サブロー

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サブロー(大村 三郎)
千葉ロッテマリーンズ 監督 #86
千葉ロッテマリーンズ選手時代
(2010年5月12日 横浜スタジアム)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県岡山市北区
生年月日 (1976-06-01) 1976年6月1日(50歳)
身長
体重
181 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1994年 ドラフト1位
初出場 1995年6月25日
最終出場 2016年9月25日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2023 - )

サブロー(本名:大村 三郎〈おおむら さぶろう〉、1976年6月1日 - )は、岡山県岡山市北区出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、プロ野球監督。

現役時代は1995年から2016年まで22年間、ほぼ千葉ロッテマリーンズ一筋でプレーし、引退後は二軍監督、一軍ヘッドコーチを務めた。2026年シーズンからは一軍監督に就任。

妻はタレントの中嶋ミチヨ(2000年8月結婚)。

経歴

プロ入り前

岡山市立岡輝中学校(岡山リトルシニア)を卒業後、PL学園高等学校へ進学。1994年の第66回選抜高等学校野球大会に出場し、「1番・中堅手」としてベスト4進出に貢献する。3年夏の府大会は準々決勝で金城龍彦のいた近大付高に延長10回サヨナラ負け[1]。子供のころは、阪神タイガースのファンであったことを、ブログで述べている。少年野球では、「黒い霧事件」でプロ球界を永久追放された森安敏明の指導を受けていた[2]。 PL学園では2学年上に今岡真訪、1学年上に松井稼頭央、同期に宇高伸次、1学年下に福留孝介、前田忠節、2学年下に前川克彦がいた。

同1994年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け入団。ロッテにおける野手の1位指名は袴田英利(捕手)以来17年ぶり。担当スカウトは高校先輩の岡部明一。背番号は本名の「三郎」にちなみ、語呂合わせで36、登録名は、同年にイチローが本名の「鈴木一朗」から登録名を変更し、才能を開花させたことに倣って、本人の強い希望で「サブロー」に決まった。

