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江の島
所在地 日本の旗 日本 神奈川県藤沢市
所在海域 太平洋 相模湾
座標 北緯35度18分0秒 東経139度28分50秒 / 北緯35.30000度 東経139.48056度 / 35.30000; 139.48056座標: 北緯35度18分0秒 東経139度28分50秒 / 北緯35.30000度 東経139.48056度 / 35.30000; 139.48056
面積 0.41 km²
海岸線長 4 km
最高標高 60.4 m
江の島の位置(神奈川県内)
江の島
江の島
江の島 (神奈川県)
江の島の位置(日本内)
江の島
江の島
江の島 (日本)
 プロジェクト 地形
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江の島
町丁
北緯35度17分58秒 東経139度28分51秒 / 北緯35.299331度 東経139.480908度 / 35.299331; 139.480908
国 日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川
市町村 藤沢市
地区 片瀬地区
人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1])
 人口 292 人
 世帯数 136 世帯
面積([2])
  0.418835962 km²
人口密度 697.17 人/km²
郵便番号 251-0036[3]
市外局番 0466(藤沢MA)[4]
ナンバープレート 湘南
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神奈川県の旗 ウィキポータル 神奈川県
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江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある陸繋島であり、また同島全体を指した町名。片瀬地区(旧片瀬町地域)に属する。江の島一丁目および江の島二丁目があり全域で住居表示が実施されている[5]。郵便番号は251-0036(藤沢郵便局管区)[3]。湘南エリアを代表する観光地である。

地理

全島の航空写真。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成2009年5月現在、砂嘴は写真よりもやや右(東)に移動している。
三浦半島から、江の島と相模湾と富士山

湘南海岸の最東端、三浦半島の北限に位置し、相模湾へと突き出ている。古くからの景勝地であり、神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地である。交通機関の駅名などでは江ノ島と表記することも多いが、町名や公文書等では「江の島」と表記する。古くは江島神社(日本三大弁天の一つ)に代表されるように「江島」と表記されていたこともある。また、陸繋島部分のみならず、対岸の片瀬・鵠沼地区南部を含む一帯の地名として認識されることが多い。

後述の通り、江の島は日本の海洋生物学の歴史において重要な地域である。魚介類や鳥類などは現在でも豊富に生息しており、イルカやウミガメなどが周辺に現れたり、極めて稀にだがクジラが沖に見られることもある(#江の島の動物の話題も参照)。

地質・地形

周囲4km、標高60mほどの陸繋島である。三浦丘陵や多摩丘陵と同様に第三紀層の凝灰砂岩の上に関東ローム層が乗る地質である。

古来は引き潮の時のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた(タイダル・アイランド)が、関東地震で島全体が隆起して以降はほぼ地続きである。対岸の片瀬川河口付近の形状が時代とともに変遷し、満潮のときのみ冠水した時期、常時陸続きとなった時期とあり、砂嘴の位置も移動している(2009年(平成21年)5月時点では砂嘴の位置は江の島側で2000年代初頭よりもやや東に移動しており、満潮時には冠水する)。

島の周囲は切り立った海蝕崖に囲まれ、ことに波浪の力を強く受ける島の南部の下部には海食台(波食台)が発達する。1923年(大正12年)の関東地震の隆起で海面上に海食台が姿を現し、隆起海食台(岩棚)となった。ここは観光客の休憩や磯遊び、磯釣りの場を提供する。海蝕崖の下部には断層線などの弱線に沿って波浪による侵食が進み、海蝕洞が見られる場所があり、「岩屋」と呼ばれている。さらに侵食が著しくなると、海蝕洞が崩壊し、大きな谷状の地形となる。江の島の中央部には南北から侵食が進んで島を分断するような地形があり、「山二つ」と呼ばれている。これより東部を「東山」、西部を「西山」と呼ぶ。東山の北東部には北西 - 南東方向の平行する3本の断層と、それに直交する断層が想定され、地形・地質を複雑にしている。

気候・植生

島の上部は照葉樹林と呼ばれる常緑広葉樹林に覆われている。この森林は1988年(昭和63年)、かながわの美林50選に選定されている。主要樹種はスダジイ、タブノキ、クスノキ、ヤブツバキ、ヤツデ、アオキなど。林床にはツワブキなどの他、多種類のシダ類が見られる。

江の島には1979年(昭和54年) - 1991年(平成3年)の間、アメダスの観測点が置かれ、当時の記録によると藤沢市内陸部に比べて気温は約1℃ほど高く、これは周囲の海面温度の影響を受けるためである。海洋性気候と呼ばれる気温の較差が小さく、相対的に降水量の多い気候特性を持つ。卓越風の風向は南南西で、風の通り道になる「山二つ」では、植物の風衝扁形が著しい。海蝕崖が多い島の下部は植生が乏しい。潮風を常に受けるため、耐塩性・耐乾性の高いイソギク、ハチジョウススキ、ラセイタソウなど限られた種がみられる。東部埋め立て地の人工植栽にも、トベラ、シャリンバイなどの耐塩性の高い樹種が選ばれている。温暖な気候を利用して開かれたコッキングの植物園や、その跡地を利用した江の島植物園に植栽された熱帯・亜熱帯産の外来植物の中には、江の島の風土に根付き、成長・繁茂している例も多い。そのうち4種は藤沢市の天然記念物に指定されている。

