本田圭佑

ウィキペディアから、無料の百科事典
本田 圭佑
名前
愛称 ケイスケホンダ
カタカナ ホンダ ケイスケ
ラテン文字 Honda Keisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-06-13) 1986年6月13日(40歳)
出身地 大阪府摂津市[1]
身長 182 cm[1]
体重 74 kg[1]
選手情報
在籍チーム シンガポールの旗 FCジュロン
ポジション MF / FW[1]
背番号 4
利き足 左足
ユース
1994-1998 日本の旗 摂津FC
1999-2001 日本の旗 ガンバ大阪Jrユース
2002-2004 日本の旗 星稜高校
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
2005-2007 日本の旗 名古屋グランパスエイト 90 (11)
2008-2009 オランダの旗 VVVフェンロー 68 (24)
2010-2013 ロシアの旗 CSKAモスクワ 94 (20)
2014-2017 イタリアの旗 ACミラン 81 (9)
2017-2018 メキシコの旗 CFパチューカ 29 (10)
2018-2019 オーストラリアの旗 メルボルン・ビクトリーFC 18 (7)
2019 オランダの旗 SBVフィテッセ 4 (0)
2020 ブラジルの旗 ボタフォゴFR 18 (2)
2021 アゼルバイジャンの旗 ネフチ・バクー 7 (2)
2021 リトアニアの旗 FKスードゥヴァ・マリヤンポレ 6 (1)
2024 ブータンの旗 パロFC 2 (2)
2026- シンガポールの旗 FCジュロン
代表歴2
2002  日本 U-17 1 (0)
2005  日本 U-20 1 (0)
2006-2008  日本 U-21/22/23 18 (5)
2008-2018[2] 日本の旗 日本 98 (37)
監督歴
2018-2023 カンボジアの旗 カンボジア
1. 国内リーグ戦に限る。2024年7月30日現在。
2. 2018年7月3日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日[1] - )は、大阪府摂津市出身(広島県府中市生まれ[3])の実業家、サッカー指導者、サッカー解説者、プロサッカー選手。シンガポールプレミアリーグ・FCジュロン[注釈 1]所属。ポジションはMF、FW[1]。元日本代表。タレント専属契約はエイベックス・マネジメント・エージェンシー[4]。

概要

アジア(日本・ブータン)、ヨーロッパ(オランダ・ロシア・イタリア・アゼルバイジャン・リトアニア)、北米(メキシコ)、オセアニア(オーストラリア)、南米(ブラジル)と5地域のプロリーグでプレーし得点を決めた。

日本代表時代には日本人初となるW杯3大会連続ゴールを決め(日本人のW杯最年長得点者)、アジア人のW杯最多得点者となり、アジア人初となるW杯3大会連続アシストも達成。W杯3大会連続となる得点とアシストの両方を記録した史上6人目の選手となった[5][6]。FIFA選出のW杯の「マン・オブ・ザ・マッチ」は4回受賞しており、受賞総数8位である[7]。

2020年にイギリスメディア『90min』選定の「21世紀の日本代表ベストイレブン」に選出[8]、ドイツメディア『SPOX』選定の「アジア歴代ベストイレブン」に選出[9]、『アジアサッカー連盟(AFC)』『Opta』選定の「W杯アジアベストイレブン」に選出された[10]。

選手以外の活動も精力的に行い、2012年から自身がプロデュースするサッカースクール・SOLTILO FAMILIAを日本全国で開校[11]。2015年からは複数のプロサッカークラブの実質的なオーナーを務める[12]。2018年よりカンボジア代表のGM・監督に就任し、2023年に退任。

クラブ経歴

プロ入り前

広島県府中市生まれ[13]、大阪府摂津市出身。両親は本田が小学校2年生の春に離婚、自身は父親に引き取られたが、仕事で忙しかったこともあり、祖父母に育てられていた[14][15]。幼少時は鳥飼さつき園に通園[16]。摂津市立鳥飼北小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。摂津市立第四中学校に入学。あだ名はゴリ[17]。その後、ガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大、東口順昭らとともにプレーしたが[17]、当時はスタミナやスピードに難があり、ユースチームへの昇格が見送られた為[18]、石川県の星稜高校へ進学した[19]。1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年時にはキャプテンとして第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、石川県勢として初のベスト4に貢献した[19]。高校では、豊田陽平や橋本晃司とともにプレーした。2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、7月24日に行われたナビスコカップのジュビロ磐田戦で公式戦初出場を果たした。背番号は「39」。同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが獲得は見送られた[20]。

名古屋グランパスエイト

高校卒業に際して複数のJリーグクラブからオファーを受け[19]、前年に特別指定選手として在籍していた名古屋グランパスエイトとプロ契約を結んだ。背番号は「24」。本人の希望により加入時の契約に「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が盛り込まれていた[21]。2005年3月5日、ジェフユナイテッド千葉戦でクラブ史上4人目となる高卒ルーキーの開幕スタメンでプロデビューし、アシストを決めた。4月28日、第8節東京ヴェルディ戦でプロ初ゴールを決めた。

セフ・フェルフォーセンが監督に就任した2年目からレギュラーに定着。フェルフォーセンは本田を主に左サイドで起用するが、これはヨンセンの高さを生かすために本田のクロスが武器になることを期待したことに加え、まだ若い本田の戦術理解力を上げるために様々な役割を与えていたことが理由として挙げられる[22]。

VVVフェンロ

VVVフェンロでの本田圭佑(2009年)

2008年1月16日、エールディヴィジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンロへ移籍。2年半契約+1年のオプション付きで背番号は「29」[23]。VVVフェンロのハイ・ベルデン(オランダ語版)会長が名古屋グランパスを率いていた同郷のセフ・フェルフォーセンに日本人選手獲得について相談し、フェルフォーセンが本田を推薦したことが移籍のきっかけとなった[24][25]。1月20日の入団会見直後に行われたPSV戦に後半開始から出場した[26]。3月15日、第29節フェイエノールト戦で移籍後初得点となる直接FKを決めた[27]。レギュラーに定着したが、チームはエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。

2008-09シーズンは8月に浦和レッズから正式オファーが届いたが、本田はオファーを断り、残留を決めた[28][29]。背番号を「10」に変更し、攻撃の軸として首位を独走するチームの原動力となり、2009年3月20日のフォルトゥナ戦からはキャプテンを任された。4月24日、ハーレムに勝利し、チームをリーグ優勝と1部復帰に導いた[30][31]。リーグ戦36試合に出場し16ゴール13アシストを挙げ、2部各チームの監督と主将投票による年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した[32][33]。

2009-10シーズンは8月にジーコが率いるロシア・プレミアリーグのCSKAモスクワから正式オファーが届いたが、本田はオファーを断り、残留を決めた[34][35]。前半戦18試合に先発出場し、6ゴール7アシストを挙げた。第3節ユトレヒト戦では約30 mの距離から豪快なミドルシュートを決めた[36]。このゴールは2017年に『FOX Sports』で過去10年のエールディビジで生まれた「スーパーミドルTOP10」で5位に選出[37]、2019年にはエールディビジで生まれた「日本人最高のゴールTOP10」で1位に選出された[38]。2009年12月にCSKAモスクワ、PSVから正式オファーが届いた[39][40]。

CSKAモスクワ

CSKAモスクワでの本田(2010年)

2010年1月1日、ロシア・プレミアリーグのCSKAモスクワへ移籍。4年契約で背番号は「7」。移籍金は900万ユーロ(約12億円)と報道され、ロシア・プレミアリーグでプレーする初めての日本人選手となった[41][42][43]。

2010年2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦に先発出場し、CL初出場を果たした。この大会のみ背番号は「18」をつけた。3月16日、2ndレグのセビージャ戦で前半39分にはトマーシュ・ネツィドの先制点をアシストし、後半10分には約30mの距離から決勝点となる直接FKを決め、CL初得点。2戦合計3-2でCSKAが勝利し、日本人初、クラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8への原動力となった[44][45]。この試合で「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出、さらに1stレグ2ndレグともに欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選出された[46][47]。準々決勝ではジョゼ・モウリーニョが率いるインテルと対戦し、1stレグ2ndレグともに先発出場したが、チームは敗れた。この大会でインテルは優勝を果たした。

2010-11シーズンは2010年3月12日に行われた開幕戦のアムカル戦に先発出場し、後半アディショナルタイムに移籍後初得点となる決勝点を決めた[48]。不慣れなボランチでの出場が多いながらも、リーグ戦で4得点を挙げ、ロシア紙『スポーツ・エクスプレス』の採点では平均6.02で全選手中10位と高く評価され[49]、来シーズンのCL本戦出場権獲得に貢献した。UEFAヨーロッパリーグ(EL)では、グループリーグのパレルモ戦で1ゴール2アシストを挙げるなどの活躍を見せ、グループリーグ突破に貢献した[50][51]。EL決勝トーナメント2回戦でフッキ、ラダメル・ファルカオ、ハメス・ロドリゲスらを擁し、アンドレ・ビラス・ボアスが率いるポルトと対戦。1stレグ2ndレグともに先発出場したが、チームは敗れ、ベスト16に終わった。この大会でポルトは優勝を果たした。2011年5月22日、ロシア・カップ決勝のアラニア戦で決勝点をアシストし、CSKAモスクワの2シーズンぶりの優勝に貢献した[52]。

2011-12シーズンはボランチではなく、得意とする右サイドハーフで起用されたことで得点に絡む機会が増え、18試合で前シーズンを上回る7得点を挙げるなど好調だったが、2011年8月28日のスパルタク・モスクワ戦で右膝半月板を損傷し、9月1日に手術を受け、全治には最長3か月と発表された[53]。11月18日のルビン・カザン戦で先発フル出場し、2か月半ぶりに復帰を果たすも、試合後に右膝の故障が再発し、またも長期離脱となり[54]、CLグループリーグを全試合欠場した。2012年1月、イタリア・セリエAのラツィオへの移籍が取り沙汰され、冬の移籍市場でイタリア勢で最高金額の移籍金のオファーを提示されたが、CSKAがオファーを断り、移籍は破談となった[55][56]。2012年2月21日、CL決勝トーナメント1回戦1stレグのレアル・マドリード戦で途中出場し、3か月ぶりに公式戦復帰を果たした。しかし、2ndレグは左太ももの負傷で欠場し、チームも敗退した。4月21日のディナモ・モスクワ戦で1か月半ぶりに復帰を果たした。5月13日、最終節ルビン・カザン戦で9カ月ぶりの得点を決めるもチームは敗れ、来シーズンのCL出場権を逃した。

2012-13シーズンはトップ下で起用され、19試合で7得点を挙げる活躍でチームの原動力となり、チームは首位でウィンターブレイクを迎えた。ウィンターブレイク中の2013年2月に左足首の負傷でチームを離脱。以後、長期に渡り治療を余儀なくされ、3月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦も欠場し、4月21日のスパルタク・モスクワ戦で2か月ぶりに復帰を果たした。2013年5月18日、CSKAモスクワは6シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、自身にとって初の欧州1部リーグでの優勝となった。6月1日、ロシア・カップ決勝のアンジ戦に先発出場し、2シーズンぶりの優勝に貢献、2冠を達成した。ロシア紙『スポーツ・エクスプレス』選定の2012-13シーズンのベストイレブンにトップ下で選出された[57]。

2013-14シーズン初戦となったロシア・スーパーカップのゼニト戦で2得点を決める活躍を見せ、CSKAモスクワの4シーズンぶりの優勝に貢献した[58][59]。夏の移籍市場でセリエAのACミランへの移籍が取り沙汰され、1か月以上にわたってクラブ間交渉が行われたが、最終的にCSKAがオファーを断り、移籍は破談となった[60]。CLグループリーグではバイエルン・ミュンヘン戦とプルゼニ戦で1ゴールを決めるなど2G2Aの活躍を見せたが、チームはグループリーグで敗退した。2013年12月11日、CSKAモスクワ退団が発表された。

ACミラン

ACミランでの本田(2015年)

2013年12月11日、セリエAのACミラン移籍が発表された[61]。3年半契約で背番号は自ら希望した「10」に決まった。2014年1月12日、第19節サッスオーロ戦で後半から途中出場し、セリエAデビューを果たした[62]。しかし、翌日マッシミリアーノ・アッレグリ監督が成績不振により解任された。アッレグリの下で得意とするシャドーでの起用予定だったが[63]、新監督のクラレンス・セードルフはカカをトップ下に置き、本田は右サイドで起用された。1月15日、初の先発出場となったコッパ・イタリア5回戦スペツィア戦で移籍後初得点を決めた。4月7日、第32節ジェノア戦でリーグ戦初得点を決めた[64]。

2014-15シーズンはフィリッポ・インザーギが監督に就任し、3トップの右ウイングで起用された。開幕戦のラツィオ戦で先発出場し、先制点を決めた[65]。第2節パルマ戦ではジャコモ・ボナヴェントゥーラの先制点をアシスト、イニャツィオ・アバーテのクロスを頭で決め、1ゴール1アシストを記録した[66][67]。第7節ヴェローナ戦で移籍後初の1試合2得点を決めた。2014年11月23日、インテルとのミラノダービーにインテル所属の長友佑都とともに出場し、ミラノダービーで初の日本人対決が実現した[68]。

2015-16シーズンはシニシャ・ミハイロヴィチが監督に就任。2試合連続で出場機会がなく、チームが2連敗を喫した10月4日のナポリ戦後、チーム批判とも受け取られかねない発言をした[69]。次節からアレッシオ・チェルチが右ウイングで起用されたため、出場機会が激減した[70]。12月20日、第17節フロジノーネ戦でシステム変更に伴い右サイドハーフに抜擢、リーグ戦では12試合ぶりの先発出場となり、アバーテの同点ゴールをアシスト、フル出場を果たし勝利に貢献[71]。監督の信頼を得て、以降は右サイドハーフのレギュラーに定着。2016年1月30日、インテルとのミラノダービーに先発出場し、右サイドからのクロスでアレックスの決勝点をアシストし勝利に貢献[72]、伊3紙から最高点が与えられた[73]。2月14日、第25節ジェノア戦で30m超の距離から今季リーグ戦初得点となるミドルシュートを決めた[74][75]。このゴールはミランサポーターが選ぶシーズンベストゴールに選出された[76]。コッパ・イタリアでは7試合で1G4Aを挙げ決勝進出に貢献、決勝戦のユヴェントス戦で先発フル出場を果たしたが、チームは延長戦で敗れ、優勝を逃した[77]。ユヴェントスはリーグでも優勝を果たしていたため、準優勝のミランが来シーズンのスーペルコッパ・イタリアーナの出場権を獲得した。