ロッテ時代

背番号3のサブロー
1995年 - 1999年
プロ1年目は6月に一軍初昇格すると、左翼手を務めていたピート・インカビリアの不振もあってスタメンの機会も与えられ、高卒1年目ながらシーズンを通して28試合に出場した。1996年は当時のロッテ外野陣の層の厚さもあって一軍で出場する機会は限られ、僅か9試合の出場に留まった。1997年からは背番号2を与えられ、プロ入り最多となる33試合に出場したものの、打率.179と低調に終わった。1998年は僅か2試合の出場に留まり、プロ入り初のシーズン無安打に終わった。1999年は一軍に定着して初めて100試合以上に出場し、プロ入り後当時の最高成績を残した。
2000年
5月18日、対福岡ダイエーホークス戦にて、2回裏に松本輝からプロ入り初本塁打となる左越3ランを放った。同年はこの本塁打含む5本塁打を記録するなど打撃面で成長を見せ、後半戦は右翼手のレギュラーに定着した。出場試合数こそ前年を下回ったが、打席数は大幅に増え、前年を上回る打率.270を記録した。
2001年
大塚明の成長とデリック・メイ の獲得によって外野手層が若干厚くなったため、キャンプから内野手にコンバートされる。3月24日西武ドームでの開幕戦を「9番・二塁手」で先発出場を果たす。しかし、自身の不振と同じ二塁の酒井忠晴の好調が重なって、5月下旬からは再び外野で出場するようになった。
2002年
この年から登録上が外野手に戻った。シーズンを通して「2番・中堅手」のレギュラーとして活躍し、オールスターゲームに初出場。自身初の規定打席に到達し、自己最多の131試合に出場。打率.286、9本塁打、13盗塁を記録した。
2003年
「1番・右翼手」で開幕先発出場したが、この年は故障で80試合の出場に留まった。しかし、初の2桁本塁打(10本)を記録し、読売ジャイアンツ終身名誉監督でもあるアテネ五輪野球日本代表監督長嶋茂雄に「これ程上半身を上手く使う打者は見たことがない」と評された。
2004年
9シーズンぶりにロッテの監督に復帰したボビー・バレンタインが背番号2を希望し、球団側がそれを了承したため背番号を3に変更した(それは自分の名前に合わせたためとも言える)。この年は前年を上回る89試合に出場したが、打率.256、5本塁打と成績を落とした。
2005年
8月13日のオリックス・バファローズ戦でプロ入り初の4番に抜擢され、2試合連続本塁打を放つなど31年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献。シーズンを通して107試合に出場。規定打席には届かなかったが、打率.313、14本塁打、50打点といずれも自己最高の成績を残し、マリンガン打線の「まったく新しいタイプの4番打者、繋ぎの4番」と評された。
2006年
8月15日付でFA権を取得。この年は前年を上回る115試合に出場したが、規定打席には届かず打率.218と打撃不振に陥った。これもあって取得したFA権を行使せず2年契約でチームに残留した。
2007年
開幕こそ出遅れるも5月から「4番・右翼手」に定着。リーグ7位の得点圏打率.310、チーム2位かつ自己最高の68打点を挙げた。6月6日の対巨人戦(千葉マリン)で連続打数安打記録を9とし、球団記録である堀幸一の8を塗り替えた(R・J・レイノルズと高橋由伸の11に次ぐ史上第3位)。クライマックスシリーズでは第1ステージのMVPを獲得。シーズンオフには2008年の北京五輪出場を目指す野球日本代表の最終候補に選出され、台湾で開催された北京五輪予選を兼ねたアジア選手権に出場。打順は8番・9番ながら、韓国戦で同点適時打を放ち、台湾戦では同点のスクイズを決めるなど主軸級の活躍を見せる。また全3試合において当時はあまり守らなかった左翼を堅実に守り、日本の北京五輪出場権獲得に貢献した。なお、この大会は本名の「大村三郎」で出場していた。
2008年
打率.289と好成績だったが、春先に左太もも痛で戦線離脱したこともあり、105試合の出場に留まり、前年よりも打点が10点以上も減ってしまい、規定打席にも届かなかった。オフにはメジャーリーグ移籍も考慮に入れFA権を行使かと報道されたが、結局FA権を行使せず残留した。
2009年
開幕を一軍で迎え、シーズンを通して一軍に帯同。チームが低迷する中、好調をキープし、2002年以来自身二度目のオールスターゲーム出場を果たす。前年を上回る119試合に出場し、規定打席に到達した年としてキャリア唯一の3割にして自己最高の打率.314(リーグ3位)[3]、自身初のシーズン20本塁打(22本)、自己最多タイとなる68打点を記録した。その一方、守備走塁での衰えが顕著となった年でもあった。
2010年
この年から選手会長に就任した。シーズンでは主に6番、シーズン最後の3連戦からポストシーズンにかけては4番を任された。前年より大きく打率を下げるも、自己最多の71打点を記録した。本塁打も19本と前年に引き続き長打力は健在であり、通算1000安打・100本塁打も記録。チームのクライマックスシリーズ出場及び2度目の日本一に貢献した。なお、日本シリーズでの成績は優秀選手賞を獲得した前回出場時よりも全体的に上回っていたものの(打率.300、1本塁打、6打点、9安打)、チームメイトの今江敏晃がシリーズMVP、優秀選手賞も同じくチームメイトの清田育宏と内竜也、対戦相手の大島洋平(中日ドラゴンズ)がそれぞれ受賞した為、選ばれなかった。
2011年
開幕当初は主に7番を打っていたが、金泰均の故障により4月末から4番に入ることとなる。守備面では当初は右翼手を務めていたが、清田育宏・伊志嶺翔大らが先発出場するようになったことで、以降は左翼手に回っている。5月4日、埼玉西武ライオンズ戦で死球を受けて右手薬指を打撲。自身は軽傷をアピールするが直後に登録を抹消され、そのまま一軍復帰はなく6月29日に工藤隆人+金銭との交換トレードで巨人へ移籍[4]。同年は、4月18日から和牛メンチカツをパティにした「サブローバーガー」がQVCマリンフィールドで売り出されたが、巨人移籍により販売終了となっている。