修行の島から参詣地へ

四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形や海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。奈良時代には役小角が、平安時代には空海・円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。寿永元年(1182年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。弁才天は水の神という性格を有し、歌舞音曲の守護神とされたため、歌舞伎役者や音楽家なども数多く参拝した。ことに音曲に関連する職業に多い視覚障害者の参拝も見られ、中でも関東総検校となる杉山和一の存在は特筆すべきである。参拝者のための宿坊も門前に軒を連ね、関東一円に出開帳を行うなどの活動も見られた。宿坊の中でも岩本院(江嶋寺=こうとうじとも呼ばれた)は有名で、現在の旅館「岩本楼」の前身にあたる。

近代博物学または海洋生物学発祥の地

モースによる江の島の街並み
モースによる江の島の漁師の家

安政5年(1858年)の日米修好通商条約から1899年(明治32年)の日英通商航海条約発効までの間、横浜の外国人居留地に住む人々は、行動範囲を居留地から10里以内に制限されていた。その制限範囲内にあり、風光明媚で宿泊施設が整っていた江の島には、明治初期以来多くの外国人が訪れるようになった。東京大学の初代動物学教授エドワード・S・モースは1877年(明治10年)7月から8月まで、シャミセンガイ研究のために江の島に日本最初の臨海実験所を開いた。アイルランド人貿易商サムエル・コッキングは、東山頂上部にあった与願寺の菜園を買い取り、別荘と庭園の造営を開始した。多くの熱帯植物を収集栽培し、本格的なボイラーを持つ大型温室やオオオニバスの栽培池を持つという画期的な熱帯植物園が完成したのは1885年(明治18年)のことであった。ただし、温室の完成は1888年(明治21年)以降と推察される[6][注釈 1]。 このように、文明開化の時代に江の島が近代博物学発祥地の一つとなった。1985年(昭和60年)4月14日、北緑地に「日本近代動物学発祥の地記念碑」が建てられ、2002年(平成14年)の江の島植物園リニューアル工事の際にコッキングの温室跡が再発見され、新しくオープンした公園は「江の島サムエル・コッキング苑」と名付けられた。

景勝観光地へ

葛飾北斎『富嶽三十六景』より相州江の島
歌川広重『相州江の島 弁才天開帳詣 本宮岩屋の図』。関東大震災以前の姿。画面左では“稚児ヶ淵”に子どもが飛び込んでいる。

落語の大山詣りに見られるように、江戸時代後期には江戸庶民の行楽地として大山 - 江の島 - 鎌倉 - 金沢八景を結ぶ観光ルートが流行した。立て前は寺社参拝だが、景勝地や古蹟を訪ね、名物料理を味わい、名産を土産とするという側面が強くなってくる。江の島の風光は多くの浮世絵に描かれ、歌舞伎の舞台となるなど、広く知られるようになる。明治維新の廃仏毀釈により、与願寺は宗像三女神を祀る江島神社となり、宿坊は一般旅館へと転業した。1887年(明治20年)の鉄道開通、さらに1902年(明治35年)の江之島電氣鐵道の開通は江の島に多くの観光客を運ぶことになり、鎌倉まで全通すると、江の島、鎌倉を結ぶ観光ルートが確立し、修学旅行などで賑わうようになった。大正時代には新たな神社として児玉神社が祀られた。1923年(大正12年)9月1日 - 大正関東地震により島全体が2メートル近く隆起し、海蝕台が海面上に現れる。東岸の津波被害は著しく、島内のほとんどの建物は倒壊した。江の島桟橋は津波で流失する。震災の復興が進む中、1929年(昭和4年)には小田急江ノ島線が開通し、観光地発展のきっかけを与えた。神奈川県は湘南海岸一帯の国際観光地開発を目論み、湘南遊歩道路(現・国道134号)の敷設をはじめ、インフラ整備が進められた。江の島では1934年(昭和9年)4月、海底透視船が営業開始するなど、新しい魅力が加わった。

戦後、1947年(昭和22年)4月1日、江の島を含む鎌倉郡片瀬町は藤沢市に編入され、藤沢市と江ノ島鎌倉観光による江の島の観光地開発が本格化する。木造の江の島桟橋はコンクリート橋脚(橋桁は木製)の「江の島弁天橋」となり、「江の島植物園」「平和塔」の建設が続いた。1959年(昭和34年)3月5日、藤沢市は米国マイアミビーチ市と姉妹都市提携を結び、「東洋のマイアミビーチ」という触れ込みで江の島・片瀬・鵠沼地区の観光開発に力を入れる。この年、江ノ島鎌倉観光は日本初の野外エスカレータ「江の島エスカー」を建設した。

