近畿の鉄道

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近畿の鉄道(きんきのてつどう)では、近畿地方の鉄道について記述する。

総説

加悦鉄道 2。1874年に阪神間の鉄道開業時にイギリスから輸入された蒸気機関車のうちの1両

近畿圏の鉄道市場の地理的特質として大阪と周辺の府県庁所在地を結ぶ区間に官設鉄道(→国鉄→JR)[注釈 1]と私鉄、あるいは私鉄同士の競合が存在し、それ以外の神戸–姫路間や京都–奈良間などにおいても競合していることが特徴である[2]。

他鉄道との競合の帰結として私鉄各社による標準軌の採用、高架線・複々線等の鉄道設備の優秀さ、高性能車両の運転と運行本数の多さや、沿線の開発などで私鉄各社は技術・サービス両面で官設鉄道に対して優位性を確立していった[3]。また山陽鉄道は瀬戸内海航路の各船舶事業者間と熾烈な競争下にあったため、技術・サービスで船舶事業者に対抗し食堂車、寝台車など日本初の鉄道サービスを導入した[4]。1907年(明治40年)に創業した箕面有馬電気軌道の小林一三は、沿線での宅地分譲、動物園や遊園地を開園するなどして誘客に努め、これらは私鉄の多角化経営のロールモデルとなった[5][6][7]。

現存する日本最古の鉄道橋、浜中津橋[8]

一方で近畿地方は数多の鉄道技術のパイオニアでもあった。官設鉄道の京都–大阪–神戸間は日本初の本格的鉄道路線として敷設され[9]、同区間の中で日本初の鉄道トンネルや鉄製橋梁が建設された[10]。また官鉄神戸工場では客車[11]や蒸気機関車の国産化が行われるなど[12]、その後の日本の鉄道技術の基礎が確立された。1877年(明治10年)に官鉄は大阪駅構内に工技生養成所を設立した。同養成所ではお雇い外国人によって数学・測量・製図・力学・土木学一般・機械学・運輸大要といったカリキュラムが組まれ、卒業生たちは鉄道技師として日本各地で活躍した[13]。

歴史

明治時代

明治政府による東海道本線の建設

石屋川トンネル

近畿地方における鉄道建設計画は、元治元年/慶応元年(1865年)の五代友厚による京都–大坂間の施設計画が最初のもので[14][15][16]、慶応2年(1866年)には徳川幕府により江戸–京都間の建設計画が構想された[17][18] 。他にも明治元年(1868年)に神戸駐在のアメリカ領事モリソン、翌年には兵庫駐在のアメリカ領事のロビネットも阪神間の鉄道建設を計画が存在したが、いずれも実現しなかった[19][20]。 王政復古後の明治2年11月10日(西暦1869年12月12日)、明治政府は東京–京都、米原–敦賀、京都–神戸間の鉄道建設を決定した[21] 。この時点では幹線は東京–大阪間のみで、東京–横浜間と大阪–神戸間は枝線とする計画であった[22]。ただし近畿地方の最初の鉄道は明治政府によるものではなく明治2年に開通した生野鉱山の人車軌道があり[23]、政府系鉄道としても明治4年9月(1871年)開通の造幣寮馬車鉄道が先行していた。特に造幣寮馬車鉄道は初の官設鉄道・旅客鉄道として日本鉄道史上にその名を残している[24]。

新暦1874年(明治7年)2月に鉄道寮は大阪堂島に移転して京都–神戸間での鉄道建設工事を進め[25]、同年5月11日に大阪–神戸間が竣工し営業を開始した[26]。新橋–横浜間は橋梁はすべて木製でトンネル建設も省略され、レンガもほとんど使用されない鉄道土木としては簡便なものであったが、大阪–神戸間は鉄製橋梁の採用やトンネルの建設、レンガの本格的な採用など日本の鉄道土木史の起点に位置づけられる、日本初の本格的鉄道路線であった[27]。

鉄道技術の国産化

初代1号御料車

明治期の近畿地方では鉄道の技術の国産化が推進された。1877年(明治10年)、大阪駅構内に日本人鉄道技師の養成を目的とした工技生養成所が設立され、お雇い外国人によって数学・測量・製図・力学・土木学一般・機械学・および運輸大要の教育を行った[13]。1878年(明治11年)から始まった東海道本線京都–大津間の建設工事は、逢坂山隧道を始め工技生養成所出身者を中心に日本人のみで建設され、1880年(明治13年)に開業した[28][29]。鉄道車輛においても 1876年 (明治9年)に初代1号御料車が官鉄神戸工場で製作され[30]、1893年(明治26年)にはやはり神戸工場で初の国産蒸気機関車・AE形 221号が製造された[12]。

民営鉄道の台頭

山陽鉄道 24

明治期には「鉄道熱」と言われる民営鉄道の起業ブームが2度存在し、日本鉄道と阪堺鉄道の成功によって引き起こされた明治20年代前半の鉄道熱では[31][32][33][34]山陽鉄道、関西鉄道、大阪鉄道などの幹線の建設が進められた[35]。なかでも瀬戸内海航路と競合状態にあった山陽鉄道は、スピード性能の向上に力を入れ1894年(明治27年)に設定された急行列車の平均時速は官鉄など諸鉄道を押さえ日本最速の列車として運転された[36]。続く20年代後半から30年代前半の第2次鉄道熱は[37][38][39]、「電鉄ブーム」とも言われるように電気鉄道として多くの私鉄が創業した。これらの私鉄は寺社参詣や遊覧客の輸送を主目的としたものが多かった中[40][41][42]、1905年(明治38年)には日本初のインターアーバンとして阪神電鉄が開業した。同区間は阪神電鉄と官鉄は競合することになるが、鉄道行政を所管する逓信省は「軌道条例ニ依ル電気鉄道ハ多少既成鉄道ニ妨害ヲ与ヘント雖其存立ヲ妨クル程ノモノニアラズ」と軌道法による都市間鉄道の建設を軽視していた[43]。しかし営業を開始するとアメリカのインターアーバン用車両に匹敵する高性能な車両[44]、運行本数の多さや低廉な運賃、停車駅の数で官鉄を圧倒し[45]、官鉄の利用者は63パーセントの大幅な減少となった[46][47]。阪神電鉄の成功により近畿地方では電鉄ブームが到来し、京阪電鉄、箕面有馬電軌、大阪電軌などが相次いで創業した[48]。

鉄道国有化

1906年(明治39年)、国は陸軍が求めていた主要幹線の国有化を実施した[49][50]。これにより1905年(明治38年)時点で、民営鉄道が官設鉄道の2.1倍の路線距離を有しており、日本の鉄道は民営鉄道が主体であったが[51]、国営化により開業距離90.9パーセント、輸送人キロで91.4パーセント、従業員数で88.4パーセントを占める巨大な国有鉄道、国鉄が出現した[52][53][54]。近畿地方では山陽鉄道、西成鉄道、京都鉄道、阪鶴鉄道、関西鉄道、参宮鉄道が国有化の対象となった[55]。その結果国鉄は全国レベルの鉄道を管掌し、民営鉄道は地域レベルの鉄道経営へと役割が変化した[56]。

年表

幕末 - 明治10年

明治2年(1869年) 旧暦

明治3年(1870年)

  • 1–2月 丹波国船井郡の産科医師・谷暘卿が政府に鉄道敷設に関する建白書を提出[59]。
  • 7月 政府、大阪に大阪–神戸間建設を管理する大阪出張所(西鉄道寮)設置[60][61]。
  • 11月 官鉄東海道線大阪–神戸間起工[62]。

明治4年(1871年)

  • 9月 造幣寮馬車鉄道、初の旅客鉄道として運転開始[63][64]。
  • 10月5日(11月17日) 京都–大阪間の鉄道建設促進のため日本初の鉄道会社、西京鉄道会社設立(1873年、関西鉄道会社に改名)[65]。

1873年(明治6年) 新暦

  • 5月20日 官鉄、東海道線 神戸停車場–芦屋川隧道間で試運転を実施[25]。
  • 8月 造幣寮馬車鉄道、鉄道寮に移管[63]。
  • 12月28日 関西鉄道会社解散[66]。
  • 12月 官鉄東海道線大阪–京都間起工[25]。

1874年(明治7年)

  • 2月 政府、鉄道寮を大阪に移転[67]。
  • 2月 日本初の鉄道鉄橋、官鉄東海道本線武庫川橋梁が完成[68]。
  • 3月 官鉄東海道本線尼崎–神戸間に日本最初の鉄道トンネル、石屋川トンネルが完成[69]。
  • 5月11日 官鉄東海道本線、大阪–神戸間開業[70]。

1875年(明治8年)

  • 5月1日 官鉄、大阪–安治川間開通[71]。
  • 5月6日 造幣寮馬車鉄道廃止[72]。
  • 5月 官鉄神戸工場で初の国産客車を製造[73]。

1876年(明治9年)

1877年(明治10年)

  • 2月5日 官鉄東海道本線京都–神戸間でお召し列車が運転される。京都、大阪、神戸の各駅で開業式を挙行[76]。
  • 2月6日 官鉄京都駅完成[74]。
  • 5月大阪駅2階に工技生養成所設立[77][13]。
  • 12月1日 官設鉄道、大阪–安治川間廃止[71]。
明治11 - 20年

1878年(明治11年)

1879年(明治12年)

  • 8月 官鉄東海道本線京都–大谷間が竣工し、仮運転開始[80]。

1880年(明治13年)

  • 1月 官鉄、東海道線大阪–西宮間に十日えびす参拝客輸送の臨時列車を運転[81]。
  • 6月28日 官鉄東海道線、京都–大津間開通[80]。

1881年(明治14年)

1882年(明治15年)

1883年(明治16年)

1884年(明治17年)

1885年(明治18年)

阪堺鉄道難波駅(1889年)

1887年(明治20年)

明治21 - 30年

1888年(明治21年)

  • 3月 阪堺鉄道全線開通[87]。
  • 5月15日 阪堺鉄道、堺に延伸し全通[88]。
  • 10月8日 山陽鉄道、兵庫–明石間で初の試運転を実施[89]。
  • 11月1日 山陽鉄道、兵庫–明石間開通[90]。
  • 12月23日 山陽鉄道、姫路延伸[91]。

1889年(明治22年)

  • 5月 山陽鉄道、政府に官鉄大阪–神戸間の払い下げを要請[92]。
  • 7月1日 官鉄東海道本線、大津–長浜開通。東京–神戸間全通[93][94]。
  • 8月10日 逓信省、新橋–神戸間で鉄道郵便の直通運行開始[95]。
  • 9月1日 山陽鉄道兵庫–神戸間が私設鉄道初の複線として開通。官鉄神戸駅と接続[96]。
  • 11月11日 山陽鉄道、姫路–龍野間開通[97]。
  • 12月15日 関西鉄道、草津–三雲間開通[98]。
  • この年、明延鉱山で馬車鉄道の運行開始[99]。

1890年(明治23年)

1891年(明治24年)

1892年(明治25年)

  • 7月20日 山陽鉄道、神戸–三原間で夜行列車の運行を開始[105]。

1893年(明治26年)

鉄道作業局 AE形蒸気機関車
  • 5月26日 官鉄神戸工場で初の国産蒸気機関車AE形 221号製造[12][106]。
  • 12月12日 川辺馬車鉄道、摂津鉄道に改称。尼崎–池田間開通。併せて蒸機運転を開始[103]。

1894年(明治27年)

1895年(明治28年)

  • 1月15日 播但鉄道、寺前–長谷間開通[107]。
  • 2月1日 京都電鉄、伏見線開業[108][109] 。
  • 3月 伏見インクライン営業開始[110]。
  • 10月17日 大阪鉄道(初代)、天王寺–梅田間開業[111][112]。
  • 4月1日 京都電鉄市内線開通[113]。
  • 4月17日 播但鉄道、姫路–飾磨、長谷–生野間開通[107]。
  • 10月20日 山陽鉄道、官鉄線に乗り入れ開始。京都–広島間の急行を運転[92]。

1896年(明治29年)

  • 1月23日 山陽鉄道、政府に東海道本線の払い下げを要請[114]。
  • 2月 政府、山陽鉄道への東海道本線払い下げ案を却下[115]。
  • 3月11日 官線東海道本線、大阪–西宮間複線化[116]。
  • 5月10日 南和鉄道、高田–葛間開業[117]。
  • 7月15日 山陽鉄道、大阪延伸を計画[92]。
  • 9月1日 官鉄・山陽鉄道、新橋–神戸間に急行列車を運転[116]。
  • 10月25日 南和鉄道全通[118]。
  • 11月21日 関西鉄道、客車の等級帯を初採用[119]。

1897年(明治30年)