巨人時代

2011年6月30日に支配下選手登録され、巨人への入団会見を行った。球団側の方針により登録名は本名の「大村三郎」、背番号は交換相手の工藤が着用していた0に決まった。翌7月1日に一軍合流、即出場選手登録され、同日の対中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)の8回裏に代打で出場、吉見一起から左翼席にソロ本塁打を放った。7月2日に東京ドームで移籍後初のスタメンで6番で試合に出場した。その後は、対戦チームの先発投手に左投手が見込まれる際に往年の勝負強さを買われ5、6番としての先発出場が多かったが、それ以外は代打としての出場が主で調子が上がらず、一時期は二軍落ちになるなど、48試合の出場に終わった。クライマックスシリーズファーストステージ第1戦では代打で出場し本塁打を放ったが、チームはファーストステージで敗れ、シーズンを終えた。日本シリーズ終了後、出場機会を求めてフリーエージェント権を行使した。巨人在籍はわずか154日だった。なお、シーズン途中のトレードだったため、在籍歴に巨人はカウントされていない。

ロッテ復帰

2011年12月23日、千葉ロッテマリーンズへの復帰が決定し、発表された。大村の放出を決定したフロントが退任し、後任が大村の呼び戻しに好意的だったため、ロッテ復帰への障害は無くなっていた。登録名はサブロー、背番号も3に決まった[5][6]。3年連続ロッテ在籍時の個人応援歌が変更されている。

