日本最後の一覧

ウィキペディアから、無料の百科事典

日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧。

なお、掲載対象となる事物は廃止・死亡等のため更新不可能なものを原則とし、現在も可能な物事は法改正や環境の変化に起因し事実上不可能となったものに限定して掲載する。

生物

政治や軍事

天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職

幕府および武士

近代以降の政治制度

近代以降の軍事

外交

行政

社会

過去の時代に生まれた日本人

過去の特定の時代に生まれ、最後まで生存していた日本人(日本国籍者)

日本国内における死刑

以下いずれも日本国内

その他

学問・教育施設

  • 最後の男子大学:東洋食品工業短期大学(2008年度から男女共学化)
    開学以来、力作業を伴う実習授業が多いことから永らく女子の入学を認めていなかったが、2008年度から男女共学となった。これにより、日本の男子大学は消滅した。
    • 東京薬科大学は大学自体は男女共学であるが、男子校と女子校を統合した経緯や男女数を均等にするため薬学部は3年次までは男女別学で授業を行う。
  • 最後の薬学部以外の薬剤師養成課程:広島大学(2006年の薬剤師養成課程の6年制移行に伴う措置)
    ※かつての薬剤師養成課程は医学部に設置されていることが多かった[注釈 51]が、次第に薬学部として独立していった。広島大では最後まで医学部内に薬剤師養成課程(総合薬学科)を設置していたが、6年制移行に伴って医学部から分離され、薬学部薬学科となった。これにより、薬学部以外の管轄による薬剤師養成課程は消滅した。
  • 教養部を設置していた最後の大学:東京医科歯科大学(2024年10月の東京工業大学との合併に伴って名称変更)
    2024年10月に東京工業大学と合併し、その影響で「教養部」の名称を廃止。これにより、日本の大学から教養部が消滅した。ただし、合併以降は「ILA国府台」と名称を変えて現在も実質的な教養部を運用中
  • 校名に「男子」が付いた最後の学校:北星学園男子高等学校(1987年の男女共学化により北星学園新札幌高等学校に改称。現:北星学園大学附属高等学校) ※「男子」のつかない男子校は現在も存在する
  • 校名に「林業」が付いた最後の高等学校:静岡県立天竜林業高等学校(2014年3月31日廃校) ※校名に「農林」「林工」が付く高等学校や、林業系の学科を設置している高等学校は現在も存在する
  • 最後の本州にある村立高等学校:山添村立奈良県立山辺高等学校山添分校(2029年3月廃校予定)※本州以外なら北海道には村立高等学校は他にも存在する

暦

※これ以降漢字4文字の元号が使われたことはない。また、元号法に定める元号の選定について、大平内閣下の1979年に定めた要領によって、元号は「漢字2字であること」と定められた[54]。
  • 最後の公式な日付としての「2月30日」 - 明治5年2月30日(グレゴリオ暦1872年4月7日)
※同年12月2日を最後に太陰太陽暦を廃止し、翌日の「明治5年12月3日」となるべき日付を「明治6年1月1日」とするよう改正したため、同年が日本で記録された最後の2月30日となった。

貨幣

製品

  • 赤チンを製造・販売していた最後の企業:三栄製薬(東京都世田谷区)
    ※2019年5月31日を最後にマーキュロクロム液(通称:赤チン)が日本薬局方から除外されたため、小堺製薬が製造を廃止。これにより三栄製薬が最後の製造・販売企業となった。長年親しまれてきたため、消費者からの要望もあって日本薬局方から除外された後も製造を続けていたが、成分に水銀を含んでいることから、水銀に関する水俣条約により2021年以降は規制対象となるため、2020年12月24日製造分をもって製造を終了した[55][56]。

経済

公共事業

三公社

五現業

日本最後の各種施設・建築物

城郭(日本の城)

交通

鉄道

路線

列車

車両

駅

人物

道路

人物

二輪車・四輪車

航空

航空機

人物

郵便

電気通信

エンターテインメント

映画

人物

  • 最後の映画看板師:久保板観(2018年2月4日死去)

テレビ

放送局

テレビ番組

ラジオ

音楽

芸能

スポーツ

ラグビー

サッカー

アメリカンフットボール

野球

※以下、特に断りのない限り「プロ野球」は日本野球機構を示す。また、選手・監督については、特に断りのない限り、最後まで選手・監督であった人物を示す。

バスケットボール

相撲

ボクシング

  • 最後の15ラウンド制のプロボクシング公式試合:WBA世界バンタム級タイトルマッチ、六車卓也VS朴讃栄(1987年5月24日)。朴の11回TKO勝利。
  • 最後の12ラウンド制のプロボクシング地域タイトルマッチ:東洋太平洋・WBOアジアパシフィックライトヘビー級王座決定戦、マキシム・サゾノフVSアリ・ハイフェーズ(2025年8月4日)。サゾノフの6回TKO勝利。
    • 11ラウンド以上で決着になった最後の地域タイトルマッチ:、東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ、波田大和VS神足茂利。(2025年8月2日)。12回判定1-1で引き分け、波田が王座を防衛。
  • 最後の10ラウンド制のプロボクシング女子地域タイトルマッチ:東洋太平洋女子スーパーフライ級タイトルマッチ、山口直子VSローナロンノイ・シッサイトーン(2011年12月21日)。山口の1回TKO勝利。
  • WBA・WBC分立前最後の世界チャンピオン:小林弘(1969年1月18日WBC王座剥奪)[注釈 129]
  • 最後の昭和デビューのプロボクシング世界チャンピオン:星野敬太郎(2002年7月29日王座陥落。1988年(昭和63年)11月3日デビュー)
    ※JBC非公認を含めると:西澤ヨシノリ(2013年8月5日王座返上。1986年(昭和61年)10月21日デビュー)
  • 昭和時代に世界王座を奪取した最後のプロボクサー:井岡弘樹(1987年(昭和62年)10月18日王座奪取)
  • 20世紀に世界王座を奪取した最後のプロボクサー:星野敬太郎(2000年12月6日王座奪取)
  • 平成時代に世界王座を奪取した最後のプロボクサー
  • 昭和時代に日本王座を奪取した最後のプロボクサー:島村聡一(1988年(昭和63年)12月22日王座奪取)
  • 20世紀に日本王座を奪取した最後のプロボクサー:中野吉郎(2000年12月5日王座奪取)
  • 平成時代に日本王座を奪取した最後のプロボクサー(共に2019年(平成31年)4月21日王座奪取)
  • 平成時代に勝利した最後のプロボクサー:竹中関汰(2019年(平成31年)4月29日勝利)
  • 最後の昭和デビューのプロボクサー:横田広明(2008年6月9日引退。1979年(昭和54年)3月9日デビュー)
    ※海外で引退した者を含めると:西澤ヨシノリ(2007年2月5日国内引退。上記の王座返上とともに引退)
  • 最後の20世紀デビューのプロボクサー:野中悠樹(2026年6月現在現役。1999年11月22日デビュー)
  • 37歳定年で引退した最後のプロボクサー:根本裕也(2023年3月11日引退。同年7月限りで制度廃止)