  • 1月1日 山陽鉄道、赤帽制度をスタートさせる[120]。
  • 2月16日 阪鶴鉄道、摂津鉄道を買収[121]。
  • 2月 京都鉄道、二条–嵯峨間開業[122]。
  • 5月15日 政府、山陽鉄道の大阪延伸計画を却下[123]。
  • 7月1日 山陽鉄道の官鉄線への乗り入れが9往復に増加[116]。
  • 11月9日 南海、尾崎延伸[88]。
  • 11月 京都鉄道、官鉄京都駅まで延伸[122]。
  • 11月 山陽鉄道、車内電灯を初採用[124]。
  • 12月10日 各鉄道会社の運輸課長会議を大阪で開催。客車等級の共同変更、学生の旅行割引の統一等を決定[125]。
  • 12月27日 阪鶴鉄道、池田–宝塚間開通[121][126]。
明治31 - 44年

1898年(明治31年)

関西鉄道柘植駅(1898年頃)

1899年(明治32年)

  • 1月1日 山陽鉄道、兵庫–姫路間複線化[139]。
  • 2月3日 官鉄、吹田–大阪間複線化[116]。
  • 4月1日 山陽鉄道、神戸–三田尻間で最急行列車の運行を開始[140]。
  • 5月10日 河陽鉄道、河南鉄道に改称[37][141]。
  • 5月11日 河南鉄道、河陽鉄道を継承し開業[129][141][131]。
  • 5月25日 山陽鉄道、急行307・312列車に食堂車を日本で初めて連結[142]。
  • 7月 阪鶴鉄道、神崎延伸[126]。
  • 7月15日 阪鶴鉄道、福知山まで延伸し全通[135][126]。
  • 8月 京都鉄道、園部延伸[122]。
  • この年、初の鉄道社史『阪堺鉄道経歴史』が刊行される[143]。

1900年(明治33年)

官鉄大阪駅(1900年)
関西鉄道25号蒸気機関車(1900年頃)

1901年(明治34年)

  • 2月9–11日、関西鉄道と参宮鉄道、紀元節の伊勢参拝者向けに共同で直通参宮列車を湊町–山田間で運転[152]。
  • 4月 京都電鉄伏見線と木屋町線が接続[153]。
  • 5月27日 山陽鉄道、神戸–馬関間全通[154]。
  • 8月29日 播但鉄道、生野–新井間開通[107]。
  • 10月5日 南海と官鉄、住吉–大阪間で相互直通運転を開始[150][155]。

1902年(明治35年)

  • 11月 官鉄、新橋–京都間に「京都回遊列車」を運転[156]。
  • 12月12日 河南鉄道、富田林–長野間開通[37]。
  • 12月 官鉄、京都鉄道の園部以遠の延伸計画を継承[157]。
  • 12月 大阪馬車鉄道、下住吉延伸[149]。

1903年(明治36年)

大阪市電 1形5号(復元車)
  • 3月21日 南海、難波–和歌山市間全通。急行の運転を開始[88]。
  • 3月 南海鉄道、難波–和歌山市間全線開通 [158]。
  • 6月1日 山陽鉄道、播但鉄道を買収[159]。
  • 8月5日 宮川電気、本町–二見町間開業[160][161]。
  • 9月12日 大阪市電、花園橋–築港桟橋間開通。我が国初の公営鉄道[162]。

1904年(明治37年)

  • 1月 阪鶴鉄道、大阪–舞鶴間の直通列車の運行を開始[135]。
  • 2月14日 山陽鉄道、日露戦争特別運行に移行[163]。
  • 2月16日 宮川電気、伊勢電気鉄道に改称[160]。
  • 5月 近畿私鉄大合同の協議会、大阪で開催[164]。
  • 6月 京都電鉄、本社と東洞院車庫が火災にあう[153]。
  • 7月20日 政府、日露戦争普通運行(第二戦時運行)を実施[165]。
  • 7月7日 大阪市電、日本初の2階建て電車の運行を開始[166][167]。
  • 9月1–23日 政府、2度目の日露戦争特別運行を実施[165]。
  • 9月 南和鉄道と関西鉄道が合併[164]。
  • 11月 官設鉄道、園部–舞鶴間開通[168]。
  • 11月3日 阪鶴鉄道、官設鉄道の園部–舞鶴間を借り受け運行[169]。
  • 11月 奈良鉄道と関西鉄道が合併[164]。

1905年(明治38年)

阪神1形
  • 4月12日 阪神電気鉄道、日本初の都市間高速鉄道として開業[170]。
  • 8月1日 山陽鉄道と官鉄、新橋–下関間に直通列車の運行を開始[171]。
  • 10月28日 政府、日露戦争凱旋運行を開始[172]。
  • 12月1日 西成鉄道、国有化[173]。

1906年(明治39年)

  • 3月17日 政府、日露戦争凱旋運行を終了[174]。
  • 4月1日 山陽鉄道、新井–和田山間開通[175]。
  • 4月1日 山陽鉄道、大阪‐下関間で急行貨物列車の運行を開始[176]。
  • 4月16日 山陽鉄道、新橋–神戸間に最急行の運転を開始[177]。
  • 4月23日 南海、喫茶室付き車両を連結した急行「浪速」「和歌」の運行を開始[178]。
  • 10月16日 伊勢電気鉄道、二軒茶屋–中山間、古市口–浦田間開通[160]。
  • 11月 河南鉄道、蒸気動車を導入[41]。
  • 12月1日 山陽鉄道、西成鉄道国有化[179]。
  • 12月21日 阪神電鉄本線、梅田延伸[180][181]。

1907年(明治40年)

  • 2月 日本電気鉄道、標準軌で東京–大阪間を6時間で結ぶ高速列車の運転を計画[182][183]。
  • 3月16日 初の荷物専用列車が新橋–神戸間で運行開始[184]。
  • 3月29日 大阪馬車鉄道、大阪電車鉄道に改称[151]。
  • 8月1日 京都鉄道、阪鶴鉄道国有化[179]。
  • 8月21日 南海、難波–浜寺公園間電化[185]。
  • 10月1日 関西鉄道国有化[179]。
  • 10月20日 大阪電車鉄道、浪速電車軌道に改称[186]。
  • 11月15日 高野鉄道、高野登山鉄道に改称[128]。

1908年(明治41年)

  • 1月31日 浪速電車軌道廃止[186]。
  • 1月 阪神、書籍「市外生活のすすめ」刊行。都市住民の郊外居住を促す[187]。
  • 11月10日 大日本軌道、久居–聖天前間開通[188][189]。

1909年(明治42年)

  • 1月1日 龍野電気鉄道、網干駅前–龍野町間開通[190][191]。
  • 1月16日 大日本軌道伊勢支社、津–久居間開通[192]。
  • 1月23日 和歌山水力電気、県庁前‐和歌浦口間開業[193]。
  • 1月 大日本軌道伊勢支社、元馬場屋敷へ延伸[188][189]。
  • 2月11日 和歌山水力電気、県庁前‐駅前間開通[193]。
  • 2月20日 龍野電気鉄道、龍野町 - 觜崎間開通[191]。
  • 3月20日 龍野電気鉄道、網干港–網干間開通[190][191]。
  • 3月 国鉄、大阪荷扱所開設[194]。
  • 9月 阪神電鉄、西宮で不動産事業を開始[181]。
  • 11月23日 和歌山水力電気、和歌浦口‐紀三井寺間開通[注釈 2][193]。
  • 12月11日 初瀬軌道開業[195][196]。
  • 12月 南海鉄道、大阪馬車鉄道を合併[149]。

1910年(明治43年)

開業当日の箕有電軌梅田駅

1911年(明治44年)

  • 11月21日 南海、全線電化完成[185]。
  • 12月 阪堺電軌、恵美須町–大小路間開通[149]。

大正時代

都市化の進展と郊外の成立

大阪市電堺筋線(1915年)

明治末から昭和初期の関西は経済や消費、生活文化の面で日本随一の先進地域であり、鉄道においてもハード、ソフトの両面で日本の先端を行っていた[210]。この時期、都心の住宅難を背景に郊外では新中産階級を対象とする住宅地の開発が進められ[211][212][213][214]、阪神は1909年(明治42年)から分譲住宅の建設を行い私鉄による不動産経営の先駆的存在となり[215]、翌1910年(明治43年)には阪急も同様に住宅地の開発を開始した[216]。 国鉄京阪神区間の定期旅客は大幅に増加し[217]、電鉄各社もフリークエントサービスによって旅客輸送を充実させていった[218]。国鉄大阪駅のある梅田には阪神と箕有が進出し、大阪市電も大阪駅前に乗り入るようになり、梅田はターミナルの集中する一大鉄道拠点へと発展した[219]。

電鉄各社は沿線住民向けの娯楽施設も開設していった[220]。日本で最初に郊外で宅地開発が行われた阪神間において[221]、阪神は鳴尾(甲子園)の開発を行い、鳴尾百花園、競馬場、ゴルフ場、運動場を開場させ[222]、阪急も明治末に箕面動物園や宝塚進温泉をオープンさせ、沿線開発を推進した[223][224]。

市内交通モンロー主義

1903年(明治36年)、大阪市は市営モンロー主義と言われる交通政策を導入した。市営モンロー主義とは民営鉄道の市内への乗り入れを制限し、大阪都心の交通は大阪市が一元的に経営するもので、市財政の充実がその目的であった[225]。1900年代初頭、大阪市は路面電車による路線網を整備し、都市内移動手段の人力車や水上交通等から鉄道への転換が進められた[226] 。しかし1910年代後半になると、大阪市の人口増加により路面電車の輸送力は限界に達し、都市計画と一体化した地下鉄の建設計画が浮上した[227]。1927年(昭和2年)6月大阪市は内務省から軌道法の特許を獲得、1929年(昭和4年)6月には都市計画事業の認可を得て[228]、1933年(昭和8年)に公営としては初の地下鉄1号線が開業した。

年表

大正元年 - 15年/昭和元年

1912年(明治45年 /大正元年)

1913年(大正2年)

1914年(大正3年)

大軌生駒トンネル

1915年(大正4年)

1915年、日本最長のアーチ橋である大正橋を渡る大阪市電[266]。

1916年(大正5年)

  • 2月 野上軽便鉄道、日方–紀伊野上間開通[275]。
  • 2月 山東軽便鉄道、大橋–山東間開通[276]。
  • 3月5日 四日市鉄道、湯ノ山–四日市間全通[236]。四日市鉄道と三重軌道が乗り入れ[251]。
  • 7月 有田軽便鉄道、下津野–金屋口間開通[271]。
  • 8月8日 伊賀鉄道、伊賀上野–上野町間開通[236][189]。
  • 8月 北勢軽便鉄道、楚原–六石間開通[258]。
  • 12月27日 大阪市電、第三期計画線が全線開通[277]。
  • 12月 三重軌道、三重鉄道に改称[278]。

1917年(大正6年)

  • 1月1日 伊勢鉄道、塔世橋延伸[279]。
  • 1月17日 京阪深草車庫で失火。1形15輌が焼失[269]。
  • 1月 国鉄神戸臨港線開通[280]。
  • 1月 播州鉄道三木支線開通[245]。
  • 4月12日 兵庫電軌、塩屋–明石間開通[230][231]。
  • 5月8日 大日本軌道、阿漕への支線開通[188]。
  • 8月1日 神戸市、神戸電気を買収し神戸市電発足[201][246]。
  • 8月8日 能勢電能勢口–池田駅前間開通[281]。同区間で貨物営業を開始[244]。

1918年(大正7年)

生駒鋼索鉄道

1919年(大正8年)

  • 3月8日 河南鉄道、大阪鉄道に改称[291][131]。
  • 3月10日 箕有電軌宝塚本線・箕面線開業[292]。
  • 4月 養老鉄道全線開通[249][250]。
  • 6月1日 阪神電鉄本線、日本初の千鳥式運転開始。1921年5月まで[293]。
  • 8月29日 生駒鋼索鉄道、山下区間開通[294][295]。
  • 10月 伊賀軌道、伊賀鉄道に改称[189]。

1920年(大正9年)

1921年(大正10年)

開業当日の播州鉄道 播州赤穂駅(1921年)

1922年(大正11年)

  • 1月 大軌、生駒鋼索鉄道を合併[295][294]。
  • 3月1日 伊勢鉄道、新四日市延伸[304]。
  • 3月15日 国鉄、神戸‐富山間に北陸地区初の急行680・681列車を設定[305]。
  • 4月 大軌天理軽便線、改軌完了[295]。
  • 5月1日 伊勢電気鉄道、三重県下の電力会社と合併し三重合同電気設立[263]。
  • 5月16日 信貴鉄道、王寺–山下間、山下–信貴山間(鋼索線)開通[306][294]。
  • 7月1日 京阪、和歌山水力電気を合併し和歌山支店とする[307][193]。
  • 7月18日 伊賀鉄道、名張延伸[236][189]。
  • 9月6日 南海、大阪高野鉄道を合併[128]。
  • 9月 大和鉄道、田原本–味間間開業[284]。
  • 10月1日 伊勢鉄道新四日市、四日市に改名し国鉄四日市と共同駅になる[304]。
  • 12月2日 南海本線複線化完成[308]。

1923年(大正12年)

舞鶴駅(現・西舞鶴駅、1923年)

1924年(大正13年)

1925年(大正14年)

摩耶ケーブル

1926年(大正15年/昭和元年)

