會社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)から軍艦や兵器を多く買い付けていた。山内はこれを北炭に紹介するとともに、日英合弁事業とすることを勧めたとされる[3]。そこに英国ビッカース會社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)が参加して、日本製鋼所を室蘭に設立することが決まった。

なぜ室蘭に日本製鋼所が設立されたかについてであるが、もともと、室蘭には海軍の鎮守府の設置が内定しており、軍港として指定されていたが、地勢的に太平洋側からの攻撃に対して防御が困難であるという理由により、1903年(明治36年)に鎮守府の設置は見送られたという経緯がある(大湊警備府を参照)。そこで、使われていなかった室蘭港を使用することとしたのである。

また海軍のみならず陸軍とも深い関係をもっており、日本軍最大級の試製四十一糎榴弾砲の砲身製造などを手がけている。

沿革

英語表記

日本製鋼所の英語表記はThe Japan Steel Works, Ltd.であり、設立当初から用いられてきた。このため、1970年(昭和45年)の新日本製鐵(現・日本製鉄)設立の際、新日鐵は英語名にJapan Steelを用いることができず、やむなくNippon Steel Corporationにしたという経緯がある。なお、旧日本製鐵株式會社の英語表記はJapan Iron & Steel Co., Ltd.であり、日本製鋼所と混同しない。

株式業界での符丁

他の「日本セイコウ」という会社名(日本精工、日本精鉱)との混同を防ぐため、日本製鋼所株は株式市場関係者によって「アーム」という符牒で呼ばれることがある。これはもちろん、上記アームストロング社との資本関係に由来する。

主要株主

氏名又は名称所有株式数持株比率
日本マスタートラスト信託銀行株式会社19,714千株5.31%
日本カストディ銀行株式会社15,924千株4.29%
大樹生命保険株式会社(常任代理人:日本カストディ銀行株式会社)14,138千株3.81%
株式会社三井住友銀行12,550千株3.38%
三井住友海上火災保険株式会社8,824千株2.38%  
ジユニパー(常任代理人:株式会社三菱東京UFJ銀行)8,300千株2.23%
三井住友信託銀行株式会社(常任代理人:日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社)8,152千株2.19% 
NORTHERN TRUST CO.(AVFC)RE-HSD00(常任代理人:香港上海銀行東京支店)6,981千株1.88% 
シービーニューヨーク オービス エスアイシーアーヴィー (常任代理人:シティバンク銀行株式会社)6,736千株1.81%
日本製鉄株式会社6,530千株1.76%

関連会社

ほか各社。

かつては、

という会社も存在した。これらはそれぞれ米国シンガー社との合弁会社とその子会社である。

また、

  • 日鋼機械センター
  • 日鋼検査サービス

という会社もかつて室蘭製作所内に存在していたが、2020年4月1日をもって日鋼MECを存続会社として吸収合併されて消滅し、日本製鋼所M&Eとなった。

人材育成

  • 優秀な社員を兵庫県尼崎市の産業技術短期大学(1962年一般社団法人日本鉄鋼連盟が設立)に派遣して、人材育成を行っている。具体的には、「製造現場における知識創造と人材の多機能育成政策・綿密な能力開発策のひとつとして、企業内選抜を経て中堅技術者への昇進に結びつく産業技術短期大学への派遣を行う政策の実行」であり、このような人材育成形態(教育訓練形態)を「オフ・ザ・ジョブ・トレーニング・OFF-JT」という。
  • 室蘭製作所(現・日本製鋼所M&E)では日本刀の鍛刀技術継承を目的として『瑞泉鍛刀所』を設置し、刀工を社員として抱えている[8][9]。

CM出演者

脚注

注釈

  1. ↑ このほかに110号艦(信濃)用に7門製造済み。
  2. ↑ かつて戦艦大和の主砲の砲身を製造したと言われることもあるが、これは誤り。大和型戦艦の主砲46センチ砲は全18門が呉海軍工廠で製造された。御田重宝『戦艦「大和」の建造』講談社文庫。[注 1]

出典

  1. ↑ “構成銘柄一覧 日経平均株価”. 日経平均プロフィル. 2025年1月6日閲覧。
  2. ↑ オリンピックをつくった男 首都高建設に挑んだ男たち 『奇跡体験!アンビリバボー』フジテレビジョン(2017年1月4日放送)
  3. ↑ 日本製鋼所百年史、(株式会社日本製鋼所、2008年)
  4. ↑ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、78頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
  5. ↑ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、372頁。ISBN 4-00-022512-X。
  6. ↑ 当社一部事業の撤退に関するお知らせ (2019-04-24) (PDF)
  7. ↑ “名機製作所について”. 株式会社日本製鋼所. 2021年11月16日閲覧。
  8. ↑ 日本刀の鍛刀技術を継承する日本製鋼所 - 三井広報委員会
  9. ↑ 瑞泉鍛刀所 室蘭ものづくり

参考文献

  • 『日本製鋼所社史資料 創業より50年間の歩み』(日本製鋼所、1968年)
  • 『日本製鋼所社史資料 続巻』(日本製鋼所、1978年)
  • 『メイド・イン・ジャパン-日本製造業変革への指針-』(ダイヤモンド社、1994年)
  • 奈倉文二『兵器鉄鋼会社の日英関係史 日本製鋼所と英国側株主 1907~52』(日本経済評論社、1998年) ISBN 4818809705
  • 『産業技術短期大学大学案内2011』(産業技術短期大学、2010年)
  • 『産業技術短期大学五十年のあゆみ』(学校法人鉄鋼学園 産業技術短期大学、2012.4.25)

ほか

関連項目

外部リンク