相模線
相模線を走るE131系500番台(海老名駅 - 入谷駅間)
相模線を走るE131系500番台
(海老名駅 - 入谷駅間)
基本情報
国 日本の旗 日本
所在地 神奈川県
種類 普通鉄道(在来線・幹線)
起点 茅ケ崎駅
終点 橋本駅
駅数 18駅
電報略号 サミセ[1]
開業 1921年9月28日 (103年前) (1921-09-28)
一部廃止 1984年3月31日(寒川 - 西寒川間)
所有者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者 東日本旅客鉄道(全線)
日本貨物鉄道(茅ケ崎 - 厚木間)
車両基地 国府津車両センター
湘南・相模統括センター
使用車両 使用車両を参照
路線諸元
路線距離 33.3 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式(特殊)
保安装置 ATS-P[2]
最高速度 85 km/h
路線図

上の路線図の赤線が相模線、青線がかつての横浜線乗り入れ区間
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相模線(さがみせん)は、神奈川県茅ヶ崎市の茅ケ崎駅と同県相模原市緑区の橋本駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

概要

東海道本線の茅ケ崎駅から相模川に沿って北へ向かう路線である。南側は相模川の東岸沿いを通り、北側は相模原台地の西側を築堤や切通しの連続で登り詰める。元は相模鉄道(法人としては現在の相鉄ホールディングス)の路線であったが、東海道本線と中央本線とを結ぶバイパス路線として後に国有化された。過去には支線として、1931年に廃止された寒川駅から川寒川駅への支線(通称:川寒川支線)と、1984年に廃止された寒川駅から西寒川方面への支線(通称:西寒川支線、寒川支線。「西寒川駅」の記事も参照)があった。

路線名の「相模」は相模鉄道に由来するもので、旧国名に直接由来するものではない。相模鉄道が神中鉄道を吸収合併した際に、相模鉄道の路線(相模鉄道相模線、現在のJR相模線)と旧 神中鉄道の路線(相模鉄道神中線、現在の相鉄本線と相鉄厚木線)を区別するためにつけられた「相模線」の名称を踏襲している。

「がみ線」という通称がある[3]。

全線が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。旅客案内や車体に使用されるラインカラーは相模川をイメージした濃い水色(■)である。

終点である橋本駅がリニア中央新幹線の停車駅(神奈川県駅)となる予定であることや、寒川町倉見地区への東海道新幹線相模新駅の誘致が絡み、抜本的な輸送力増強策として地元自治体から列車行き違い施設設置や複線化などの要望があるが、莫大な費用がかかることが予想されるため、JR東日本からの具体的な動きはない[4][5]。

路線データ

全線が横浜支社の管轄である。

歴史

相模線は、神奈川県中央部を縦貫して東海道線と中央線を連絡することと、相模川で採取した砂利の輸送を目的として建設された路線である[7]。相模鉄道(法人格としては現在の相鉄ホールディングス)によって建設され、1921年(大正10年)9月に最初の区間として茅ケ崎駅 - 寒川駅と砂利運搬用の支線 寒川駅 - 川寒川駅間が開業。1922年(大正11年)5月には砂利運搬用の支線 寒川駅 - 四之宮駅間、1926年(大正15年)7月には寒川駅 - 倉見駅 - 厚木駅間、1931年(昭和6年)4月29日に橋本駅までの全区間が開業した。しかし太平洋戦争中の1944年(昭和19年)6月に、茅ケ崎駅 - 橋本駅間と、相模海軍工廠とつながっている支線の寒川駅 - 四之宮駅間が戦時買収私鉄として国有化された。相模線を国有化した理由は、戦時体制のもと、都心が攻撃された場合に備え八高・横浜・相模線の迂回ルートを確保するためであった[8][9]。戦後には元の運営者である相模鉄道への払い下げや、国鉄分割民営化の前には相模鉄道への譲受を検討したこともあったが、国鉄分割民営化時には営業係数が400に近かったため条件が折り合わず破談となった[10](詳細は「相模鉄道#いずみ野線の建設と大手私鉄認定」を参照)。

相模線は、高度経済成長後の1980年代になって沿線がベッドタウン化し、現在のような運行形態が取られるようになったが、それまでは沿線人口は少なく、1960年代の沿線都市人口は相模原市の約20万人が最大で、沿線第3の都市であった厚木市でさえ8.9万人に過ぎなかった[注釈 1]。さらに相模川の砂利採掘が禁止された1960年頃には貨物輸送も激減し、1971年度の収支係数は374と、関東地方の国鉄線の中では鹿島線の634、木原線の459に次ぐ第3位の赤字路線であり、これは現在第三セクター化されている足尾線の361や真岡線の345よりも悪く、1968年(昭和43年)に「赤字83線」に選定され廃止対象とされた烏山線の265を遥かに下回っていた。このような経営状況にもかかわらず、相模線は1970年(昭和45年)12月21日の日本国有鉄道諮問委員会報告書において一地方ローカル線としては破格の幹線系線区に区分され、これが翌年明るみに出ると、専門家の間ではこれを疑問視する声も聞かれた。相模線はこのように関東有数の赤字路線であったにもかかわらず、近隣の座間市にあった日産自動車座間工場で生産された自動車を輸送する路線として、またベッドタウンの足として位置付けられ、国の資本が投下され続けた(とはいえ非電化であり、全線電化していた相模鉄道の現存路線との差も明らかだった)。このため、この事情を知る専門家からは「一部独占資本に奉仕する国鉄」と囁かれていた[8][11]。