1926年竣工の大軌ビル

昭和時代

東海道線電化と私鉄の対応

流電モハ52系

昭和初頭、鉄道省は東海道京阪神区間の電化計画を発表した。先行の電鉄各社は当初は計画の阻止に動いていたものの、その後積極的な設備投資により国鉄に対抗した。新京阪は1931年(昭和6年)、西院から京阪京都まで延伸し、1933年(昭和8年)には阪神が地下線で三宮乗り入れと京阪の蒲生信号所までの複々線化が完成した。1936年(昭和11年)、阪急は高架線で神戸延伸を実現し、阪神も三宮–元町間を延伸開業させた[343]。国鉄は京阪神電化区間で毎時3本の電車列車の運転を計画していたが、各電鉄の積極策を受けてフリークェントサービスと急行電車の運行に踏み切った。軌道強化・複々線を含む大規模投資を実施とともに[344]、革新的な流線形電車モハ52を導入した[345]。この結果近畿圏の鉄道高速化が実現し、国鉄のモハ52急行は大阪–神戸間を平均速度約80km/hで走行し[346]、新京阪の超特急が77.4km/h、阪和の特急も76.5km/hの平均時速の高速運転を行ったほか、南海と阪急神戸線の特急も平均時速60km/h台での運行を行い、設備投資の効果を乗客の利便性に反映させた[347]。

大阪市営地下鉄の創業

大阪地下鉄100形

1925年(大正14年)の第二次市域拡張により、大阪市は日本最大にして世界6位の巨大都市に成長し、「大大阪」と呼ばれていた[348]。1893年(明治26年)に約54万人だった大阪市の人口は、1935年(昭和10年)には約299万人と6倍近く増加した[349]。大阪市は都市内の輸送力を強化するため、市内交通を路線バスと市電から地下鉄の整備へと転換した。大阪市営地下鉄の整備は都市計画と一体となっていた点に特徴があった[350][351]。 そのため、満洲国の奉天や新京が地下鉄建設を企図した際には、両市とも大阪市に計画への参画を求めた[352][353] 。日本最初の公営地下鉄として1933年(昭和8年)に開業した1号線(御堂筋線)は、将来の長編成化を見越して8連対応で建設された。車両も全長17.7mの大型車両が用意され、主電動機170kW×2は戦前の日本の電車では最大であり、91.8kW×2の東京地下鉄・1000形の2倍近い出力を誇った[354]。

1930年代の好況と沿線開発の進展

1920年代後半以降、鉄道網の整備などによりさらに都市化が進んだ[355]。1932年(昭和7年)から始まった好景気のなか[356]、電鉄各社はターミナルや沿線への投資を活発に行い経営の多角化を進めていった。代表的なものが百貨店で1932年(昭和7年)の南海難波駅の高島屋[357]、翌1933年(昭和8年)の京阪天満駅の京阪デパート[358]と阪神三宮駅のそごう[359]、1936年(昭和11年)の大軌上本町駅の大軌百貨店[360]、1937年(昭和12年)の大阪鉄道阿部野橋駅の大鉄百貨店がターミナルに隣接して建設され[361]、1936年(昭和11年)の梅田阪急の大食堂では1日の来店客が2,500人にもなり賑わいを見せた[362]。また1930年代後半、電鉄各社はターミナルビルにニュース映画館を設け、都市住民の時間つぶしと待ち合わせ場所として機能していた[363]。この時期阪神、阪急、南海がプロ野球チームの経営に乗り出し1936年(昭和11年)に大阪タイガースと阪急軍、1938年(昭和13年)には南海軍が誕生した[364]。

トラック輸送との競合

永く貨物輸送の主役を務めてきた国鉄貨物だが、1920年代後半以降近畿圏ではトラックによる近距離輸送が発展し国鉄貨物輸送との競合状態へと至った[365]。1926年(大正15年/昭和元年)の 阪神国道開通によりトラックにシェアを奪われ、阪神電鉄の貨物営業は廃止され国鉄の貨物取扱量も大きく減少した[366][367]。

1933年(昭和8年)6月、京阪国道が開通すると、国鉄は対応策として貨物運賃の特別割引の導入と貨物快速列車を運行を開始した。貨物快速は従来京都–大阪間が44時間、大阪–神戸間は38時間を要していたが京都–大阪・大阪–神戸間を5時間半、京都–神戸間は6時間で結び輸送時間の大幅短縮を実現した[368]。その後、貨物快速は関西本線、福知山線でも運行されシェアを拡大し続けるトラック輸送に対抗したが[369]、1936年(昭和11年)頃には大阪–東京間で貨物自動車の営業も始まり[370]、鉄道貨物輸送は退潮傾向を示すようになった[371]。しかし1941年(昭和16年)に政府が貨物自動車も対象とした改正陸運統制令を施行した。トラック輸送は軍需輸送優先、ガソリン消費の規制、50キロ以上の運送禁止等の規制を受け総力戦体制に組み込まれることになった[372]。

総力戦と鉄道

デッキ付き気動車に乗って出征する兵士たち(三木鉄道、1940年)
1945年7月24日の空襲で損害を受けた国鉄森ノ宮駅

中国大陸に満州国が建国された1932年(昭和7年)、国鉄と陸軍参謀本部との間で軍事輸送協定が締結された。1937年(昭和12年)6月には鉄道省は鉄道調査部を設置した。翌月、日本は日中戦争に突入し鉄道による軍事輸送は本格化していった[373][374]。軍事輸送は京浜地区と阪神地区への輸送が集中し[375]、近畿地方では1938年(昭和13年)に竜華操車場が新たに開業し、吹田操車場と梅田貨物駅の輸送機能の強化が図られた[376]。一方で旅客は列車も設備も縮小された。1943年(昭和18年)7月から不要不急路線の休廃止と単線化が推し進められ[377][378]、近畿地方では京阪石坂線の約半数の駅が休廃止され[379]、大阪地下鉄も戦争による資材不足などを理由に路線の建設が中断された[380]。政府主導による私鉄の再編も行われ、1943年(昭和18年)に京阪と阪急が統合されて京阪神急行が誕生し、翌1944年(昭和19年)には南海山手線を国有化の後、南海と関西急行が合併して近畿日本鉄道が成立した[381]。

一方で国民精神総動員運動下の皇威発揚を建前とした橿原神宮、伊勢神宮、神武天皇陵への巡礼などを主とする観光需要は旺盛で[382]、1940年(昭和15年)の皇紀2600年奉祝参拝を目的とした奈良県下への旅行客は、前年比2,095万人増の3,800万人に上った[383]。その後も戦争特需による好景気もあり観光需要が収まることは無かったが[384]、1944年(昭和19年)4月に政府が旅客輸送抑制を目的に1等車・寝台車・食堂車の廃止と急行列車の削減と[385]、「戦時特別賃率」による大幅値上げを行いようやく国民の旅行熱は沈静化した[386]。

1944年(昭和19年)の夏以降戦局の悪化が鮮明となり、鉄道輸送にもその影響が出始めた。サイパン陥落以降の空襲増加により鉄道車両・施設の被害が増加した。一方でアメリカ軍の攻撃により船舶の喪失が増加、海上輸送力が低下したため、輸送の鉄道依存がさらに高まった。その結果、同年夏には大陸輸送の最重要幹線である山陽本線で輸送が破綻し始めていた[385][387]。

1945年(昭和20年)になると空襲による鉄道施設の損害も大きくなり、国鉄は輸送力を急速に減少させた[388]。3月の空襲で尼崎の阪神電鉄本社と[389]、南海難波駅や天下茶屋工場などが被害を受けた[390]。6月には京阪新京阪線の淀川橋梁が被害を受け翌日から新京阪の梅田乗り入れが中止され[391]、7月には南海が再び空襲に会い車両29両を失い[392]、近鉄名古屋線の揖斐・長良川橋梁が空襲にあい崩落した[393]。同じく7月には国鉄東海道本線の阪神間で1日に1本しか列車が運行されない日も現れ、鉄道輸送が末期的状況を示した後[394]、日本は連合国に全面降伏して戦争は終わった。11月、国鉄は貨物列車の大幅減便と旅客列車を増便させる戦後初のダイヤ改正を実施した。貨物列車は山陽本線姫路口で1944年(昭和19年)当時から37往復減の23往復とされた[395]。在阪私鉄の強制的な国策合併の解消も行われ1947年(昭和22年)に南海は近鉄から独立し[396]、京阪神急行も1949年(昭和24年)に京阪と阪急に分かれたが、新京阪線は阪急に移管された[397][398]。

1947年(昭和22年)10月8日、近鉄は特急列車の運行を開始した。戦後鉄道界として最初の有料特急の運転であり画期的なものだった[399][400]。1949年(昭和24年)になると国鉄も東海道本線京阪神区間の急行電車と[401][402]、東海道本線の特急の運転を再開した[403]。

戦時下の鉄道趣味

梅田乗入れ初日の新京阪P-6(十三駅)

1937年(昭和12年)に軍機保護法が改正されると趣味活動への制約が強まり、同年に『鉄道趣味』、翌1938年(昭和13年)には『鉄道』と戦前に刊行されていた鉄道趣味誌が全て休刊した。1940年(昭和15年)、西尾克三郎と関西の愛好家らにより同人誌『古典ロコ』が創刊された[404]。『古典ロコ』は、明治末の鉄道国有化時の蒸気機関車の全容を初めて明らかにする重要な成果を残したが[405]、これも翌1941年(昭和16年)には廃刊に追い込まれた。一方で1944年(昭和19年)4月8日の新京阪の梅田乗入れ開始当日に鉄道ファンが写真撮影に出向いたり[406]、1945年(昭和20年)1月に東京の国電ファンが来阪してトレイン・スポッティングを行うなど、個人レベルでの趣味活動は続けられていた[407]。

高性能電車の登場

1936年(昭和11年)にアメリカで誕生したPCCカーの技術が戦後になって日本に導入され[408]、1953年(昭和28年)以降、国鉄・私鉄に高性能電車が相次いで登場した[409]。高性能電車とは張殻構造による車体の軽量化、カルダン駆動による走行性の改善、MM'ユニット方式による全電動車化などの新技術の採用した電車を指し、これらの技術によって高加減速運転が可能となり、乗り心地の向上や保守の合理化も進んだ[410]。

1953年(昭和28年)、京阪がカルダン駆動を装備した初の高性能電車1800系をデビューさせ[411]、翌1954年(昭和29年)には近鉄から初のMM'ユニット採用の全電動車1450形が登場した。MM'ユニット方式はその後国鉄・私鉄を問わず広く採用され、日本の電車の発展に大きな影響を与えた[412][413]。1950年代後半には高性能電車の量産と普及が進み、1957年(昭和32年)に近鉄が南大阪線に6800系[414]、1958年(昭和33年)に阪神5001形と高野線の勾配区間に対応した南海21001系が、1959年(昭和34年)には電力回生ブレーキ装備の京阪2000系が営業を開始した[415]。また1960年(昭和35年)デビュー、定速運転制御を取り入れ「人工頭脳電車」とも言われた阪急2000・2300系は、その清新なエクステリアやインテリアも高く評価され、鉄道友の会のローレル賞第1回受賞車両に選出された[416]。

新幹線の開通とその影響

戦後の復興と共に東海道本線の貨客列車の運行本数は増加し、東海道本線の輸送力は飽和状態になっていったため、国鉄は戦前から計画されていた標準軌の高速鉄道、東海道新幹線を建設することになった[417]。東海道新幹線は開業した1964年(昭和39年)の毎時2本から3年後の1967年(昭和42年)には毎時6本、10分間隔へと運行本数も増え[418]、新幹線の輸送人数は順調に伸びていった[419]。

一方で、それまで名阪間の鉄道輸送で主導的地位にあった近鉄特急への影響は大きいものがあった。近鉄特急は新幹線開業直前の1964年(昭和39年)上半期では名阪間で69.4パーセントの輸送シェアを持っていたが、1965年(昭和40年)下半期24.7パーセントとなり、1966年(昭和41年)にはさらに19パーセントにまで低下した[420]。名阪間ではシェアを失った近鉄だが、東海道新幹線を利用した観光客の近鉄沿線への呼び込みには成功しており、名古屋–宇治山田間の名伊特急は新幹線開業前の1963年(昭和38年)3月改正時の10往復から[421]、1965年(昭和40年)には25往復へと増発した他[422]、京都–奈良間の京奈特急や湯の山特急、吉野特急も新幹線開業後に新たに設定した[423]。 その結果、近鉄特急全体の利用者数は1962年(昭和37年)を100とすると、1966年(昭和41年)には188と大幅に増加させていた[424]。

ニュータウンの建設と鉄道

1960年代の高度成長期に入ると大阪都市圏が拡大し郊外の宅地化が進み[425]、京阪神圏人口は1955年(昭和30年)の820万3000人から、1965年(昭和40年)には1129万1000人へと急増した[426]。大阪と兵庫は日本の中でも特にニュータウンの開発が活発な地域であり[427]、日本最初のニュータウンである千里ニュータウンには阪急千里線と北大阪急行が開業し[428]、泉北ニュータウンには泉北高速鉄道が新たに敷設された[429]。