2016-17シーズンはヴィンチェンツォ・モンテッラが監督に就任し、スソ、エムベイェ・ニアン、ジェラール・デウロフェウといった若くてスピードがあるウイングが起用されたため、出場機会が少なかった。2016年12月23日、スーペルコッパ・イタリアーナが行われ、ベンチ入りしたが出場せず、チームはユヴェントスにPK戦で勝利し、ミラン移籍後初タイトルを獲得した。2017年1月31日、冬の移籍市場最終日にイングランド・プレミアリーグのハル・シティから正式オファーが届いたが、本田はオファーを断り、残留を決めた[78][79]。2017年5月21日、ホーム最終戦のボローニャ戦で途中出場し、今季初得点となる直接FKを決めた。ミランの来季のEL出場を決定付ける得点でもあり、このFKはミランサポーターが選ぶ5月のベストゴールに選出された[80]。試合後、自身の公式Twitterを開設すると同時に今季限りでのミラン退団を表明した[81]。5月28日、ミランでのラストマッチとなった最終節のカリアリ戦では、ミランで初めてゲームキャプテンを任された[82]。

ミラン情報サイト『ピアネタ・ミラン』は本田について「良いテクニックを持っており、戦術的には貴重な選手であり、頭も良い。それに非常にプロフェッショナルな選手だ」と評した一方で「マーケティング目当てで獲得したというレッテルが貼られ、ティフォージ(サポーター)から愛されなかった。もし本田が背番号10番以外を選んでいたとしたら、ミランのサポーターの態度は違っていたのかもしれない」と指摘した。「模範的なプロ選手であり続け、コンディションを保つために労を惜しまず、彼を指導した監督は全員、彼について好印象を持っていた。ミランでは大成功を収めることはできなかったが、足跡はしっかり残した」と締めくくった[83]。

パチューカ

2017年7月14日、リーガMX(メキシコ1部リーグ)のパチューカへの移籍が決定した[84][85]。1年契約で背番号は「02」[86]。ユニフォームネームは「KSK」となっている。この「KSK」とは自身の展開するブランドの名前であり、圭佑という名前をもじったものである[87]。

2017-18シーズンの前期(アペルトゥーラ)は右ふくらはぎ肉離れで出遅れたが、8月22日の前期第6節ベラクルス戦で後半から途中出場し、移籍後初得点を決めた[88]。コパMXでは決勝トーナメント1回戦のサカテペク戦で移籍後初の1試合2得点を決め[89]、準々決勝のティフアナ戦ではハーフウェーライン手前から4人抜きのゴールを決め称賛された[90][91]。

2017年12月に開催されたFIFAクラブワールドカップでは北中米カリブ海王者として挑み、準々決勝のウィダード・カサブランカ(モロッコ・アフリカ王者)戦で先発フル出場し、勝利に貢献[92]。準決勝のグレミオ(ブラジル・南米王者)戦でも先発フル出場し、奮闘するも、チームは延長戦の末に敗れた[93][94]。右膝痛のため3位決定戦のアル・ジャジーラ(UAE・開催国王者)戦は欠場したが、チームは勝ち、3位となった[95]。

後期(クラウスーラ)では第5節モレリア戦で直接FKを決め[96]、第14節プエブラ戦ではリーグ戦初の1試合2得点を決めた[97]。1トップ、トップ下、右インサイドハーフ、右ウイングと複数のポジションでプレーし、リーグ戦29試合に出場し10ゴール7アシストを挙げ、チームの攻撃を牽引。この活躍を北米メディア『ESPN』からは「今季メキシコリーグに加入選手の中で最もインパクトを残した」と称賛された[98]。

メルボルン・ビクトリー

2018年8月6日、Aリーグ(オーストラリア1部リーグ)のメルボルン・ビクトリーへの移籍が発表された。1年契約で背番号は「4」。年俸制限のないマーキープレーヤーとしての契約となる[99]。

2018-19シーズンは右インサイドハーフで起用され、10月20日に行われた開幕戦のメルボルン・シティ戦にキャプテンマークを巻き先発出場し、移籍後初得点となる先制点を決めた[100]。開幕から7試合で4G3Aを挙げ、10月と11月のAリーグ月間最優秀選手に選出された[101]。12月に右太もも裏を負傷し、チームを離脱。2019年2月10日、第18節パース・グローリー戦で2か月ぶりに復帰を果たした。AFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)のグループステージ第1節大邱FC戦で大会初出場を果たした。2019年3月12日、クラブチームの選手として、11年3か月ぶりの日本凱旋試合になった第2節サンフレッチェ広島戦でACL初得点を決め、第2節のベストイレブンに選出された[102][103]。チームはレギュラーシーズン3位になり、ファイナルシリーズ進出を決めた。ファイナルシリーズでは2試合にフル出場し、2アシストを挙げたが、準決勝でシドニーFCに敗れた[104]。

フィテッセ・アーネム

2019年6月にメルボルンビクトリーを退団後、無所属の状態が続いたが、同年10月31日からエールディヴィジのSBVフィテッセの練習に参加。CSKAモスクワ時代の恩師であるレオニード・スルツキーがチームを率いていた。11月6日、フィテッセへの移籍が発表された。シーズン終了までの1年契約で背番号は「33」、10年ぶりのオランダ復帰となった[105][106]。練習参加だけの予定だったが、スルツキー監督から獲得を熱望され、心変わりしたことを移籍理由に挙げた[107]。

2019年11月24日、第14節スパルタ戦に先発出場し、半年ぶりの実戦となった[108]。第15節ヘーレンフェーン戦も先発出場を果たしたがチームは敗れ、試合後に5連敗の責任を取り、スルツキー監督は辞任した[109]。12月23日、フィテッセ退団が発表された[110]。低迷するチーム状況を変えられず、恩師であるスルツキ監督の退任を招いたことを退団理由に挙げた[111]。

ボタフォゴ

2020年1月31日、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル1部リーグ)のボタフォゴへの移籍を発表[112]。1年契約で背番号は「4」。

2020年3月15日、リオデジャネイロ州選手権の第3節バングー戦に先発出場し、先制点となるPKを決め、移籍後初得点を挙げた[113]。この得点により、クラブキャリア通算100得点を達成した[114]。また、アジア・ヨーロッパ・北アメリカ・オーストラリア・南アメリカの5大陸のプロリーグで得点を記録した史上初の選手となった[注釈 2][115][116]。しかし、試合後に新型コロナウイルスの感染拡大を受け、全ての公式戦が中断。中断によりクラブの収入は激減し、以前から巨額の負債を抱えていたクラブの財務状況は一層悪化、選手やクラブスタッフへの給与遅配が続いた。5月に本田は遅配している3月分の給与を受け取らないことを申し出たが、クラブ側は全選手に給与を支払う方針を示した[117]。6月29日、公式戦再開となるリオデジャネイロ州選手権の第4節カボフリエンセ戦からゲームキャプテンを任された[118]。10月11日、ブラジル全国選手権の第15節スポルチ戦で全国選手権初得点を挙げた[119]。日本人の全国選手権でのゴールは三浦知良(1990年)、前園真聖(1998年)に続き3人目となった[120]。チームは降格圏に沈み、1年で4人(最終的には1年で5人)の監督が解任。度重なる監督交代、1試合も指揮を執っていない監督を就任13日で解任したフロント陣に不満を持ち、ボタフォゴ退団を示唆した[121]。12月19日のコリチーバ戦で左太ももを負傷し、全治6 - 8週間の診断を受け、チームを離脱。

2020年12月30日、自身のTwitterでボタフォゴ退団を表明し[122]、2021年1月29日に退団が発表された。チームに残留しても負傷でシーズンの残り試合の出場は難しい中での退団だったが、チームが降格圏に沈む中での退団にサポーターやメディアからは厳しい声が上がった。しかし、チームメイトのサロモン・カルーはボタフォゴの問題を指摘し、本田の退団に理解を示した[123]。新型コロナウイルスの感染が深刻化している中でチームメイトやチームスタッフと自身の送別会を開き、批判を受けた[124]。

2021年1月、オファーを受けていたプリメイラ・リーガ(ポルトガル1部リーグ)のポルティモネンセで前年12月に負傷した左太もものリハビリを行っていた。2021年2月2日、ポルトガルリーグの規定では夏の移籍市場が閉まった時点(20-21シーズンは2020年10月25日)で無所属であれば、移籍期間外でも選手登録が可能なフリーエージェントとして認められることが判明。2020年10月25日時点でボタフォゴ所属の本田はフリーエージェントとしては認められず、また当初発表されていたポルトガルリーグの冬の移籍期間は2月4日までだったが、2月2日までに変更されていたことも判明[125]。

2021年2月6日、ポルティモネンセへの入団会見を行った[126][127]。半年契約で背番号は「4」。しかし後日、登録期間内に選手登録が間に合っていなかったことが判明し、今シーズンの公式戦出場が不可能になったため、移籍は実現しなかった[128]。

ネフチ・バクー

2021年3月15日、アゼルバイジャン・プレミアリーグのネフチ・バクーへの移籍が発表された。シーズン終了の5月末までの契約で背番号は「4」[129]。アゼルバイジャン・プレミアリーグでプレーする初めての日本人選手となった[130]。4月4日、第21節スムガイト戦に後半開始から出場し、3か月半ぶりの公式戦出場となった。第25節ケシュラ戦で移籍後初得点を挙げ[131]、第26節サバイル戦では2試合連続となる得点を挙げた[132]。5月19日、リーグ7連覇中で首位のカラバフと優勝を懸けた最終節に先発出場し、チームはカラバフに勝ち、逆転で8シーズンぶりのリーグ優勝を達成した[133]。

スードゥヴァ・マリヤンポレ

2021年9月14日、Aリーガ(リトアニア1部リーグ、現・トップリーガ)のスードゥヴァへの移籍が発表された[134]。シーズン終了の11月末までの契約で背番号は「3」[134]。9月26日、第30節バンガ戦に先発出場し、4か月ぶりの実戦となった試合で移籍後初得点を挙げた[135]。

2022年10月に膝の手術を受けた[136]。実戦復帰を目指して、リハビリと練習を続けていた。

パロFC

2024年7月29日、ブータン・プレミアリーグのパロFCと1試合限定で契約したことを発表した[137]。背番号は「4」でユニフォームネームは「KSK」。本田にとって10カ国目のクラブとの契約となる。当初は8月13日に行われるAFCチャレンジリーグ2024/25への出場権を懸けたプレーオフのみの出場予定だったが[138]、8月8日の第12節チランFC戦に後半開始から出場し、2年9か月ぶりに公式戦復帰を果たした[139]。8月13日、AFCチャレンジリーグ・プレーオフのチャーチ・ボーイズ・ユナイテッド(英語版)戦にキャプテンマークを巻いてフル出場、ボランチとして攻守で奮闘しチームの勝利に貢献、クラブを史上初のAFC国際大会本戦出場に導いた[140]。同年10月14日、前回同様に1試合限定でパロFCと再契約し、20日に行われるリーグ最終節のティンフー・シティFC戦に出場する事を発表した[141]。その試合でもキャプテンマークを巻いて出場し、PKとヘディングで2得点を挙げて自身10カ国目の得点記録を達成した。チームは最終戦を前にリーグ優勝を決めており、試合後のセレモニーではチームメイトと喜びを分かち合った[142]。

FCジュロン

2026年4月14日、2026/27シーズンからシンガポールプレミアリーグのFCジュロン(旧称アルビレックス新潟シンガポール)への加入が発表された[143]。

代表経歴

星稜高校3年時に石川県選抜として、本来のボランチではなく左サイドバックとしてプレーし、ステップなしの強いキックで、いとも簡単にサイドチェンジしていた姿がU-19日本代表監督を務めていた大熊清の目に留まり、2004年に初めて日本代表に選出された[144]。2005年6月に開催されたFIFAワールドユース選手権・オランダ大会にU-20日本代表として招集され、負傷明けの梶山陽平に代わって、グループリーグ初戦のオランダ戦にボランチで先発出場した[145]。しかし試合は前半にオランダが圧倒、後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となり、チームも敗れた。この後、チームはベスト16に進出したものの、梶山の復調もあって出場機会はなかった。

2007年に開催された北京オリンピックアジア予選では左サイドハーフ、左ウイングバック、左サイドバックとして最終予選5試合にフル出場し、五輪出場権獲得に貢献した。2008年8月に開催された北京オリンピックでは3試合に先発出場し、谷口博之らとともに主力として攻撃を牽引したが、グループリーグ3戦全敗で敗退した。

2006年11月、A代表に初選出されたが出場はなかった。2008年6月22日、2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のバーレーン戦でA代表デビュー[2]。2009年5月27日、キリンカップのチリ戦で山田直輝からパスを受け、A代表初得点を挙げた[146]。右サイドには中村俊輔が君臨していたため、本田は控えの立場だったが、2010年に入るとレギュラーに定着。

日本代表でプレイする本田(2010年)

2010年6月に開催されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では4試合にフル出場。大会直前にそれまで経験のないセンターフォワード(1トップ)に抜擢された。グループリーグ初戦のカメルーン戦の前半39分に先制点を挙げ、これが決勝点となり、自国開催以外のW杯初勝利に貢献[147]、FIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[148]。第3戦のデンマーク戦では前半17分に30m超の距離から先制点となる直接FKを決め、後半42分には勝利を決定付ける岡崎慎司のゴールもアシストし、自国開催以外のW杯で初の決勝トーナメント進出に貢献[149]、この試合でも「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[150]。決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では強烈なミドルシュートを放つなど強い印象を残し、PK戦では4人目のキッカーとして成功したが、チームは敗れた(記録上は引き分け)[151]。しかし敗戦チームからは異例の今大会3度目となる「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[152]。

2011年1月に開催されたアジアカップ・カタール大会では5試合に先発出場。グループリーグ第2戦のシリア戦では、PKで日本代表の国際Aマッチ通算1000点目となる決勝点を挙げた[153]。準決勝の韓国戦でも全2得点に繋がるプレーを見せ、この2試合で「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された。準々決勝のカタール戦での2得点につながる縦パスを含め、出場した試合で日本代表が挙げた全9得点中6得点に絡む活躍で日本代表の2大会ぶりのアジアカップ優勝に貢献し、最優秀選手(MVP)に選出された[154][155]。

2011年2月7日、全国のサッカー担当記者の投票による2010年度のフットボーラー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に有効投票202票のうち、75票を集めて初選出された[156]。50年の歴史がある賞だが、海外クラブ所属の選手が受賞するのは本田が初めてであった[注釈 3]。3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、先制点のきっかけとなったFKを獲得し、岡崎慎司の決勝点をアシストする活躍を見せた。2011年8月に右膝半月板を損傷し、長期離脱を余儀なくされ、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選を全試合欠場した。2012年5月のアゼルバイジャン戦で9か月ぶりに代表復帰を果たした。

2012年6月3日、2014 FIFAワールドカップ・アジア最終予選のオマーン戦で先制点を決めた[157]。6月8日、ヨルダン戦ではハットトリックを達成[158]。本田のハットトリックは高校時代以来でプロ入り以降は初めてであり、W杯アジア最終予選の日本人選手のハットトリックは三浦知良(1997年ウズベキスタン戦)以来となる、史上2人目の快挙となった[159]。2013年6月4日、オーストラリア戦の後半アディショナルタイムに自らが獲得した同点となるPKを決め、日本代表は2014 FIFAワールドカップ出場を決めた。最終予選で5得点を決めた本田は、1大会のW杯アジア最終予選における通算得点で三浦知良の4得点を抜き、歴代最多得点を更新した[160]。