相模線は1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR東日本の路線となり、1991年(平成3年)には全線が電化され、当線のために新製された当時では最新型の車両(205系500番台)が投入された。電化によるスピードアップ、およびダイヤ改正による運行本数の増加(約1.5倍)、海老名駅の開業(1日乗車人数9千人前後)、横浜線への直通運転の復活などで利便性向上が図られ[注釈 2]、また京王相模原線の橋本駅乗り入れや沿線のベッドタウン化など周辺環境の変化もあって通勤通学での利用客が増加し、現在は通勤・通学路線として定着しているものの、東海道線や中央線とは異なり旅客流動が都心とは無関係のため、周辺他線と比較すれば圧倒的に乗客が少ない。

相模鉄道

開業前

「相模鉄道株式会社発起趣意書」(大正6年)に掲載された計画路線図
  • 1915年(大正4年):相模軽便鉄道として会社設立が計画され、10月21日に最初の定款が作成される。当初の計画では、茅ケ崎 - 寒川 - 厚木 - 原当麻 - 久保沢(城山町)付近 - 相原を通る路線であった。
  • 1916年(大正5年)6月26日:相模鉄道の発起人鳥越金之助(元帝国鉄道庁技師)ほか21名に対して茅ケ崎 - 相原間の軽便鉄道敷設免許が交付される[12]。
  • 1917年(大正6年)12月18日:相模鉄道の創立総会が高座郡茅ヶ崎町茅ヶ崎の伊藤里之助(当時の茅ヶ崎町長)宅にて開催。資本金は60万円、本社所在地は茅ヶ崎町茅ヶ崎5573-2に置かれた。
  • 1918年(大正7年)1月4日:相模鉄道株式会社の設立登記がされる。
  • 1919年(大正8年)
    • 7月10日:相模鉄道が日本鋼管との間に軌条約8km分の購入契約を結ぶ。
    • 7月11日:国鉄茅ケ崎駅付近(茅ケ崎駅を出て左カーブの左側)に本社事務所と機関庫が完成。
    • 7月19日:寒川 - 川寒川間の砂利採取支線の敷設許可がおりる。
    • 7月22日:砂利採取、販売兼営認可がおりる。
    • 当時は、手掘りにて砂利を採取し、鉄道開通以前であったため、狭い専用線を茅ヶ崎から敷設して、トロッコに積んで馬力で茅ヶ崎停車場に運搬し、ここから東海道線の貨車に積み替えて目的地まで運ぶというものであった[14]。敷設された専用線は、鉄道用地ではなく県道を借用していたとの記述もある。
    • 11月10日:一期工事の土木工事の入札が行われる。
    • 11月21日:香川駅停車場予定地付近にて軌道敷設起工式を開催。線路予定地から反対運動も起き、さらに鋼材が高騰し資金不足で会社設立から起工式まで2年もかかった。
  • 1920年(大正9年)
    • 1月10日:茅ケ崎駅への乗り入れ連絡が承認される。乗り入れ工事は鉄道院によって施工。
    • 5月末:乗り入れ工事完成。工事期間中に茅ヶ崎停車場共同使用願及び連帯輸送開始願を鉄道院に提出。
    • 7月:砂利の採取地を寒川村一之宮、宮山及び神田村田村(現在の平塚市田村)と決める。
  • 1921年(大正10年)
    • 5月29日:茅ケ崎駅 - 寒川駅間5.0kmにて試運転。貨車3両を連結して寒川駅 - 川寒川駅間試運転。開業に向け、鉄道省からテンダー式蒸気機関車4両、4輪客車2両、4輪無蓋車11両、4輪緩急車3両の計18両の払い下げを受けた(以上のように書かれた資料もあるが、当時の話では2両しか機関車がなかった〈1924年参照〉とされ、払い下げが記述通りに行われたのか、記憶違いかは不明)。
    • 9月12日:鉄道係員服務規則、鉄道係員懲罰規定、旅客及び貨物運輸規則、貨物運賃及び料金規則、貨物営業マイル程、運賃割引準則、増運賃規則、列車運転時刻などの諸規則が認可される。
    • 9月20日:開通を目前に岡崎久次郎をはじめ役員のほとんどが退任。草津軽便鉄道の別府藤馬[15]が代表取締役となる[16][17]。