一方で路面電車は苦境に立たされていた。1960年代以降の都市化・郊外化は都心住民の減少を招き、またモーターリゼーションの進展による渋滞の慢性化による利便性の低下も利用者に敬遠され、全国的に路面電車は退潮傾向が鮮明になった[430]。 近畿圏でも1969年(昭和44年)の大阪市電と1971年(昭和46年)の神戸市電の全廃の後、1978年(昭和53年)には京都市電も廃止され京阪神から公営の路面電車が姿を消すことになった[431]。

1970年の大阪万博

万博関連輸送を見据えて新製された近鉄12200系特急電車[432]

1970年(昭和45年)には大阪万博が大阪府吹田市で開催された。1969年段階では約3.000万人、開幕直前には約5,000万人の来場者が見込まれていた日本史上最大のイベントは[433]、結果的に予想を上回る6,422万人の来場者数を記録した。国鉄は合計2023本の臨時列車を走らせ[434]、国鉄の利用者は約2,200万人にのぼった[435]。また東海道新幹線は万博輸送に備えて1969年(昭和44年)10月改正で16連化と3–6ダイヤによって輸送力を増強させ約1,000万人の輸送を達成した[436][437]。在来線でも山陽本線の輸送力強化のために27両の国鉄583系電車が増備などが行われた[438]。

また万博会場へのアクセス路線として、地下鉄御堂筋線と直通の北大阪急行が開業したほか、大阪市は大阪地下鉄堺筋線と千日前線の開業と、谷町線、中央線の延伸開業させ[439]、御堂筋線にはATCが導入された[440]。車両についても御堂筋線用に30系を北大阪急行使用分も含めて大規模増備を行った[441]。結果、御堂筋線では総来場者の31パーセントに当たる3,986万人もの輸送を達成した[440]。在阪私鉄では近鉄が万博で来阪する観光客の取り込みを図ろうと大阪線の難波延伸、鳥羽線の開通、志摩線の改軌や600V区間の1500V化工事を実施した[442]。近鉄はこれらの路線にも特急を運行させ、1日約300本の特急列車を運転する近鉄特急ネットワークを完成させた[424]。

新快速の登場

153系新快速

1970年(昭和45年)10月のダイヤ改正から国鉄は新快速の運行を新たに開始した[443]。特別料金不用の京都–大阪–三宮間の速達運転に徹した列車であったが、当初は1時間に1本の運転であまり注目されることもなかった。1972年(昭和47年)にパターンダイヤが導入され[444]、1980年(昭和55年)に新快速専用の117系が投入されたが[445]、運賃の高さなどが敬遠され競合する京阪、阪急優位の状況を覆せない状況が続いた[445] 。

国鉄の財政破綻と解体

紀勢本線の貨物列車(1985年)

1950年代以降国鉄は自動車や海運にシェアを奪われ旅客・貨物ともに低下し[446][447]、1970年代には旅客・貨物とも輸送量そのものが減少するようになっていた[448]。このような状況下で国鉄は「東京五方面作戦」といわれる首都圏の通勤輸送改善策のために大規模投資を行い、財政破綻を招いてしまった[449][450]。その結果国鉄は毎年巨額の赤字を生み出し、1983年(昭和58年)には約10兆円もの債務を抱え込むことになった[451]。国鉄も人員削減や生産の向上など合理化を行おうとしたが、当時の国鉄は深刻な労使問題を抱えており、再建策は成果を上げることは無かった[452]。

1975年(昭和50年)11月に国鉄の労働組合が1週間にわたって実施したスト権ストは国鉄の乗客・貨物利用者のひんしゅくを買い[453][454]、翌1976年(昭和51年)に運賃の約50パーセント大幅値上げを行うと利用者の国鉄離れが発生した[455]。東海道新幹線の輸送人員は1978年(昭和53年)に、ピークの1975年(昭和50年)から20パーセントの減少を記録した[456]。国鉄は1976年(昭和51年)以降も運賃の値上げを続けたため乗客は減り続け、1980年(昭和55年)10月のダイヤ改正では終戦直後を除いては初の減量ダイヤを実施した[457]。

1970年代まで国鉄の再建策は輸送拡大による増収を図るものだったが、モータリゼーションや飛行機の利用が進む中、上手くいかなかった[458]。他方で赤字ローカル線問題もクローズアップされ、1980年代に入ると特定地方交通線問題として、貨物輸送の合理化と共に対策が進められた[459]。1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正では、貨物輸送の赤字の元凶だったヤード系輸送は三分の一に大幅削減され、貨物列車の運行本数は半減した[460]。しかし国鉄の再建問題は国鉄の解体・民営化へと進んでゆき1986年(昭和61年)11月に日本国有鉄道改革法が可決され、1987年(昭和62年)4月のJRへの移行が決定した[461]。

JR発足を目前にした1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正では京阪神区間の普通列車が強化され、1時間当たり新快速4本、快速4本、普通8本のパターンダイヤが確立された。国鉄大阪局はこれに併せて117系電車を18両、京阪神緩行線用に205系電車を28両増備し、JR移行後の電鉄各社との競争の準備を整えた[462]。また福知山線の全線電化も完成した[463]。

年表

昭和2 - 10年

1927年(昭和2年)

比叡山鉄道
京阪の初代ロマンスカー

1928年(昭和3年)

日本無軌道電車
澱川橋梁

1929年(昭和4年)

阪急百貨店

1930年(昭和5年)

1930年、石山駅での脱線転覆事故
  • 2月6日 三重合同電気、合同電気に社名変更[263]。
  • 2月21日 参急、長谷寺–榛原駅間開通[469]。
  • 4月1日 伊勢電、津新地–新松坂間開通[504][189]。
  • 4月25日 東海道本線石山駅で脱線事故発生。
  • 5月10日 京阪、和歌山支店を合同電気に売却[307][505]。
  • 5月18日 参急津新線、中川–久居間開通[469][496]。
  • 5月 京都府、比叡登山鉄道の鋼索鉄道免許出願が風致上の理由で不許可とする[506]。
  • 6月4日 京都府、東山の鋼索線3路線の建設を風致上の理由により不許可とする[507]。
  • 6月16日 阪和電鉄、和泉府中–阪和東和歌山間開通[500]。
  • 6月16日 合同電気新町支線開通[508]。
  • 6月29日 高野山電気鉄道鋼索線開業[475][476][509]。
  • 7月9日 阪神国道、浜甲子園–中津浜間開通[510]。
  • 9月15日 京阪、新京阪を合併[205]。
  • 10月1日 国鉄、東京‐神戸間で超特急「燕」が運行を開始[511]。
  • 12月20日 参急、大阪–山田間開通。大軌と参急、相互乗り入れを開始[469]。
  • 12月26日 伊勢電、新松坂–大神宮前間開通[504][189]。
  • 12月15日 信貴山電鉄、高安山-信貴山門間と鋼索線が開業[509][294][326]。
  • 12月 大軌信貴線、山本–枚岡間開通[295]。
  • 12月 大鉄、尺土–南和御所前間開通[336][161]。

1931年(昭和6年)

  • 1月 江若鉄道、近江今津に延伸し全線開通[299]。
  • 3月17日 参急、宇治山田延伸し全線開通[336][469]。
  • 3月31日 京阪新京阪線西院–京阪京都間開業[307]。
  • 3月 三重鉄道、四日市鉄道を合併[278]。
  • 5月 北勢軽便鉄道、六石–阿下喜間開通[258]。
  • 6月15日 御坊臨港鉄道営業開始[512]。
  • 7月8日 北勢鉄道全線開通[256]。
  • 7月9日 阪和電鉄、ノンストップ特急の運転開始[513]。
  • 8月 在阪私鉄各社、鉄道省の東海道・山陽本線電化の阻止運動を開始[514]。
  • 8月 阪神電鉄、貨物営業を終了[515]。
  • 9月 大軌、伊賀線を参宮急行に譲渡[189]。
  • 11月2日 信貴山電鉄、信貴山急行に改称[516][288][470]。

1932年(昭和7年)

京都市営トロリーバス

1933年(昭和8年)

大阪地下鉄 淀屋橋駅(1933年)
阪和電鉄・黒潮号

1934年(昭和9年)

京阪びわこ号
国鉄C53 43蒸気機関車
  • 1月 阪神電鉄、梅田–尼崎間に「特急車専用線」建設を計画[527]。
  • 2月 有田軽便鉄道、海岸–湯浅間営業休止[528][276]。
  • 4月2日 京阪60形電車「びわこ号」 の運転開始[526][529]。
  • 5月31日 - 6月1日 阪急梅田駅と国鉄大阪駅の切替工事を実施[530][531]。
  • 6月 北勢鉄道、北勢電鉄に改称[265]。
  • 7月1日 新宮鉄道国有化[532]。
  • 7月2日 京阪本線稲荷で、京都市電稲荷線との平面交差において衝突事故が発生。死傷者多数[533]。
  • 7月20日 国鉄がダイヤ改正実施。大阪–神戸間で急行電車の運行開始[534]。
  • 7月20日 国鉄東海道・山陽本線吹田–須磨間電化開業[530][535]。
  • 9月9日 国鉄吹田操車場、第2期工事完了。日本最大の操車場誕生[317]。
  • 9月20日 山陽本線、須磨–明石間電化開業[530][536]。
  • 9月21日 東海道線瀬田川橋梁で急行7列車が室戸台風による強風に煽られ横転する事故が発生。死者11名[537]。
  • 11月17日 南海・国鉄紀勢西線間で相互乗り入れを開始[538]。
  • 11月24日 流線形蒸機C53 43が国鉄鷹取工場で落成[539]。
  • 12月15日 播電鉄道、路線廃止[272][191]。

1935年(昭和10年)

  • 3月15日 国鉄、山陰地区初の急行401・402列車を大阪‐大社間で運転開始[540]。
  • 6月1日 阪堺電鉄、湊ノ浜–浜寺間が開通し全通[471]。
  • 9月20日 国鉄東海道本線、明石電化[343]。
  • 10月6日 大阪地下鉄1号線梅田駅が正式開業[541]。
  • 12月25日 神戸市電にロマンスカー、700形がデビュー[542]。
  • 10月30日 大阪地下鉄1号線難波延伸[541]。
  • 12月 大阪電軌、上本町–布施間複々線化[543]。
昭和11 - 20年

1936年(昭和11年)

  • 1月 大軌と参宮急行、関西急行電鉄を設立[336][496]。
  • 3月18日 阪神電鉄本線、三宮–元町間開通[293][323]。
  • 4月1日 阪急神戸線、西灘-神戸間高架線開通[544]。
  • 5月13日 国鉄、52系電車の運転開始[545]。
  • 5月20日 養老電鉄(2代目)設立[546]。
  • 7月6–10日 鉄道省、大阪鉄道局管内において52系電車の性能試験を実施[547]。
  • 7月19日 南海、日本(内地)初の冷房車の営業運転を開始[538]。
  • 9月15日 参急と伊勢電が合併し関西急行電鉄発足[546][496]。
  • 12月28日 三木電鉄三木線、鈴蘭台-広野ゴルフ場前間開通[490]。
  • 12月 国鉄大阪駅の高架化完成[548]。

1937年(昭和12年)

  • 3月31日 合同電気、東邦電力に吸収合併される[263]。
  • 10月10日 国鉄東海道本線京都–吹田間電化開業[549][536]。
  • 12月1日 南海・阪和・国鉄、「黒潮」の運行を終了[538][500]。

1938年(昭和13年)

阪神大水害

1939年(昭和14年)

桑名電軌(1939年)
  • 3月21日 阪神梅田駅地下化[323][293]。
  • 4月24日 信貴生駒電鉄、枚方東口–私市間を交野電鉄に譲渡[555]。
  • 8月1日 東邦電力より分離し神都交通発足[263][161]。
  • 11月 鉄道幹線調査会、鉄道大臣に弾丸列車計画を答申[473]。

1940年(昭和15年)

西成線安治川口駅列車脱線火災事故
  • 1月1日 参宮急行、関西急行電鉄を合併[477][496]。
  • 1月10日 京都市電、節電により減便を実施[556]。
  • 1月29日 国鉄西成線安治川口駅で脱線事故発生。死亡180名、負傷90名(後10名死亡)、車掌1名死亡[557]。
  • 8月1日 参宮急行、養老電鉄を合併[477]。
  • 8月8日 紀勢西線・紀勢中線全通[558]。
  • 11月1日 東邦電力、和歌山軌道線を阪和電鉄に譲渡。和歌山電気軌道発足[508]。
  • 12月1日 阪和電鉄、南海に吸収合併され南海山手線へ改称[500][559]。

1941年(昭和16年)

  • 3月15日 大軌と参宮急行が統合し、関西急行鉄道が設立される[311][496][560]。
  • 5月1日 国鉄西成線大阪–桜島間電化[561]。
  • 7月6日山陽電鉄網干線全線開通[562]。
  • 8月30日 政府、配電統制令を施行[318]。
  • 9月16日 山陽線網干駅で普通116列車の後部に急行8列車が追突する事故が発生。死者66名[563]。
  • 12月2日 京都市電、ラッシュ時に急行の運行を開始[556]。