2012年
開幕から5番を任されたが、その後不振のジョシュ・ホワイトセルに代わって4番に起用され、前半戦のチーム快進撃を支える。しかし、夏場に調子を落とし、ホワイトセル復帰後は6番や7番などの下位に回った。守備は、当初は左翼手で、ホワイトセル離脱後は主に指名打者を務め、井口資仁やホワイトセルなど他の野手が指名打者で出場する場合には左翼手も務めた。また、シーズン前から一塁手の練習も始め、9月21日のオリックス戦で初めて一塁手として出場した。この年は最終的に自己最多となる137試合に出場したが、打率.239、7本塁打、52打点と不本意な成績に終わった。それでも得点圏打率は.290、リーグトップの78四球を記録する。シーズン終了後に右肘の手術を受けた[7]。
2013年
開幕戦は「6番・指名打者」で先発する。シーズン序盤から不振が続き代打での出場が多くなる。6月29日の福岡ソフトバンクホークス戦では9回裏、代打で登場して12年ぶりのサヨナラ打を放つ。調子が上がらないまま7月末に怪我で二軍落ちをする。8月末に一軍に復帰。その後は復調し、主に左翼手でスタメンの座を取り戻した。しかしシーズンを通しては73試合の出場で打率.245、5本塁打、24打点と、またしても不本意な成績に終わった。しかも例年は高い打率を残す得点圏打率が.183、と持ち味の勝負強さを発揮できなかった。前年は指名打者の出場が多かったが、当シーズンはクレイグ・ブラゼルやG.G.佐藤の加入もあり左翼手として守備についた試合の方が多かった。
2014年
8年間続けてきた開幕スタメンを逃すも、開幕戦で9回に代打で出場し、安打を放つ。しかし、その後は振るわず、10打席以上連続無安打が続くも、4月4日、対北海道日本ハムファイターズ戦でシーズン初適時打を含むマルチ安打を放ってからは、徐々に調子を上げてゆく。5月は打撃絶好調で、2005年から10年連続となる4番も務め、月間MVP候補に挙がる程の活躍を見せた。(.324、2本塁打、11打点、OPS.867)。一時は打率が.330を超えるも、交流戦に入ってからは徐々に調子を落とし、終盤には途中加入のアルフレド・デスパイネの活躍と、自身の失速が重なり、出番が激減。最終的には打率.248、4本塁打、25打点と前年とほぼ同様の成績に終わった。一方で、得点圏打率は.284と前年から大幅に上昇した。また2年ぶりに右翼の守備にもついた。
2015年
開幕から不調が続き主に代打起用。6月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦で初本塁打を放つもその後も調子は上がらなかった。10月4日の対日本ハム戦で勝ち越し2点適時打を放ち、チームのCS出場に貢献した。しかしCSは出番がなくシーズンが終わり最終的に36試合で打率.217(46打数10安打)、本塁打1、打点4と不調なシーズンとなった。
2016年
8月31日、球団オフィシャルサイトにて2016年限りでの現役引退が発表された[8]。年齢に加え、本年は一度も一軍に昇格出来なかったことで退き際を悟ったという[9]。現役引退に際し、「今季限りでの現役を引退することを決めました。千葉ロッテマリーンズで2005年に31年ぶりの日本一など、日本一を2度経験することも出来ました。幸せな野球人生でした。それはすべて、どんな時も応援してくれたファンの皆様、そして関係者を始め、色々な形でサポートしてくれた方々のおかげだと思っています。感謝をしています。22年間、本当にありがとうございました。」とコメントした。9月25日の対オリックス戦(QVCマリン)で引退試合を行い[10]、「4番・指名打者」として先発出場。9回表には指名打者を解除し、左翼手および右翼手の守備に就いた[11]。打撃では、第3打席までは全て空振り三振に倒れたものの、最終打席となった9回裏の第4打席では平野佳寿から右中間への二塁打を記録[11]。自ら引退の花道を飾った。試合後に行われたセレモニーでは、「私にはもう1つの夢があります。この千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです。その夢に向かって、勇往邁進してまいります。」と話した[12]。なお、この試合では、ロッテ球団としては初のパブリックビューイングも実施された[13]。また、引退セレモニー、および(引退に際しての)現役生活を振り返る記事等を通して、西岡剛、鈴木大地、西野勇士等から、一人の野球人として的確なアドバイスを送ったことに対する感謝の言葉が寄せられたほか[14][15]、引退試合では巨人時代のチームメイト(阿部慎之助、坂本勇人、長野久義、内海哲也、山口鉄也、2014 - 2015年にロッテに在籍したルイス・クルーズ)が応援に駆け付ける等、その人望の厚さがうかがえる引き際となった[16][17]。その後、12月2日に自由契約公示された[18]。
映像外部リンク
愛するチームのため…涙の最終打席 - パーソル パ・リーグTV公式

現役引退後

2017年3月30日、ロッテ球団のスペシャルアシスタントに就任した[19]。2018年7月6日からは、球団スペシャルアシスタントを務める傍ら、日刊スポーツ高校野球記事の編成部長も務めた[20]。

楽天ファームディレクター・スカウティングアドバイザー時代

2020年1月8日、東北楽天ゴールデンイーグルスファームディレクターへの就任が発表された[21]。二軍の統括として一・二軍首脳陣のパイプ役に加え、ドラフト会議において助言も行う[22]。その後、2021年も同職を務め、2022年はスカウティングアドバイザーを務め、同年限りで退団した[23]。

ロッテ二軍監督・コーチ時代

同年11月13日、2023年からロッテの二軍監督を務めることが発表された[24]。登録名は現役時代と変わらずサブローで、背番号は恩師である山本功児がかつて着用していた86[24]。2025年からは二軍統括打撃コーチも新たに兼任することになった[25]が、シーズン前半の最下位低迷を受けて、交流戦前の6月2日に、福浦和也一軍・二軍統括打撃コーディネーターを二軍監督に転換する形で一軍ヘッドコーチへ昇格[26][27]。