競馬

マラソン

囲碁・将棋

囲碁

  • 最後の世襲制囲碁本因坊:本因坊秀哉二十一世(1936年に選手権戦制に移行)
  • 大正生まれ最後の現役囲碁棋士:杉内雅男九段(1920年(大正9年)10月20日生。2017年11月21日死去)

将棋

  • 最後の世襲制将棋名人:関根金次郎十三世名人(1935年3月26日付で世襲を廃止、実力制名人戦制に移行)
  • 明治生まれ最後の現役将棋棋士:小堀清一九段(1912年(明治45年)2月10日生。1987年4月引退)
  • 大正生まれ最後の現役将棋棋士:丸田祐三九段(1919年(大正8年)3月30日生。1996年3月引退)
  • 戦前生まれ最後の現役将棋棋士:加藤一二三九段(1940年(昭和15年)1月1日生。2017年6月20日引退)

脚注

注釈

  1. ↑ 但し、国連での絶滅が認められるのは2025年
  2. ↑ 後桃園天皇に譲位。
  3. ↑ 明治22年に皇室典範が制定されたことにより、皇玄孫(4世)までが親王とされるようになった(第31条)。とはいえ、既に親王宣下を受けた皇族はそのまま親王を称することとされた(第57条)。
  4. ↑ 生没年が判明している者のみ。松下村塾自体は1892年まで存続したが記録が散佚しているため、最後まで生き残った者は現在も不明。
  5. ↑ 金沢藩執政(藩臣最高職)本多政均の暗殺に対する加賀本多家旧臣の敵討ち(「明治の忠臣蔵」と言われている)により石川県刑獄寮の裁判で切腹の判決が下され、旧臣12人が切腹した[9][10][11][12]。1872年11月4日切腹刑執行。
  6. ↑ 京都市伏見区淀納所内の水茶屋で店主とで口論となり、一旦は収まったものの、その後に、服部の仲間であった松原貞芳(京都府士族)が挨拶せずに立ち去ったために激高し斬殺。服部は自首し、本来ならば斬罪のところ、士族であり、自首もしたため、自裁(切腹刑)となった[13][14][15]。1872年10月23日に六角獄舎で自裁(切腹)を申し渡され、同年同月中に執行された[16]。最後の切腹刑執行から数えて2番目に当たる。
  7. ↑ 徳田を含む6人組は、1880年(明治13年)12月21日から翌年1月21日の約1か月の間に4件の侵入強盗を起こし、4件目の侵入強盗の際、家主の母を殺害している。この殺害の件により、改定律例第127条及び第13条により、除族の上斬首刑の判決が1881年(明治14年)12月30日に松江裁判所鳥取支庁により下された[17]。なお、その2日後に旧刑法が施行されている。
  8. ↑ 公布日が最後となる勅令。日本国憲法施行後、勅令を新規に公布することはできないが、過去に公布され現在も有効な勅令は複数存在する。
  9. ↑ 平沼は大政奉還以前生まれの首相経験者で最後の生き残りであった(1952年8月22日没)。
  10. ↑ 鈴木貫太郎は最後の非国会議員の内閣総理大臣でもあった。なお、明治改元以前生まれの首相経験者で最後の生き残りは平沼や鈴木貫太郎ではなく岡田啓介であった(1952年10月17日没)。
  11. ↑ なお、19世紀生まれの首相経験者で最後の生き残りは東久邇宮稔彦王(1887年12月3日生・1990年1月20日没)である。
  12. ↑ 鈴木善幸は明治生まれの首相経験者で最後の生き残りでもあった(2004年7月19日没)。
  13. ↑ 村山は大正生まれの首相経験者で最後の生き残りでもあった(2025年10月17日没)。
  14. ↑ なお、江戸時代生まれの国務大臣経験者で最後の生き残りは町田ではなく宇垣一成であった(1956年4月30日没)。
  15. ↑ なお、19世紀生まれの国務大臣経験者で最後の生き残りは石黒武重であった(1995年1月23日没)。
  16. ↑ なお、明治生まれの国務大臣経験者で最後の生き残りは細田吉蔵であった(2007年2月11日没)。
  17. ↑ なお、大正生まれの国務大臣経験者で最後の生き残りは中西績介であった(2025年1月24日没)。
  18. ↑ 原は帝国議会時代から議席を維持し続けた最後の現職議員でもあった。
  19. ↑ 同じく90歳の神奈川県寒川町の藤沢喜代治議員の不出馬による。
  20. ↑ なお、19世紀生まれの都道府県知事経験者で最後の生き残りは千田ではなく久松定武であった(1995年6月7日没)。
  21. ↑ 鈴木は明治生まれの都道府県知事経験者で最後の生き残りでもあった(2010年5月14日没)。
  22. ↑ なお、大正生まれの都道府県知事経験者で最後の生き残りは須賀ではなく伊賀貞雪である(2026年現在存命)。
  23. ↑ 陸軍元帥は西郷が史上唯一。なお海軍元帥は存在せず。
  24. ↑ 古賀は同日に起きた海軍乙事件で殉職。生前に元帥海軍大将を受けた最後は永野修身(1943年6月21日受)。
  25. ↑ 編成発令の前日にソ連対日参戦があったため、編成を完結できなかった。
  26. ↑ 同時に、世界唯一の現存する前弩級戦艦でもあるが、船体の周囲を土砂やコンクリートで埋められて陸地化されているため、動くことはできない。
  27. ↑ 元・ソ連耐氷貨物船「ボロチャエベツ」→辰南海運貨物船「地領丸」。
  28. ↑ 2026年現在、所有権を海上保安庁に残したまま日本海事科学振興財団が管理を受託し、東京・お台場の「船の科学館」の屋外展示物として繋留保存されている。また、解役後の現在もなお「無動力の船」として船舶登録されており、海上保安庁特殊救難隊の訓練施設としても用いられている。