1942年(昭和17年)

  • 2月1日 南海鉄道が加太軽便鉄道を合併[564]。
  • 3月16日 阪神電鉄本線、6連運転を開始[551]。
  • 3月 鞍馬電鉄、京福電鉄と合併[493]。
  • 5月10日 大阪地下鉄3号線、大国町-花園町間開通[565]。
  • 8月1日 京福電鉄、鞍馬電鉄を合併[494]。
  • 11月14日 国鉄がダイヤ改正を実施。京阪神区間の急行電車の運転を休止[561][566]。

1943年(昭和18年)

優雅な戦時設計車、大阪地下鉄400形[380]
  • 2月1日 関西急行、大阪鉄道を合併[553][567][568]。
  • 2月1日 中勢鉄道(元・大日本軌道伊勢支社)廃止[188][189]。
  • 2月15日 国鉄、ダイヤ改正を実施。臨戦ダイヤに移行[569]。
  • 6月 淡路鉄道、淡路交通に社名変更[570]。
  • 7月1日 国鉄有馬線廃止[571]。
  • 9月12日 関西急行、大阪鉄道を合併[273]。
  • 9月25日 国鉄吹田操車場、第3期工事完成[317]。
  • 9月27日 大阪市電、一部区間で2連運転を実施[572]。
  • 10月1日 国鉄、ダイヤ改正を実施。決戦ダイヤに移行[569]。
  • 10月1日 京阪と阪急が合併[573]。
  • 11月21日 阪神電鉄武庫川線、洲崎–武庫川間開通[574]。
  • 10月1日 阪急電鉄と京阪電鉄が合併し京阪神急行が誕生[286][575]。
  • 10月1日 国鉄信楽線休止[571]。
  • 11月21日 阪神電鉄武庫川線、武庫川–川西工場間開通[551]。
  • 12月 大和鉄道営業休止、産業設備営団へ譲渡[284]。
  • 12月 桑名電軌、営業を廃止し解散[333]。
  • 12月 三重鉄道、諏訪–内部間電化[258]。

1944年(昭和19年)

  • 1月10日 桑名電軌廃止[468]。
  • 1月 大和鉄道、田原本–桜井間廃止[485]。
  • 1月 神都交通と朝熊登山鉄道、営業休止[326]。
  • 1月 信貴山急行電鉄、営業休止[470][326]。
  • 2月10日 妙見鋼索鉄道鋼索線廃止[576][330]。
  • 2月11日 三重県下各私鉄が統合し三重交通が発足[477][161][256]。
  • 2月15日 神戸有馬電鉄鵯越駅で脱線転覆事故発生。三十数名死亡[577]。
  • 2月 摩耶鋼索鉄道休止[326]。
  • 2月 六甲越有馬鉄道鋼索線休止[326]。
  • 2月 男山鉄道休止解散[338]。
  • 2月 愛宕山鉄道鋼索線区間廃止、平坦線区間の単線化実施[330]。
  • 2月 有田鉄道、海岸–藤並間休止[276]。
  • 3月 篠山鉄道廃止[274]。
  • 4月1日 関西急行、南和電鉄・信貴山急行を合併[477][161][560]。
  • 4月1日 阪堺電鉄、大阪市電に編入され大阪市電阪堺線に線名変更[471]。
  • 4月8日 京阪神急行新京阪線、梅田乗り入れ[578][544]。
  • 5月1日 南海、山手線を鉄道省へ譲渡[500][560]。
  • 5月 出石鉄道営業休止[501]。
  • 6月1日 関西急行鉄道と南海鉄道が統合し近畿日本鉄道(近鉄)が発足。路線長636.7kmを有する日本最大の私鉄が誕生[477][273][161]。
  • 6月1日 大阪市電、151電停の利用を停止[572]。
  • 8月1日 国鉄阪和線鳳-東羽衣間単線化[579]。
  • 8月 国鉄参宮線一部区間を単線化[579]。
  • 8月17日 阪神電鉄武庫川線、武庫川–武庫大橋間開通[574]。
  • 10月 近鉄がダイヤ改正を施行。減速運転の実施と急行を廃止[393]。
  • 10月1日 国鉄関西本線奈良-王寺間単線化[579]。
  • 10月11日 国鉄東海道線大垣–関ケ原間に下り迂回線が開通。旧線使用停止[580]。
  • 11月12日 阪神電鉄武庫川線、国鉄線に接続[574]。
  • 12月1日 東海道線東山隧道下り線・新逢坂山隧道登り外側線共用開始。膳所–京都間3線化[581]。
  • 12月 有田軽便鉄道、海岸–藤並間休止[271]。
  • 12月 愛宕山鉄道平坦線区間廃止[330]。
  • 1944年 二見浦旅客索道、二見浦–音無山間休止[333]。
  • 1944年 京福電気鉄道鋼索線、西塔橋–四明岳間開業。高祖谷–延暦寺休止[333]。

1945年(昭和20年)

波賀森林鉄道、1945年
  • 1月6日 阪神国道甲子園線、浜甲子園–中津浜間休止(後廃止)[582][465]。
  • 1月 別府軽便鉄道、野口–港口間休止[271]。
  • 1月 国鉄明石電車区被災[566]。
  • 2月 京都市電気局、東山仁王門–蹴上間休止[583]。
  • 2月 近鉄大浜線、大浜北町–大浜海岸間休止[583]。
  • 2月 近鉄法隆寺線法隆寺–平端間休止[584][485]。
  • 2月 近鉄南大阪線尺土–橿原神宮駅間単線化[273]。
  • 3月13日 大阪大空襲により鉄道施設に甚大な被害が発生。南海難波駅・今宮戎駅・天下茶屋工場[390]、阪神電鉄尼崎本社が被災[389]。大阪市電天王寺車庫も被災し、119両が焼失[572]。
  • 3月13–14日 大阪地下鉄1号線、大阪大空襲に対応して終夜運転を実施[585][565]。
  • 3月28日 阪神三宮–元町間、運行を休止し軍事工場に転用される[586]。
  • 3月 天理軽便鉄道撤去[271]。
  • 3月 比叡山鉄道休止[465]。
  • 4月3日 阪神電鉄尼崎本社被災[551]。
  • 4月23日 阪神電鉄三宮駅地下構内被災[551]。
  • 4月 別府軽便鉄道、別府鉄道に社名変更[314]。
  • 5月1日 京阪神急行、交野電鉄を合併[587][555][307]。
  • 5月1日 ‐ 6月30日 国鉄、決戦輸送を実施。軍事物資輸送の重点化[588]。
  • 6月1日 近鉄、橿原神宮駅–畝傍間休止[273]。
  • 6月1日 2度目の大阪大空襲により京阪神急行新京阪線新淀川橋梁が被災[391]。大阪市電築港車庫、鶴町車庫、春日出車庫が被災し174両が焼失[572]。
  • 6月2日 京阪神急行新京阪線、梅田乗り入れ中止[391]。
  • 6月5日 神戸大空襲により神戸市電が被災。98両焼失、3車庫全焼[589]。
  • 6月7日 大阪市電都島車庫が被災し78両が焼失[572]。
  • 6月 愛宕山鉄道解散[330]。
  • 6月 京阪神急行神戸・宝塚線、急行列車の運転を休止[590]。
  • 6月 京阪神急行、天満・野田橋の両駅が被災[591]。
  • 7月9日 南海、空襲により車両の焼失多数[390]。
  • 7月11日 国鉄、皇土決戦輸送を実施[592]。
  • 7月20日 南海、C58による2001系4連牽引の列車運行開始[390]。
  • 7月24日 近鉄名古屋線 揖斐・長良川橋梁が空襲により転落[393]。
  • 8月1日 近鉄生駒鋼索線、鳥居前–生駒山上間運転再開[393][326]。
  • 11月13日 阪神電鉄本線三宮–元町間、単線で復旧[551]。
  • 11月18日 三木電鉄鈴蘭台駅で脱線転覆事故発生。39名死亡・重軽傷者百数十名[577]。
  • 11月20日 国鉄、戦後初のダイヤ改正を実施[593]。
  • 11月 近鉄、田中車輌を買収[594]。
  • 11月 阪神三宮–元町間運行を再開[586]。
  • 12月15日 国鉄、列車運行本数の削減を行う[593]。
  • 12月30日 阪神電鉄、本線の急行運転を再開[551]。
  • 12月21日 京阪神急行京阪線と奈良電が相互乗り入れを開始[573][595][596]。
昭和21 - 30年

1946年(昭和21年)

1946年の国鉄西明石駅
  • 1月6日 阪神、武庫大橋–洲崎間旅客営業休止[574]。
  • 1月 阪神、洲崎–西宮間貨物輸送再開[597]。
  • 2月8日 京都市電堀川線、堀川中立売で転落事故。死者15名[598]。
  • 3月1日 阪神本線、三宮–元町間完全復旧[551]。
  • 5月 近鉄名古屋線揖斐・長良川橋梁が復旧[393]。
  • 6月 日本鉄道[注釈 7]、東京–大阪–福岡間に高速新線の敷設を計画[473]。
  • 8月 比叡山鉄道、営業再開[465]。
  • 11月 国鉄東海道線大垣–関ケ原間の旧下り線復旧[580]。

1947年(昭和22年)

  • 1月9日 神戸有馬電鉄、三木電鉄を合併し神有三木電鉄に社名変更[489]。
  • 1月25日 江若鉄道、京阪京津線浜大津–膳所間に乗り入れ開始[379]。
  • 5月22日 別府鉄道野口線運転再開[271]。
  • 5月22日 ナニワ工機創業。満鉄、鮮鉄出身の技術者らによって[599]。
  • 6月1日 南海、近鉄から分離[396]。
  • 10月8日 近鉄、戦後鉄道界初の特急列車の運行開始[600][400]。
  • 12月 大阪地下鉄、高速車両工場を新設[601]。

1948年(昭和23年)

近鉄河内花園駅追突事故
  • 3月 近鉄奈良線花園駅で追突事故が発生[602]。
  • 6月15日 大和鉄道、標準軌化・電化を行う[425][485]。
  • 7月1日 国鉄、白紙ダイヤ改正を実施[603]。
  • 10月10日 阪神武庫川線、武庫川–洲崎間運行再開[604]。

1949年(昭和24年)

  • 4月10日 国鉄東海道本線、京都–大阪間で急行電車の運転を再開[401][402]。
  • 4月15日 山陽電鉄、特急の運転を再開[562]。
  • 4月30日 神有三木電気鉄道、神戸電鉄に改称[489]。
  • 8月11日 京阪京津線四宮車庫で火災。22両が焼失[379]。
  • 12月1日 京阪電鉄と阪急電鉄が分離。新京阪線は阪急に移管[397][398]。
  • 12月18日 京都市電、京福電鉄鞍馬線宝ヶ池まで乗り入れ運転を開始[605]。

1950年(昭和25年)

焼亡する京都駅

1951年(昭和26年)

1952年(昭和27年)

1953年(昭和28年)

1954年(昭和29年)

1955年(昭和30年)

  • 3月19日 国鉄、関西本線名古屋‐湊町間の準急で、初めて気動車を優等列車に投入[618]。
  • 5月 摩耶鋼索鉄道運転再開[326]。
  • 6月25日 京阪、貨物営業を終了[619][620]。
  • 8月24日 京都市電、京福電鉄鞍馬線への乗り入れを終了[605]。
  • 12月3日 京阪鋼索線、営業を再開[609][338]。
昭和31 - 40年

1956年(昭和31年)

  • 5月6日 南海、四国連絡急行「あわ」の運転を開始[621]。
  • 6月1日 大阪地下鉄3号線岸里延伸[622]。
  • 6月23日 京阪電鉄、日本初の空気ばね台車採用の1759の試験運用開始[623]。
  • 7月 叡山架空索道営業再開[333]。
  • 9月 近鉄名古屋線、四日市付近の路線改良工事完成[624]。

1957年(昭和32年)

  • 1月1日 鞍馬寺鞍馬山鋼索鉄道開業[609]。
  • 3月21日 信貴山急行電鉄鋼索線営業再開。山上線は廃止[516][326]。
  • 4月1日 大阪市営トロリーバス2号線・3号線開通[625]。
  • 9月25日 国鉄東海道本線、茨木–宮原第一信号所間複々線化[626]。
  • 10月1日 国鉄、東京‐大阪間の急行「彗星」を初の寝台専用列車化[627]。
  • 10月 北陸本線田村-敦賀間交流電化完成[628]。

1958年(昭和33年)