2013年6月に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2013では3試合に先発出場。グループリーグ第2戦のイタリア戦でPKで先制点を決めるが、チームは逆転負け。グループリーグ3戦全敗で敗退した。本田はFIFA選定のグループリーグベストイレブンにアンドレス・イニエスタ、マリオ・バロテッリらとともに選出され、グループリーグ敗退国からは唯一の選出となった[161]。

2014年6月に開催されたFIFAワールドカップ・ブラジル大会では3試合にフル出場。グループリーグ初戦のコートジボワール戦では先制点を決め、日本人のW杯最多得点を更新したが、チームは逆転負け。第2戦のギリシャ戦ではチームは引き分けに終わったものの、FIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された[162]。第3戦のコロンビア戦では岡崎慎司のゴールをアシストしたが、チームは敗れ、グループリーグで敗退した。

2015年1月に開催されたアジアカップ・オーストラリア大会では4試合に先発出場。グループリーグで3得点(2得点がPK)を決め、AFC選定のグループリーグベストイレブンに選出された[163]。準々決勝UAE戦では柴崎岳の同点弾をアシストするも、PK戦で本田と香川真司がPKを外し、チームは敗れた[164]。

2015年11月17日、2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のカンボジア戦で得点を決め、日本サッカー史上初のワールドカップ地区予選5試合連続ゴールを記録[165]。シリア戦でも得点を決め、6試合連続ゴールを記録[166]。2016年9月1日、2018 FIFAワールドカップ・アジア最終予選のUAE戦で先制点を決め、7試合連続ゴールを記録[167]。タイ戦では得点を決められず、連続ゴールは7試合でストップした。オーストラリア戦では4年ぶりとなる1トップで出場し原口元気の先制点をアシスト、イラク戦ではCKから大迫勇也の先制点をアシストした。

2017年9月6日のサウジアラビア戦に先発したが、前半終了後交代となった。試合後に代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチは「本田のゲーム勘が欠けていたことが分かっていたので、45分限定で使った。リズムの面でトップレベルにない、今後も努力して取り戻してもらいたい」と評した[168]。自身も「全然ダメ」と認める低調なプレーに[169]、サッカーファンやメディアの間から“本田不要論”が噴出した。本田はこれを受けて、Twitterにて「サッカーファンの皆さん、メディアの皆さん、『もう代表に必要ない』とか他にも厳しい声をありがとうございます」「良い感じで舞台は整ってると思ってます」と批判に対して感謝を述べた[170]。2017年9月28日、負傷や国内組で編成された試合を除いて、代表とクラブでの不振を理由に2009年3月以来となる8年半ぶりに代表メンバーから外れた。2018年3月、クラブでの活躍が評価されて半年ぶりに代表復帰を果たした。

2018年6月に開催されたFIFAワールドカップ・ロシア大会ではスーパーサブとして3試合に途中出場。グループリーグ初戦のコロンビア戦でCKから大迫勇也の決勝点をアシストし勝利に貢献、アジア人初となるW杯3大会連続のアシストを達成した[171]。第2戦のセネガル戦では後半33分に同点ゴールを決め、チームは引き分け[172][173]。日本人のW杯最年長ゴールであり、日本人初となるW杯3大会連続ゴールを達成し、アジア人のW杯最多得点を更新した[6][174]。W杯3大会連続となる得点とアシストの両方を記録した史上6人目の選手となった[5]。日本代表の決勝トーナメント進出に貢献した本田の活躍は“本田不要論”を唱えていた者たちにも予想外であり、ネット上で「本田さん、ごめんね」といった謝罪の言葉があふれた[175]。また、イギリス公共放送『BBC』にグループステージのベストイレブンに選出された[176]。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、同点で迎えた後半アディショナルタイムに南アフリカW杯のデンマーク戦を彷彿とさせる直接FKを遠距離から放ったが、GKのティボ・クルトゥワの好守に阻まれた。その直後に蹴ったCKをクルトゥワにキャッチされた流れから、カウンターで失点し、チームは逆転負け。試合後に本田は「僕自身はこれが最後のW杯になる。次の世代にバトンを渡して、W杯で優勝という目標を掲げて引っ張っていく若い連中に期待したい」とW杯優勝の夢を次の世代に託して、自らは4年後のW杯は目指さないことを明言した[177][178]。

ベルギー戦の後半アディショナルタイムに勝ち越し点を狙いに行った本田や日本代表には賛否両論が噴出し、試合直後にファビオ・カペッロは「ボールをキープして延長戦に持ち込むべきだった」とCKを蹴った本田を批判し、書籍『ロストフの14秒』では「ゴール前に2人のCBを上げずに、1人は自陣に残してカウンターに備えるべきだった」と日本代表の判断を批判した[179]。しかし、同書でアルベルト・ザッケローニは「CKを蹴った選択は正しかったんだ。私が監督だったら日本代表と同じように『ゴールを狙え』と指示したでしょう」「CKで得点できていれば、世界中から日本代表は称賛された。逆にボールを回す選択をして負けたら『勇気をもって戦えば良かったのに』と言われたかもしれません」「攻める姿勢を貫いたことは日本のサッカー文化だ」と語った[180]。また、NHK BS1で放映された『激白!西野朗×岡田武史』で岡田武史は「ショートコーナーで時間を使って延長戦に持ち込む、俺は絶対違うと思ったね。ここは勝負に行くべきでしょ」と語り、西野朗も「ビッグチャンスだからね」と同調した。ベルギー戦から1年後には「負けた一番の原因は1失点目。そして2失点目」「3失点目はクルトゥワのスローイングを遅らせなかったことが痛かった」などの日本サッカー協会テクニカルスタッフによる分析内容の一部が明かされた[181][182][183]。

2018年8月、2020年東京オリンピックにオーバーエイジとして出場を目指すことを宣言した[184]。しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行を受けて、オリンピックは1年延期となった。2021年6月、東京オリンピックに臨むU-24日本代表が発表され、オーバーエイジとしてA代表で主力の吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航の3人が選出され、本田の五輪出場は叶わなかった。

指導者として

カンボジア代表監督

2018年8月12日、カンボジア代表のGMに就任することが発表された[185]。契約期間は2年。また、現役選手ながら実質的な監督として指揮をとることも発表され、本田は監督の資格を有していないため、登録上はフェリックス・アウグスティン・ゴンザレス・ダルマスが監督に就任した。2018年11月に開催された東南アジアサッカー選手権のグループステージのラオス戦で監督初勝利を挙げた[186]。カンボジア代表の東南アジアサッカー選手権での勝利は通算3勝目であり、2002年大会以来16年ぶりの勝利となった。

2019年6月、2022 FIFAワールドカップ・アジア1次予選でパキスタンに勝ち、2次予選進出を決めた[187]。2019年9月5日、2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選で香港に引き分け、カンボジアサッカー史上初の2次予選で勝ち点を挙げた。2019年10月に行われたイラン代表との試合では攻撃的姿勢を貫くが、0-14で大敗した。[188]五輪代表も実質的な監督を兼任し、2019年11月に開催された東南アジア競技大会で史上初のグループリーグ突破を果たし、過去最高の4位の成績を残した。

2021年3月24日、2023年5月にカンボジアで開催される東南アジア競技大会までの契約延長が発表された[189]。また、フェリックス・アウグスティン・ゴンザレス・ダルマスの監督退任が発表され、帝京高校などを率いてきた広瀬龍の監督就任が発表された[190]。

2022年12月に開催された東南アジアサッカー選手権のグループステージではフィリピンとブルネイに勝利[191][192]、カンボジア代表初の1大会2勝を挙げたが、最終戦のタイに敗れ、グループステージ敗退となった[193]。しかし、グループステージ3位のカンボジア代表史上最高の成績を収めた。今大会が最後のA代表の試合になり、五輪世代で臨む2023年5月の東南アジア競技大会をもってカンボジア代表のGMから退任することを発表。契約満了に伴う退任となる[194]。

ビジネスマンとして

選手としての特徴

ピッチに入る本田

プレースタイル

名古屋時代はシュートへの意識はそれほど高くなく、かつては「自分の中の美学はパスだった」とも語っていたが、海外移籍後はゴール数を残すことがキャリアアップへの近道と考え、貪欲にゴールを目指すスタイルを確立した[204][205]。

フリーキックが得意と評されており[206][207]、距離的にはやや離れた位置が得意である[208]。

以前も日本代表において守備時の運動量の少なさを指摘されることもあった[209]。またすべての中盤のポジションとウイング、時にはセンターフォワードや左サイドバックでもプレーし[注釈 4]、ユーティリティ性に優れている。

2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会のパラグアイ戦では、両チームの中で最速の29.43 km/hのランを記録した。J SPORTSウェブ版のコラムニスト原田公樹は「この数字は一瞬のもので、どれくらいの時間、持続していたかわからないが、少なくとも本田は鈍足ではない」と記事を綴った[210]。

評価

2010年に南アフリカW杯、CLでの活躍が評価され、日本人選手として小野伸二(2002年)以来2人目となるUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた[211][212]。

2020年にイギリスメディア『90min』選定の「21世紀の日本代表ベストイレブン」に選出[8]、ドイツメディア『SPOX』選定の「アジア歴代ベストイレブン」に選出[9]、『アジアサッカー連盟(AFC)』『Opta』選定の「W杯アジアベストイレブン」に選出された[10]。

日本代表監督として本田を4年間指導していたアルベルト・ザッケローニは「素晴らしい技術に恵まれた偉大なプロ意識の持ち主だ。日本人選手としては珍しいタイプで、フィジカルが強い。際立ったパーソナリティーがあり、試合の中で多くのボールを必要とする」「ピッチの上では自分の方法でリーダーになることを知っている」と評した[213]。2016-17シーズンに本田がACミランで控えになった際には、本田がサイドのポジションで起用されることに懐疑的な見解を示し「これは私が昔から言っていることで、彼はトップ下の選手なんだ。彼は足下でボールを受けて、そこからアイディアを出す。彼は100本のパスを送る必要があり、そうしても決して疲れることはない」とあくまでトップ下が適正ポジションだと言及[214]。「決して落第ではない。ミランは色んな問題もあり、本田という選手を生かし切れなかった」と分析した[215]。

レオニード・スルツキーはCSKAモスクワ監督時代に「本田は最高のテクニックを備えた選手だ。ビッグクラブでも十分にやっていけるだけの強い精神力も持っている。高精度のラストパスに強烈なシュートと、近代サッカーの司令塔に求められる資質を全て兼ね備えた選手。本田はビッグクラブでプレーするのがふさわしい。彼はプロとして非の打ち所がない男だ。」と評した[216]。また、フィテッセ監督時代には「ケイスケはロボットだよ。食事、睡眠、トレーニング、準備、コンディションなど全てが適正だ。確かに彼は決してスピードのある素早い選手ではない。だが、スピード以外のクオリティーは十分。彼は私の指導者人生のなかで、最高の選手の1人だ」と絶賛した[217][218]。 

2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会敗退直後、アーセナル監督のアーセン・ヴェンゲルから、「天才」「ここまでのベストプレーヤー」「間違いなくトップレベル」「日本のさらなる成長のためには本田のように能力が揃っているクローン選手を育成するべき、それが無理なら本田をさらに活かすためにビジャのような相棒を探すべき」との絶賛を受けた[219]。FIFAの技術研究グループが作成したW杯南アフリカ大会の報告書では、松井大輔とともにドリブル技術が高いと評価された[220]。2010年10月には、サッカー情報サイト『goal.com』が、アジア人最高のサッカー選手と称える記事を掲載した[221]。

2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会敗退後に日本のメディアからは批判もされたが[222][223][224]、コートジボワール戦をイタリアのガゼッタ・デロ・スポルト[225]、フランスのル・モンド[226]、レキップ[227]、コロンビア戦をブラジルのプラカール誌、ガゼッタ・エスポルチーバ、ランセ紙[228]、フォーリャ紙[229] では高評価が与えられた。グループリーグ終了後にFIFAは、公式分析システムのカストロール・インデックスを使い、出場全選手736人のランキングを10点満点で発表し、本田は8.96点の全体37位および日本選手では最上位と採点した[230][231][注釈 5]。

2013-14シーズン途中に移籍したACミランでは、クラブOBのアレッサンドロ・コスタクルタに「現時点での本田は『ミランの10番』どころか、単に『ミランの一員』としても認めるわけにはいかないレベルにある、と言わざるを得ない」[232]、同OBのパオロ・マルディーニにミランの低迷を踏まえて「その救世主たり得るだけの実力を本田は残念ながら持ち合わせてはいない」[233] と評された。

しかしOBでミラン監督のフィリッポ・インザーギは2014-15シーズン前から「本田は勝利に必要なスピリットを随所で見せられる選手。(イタリアメディアが)本田に対して過小評価の報道をするのに納得できない」と、イタリアで報じられる本田不要説を一蹴[234]。2014-15シーズン開幕後、元イタリア代表DFフルヴィオ・コッロヴァーティは「本田には驚いた。異なるサッカーから来た選手だからね。いいクオリティーを持った選手だ。」[235]、 ミランOBのマウリツィオ・ガンツは「本当に素晴らしい活躍を見せている。ミランのクオリティを高めた」[236]、イタリア高級紙コリエーレ・デラ・セラは本田の得点力を「ミランのチェッキーノ(Cecchino:射撃の達人)」という異名をつけ[237]、ガゼッタ・デロ・スポルトは「美徳と勇気を備えた男」と[238]、関係者・マスコミが次々と評価を翻した。

人物

2009年8月21日、練習中

広島県府中市生まれ[3]。父親は熊本県坂本村の出身[239]。母親は広島県出身[240]。実兄の弘幸も元サッカー選手で2005年には大分トリニータ加入が決まっていたが、けがのために現役を引退し、現在は本田の代理人を務めている。

大叔父の本田大三郎は1964年東京オリンピックでカヌー競技のカナディアンペアに出場。その息子の本田多聞(圭佑の父母の従兄弟、圭佑からみて従兄弟違いになる)はレスリングのフリースタイルで3大会連続のオリンピック出場経験を持つ現役プロレスラーである[19]。

2008年7月に保育士の女性と結婚[241]。2012年秋に第一子となる長男が誕生した[242][243]。

1999年から2004年に週刊少年サンデーで連載されていたサッカー漫画『ファンタジスタ』のファンであり、2009年に作者の草場道輝と対談。これがきっかけで、2012年10月から2015年まで連載されたファンタジスタの続編『ファンタジスタ ステラ』に原案という形で参画し、本人役で登場した[244]。