1964年(昭和39年)の第18回東京オリンピックでヨット競技会場になった頃が観光客数のピークで、以後は漸減する。1971年(昭和46年)3月7日、岩屋で落石事故が起こり、立ち入り禁止となったことも江の島の魅力を失わせることとなった。そこで1986年(昭和61年)、「江の島地区整備計画検討会議」が発足し、観光地江の島の再生が図られた。神奈川県は1985年(昭和60年)に「湘南なぎさプラン」を策定、さらに1990年(平成2年)、イベント「サーフ'90」を開催し、相模湾岸各自治体の連携と県の指導による相模湾岸地域の活性化が図られた。22年にわたり閉鎖した岩屋は、調査・整備の後、1993年(平成5年)に有料観光施設として再開された。その一環として藤沢市による江の島植物園のリニューアル工事が行われたのである。江の島サムエル・コッキング苑のオープン1年後に発表された年間入場者数は、旧江の島植物園時代の20万人弱から50万人を超えるまでになった。

2021年に1964年東京オリンピックのレガシーを活かす形で、2020年東京オリンピック・パラリンピックのセーリングの会場となったが、コロナ禍で無観客ということもあり、一般客には会場であることを知らない者も多く、人出も少なかった。

マリンスポーツの拠点

江の島ヨットハーバー

江の島周囲の隆起海蝕台は、磯釣りや潜水(ダイビング)のポイントとして知られ、漁師の中には釣り客のために釣船を仕立てたり、舟宿を営む者もいた。1964年(昭和39年)の第18回東京オリンピック時にはヨット競技会場に選ばれた。この指定を受けて島の東部を大幅に埋め立て、ヨットハーバー・湘南港建設のために1962年(昭和37年)、神奈川県道305号江の島線自動車専用橋「江の島大橋」が開通し、「江の島弁天橋」の通行料が無料となった。この埋立により江の島の陸地面積は1.5倍ほどに拡大した。こうして完成した江の島ヨットハーバーは、1000隻以上のヨットを収容できる日本トップクラスのハーバーとして活用されている。東京オリンピックを皮切りに国際大会もしばしば開催され、1998年(平成10年)には第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)のヨット競技会場となった。プレジャーボートの管理や小型船舶操縦士の講習施設もあり、江の島漁港には釣船の発着場もある。

江の島の住民

江の島の人口は、江戸時代から明治、大正にかけて600から700人台に漸増した。昭和に入って急増し、1,000人を突破する。ピークは1955年(昭和30年)の1372人で、東京オリンピック以後は急減する。人口は、2014年3月時点で江の島一丁目が252人、江の島二丁目が110人、島全体で362人である[11]。年齢別人口構成は一丁目、二丁目で顕著な差はなく、0-14歳が8%、15-64歳が53%、65歳以上が39%程度である[12]。第一次産業人口として水産業従事者も若干居住する。伝統的な漁法としては、イセエビの「磯だて網」漁業を中心に、磯場での「テングサ潜り」、「見突き・ツキンボ」、サザエ・アワビの潜り漁業などの沿岸漁業で、漁獲物は古くから島内の宿坊、旅館、飲食店の食膳に上ったり、土産物として販売された。戦前から戦後しばらくは、相模湾から大島沖に5月から9月の間、回遊してくるカツオを追う一本釣りも行われていた。東岸の埋立が行われ、江の島漁港が整備されてから新しい漁法も加わった。江の島沖合の大型定置網漁業や、9月から3月にかけてワカメ養殖も行われている。また、12月から4月にかけてはシラスウナギ漁も盛んである。

歴史

江の島岩屋

沿革

高橋由一による江の島図。1876年から77年の間。
日下部金兵衛による写真。1890年代。

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各字名ともその一部)
江の島一丁目 1966年10月1日 大字江之島字西町、字須田町、字東町(全域)
江の島二丁目 大字江之島字西町、字須田町

「江の島」「江ノ島」の表記には揺れがあるが、1966年(昭和41年)10月1日に藤沢市が行った住居表示の施行[19](この前後に行われた住居表示実施で、藤沢市内の地名表記における片仮名は全て平仮名に統一された)により、正式な地名としているのは「江の島」である。江ノ島電鉄や小田急江ノ島線の駅名はそれぞれ「江ノ島駅」「片瀬江ノ島駅」であるが、湘南モノレールの駅名は「湘南江の島駅」である。一方、神社名は江島神社で「えのしまじんじゃ」と読ませる。

古い文献などでは、「江島」「江乃島」「江之島」「柄島」「絵島」「画島」「榎島」「荏島」など、さまざまな表記が見られる。

江の島または江ノ島の呼称は、単に陸繋島江の島(町名としての江の島一丁目および二丁目)だけでなく、対岸の片瀬海岸一丁目から三丁目および鵠沼海岸一丁目および二丁目を含む一帯の上記駅名をはじめ、組織名、企業名、行事名などに広く用いられ、観光地江の島はこの一帯を含んで認識されている。

指定文化財・名数など

重要文化財(国指定)