国鉄20系こだま形電車
  • 3月1日 大阪市営トロリーバス4号線開通[625]。
  • 4月10日 国鉄東海道本線、西明石–姫路間電化[629]。
  • 5月9日 阪神電鉄、西宮–洲崎間の貨物営業終了[597]。
  • 5月31日 大阪地下鉄3号線玉出延伸[622]。
  • 7月11日 近鉄、初代ビスタカー・10000系をデビューさせる[630]。
  • 7月 阪神武庫川線、貨物営業を終了[604]。
  • 11月1日 国鉄初の電車特急「こだま」の運転開始[631]。
  • 12月1日 京都市営トロリーバス、梅津延伸[518]。
  • 12月1日 京阪萱島車庫完成[268][632]。

1959年(昭和34年)

コンテナ特急「たから」
  • 2月18日 阪急、梅田–十三間の三複線完成[544]。
  • 2月 在阪各私鉄(近鉄・京阪・阪急・阪神)へ大阪都心への乗り入れ免許が交付される[633]。
  • 4月20日 国鉄、修学旅行電車「きぼう」の運転開始[634][635]。
  • 4月 有田軽便鉄道廃止[271]。
  • 7月15日 国鉄紀勢本線、新鹿–三木里間開通。紀勢本線全通[636]。
  • 9月22日 国鉄東海道線上郡電化[629]。
  • 9月26日 伊勢湾台風が近畿地方に上陸[637]。
  • 9月28日 近鉄大阪線大阪–宇治山田間、南大阪線運転再開[637]。
  • 9月29日 近鉄養老線、名古屋線伊勢中川–四日市間運転再開[637]。
  • 10月1日 近鉄伊賀線、伊勢線運転再開[637]。
  • 10月15日 近鉄名古屋線名古屋–蟹江間運転再開[637]。
  • 11月5日 国鉄、東海道本線汐留–梅田間で初のコンテナ特急「たから」の運行開始[638]。
  • 11月19–27日 近鉄名古屋線改軌工事を実施[639][486]。

1960年(昭和35年)

  • 4月22日 能勢電軌鋼索線、営業を再開[609][330]。
  • 7月1日 大阪地下鉄1号線我孫子延伸[622]。
  • 7月 大阪地下鉄、我孫子検車場開設[640][641]。
  • 8月1日 大阪市電、地下鉄4号線建設に伴い港車庫前‐大阪港間、大阪港‐三条通四丁目間廃止[642]。
  • 8月27日 能勢電妙見リフト運転再開[643]。
  • 9月27日 大阪市営トロリーバス2号線大阪駅前延伸[625]。
  • 10月6日 大阪市梅田周辺で日中10時間にわたり交通マヒが発生。大阪市電の存廃論議に発展[644]。

1961年(昭和36年)

  • 1月20日 三重交通神都線廃止[263]。
  • 1月 近鉄名古屋線江戸橋–新松坂間廃止[645]。
  • 1月 近鉄伊勢線、津新地–新松坂間廃止[646]。
  • 3月30日 国鉄赤穂線、相生–播州赤穂間電化[647]。
  • 4月25日 国鉄、大阪環状線の運行開始[648]。
  • 5月 阪急と神戸電鉄が事業提携[612]。
  • 8月 国鉄東海道本線京阪神区間に1等車の連結が再開される[649]。
  • 10月1日 国鉄、山陰地区初の特急列車「まつかぜ」の運行を開始[650]。
  • 10月1日 国鉄、北陸地区初の特急列車「白鳥」の運転を開始[650]。
  • 10月1日 信貴生駒電鉄と大和鉄道が合併[425] [485]。
  • 11月1日 大阪市営トロリーバス8号線・9号線開通[651]。
  • 11月1日 南海電鉄、和歌山電気軌道を買収[508]。
  • 12月11日 大阪地下鉄、4号線大阪港-弁天町間開通[652]。
  • 12月 大阪地下鉄、4号線に港検車区開設[653]。

1962年(昭和37年)

近鉄の修学旅行用電車、20100系
  • 1月20日 交通科学館開館[654]。
  • 2月 近鉄、世界初の全2階建て修学旅行用電車、20100系をデビューさせる[655]。
  • 3月 京都市電、急行の運行を開始[656]。
  • 3月 大阪地下鉄、我孫子検車場に隣接し我孫子車両工場を開設[641]。
  • 11月 近鉄、京都–宝ヶ池間の地下鉄による延伸を計画[657]。
  • 5月1日 京都市営トロリーバス、松尾橋延伸[518]。
  • 7月10日 大阪市営トロリーバス3号線、杭全延伸[625]。
  • 12月 阪神尼崎海岸線廃止[633]。

1963年(昭和38年)

  • 4月15日 京阪電鉄、淀屋橋延伸[587][499][658]。
  • 4月 近鉄神戸線伊勢神戸–平田町間延伸。伊勢神戸駅は鈴鹿市駅に、神戸線は鈴鹿線に改称[485]。
  • 9月21日 近鉄が鮮魚列車の運行を開始[659][660]。
  • 10月1日 近鉄、奈良電を買収[661] [485]。

1964年(昭和39年)

新幹線0系電車
  • 2月 三重電鉄設立[646]。
  • 3月1日 近鉄湯の山線標準軌化[646][247]。
  • 3月22日 国鉄大阪環状線が環状運転を開始[648]。
  • 4月1日 近鉄、三重電鉄を合併[662]。
  • 5月21日 阪神電鉄西大阪線、西九条延伸[663][664]。
  • 9月24日 大阪地下鉄1号線新大阪延伸[665]。
  • 10月1日 東海道新幹線開業[666]。
  • 10月 近鉄伊賀線、伊賀神戸–西名張間廃止[646][485]。
  • 10月1日 近鉄奈良線新生駒トンネルの供用開始[645]。
  • 10月1日 近鉄、信貴生駒電鉄を合併[662][667]。
  • 10月31日 大阪地下鉄4号線本町延伸[668]。
  • 12月25日 国鉄、大阪‐富山間に特急「雷鳥」の運転を開始[669]。
  • 12月28日 近鉄、湯の山線を標準軌化[552]。
  • 12月 三重交通松坂線廃止[485]。

1965年(昭和40年)

  • 3月1日 国鉄、紀勢本線に特急「くろしお」の運転を開始[670]。
  • 3月18日 近鉄、吉野線で特急の運行を開始[671]。
  • 3月28日 国鉄東海道線、鷹取–西明石間複々線化[672]。
  • 4月1日 近鉄、三重電鉄を合併[646][256][552]。
  • 7月25日 大阪市営トロリーバス、新深江–今里間休止[673]。
  • 6月10日 江若鉄道、京阪京津線への乗り入れ終了[379]。
  • 9月 阪神電鉄西大阪線で特急の運行開始[633]。
  • 10月1日 大阪地下鉄3号線西梅田延伸[674]。
  • 10月 大阪地下鉄、3号線に玉出検車場開設[675]。
  • 10月1日 箕面鋼索鉄道開業[609]。
昭和41 - 50年

1966年(昭和41年)

姫路モノレール

1967年(昭和42年)

寝台特急「月光」
  • 3月24日 大阪地下鉄、2号線東梅田-谷町間開通[678]。
  • 3月 京阪萱嶋車庫、寝屋川車庫に改称[268][632]。
  • 7月 阪神電鉄、石灘–石屋川間高架化[663]。
  • 9月30日 大阪地下鉄4号線、谷町四丁目-森ノ宮間開通[679]。
  • 10月1日 国鉄、新大阪‐博多間に世界初の寝台電車特急「月光」の運行を開始[680]。
  • 10月 京阪電鉄、ATSの設置開始[681]。
  • 12月20日 京阪と奈良電の相互乗り入れ終了[595]。

1968年(昭和43年)

  • 3月 阪神電鉄、日本の鉄道会社として初めて全車両にATSを装備[663]。
  • 4月7日 神戸高速鉄道が初の第三セクターとして開業[664][682][683]。神戸電鉄、新開地に乗り入れ[684]。山陽電鉄、併用軌道区間廃止[479]。
  • 4月21日 神戸市電、平野線、東部国道線など5区間を廃止[685]。
  • 7月29日 大阪地下鉄4号線森ノ宮–深江橋間開通[679]。
  • 12月 京阪と奈良電の相互乗り入れ終了[573][485]。

1969年(昭和44年)

  • 3月31日 大阪市電全廃[686]。
  • 4月16日 大阪地下鉄、5号線野田阪神-桜川間開通[687]。
  • 7月25日 大阪地下鉄5号線、谷町九丁目-今里間開通[687]。
  • 7月 大阪地下鉄、5号線に今里検車区開設[653]。
  • 8月31日 大阪市営トロリーバス、阿倍野橋–大池橋・8号線・9号線廃止[673]。
  • 9月10日 大阪地下鉄5号線、今里–新深江間開通[687]。
  • 9月20日 近鉄奈良・京都・橿原・天理・生駒・田原本各線が1500V昇圧[646]。
  • 9月30日 京都市営トロリーバス廃止[688]。
  • 9月31日 大阪市営トロリーバス1号線、大阪駅前–森小路間廃止[673]。
  • 12月 近鉄志摩線営業休止[689]。
  • 12月6日 大阪地下鉄、堺筋線天神橋筋六丁目-動物園前間開通[690]。
  • 12月6日 大阪地下鉄中央線、本町–谷町四丁目間開通[679]。
  • 12月14日 阪神国道、西灘–東神戸間廃止[237][582]。
  • 12月 大阪地下鉄、路線名称を〇号線から路線別名称に変更[678]。
  • 12月 大阪地下鉄、港検車場廃止[653]。
  • 12月 大阪地下鉄、堺筋線に東吹田検車場開設[653]。
  • 12月 近鉄奈良線、油坂–近鉄奈良間が地下化[646]。

1970年(昭和45年)

  • 2月24日 北大阪急行電鉄(北大阪急行)開業[691]。大阪地下鉄御堂筋線江坂延伸[665]。
  • 3月1日 国鉄、大阪万博の入場者輸送に対応し東海道新幹線「ひかり」を16連化[434]。
  • 3月 近鉄、鳥羽線・志摩線の改軌と1500V化完了[646][692][689]。
  • 3月11日 大阪地下鉄千日前線、桜川–谷町九丁目間開通[693]。
  • 3月13日 大阪万博会場内のモノレール運転開始[694]。
  • 3月15日 近鉄大阪線、難波延伸[692][695]。
  • 3月15日 神戸市電、6区間を廃止[685]。
  • 3月 神戸電鉄、鈴蘭台車庫・鈴蘭台工場新設[696]。
  • 4月8日 大阪地下鉄谷町線天神橋筋六丁目駅の工事現場でガス爆発事故が発生[697]。
  • 6月14日 大阪市営トロリーバス全廃[673]。
  • 9月13日 万国博モノレール営業終了[676]。
  • 9月14日 北大阪急行、千里中央–万博中央口間廃止[698]。
  • 9月 阪神電鉄本線、武庫川–尼崎センタープール間高架化[663]。
  • 10月1日 国鉄、東海道・山陽本線京都–西明石間に新快速の運転を開始[699]。

1971年(昭和46年)

  • 1月1日 南海和歌山軌道線、和歌浦口‐海南駅前間廃止[700]。
  • 3月13日 神戸市電全廃[685]。
  • 3月31日 南海和歌山軌道線廃止[700]。
  • 4月1日 近鉄と泉北高速鉄道、自動改札機を本格導入[701]。
  • 4月26日 国鉄、新快速の運行区間を草津まで延長[702]。
  • 10月16日 国鉄、修学旅行電車「きぼう」の運転を終了[703][704]。
  • 10月25日 近鉄大阪線総谷トンネル内で、特急同士による衝突事故が発生。死者25名・負傷者218名[705][706]。
  • 11月 南海、高野線の郵便・小荷物輸送を廃止[707]。

1972年(昭和47年)

阪和線新快速

1973年(昭和48年)

  • 4月1日 京阪神急行電鉄、阪急電鉄に社名変更を実施[544]。
  • 6月 南海、本線の郵便・小荷物輸送を廃止[707]。
  • 9月1日 国鉄伊勢線開通[714]。
  • 10月1日 国鉄関西本線、湊町–奈良間電化[715]。
  • 11月23日 阪急、梅田新駅への移転完了[544]。

1974年(昭和49年)

  • 3月17日 阪神国道、上甲子園–西灘間廃止[582]。
  • 3月24日 南海高野線、河内長野–三日市町間複線化[716]。
  • 4月 北丹鉄道廃止[342]。
  • 5月29日 大阪地下鉄谷町線都島延伸[697]。
  • 7月20日 国鉄湖西線全面開業[717]。
  • 10月 江若鉄道廃止[718]。
  • 12月11日 国鉄、東海道新幹線の若返り工事を開始[719]。
  • 12月 阪神電鉄、西大阪線の特急運転終了[633]。

1975年(昭和50年)

  • 1月 阪神甲子園線廃止[633]。
  • 3月10日 山陽新幹線全線開通[720]。
  • 3月10日 国鉄、昼間時間帯の保守間合を開始[719]。
  • 5月6日 阪神国道線、北大阪線全廃[633][582]。
  • 9月1日 国鉄、東海道・山陽本線の新快速・快速を全面禁煙化[719]。
  • 11月26日 ‐ 12月3日 国鉄、スト権ストによりほぼすべての列車の運行を停止[721]。
  • 12月10日 近鉄、大阪線新青山トンネルの供用を開始[722]。
昭和51 - 63年