  29. ↑ 総務省発表による国の公式見解では8月15日午前2時39分頃に終了したとしている。1時間ほどのズレが生じているのは、アメリカ軍が爆撃用に用意した爆弾の余剰分を近隣の地域に投棄した際に爆発した記録が残っており、この爆発の起こった時間までを空襲とした場合の時間が午前3時30分頃に当たるため。
  30. ↑ 法律上の手続きを踏まないまま参戦したため国会で問題になった。
  31. ↑ 元山沖で、海上保安庁所属の掃海艇が触雷したことによる。
  32. ↑ 太平洋戦争に参戦しフィリピンのルバング島に派遣され、終戦後も小野田寛郎らとともに戦闘を継続。フィリピン警察軍と銃撃戦になり胸を撃たれ死亡。
  33. ↑ 1948年の極東国際軍事裁判で終身禁錮刑の判決を受け巣鴨プリズンに収監されるも、7年後仮釈放ののち赦免。
  34. ↑ モンテネグロ公国は日露戦争に於いて大日本帝国に宣戦布告したが実際には戦闘は行われず、講和会議にモンテネグロ公国が出席しなかったことから、国際法上モンテネグロ公国との戦争が継続していた。2006年6月3日にセルビア・モンテネグロからモンテネグロ共和国が独立する際に、外務大臣と首相特使によりモンテネグロ共和国政府へ独立の承認と戦争の終結を伝える文書が届けられた。「日本とモンテネグロの関係」を参照されたし。
  35. ↑ 1945年(昭和20年)にアメリカ軍に占領されて消滅した沖縄県を除く。
  36. ↑ 1972年(昭和47年)5月15日の沖縄県の日本復帰を除く。
  37. ↑ 2010年4月1日の市町村の合併の特例に関する法律改正により、地方自治法第8条第1項の掲げる「人口五万以上を有すること。」という要件を緩和する特例が廃止されたため、現在は町村の合併により市を設置するには人口5万人以上でなければならない。ただし現在も同法7条により「市の区域の全部を含む区域をもって市を設置する」場合には要件を備えているとみなされるため、市を含む合併の場合には人口5万人未満の市が新設される可能性がある。南九州市の成立以降、市を含む合併により新設されたが、成立時の人口が5万人に満たない市としては伊佐市(2008年11月1日、大口市と菱刈町による新設合併、法定人口31,499人(2005年10月1日)、住民基本台帳人口31,080人(2008年11月1日))がある。
  38. ↑ 生年月日に確かな記録のある人としては世界最後でもあった。
  39. ↑ 罪状は、381両分(2026年3月時点の米価換算で約420〜2,020万円程[28][29][30])の二分金および25両分(同じく約28~133万円程[28])の太政官札・民部省札を偽造し売ったこと、さらに5両分(同じく約5.5~26.5万円程[28])の民部省札を偽造し使ったこと。執行日は1870年(明治3年)5月27日、執行時の年齢は40歳であった[31]。
  40. ↑ 罪状は、父を殺し母を傷つけたこと、さらに父母以外の2人を死に至らしめたこと。執行許可日は1870年(明治3年)9月23日、許可時の年齢は28歳であった[32]。
  41. ↑ 罪状は、主人殺し。執行許可日は1870年(明治3年)4月22日、許可時の年齢は19歳であった[33]。
  42. ↑ 罪状は、軍曹2人の銀時計を窃盗したとして営倉に入っていた東京鎮台騎兵第1大隊1等卒兵の宇留根が、脱走し工兵第1大隊営下副官室に侵入、2,572円37銭8厘(当時の1円を現在の3万円として換算した場合、約7,717万円[34])を窃盗したというもの。執行許可日は1879年(明治12年)12月3日、執行日は翌日の4日。執行許可時の年齢は23歳であった[35][36]。
  43. ↑ 罪状:不倫を疑い、このままでは自分を殺害し不倫相手と結ばれてしまうと思い込み、夫婦喧嘩をきっかけに就寝中の夫を鉈と包丁と山刀で13カ所の傷を負わせ殺害。1878年(明治11年)10月3日に判決が下され、同月14日に静岡市内で執行され、静岡市内の安倍川湖畔で斬首された首を晒された[37][38][39][40]。執行時の年齢は48歳であった。
    執行後の82日後にあたる1879年(明治12年)1月4日に布告された明治12年太政官布告第1号[41]により梟首(獄門)が、廃止される。
  44. ↑ 1円を2万円で換算した場合、約6万円。
  45. ↑ 罪状は、当時14歳であった三浦千代太郎は、1879年(明治12年)4月から同年7月の間に年給3円[注釈 44][34]で約8畝の畑を耕耘する仕事をしていたが、自身1人に対する仕事量が多く、休暇を何度か願い出たが却下されるばかりか叱責されたため、休暇を得るために雇用主の家の放火を決意し、同年7月7日に放火する。その後、同年11月4日に広島裁判所により斬首刑の判決が下されたが、情緒酌量の余地があり15歳未満の少年であることを理由に、翌年1月9日に懲役10年に減刑する形で恩赦が与えられた[42][43]。
  46. ↑ 1886年(明治19年)12月に「青森の亭主殺し」事件の加害者である小山内スミと小野長之助の公開斬首刑が青森県弘前市の青森監獄前で行われた。この時2人の斬首刑に兼平巡査が斬首刑の執行人として、死刑執行者付添役に森矯(東奥義塾教師)がそれぞれの任を果したと言わている。
    しかし、このことが事実である場合、この死刑執行は事実上の斬首刑の最後であると共に、官憲による日本国内における一般刑法犯に対する最後の非合法の死刑執行かつ公開処刑であると言わざる得ない[44]。
    なお、この2人の死刑執行が行われた同じ年に激化事件である加波山事件により10月2日に3人、10月5日に3人が絞首刑により執行されている。