登録有形文化財

県指定史跡および名勝

県指定文化財

市指定文化財

市指定天然記念物

名数

江の島の名のついた生物

世帯数と人口

2023年(令和5年)9月1日現在(藤沢市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。

丁目世帯数人口
江の島一丁目 86世帯 205人
江の島二丁目 50世帯 87人
計 136世帯 292人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
年 人口
1995年(平成7年)[21]
544
2000年(平成12年)[22]
455
2005年(平成17年)[23]
441
2010年(平成22年)[24]
390
2015年(平成27年)[25]
368
2020年(令和2年)[26]
312

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
年 世帯数
1995年(平成7年)[21]
187
2000年(平成12年)[22]
182
2005年(平成17年)[23]
183
2010年(平成22年)[24]
161
2015年(平成27年)[25]
157
2020年(令和2年)[26]
143

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2015年6月時点)[27]。

丁目番地小学校中学校
江の島一丁目全域藤沢市立片瀬小学校藤沢市立片瀬中学校
江の島二丁目全域

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[28]。

丁目事業所数従業員数
江の島一丁目 55事業所 506人
江の島二丁目 48事業所 507人
計 103事業所 1,013人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
年 事業者数
2016年(平成28年)[29]
94
2021年(令和3年)[28]
103

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
年 従業員数
2016年(平成28年)[29]
1,096
2021年(令和3年)[28]
1,013

施設

交通

江の島弁天橋(左)と江の島大橋

鉄道

最寄り駅
利用目的によっては有用な駅

バス路線

江の島大橋のたもとにバスターミナルがあり、ほとんどのバスがここで折り返すが、江ノ電バスが土休日1往復のみ、島内の湘南港桟橋[注釈 2]まで運行する。島内には2021年現在3箇所のバス停留所が設けられている[注釈 3]。

1974年(昭和49年)迄は江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)、東京急行電鉄による共同運行で渋谷駅と江の島を結ぶ長距離路線も存在した他、1960年代から1970年代にかけては横浜駅、戸塚駅、辻堂駅、茅ケ崎駅、大磯駅[注釈 4]等と江の島を結ぶ路線[注釈 5]や東海汽船大島航路利用客向けに片瀬江ノ島駅と湘南港桟橋[注釈 6]を結ぶ路線も存在した。また、現行2社の他に神奈川中央交通の路線も存在し、2001年の運行を最後に休止していたが、2021年より海の日限定で運行が再開された。

道路

駐車場

島内には東部埋め立て地に3か所の公共有料駐車場がある他、旅館、公共施設に数台程度の専用駐車場を持つものがある。公共有料駐車場の収容台数は600台程度で、休日には不足している。駐車料金は少しずつ違いがあり、いずれも7 - 8月には高くなる。対岸の片瀬海岸にも大型駐車場がある。

  • 江の島なぎさ駐車場 - 232台収容 普通車専用(旧称:北緑地駐車場。株式会社湘南なぎさパーク経営)
  • 藤沢市観光協会江の島駐車場 - 80台収容 自動二輪可
  • 県営江の島駐車場(湘南港臨港道路附属駐車場) - 300台収容 自動二輪可。一番奥にあるので比較的空いている。

定期遊覧船

定期遊覧船/第十二べんてん丸

江の島弁天橋手前の境川河口と江の島西南端の稚児ヶ淵を結ぶ航路。歩かずに岩屋方面に行け、海から江の島を眺められる。岩屋からの帰りに利用するのも良い。シーズンオフは休日のみ営業、悪天時には欠航と、運航が不安定なのが難。現在35名乗りのボートが4艘で営業している。 稚児ヶ淵発の最終便は船の入庫を兼ねて着地が江の島漁港に変更される為、この便1本だけは島の東側を海上から眺められる。

主な観光スポット

島東部

表参道周辺

江島神社辺津宮周辺

江島神社中津宮周辺

江の島サムエル・コッキング苑

東山頂上部一帯の旧江の島植物園をリニューアルし、2003年にオープンした藤沢市立の公園。名称を冠したサムエル・コッキングとは、1869年(明治2年)に来日し、横浜に住んだアイルランド人貿易商で、この地に別荘と庭園の造営を開始した。多くの熱帯植物を収集栽培し、本格的なボイラーを持つ大型温室やオオオニバスの栽培池を持つという画期的な施設であった。コッキングの没後も庭園は残されたと思われるが、1923年(大正12年)の関東地震によって破壊され、荒廃した。しかし、コッキングの収集した熱帯植物のいくつかは成長、繁殖を続け、現存する。そのうち4種は1971年(昭和46年)7月5日に藤沢市天然記念物に指定された。