開業後

  • 1921年(大正10年)9月28日:相模鉄道線 茅ケ崎駅 - 川寒川駅間(4.0mi.≒6.44km)が開業[18]。香川駅・寒川駅・川寒川駅が開業。当時は28kgレールを使用していた。
  • 1922年(大正11年)5月10日:砂利支線(貨物線・後の西寒川支線)寒川駅 - 四之宮駅間(1.2M≒1.93km)が開業。四之宮駅が開業[19]。
  • 1923年(大正12年)
    • 2月5日:東河原駅(のちの西寒川駅)が開業(貨物営業)[20]。
    • 9月1日:関東大震災が発生し、復旧工事のため約1か月間不通となる。
  • 1924年(大正13年)
  • 「大正12・13年頃の機関区には機関士3人、機関助手3人、技工1人、炭水夫1人、主任1人しかいなかった。機関車も101号と102号の2両しかなく、その2両で寒川まで運行していた」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている。
  • 1925年(大正14年)
    • 2月8日:投資家の南俊二が社長に就任。
    • 7月8日:茅ケ崎駅 - 寒川駅 - 四之宮駅間に対する政府補助金の申請が許可される。この前後に茅ケ崎駅構内に機関庫1棟、川寒川駅・四之宮駅に貨物扱所、寒川駅 - 川寒川駅間の四之宮分岐点に信号所などが新設される。
    • 7月:自社施設として汐留駅に砂利荷揚場が新設。震災復興資材として砂利供給の拠点となった。
  • 1926年(大正15年)
    • 1月25日:寒川駅 - 厚木駅間の起工式開催。工区は2区に分けられ倉見駅までを先行工区とし、併せて厚木駅までの線路用地及び停車場用地の買収も進めた。
    • 4月1日:寒川駅 - 倉見駅間(2.3mi.≒3.70km)が延伸開業。倉見駅が開業(旅客営業のみ貨物営業開始は7月15日)[21]。
    • 7月15日:倉見駅 - 厚木駅間(3.7mi.≒5.95km)が延伸開業。のちに合併する神中鉄道の二俣川駅まで直通運転を開始。社家駅・厚木駅が開業[22]。
    • 7月30日:厚木駅 - 橋本駅間の工事起工式開催。
    • 11月:工事区間の用地買収・全補償問題完了。
  • 1927年(昭和2年)4月1日:資本金を増資。目的には、茅ケ崎駅 - 寒川駅間の複線化、28kgレールを30kg以上へのレール交換などが含まれていた[23]。
  • 1929年(昭和4年)
    • 11月:厚木起点5.6km以北から橋本駅までの区間で軌条敷設・橋本駅連絡工事、通信設備、駅などの諸工事が完了。[24]
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月:厚木起点から5.6kmまでの区間で、軌条敷設・砂利散布・つき固め工事が完了[24]。
    • 4月1日 マイル表示からメートル表示に変更(茅ケ崎駅 - 厚木駅間 9.1mi.→14.6km、寒川駅 - 川寒川駅間 0.9mi.→0.9km、寒川駅 - 四之宮駅間 1.2mi.→2.0km)。
  • 1931年(昭和6年)
    • 1月30日:厚木駅 - 橋本駅間の工事が完成するも工事代金未払いのため引き渡しを受けられず、日本興業銀行から借入支払いを行う[24]。
    • 4月29日:厚木駅 - 橋本駅間 (18.7km) 延伸開業し全通。上今泉停留場(現在の井戸坂踏切橋本側にあたる)・座間新戸駅(現在の相武台下駅)・下溝駅・原当麻駅・上溝駅(現在の番田駅)・相模横山駅(現在の上溝駅)・作ノ口停留場が開業[25]。
    • 6月19日:南俊二が投資に失敗し相模鉄道株を売却したため社長を退任[26]。次に就任した登坂小三郎は元鉄道院理事で横荘鉄道取締役であり同年に山梨電気鉄道社長に就任している[27]
    • 7月1日:宮山停留場・門沢橋停留場・本座間停留場が開業。
    • 11月1日:貨物支線 寒川駅 - 川寒川駅間 (0.9km) が廃止。川寒川駅が廃止[28]。
  • 1932年(昭和7年)
    • 5月:原当麻駅 - 橋本駅間に対して鉄道省から補助金の交付を受ける。昭和6年度上期から欠損があり、日本興業銀行に対する未払い利息が25万9300円に達するほど経営状況が悪化していた。
    • 6月:ガソリン自動客車を導入。導入当時の話として「ボディーが高く、すぐに脱線してしまう。寒川駅の分岐点から少しでも入ると脱線してしまう。これではとても本線を走ることができない、何度やっても脱線する。そこで、機関区でボディーの高さを2センチほど低くしたら脱線しなくなった。」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている。
    • 6月1日:円蔵停留場・上磯部停留場が開業。
    • 11月1日:中新田停留場・大河原停留場(現在の南橋本駅)が開業。
  • 1935年(昭和10年)
    • 6月23日:貨物停車場として入谷駅が開業。
    • 8月20日:座間新戸駅構内側線が1.0km延長。
    • 10月16日:重油動力併用認可を受ける。
    • 11月2日:汽車製造会社と共同開発の日本初の電気式気動車キハ1000形流線型ディーゼル電動客車を購入、軽油を燃料に茅ケ崎駅 - 橋本駅間で運転を開始。
    • 11月7日届出:相模横山駅が本上溝駅に改称。
    • 12月24日:国鉄横浜線に乗り入れ、八王子駅までの直通運転の承認を受ける[29]。
  • 1936年(昭和11年)1月15日:国鉄八王子駅へ直通運転開始。同時に運転本数を増やし、スピードアップを行う[29]。
  • 1937年(昭和12年):厚木駅構内に小田急連絡線(小田急独身寮 - 坂本祭典間にあたる)が設置される。
  • 1938年(昭和13年)10月1日:座間新戸駅が陸士前駅に改称[30]。
  • 1939年(昭和14年)10月1日届出:東河原駅が昭和産業駅に改称。
  • 1940年(昭和15年)
    • 月日不明:大河原停留場が相模町停留場に改称。
    • 2月1日:日東駅(現在の北茅ケ崎駅)が開業。
    • 4月20日:寒川駅 - 昭和産業駅間の旅客営業を開始[31]。
    • 11月1日:陸士前駅が座間町駅に改称[32]。
    • 11月15日:座間町駅が相武台下駅に改称[32]。
    • 11月25日:円蔵停留場が移転。
  • 1941年(昭和16年)
  • 1942年(昭和16年)4月:海軍が昭和産業の工場を買収。当線での軍需輸送が始まる。
    • 10月30日届出:昭和産業駅が四之宮口駅に改称。
  • 1943年(昭和18年)
    • 4月1日:東急の主導により神中鉄道と相模鉄道が合併し、相模鉄道相模線となる。
    • 4月:相模海軍工廠が発足し、さらに軍事輸送が本格化する。
    • 10月1日:香川台停留場、中新田停留場、上今泉停留場、上磯部停留場、作ノ口停留場休止。
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月21日:陸運統制令により運輸通信省との間に買収協定を締結する。買収は茅ケ崎駅 - 橋本駅間および寒川駅 - 四之宮駅間の35.3kmで、その価格は390万円であった。
相模鉄道の輸送・収支実績[34]
年度輸送人員(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)営業益金(円)その他益金(円)その他損金(円)支払利子(円)政府補助金(円)
192140,71438,09721,74330,110▲ 8,367
192281,044104,01963,89749,50414,393
192368,755191,164109,52966,38443,145砂利業11,1763,78924,931
192486,487339,383195,960108,51887,442兼業雑損111,092
償却金77,794
18,905
192586,487339,383195,960108,51887,442兼業雑損111,092
償却金77,794
18,905
1926251,872932,841529,625218,737310,888砂利採取6,013雑損2,644
償却金13,000
31,797
1927294,5691,040,889605,195306,641298,554額面超過益その他
87,244
雑損その他18,742
償却金20,000
73,834
1928277,8611,190,779661,518338,691322,827砂利採取業10,252償却金40,00071,049
1929254,5391,195,097682,029346,860335,169砂利採取業435雑損2,81031,980
1930180,825667,282403,858248,109155,749砂利採取業14318,424
1931192,529316,755229,121174,41754,704砂利採取98,810
雑損4,118
95,739
1932279,852340,687252,470165,08987,381雑損158,165
砂利業113,792
145,407
1933332,983331,843393,402143,742249,660雑損12,918
砂利業57,117
131,87568,513
1934366,029363,907258,924151,824107,100砂利業3,356雑損7,92173,87880,303
1935381,206366,445247,232165,96381,269砂利業8,676
雑損償却金17,598
72,270128,488
1936445,822459,965297,352199,44397,909砂利自動車業41,054雑損償却金45,74885,951
1937514,684491,526322,231228,81693,415自動車砂利業67,806雑損償却金22,79383,225
1939841,665706,746
19411,473,227645,662