1976年(昭和51年)

1977年(昭和52年)

1978年(昭和53年)

京都市電
  • 3月10日 京阪電鉄と阪急電鉄、地方鉄道法適用へ[725]。
  • 9月30日 京都市電全廃[726]。
  • 10月1日 能勢電軌、能勢電鉄に社名変更[576]。
  • 10月2日 国鉄紀勢本線新宮電化[727]。
  • 10月2日 国鉄、阪和線の新快速運行を終了[727]。
  • 12月12日 能勢電日生線開業[576]。

1979年(昭和54年)

  • 1月26日 姫路市交通局モノレール線廃止[676]。

1980年(昭和55年)

117系新快速

1981年(昭和56年)

ポートライナー(8000型)

1982年(昭和57年)

1983年(昭和58年)

  • 2月8日 大阪地下鉄谷町線大日延伸[697]。
  • 4月30日 阪神電鉄、民鉄初の冷房化率100%達成[743]。
  • 6月17日 神戸地下鉄山手線新長田–大倉山間開通[744]。
  • 12月4日 京阪電鉄、1500Vに昇圧[745]。

1984年(昭和59年)

営業最終日の別府鉄道
  • 1月 南海、高野線の貨物輸送を終了[707]。
  • 2月1日 国鉄尼崎港線廃止[746]。
  • 2月 博多港–大阪市場駅間の鮮魚特急がコンテナ列車化[747]。
  • 2月 別府鉄道廃線[314]。
  • 3月6日 南海高野線河内長野–御幸辻間の複線化事業完了[716]。
  • 4月3日 阪神電鉄、洲崎–武庫川団地前間営業開始[551][597]。
  • 4月 国鉄、地域別運賃制度を導入[748]。
  • 10月1日 国鉄奈良線、関西本線奈良-木津間、和歌山線五条–和歌山間、紀勢本線和歌山–和歌山市間電化[749]。
  • 12月1日 国鉄高砂線廃止[750]。
  • 12月4日 京阪本線・宇治線・交野線 、架線電圧の1500V昇圧を実施[751]。

1985年(昭和60年)

1986年(昭和61年)

  • 4月1日 京福電鉄鞍馬線が独立し叡山電鉄発足[494]。
  • 4月5日 大阪地下鉄中央線長田延伸[753]。
  • 6月 大阪地下鉄、緑木車両工場を新設。我孫子検車場廃止[754]。
  • 10月1日 近鉄東大阪線開通[755][756]。
  • 11月1日 国鉄、ダイヤ改正を実施。保守間合終了[463]。
  • 11月1日 国鉄、東京貨物ターミナル–梅田間などで高速コンテナ列車「スーパーライナー」の運行開始[757]。
  • 12月28日 山陰本線餘部橋梁で強風による列車転落事故が発生[758][759]。

1987年(昭和62年)

  • 3月11日 明延鉱山が閉山[760]。
  • 3月27日 国鉄伊勢線、第三セクター化。伊勢鉄道発足[761]。
  • 4月1日 JR西日本発足。
  • 4月18日 大阪地下鉄御堂筋線中百舌鳥延伸[665]。
  • 4月 大阪地下鉄、御堂筋線に中百舌鳥検車場開設[762]。
  • 5月24日 京阪本線、東福寺–三条間地下化[751]。
  • 7月13日 JR西日本信楽線、第三セクター化。信楽高原鐵道発足[763]。
  • 12月 叡山電鉄、ワンマン運転を開始[494]。

1988年(昭和63年)

  • 3月13日 JR西日本、ダイヤ改正を実施。京阪神区間各路線に新たに線名を付与[764]。
  • 3月18日 近鉄特急アーバンライナーデビュー。私鉄初の時速120キロ運転開始[765]。
  • 4月2日 北神急行開業[766]。
  • 4月2日 神戸地下鉄と北神急行が相互直通運転を開始[744]。
  • 6月11日 京都地下鉄烏丸線竹田延伸[767]。
  • 8月28日 京都地下鉄と近鉄京都線、相互直通運転を開始[767][756]。

平成時代

近鉄名阪特急の復権

近鉄アーバンライナー

戦後、名阪間の旅客輸送においてイニシアチブを握っていた近鉄だったが、1964年(昭和39年)の東海道新幹線の開業によって大打撃を受けた。名阪間において7割の占めていた旅客輸送のシェアは新幹線の開通により2割まで低下した[768]。しかし1976年(昭和51年)以降の国鉄の相次ぐ運賃値上げと労使紛争の結果、名阪特急は競争力を徐々に回復し、新幹線開業前に近い水準まで利用者数を回復させていった[769][770]。そのような状況を好機ととらえ近鉄は1988年(昭和63年)、名阪間に新型特急車アーバンライナーをデビューさせた[765]。高品質なインテリアと最高時速120km/hの車両性能を備えたアーバンライナーは[771]好評で増備を重ね、運用も拡大していった[772]。

JR西日本の発足とその影響

221系新快速

1987年(昭和62年)4月、国鉄が分割民営化され近畿圏の国鉄路線はJR西日本が継承した。JR西日本は京阪神区間を最重要路線と位置づけアーバンネットワークと命名、私鉄が優位に立っていた同地域へ積極投資を行った[773]。1989年(平成元年)、JR西日本はアーバンネットワークの近郊用として221系電車をデビューさせたが、新会社発足後最初の新型車両を同地域に投入したことは、JR西日本の強い意気込みを感じさせた[774]。1991年(平成3年)には新快速の最高速度を120km/hに引き上げと[775]、北陸本線坂田-長浜間の直流化によるアーバンネットワーク区間の拡大を実施してさらに攻勢をかけた[776][777]。

1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神大震災は、沿線の鉄道に大きな被害をもたらした。JR西日本は私鉄各社に先がけ4月1日に復旧を果たし、6月まで復旧が遅れた阪急、阪神から定期旅客が流入することになった[778][779]。その後、1997年(平成9年)3月JR東西線によってアーバンネットワークがさらに強化されると、JR西日本の優位は決定的になった[780]。

年表

昭和64/平成元年 - 平成10年

1989年(平成元年)

  • 3月11日 JR西日本がダイヤ改正を実施。221系を新快速に投入[781]。
  • 10月5日 京阪電鉄鴨東線開通[782][307]。

1990年(平成2年)

1991年(平成3年)

1992年(平成4年)

  • 3月14日 JR東海、東海道新幹線でのぞみの運行を開始[790]。

1993年(平成5年)

1994年(平成6年)

1995年(平成7年)

阪神大震災で被災したJR鷹取駅
  • 1月17日 阪神・淡路大震災発生。
  • 4月1日 JR西日本、阪神大震災の復旧作業完了[779]。
  • 6月12日 阪急神宝線、阪神大震災から完全復旧[796]。

1996年(平成8年)

1997年(平成9年)

1998年(平成10年)

  • 11月 阪急伊丹駅再建[796]。
平成11年 - 平成20年

1999年(平成11年)

  • 3月6日 阪急伊丹線伊丹–新伊丹間、複線運転再開[796]。
  • 5月10日 JR西日本、ダイヤ改正を実施。新快速が草津–西明石間で130km/h運転を開始[806]。

2000年(平成12年)

  • 3月11日 JR西日本、ダイヤ改正を実施。新快速の130km/h運転区間が米原–姫路間に拡大される[807]。
  • 3月15日 京都地下鉄、近鉄奈良への乗り入れを開始[767]。
  • 9月23日 JR西日本、山陰本線二条-花園間高架複々線化[808]。

2001年(平成13年)

2002年(平成14年)

2003年(平成15年)

2004年(平成16年)

2005年(平成17年)

福知山線脱線事故

2006年(平成18年)

2007年(平成19年)

2008年(平成20年)

おおさか東線
平成21年 - 平成30年

2009年(平成21年)

阪神なんば線

2010年(平成22年)

餘部橋梁
  • 3月7日 JR西日本、山陰本線京都–園部間複線化[819]。
  • 3月14日 阪急京都線、最高速度を115km/hに引き上げ[812]。
  • 8月12日 JR西日本、山陰本線餘部橋梁を架け替え[820]。

2011年(平成23年)

2012年(平成24年)

2013年(平成25年)

梅田貨物駅
  • 3月16日 JR貨物、梅田貨物駅の営業を終了[821]。

2014年(平成26年)

2015年(平成27年)

  • 8月30日 梅小路蒸気機関車館閉館[823]。

2016年(平成28年)

2017年(平成29年)

  • 10月22日 南海本線男里川橋梁で、河川の増水による列車脱線事故が発生[822]。

2018年(平成30年)

令和時代

年表

平成31/令和元年 - 令和10年

2019年(令和元年)

2020年(令和2年)

2021年(令和3年)

2022年(令和4年)

2023年(令和5年)

  • 3月 大阪駅地下駅開業[825]。

2024年(令和6年)

2025年(令和7年)

2026年(令和8年)

脚注

注釈

  1. ↑ 日本の政府系鉄道は工部省鉄道寮(1872年-1877年)、工部省鉄道局(1877年-1885年)、内閣鉄道局(1885年-1890年)、内務省鉄道庁(1890年-1893年)、逓信省鉄道局(1893年-1897年)、逓信、鉄道作業局(1897年-1907年)、逓信省逓信省帝国鉄道庁(1907年-1908年)、内閣鉄道院(1908年-1920年)、鉄道省(1920年-1943年)、運輸通信省鉄道総局(1943年-1945年)、運輸省鉄道総局(1945年-1949年)、日本国有鉄道(1949年-1987年)と組織改編を繰り返すが、煩雑を避けるため本稿では1906年(明治39年)の鉄道国有化以前は官設鉄道あるいは官鉄、路線については官鉄線と記す。国有化以降については主に国鉄、分割民営化後はJR(JR西日本)と表記し、また路線については国鉄線、JR線と表記する[1]。
  2. ↑ 同年11月25日説あり。
  3. ↑ 同年4月17日説あり。
  4. ↑ 同年9月30日説あり。
  5. ↑ 同年6月21日説あり。
  6. ↑ 1907年に東京–大阪間に標準軌の高速鉄道敷設を計画した日本電気鉄道とは別会社。
  7. ↑ 1881年創業の日本鉄道とは別会社。