1947年(昭和22年)4月1日に、江の島を含む鎌倉郡片瀬町は藤沢市に合併し、藤沢市は江の島の観光地開発に乗り出すことになる。先ず江の島弁天橋の橋脚をコンクリートにして恒久化を図り、次いでコッキングの庭園跡地を買収して改修し、1949年(昭和24年)12月に「藤沢市立江ノ島熱帯植物園」を開設した。翌年、園の経営は江ノ島鎌倉観光に移譲され、名称も「江の島植物園」となった。1951年3月25日、江ノ島鎌倉観光が東京都世田谷区二子玉川の読売遊園(後の二子玉川園)にあった落下傘塔(戦時中は陸軍が落下傘練習塔として利用)を江の島植物園内に移築し、「読売平和塔」という展望台を兼ねた民間灯台を建設した。1959年、江の島エスカー開設を機にインドネシアスラウェシ島のトラジャ族の家屋を模した「南方民俗館」が開設された。1964年、経営が藤沢市に戻ったが、その頃から入場者数は減少した。神奈川県は1985年に「湘南なぎさプラン」を策定、さらに1990年、イベント「サーフ'90」を開催し、相模湾岸各自治体の連携と県の指導による相模湾岸地域の活性化が図られた。その一環として藤沢市による江の島植物園のリニューアル工事が行われたのである。オープン1年後に発表された年間入場者数は、旧江の島植物園時代の約5倍となった。

主な施設

山二つへ

江島神社奥津宮周辺

稚児ヶ淵から岩屋へ

稚児ヶ淵から見える風景のパノラマ写真
稚児ヶ淵から望む夕暮れ(遠方に富士山も見える)

江の島の四季

春

花と緑の季節。江の島サムエル・コッキング苑では1万本のチューリップが咲き競う。

夏

トップシーズンであり、駐車場料金も値上げされる。7 - 8月は藤沢市観光協会が企画する「江の島マイアミビーチ・ショー」と名付けた多彩な行事が藤沢市南部海岸一帯で繰り広げられる。照葉樹林ではセミの季節。クマゼミ、アブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシに8月後半はツクツクボウシが加わる。他地域では減少傾向にあるニイニイゼミが島ではかなり多い。夏至前後の大潮の満潮時、クサフグが産卵のために沿岸に押し寄せる。

秋

夕日の美しい季節。ウミネコは留鳥だが、秋に最も多くなる。イソギクやツワブキが咲き揃う。

冬

光にまつわる行事が多い季節。江の島サムエル・コッキング苑のツバキが見頃を迎える。晴天日数が多く、「真白き冨士の嶺」を眺めるならこの季節。ウミウ、ユリカモメ、アオジなどは江の島では冬鳥と認識される。海藻類が成長する季節でもある。

名産・名物

特産物

伝統的土産品

名物料理

江の島の動物の話題

江の島の捨て猫

野良猫の避妊費用を募る募金箱。(普段は募金箱の周囲に猫がたむろしているため、「危険だから(猫に)触れないように」と注意書きがされている)
観光客の前で無防備な姿を見せる猫。写真には写っていないが、お堂の脇に餌場がある(聖天島付近にて撮影)

1980年代頃から江の島では捨て猫が急増し、現在では至る所で多数の野良猫を見かけるようになった。猫好きな観光客や釣り人がエサを与えるなどしたため、ほとんどの猫は人を恐れない。島内の至る所で猫が無防備な姿でいるため、猫好きの人間もよく訪れる。

一部でこれらの野良猫を地域猫として観光資源ととらえて新たな江の島名物とする動きがある。餌場を作り猫に餌を与えたりする一方で、野良猫に避妊手術を行うための募金活動を行ったり、全島に犬・猫を捨てないよう訴える看板を掲示するなど、これ以上野良猫が増えないような対策も並行的に進められている。

トビの餌付け

江の島付近に生息するトビの数は多い。トビの餌になるのは多くは漁師の残した小魚だった。ところが西山の飲食店では、来客に餌付けを勧め、これが名物にもなってきた。

しかし、こうした人工的な餌に味を占めたトビは、稚児ヶ淵や片瀬海岸で弁当を広げる観光客を襲って、食べ物を横取りするようになった。現在、被害が多発している場所には注意の看板が掲げられ、餌付けを名物にしていた飲食店でも、これを自粛している。

脱出したタイワンリス

江の島の照葉樹林では梢を渡るタイワンリスの姿を見かける。江の島植物園の経営が江ノ島鎌倉観光に委託された1951年、同園内に小動物園が開設され、伊豆大島から連れてきた54匹のタイワンリスを飼育した。これが台風で飼育小屋が壊れて逃げ出し、島内に拡がったものである。一部は江の島弁天橋を渡って片瀬山や鎌倉市内にまで入り込んで繁殖するようになったといわれているが、これには異論もある。

島内でも観光客寄せのために餌付けをする例も見られるが、小鳥の巣にいる雛や卵を食べたり、電線や電話線をかじるといった被害も出ている。タイワンリスは2005年に外来生物法による特定外来生物に指定された。