国有化後

民営化後

電化記念ヘッドマークをつけて走る205系500番台(1991年3月17日 上溝駅)
当線経由で回送されたクモハ40形電車 40054+40074(1998年5月5日未明 橋本駅)

運行形態

すべての列車が線内運転の各駅停車で、他線区との直通運転は行われていない。全列車でワンマン運転を行うが、車内で運賃の収受を行わない「都市型ワンマン」で、各車両の全ての扉から乗り降りができる。

茅ケ崎駅 - 橋本駅間の全線通し運転を基本とし、日中は20分間隔で運行される。このほか、茅ケ崎駅 - 海老名駅間の区間列車もある。かつての非電化時代には、橋本駅 - 南橋本駅、原当麻駅、厚木駅間、茅ケ崎駅 - 寒川駅間などの区間運転も行われていた。また、両運転台気動車による単行運転の列車も存在した。1991年の電化後もしばらくは橋本駅 - 厚木駅間の区間運転が下り始発・上り最終に1往復設定されていたが、茅ケ崎駅まで延伸されて消滅した。

旅客列車が運行されるほか、相模鉄道向け車両の甲種輸送列車が運転される。2021年現在、厚木駅経由の相模鉄道への甲種輸送などは、昼間に貨物列車のダイヤ設定がなくなったため、深夜帯に臨時貨物列車として運転されている。

列車交換のために特定の駅(交換駅)ごとに停車時間が2分 - 5分と長めに取られているため、茅ケ崎駅 - 橋本駅間で所要時間が最速列車(下り始発の49分)に比べて最大24分遅くなる列車がある。