名古屋時代は黒髪だったが、オランダ移籍後から金髪にしており、現在では本田のトレードマークになっている[245]。

プライベートでは、いつも両腕に腕時計をつけている[17]。2011年10月にはイタリアの腕時計メーカー・GaGa MILANOとスポンサー契約を結んだ[246]。両腕にはめる理由について、2008年に安田理大から尋ねられたときは「誰が時計は片腕って決めたん?」とはぐらかしていたが[17]、2013年(CSKAモスクワ在籍中)にロシア誌『Futbol』のインタビューを受けた際は「僕のスタイルだからだが別の意味もある。1つはロシア時間、もう1つは日本時間。間違えて夜中に電話やメールをしないように。またボディバランスを保つため」と答えている[247]。このエピソードは本田の物真似をする芸人のじゅんいちダビッドソンも用いている。

スパイクはミズノ『イグニタス』を使用している[248]。W杯後に本田の活躍によりこのスパイクが急激に売れたとのこと。ちなみに右足は26.5 cm、左足は27.0cmとサイズが異なるだけでなく、2010年W杯のときは右足のポイントを付け替え式、左足を固定式とするなど、左右非対称の構成を採用している。またメンテナンスは欧州移籍後も古巣・名古屋グランパスの用具担当である松浦紀典に依頼しており、松浦によれば「年間で約10 - 15足ほどを消費する」という[249]。

ファッションがメディアに取り上げられることが多い。2010年の南アフリカワールドカップから帰国した際は、チーム内では唯一サングラス姿で到着ロビーに現われた[250]。

エピソード

  • 元日本代表の平山相太は本田が活躍できた理由について、ユース世代の日本代表合宿での出来事を持ち出して説明する。エースだった平山は練習でもゴールを量産し、誰もが平山氏を「すごい」とたたえる中、ラストパスを出した本田は「こんな良いパスもらったことないでしょ」と、さも自分のおかげで平山のゴールが決まったといわんばかりの言葉をかけてきたという。1歳年下で当時有名でなかった本田のことを「面白いな」と思ったという。しかし同時に、本田には「強い気持ちがあった。それが自分には足りなかった」と振り返る。奇しくも本田は平山と同じオランダリーグに挑戦。その入団会見で「車のHONDAとは違うホンダです」とジョークを交えてカタコトのオランダ語で胸を張って堂々とあいさつする本田を見て、自分との差を感じたという。平山は監督に戦術的なことを理解するためにオランダ語を覚えるよう要求されたが「無理でした。自分にはちょっと難しかった」と習得できずそのまま戦力外となっていた[251]。
  • 利き足と生年月日が一緒である家長昭博とはガンバ大阪ジュニアユースの同期生であり、親友として互いに尊重しあう間柄である[252]。
  • 本田が尊敬している中田英寿とは、日本代表のトップ下を務める新旧エースとして比較されることが多い。21歳で欧州リーグへ移籍し活躍していることをはじめ、日本人離れした強靭なフィジカルとメンタリティ、ファッションへの独自のこだわりといった共通点が挙げられる。二人は南アフリカW杯の直前に放映された対談で初対面した。中田は本田について「彼は貪欲に上を目指せるタイプで、今後の日本を背負う選手」と期待を寄せている[253]。
  • 北京五輪のグループリーグで敗退が決まったあとの消化試合では、数名の選手とともに反町康治監督の指示に造反していたことを明かした[254]。
  • VVVフェンローは「本田を放出した際の移籍金の一部を、新スタジアム建設に充てる」と発表した。NHKの取材に対してサポーターたちは「新スタジアムの名前は『ケイスケ・ホンダスタジアム』にすべきだ」「名前がダメならせめて銅像だけでも建てるべき」など、本田の功績と求心力がうかがえるコメントを残し、VVVフェンローのハイ・ベルデン(オランダ語版)会長も「ケイスケのクラブに対する功績は何らかの形で残すつもりだ」と明言した[255]。2018年9月20日、3人の歴代の名選手の1人として、VVVフェンローのホームスタジアム外壁に肖像画が描かれた[256]。
  • 2ちゃんねるをはじめとしたインターネット掲示板、ツイッター、mixi、ニコニコ動画のコメント欄などにおいて本田△(意味:本田三角形→本田さんかっけー→本田さんカッコイイ)というネットスラングが広がっており[257]、2010年度の「新語・流行語大賞」にもノミネートされた[258]。
  • カプコンの人気ゲーム『モンスターハンター』シリーズのファンで、総プレイ時間は2013年時点で185時間を超えている。2013年にはニンテンドー3DS用ソフト『モンスターハンター4』のCMイメージキャラクターを務めた[259]。
  • 小学校の卒業文集に「世界一のサッカー選手になる」「セリエAに入団し10番で活躍する」という将来の夢を書いている[260]。2014年1月、ACミランの加入会見で複数のクラブ[261] からオファーを受ける中、「なぜACミランを選んだのか」との質問に「心の中の"リトルホンダ"に聞いたらミランでプレーしたいと言った」と答え[262]、「夢が1つ叶いました」とコメントした[263]。
  • 「ミランの経営ではいい部分と反面教師にすべき部分を直に見ている。これは今後のビジネスに必ず生きてくる。だから経営者としてもミランでプレーすることは価値がある」と引退後に経営者としてサッカービジネスに携わることを公言している。
  • 「元日本代表」という呼称を嫌い「ナショナルチャレンジャー」と書いてほしいと自身のSNSで発信した[264][265]。
  • 以前TVの取材で出身地はアース(地球)と表現した[266]。
  • 2015年10月4日のナポリ戦後、チーム批判とも受け取られかねない発言をしたインタビューの中で「もう2年間ずっと思っている話だけど、逆にイタリア人たちに聞きたい。そこに気づかないのかと。今ユヴェントスも少し危ないでしょ。そうなったら、本当にイタリアは危ない。だからイタリアのメディアに伝えておいてください。僕の話したことを。またさんざん僕のことたたくでしょうけど」とイタリアサッカーに関すること皮肉を交えて発言[267]。その後、イタリア代表は2018年大会から現在まで3大会連続でW杯出場を逃すこととなった。
  • 2022年11月から12月にかけて行われたワールドカップを全64試合放送するABEMAのW杯プロジェクトGMに就任[268]。大会期間中は、日本代表初戦のドイツ戦で自身初の解説を担当し、本田自身が感じた事をそのまま話すスタイルの解説や、アナウンサーの寺川俊平とピッチ解説を担当した槙野智章とのかけ合いが話題と人気を集め、最終的には日本代表の全4試合と準決勝と決勝の解説を担当した[269][270]。また、初戦の日本対ドイツ戦でアディショナルタイムが7分あった事に「7分⁉︎」と驚いた声を出したリアクションが話題を集めた。その後、日本の3戦目のスペイン戦と決勝のアルゼンチン対フランスでも同じくアディショナルタイムが7分あり、本田自身もドイツ戦と同じ「7分⁉︎」とリアクションを取り、決勝戦の際は日本のTwitterのトレンドに「本田の7分」がランクインした[271]。決勝戦の解説を担当した後、日本のスタジオにいた矢部浩之から「今大会の解説のMVP」だと評価されたが、本田は今後解説はしないと話した[272]。
  • 2022 FIFAワールドカップの日本対コスタリカ戦で解説を担当したが、この試合に出場していたコスタリカのケイセル・フレールについて、この日の(コスタリカの)穴はフレールであると断言した上で酷評していた[273]が、この試合でフレールは決勝ゴールを決めコスタリカが勝利した。
  • 上述の通り今後サッカー解説はしないと即答していた本田圭佑だったが、2026 FIFAワールドカップでは日本放送協会(NHK)と日本テレビで放送される日本戦の試合中継で解説を担当することとなり[注釈 6]、グループステージ初戦のオランダ戦ではデンゼル・ダンフリースの守備は脆いと酷評した上で、日本は攻めの狙い目であると繰り返し指摘し[275]、フィルジル・ファン・ダイクについては、「ファン・ダイクは本当に酷くダメになった。全く動けておらず何も出来ていない」と酷評したが[276][277]、この試合でファン・ダイクはゴールを決めている。またファン・ダイクはグループステージ第3戦のチュニジア戦ではアシストを記録した[278]。ダンフリースはその後、グループステージの第2戦のスウェーデン戦で2アシストを記録している[279]。

社会貢献活動

経営者として

サッカースクール

2012年5月、自身がプロデュースするサッカースクール「SOLTILO FAMILIA」を地元の大阪に開校[11]。SOLTILOはスペイン語の「SOL=太陽」と「ESTILO=スタイル」からの造語で、FAMILIAは家族を意味する。日本国内に50校(関西、関東、東北、東海、北陸、九州)、海外では8校(中国、カンボジア、タイ)を展開している(2022年3月時点)。

「才能とは生まれ持ったものではなく、環境によって磨き上げられるもの。大きな夢を持ち、物事がうまくいかなかったときにも心の折れない人材を育成し、才能を開花させるために必要な環境、機会を与える」のがスクールのミッション。一現役選手がこれだけ本格的にスポーツビジネスに参画するのは、本場欧州でも異例である。「誰も成しえていないことに挑戦する」という本田の哲学を体現するスクール経営を目指している。

SVホルン

2015年6月9日、自身のマネジメント事務所である「HONDA ESTILO株式会社」がオーストリア3部リーグのSVホルンの経営に参入することを発表した。多くのメディアでは「クラブ買収」と報道されたがこれは誤報であり、SVホルンのドイツ語公式HPでは「HONDA ESTILOは我がクラブに投資をする新しい業務提携パートナーである」と発表されている。SVホルンのルドルフ・ラウドン会長は本田サイドとの合意事項は3年であり、2018-19シーズン終了時までのパートナーシップ契約を結んでいると説明している。

欧州では下部リーグであってもトップチームにスカウトされるチャンスがあるため、若くして欧州でプレーする選手を増やしたいという意図がある[288]。本田は現役選手としてプレーしているため現地でクラブの業務に関わることはできないが、毎日スタッフと連絡を取り合い近況報告を聞くだけではなく、自らもピッチ内のことに限らず集客などの細かいアイデアを出している。

また、本田とHONDA ESTILOはIT活用による選手強化やチームのパフォーマンス改善にも取り組んでおり、ドイツのソフトウェア企業SAPと協力して、選手達のトレーニングや試合中のデータを分析して育成に繋げる取り組み「HONDA NO LIMITS PROJECT」の開始を発表した。 同プロジェクトではバイエルン・ミュンヘンや横浜F・マリノスでも採用されている「SAP HANA」をデータ分析ツールとして利用する[289][290]。同ツールは2014年サッカーワールドカップでドイツ代表の優勝に貢献したことから、HONDA ESTILOの同取り組みはスポーツビジネス界やIT業界でも大きく注目を集めた[291][292][293][294][295][296]。

1年目の2015-16シーズンは3部リーグ優勝し、エアステリーガ(オーストリア2部リーグ)昇格を果たした。しかし、2016-17シーズンは成績が振るわず、1年で3部降格となった。2017-18シーズンは3部リーグ優勝し、1年で2部返り咲きを果たした。

2018-19シーズン終了後に「HONDA ESTILO株式会社」のSVホルンからの撤退が発表された。

ソルティーロ・アンコールFC

2016年12月26日、カンボジアのシェムリアップ・アンコールFCの経営に携わることを発表し、実質的なオーナーになった[297]。チーム名をソルティーロ・アンコールFCに改称した。2021シーズンは最下位に沈んで2部降格。2022年は2部リーグで12チーム中7位となっていたが、このシーズンを最後に解散した。

ソルティーロ・ブライトスターズ

2017年9月11日、ウガンダ・プレミアリーグ(1部)のブライト・スターズFCを買収し、実質的なオーナーになった[12]。チーム名をソルティーロ・ブライトスターズFCに改称した。

EDO ALL UNITED

2020年1月14日、東京都を拠点とする「One Tokyo」を新たに立ち上げすることを発表した[298]。

2021年3月14日、「One Tokyo」を新たに「EDO ALL UNITED」として改名することを発表した[299]。

2022年11月24日、来季よりプロ化を目指して活動していくことを発表[300]。

解説者として

2022年のワールドカップで初解説を務めて、「ななふぅん!?」「まだ泣くのはやいて」「俺がライズマンやろうか」など発言が話題となった。また、2026年でもワールドカップの解説をつとめて「1にガクポ、2にガクポ、3にガクポ!」などの解説が話題となった。[301]

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

選手成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004名古屋39J10010-10
2005243122020352
20062964210348
20073033020353
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2007-08VVV29エールディヴィジ142--142
2008-0910エールステ3616-103716
2009-10エールディヴィジ186-22208
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
2010CSKAモスクワ7ロシア・プレミア28450-334
2011-1225810-268
2012-1323731-268
2013-1418100-181
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2013-14ミラン10セリエA14121-162
2014-1529610-306
2015-1630171-372
2016-178110-91
メキシコ リーグ戦 コパMXオープン杯 期間通算
2017-18パチューカ02リーガMX291053-3413
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2018-19メルボルン・V4Aリーグ187-00187
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2019-20フィテッセ33エールディヴィジ40--40
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2020ボタフォゴ4セリエA18250-232
アゼルバイジャン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2020-21ネフチ・バクー4プレミア72--72
リトアニア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2021FKスードゥヴァ3Aリーガ61--61
ブータン リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2024パロFC4プレミア22--22
通算日本J1 90111025010513
オランダエールディヴィジ 368-223810
オランダエールステ 3616-103716
ロシアロシア・プレミア 942091-10321
イタリアセリエA 819112-9211
メキシコリーガMX 291053-3413
オーストラリアAリーグ 187-00187
ブラジルセリエA 18250-232
アゼルバイジャンプレミア 72--72
リトアニアAリーガ 61--61
ブータンプレミア 22--22
総通算 417884088246598

2004年は特別指定選手として出場。

その他の公式戦
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点出場得点
UEFAUEFA ELUEFA CLクラブW杯
2009-10CSKAモスクワ18-41-
2010-11771--
2011-12-10-
2013-14-62-
CONCACAFCONCACAF CL-クラブW杯
2017パチューカ02--20
AFCACL-クラブW杯
2019メルボルン・V441--
通算UEFA 7111320
通算CONCACAF --20
通算AFC 41--
その他の国際公式戦

監督成績

2021年3月24日現在[302]
チーム 就任 退任 記録
試合勝分敗勝率 %
カンボジア 2018年 2023年 163310018.75
合計 163310018.75

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 98試合 37得点(2008年 - 2018年)[2]
日本代表国際Aマッチ
年出場得点
200810
2009103
2010123
201182
201294
2013128
2014134
20151410
201672
201750
201871
通算 9837