ロッテ一軍監督時代

2025年10月5日、翌2026年シーズンより監督を務める事が発表された[28]。チーフ打撃コーチ兼走塁コーチに西岡剛を招聘[29]、チーフ内野守備走塁コーチに高校の先輩松山秀明が就任した[30]。「PLAY FREE. WIN HARD.」をチームスローガンに掲げ、前年最下位に終わったチームについて、若手選手を育成しながら勝利を目指す方針を示し、競争を重視したチーム作りを進めた[31]。開幕投手にはドラフト2位新人の毛利海大を抜擢した[32]。新人がロッテの開幕投手を務めるのは1950年の榎原好以来76年ぶりで、3月27日の西武との開幕戦では毛利が5回無失点に抑えて勝利投手となり、サブローも監督として公式戦初勝利を挙げた[33]。チームは開幕2連勝と好スタートを切ったが、その後は調子を落とし、4月8日のオリックス戦で4連敗を喫して単独最下位に転落した[34]。5月に入っても低迷は続き、13日の日本ハム戦に敗れた時点で同月2勝9敗、借金9となった[35]。一方で、同月中旬から西川史礁ら若手の長打が増え始め、交流戦ではチーム状態が上向き、日本生命セ・パ交流戦では10勝6敗2分け、勝率.625と勝ち越し、サブローは交流戦終了時に、速球への対応力が改善して長打が増えたことなど、野手陣の成長に手応えを示した[36]。しかし、リーグ戦再開後は再び波に乗り切れず、7月は7勝14敗と大きく負け越し、7月31日の時点では首位とのゲーム差が15まで広がり5位に低迷した。8月は11勝13敗と持ち直したものの、上位との差を大きく縮めるまでには至らなかった。この時期からは勝利を目指しながらも、シーズン終盤を見据えて若手選手をさらに積極的に起用する方針を採った[37]。9月は1日の西武戦から10日までの7試合で5勝2敗と盛り返し、9日には一時4位へ浮上したが、続くソフトバンク3連戦で3連敗を喫するなど再び失速し、17日の楽天戦に敗れてクライマックスシリーズ進出の可能性が消滅した[38]。最終的に63勝77敗3分け、勝率.450でパ・リーグ5位となり、前年の56勝84敗3分け、6位から順位を一つ上げた[39]。シーズンを通しては藤原恭大、西川ら若手を上位打線に起用するなど、前年まで二軍監督や一軍ヘッドコーチとして指導してきた選手を積極的に起用した。山口航輝が38本塁打、81打点を記録し、西川が155安打で最多安打のタイトルを獲得した[40]。また、投手陣では横山陸人が35セーブで最多セーブ投手、鈴木昭汰が最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得したほか[40]、益田直也がプロ野球史上5人目となる通算250セーブを達成した[41]。シーズン終了後には球団から2027年も続投する方針が示された[42]。

表記名について

ロッテ入団に際し、同姓の大村巌が在籍していたことと、同年に史上初のシーズン200安打を達成したイチローにあやかり、登録名を「サブロー」とした。

当時千葉マリンスタジアムのウグイス嬢を務めていた谷保恵美がコールする際は「サブローーーー」と語尾を伸ばすことが恒例となっていた。

巨人移籍後は原則としてファーストネームやニックネームなどでの選手名登録を認めないというチームの事情から、登録名は本名の「大村三郎」となり[43]、スコアボード表記も「大村」となった。ただし「サブロー」の愛称が定着していることから、同姓の選手は球団内に所属していないが、場内アナウンスではフルネームで呼称されていた[44]。

2012年からのロッテ復帰後は登録名を再び「サブロー」に戻しており、2023年の二軍監督就任後もこの登録名にしている。

なお、現役引退後のロッテのスペシャルアシスタント及び楽天のファームディレクター・スカウティングアドバイザーとしては、本名の「大村三郎」名義での活動であった[19][45]。一方、日刊スポーツで記事に携わるときは「サブロー」名義になっていた。

選手としての特徴

打撃

内角球すらも右翼方向に流し打つ技巧を持ち味とし[46]、2008年から2010年にかけての通算得点圏打率.326という勝負強さも持ち味としているほか、同対左打率.292に対し対右打率.285と投手の左右を苦にしない。打球を飛ばす方向を決めてから打席に入ることが多いようで、早いカウントに強いが追い込まれると弱い傾向にある[47]。