かつては朝夕の一部列車は橋本駅から横浜線に乗り入れて八王子駅まで運転されていた。この八王子駅発着列車は2015年3月13日までは10往復設定されていたが、翌14日のダイヤ改正で6往復に減便され、2022年3月12日のダイヤ改正で相模線のワンマン運転開始に伴い横浜線との直通運転は終了した[45][46]。

使用車両

現在の使用車両

E131系500番台(国府津車両センター配置)
4両編成12本(計48両)製造[47]。2021年11月18日運行開始[44]。相模線では2022年3月以降この車両のみが使用されている[48]。半自動ドアを採用し、相模線内では半自動ドアで運用されている。

過去の主な使用車両

気動車

電化前に使用されていたキハ35系(1988年頃、橋本駅)

相模線は国鉄分割民営化当時、JR東日本の東京近郊区間内では、八高線とともに気動車が運転される数少ない線区であった。1991年に相模線が電化されたことにより、神奈川県は当時鉄軌道が存在していなかった沖縄県以外では日本で初めて気動車による定期旅客列車が存在しない(貨物専用線を除く県内すべての鉄道旅客路線が電化されており、なおかつ他線区から乗り入れる気動車列車が全くない)県となった[注釈 6]。

また、横浜市金沢区の東急車輛製造(現・総合車両製作所横浜事業所)で落成した全国各地向け気動車の公式試運転路線としても有名であった。北海道向けから九州向けまでの車両を見ることもできたことは、夏季に見られた房総線(現在の内房・外房・成田線にあたる)の臨時快速で全国から駆り出された(あるいは試運転前提で投入された)各地域仕様気動車が見られた千葉地区に次ぐものである。

過去には以下の車両を使用していた。

  • キハ04形・キサハ04形200番台
    • 1963年2月9日にキサハ04 202が廃車となり、当線から本系列は消滅した。
  • キハ10形・キハ16形・キハ17形・キハユニ16形[49]
    • 気動車の首都圏色(朱色5号一色)は、1976年に当線で運用されていたキハ10 61に施されたのが初めてである[50]。首都圏色はその後日本全国に波及した。
    • キハ16形は5・6・24・64の4両のみ配属。キハ17形は30・357の2両のみ配属。キハユニ16形は2・6の2両のみ配属。
    • キハ10 23-26の4両は当線新製配属車両である。
    • 1980年3月17日にキハ10 42が廃車となり、当線から本系列は消滅した。
  • キハ20形
    • 1958年にキハ20 206-211の6両が新製配属されるも、209・210を残して早期に転出。1976年にはキハ20 281が転入するも1981年前半に一旦当線においては形式消滅。その後キハ20 56が1981年後半に転入し、1982年まで運用された。
  • キハ30形・キハ35形・キハ36形
    • 気動車において地域別のカラーリングを採用したのは、1986年に当線で運用されていたキハ30 25に対して、クリーム1号地に青20号の帯というデザインが施されたものが初めてである[51](このカラーリングは、茅ケ崎駅の乗り換え専用跨線橋の内装デザインにも使われている)。1991年の電化完成で運用を終了した。寒冷地仕様の500番台車(車号は下記参照)、及びステンレス車のキハ35 904が1991年まで運用されていた。
    • キハ36形は2・3・37の3両のみ配属。
    • キハ30 41・42・67・77・97の5両は当線新製配属車両である。また、キハ30 26は福井機関区配属時代に正面左側に気笛増設工事が行われ、外見は気笛のシャッターが残されていた。
    • 寒冷地仕様の500番台車で当線に転入した車を以下に示す。
      キハ30 505・506、キハ35 513-520・524・531
    • 1991年まで運用されていた車両のうち、キハ30 62はいすみ鉄道国吉駅に保存され、キハ30 100は水島臨海鉄道に譲渡されて運用されている。この2両は当線電化後に久留里線へ転属し、2012年の車両置き換えまで運用されていたものである。
  • キハ26形400番台
    • キハ26 428の1両のみ配属。

電車

  • 205系500番台(国府津車両センター配置)
    4両編成。車体の帯は水色濃淡2色(■■)である。1991年製の車両で、新造編成としては205系の最終形態である[注釈 7]。
    相模線では電化以前(少なくとも1976年以降)よりドアの開閉を12月から3月まで半自動ドアで行っていた(一部35系の半自動装置非装備車を除く)が、電化以後のこの車両では、当時としては最新型のボタン式半自動ドアを採用し、通年で使用していた。ただし直通先の横浜線内では車掌の一括操作によりすべてのドアを開閉していた。橋本駅では八王子行も含めて相模線ホームに発着のため半自動扱いとなっていた(2020年4月8日より、新型コロナウイルス感染症対策として、始発駅と終着駅を除き、すべての区間でドアが自動開閉するようになっていた[52]が、2021年12月1日より全区間で半自動扱いに戻った)。2022年2月25日をもって定期運用を終了した[53]。

相模鉄道時代の車両

車両数の変遷[34]
年度蒸気機関車内燃動車客車貨車
有蓋無蓋
19212211
19222214
19232220
1924-19254220
1926662154
1927962166
1928-1930962166
1931962156
19327462156
1933-19345462154
1935-19375862154