出場

#開催日開催地 スタジアム対戦国勝敗監督試合概要
1.2008年06月22日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 バーレーン○1-0岡田武史2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
2.2009年01月28日バーレーンの旗リファーバーレーン・ナショナル・スタジアム●0-1AFCアジアカップ2011・最終予選
3.2009年05月27日日本の旗大阪府長居陸上競技場 チリ○4-0キリンカップサッカー2009
4.2009年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ベルギー○4-0
5.2009年06月06日ウズベキスタンの旗タシケントパフタコール・マルカジイ・スタジアム ウズベキスタン○1-02010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
6.2009年06月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 カタール△1-1大木武(代行)
7.2009年09月05日オランダの旗エンスヘーデデ・フロルーシュ・フェステ オランダ●0-3岡田武史国際親善試合
8.2009年09月09日オランダの旗ユトレヒトスタディオン・ハルヘンワールト ガーナ○4-3
9.2009年10月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 スコットランド○2-0キリンチャレンジカップ2009
10.2009年10月14日日本の旗宮城県宮城スタジアム トーゴ○5-0
11.2009年11月14日南アフリカ共和国の旗ポート・エリザベスネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム 南アフリカ共和国△0-0国際親善試合
12.2010年03月03日日本の旗愛知県豊田スタジアム バーレーン○2-0AFCアジアカップ2011・最終予選
13.2010年05月24日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 韓国●0-2キリンチャレンジカップ2010
14.2010年05月30日オーストリアの旗グラーツUPCアレーナ イングランド●1-2国際親善試合
15.2010年06月04日スイスの旗シオンスタッド・ドゥ・トゥールビヨン コートジボワール●0-2
16.2010年06月14日南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーンフリーステイト・スタジアム カメルーン○1-02010 FIFAワールドカップ
17.2010年06月19日南アフリカ共和国の旗ダーバンモーゼス・マヒダ・スタジアム オランダ●0-1
18.2010年06月24日南アフリカ共和国の旗ルステンブルクロイヤル・バフォケン・スタジアム デンマーク○3-1
19.2010年06月29日南アフリカ共和国の旗プレトリアロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム パラグアイ△0-0

(PK3-5)

20.2010年09月04日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場○1-0原博実(代行)キリンチャレンジカップ2010
21.2010年09月07日日本の旗大阪府長居陸上競技場 グアテマラ○2-1
22.2010年10月08日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 アルゼンチン○1-0アルベルト・ザッケローニ
23.2010年10月12日大韓民国の旗ソウルソウルワールドカップ競技場 韓国△0-0国際親善試合
24.2011年01月09日カタールの旗ドーハカタールSCスタジアム ヨルダン△1-1AFCアジアカップ2011
25.2011年01月13日 シリア○2-1
26.2011年01月21日アル・ガラファ・スタジアム カタール○3-2
27.2011年01月25日 韓国△2-2

(PK3-0)

28.2011年01月29日 カタールの旗ライヤーンハリーファ国際スタジアム オーストラリア○1-0(延長)
29.2011年06月01日日本の旗新潟県新潟スタジアム ペルー△0-0キリンカップサッカー2011
30.2011年06月07日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 チェコ△0-0
31.2011年08月10日日本の旗北海道札幌ドーム 韓国○3-0キリンチャレンジカップ2011
32.2012年05月23日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム アゼルバイジャン○2-0キリンチャレンジカップ2012
33.2012年06月03日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 オマーン○3-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
34.2012年06月08日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 ヨルダン○6-0
35.2012年06月12日オーストラリアの旗ブリスベンブリスベン・スタジアム オーストラリア△1-1
36.2012年08月15日日本の旗北海道札幌ドーム ベネズエラ△1-1キリンチャレンジカップ2012
37.2012年09月06日日本の旗新潟県新潟スタジアム アラブ首長国連邦○1-0
38.2012年09月11日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 イラク○1-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
39.2012年10月16日ポーランドの旗ヴロツワフヴロツワフ市立競技場 ブラジル●0-4国際親善試合
40.2012年11月14日オマーンの旗マスカットスルタン・カーブース・スポーツ・コンプレックス オマーン○2-12014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
41.2013年02月06日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 ラトビア○3-0キリンチャレンジカップ
42.2013年06月04日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 オーストラリア△1-12014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
43.2013年06月15日ブラジルの旗ブラジリアエスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア ブラジル●0-3FIFAコンフェデレーションズカップ2013
44.2013年06月19日ブラジルの旗レシフェアレナ・ペルナンブーコ イタリア●3-4
45.2013年06月22日ブラジルの旗ベロオリゾンテミネイロン メキシコ●1-2
46.2013年08月14日日本の旗宮城県宮城スタジアム ウルグアイ●2-4キリンチャレンジカップ2013
47.2013年09月06日日本の旗大阪府長居陸上競技場 グアテマラ○3-0
48.2013年09月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ○3-1
49.2013年10月11日セルビアの旗ノビサドスタディオン・カラジョルジェ セルビア●0-2国際親善試合
50.2013年10月15日ベラルーシの旗ミンスクトルペド・スタジアム ベラルーシ●0-1
51.2013年11月16日ベルギーの旗ヘンククリスタル・アレナ オランダ△2-2
52.2013年11月19日ベルギーの旗ブリュッセルボードゥアン国王競技場 ベルギー○3-2
53.2014年03月05日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ニュージーランド○4-2キリンチャレンジカップ2014
54.2014年05月27日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 キプロス○1-0
55.2014年06月02日アメリカ合衆国の旗タンパレイモンド・ジェームス・スタジアム コスタリカ○3-1国際親善試合
56.2014年06月06日 ザンビア○4-3
57.2014年06月14日ブラジルの旗レシフェアレナ・ペルナンブーコ コートジボワール●1-22014 FIFAワールドカップ
58.2014年06月19日ブラジルの旗ナタールアレーナ・ダス・ドゥーナス ギリシャ△0-0
59.2014年06月24日ブラジルの旗クイアバアレーナ・パンタナール コロンビア●1-4
60.2014年09月05日日本の旗北海道札幌ドーム ウルグアイ●0-2ハビエル・アギーレキリンチャレンジカップ2014
61.2014年09月09日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ベネズエラ△2-2
62.2014年10月10日日本の旗新潟県新潟スタジアム ジャマイカ○1-0
63.2014年10月14日シンガポールの旗シンガポールシンガポール・ナショナルスタジアム ブラジル●0-4国際親善試合
64.2014年11月14日日本の旗愛知県豊田スタジアム ホンジュラス○6-0キリンチャレンジカップ2014
65.2014年11月18日日本の旗大阪府長居陸上競技場 オーストラリア○2-1
66.2015年01月12日オーストラリアの旗ニューカッスルニューカッスル・スタジアム パレスチナ○4-0AFCアジアカップ2015
67.2015年01月16日オーストラリアの旗ブリスベンブリスベン・スタジアム イラク○1-0
68.2015年01月20日オーストラリアの旗メルボルンメルボルン・レクタンギュラー・スタジアム ヨルダン○2-0
69.2015年01月23日オーストラリアの旗シドニースタジアム・オーストラリア アラブ首長国連邦△1-1

(PK4-5)

70.2015年03月27日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 チュニジア○2-0ヴァイッド・ハリルホジッチキリンチャレンジカップ2015
71.2015年03月31日日本の旗東京都東京スタジアム ウズベキスタン○5-1JALチャレンジカップ2015
72.2015年06月11日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラク○4-0キリンチャレンジカップ2015
73.2015年06月16日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シンガポール△0-02018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
74.2015年09月03日 カンボジア○3-0
75.2015年09月08日イランの旗テヘランアザディ・スタジアム アフガニスタン○6-0
76.2015年10月08日オマーンの旗マスカットシーブ・スタジアム シリア○3-0
77.2015年10月13日イランの旗テヘランアザディ・スタジアム イラン△1-1国際親善試合
78.2015年11月12日シンガポールの旗シンガポールシンガポール・ナショナルスタジアム シンガポール○3-02018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
79.2015年11月17日カンボジアの旗プノンペンプノンペン・オリンピックスタジアム カンボジア○2-0
80.2016年03月29日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 シリア○5-0
81.2016年09月01日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 アラブ首長国連邦●1-22018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
82.2016年09月06日タイ王国の旗バンコクラジャマンガラ競技場 タイ○2-0
83.2016年10月06日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 イラク○2-1
84.2016年10月11日オーストラリアの旗メルボルンドックランズ・スタジアム オーストラリア△1-1
85.2016年11月11日日本の旗茨城県茨城県立カシマサッカースタジアム オマーン○4-0キリンチャレンジカップ2016
86.2016年11月15日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 サウジアラビア○2-12018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
87.2017年03月23日アラブ首長国連邦の旗アル・アインハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアム アラブ首長国連邦○2-0
88.2017年03月28日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 タイ○4-0
89.2017年06月07日日本の旗東京都東京スタジアム シリア△1-1国際親善試合
90.2017年06月13日イランの旗テヘランシャヒード・ダストゲルディ・スタジアム イラク△1-12018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
91.2017年09月05日サウジアラビアの旗ジッダキング・アブドゥッラー・スポーツ・シティ サウジアラビア●0-1
92.2018年03月23日ベルギーの旗リエージュスタッド・モーリス・デュフラン マリ△1-1国際親善試合
93.2018年03月27日 ウクライナ●1-2キリンチャレンジカップ2018 in EUROPE
94.2018年05月30日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ●0-2西野朗キリンチャレンジカップ2018
95.2018年06月08日スイスの旗ルガーノスタディオ・コルナレド スイス●0-2国際親善試合
96.2018年06月19日ロシアの旗サランスクモルドヴィア・アリーナ コロンビア○2-12018 FIFAワールドカップ
97.2018年06月24日ロシアの旗エカテリンブルクエカテリンブルク・アリーナ セネガル△2-2
98.2018年07月02日ロシアの旗ロストフ・ナ・ドヌロストフ・アリーナ ベルギー●2-3

ゴール

  FIFAワールドカップでの得点
#開催日開催地 スタジアム対戦国勝敗試合概要
1.2009年5月27日日本の旗大阪府 大阪長居スタジアムチリの旗 チリ○4-0キリンカップサッカー2009
2.2009年10月10日日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場スコットランドの旗 スコットランド○2-0キリンチャレンジカップ2009
3.2009年10月14日日本の旗宮城県 宮城スタジアムトーゴの旗 トーゴ○5-0
4.2010年3月3日日本の旗愛知県 豊田スタジアムバーレーンの旗 バーレーン○2-0AFCアジアカップ2011 予選
5.2010年6月14日南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーン フリーステイト・スタジアムカメルーンの旗 カメルーン○1-02010 FIFAワールドカップ
6.2010年6月24日南アフリカ共和国の旗ルステンブルク ロイヤル・バフォケン・スタジアムデンマークの旗 デンマーク○3-1
7.2011年1月13日カタールの旗ドーハ カタールSCスタジアムシリアの旗 シリア○2-1AFCアジアカップ2011
8.2011年8月10日日本の旗北海道 札幌ドーム大韓民国の旗 韓国○3-0キリンチャレンジカップ2011
9.2012年6月3日日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002オマーンの旗 オマーン○3-02014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
10.2012年6月8日ヨルダンの旗 ヨルダン○6-0
11.
12.
13.2013年2月6日日本の旗兵庫県 ホームズスタジアム神戸ラトビアの旗 ラトビア○3-0キリンチャレンジカップ2013
14.2013年6月4日日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002オーストラリアの旗 オーストラリア△1-12014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
15.2013年6月19日ブラジルの旗レシフェ エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリアイタリアの旗 イタリア●3-4FIFAコンフェデレーションズカップ2013
16.2013年8月15日日本の旗宮城県 宮城スタジアムウルグアイの旗 ウルグアイ●2-4キリンチャレンジカップ2013
17.2013年9月6日日本の旗大阪府 大阪長居スタジアムグアテマラの旗 グアテマラ○3-0
18.2013年9月10日日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場ガーナの旗 ガーナ○3-1
19.2013年11月16日ベルギーの旗ヘンク クリスタル・アレナオランダの旗 オランダ△2-2国際親善試合
20.2013年11月19日ベルギーの旗ブリュッセル ボードゥアン国王競技場ベルギーの旗 ベルギー○3-2
21.2014年6月6日アメリカ合衆国の旗タンパ レイモンド・ジェームス・スタジアムザンビアの旗 ザンビア○4-3
22.
23.2014年6月14日ブラジルの旗レシフェ アレナ・ペルナンブーココートジボワールの旗 コートジボワール●1-22014 FIFAワールドカップ
24.2014年11月14日日本の旗愛知県 豊田スタジアムホンジュラスの旗 ホンジュラス○6-0キリンチャレンジカップ2014
25.2015年1月12日オーストラリアの旗ニューカッスル ニューカッスル・スタジアムパレスチナの旗 パレスチナ○4-0AFCアジアカップ2015
26.2015年1月16日オーストラリアの旗ブリスベン ブリスベン・スタジアムイラクの旗 イラク○1-0
27.2015年1月20日オーストラリアの旗メルボルン メルボルン・レクタンギュラー・スタジアムヨルダンの旗 ヨルダン○2-0
28.2015年3月27日日本の旗大分県 大分ビッグアイチュニジアの旗 チュニジア○2-0キリンチャレンジカップ2015
29.2015年6月11日日本の旗神奈川県 横浜国際総合競技場イラクの旗 イラク○4-0
30.2015年9月3日日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002カンボジアの旗 カンボジア○3-02018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
31.2015年9月8日イランの旗テヘラン アザディ・スタジアムアフガニスタン・イスラム共和国の旗 アフガニスタン○6-0
32.2015年10月8日オマーンの旗マスカット シーブ・スタジアムシリアの旗 シリア○3-0
33.2015年11月12日シンガポールの旗ラン地区 シンガポール・ナショナルスタジアムシンガポールの旗 シンガポール○3-0
34.2015年11月17日カンボジアの旗プノンペン プノンペン・オリンピックスタジアムカンボジアの旗 カンボジア○2-0
35.2016年3月29日日本の旗埼玉県 埼玉スタジアム2002シリアの旗 シリア○5-0
36.2016年9月1日アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦●1-22018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
37.2018年6月24日ロシアの旗エカテリンブルク エカテリンブルク・アリーナセネガルの旗 セネガル△2-22018 FIFAワールドカップ

年表

指導経歴

  • 2018年 - 2023年カンボジアの旗 カンボジア代表 GM・監督
    • 国のナショナルチームの監督として指導する場合、通常は日本サッカー協会公認S級ライセンス指導者資格を取得することが義務付けられているが、本田はそのライセンスがないため[303]、名目上はゼネラルマネージャー登録としており、正式なライセンスを保有している監督を別に立てている。
    • 本田はTwitter[304] で、「プロの指導者ライセンスを残しつつ、ライセンスがなくても誰でも監督になれるようにするべき」との私見を述べている。