守備・走塁

守備のうまさには定評があるが、ライト線方向の打球を苦手としている[48]。

走塁は右打者ながら一塁到達までコンスタントに4.3秒台を記録し、特に三塁到達までは11.66秒を記録する俊足を誇った[46]。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1995 ロッテ 2861484920011234111100170.188.333.229.563
1996 91111000100000000001.0001.0001.0002.000
1997 3332282520071102020080.179.233.250.483
1998 2110000000000000010.000.000.000.000
1999 1081561302630900398151201212270.231.306.300.606
2000 953142634271131510123821513500414.270.355.384.739
2001 108284240375512117225971732301458.229.296.300.596
2002 131512441671263329190431312063609934.286.348.431.778
2003 8033328644782311013346471342416662.273.338.465.803
2004 892952583166163510333225226045412.256.331.399.730
2005 10739435168110196141835063223801776.313.380.521.901
2006 115344298386513191073862283402846.218.295.359.654
2007 133528472671272847184681353643141055.269.331.390.721
2008 1053903464310022261445664043614705.289.359.416.775
2009 119489427711342422222868474948211217.314.377.534.911
2010 1255134525811815219194712121560211814.261.344.429.774
2011 1978705194022990000602133.271.346.414.760
巨人 4811110310255013390210700262.243.291.320.611
'11計 671891731544903621802101302395.254.314.358.672
2012 ロッテ 137560476521142807163520004781210512.239.346.342.688
2013 732161841745905692401142700426.245.335.375.710
2014 8124921818541304792502032701606.248.329.362.692
2015 3652462101011440000600141.217.308.304.612
2016 1440110020000000030.250.250.500.750
通算:22年 17825917514370313632922512720866557855100585757411190103.265.340.406.746
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年
度
一塁二塁遊撃外野
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
1995 --201001.00022190001.000
1996 --422001.00030000----
1997 ---32280001.000
1998 ---210001.000
1999 ---9895520.980
2000 ---91145521.987
2001 -277984315.982-75111522.983
2002 ---130188831.985
2003 ---791358011.000
2004 ---831213001.000
2005 ---105225711.996
2006 ---1121586001.000
2007 ---130278851.983
2008 ---103202640.981
2009 ---109212522.991
2010 ---111209411.995
2011 ---5162311.985
2012 550112.981--5390010.989
2013 ---2839010.975
2014 ---2025010.962
2015 ---670001.000
2016 ---10000----
通算 550112.981277984315.982623001.00014442350732611.989

年度別監督成績

年

度
球

団
順

位
試

合
勝

利
敗

戦
引

分
勝

率
ゲ
|
ム
差
本
塁
打
打

率
防
御
率
年

齡
2026年 ロッテ 5位14363773.45028.0131.2363.8450歳
通算:1年 14363773.450Bクラス1回

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

  • 36(1995年 - 1996年)
  • 2(1997年 - 2003年)
  • 3(2004年 - 2011年6月29日、2012年 - 2016年)
  • 0(2011年6月30日 - 同年終了)
  • 86(2023年 - )

登録名

  • サブロー(1995年 - 2011年6月29日、2012年 - 2016年、2023年 - )
  • 大村 三郎(おおむら さぶろう、2011年6月30日 - 同年終了)