  47. ↑ 1896年(明治29年)9月15日に検事の許可の元、死刑執行を見届けようと30人が参観している。北海道根室の刑場で行われた[45]。
    また、1885年(明治18年)7月27日に赤井景韶(罪状:冤罪事件である「高田事件」により収監。その後脱獄し、逃走中の所を目撃した人力車夫を殺害)の執行を旧自由党党員を始め100余名が観覧している[46]。
  48. ↑ 2010年(平成22年)7月28日に2人の執行を千葉景子法務大臣が立ち会っている[47][48]。
  49. ↑ 元中島飛行機株式会社の元工員との不倫が1936年(昭和11年)1月20日頃に洋品店を営む夫にばれてしまい、不倫相手により、不倫関係を継続するため夫を殺害するだけでなく、財産を手に入れることを決意。報酬をえさに知り合いの女性を引き込んだ上で、稲荷行者を引き込み、稲荷行者に呪詛を依頼し呪い殺そうとしたが、当然ながら殺せなかった。そのため、被害者(加害者の夫)の晩酌に殺鼠剤を混入して殺害することに決め、同年4月27日に犯行を決行し、最終的に5月7日午前4時頃に被害者を死に至らしめ殺害した。1939年(昭和14年)2月9日に大審院に上告棄却され確定し、同年10月10日に執行される。確定時41歳。因みに、不倫相手も死刑が確定し、共に執行されている。行者と知り合いの女性は無期懲役となっている[49][50][51][52]。
  50. ↑ 1945年12月19日午前2時半頃に、北海道札幌市のアメリカ軍の宿舎路上付近で、お菓子を盗もうと他の2人の仲間と共に侵入し、アメリカのMPに仲間が捕まり、仲間を取り戻そうと、ロバート・C・ヤング1等兵に倉庫から盗んだ銃剣で刺殺したことである。この罪状により、1946年1月21日にアメリカ軍の軍法会議で死刑判決が下された(仲間2人は、30年間の強制労働刑)。1946年5月17日朝4時49分に絞首刑による執行が行われた。執行時年齢は、数え年で18歳(満年齢16~17歳)である。加害者は、1945年5月27日に東京で空襲に遭い、6月12日に札幌に来て、興農塾(戦時中、少年刑務所に委託され、国有地の藻岩山麓に設立された私塾)に入っている。なお、執行前の別れの儀式の際、君が代を歌うか問われた際、歌わないことを選択している。そして、この少年の執行は、巣鴨プリズンで2番目に執行された人物であった。(最初の執行は、同年4月26日に由利敬の絞首刑執行である。そして執行前の別れの儀式で、君が代を歌っている。)[53]。また、この執行はアメリカ軍軍法会議を含めて18歳未満で執行された最後の人物としているが、少年犯罪を取り扱う書籍やサイトによっては、アメリカ軍の軍法会議に裁かれたことを理由に少年犯罪の死刑囚として含めていない場合があることに留意する。
  51. ↑ 医学部以外では、日本大学のように理工学部に薬剤師養成課程を設置していた大学もあった。マツモトキヨシホールディングス会長の松本南海雄がその出身者として知られる。その他、歯学部・理学部・工学部・農学部などに置かれていた大学もあった。
  52. ↑ 地方貨幣等は除く。
  53. ↑ 地方貨幣等は除く。
  54. ↑ 有効券だが、日本の生活文化に適合しない背景もあり、製造は既に中止。
  55. ↑ 『しんせい』は2018年12月廃止、『ゴールデンバット』は2019年10月廃止。
  56. ↑ トラベラーズチェックには有効期限がないため、既に発行されたものの日本円への換金は現在でも可能である。
  57. ↑ 長岡は引き続き日本たばこ産業の初代社長に就任。
  58. ↑ 真藤は引き続き日本電信電話の初代社長に就任。
  59. ↑ 杉浦はその後発足した国鉄清算事業団の初代理事長として1990年まで務めた。
  60. ↑ 西川は総裁就任より前の2006年1月23日には日本郵政の初代社長に就任しており、2007年4月1日以降は兼任となっていた。
  61. ↑ ただし後継の釧路コールマインの坑内採炭はまだ続いている。また、露天掘りの炭鉱が数か所存在する。
  62. ↑ 天守本壇(重要文化財)が焼失したものを再建。
  63. ↑ 同じ場所にあった居館(福山館)を取り壊し、全面改築したもの。
  64. ↑ 築城時の天守は焼失。現在は外観復元した建築物が建つ。
  65. ↑ 陣屋からの改修。
  66. ↑ 城郭の全体は未完成とされる。
  67. ↑ このほか、明治初年に房総に移封された旧城主格の藩のいくつか(鶴舞藩・長尾藩・花房藩など)が築城に着手しているが、未完成に終わった。
  68. ↑ 最初で最後のスカイレール路線であった。
  69. ↑ 日本海縦貫線を全線走破する昼行特急は「白鳥」が最初で最後である。
  70. ↑ 後継として、一般の定期列車に併結される「伊勢志摩お魚図鑑」が運行されている。
  71. ↑ この年に行われた検査で、主台枠に経年劣化による金属疲労で亀裂が生じており、車両を牽引しての運転が不可能と判明したため。
  72. ↑ 車両自体は現在鉄道博物館にて保存・展示されている。なお、EF58形としても最後まで車籍を残していた車両である。
  73. ↑ 昭和時代は全国各地で運用されていたが、平成に入ってからは、特別扱いを嫌う明仁天皇の意向や道路網・新幹線・航空機ネットワークの発達、国鉄分割民営化に伴って皇室用車両がJR東日本に帰属したことなどもあって、運用される機会は少なくなっていた。
  74. ↑ 2007年以降、在来線で運行されるお召し列車にはE655系電車が使用されるようになったため。なお、車両自体は、編成を組んでいた供奉車4両(この中には後述の460号及び461号車もある)及び2号(2代)・3号(3代・旧1号御料車(2代))・14号御料車及びクロ157-1と共に保留車として東京総合車両センターで保管されている(クロ157-1以外の書類上の所属は尾久車両センター)。