タイトル

クラブ

VVVフェンロー
PFC CSKAモスクワ
ACミラン
ネフチ・バクー
パロFC

代表

個人

その他

  • ナンバーMVP賞:2010
  • ファーストペンギンアワード(初代受賞者):2016
  • HEROs OF THE YEAR:2020

出演

ラジオ

CM

脚注

注釈

  1. ↑ 旧アルビレックス新潟シンガポール
  2. ↑ なお、アフリカ大陸でも2010年南アフリカW杯で2得点を挙げているため、これを含めれば南極大陸以外の大陸を全制覇したことになる。
  3. ↑ 2位は名古屋グランパスエイトのGK楢﨑正剛で33票、3位はボルシア・ドルトムントのMF香川真司とDF田中マルクス闘莉王(名古屋)が22票[156]。
  4. ↑ 2006年はチームの事情により、左サイドバックを務めることが多かった。
  5. ↑ 日本から100位以内に入ったのは他にMF山口蛍のみで、全体1位はコロンビアMFハメス・ロドリゲスで9.79点を記録した[231]。
  6. ↑ 異例といえる複数局での試合解説を担当したのはABEMA(前大会)での解説を評価していた日本テレビが同局が放映権を獲得していた日本代表の第2戦目の解説を依頼した際に「日本全体でワールドカップを盛り上げたい」との意向から、同じくワールドカップの放映権を獲得したNHKとフジテレビにも本田を解説に起用することを打診。NHKも日本テレビからの提案に賛同したことによるものである[274]。