登場曲

脚注

  1. ↑ ベースボールマガジン1995年春季号 高校新卒ルーキーくん28人の横顔 ベースボールマガジン社
  2. ↑ 週刊ベースボール2012年10月22日号 P48
  3. ↑ 「年度別成績 2009年 パシフィック・リーグ」『NPB.jp 日本野球機構』。2015年9月2日閲覧。
  4. ↑ 「サブロー選手と読売ジャイアンツ・工藤隆人選手プラス金銭でのトレードについて」『千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト』2011年6月29日。2011年6月29日閲覧。
  5. ↑ 「大村三郎選手との契約について」『千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト』2011年12月23日。2011年12月23日閲覧。
  6. ↑ 「FAの大村、サブローでロッテ復帰! 背番号も「3」」『スポーツナビ』2011年12月23日。2011年12月23日閲覧。[リンク切れ]
  7. ↑ 「サブロー 右肘手術で全治3カ月」『スポーツニッポン』2012年10月24日。2012年10月24日閲覧。
  8. ↑ 「サブロー選手 引退のお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト』2016年8月31日。2016年8月31日閲覧。
  9. ↑ 「サブロー引退会見「上でやれる機会がなかった」」『日刊スポーツ』2016年9月1日。2025年2月15日閲覧。
  10. ↑ 「9/25(日)サブロー選手引退試合開催」『千葉ロッテマリーンズ』2016年9月1日。2025年2月15日閲覧。
  11. 1 2 「ロッテ・サブロー、現役最後の打席で二塁打 右中間破り、二塁上で涙拭う」『Full-Count』2016年9月25日。2022年11月13日閲覧。
  12. ↑ 「サブロー~ラストメッセージ全文~」『BASEBALL KING』2016年9月25日。2016年9月26日閲覧。
  13. ↑ 「ロッテ初の試み、25日サブロー引退試合でPV開催」『日刊スポーツ』2016年9月13日。2016年9月15日閲覧。
  14. ↑ 「サブローの引退セレモニーでバレンタイン、西岡、今江らがVTRメッセージ」『BASEBALL KING』2016年9月26日。2016年9月26日閲覧。
  15. ↑ 「チームメイトが語るサブローとの思い出」『BASEBALL KING』2016年9月25日。2016年9月26日閲覧。
  16. ↑ 「巨人戦士もサブロー応援駆けつけた 阿部「貪欲な人」」『スポニチアネックス』2016年9月26日。2016年9月26日閲覧。
  17. ↑ 「さらばサブロ~~~!/引退試合写真特集」『日刊スポーツ』2016年9月25日。2016年9月26日閲覧。
  18. ↑ 「自由契約選手|2016年度公示」『NPB.jp 日本野球機構』2016年12月2日。2016年12月3日閲覧。
  19. 1 2 「大村三郎氏 スペシャルアシスタント就任!!」『千葉ロッテマリーンズ』2017年3月30日。2025年2月15日閲覧。
  20. ↑ 「大阪桐蔭・藤原の振る力は◎/サブロー氏 - 夏の地方大会」『日刊スポーツ』2018年7月6日。2025年2月15日閲覧。
  21. ↑ 「大村 三郎氏 ファームディレクター就任に関して」『東北楽天ゴールデンイーグルス』2020年1月8日。2022年11月13日閲覧。
  22. ↑ 「楽天2軍統括にサブロー氏 石井GM直下で連携強化」『日刊スポーツ』2020年1月8日。2020年1月8日閲覧。
  23. ↑ 「ロッテ2軍監督に「サブロー」大村三郎氏」『サンケイスポーツ』2022年11月12日。2022年11月13日閲覧。
  24. 1 2 「ロッテ・サブロー2軍監督を発表!恩師と同じ背番号86番…「山本功児さんのように若手育てる」」『スポーツニッポン』2022年11月13日。2022年11月13日閲覧。
  25. ↑ 「2025シーズン コーチングスタッフ決定のお知らせ」『千葉ロッテマリーンズ』2024年11月15日。2025年2月12日閲覧。
  26. ↑ 「【ロッテ】巻き返しへサブロー2軍監督が1軍ヘッド、福浦氏が2軍監督に…吉井監督「得点力アップに期待」…借金14と最下位低迷」『スポーツ報知』2025年6月2日。2025年6月2日閲覧。
  27. ↑ 「チーム体制の件」『千葉ロッテマリーンズ』2025年6月2日。2025年6月2日閲覧。
  28. ↑ “サブロー氏 一軍監督就任のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2025年10月5日). 2025年10月6日閲覧。