  75. ↑ 2026年現在も使用中。
  76. ↑ 1970年に登場した日本初の多扉車でもある。なお昇降式座席増設機構搭載車両としては最初で最後である。
  77. ↑ 戦災復旧客車には「70」番台の形式が与えられていたが、これ以外に「70」番台を名乗る客車としては、他にJR九州が「ななつ星 in 九州」に使用する77系客車がある。
  78. ↑ 460~463号の4両が製造されたが、2号編成に用いられていた462号及び463号車は1986年に廃車された。
  79. ↑ 1960年、1号御料車(3代)の就役に伴い電源車に改造。
  80. ↑ 後継となったE655系電車の就役に伴い、現在は保留車として、先述の1号御料車(3代)と共に東京総合車両センターで保管されている(書類上の所属は尾久車両センター)。
  81. ↑ この時の車番はスイテ37041。
  82. ↑ この後、大阪の交通科学博物館で静態保存されていた。
  83. ↑ 現在は京都鉄道博物館の引込線に静態保存されている。
  84. ↑ 翌1949年までC61形・C62形蒸気機関車が製造されたがこれらはD51形・D52形のボイラーを流用しており改造扱いである。またその後に登場した新形式の蒸気機関車もすべて改造(軸重軽減)によるものである。なお1956年にC63形が新製される計画があったが実機が完成する前に製造が中止された。
  85. ↑ D51形をベースに軸重軽減の改造を施したもの。6両が改造された。
  86. ↑ かつては本線上での営業運転にも従事していたが、2026年現在は京都鉄道博物館の収蔵車両として館内の「SLスチーム号」の牽引に従事している(書類上の所属は梅小路運転区)。
  87. ↑ 2026年現在、C56形160号機とともに京都鉄道博物館の収蔵車両であり、営業運転上は梅小路運転区の所属となっている。
  88. ↑ 2026年現在も車籍は抹消されておらず、保留車として下関総合車両所に所在している。
  89. ↑ 762mm軌間(特殊狭軌線)の北勢線用に製造された車両。現在は同線を継承した三岐鉄道で運用されている。なお、日本の普通鉄道に限ればこれ以降、電動機を流用して吊り掛け駆動式電車が新製された例もない。
  90. ↑ 逓信大臣との兼任。逓信省と合併後も引き続き運輸通信大臣に就任。
  91. ↑ 土坂は東京地下鉄発足後も同社相談役・顧問、メトロ文化財団会長として長く関わった。
  92. ↑ 塩谷は大阪市高速電気軌道発足後も同社副社長を2019年6月26日まで務め、その後は大阪メトロサービス監査役を務めた。
  93. ↑ 近藤は改組後のNEXCO中日本の初代会長を2006年まで務めた。
  94. ↑ 橋本は改組後の首都高速道路株式会社の初代社長を2008年6月まで務めた。
  95. ↑ 木下は改組後の阪神高速道路株式会社の初代社長を2010年6月まで務めた。
  96. ↑ 堀切は改組後の本州四国連絡高速道路株式会社の初代社長を2007年6月27日まで務めた。
  97. ↑ 同時に、エアバス社におけるA380の最終生産機でもあり、同社における商用多発機の最終生産機でもあった。
  98. ↑ 日本貨物航空のANAグループ入りに伴って、現在の書面上の所有者はANAホールディングスとなっている。
  99. ↑ 日本貨物航空ではB747-8型機を14機(8機+オプション6機)納入する計画であったが、8機目となるこの機体で納入を終えている。なお、これにより、日本におけるB747の導入も終了した。
  100. ↑ この最終運航に用いられた機体2機(JA8766及びJA8768機)は、いずれも日本での運航終了後、フィリピンに売却されている。
  101. ↑ 書面上の最終所有者はジャルキャピタル。同型の運航は2009年7月で終了していた。
  102. ↑ 黒野は改組後の成田空港株式会社の初代社長を2011年6月27日まで務めた。
  103. ↑ 内線電話としては現在でも利用されている。
  104. ↑ 全国的には2011年7月24日12時00分00秒に終了したが、上記3県は東日本大震災のため延期されていた。
  105. ↑ 関東・関西を除く地方局では福島テレビで、1963年4月1日開局。
  106. ↑ 独立局以外では高知さんさんテレビ、さくらんぼテレビジョン。いずれも1997年4月1日開局。
  107. ↑ TXNを除く4大系列ではテレビユー福島で、1983年12月4日開局
  108. ↑ 中国放送より後の1968年に社名変更したラジオ岐阜→岐阜放送は、テレビ開局前の変更である。
  109. ↑ 関東・関西を除く地方局ではFM長野で、1988年10月1日開局。
  110. ↑ 現存する局ではFM岡山で、1999年4月1日開局。コミュニティFMではハミングFM宝塚で2000年9月25日開局。
  111. ↑ 現存する局ではFM岐阜で、2001年4月1日開局。
  112. ↑ 在任中の2012年に同協会が公益社団法人に移行したため、新たに理事長(代表理事)制度を導入。坂田死後、協会トップは理事長となり、会長は設けられていない。
  113. ↑ 岡本のみ一軍デビューは2リーグ分裂後の1950年。
  114. ↑ 後楽園球場でプレー経験のある最後の現役選手でもあった。また、2026年現在最後の日本球界200勝投手でもある。