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 本田圭佑オフィシャルWEBサイト - Profile. 2023年4月26日閲覧
  2. 1 2 3 “本田 圭佑”. サッカー日本代表データベース.
  3. 1 2 【実は広島県生まれ】本田圭佑さん 成長のヒント語る –【公式】HOME広島ニュース(2025年11月05日). 2026年4月6日閲覧。
  4. ↑ “本田圭佑”. エイベックス・ポータル. エイベックス. 2025年9月6日閲覧。
  5. 1 2 「奇跡だ」ベッカムらに並ぶW杯史上6人目の偉業を達成した本田圭佑を世界が絶賛! サッカーダイジェスト 2018年6月25日
  6. 1 2 円熟の本田圭佑、32歳11日でW杯“日本最年長”ゴール。中山雅史上回る【ロシアW杯】 フットボールチャンネル 2018年6月25日
  7. ↑ W杯でのMOM受賞総数
  8. 1 2 英メディアが「21世紀の日本代表ベスト11」を選出! サッカーダイジェスト 2020年4月29日
  9. 1 2 海外メディアがアジア歴代ベスト11選定! ゲキサカ 2020年4月23日
  10. 1 2 長友佑都、本田圭佑、中田英寿が選出 フットボールチャンネル 2020年7月7日
  11. 1 2 “本田プロデュースのスクールが11・1開校”. nikkansports.com (2012年10月22日). 2013年4月24日閲覧。
  12. 1 2 本田、ウガンダのチーム買収 サンケイスポーツ(2017年9月12日)
  13. ↑ YouTube『【実は広島県生まれ】本田圭佑さん 成長のヒント語る|HOME広島ニュース』.YouTube【公式】HOME広島ニュース(2025年11月05日). 2026年4月6日閲覧。
  14. ↑ 本田圭佑 激戦からの帰国を待ちわびる離別した母の存在(女性自身)
  15. ↑ “本田圭佑スペシャルインタビュー「僕は世界一になれると確信している」”. サッカーキング (2012年9月12日). 2013年6月4日閲覧。
  16. ↑ “えっ本田先輩!?突然の母校訪問に後輩興奮”. 読売新聞. 2010年7月3日. 2017年7月8日閲覧.
  17. 1 2 3 4 安田理大 (2008年6月19日). “本田圭佑という男。”. 安田理大公式ブログ. 2008年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月5日閲覧。
  18. ↑ “「『見る眼がない』と散々に言われた」。当時の育成担当者語る、本田圭佑がガンバユースに上がれなかった理由”. フットボールチャンネル (2014年1月15日). 2014年1月17日閲覧。
  19. 1 2 3 4 “一人立つ、夢への舞台 サッカー・本田圭佑さん”. 朝日新聞. 2008年7月14日. 2008年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2013年6月5日閲覧.
  20. ↑ “「得点に絡むプレーを」本田に切り札の期待”. サンケイスポーツ. 2010年5月10日. 2013年6月5日閲覧.
  21. ↑ 2010年6月16日付中日スポーツ紙面
  22. ↑ “[総力特集]本田圭佑、孤高のエースの“10年戦争” 前編:名古屋グランパス時代”. エル・ゴラッソweb版 (2014年6月1日). 2022年5月23日閲覧。
  23. ↑ 本田VVVと正式契約 スポニチ 2008年1月17日
  24. ↑ “本田圭佑をVVVに推薦した“先生”。吉田と川島に通じる名古屋での秘話。”. Number Web (2018年3月20日). 2022年5月23日閲覧。
  25. ↑ “VVVの1部昇格で実感した日本との縁 本田加入からの濃密な10年間”. Sportsnavi (2017年4月17日). 2022年5月24日閲覧。
  26. ↑ 本田圭佑、オランダデビュー飾る ゲキサカ 2008年1月21日
  27. ↑ 本田移籍後初ゴール スポニチ 2008年3月16日
  28. ↑ 浦和、本田圭獲得失敗につきコメントを発表 ゲキサカ 2008年8月21日
  29. ↑ 「2部でやります」本田圭、浦和に断り スポニチ 2008年8月21日
  30. ↑ VVV本田主将がV導いた 日刊スポーツ 2009年4月26日
  31. ↑ Vと昇格置き土産! スポニチ 2009年4月26日
  32. ↑ 本田がオランダ2部最優秀選手に 日刊スポーツ 2009年5月15日
  33. ↑ 本田、2部MVP! スポニチ 2009年5月15日
  34. ↑ 本田、断ったオファーも「自信になった」 日刊スポーツ 2009年8月27日
  35. ↑ CSKA監督時代のエピソードも明かす サッカーダイジェスト 2020年2月16日
  36. ↑ 「皇帝」本田圭佑 “30m超絶ミドル弾”反響「ヒーロー」「史上最高 football-zone 2019年8月24日
  37. ↑ オランダ史に刻まれた「過去10年のスーパーミドルTOP10」 football-zone 2017年10月6日
  38. ↑ 現地選出、オランダで生まれた「日本人最高のゴールTOP10」 qoly 2019年12月6日
  39. ↑ CSKAモスクワが正式オファー スポニチ 2009年12月18日
  40. ↑ 「どちらかの選択肢しかなかった」本田圭佑が超名門クラブからオファーを受けた過去を告白 サッカーダイジェスト 2021年10月21日
  41. ↑ “ЦСКА заплатил за Хонду € 6 млн” (ロシア語). Чемпионат.ру (2010年1月2日). 2010年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月5日閲覧。
  42. ↑ “Роман Бабаев: "В ЦСКА может появиться еще один форвард".” (ロシア語). Футбол на Куличках (2010年1月4日). 2010年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月5日閲覧。
  43. ↑ “サッカー=日本代表MF本田、CSKAモスクワに移籍”. ロイター (2010年1月2日). 2011年1月10日閲覧。
  44. ↑ 本田「日本人初とか興味ない」 日刊スポーツ 2010年3月17日
  45. ↑ 日本のエース証明!本田“俊輔超え”8強弾 スポニチ 2010年3月18日
  46. ↑ SKYSPORTS 2010.3.18
  47. ↑ Goal.com Mar 18, 2010
  48. ↑ 本田決勝弾!開幕戦衝撃デビュー/ロシア 日刊スポーツ 2010年3月13日
  49. ↑ СПОРт2010.11.30
  50. ↑ “ファンタジスタ”本田!華麗ヒールに「天才的」 スポニチ 2010年10月23日
  51. ↑ 本田 鮮やかボレー&アシストも…満たされぬ思い スポニチ 2010年11月6日
  52. ↑ 本田、決勝アシスト!CSKAロシア杯優勝 スポニチ 2011年5月24日
  53. ↑ 本田最長で全治3カ月「手術は成功」 日刊スポーツ 2011年9月6日
  54. ↑ 本田、右膝の故障再発で欠場 日本経済新聞 2011年11月23日
  55. ↑ 本田圭佑、ラツィオ移籍破談の真相 サッカーキング 2012年3月12日
  56. ↑ ラツィオが異例の発表…本田獲得へのオファー内容を公式HPで公開 サッカーキング 2012年2月4日
  57. ↑ СПОРт2013.5.27
  58. ↑ CSKA本田が2得点の活躍でスーパー杯獲得に貢献 サッカーキング 2013年7月14日
  59. ↑ 本田2発スーパー杯V貢献!ミランに今夏獲得アピール スポニチ 2013年7月15日
  60. ↑ 本田巡るミランとCSKAの移籍交渉メモ 日刊スポーツ 2013年9月2日
  61. ↑ “本田 ACミラン決定!背番号「10」”. スポーツニッポン. 2013年12月12日閲覧.
  62. ↑ ミラン救う!本田、デビュー戦高評価も…衝撃の監督解任(p.2) サンケイスポーツ 2014.1.14付記事
  63. ↑ アッレグリ「本田はクリスマスツリーに適している」 ゲキサカ 2013年12月16日
  64. ↑ 本田 セリエA初ゴール! スポニチ 2014年4月8日
  65. ↑ “本田開幕先制ゴール 右足でGK股抜き”. 日刊スポーツ. 2014年9月1日閲覧。
  66. ↑ 2戦連続弾の本田、「非常に美しい動きのゴール」で高評価
  67. ↑ ピッポが本田を絶賛「彼は過小評価されていた」
  68. ↑ “本田、ミラノ・ダービーで長友と日本人初対決!”. サンケイスポーツ. 2014年11月25日閲覧。
  69. ↑ クラブや伊メディアに不満…心中を明かす本田「このチームは変わらない」
  70. ↑ “【欧州サムライ通信簿】本田圭佑:苦しんだ前半戦、チェルチやチームに劣っていたのか?”. Goal.com (2015年12月27日). 2015年12月30日閲覧。
  71. ↑ 本田の評価一変!2戦連続アシストで指揮官“手のひら返し”高評価 スポニチ 2015年12月22日
  72. ↑ 本田 決勝アシスト!圧勝けん引“ダービー男”だ スポニチ 2016年2月2日
  73. ↑ “本田、MVP級の活躍に伊3紙から最高評価「ゴールを決めずしてダービー男」「アシストはチョコの包み」”. フットボールチャンネル (2016年2月1日). 2016年2月1日閲覧。
  74. ↑ 本田、王様ポーズ 俺が10番 日刊スポーツ 2016年2月15日
  75. ↑ 本田 リーグ戦483日ぶり弾! スポニチ 2016年2月15日
  76. ↑ “本田 今季のミラン“ベストゴール”に選出 ジェノア戦でのミドル弾”. スポーツニッポン (2016年5月4日). 2016年5月4日閲覧。
  77. ↑ 本田120分奮闘も届かず、伊杯決勝でユベントスに惜敗 football-zone 2016年5月22日
  78. ↑ ロシアW杯からの「逆算」 本田圭佑はなぜ移籍しなかったのか スポーツライター・木崎伸也 2017年3月15日
  79. ↑ “本田がハル・シティからのオファーを拒否”. フットボールチャンネル (2017年2月1日). 2017年2月1日閲覧。
  80. ↑ “本田圭佑のFK弾がサポーターが選ぶベストゴールに”. 日刊スポーツ (2017年6月3日). 2017年6月3日閲覧。
  81. ↑ “本田圭佑がミラン退団を発表「親愛なるミラニスタのみなさん、ありがとう」”. goal.com (2017年5月22日). 2018年8月6日閲覧。
  82. ↑ 惜別キャプテン本田 最初で最後の“大役”果たす スポニチ 2017年5月29日
  83. ↑ 「愛されなかったが記憶に残るだろう」本田圭佑に伊メディア ゲキサカ 2017年5月23日
  84. ↑ 本田圭佑の新天地はメキシコ名門パチューカに決定 日刊スポーツ 2017年7月14日
  85. ↑ 本田サイドの条件のんだパチューカ1年契約の意味 日刊スポーツ 2017年7月15日
  86. ↑ 本田、パチューカでの背番号は「02」に…ユニのネームは「KSK」 サッカーキング 2017年7月19日
  87. ↑ 本田、ユニの名前表記は「KSK」。いつもの「HONDA」を封印。その意味とは… フットボールチャンネル 2017年7月19日
  88. ↑ 本田、初ゴール後異例の会見「冷静に受け止めたい」 日刊スポーツ 2017年8月23日
  89. ↑ 本田 パチューカ移籍後初の1試合2ゴール “ホンダコール”沸き起こる スポーツニッポン 2017年10月26日
  90. ↑ 本田圭佑にやまぬ賛辞「マラドーナをまとった」。4人抜きゴールで世界に衝撃 フットボールチャンネル 2017年11月9日
  91. ↑ 「メッシ、ペレ、マラドーナ?いや本田だ!」衝撃の4人抜き弾に地元メディア興奮 ゲキサカ 2017年11月9日
  92. ↑ 本田トップ下で躍動 延長制し準決で南米王者と対戦 日刊スポーツ 2017年12月9日
  93. ↑ 本田キレキレのパチューカ、2戦連続の延長で力尽き4強敗退 ゲキサカ 2017年12月13日
  94. ↑ 「本田がパチューカのベストプレーヤー」南米王者の脅威となった躍動を海外メディアが称賛 フットボールゾーン 2017年12月14日
  95. ↑ 本田、出番なしもパチューカ3位! サンスポ 2017年12月18日
  96. ↑ 本田“宝刀”ブレ球FK弾 スポーツニッポン 2018年2月4日
  97. ↑ 本田エンジン全開!リーグ戦初マルチで圧勝に貢献 ゲキサカ 2018年4月7日
  98. ↑ 現地メディアがパチューカ本田圭佑を称賛 ゲキサカ 2018年4月20日
  99. ↑ Melbourne Victory signs Keisuke Honda メルボルン・ビクトリーFC 2018年8月6日
  100. ↑ 本田圭佑、豪州初出場でいきなり初ゴール! フットボールチャンネル 2018年10月20日
  101. ↑ 本田圭佑が10月・11月のリーグ月間MVPに! サッカーキング 2018年12月12日
  102. ↑ 本田圭佑が凱旋弾 サッカーキング 2019年3月12日
  103. ↑ 本田圭佑がACL週間ベスト11入り フットボールチャンネル 2019年3月16日
  104. ↑ 本田圭佑、悲願タイトルならず 3季ぶり欧州復帰へ 日刊スポーツ 2019年5月12日
  105. ↑ “本田圭佑の新天地はフィテッセに決定! スルツキ監督も大きな期待「彼は特別なクオリティーをもたらす」”. goal.com (2019年11月7日). 2019年11月7日閲覧。
  106. ↑ “本田圭佑、ついに新天地決定! フィテッセ加入で9年半ぶり蘭復帰「自分の全てを捧げる」”. フットボールチャンネル (2019年11月7日). 2019年11月7日閲覧。
  107. ↑ 「奴らが僕の実力を見誤って…」本田圭佑がオファーを待ち続けていた国とは? 「33番」を選んだ理由も明かす! サッカーダイジェスト 2019年11月8日
  108. ↑ フィテッセ本田圭佑、186日ぶりの実戦で81分までプレー! トップ下で決定的なシュートを放つも… サッカーダイジェスト 2019年11月25日
  109. ↑ “本田圭佑、初フル出場も逆転で5連敗 スルツキー監督が辞任を表明「責任感じる」”. スポーツ報知 (2019年12月1日). 2019年12月1日閲覧。
  110. ↑ “WEGEN HONDA EN VITESSE SCHEIDEN” (オランダ語). Vitesse (2019年12月23日). 2019年12月23日閲覧。
  111. ↑ 本田 フィテッセ退団 恩師スルツキ監督の退任を理由に挙げる スポーツニッポン 2019年12月23日
  112. ↑ 本田圭佑がブラジル・ボタフォゴ入団 初の南米大陸 日刊スポーツ 2020年1月31日
  113. ↑ デビュー弾の本田圭佑 公式ファンサイトと地元メディアのチーム内最高評価を獲得 サッカーキング 2020年3月16日
  114. ↑ 本田圭佑、所属8クラブ15年で大台通算100得点 日刊スポーツ 2020年3月17日
  115. ↑ “Honda erster Profi mit Treffern auf fünf Kontinenten – Nur Afrika fehlt auf Klubebene” (ドイツ語). www.transfermarkt.de. 2020年3月16日閲覧。
  116. ↑ 「歴史を築いた」“世界初”5大陸でゴール達成の本田圭佑にスペイン紙が注目! サッカーダイジェスト 2020年3月17日
  117. ↑ '有言実行'本田圭佑が月給返上を提案か…ボタフォゴ側は拒否 ゲキサカ 2020年5月10日
  118. ↑ 本田圭佑がフル出場、キャプテンマーク巻き大勝導く 日刊スポーツ 2020年6月29日
  119. ↑ 本田圭佑にブラジルメディア絶賛 フットボールチャンネル 2020年10月12日
  120. ↑ 本田圭佑が全国選手権でゴール 過去にカズ、前園 日刊スポーツ 2020年10月12日
  121. ↑ 本田、ボタフォゴ退団を示唆 度重なる監督交代に不信感 スポニチ 2020年11月28日
  122. ↑ 本田圭佑、ボタフォゴ退団を表明。「批判は受け止めます。それでも幸せでした」 フットボールチャンネル 2020年12月31日
  123. ↑ 本田圭佑の退団に元同僚のカルーは理解を示す「計画性がなかった」 サッカーダイジェスト 2021年2月22日
  124. ↑ 本田圭佑、批判が集まる送別会動画について説明 「全く後悔がない。恥ずべきことは何もやっていない」 スポニチ 2021年1月14日
  125. ↑ maisfutebol 2021.2.11
  126. ↑ ポルティモネンセ公式サイト 2021年2月6日
  127. ↑ 本田圭佑が移籍報告 ポルトガル・ポルティモネンセ移籍に「ヨーロッパに戻ってきたかった」 スポニチ 2021年2月4日
  128. ↑ “本田圭佑「FIFAのルールはなんか微妙なルール多い…変えた方がいいっすね」移籍ルール改正を提言”. スポーツニッポン. 2021年2月16日. 2021年2月16日閲覧.
  129. ↑ “本田圭佑のアゼルバイジャン1部行きが正式に決定 - 海外サッカー : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2021年3月15日閲覧。
  130. ↑ 「日本人で誰もやったことのないチャレンジを」 サッカーダイジェスト 2021年3月16日
  131. ↑ 本田圭佑が“70m激走カウンター”アゼルバイジャン初ゴールに反響 フットボールゾーン 2021年5月4日
  132. ↑ 本田圭佑が2試合連続ゴール! サッカーダイジェスト 2021年5月9日
  133. ↑ 本田圭佑、8季ぶりリーグ制覇 ネフチ劇的逆転V 日刊スポーツ 2021年5月20日
  134. 1 2 “„Sūduvoje“ žais K. Honda (tiesioginė transliacija)”. FK Sūduva (2021年9月14日). 2021年9月14日閲覧。
  135. ↑ リトアニア挑戦の本田圭佑いきなりゴール!9カ国目の1部リーグ得点 日刊スポーツ 2021年9月26日
  136. ↑ 本田圭佑が車椅子姿で報告「膝の手術をしました」 ゲキサカ 2022年10月12日
  137. ↑ 本田圭佑が1試合限定の異例の契約で選手としてピッチに戻る 日刊スポーツ 2024年7月29日
  138. ↑ 本田圭佑 電撃復帰!ブータンリーグ・パロFCと特別選手契約 1試合限定、987日ぶり選手としてプレー スポニチ 2024年7月29日
  139. ↑ 本田圭佑、ブータンで予定外のリーグデビュー 10カ国のリーグ&1008日ぶりの公式戦復帰 日刊スポーツ 2024年8月8日
  140. ↑ 本田圭佑がフル出場で歴史的偉業!!ブータン王者を史上初のアジア国際大会本戦出場に導く ゲキサカ 2024年8月13日
  141. ↑ 本田圭佑がブータン王者との再契約を発表! 1試合限定でリーグ最終節に出場へ サッカーキング 2024年10月14日
  142. ↑ 本田圭佑2発 ブータンで節目のトップリーグ10カ国目の得点マーク 3年ぶり弾で記録的な偉業 日刊スポーツ 2024年10月20日
  143. ↑ 『本田圭佑選手 加入のお知らせ』(プレスリリース)FCジュロン、2026年4月14日。2026年9月19日閲覧。
  144. ↑ 86年組の意地――本田、長友、岡崎らはいかにして日本代表の中核を成していったのか? サッカーダイジェスト 2015年6月11日
  145. ↑ 元川悦子 (2005年6月11日). “次につながる死闘を演じた大熊ジャパン(1/2)ワールドユース現地リポート”. スポーツナビ. 2013年6月5日閲覧。
  146. ↑ 本田代表初ゴールで俊輔に宣戦布告! スポーツニッポン 2009年5月28日
  147. ↑ 本田が決めた!日本 カメルーンに勝った スポーツニッポン 2010年6月14日
  148. ↑ 2010 FIFAワールドカップ公式サイト
  149. ↑ 日本を導いた!覚醒しつつある“FW本田” ゲキサカ 2010年6月25日
  150. ↑ 2010 FIFAワールドカップ公式サイト
  151. ↑ 壮絶PK戦!本田、8強への祈り通じず…終戦 スポーツニッポン 2010年6月30日
  152. ↑ 2010 FIFAワールドカップ公式サイト
  153. ↑ 本田、A代表1000ゴールで勝利 日刊スポーツ 2017年1月15日
  154. ↑ 本田が大会MVP獲得! 日刊スポーツ 2011年1月30日
  155. ↑ MVPは本田圭 朝日新聞 2011年1月31日
  156. 1 2 “本田圭 大差で年間最優秀選手に 記者投票で初選出”. スポーツニッポン. スポニチ Sponichi Annex. 2010年2月7日. 2011年2月7日閲覧. {{cite news}}: |work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明)
  157. ↑ 本田 完全復活!ザック絶賛「素晴らしかった」 スポニチ 2012年6月4日
  158. ↑ ハットトリックにも満足しない本田、途中交代に「4点目いきたかった」 ゲキサカ 2012年6月8日
  159. ↑ “本田ハット!カズ以来の快挙で6発大勝“主役””. スポーツニッポン. スポニチ Sponichi Annex. 2012年6月9日. 2012年6月9日閲覧. {{cite news}}: |work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明)
  160. ↑ 本田が劇的同点PK!世界最速W杯切符 デイリースポーツ 2013年6月5日
  161. ↑ コンフェデ杯、本田がGLのベストイレブンに…敗退国からは唯一選出 ゲキサカ 2013年6月28日
  162. ↑ 2014 FIFAワールドカップ公式サイト
  163. ↑ “アジアカップGLのベスト11が発表…日本代表から最多の3選手が選出”. サッカーキング (2015年1月23日). 2015年1月23日閲覧。
  164. ↑ “解任論加速か…アギーレ監督「PK戦は運」”. ゲキサカ (2015年1月23日). 2015年1月23日閲覧。
  165. ↑ “本田、木村和司超え!5戦連続ゴール”. デイリースポーツ online (2015年11月18日). 2015年11月29日閲覧。