海洋生物

2018年6月に由比ヶ浜[注釈 8]に漂着したシロナガスクジラ。アジアでは壊滅しており[36]、これが国内初の漂着の確認であった[37]。

上述の通り、江ノ島は国内の海洋生物学との歴史的な関係性が顕著である。江の島が面する相模湾にはかつては非常に豊かな生態系が存在したとされている。三浦半島には東日本では珍しく組織的な古式捕鯨が行われるほどにクジラが多くいたとされ[注釈 9]、ニホンアシカを対象としたアシカ猟も行われていた[42]。これらの生物は激減したか絶滅したが、現在でも上記の通り釣りが盛んであるなど魚介類は豊富であり、それらを目当てにする海鳥なども数多い[43]。

江の島は湾奥の浅い海岸線に位置することや人間活動が活発であることもあり、現在では激減した沿岸性のヒゲクジラ類[注釈 10]やウバザメ[47]などの海岸付近の浅い海も好む大型生物は滅多に見られない[注釈 11]。

一方で、実はイルカ類やウミガメは現在でも江ノ島や周辺地域に回遊している[43][49]。なお、1999年から親子のハンドウイルカ[注釈 12]が江ノ島に住み着いたこともあったが、イルカウォッチングが行われる様になるなど彼等を対象とした社会活動が増加した結果、2001年を境に姿を消した[50][51]。

文化

東京や横浜に近い景勝地であるため、多くの文学や音楽、映像作品の舞台となっている。

文学作品

小説

漫画

ノンフィクション

詩

江の島にある文学碑

  • 永野泉山句碑 「住みなれて居てもすゞしや嶋の月」 1898年(明治31年)11月15日 恵比壽屋門内右手 ※永野泉山=恵比壽屋旅館の主人
  • 永野泉山還暦記念碑 「明治子に茂どることしやいはいきぬ」 1901年(明治34年) 表参道女坂
  • 震柳居四世句碑 「月涼し徐尓聞久琴の曲」 1923年 江島神社辺津宮境内 ※震柳居九江、晩年を片瀬に住んだ俳人
  • 沼田頼綱歌碑 「さながらに生けるが如く見まつりぬ御神ながらも肌ゆたかなり」 1961年 江島神社辺津宮境内
  • 後藤新平詩碑 「森嚴羽衛老將軍。功烈眞兼武與文。造次不離忠孝旨。于花于月又思君。」児玉神社境内
  • 山縣有朋歌碑 「越えはまた里やあらむと頼みてし 杖さへ折れぬ老いの坂道」児玉神社境内
  • 古帳庵夫妻の句碑 天保12年(1841年) 江島神社辺中津宮参道
    古帳庵 「以さここに当満里て幾可ん宝とと支須」
    古帳女 「二親に見せたし鰹生きてゐる」
  • 間宮霞軒句碑 「さし潮の香を抱く島の霞哉」 1958年 江島神社中津宮参道
  • 福村漁村句碑 「貝がらも桜の名あり島の春」 1976年 江の島大師前 ※福村漁村=江の島館の主人
  • 高木蒼悟句碑 「夏富士や晩籟神を鎮しむる」 1961年 西山路傍 ※高木蒼悟=江島神社宮司
  • 桑弓亭数高狂歌碑 「来れそこの花の香りの咲く以はや詣つる人の福を江のしま」1819年 岩屋道道標
  • 服部南郭漢詩碑 七言絶句「石壁に題す」(風濤石岸戦鳴雷/直撼楼臺万丈廻/被髪釣竈滄海客/三山到処蹴波開) 龍燈の松
  • 佐羽淡齋詩文碑 「瓊沙一路截路通孤嶼崚海中潮浸龍王宮裏月花香天女廟前風客楼斫鱠糸々白神洞焼燈穂々紅幾入蓬莱諳秘跡不須幽討債仙童」大窪詩佛題及碑陰。東京玉淵加藤豊書 文政5年(1822年) 龍燈の松 ※佐羽淡齋=上野国桐生の豪商で文人
  • 松尾芭蕉句碑「疑ふ那潮能花も浦乃春」 龍燈の松(江の島で詠んだ句ではない)
  • 四時庵紀逸句碑 「むかしむかし散るやさくらの稚児ヶ渕」。稚児ヶ渕 風化が激い。
  • 永瀬覇天朗句碑 「桟橋に波戦へる時雨かな」1961年再建 稚児ヶ淵 ※永瀬覇天朗=藤沢の俳人
  • 青木泰夫句碑 「沖へ沖へ水脈太く曵く初霞」 ※青木泰夫=藤沢の俳人
  • 與謝野晶子歌碑「沖つ風吹けばまたたく蝋の灯に志づく散るなり江の島の洞」 2002年 岩屋入口 書:尾崎左永子

音楽

舞台芸術

能

歌舞伎

映像作品

映画

ドラマ

テレビアニメ

音声作品

ゲーム作品

美術

絵画

  • 正面向亀図(八方睨みの亀) - 江島神社奥津宮拝殿の天井画。伝酒井抱一筆。原画は傷みを防ぐために辺津宮境内の奉安殿に収蔵され、奥津宮の天井には1994年制作の複製画が掲げられている。藤沢市指定文化財(絵画)。
  • 江島縁起絵巻 - 五巻の絵巻物。金界天地金箔切砂子紙本。延宝年間、狩野派絵師の筆。辺津宮奉安殿収蔵。
「相州江之島ノ風景腰越ノ方ヨリ見ル図」 勝川春章画。