  115. ↑ オリックス・バファローズの前身である阪急→オリックス・ブレーブスへの在籍経験がある最後の現役選手でもあった。また、阪急でデビューして大谷翔平と共にプレーした唯一の選手である。
  116. ↑ 鈴木はプロ野球シーズン25勝勝利投手としても最後である。(1978年達成。25勝)
  117. ↑ 現在は支配下登録選手には「0」「00」及び「1」~「99」までの番号を使うことになっているため、このような例は起こりえない。
  118. ↑ 戦後、セネタース(第2次)として創設された現在の北海道日本ハムファイターズとは系譜が異なる。
  119. ↑ 翼軍と名古屋金鯱軍の対等合併による新球団。共に2リーグ分裂時、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)及び西鉄クリッパース(現・埼玉西武ライオンズ)として創設された現存2球団とは系譜が異なる。
  120. ↑ 現在の横浜DeNAベイスターズに繋がる、大洋ホエールズ(第1次)との合併球団「大洋松竹(洋松)ロビンス」時代(1953 - 1954年)に在籍経験がある選手では権藤正利(1973年引退)が最後。
  121. ↑ 1955年のみ、ネーミングライツにより「トンボユニオンズ」を名乗る。
  122. ↑ 同球団オーナー・永田雅一は現在の千葉ロッテマリーンズの系譜に繋がる合併球団「毎日大映(大毎)オリオンズ」でも同職を務めたが、その永田オーナーの下でプレーした選手では「東京オリオンズ」時代の1968年に入団した村田兆治(1990年引退)が最後。
  123. ↑ 日比野は現役選手として18球団との対戦経験があるが、これは岩本義行に次いでNPB歴代2位の記録でもある。
  124. ↑ 対戦当時の登録名は別所昭。
  125. ↑ 松木は4球団との対戦当時外野手兼任だったため、当時の専任監督であれば藤本定義が最後。
  126. ↑ 水原は同球団との対戦当時内野手兼任だったため、当時の専任監督であれば松木謙治郎が最後。
  127. ↑ 別当は両球団との対戦当時外野手兼任だったため、当時の専任監督であれば三原脩が最後。
  128. ↑ 2007年9月30日に横浜スタジアムで横浜対ヤクルト戦のダブルヘッダーが予定されていたが雨天中止となった。実際に予定されたダブルヘッダーは同試合が最後で、それ以降は日程の消化が遅れダブルヘッダーが実施される可能性が出たことは何度かあるものの、実施および予定に至った例はない。
  129. ↑ 1967年12月14日王座獲得後、在位中にWBC分立。WBA王座は1971年7月29日陥落。
  130. ↑ 現3歳クラシック競走では稲葉幸夫が最後(1941年優駿牝馬。優勝馬テツバンザイ)
  131. ↑ 馬券を発売する競走としては。アマチュアによる草レースはその後も道東を中心に行われている。
  132. ↑ 法令上は中央競馬・地方競馬ともに現在でも開催可能であるが、他国で競走に用いられているスタンダードブレッドが日本ではほとんど生産されておらず、また、現役の騎手・調教師にも技術を持っている者がほとんどいないため、現実的に開催は困難である。
  133. ↑ なお、最後に廃止記念競走が行われる予定だったが、同場で同月8日、中日賞の裁定を巡る暴動事件が発生して取りやめとなっている。
  134. ↑ 馬券を発売する競走としては。繋駕速歩競走と同様、アマチュアによる草レースはその後も道東を中心に行われている。
  135. ↑ 繋駕速歩競走と同様、中央競馬・地方競馬ともに現在でも開催は可能であるが、馬資源と人材の関係から開催は困難である。
  136. ↑ 同時に、ばんえい競走を行っている世界唯一の競馬場でもある。
  137. ↑ 正式に引退、繁殖入りした八大競走優勝馬ではミスターシービー(1983年牡馬三冠)が最後(1985年10月6日引退式施行)。
  138. ↑ 田原は翌1984年に桜花賞をダイアナソロンで優勝しており、最初のGI優勝騎手にもなっている。スポーツに関する日本初の一覧も参照。
  139. ↑ 産駒にはハクバノデンセツなどがいたが、牡馬がいずれも種牡馬入りしなかったため父系としては断絶。
  140. ↑ この選出においては、同じ古馬牝馬で同年GⅠ・スプリンターズステークスを制したビリーヴが選出されなかったという点で物議を醸した。
  141. ↑ 内訳は当年の毎日王冠・天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念の連続3着によるもの。とくにジャパンカップでは日本馬最先着だった。
  142. ↑ なおアルゼンチン共和国杯が同年より目黒記念・秋の施行時期に移動し、実質後継レースとなっている。
  143. ↑ 同レースの優勝馬はザラストアラビアン。
  144. ↑ GIレースではトウカイテイオーが最後(1991年日本ダービー)。
  145. ↑ 中央競馬GI優勝騎手では中舘英二が最後(2015年1月25日引退)。ただし木幡は中央・地方交流GⅠのダービーグランプリを2006年に優勝している。
  146. ↑ 東京2020オリンピック・パラリンピック開催に向けての新競技場への改築のため2014年を以て閉場・解体。
  147. ↑ 2007年制定の東京マラソンは都庁前をスタート地点・有明ビッグサイト(2017年より東京駅前行幸通りに変更)をフィニッシュ地点として開催のため、同大会において旧・国立競技場が使用されることは無かった。
  148. ↑ 同大会を最後に旧・国立競技場を発着点とするマラソン競技大会は完全に消滅した。