駅一覧

駅名 営業キロ 接続路線 線路 所在地
駅間 累計
茅ケ崎駅 - 0.0 東日本旅客鉄道:JT 東海道線 (JT 10)(■湘南新宿ライン・■上野東京ラインを含む) ∨ 茅ヶ崎市
北茅ケ崎駅 1.3 1.3   ◇
香川駅 2.1 3.4   |
寒川駅 1.7 5.1   ◇ 高座郡
寒川町
宮山駅 2.1 7.2   |
倉見駅 1.4 8.6   ◇
門沢橋駅 1.4 10.0   | 海老名市
社家駅 1.6 11.6   ◇
厚木駅 2.6 14.2 小田急電鉄:OH 小田原線 (OH33)
相模鉄道:厚木線(貨物線)
|
海老名駅 1.7 15.9 小田急電鉄:OH 小田原線 (OH32)
相模鉄道:SO 相鉄本線 (SO18)
◇
入谷駅 3.0 18.9   | 座間市
相武台下駅 1.7 20.6   ◇ 相模原市 南区
下溝駅 2.9 23.5   |
原当麻駅 1.3 24.8   ◇
番田駅 2.1 26.9   ◇ 中央区
上溝駅 1.5 28.4   |
南橋本駅 2.9 31.3   ◇
橋本駅 2.0 33.3 東日本旅客鉄道:JH 横浜線 (JH 28)
京王電鉄:KO 相模原線 (KO45)
∧ 緑区

2022年度の時点で、JR東日本自社による乗車人員集計[54]の除外対象となる駅(完全な無人駅)は、宮山駅・倉見駅・門沢橋駅・社家駅・入谷駅・相武台下駅・下溝駅・番田駅である。

発車メロディ

2022年3月12日のダイヤ改正でのワンマン運転化に伴い、全ての駅で発車メロディの使用が停止された[55][56]。同日以降は、E131系の車外スピーカーより「Water Crown」及び「Gota del Vient」が流される[55]。

ワンマン運転化以前、相模線内各駅の発車メロディは、後述する茅ケ崎駅を除き、他線区にはない「近郊地域20番」「近郊地域20-1番」(旭電通(現・東洋メディアリンクス)製)と鉄道愛好家の中で通称されている曲のみとなっていた。かつては2001年の高架化から2016年まで上溝駅で「せせらぎ」(日本電音製)のフェードアウト版が使用されていた(さらにその前は「近郊地域20番」を使用していた)。近郊地域20番は橋本駅・原当麻駅・海老名駅・厚木駅・寒川駅の各駅で使用されている(橋本駅は余韻が短い。以前は総武本線の佐倉駅で使用されていた)。もう1曲の近郊地域20-1番は、南橋本駅・上溝駅・番田駅・下溝駅・相武台下駅・入谷駅・社家駅・倉見駅・門沢橋駅・宮山駅・香川駅・北茅ケ崎駅の各駅で使用されていた。電化され駅自動放送が導入された当初は、全駅が近郊地域20番に統一されていた。2021年9月28日より、茅ケ崎駅で加山雄三の「海 その愛」の使用が開始され、合わせて加山の復元音声による啓発放送の使用も開始された[57]。なお、変更前は「ベル・高音」と「ベル・低音」が使用されていた。

また、駅自動放送は茅ケ崎駅・橋本駅がATOS型、海老名駅・原当麻駅が旭型放送(詳細型)、寒川駅が巌根型放送、それ以外の駅は巌根・館山型放送である。なお、以前は全駅とも東海道型放送(簡易型)、上溝駅は2001年の高架化から2016年までユニペックス型放送、海老名駅・原当麻駅は2022年2月まで東海道型放送(詳細型)が使われていたが、放送装置更新や、駅舎リニューアルなどに伴い、現在の形になっている。

廃止区間

( )内は起点からの営業キロ。

寒川支線
寒川駅 (0.0km) - 西寒川駅 (1.5km) - 四之宮駅 (2.0km)
寒川駅 (0.0km) - 川寒川駅 (0.9km) (貨物線)

廃駅・廃止信号場

#廃止区間にある駅を除く。括弧内は茅ケ崎駅起点の営業キロ

駅別乗車人員上位10駅

JR東日本調べ 1日平均(2023年度)[58]

順位 駅名 人数
1 橋本駅 59,596
2 茅ケ崎駅 51,508
3 海老名駅 13,786
4 寒川駅 6,447
5 厚木駅 6,180
6 上溝駅 5,915
7 香川駅 5,611
8 南橋本駅 5,295
9 原当麻駅 4,568
10 北茅ケ崎駅 2,817

(ランキングにない駅は無人駅のためデータ非公表)

全線複線化問題

現在の相模線は全線が単線であるとともに、快速などの優等列車の運行がなく基本的に各駅停車のみであり、行き違いを行う列車の待ち合わせのため、朝夕の通勤時間帯は日中より列車の所要時間がかかる。例として、特に上溝駅から橋本駅までは通常6分のところが13分と倍以上かかっている。また、相模原市南区の駅の利用者も10年間で30%以上も増えており、混雑が増加しているという課題を抱えている。