  29. ↑ “【ロッテ】サブロー監督「そういうのがいいなと思って」西岡剛氏を打撃コーチに抜擢した理由”. 日刊スポーツ (2025年10月17日). 2025年12月21日閲覧。
  30. ↑ “ロッテ・サブロー監督、ソフトバンク流走塁術導入 コーチ就任の松山氏に期待「走塁下手なんで、変えていかないと」「仰木さんの野球、教えてもらう」”. デイリースポーツ (2025年10月19日). 2025年12月21日閲覧。
  31. ↑ “2026年チームスローガン決定”. 千葉ロッテマリーンズ (2026年1月14日). 2026年10月12日閲覧。
  32. ↑ “【ロッテ】76年ぶり!開幕投手はドラ2ルーキー毛利海大 開幕カードは毛利―田中―小島に決定”. 日刊スポーツ (2026年3月21日). 2026年10月12日閲覧。
  33. ↑ “【ロッテ】サブロー監督初勝利『うれしいけど、僕が勝ったことよりも毛利が勝てたことが…』”. 日刊スポーツ (2026年3月27日). 2026年10月12日閲覧。
  34. ↑ “【ロッテ】4連敗で単独最下位『真っすぐ打ってくれる人が序盤に欲しい』サブロー監督”. 日刊スポーツ (2026年4月8日). 2026年10月12日閲覧。
  35. ↑ “【ロッテ】3連敗で借金9 今季9度目のカード負け越しで5月は2勝9敗”. スポーツ報知/パ・リーグ.com (2026年5月13日). 2026年10月12日閲覧。
  36. ↑ “【ロッテ】サブローマジック…試合前に助言した上田、佐藤が本塁打”. 日刊スポーツ (2026年6月14日). 2026年10月12日閲覧。
  37. ↑ “【ロッテ】サブロー監督、ドラ1石垣元気の今季1軍デビュー示唆『チャンスあったら放らせたい』”. 日刊スポーツ (2026年9月1日). 2026年10月12日閲覧。
  38. ↑ “【ロッテ】サブロー監督が来季続投へ CS進出可能性消滅も選手育成に手応え”. 日刊スポーツ (2026年9月18日). 2026年10月12日閲覧。
  39. ↑ 「千葉ロッテマリーンズ 2026年度 試合結果」 NPB.jp 日本野球機構 2026-10-06(シーズン終了時) 2026-10-12閲覧
  40. 1 2 「千葉ロッテマリーンズ」 NPB.jp 日本野球機構 2026-10-12閲覧
  41. ↑ “【ロッテ】サブロー監督『プラン通り。今日は益田と決めていた』益田直也9回起用の舞台裏明かす”. 日刊スポーツ (2026年8月4日). 2026年10月12日閲覧。
  42. ↑ “【ロッテ】高坂球団社長『チームのレベルをもう一段というよりは2段3段と上げていかないと』”. 日刊スポーツ (2026年10月6日). 2026年10月12日閲覧。
  43. ↑ 「サブロー獲得! ロッテ元4番「大村」で再出発…工藤と緊急トレード」『スポーツ報知』2011年6月30日。2011年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月30日閲覧。
  44. ↑ 「サブロー改め大村、1日合流即出番も…故・木村コーチの背番「0」背負う」『スポーツ報知』2011年7月1日。2011年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月1日閲覧。
  45. ↑ 「大村 三郎氏 ファームディレクター就任に関して」『東北楽天ゴールデンイーグルス』2020年1月8日。2021年10月18日閲覧。
  46. 1 2 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2008』アスペクトムック、2008年、300–301頁。ISBN 978-4-7572-1439-2。{{cite book ja}}: CS1メンテナンス: 複数の名前/author (カテゴリ)
  47. ↑ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2006』白夜書房、2006年、20頁。ISBN 4-86191-134-6。
  48. ↑ 「Baseball Lab守備評価~Right Fielder」『SMR Baseball Lab』。2012年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月28日閲覧。
  49. ↑ 「2007年6月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手(パシフィック・リーグ)」『NPB.jp 日本野球機構』。2018年9月29日閲覧。

関連項目

外部リンク