出典

  1. ↑ 戦え絶滅動物
  2. ↑ 太上天皇は「上皇」と略称・表記される。2019年に退位した明仁の退位後の称号は「上皇」だが、天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく「上皇」であり、「太上天皇」の略である「上皇」とは別。
  3. ↑ 治承・寿永の乱(壇ノ浦の戦い)により崩御。
  4. ↑ 異母弟の大正天皇(母:柳原愛子)以降の昭和天皇・上皇・徳仁の続柄はいずれも父たる天皇から見て長男(第一皇子)にあたり、いわゆる長子相続によって皇位が継承されている。
  5. ↑ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年7月10日閲覧。
  6. ↑ 法制度上では現在でも皇族が摂政に就任することは可能であるが、これ以降実際に就任した例はない。
  7. ↑ なお、「藩」という概念自体はこの時代には存在しておらず、明治維新以後の呼び名である。
  8. ↑ 藩主相続時点で明治の版籍奉還後、廃藩置県前であった。
  9. ↑ 石川県. 石川県誌稿 政治部 刑賞1(明治4‐17年)(35-49コマ) (JPEG,PDF) (Report). 国立公文書館. 2021年7月23日閲覧.
  10. ↑ 石川県立図書館 (2015年12月1日). “「明治忠臣蔵」「明治最後の仇討ち」と言われた、本多政均(ほんだまさちか)暗殺について載っている簡単な資料はないか。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2021年4月21日閲覧。
  11. ↑ 谷正之「弁護士の誕生とその背景(3) : 明治時代前期の刑事法制と刑事裁判」『松山大学論集』第21巻第1号、松山大学総合研究所、2009年4月、279-361頁、ISSN 0916-3298、NAID 110007579200、2021年6月1日閲覧。
  12. ↑ 佐藤宏之「記憶のかたち : 本多政均暗殺事件と仇討ち」『鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編』第64巻、鹿児島大学、2012年、1-14頁、ISSN 0389-6684、NAID 120005303815、2021年7月20日閲覧。
  13. ↑ 京都府. 京都府史料 一三 政治部 刑賞類2(明治元‐7年)(164-168コマ) (JPEG,PDF) (Report). 国立公文書館. 2021年7月17日閲覧.
  14. ↑ 児玉圭司「明治前期の監獄における規律の導入と展開」『法制史研究』第64巻、法制史学会、2015年、1-57,en3、doi:10.5955/jalha.64.1、ISSN 0441-2508、NAID 130008000861、2021年7月20日閲覧。
  15. ↑ “明治六年政表>司法処刑ノ部>明治六年司法省及ヒ各府県処刑人員(コマ番号12)”. 正院第五科 (1876年). 2021年7月17日閲覧。
  16. ↑ 京都新聞 (1993年11月), 京都新聞 第四十七号, 日本初期新聞全集 : 編年複製版, ぺりかん社, pp. 272, doi:10.11501/12759210
  17. ↑ 鳥取県 (1881). 鳥取県史(鳥取県歴史)政治部(明治14年)(27-32コマ) (JPEG,PDF) (Report). 国立公文書館. 2021年10月17日閲覧.
  18. ↑ http://www.47news.jp/photo/1059019.php
  19. ↑ 潮来市議会議員選挙(2016年1月31日投票)結果|政治山
  20. ↑ 潮来市議会議員選挙開票結果
  21. ↑ 秋田市における戦災の状況(秋田県) - 総務省
  22. ↑ 土崎空襲から77年 秋田市で犠牲者を追悼する式典 - NHK NEWS WEB、2022年8月14日
  23. ↑ 8月14日の熊谷空襲「日本最後であり続けて」 遺族、継承の祈り - 毎日新聞、2022年8月13日
  24. ↑ <望 ~都の空から>熊谷 最後の空襲 戦禍の記憶 - 東京新聞、2021年8月15日
  25. ↑ “地下水自慢「全国で唯一水道のない町」に簡易水道 熊本・嘉島町 宅地開発で整備”. 毎日新聞. 2024年3月20日閲覧。
  26. ↑ “簡易水道事業 業務状況報告 - 上下水道|嘉島町”. www.town.kumamoto-kashima.lg.jp. 2024年3月20日閲覧。
  27. ↑ GISABURO SONOBE Gerontology Research Group、2024年2月13日閲覧
  28. 1 2 3 『お金の歴史に関するFAQ「江戸時代の1両は今のいくら?―昔のお金の現在価値―」』(プレスリリース)日本銀行金融研究所 貨幣博物館、2017年9月。2021年10月24日閲覧。
  29. ↑ 統計調査部消費統計課物価統計室, 統計局 (2026年4月24日). “小売物価統計調査(動向編) 主要品目の都市別小売価格【2026年3月】「「1001 うるち米(単一原料米,「コシヒカリ」)」~「2183 学校給食(中学校)」” (Excel). 政府統計の総合窓口(e-Stat). 2026年5月5日閲覧。
  30. ↑ うるち米(コシヒカリ以外)を1袋(5kg)購入した場合の価格(3,677円[長岡市]~5,302円[藤沢市]、2026年3月時点)を基に計算した。計算例:15~30[kg]×(3,677~5,302[円]÷5[kg])=11,031~53,020[円]
  31. ↑ 若松県, 「旧若松県誌 政治部 刑1-3(明治2・3年)」(府県史料福島-0025) (122-127コマ), 国立公文書館
  32. ↑ 太政官 (1870年9月), 竹次郎等十四名断刑伺, 太政類典 明治三年〜明治四年・治罪法・行刑・死罪, 外編
  33. ↑ 太政官『豊蔵等十四名断刑伺』外編〈太政類典 明治三年~明治四年・治罪法・行刑・死罪〉、1870年4月15日。
  34. 1 2 “明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?”. man@bow(まなぼう). 野村ホールディングス. 2026年5月5日閲覧。
  35. ↑ 太政官 (1879年11月20日). “東京鎮台騎兵卒宇留根利吉官金盗奪ニ付死刑” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2021年10月4日閲覧。
  36. ↑ “東京鎮台騎兵第一シ大隊・・・”. 読売新聞朝刊. 1879年12月4日. p. 3.