彫刻

  • 八臂弁財天 - 鎌倉時代初期の作。源頼朝が鎌倉に幕府を開くとき、藤原秀衡調伏祈願のため、文覚上人に命じて造らせたと伝えられる。江島神社辺津宮境内の奉安殿に収蔵、国の重要文化財(彫刻)。
  • 妙音弁財天 - 「裸弁財天」ともいわれ、琵琶を抱えた全裸体の半跏像。鎌倉時代中期以降の傑作と伝えられる。2004年修復、江島神社辺津宮境内の奉安殿に収蔵。
  • 弁財天と世界女性群像噴水 - 加藤顕清作。1964年、東京オリンピックのヨット競技会場を記念して制作。2000年、池を整備し移動。

江の島ゆかりの人物

その他

日本郵便

脚注

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注釈

  1. 1 2 出土した温室遺構の基礎部分に使用された煉瓦に1888年(明治21年)創業[7][8][9][10] の横浜煉化製造会社の刻印が多数見られる。
  2. ↑ 旧「ヨットハウス前」バス停。東海汽船の大島航路運航時迄は現在の「湘南港桟橋」は「ヨットハウス前」という途中のバス停で、更に左折して桟橋の袂が「湘南港桟橋」終点だった。
  3. ↑ 「湘南港桟橋」の移転前は4箇所であった。
  4. ↑ 平塚駅を経由し終点は大磯駅。
  5. ↑ 1962年の江の島大橋開通までは対岸の片瀬にある「江ノ島海岸」停留所が終点であった。
  6. ↑ 現在の湘南港桟橋終点とは位置が異なる。
  7. ↑ なお、住民など、通行規制時間帯に江の島に出入りする必要性がある場合は通行許可証を発行する。
  8. ↑ 江の島からは直線距離で2キロメートル強の地点に位置している。
  9. ↑ 三浦半島以外では、東京湾・鋸南町やいわき市や金華山などにて組織的な古式捕鯨が行われていた[38][39]。ただし、西日本と比較してクジラが多い地域が少なかったというわけではなく、捕鯨を嫌う民衆が多く、捕鯨をタブー視したり捕鯨そのものを禁止する地域も存在したなど、社会的な情勢が西日本と異なっていた[40]。しかし、三浦浄心が憂慮するほどに一帯での捕獲が多かったらしく、20年前後でクジラがあまり見れなくなったとされる[41]。
  10. ↑ セミクジラ、コククジラ、ザトウクジラ、ニタリクジラ、ミンククジラなど[44][45][46]。
  11. ↑ 三浦半島自体は現在でも一部のクジラの回遊経路として機能しているが、基本的には半島の先端など外洋や水深がより深いエリアでの記録が目立ち、近年の観察がとくに多いのは深海性のマッコウクジラである[48]。
  12. ↑ またはミナミハンドウイルカ。