また、上下の列車の行き違いのできない駅が7か所もあり、特に上溝駅は、2001年に高架化されたものの、行き違いホームが住民の要望に反して設置されなかった。相模原市と小田急電鉄は、多摩線の上溝駅までの延伸計画を考えているのに、上溝駅の行き違い化を行わなかったことは、小田急線の延伸についてやる気がないという意味でもあると住民は異を唱えている。

そのため、相模線の複線化や、厚木駅 - 海老名駅で並走する相鉄厚木線を経由して相鉄線と相互乗り入れなどを進めようと、住民や行政が促進運動を大々的に展開している[59][60][61]。

平均通過人員

各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。1987年度(昭和62年度)から2007年度(平成19年度)にかけて平均通過人員が急激に増加していた。

年度 平均通過人員(人/日) 出典
茅ケ崎 - 橋本
1987年度(昭和62年度) 9,268 [62]
1992年度(平成4年度) 17,438
1997年度(平成9年度) 20,397
2002年度(平成14年度) 20,220
2007年度(平成19年度) 25,402
2011年度(平成23年度) 24,633 [63]
2012年度(平成24年度) 25,956
2013年度(平成25年度) 26,976
2014年度(平成26年度) 26,911
2015年度(平成27年度) 28,176
2016年度(平成28年度) 28,903 [64]
2017年度(平成29年度) 29,379
2018年度(平成30年度) 29,643
2019年度(令和元年度) 29,412
2020年度(令和2年度) 21,093
2021年度(令和3年度) 23,483 [65]
2022年度(令和4年度) 25,972
2023年度(令和5年度) 27,706 [66]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ↑ 相模線は厚木市内を走っていないが、相模川をはさんだ厚木駅の対岸は厚木市の旧市街地厚木町である。
  2. ↑ 横浜線への直通運転は2022年3月12日のダイヤ改正で再び廃止された。
  3. ↑ 茅ヶ崎市文化資料館
  4. ↑ 国鉄時代の呼び方。現在はタブレット閉塞式。
  5. ↑ 6両編成を4両に短縮した編成が使用された。
  6. ↑ 神奈川県以外では奈良県・東京都もこの条件を満たしている。
  7. ↑ 編成単位での最終増備は同年10月武蔵野線向け0番台、増結車を含めると1994年12月の横浜線向けサハ204形100番台がそれぞれ205系の最終形態となっている。