  37. ↑ 静岡県史料刊行会『所刑書類』3巻、静岡県立中央図書館葵文庫〈明治初期静岡県史料〉、1969年、630–635頁。doi:10.11501/3016891。NCID BN01798314。
  38. ↑ 静岡県, 駿河国史 第3輯 材料 処刑書類(明治11‐14年)(118-124コマ目), 国立公文書館
  39. ↑ “駿州駿東群竹ノ下村の・・・”. 読売新聞朝刊. 1878年10月17日. p. 2.
  40. ↑ 司法省 (1878年). “司法省第四刑事統計年報 刑事統計表 (コマ番号41,48,67)”. 2020年10月18日閲覧。
  41. ↑ 太政官 (1879). “第一号 名例律五刑条例ニ関スル件(86コマ)” (日本語). 太政官布告 自明治十一年至明治十二年 (第七). doi:10.11501/2938268 2021年7月25日閲覧。.
  42. ↑ 太政官 (1880-01-09), 広島県平民三浦千代太郎犯情酌量本罪ニ二等ヲ減ス, 太政類典・第四編・明治十三年, 第六十一巻・治罪・赦宥一・犯情酌量, 国立公文書館
  43. ↑ 司法省 (1879年). “司法省第五刑事統計年報 第十號 常事犯者ノ年齡及處斷 (コマ番号90)”. 2024年9月28日閲覧。
  44. ↑ 手塚豊『刑罰と国家権力 国家的刑罰権と非国家的刑罰権――明治前期の場合に関する一未定稿』法制史学会、1960年4月、182–185頁。doi:10.11501/2527269。NCID BN0366777X。
  45. ↑ 読売新聞 (1896年). “斎藤甚吉(27歳)”. 日本の死刑 - 明治時代. 2021年12月5日閲覧。
  46. ↑ 読売新聞 (1885年). “赤井景韶(年齢不明)”. 日本の死刑 - 明治時代. 2021年12月5日閲覧。
  47. ↑ “2人の死刑を執行 1年ぶり 民主政権下で初”. 日本経済新聞. 2010年7月28日. 2021年12月11日閲覧.
  48. ↑ 鈴木宗男 (2010年7月30日). “千葉景子法務大臣による死刑執行に関する質問主意書” (HTML,PDF). 衆議院. 2021年1月30日閲覧。
  49. ↑ “桐生の夫殺し死刑確定す”. 読売新聞. 1939年2月10日.
  50. ↑ 相馬獄長 (2020年9月26日). “昭和戦前における、被害者人数を超える死刑求刑事例”. note. 2022年1月3日閲覧。
  51. ↑ 大蔵省印刷局 (1939-10-21), 死刑執行, 官報, 3839, 日本マイクロ写真, pp. 685, doi:10.11501/2960333
  52. ↑ 第三部第三期刑事班, 司法研究所 (1941), 第二十六章 殺人ノ罪 一三一 殺人, 刑事裁判例 : 刑法犯 刑法犯, 上巻, 司法研究所, pp. 484-488, doi:10.11501/1444998
  53. ↑ 上坂冬子『巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪』PHP研究所、2004年7月1日、314–325頁。ISBN 9784569632490。NCID BA68741162。
  54. ↑ 国立公文書館. “元号選定手続について”. 国立公文書館. 2021年11月30日閲覧。
  55. ↑ “「赤チン」来年で姿消す 最後のメーカー生産中止”. SankeiBiz (2019年4月16日). 2020年12月20日閲覧。
  56. ↑ “「赤チン」最後の1社が製造終了、最盛期は100社”. 日刊スポーツ (2020年12月20日). 2020年12月20日閲覧。
  57. ↑ 紙製「ブックマッチ」生産終了で「絶滅」 喫茶店でもマッチ見かけない時代
  58. ↑ ただし、全国区での発売を行わない地元向け製品や旅行時の土産物としての取扱を目的とする地方食品では現在も『メリケン粉』の名称を使用しているメーカーが在るとされる。
  59. ↑ 消えるマイクロフィルム 国内で唯一製造の富士フイルムが生産終了へ 今月26日の受注が最後に 信濃毎日新聞デジタル、2025年12月24日閲覧
  60. ↑ “見どころ”. 松山城. 2018年6月15日閲覧。
  61. ↑ “松前城・松前城資料館”. 北海道松前藩観光奉行. 松前町ツーリズム推進協議会. 2009年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月15日閲覧。
  62. ↑ 濱口和久. “日本の名城 福江城 幕末に建築された国内唯一の海城”. zakzak. 2018年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月15日閲覧。
  63. ↑ 濱口和久. “日本の名城 園部城 明治新政府が築かせた最後の城”. zakzak. 2018年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月15日閲覧。
  64. ↑ “「最後の城」若人見守る 維新期に築かれた園部城(時の回廊)”. 日本経済新聞. 2018年6月15日閲覧。
  65. ↑ “さんむのふるさと散歩 No.7 ” (PDF). 広報さんむ. 山武市 (2007年1月). 2017年5月11日閲覧。
  66. ↑ アプト式区間。最初で最後でもある。アプト式区間は1963年9月30日廃止。横川駅~軽井沢駅間も1997年10月1日に廃止。
  67. ↑ 大阪市交中央線との直通運転のため、第三軌条方式を採用した。
  68. ↑ 2005年7月1日に大阪市交通局に運営を移管して消滅。路線はそのまま大阪市交中央線の一部になる。純粋に新規建設・開業したものであれば横浜市営地下鉄1号線(現・ブルーライン)(1972年12月16日開業)が最後。
  69. ↑ “国内唯一の無軌条電車「立山トンネルトロリーバス」、2024年12月1日廃止 | レイルラボ ニュース”. レイルラボ(RailLab) (2023年12月11日). 2023年12月12日閲覧。
  70. ↑ “LDの生産が全世界で終了。最終プレスは川中美幸|ORICON NEWS” (2007年5月20日). 2021年11月30日閲覧。
  71. ↑ “虎超過密日程 ダブルヘッダーに14連戦も”. 日刊スポーツ. 2014年8月21日.
  72. ↑ 日刊スポーツNEWS (2022年1月26日). “現役最年長51歳華吹が引退 初土俵は昭和61年 最高位は03年三段目18枚目”. 2022年1月26日閲覧。
  73. ↑ “2008東京国際女子マラソン 大会結果”. 公益財団法人 日本陸上競技連盟 (2008年11月17日). 2022年2月1日閲覧。

関連項目

日本初の一覧