  166. ↑ “本田圭佑が代表出場6戦連発「満足することない」”. 日刊スポーツ (2016年3月29日). 2016年3月30日閲覧。
  167. ↑ “本田7戦連発も不敗神話止まる”. 日刊スポーツ (2016年9月2日). 2016年9月7日閲覧。
  168. ↑ ハリル、本田圭佑は「45分限定で使った」「リズムの面でトップレベルにない」 フットボールチャンネル 2017年9月6日
  169. ↑ 「全然ダメ」…低調の本田圭佑、完敗を認める「サウジの方がよかった」 サッカーキング 2017年9月6日
  170. ↑ 本田圭佑、「代表に必要ない」との批判に感謝「良い感じで舞台は整っている」 Goal.com 2017年9月7日
  171. ↑ 本田圭佑、3大会連続アシストはアジア史上初。CKで大迫勇也の決勝点演出 フットボールチャンネル 2018年6月20日
  172. ↑ 世界の本田だ!3大会連続弾&アシストはベッカム含め6人だけ スポーツニッポン 2018年6月26日
  173. ↑ 本田圭佑、日本人初の3大会連続ゴール スポーツ報知 2018年6月25日
  174. ↑ 本田圭佑、W杯通算4点目。日本初の3大会連続弾&通算得点アジア最多に フットボールチャンネル 2018年6月25日
  175. ↑ 「本田さん、ごめんね」ネットに感謝あふれる 読売新聞 2018年6月25日
  176. ↑ 本田圭佑がグループステージベスト11に選出! 英『BBC』が発表 サッカーキング 2018年6月30日
  177. ↑ 本田キッパリ「これが最後のW杯になる」 スポーツニッポン 2018年7月3日
  178. ↑ 本田圭佑が代表引退「活躍した若手に」優勝の夢託す 日刊スポーツ 2018年7月4日
  179. ↑ 『ロストフの14秒』53頁、54頁
  180. ↑ 『ロストフの14秒』78頁、194頁
  181. ↑ W杯から1年 “悪魔の14秒”分析官明かす裏側/上 日刊スポーツ 2019年7月2日
  182. ↑ W杯から1年 分析官が考える「本当の敗因」/中 日刊スポーツ 2019年7月3日
  183. ↑ W杯から1年 分析官が見た選手、監督の矜持/下 日刊スポーツ 2019年7月4日
  184. ↑ 本田圭佑「東京五輪目指しサッカー続ける」豪移籍も示唆 朝日新聞 2018年8月2日
  185. ↑ 本田圭佑がカンボジア代表の実質的な監督に! 選手との“二足のわらじ”へ サッカーキング 2018年8月12日
  186. ↑ 本田圭佑、監督として記念すべき初白星 フットボールチャンネル 2018年11月20日
  187. ↑ 本田圭佑監督のカンボジア、W杯アジア2次予選進出! サッカーキング 2019年6月12日
  188. ↑ “本田圭佑率いるカンボジアが大敗…海外メディア「国際サッカー史上最悪の敗北」”. ゲキサカ (2019年10月11日). 2026年9月20日閲覧。
  189. ↑ 本田圭佑がカンボジア代表と契約延長 超WORLDサッカー 2021年3月24日
  190. ↑ あのROLANDの恩師が本田圭佑と代表監督に 日刊スポーツ 2021年3月26日
  191. ↑ 本田圭佑監督、カンボジア代表を勝利に導く! qoly 2022年12月20日
  192. ↑ 本田圭佑のカンボジア、逆転勝利! qoly 2022年12月29日
  193. ↑ 本田圭佑のカンボジア、三菱電機カップで大健闘も敗退 qoly 2023年1月2日
  194. ↑ 本田圭佑監督のカンボジアA代表指揮はひと区切り 日刊スポーツ 2023年1月3日
  195. 1 2 3 “本田圭佑とウィル・スミスが共同ファンド 野村も出資”. 朝日新聞デジタル. 2018年7月18日. 2018年7月18日閲覧.
  196. ↑ 本田圭佑、「音声で深い話を」 トップ選手参加のサービス JI JI com(2020年4月30日)2020年5月29日閲覧。
  197. ↑ 本田圭佑 五輪への思い語る「挑戦として最後までやり切りたい」 スポニチ(2020年5月28日)2020年5月29日閲覧。
  198. ↑ “ANGELS”. ANGELS. 2025年5月1日閲覧。
  199. ↑ “DENDOH/押田大輝 フル視聴 23分”. Pivot. 2025年5月1日閲覧。
  200. ↑ “キッズウィークエンド/三浦里江 フル視聴 20分”. Pivot. 2025年5月1日閲覧。
  201. ↑ “ビジネスメディア PIVOTのリアル投資ドキュメンタリー「ANGELS」にCEO西野が出演 | マウスピース矯正 Oh my teeth”. 【公式】マウスピース矯正 Oh my teeth | 自宅で歯並びなおしませんか?. 2025年5月1日閲覧。
  202. ↑ “本田圭佑氏がスポーツアパレル「mgh」設立 低価格と機能性両立”. 日本経済新聞 (2025年6月13日). 2025年6月17日閲覧。
  203. ↑ 『本田圭佑氏のブランド先行販売』 2026年8月5日 日経MJ 6面
  204. ↑ “「新たな次元へ」本田圭佑(VVVフェンロ/日本代表)”. OCNスポーツ. 2013年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月5日閲覧。
  205. ↑ VVVの本田圭佑「おれは“特別な存在”になる」 (1/2) 、スポーツナビ、2009年1月16日
  206. ↑ 豪紙が本田をアジア杯の注目選手に選出「ミランのベストプレーヤー」 SANSPO.COM 2015年1月5日閲覧。
  207. ↑ 本田のFKはポスト直撃!得点ならずも試合後は笑顔 SANSPO.COM 2015年1月5日閲覧。
  208. ↑ FK精度の低下を指摘された本田「大事なところで決めてきた自負がある」 ゲキサカ 2015年1月5日閲覧。
  209. ↑ 岡田監督と本田圭佑のサッカー観の隔たり。 Number Web 2009年2月26日
  210. ↑ #95 本田圭佑は「鈍足」じゃない J SPORTS 2010年7月20日
  211. ↑ 本田、UEFAの2010ベスト11候補にノミネート ゲキサカ 2010年12月4日
  212. ↑ 本田圭佑以来となる日本人3人目の欧州ベストイレブン候補にノミネートされるかもしれない 日刊スポーツ 2019年4月20日
  213. ↑ 「長友はイタリア人なら代表」? 元日本代表監督ザッケローニ、本田や長友を語る Goal.com 2016年3月2日
  214. ↑ ザック「本田はサイドの選手ではない」恩師が語る“取扱説明書” ゲキサカ 2016年12月10日
  215. ↑ ザック氏、悩める本田の現状分析「システム合わない」「また輝ける」 スポニチ 2017年3月24日
  216. ↑ 本田圭佑がモスクワを去る日。ロシア人記者が語る『移籍の可能性と移籍への障害』(archive.today) SOCCERKING 2015年1月5日閲覧。
  217. ↑ 「指導した中で最高の選手」本田圭佑にフィテッセ指揮官が太鼓判! サッカーダイジェスト 2019年11月22日
  218. ↑ 「ケイスケはロボット」「疑う余地ない」と指揮官絶賛 ゲキサカ 2019年11月22日
  219. ↑ Wenger keen on 'Magic' Honda!
  220. ↑ ドリブル技術の高さ 空中戦の強さ FIFAが評価した日本代表3人 スポニチ2010年09月03日
  221. ↑ “本田圭佑はアジア最高の選手! 海外サイト「世界クラス」”. {{cite news}}: 不明な引数|1=が空白で指定されています。 (説明)
  222. ↑ “日本代表、主力信頼しすぎたツケ…不調の本田フル起用、初戦の遠藤投入”. 産経新聞 (2014年6月27日). 2014年10月16日閲覧。
  223. ↑ “なるようにしてなった結果。日本はワールドカップで戦うチームではない”. ゲキサカ (2014年6月20日). 2014年10月16日閲覧。
  224. ↑ “データコラム:データで浮き彫りになるザックジャパンの敗因”. Goal.com (2014年6月25日). 2014年10月16日閲覧。
  225. ↑ “【世界の各紙から】本田のゲームづくりを消した大迫”. スポーツ報知. 2014年6月16日. 2014年10月16日閲覧.
  226. ↑ 小川由紀子 (2014年6月16日). “本田を絶賛もチームには厳しい評価”. フランスメディアが見た日本。本田を「宝石」と絶賛もチームへの言及少なく。話題の中心はドログバ. フットボールチャンネル. p. 1. 2014年10月16日閲覧。
  227. ↑ 小川由紀子 (2014年6月16日). “「似たようなアクションの2連発は珍しい」。失点シーンを指摘”. フランスメディアが見た日本。本田を「宝石」と絶賛もチームへの言及少なく。話題の中心はドログバ. フットボールチャンネル. p. 2. 2014年10月16日閲覧。
  228. ↑ 下薗昌記 (2014年6月26日). “もっと日本は戦えると思っていた。フィジカルで負け、CBは脆すぎた”. ブラジルメディアが見た日本。大会前の期待に応えず厳しい評価。「余りにも稚拙なPKを犯した」今野に最低点. フットボールチャンネル. p. 1. 2014年10月16日閲覧。
  229. ↑ 下薗昌記 (2014年6月26日). “43歳モンドラゴンを出場させる余裕を持ったコロンビアに高い評価”. ブラジルメディアが見た日本。大会前の期待に応えず厳しい評価。「余りにも稚拙なPKを犯した」今野に最低点. フットボールチャンネル. p. 2. 2014年10月16日閲覧。
  230. ↑ “FIFAが分析システムに準じた選手ランキングを発表…日本人トップは本田の37位”. ワールドサッカーキング. 2014年6月28日. 2014年10月16日閲覧.
  231. 1 2 “本田、FIFA W杯プレー分析システムで736人中37位”. サンケイスポーツ. SANSPO.COM. 2014年7月2日. 2014年10月16日閲覧.
  232. ↑ クリスティアーノ・ルイウ:激辛注意。ミランOB・コスタクルタが放つ「本田圭佑論」Sportiva、2014年5月14日(2014年6月20日閲覧)
  233. ↑ クリスティアーノ・ルイウ:元主将マルディーニが語る本田の価値「救世主となる実力はない。数年前のミランならメンバーになれない」 フットボールチャンネル、2014年05月01日(2014年6月20日閲覧)/
  234. ↑ “本田、今季初アシスト!ミラン監督絶賛”. デイリースポーツ. DAILY SPORTS ONLINE. 2014年8月8日. 2014年10月16日閲覧.
  235. ↑ “コッロヴァーティ氏が語る”. Goal.com. 2014年10月16日. 2014年10月16日閲覧.
  236. ↑ “元ミランのガンツ氏が本田を称賛「チームのクオリティを高めた」”. ワールドサッカーキング. 2014年10月7日. 2014年10月16日閲覧.
  237. ↑ “驚異の決定力を見せる本田、「射撃の達人」と命名 地元記者からも絶賛の嵐”. サッカーマガジンZONE. 2014年10月5日. p. 1. 2014年10月16日閲覧.
  238. ↑ “辛口イタリアメディアが称賛 薫り高き雲へと向かうミラン本田に備わる「美徳と勇気」”. サッカーマガジンZONE. 2014年9月24日. 2014年10月16日閲覧.
  239. ↑ “本田選手、ルーツは熊本「決勝ゴール肥後もっこすの血が成した」”. 熊本日日新聞 (2010年6月16日). 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月1日閲覧。
  240. ↑ 「女性セブン」 小学館、2010年7月1日号、p42
  241. ↑ 本田圭佑、7月に結婚していた ブログで発表
  242. ↑ 本田圭佑が父親に「昨年の秋に元気な男の子が誕生しました」 SOCCERKING 2013年6月3日
  243. ↑ ご報告 本田圭佑オフィシャルサイト、2013年6月3日
  244. ↑ “本田 漫画ファンタジスタ本人役で登場”. nikkansports.com (2012年9月26日). 2013年4月24日閲覧。
  245. ↑ “本田「金髪」「サングラス」の秘密”. 東京スポーツ新聞社 (2010年7月14日). 2010年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月1日閲覧。
  246. ↑ “本田間に合った! 11月タジク戦で代表復帰も”. スポーツ報知 (2011年10月13日). 2011年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月1日閲覧。
  247. ↑ “本田の両腕時計の謎解けた!ロシア誌に語る”. 産経新聞社 (2013年6月9日). 2013年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月11日閲覧。
  248. ↑ ミズノホームページ・プレイヤー
  249. ↑ 東京スポーツ・2011年4月13日付 5面「ザックJAPAN 新世代の素顔」
  250. ↑ “グラサン凱旋!本田、達成感より「残念」”. サンケイスポーツ (2010年7月2日). 2010年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月1日閲覧。
  251. ↑ ““怪物”平山氏がオランダで戦力外になった理由 本田圭佑との“差”とは”. 2024年9月12日閲覧。
  252. ↑ WEBサッカーマガジン 本誌連動インタビューより
  253. ↑ 文藝春秋、2010年8月号
  254. ↑ 3戦全敗1次L敗退、反町監督に選手造反 (2/2ページ)、サンスポ、2008.8.14
  255. ↑ “本田、銅像になる!?古巣フェンロが新本拠地に建立計画”. スポニチ Sponichi Annex (2013年1月8日). 2013年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月29日閲覧。
  256. ↑ 本田圭佑、古巣のスタジアム外壁に肖像画描かれる!歴代の名選手らと共にクラブの“顔”に サッカーキング 2018年9月22日
  257. ↑ 「本田△」が“読め”れば、ワールドカップもきっと面白い 日経ビジネス
  258. ↑ 「新語・流行語大賞2010 ノミネート語」(新語・流行語大賞公式サイト)
  259. ↑ 本田圭佑がモンハン最新作のテレビCMに出演「お楽しみに!」 SOCCERKING 2013年6月1日
  260. ↑ “本田圭佑の夢”. ACミランオフィシャルサイト (2014年1月8日). 2014年1月17日閲覧。
  261. ↑ “本田 バルサ、マンC、エバートンのオファー断っていた”. Sponichi Annex. 2014年1月8日. 2014年1月16日閲覧.
  262. ↑ “入団会見に臨んだ本田、ミラン移籍の理由は「リトル・ホンダに聞いた」”. サッカーキング (2014年1月8日). 2014年1月15日閲覧。
  263. ↑ “伊紙、本田圭佑の小学校卒業文集を紹介「10番で活躍します」”. サッカーキング (2014年1月10日). 2014年1月17日閲覧。
  264. ↑ “本田圭佑が元代表の呼称に反発「ナショナルチャレンジャーと書いて」”. ライブドアニュース. 2020年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月4日閲覧。
  265. ↑ Keisuke Honda [@kskgroup2017] (2020年5月3日). “Please don’t write “former”. I don’t like it. Please write “a national challenger!”. X(旧Twitter)より2024年2月23日閲覧.
  266. ↑ “「出身地はアース」「プロフェッショナルとはケイスケ・ホンダ」 本田圭佑出演のNHK番組が名言だらけで話題に”. ライブドアニュース. 2024年2月23日閲覧。
  267. ↑ “ミラン0-4惨敗後、出番なしの本田が持論を語る - セリエAリーグ : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2026年4月1日閲覧。
  268. ↑ 本田圭佑、ABEMAのW杯プロジェクトGMに就任「W杯は愛していますし、指導者の勉強にも」 サッカーキング 2022年3月22日
  269. ↑ 【“解説者”本田圭佑の人気急騰「次のコスタリカ戦も解説することに」著名人も歓喜 デイリースポーツ 2022年11月24日
  270. ↑ 【W杯】本田圭佑「決勝までカタールに滞在します」準決勝1試合と決勝戦ABEMA解説 日刊スポーツ 2022年12月8日
  271. ↑ 「出た本田圭佑の『7分!?』」「締めの試合で聞けて満足」と熱いリアクションにネット上では大反響【カタールW杯】 中日スポーツ 2022年12月19日
  272. ↑ 本田圭佑、今後解説は「しないですね」…メッシの歓喜に「主役じゃないのがイヤな自分がいる」 スポーツ報知 2022年12月19日
  273. ↑ “【W杯】「ぼろっかす」「面白すぎる」 本田圭佑の“本音解説”が話題、トレンド入り「本田△」”. football-zone.net (2022年11月27日). 2022年11月27日閲覧。
  274. ↑ “本田圭佑、異例の“局またぎ”起用が実現したワケ ライト層にも大好評…「W杯独自解説」の舞台裏”. FOOTBALL ZONE. 株式会社Creative2 (2026年6月23日). 2026年6月24日閲覧。
  275. ↑ “本田圭佑、オランダ右SBを“穴”認定 攻略ポイント連発「守備が緩い。そこに付け入る隙ある」”. 日刊スポーツ (2026年6月15日). 2026年6月15日閲覧。
  276. ↑ “Keisuke Honda is helemaal de weg kwijt en beledigt Oranje-internationals: 'Wat een onzin'”. voetbalprimeur.nl (2026年6月15日). 2026年6月15日閲覧。
  277. ↑ “Honda fileert Oranje tijdens Japans commentaar: 'Hij is echt slecht geworden'”. voetbalprimeur.nl (2026年6月16日). 2026年6月16日閲覧。
  278. ↑ “開始3分に先制のオランダが7分に追加点!! ファン・ダイクの折り返しをブロビーが押し込む!!”. ゲキサカ (2026年6月26日). 2026年6月26日閲覧。
  279. ↑ “オランダ代表、スウェーデン戦の評価:3人の輝きと3つの課題”. goal.com (2026年6月21日). 2026年6月21日閲覧。
  280. ↑ 本田3月中に5000万円寄付していた 日刊スポーツ 2011年6月7日
  281. ↑ 本田 自身の基金で石巻にフットサル場建設 スポニチ 2012年9月5日
  282. ↑ 金沢に「本田圭佑クライフコート」完成-「夢を大きく持て」とメッセージ 金沢経済新聞、2011年8月17日
  283. ↑ “本田圭佑が熊本県に1000万円を寄付「それぞれができることを行動に」”. サッカーキング (2016年4月23日). 2016年8月29日閲覧。
  284. ↑ “本田圭佑、MIT特別研究員に就任!日本人アスリート初”. スポニチ (2016年7月22日). 2016年7月26日閲覧。
  285. ↑ “Pray for ITALY” (イタリア語). 本田圭佑公式Instagram (2016年8月25日). 2016年8月29日閲覧。
  286. ↑ “本田、イタリア中部地震で230万円寄付 提案2つ”. 日刊スポーツ (2016年8月25日). 2016年8月29日閲覧。
  287. ↑ “本田がメキシコ大地震を受け約310万円寄付「僕自身にできることで助けになりたい」”. サッカーキング (2017年9月26日). 2017年9月26日閲覧。
  288. ↑ 2部昇格のホルン。CL出場に向けた“破壊的創造”
  289. ↑ サッカーの本田圭佑選手、SAPのインメモリーDB「HANA」でデータ分析プロジェクト
  290. ↑ サッカーの本田選手、SAPのDBで分析プロジェクト
  291. ↑ 独サッカー代表、躍動の裏にデータ分析あり SAPの流儀とは
  292. ↑ 独サッカー磨く“12番目の選手”――SAPのビッグデータ技術、1試合4000万件…即座に解析、超高速処理が武器
  293. ↑ 本田選手のマネジメント事務所、チーム強化に向け最先端分析システム導入プロジェクト
  294. ↑ 本田選手のマネジメント事務所、チーム強化に向け最先端分析システム導入プロジェクト
  295. ↑ 本田圭佑のホルンvs岡田武史のFC今治の対決をデジタルで支援--SAPジャパン
  296. ↑ 「IoTやAIでサッカーにもデジタル化を」、SAPがSVホルン対FC今治の試合を支援
  297. ↑ 本田がクラブ経営、ホルンに続きカンボジアでも 日刊スポーツ(2016年12月26日)
  298. ↑ 本田圭佑、新クラブ『One Tokyo』設立を発表! “リアルサカつく”実現を目指す サッカーキング(2020年1月14日)2022年12月25日閲覧
  299. ↑ 本田圭佑、新サッカークラブ「Edo All United」設立を発表 — オンラインサロンによる経営を目指す 知財図鑑(2021年3月12日)2022年12月25日閲覧
  300. ↑ 本田圭佑がGMの東京都2部・EDO ALL UNITEDが来季のプロ化を発表! 気になる報酬も公表 ゲキサカ(2022年11月24日)2022年12月25日閲覧
  301. ↑ 【W杯2026】「本田の解説」トレンド入り 早速”名言”も「1にガクポ、2にガクポ、3にガクポ!」 オリコン(2026年6月15日)2026年6月30日閲覧
  302. ↑ 本田圭佑“監督”続投!カンボジア代表と2023年までの契約延長をツイッターで発表「光栄に思う」(サッカーダイジェスト)
  303. ↑ 指導者・本田圭佑――ライセンスなき“監督”はどんなスタイルを志向し、トレーニングを実践しているのか(フットボリスタ)
  304. ↑ 午後7:17 · 2022年11月24日
  305. ↑ “A GREAT SUCCESS”. AC Milan (2014年8月24日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月3日閲覧。

関連項目

外部リンク