出典

  1. 1 2 “町丁字別人口と世帯数(国勢調査を基準とした推計値)2023年9月” (PDF). 藤沢市 (2023年9月6日). 2023年9月21日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
  2. ↑ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年8月25日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. 1 2 3 “江の島の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月25日閲覧。
  4. ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ↑ “住居表示実施区域”. 藤沢市. 2018年2月26日閲覧。
  6. 1 2 “栗原岳「江ノ島にて明治中期の煉瓦造温室遺構が出土」『土木学会土木史研究委員会ニュースレター 25 』” (PDF). JSCE 公益社団法人 土木学会 (2003年12月20日). 2018年6月15日閲覧。
  7. ↑ “川崎市川崎区:年表”. 川崎市. 2018年7月10日閲覧。
  8. ↑ “石田勝俊「100年前の煉瓦がでてきた 御幸煉瓦製造所」『かわさき産業ミュージアム講座記念論文集(平成23年3月発行)』” (PDF). 川崎市. 2018年7月10日閲覧。
  9. ↑ “横浜煉瓦会社の発起人をした「田中半兵衛」という人物について調べています。『日本紳士録 東京横濱之部』...”. 国立国会図書館. 2018年7月10日閲覧。
  10. ↑ “コッキング植物園温室遺構、温室遺構で使われたレンガ”. みゆネットふじさわ. 2018年6月17日閲覧。
  11. ↑ “藤沢市|藤沢市の人口と世帯数”. 藤沢市. 2016年7月24日閲覧。 町丁字別人口と世帯数(国勢調査を基準とした推計値)2016年(平成28年) 7月より。
  12. ↑ 2009年(平成21年)10月1日現在、住民基本台帳による。
  13. 1 2 新編相模国風土記稿 1932, p. 188.
  14. ↑ 新編相模国風土記稿 1932, p. 189.
  15. 1 2 3 4 新編相模国風土記稿 1932, p. 190.
  16. ↑ 黒田基樹『戦国北条家一族事典』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-289-6 P147-152.
  17. ↑ 1934年(昭和9年)12月28日文部省告示第312号「史蹟名勝天然記念物指定」
  18. ↑ 「告示 逓信省 第205号 図案文字挿入通信日附印使用の件中追加」『官報 1949年4月23日』1949年4月23日、223頁。doi:10.11501/2963224。
  19. 1 2 1967年(昭和42年)1月19日、自治省告示第13号
  20. ↑ “文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~” (2019年3月18日). 2020年4月2日閲覧。
  21. 1 2 “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  22. 1 2 “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  23. 1 2 “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  24. 1 2 “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  25. 1 2 “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  26. 1 2 “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  27. ↑ “藤沢市立小・中学校通学区域一覧”. 藤沢市 (2015年6月30日). 2018年2月26日閲覧。
  28. 1 2 3 “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  29. 1 2 “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  30. ↑ “ポケモンGO利用者殺到 江の島で夜間通行規制“復活”へ”. カナロコ. (2016年7月29日02時00分). オリジナルの2016年7月29日18時59分時点におけるアーカイブ。
  31. ↑ 日本放送協会 (2024年7月12日). “神奈川 江の島のゲート28年ぶりに夜間閉鎖へ 騒音で苦情増”. NHKニュース. 2024年7月13日閲覧。
  32. ↑ “江の島エスカー”. 江の島・鎌倉ナビ. 2024年7月21日閲覧。
  33. ↑ “【神奈川釣りポイント】江ノ島裏磯〜湘南エリア屈指の回遊魚釣り場〜 | TSURI TRIP KANAGAWA”. tsuri-trip.com. 2020年5月17日閲覧。
  34. ↑ “台風21号 被害1億5千万に 江の島岩屋 復旧めど立たず”. タウンニュース藤沢版 (2017年11月17日). 2017年12月16日閲覧。
  35. ↑ “江の島岩屋洞窟 187日ぶりに営業再開”. タウンニュース藤沢版 (2018年5月4日). 2018年5月4日閲覧。
  36. ↑ 宇仁義和, 2019年, 『戦前期日本の沿岸捕鯨の実態解明と文化的影響―1890-1940年代の近代沿岸捕鯨』, 87頁, 東京農業大学
  37. ↑ “2018年8月5日 鎌倉市由比ガ浜海岸にストランディングしたシロナガスクジラ 調査概要”. 国立科学博物館. 2021年11月17日閲覧。
  38. ↑ 河野博, 2011年, 『東京湾の魚類』, 第323頁, 平凡社
  39. ↑ 公益財団法人 国際エメックスセンター, 2019年, 24 鮫ノ浦湾
  40. ↑ 岩織政美, 田名部清一, 2011年01月, 『八戸浦"クジラ事件"と漁民 : 「事件百周年」駒井庄三郎家所蔵「裁判記録」より』, 327頁, 「八戸浦"くじら事件"と漁民」刊行委員会
  41. ↑ 三浦浄心, 寛永後期, 『慶長見聞集』,巻8,「関東海にて鯨つく事」
  42. ↑ 中村一恵「三浦半島沿岸に生息していたニホンアシカについて」(PDF)『神奈川県立博物館研究報告. 自然科学』第22号、神奈川県立生命の星・地球博物館、1993年1月、81-89頁、CRID 1520853833567161472、ISSN 04531906、2024年6月28日閲覧。
  43. 1 2 平塚市博物館, 2007年4月15日 - 2009年3月15日ちょっと海まで
  44. ↑ manchi100, 2011年11月12日, 相模湾の鯨(A whale jumping on Sagami bay near Tokyo Japan 12th.Nov.2011)
  45. ↑ WEB魚図鑑の部屋, 2023年4月6日, 相模湾、江ノ島沖にて遭遇しました! 何クジラでしょうか?
  46. ↑ 加登岡大希, 崎山直夫, 石川創, 山田格, 田島木綿子, 樽創 (2020年3月). “相模湾・東京湾沿岸で記録されたヒゲクジラ亜目 (Mysticeti)について”. 神奈川県立生命の星・地球博物館. 神奈川自然誌資料第41号. pp. 83-93. 2023年11月17日閲覧。
  47. ↑ 加登岡大希, 崎山直夫, 瀬能宏 (2022年3月). “ウバザメ(ネズミザメ目ウバザメ科)幼魚の相模湾における記録と全世界における出現状況”. 神奈川県立生命の星・地球博物館. 神奈川自然誌資料第43号. pp. 53-60. 2023年11月16日閲覧。
  48. ↑ “遊漁船と衝突か“三浦半島沖 クジラの交差点のようなところ””. NHK (2023年3月7日). 2024年1月26日閲覧。
  49. ↑ 特定非営利活動法人 パパラギ海と自然の教室, 2014年03月19日, 相模湾の鯨類調査
  50. ↑ 江の島のバンドウイルカ
  51. ↑ shonan720, 2012年07月02日, 江ノ島の、野生イルカ親子の水中映像 720p
  52. ↑ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

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