出典

  1. ↑ 日本国有鉄道電気局『鉄道電報略号』1959年9月17日、21頁。
  2. 1 2 サステナビリティレポート2018 34頁 - JR東日本、2018年9月
  3. ↑ “がみ線沿線イチ推しフォトキャンペーン”. 相模原市役所 (2021年12月17日). 2021年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月18日閲覧。
  4. ↑ “JR相模線の増発について(平成26年5月回答)”. 茅ヶ崎市 (2014年10月20日). 2018年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月1日閲覧。
  5. ↑ “神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 令和元年度 要望・回答 東日本旅客鉄道 相模線” (PDF). 神奈川県. p. 1 (2020年5月1日). 2021年1月23日閲覧。
  6. ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  7. ↑ 相鉄グループ100年史編纂事務局 (2018年12月). “相鉄グループ100年史” (PDF). 相模鉄道. p. 13-14. 2023年1月8日閲覧。
  8. 1 2 福田行高、山田俊明「ローカル線を探る 相模線」『鉄道ピクトリアル』1974年2月号 通巻289号 電気車研究会 p.64 - p.65, p.67
  9. ↑ 『相鉄グループ100年史』相鉄ホールディングス 、2018年12月、35-38ページ
  10. ↑ 峰岸昇、今城光英「相模鉄道の鉄道事業を語る」『鉄道ピクトリアル』1999年7月増刊号 通巻672号、1999年、鉄道図書刊行会刊、p.19
  11. ↑ 『1971(昭和46)年度 国鉄線区別収支係数』、 鉄道ピクトリアル 1972年11月号、 通巻271号(鉄道図書刊行会刊)
  12. ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1916年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ↑ 『人事興信録. 6版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ↑ 『相鉄70年史』p.17
  15. ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第29囘』
  16. ↑ 『相鉄線物語』230クラブ新聞社、1997年、39頁
  17. ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第29囘』『日本全国諸会社役員録. 第30囘』
  18. ↑ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年5月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ↑ 「地方鉄道停車場設置」『官報』1923年2月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年4月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年7月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ↑ 『相鉄70年史』
  24. 1 2 3 相鉄グループ100年史編纂事務局 (2018年12月). “相鉄グループ100年史” (PDF). 相模鉄道. p. 20-21. 2023年1月8日閲覧。
  25. ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年5月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ↑ 『相鉄線物語』51頁
  27. ↑ 『帝国銀行会社要録. 第19版(昭和6年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  28. ↑ 「地方鉄道運輸営業廃止」『官報』1931年11月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  29. 1 2 相鉄グループ100年史編纂事務局 (2018年12月). “相鉄グループ100年史” (PDF). 相模鉄道. p. 25. 2023年1月8日閲覧。
  30. ↑ 鉄道省監督局「地方鉄道、軌道事業の現況並に異動」『電気協会雑誌』第205号、日本電気協会、1939年1月、附録2頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)
  31. ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1940年5月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  32. 1 2 鉄道省監督局「地方鉄道・軌道異動並に現況表」『電気協会雑誌』第231号、日本電気協会、1941年3月、附録2頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)
  33. ↑ 相鉄グループ100年史編纂事務局 (2018年12月). “相鉄グループ100年史” (PDF). 相模鉄道. p. 29. 2023年1月8日閲覧。
  34. 1 2 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
  35. ↑ 「運輸通信省告示第250号」『官報』1944年5月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  36. ↑ 『時刻表』昭和33年7月号による。
  37. ↑ 1960年(昭和35年)11月12日日本国有鉄道公示第571号「日本国有鉄道線路名称の一部を改正する件」
    1960年(昭和35年)11月12日日本国有鉄道公示第572号「相模線西寒川停車場において旅客の取扱を開始する件」
  38. ↑ 1984年(昭和59年)3月22日日本国有鉄道公示第215号「運輸営業の廃止」
  39. ↑ 1984年(昭和59年)3月22日日本国有鉄道公示第216号「駅の廃止」
  40. ↑ “JR相模線 電化工事クワ入れ 2年度完成へ安全祈願祭”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1989年3月7日)
  41. ↑ “相模線16日に電化開業”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1991年3月1日)
  42. ↑ 「相模線電化20周年記念 115系電車の旅」運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年3月1日
  43. 1 2 JR相模線、10日連続運休…自前変電所なし - 読売新聞、2011年3月24日
  44. 1 2 『相模線E131系営業運転開始について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道横浜支社、2021年9月17日。オリジナルの2021年9月17日時点におけるアーカイブ。2021年9月17日閲覧。
  45. 1 2 『2022年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道横浜支社、2021年12月17日。オリジナルの2021年12月17日時点におけるアーカイブ。2021年12月19日閲覧。
  46. ↑ “相模線 ワンマン運転へ 「八王子行」横浜線直通は終了 | 寒川”. タウンニュース. タウンニュース社 (2022年1月1日). 2022年1月2日閲覧。
  47. ↑ 『相模線への新型車両の投入について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道横浜支社、2021年6月17日。オリジナルの2021年6月17日時点におけるアーカイブ。2021年6月17日閲覧。
  48. ↑ 吉谷友尋 (2022年3月4日). “JR東日本205系、相模線での運行終了 - 新型車両E131系と乗り比べた”. マイナビニュース. マイナビ. 2023年2月24日閲覧。
  49. ↑ 鉄道ピクトリアル No.637 p.7
  50. ↑ 『鉄道ピクトリアル』通巻637号 電気車研究会 p.22
  51. ↑ 『鉄道ファン』通巻302号 交友社 p.128
  52. ↑ JR相模線ドア開閉「ボタン式」中止『タウンニュース』茅ヶ崎版、2020年4月17日号
  53. ↑ “相模線用205系500番代2編成が長野総合車両センターへ配給輸送…”. 鉄道ホビダス. ネコ・パブリッシング (2022年7月28日). 2023年2月24日閲覧。
  54. ↑ “各駅の乗車人員”. 東日本旅客鉄道. 2023年10月10日閲覧。
  55. 1 2 “JR人員削減で「駅メロ」ピンチ? ワンマン化で消えたご当地曲も...その背景事情とは”. J-CASTニュース. ジェイ・キャスト (2022年3月26日). 2022年4月6日閲覧。
  56. ↑ “JR茅ケ崎駅 加山さん駅メロ半年で幕 相模線ワンマン化で”. タウンニュース茅ケ崎版 (タウンニュース社). (2022年3月11日) 2022年4月6日閲覧。
  57. ↑ “相模線開業100周年記念イベントを開催します” (PDF). JR東日本. p. 1 (2021年9月17日). 2021年9月29日閲覧。
  58. ↑ “各駅の乗車人員 2023年度 ベスト100|企業サイト:JR東日本”. JR東日本:東日本旅客鉄道株式会社. 2025年2月7日閲覧。
  59. ↑ 相模原の未来を考える会
  60. ↑ JR相模線の複線化の促進(相模原市)
  61. ↑ 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 令和4年度 要望・回答 東日本旅客鉄道 相模線(神奈川県)
  62. ↑ “路線別ご利用状況(1987~2022年度(5年毎))” (PDF). 東日本旅客鉄道. 2024年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月15日閲覧。
  63. ↑ “路線別ご利用状況(2011~2015年度)” (PDF). 東日本旅客鉄道. 2024年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  64. ↑ “路線別ご利用状況(2016~2020年度)” (PDF). 東日本旅客鉄道. 2024年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月12日閲覧。
  65. ↑ “路線別ご利用状況(2018~2022年度)” (PDF). 東日本旅客鉄道. 2024年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月9日閲覧。
  66. ↑ “路線別ご利用状況(2019~2023年度)” (PDF). 東日本旅客鉄道. 2024年7月29日閲覧。

関連項目

外部リンク

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