出典

  1. ↑ 堤 一郎「改軌論争 : 国鉄の軌間は狭軌か広軌か」『日本機械学会誌』第113巻第1097号、日本機械学会、2010年、21頁、NAID 110007593580。
  2. ↑ 高橋 2010, p. 467.
  3. ↑ 原 1998, p. 58.
  4. ↑ 長船 2008, p. 19.
  5. ↑ 近藤 勝直「”鉄道王国”大阪都市圏の現状と課題」『流通科学大学論集 経済・情報・政策編』第19巻第2号、流通科学大学、2011年、150頁。
  6. ↑ 寺田 2005, pp. 61‐62.
  7. ↑ 原 1998, pp. 59–60.
  8. ↑ 西野 保行ほか「現存するわが国最初の鉄道用鉄桁」『日本土木史研究発表会論文集』第7巻、土木学会、1987年、193頁。
  9. ↑ 小野田 滋「阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴」『土木史研究』第20巻、土木学会、2000年、269頁、doi:10.2208/journalhs1990.20.269。
  10. ↑ 小野田 滋『関西鉄道遺産』講談社、2014年、140頁。ISBN 9784062578868。
  11. ↑ 堤 2008, p. 57.
  12. 1 2 3 林田 2016, p. 40.
  13. 1 2 3 林田 2016, p. 26.
  14. ↑ 原田 勝正「鉄道導入と技術自立への展望」『国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告』、国際連合大学、1979年、11頁。
  15. ↑ 夏 晶晶「近代日本の私鉄と都市文化の形成」『日本言語文化研究』第4巻、アジア日本言語文化研究会、2021年、34頁。
  16. ↑ 老川 2014, p. 25.
  17. ↑ 原田 1979, p. 12.
  18. ↑ 老川 2014, p. 27.
  19. ↑ 作間 2002, p. 4.
  20. ↑ 老川 2014, p. 30.
  21. ↑ 原田 1979, p. 15.
  22. ↑ 老川 慶喜「井上勝の鉄道構想」『明大商學論叢』第80巻、明治大學商學研究所、1998年、24頁、NAID 120001439502。
  23. ↑ 岡本憲之『全国鉱山鉄道』JTB、2001年、74頁。ISBN 9784533039812。
  24. ↑ 中島 陽二『大阪春秋』第75号、大阪春秋社、1994年、103頁。
  25. 1 2 3 作間 2002, p. 17.
  26. ↑ 作間 2002, p. 20.
  27. ↑ 小野田 滋「阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴」『土木史研究』第20巻、土木学会、2000年、269頁、doi:10.2208/journalhs1990.20.269。
  28. ↑ 小野田 滋ほか「近畿圏の鉄道トンネルにおける坑門の意匠設計とその特徴」『土木史研究』第13巻、土木学会、1993年、10頁。
  29. ↑ 作間 2002, pp. 30–31.
  30. ↑ 堤 2008, p. 56.
  31. ↑ 武知 1977, p. 135.
  32. ↑ 吉野 達夫「我国鉄道建設・運営における国家補助の変遷経緯とその初期における経営の一端」『土木史研究』第19巻、土木学会、1999年、432頁、NAID 130004038540。
  33. ↑ 寺田 2005, p. 54.
  34. ↑ 小西 伸彦「中国地方の鉄路の歴史」『日本の科学者』第60巻第7号、日本科学者会議、2025年、11頁。
  35. ↑ 老川 2014, p. 125.
  36. ↑ 「我國鐵道の速度」『地学雑誌』第13巻第2号、東京地学協会、1901年、121頁。
  37. 1 2 3 4 青木 1981, p. 113.
  38. ↑ 三木 2000, p. 31.
  39. ↑ 小西 2025, p. 11.
  40. ↑ 卯田 卓矢「比叡山への鋼索鉄道建設における延暦寺の動向」『交通史研究』第84巻、交通史学会、2014年、40頁。
  41. 1 2 三木 2003, p. 30.
  42. ↑ 鈴木 勇一郎「近代大都市の郊外行楽地と私鉄」『交通史研究』第61巻、交通史学会、2006年、71頁。
  43. ↑ 青木 1985, p. 13.
  44. ↑ 高橋 2010, p. 469.
  45. ↑ 寺田 2005, pp. 58–59.
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  47. ↑ 青木 1985, p. 15.
  48. ↑ 三木 2003, p. 22.
  49. ↑ 寺田 2005, p. 56.
  50. ↑ 鈴木 2023, p. 42.
  51. ↑ 老川 慶喜「鉄道国有化の歴史的過程について」『立教經濟學研究』第58巻第4号、立教大學商學研究室、2005年、305頁。
  52. ↑ 天野 光三、前田 泰敬、二十軒 起夫「東大阪地域における鉄道網の発展過程について」『日本土木史研究発表会論文集』第4巻、土木学会、1984年、115頁。
  53. ↑ 恩田 睦「渋沢栄一の鉄道観と鉄道国有化政策」『明大商學論叢』第106巻第4号、明治大学商学研究所、2024年、1頁。
  54. ↑ 鈴木 2023, p. 49.
  55. ↑ 老川 2014, p. 205、208.
  56. ↑ 辻井 2020, p. 87.
  57. ↑ 老川 慶喜「井上勝の鉄道構想」『明大商學論叢』第80巻第1-2号、明治大學商學研究所、1998年、24頁。
  58. ↑ 岡本 2001, p. 74.
  59. ↑ 老川 2014, p. 45.
  60. ↑ 西城 2020, p. 234.
  61. ↑ 林田 2016, p. 25.
  62. ↑ 作間 2002, p. 7.
  63. 1 2 中島 1994, p. 103.
  64. ↑ 作間 2002, p. 41.
  65. ↑ 吉川 1950, p. 47.
  66. ↑ 吉川 1950, p. 57.
  67. ↑ 辻 2022, p. 32.
  68. ↑ 作間 2002, p. 14.
  69. ↑ 小野田ほか 1990, p. 212.
  70. ↑ 西城 2020, p. 235.
  71. 1 2 西城 2020, p. 238.
  72. ↑ 中島 1994, pp. 103‐104.
  73. ↑ 堤 2008, p. 54.
  74. 1 2 3 作間 2002, p. 26.
  75. ↑ 作間 2002, p. 27.
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  • 貝澤 武史「昭和初期における大都市圏郊外電気鉄道の遊覧地開発 : 阪和電気鉄道を事例として」『日本物理学会誌』第011巻、九州大学大学院人文科学研究院地理学講座、2007年。 
  • 亀井 一男「京都−大阪−神戸 電車の競争はなやかなりし頃」『鉄道ファン』第114号、交友社、1970年。 
  • 亀井 一男「神戸中心の併用軌道覚え書」『鉄道ピクトリアル』第327号、電気車研究会、1976年。 
  • 河原 吉秀「自然災害と鉄道」『IATSS Review(国際交通安全学会誌)』第45巻第2号、国際交通安全学会、2020年、NAID 130007934329。 
  • 京阪電気鉄道(株)経営統括室広報宣伝担当「総説:京阪電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』第822号、電気車研究会、2009年。 
  • 栗原 景『国鉄時代の貨物列車を知ろう知ろう』実業之日本社、2023年。ISBN 9784408650180。 
  • 小牟田 哲彦『日本鉄道廃線史』中央公論社、2024年。ISBN 9784121028105。 
  • 西城 浩志「大判印画の詳細読解による鉄道開業時の史実解明」『日本写真学会誌』第83巻第3号、日本写真学会、2020年、doi:10.11454/photogrst.83.234。 
  • 作間 芳郎『関西の鉄道史: 蒸気車から電車まで』成山堂書店、2002年。ISBN 9784425960118。 
  • 佐藤 信之『地下鉄の歴史』グランプリ出版、2004年。ISBN 9784876872602。 
  • 『鉄道ピクトリアル』第727号、電気車研究会、2003年。 
  • 鈴木 勇一郎「戦前期大阪における都市形成と高速鉄道問題」『交通史研究』第45巻、交通史学会、2000年、NAID 110009985652。 
  • 鈴木 勇一郎『国鉄史』講談社、2023年。ISBN 9784065341964。 
  • 髙橋 愛典「近畿圏鉄道市場における競争の特質」『生駒経済論叢』第7巻第1号、近畿大学経済学会、2010年、NAID 120005737006。 
  • 高山 禮蔵「線路改良のうつりかわり」『鉄道ピクトリアル』第427号、電気車研究会、1984年。 
  • 高山 禮蔵「京阪大津線の80年」『鉄道ピクトリアル』第553巻、電気車研究会、1991年。 
  • 高山 禮蔵「近鉄各線 路線変更の記録」『鉄道ピクトリアル』第727号、電気車研究会、2003年。 
  • 高山 禮蔵『大阪・京都・神戸私鉄駅物語』JTBパブリッシング、2005年。ISBN 9784533060991。 
  • 武知 京三「第二次鉄道熱期についての一考察 ― 西成・河陽両鉄道会社を中心に ―」『近畿大学短大論集』第8巻第2号、近畿大学短期大学部、1976年、1391/00015241/。 
  • 武知 京三「南海鉄道創設過程の一駒」『近畿大学短大論集』第9巻第2号、近畿大学短期大学部、1977年。 
  • 武知 京三「紀勢線の敷設問題とその周辺」『近畿大学短大論集』第13巻第2号、近畿大学短期大学部、1981a年。 
  • 武知 京三「局地鉄道の成立と展開」『近畿大学短大論集』第1巻第14号、近畿大学短期大学部、1981b年、NAID 110000172788。 
  • 武知 京三「日本鉄道史に関する一覚書 -- 鉄道国有化前後の動向 --」『近畿大学短大論集』第14巻第2号、近畿大学短期大学部、1982年、NAID 120006897792、1391/00015172/。 
  • 武知 京三「新生「南海電鉄」の諸動向」『大阪商業大学商業史博物館紀要』第17号、大阪商業大学商業史博物館、2016年。 
  • 立花 久幸「総説 阪神電気鉄道」『鉄道ピクトリアル』第303号、電気車研究会、1975年。 
  • 種村 直樹「使命を終える吹田操車場」『鉄道ジャーナル』第199号、鉄道ジャーナル社、1983年。 
  • 田淵 仁『近鉄特急 上』JTB、2004年。ISBN 9784533051715。 
  • 田淵 仁『近鉄特急 下』JTB、2004年。ISBN 9784533054167。 
  • 辻井 清吾「私鉄路線の変遷と社寺霊場との関連」『佛教経済研究』第49号、駒澤大学仏教経済研究所、2020年、NAID 120006885868。 
  • 堤 一郎「明治期の官設鉄道工場における木製客車の製造と日本人技術者の養成」『日本機械学会論文集C編』第74巻第746号、日本機械学会、2008年、doi:10.1299/kikaic.74.2387、NAID 130004236822。 
  • 寺岡 晋「山陽電気鉄道総説」『鉄道ピクトリアル』第327号、電気車研究会、1976年。 
  • 寺田 成「日本の鉄道国有化と大手民営鉄道の創業時における経営戦略」『大阪府立大學經濟研究』第51巻第2号、大阪府立大学経済学部、2005年、NAID 110004867381。 
  • 寺本 光照「京阪 列車・運転の移り変り」『鉄道ピクトリアル』第553号、電気車研究会、1991年。 
  • 寺本 光照; 福原 俊一『関西新快速物語』JTB、2011年。ISBN 9784533083686。 
  • 寺本 光照『国鉄・JR 関西圏 近郊電車発達史』ジェイティビィパブリッシング、2014年。ISBN 9784533097942。 
  • 戸田 清子「阪神間モダニズムの形成と地域文化の創造」『奈良県立大学研究季報』第19巻第4号、奈良県立大学、2009年。 
  • 中川 浩一「京阪神急行電鉄の系譜」『鉄道ピクトリアル』第235号、電気車研究会、1970年。 
  • 中川 浩一「山陽電気鉄道・神戸電気鉄道の系譜」『鉄道ピクトリアル』第327号、電気車研究会、1976年。 
  • 中川 浩一「近鉄鋼索線の史的考察」『鉄道ピクトリアル』第398号、電気車研究会、1981年。 
  • 長船 友則『山陽鉄道物語』JTBパブリッシング、2008年。ISBN 9784533070280。 
  • 西田 正史「神戸電気鉄道総説」『鉄道ピクトリアル』第327号、電気車研究会、1976年。 
  • 西村 豪「JR尼崎駅の150年」『地域史研究』第2025巻第124号、尼崎市立歴史博物館、2025年。 
  • 能勢電鉄(株)総務部総務人事課「能勢電鉄の現況」『鉄道ピクトリアル』第837号、電気車研究会、2010年。 
  • 林田 治男「英国人鉄道技師の叙勲」『大阪産業大学経済論集』第17巻第1号、大阪産業大学、2016年。 
  • 原 武史「「私鉄王国」大阪の近代」『日本都市社会学会年報』第1998巻第16号、日本都市社会学会、1998年、doi:10.5637/jpasurban1983.1998.57。 
  • 原口 隆行『日本の路面電車 III』JTB、2000年。ISBN 9784533034862。 
  • 原口 隆行『時刻表でたどる特急・急行史』JTB、2001年。ISBN 9784533038693。 
  • 原田 勝正「日本の近代化と国有鉄道の役割」『交通史研究』第19巻第1号、交通史学会、1988年、10頁。 
  • 阪堺電気軌道株式会社「阪堺電気軌道の現況」『鉄道ピクトリアル』第457号、電気車研究会、1985年。 
  • 阪急電鉄(株)都市交通事業本部都市交通計画部「総説 : 阪急電鉄」『鉄道ピクトリアル』第837号、電気車研究会、2010年。 
  • 廣田 誠「昭和戦前期の京阪神地域における省線の都市圏輸送への参入と私鉄各社の対応」『大阪大学経済学』第70巻第1号、大阪大学経済学会・大阪大学大学院経済学研究科、2020年、hdl:11094/76187。 
  • 藤井 信夫「近鉄創世記物語」『鉄道ピクトリアル』第398号、電気車研究会、1981年。 
  • 藤井 信夫「輸送・運転よりみた阪神」『鉄道ピクトリアル』第452号、電気車研究会、1985年。 
  • 藤井 信夫「運輸・運転面から南海の魅力を探る」『鉄道ピクトリアル』第457号、電気車研究会、1985年。 
  • 前田 裕子「関西鉄道の草津-四日市間幹線建設を巡る考察」『国民経済雑誌』第207巻第4号、神戸大学経済経営学会、2013年、NAID 110009575362。 
  • 松本 和明「戦前期鉄道企業家の観光・娯楽戦略 : 小林一三を中心に」『交通史研』第62巻、交通史学会、2007年、doi:10.20712/kotsushi.62.0_39。 
  • 丸山 健夫「阪神電鉄武庫川線甲子園口駅などの歴史情報」『武庫川女子大学情報教育研究センター紀要』第7巻、武庫川女子大学情報教育研究センター、2020年、doi:10.14993/00001917。 
  • 三木 理史「明治期大阪市の都市交通とその領域性」『社会経済史学』第66巻第3号、社会経済史学会、2000年、NAID 110001216151。 
  • 三木 理史「「都市鉄道」の成立」『技術と文明』第14巻第1号、日本産業技術史学会、2003年、doi:10.57381/jshit.14.1_19、NAID 10012512481。 
  • 三木 理史「近畿日本鉄道の形成」『鉄道ピクトリアル』第727号、電気車研究会、2003b年。 
  • 三木 理史「古都と電車」『総合研究所所報』第12巻、2004年。 
  • 三木 理史「第二次世界大戦末期の民鉄休廃止と資材転用」『奈良大地理』第28号、2022年。 
  • 森田 耕平「両大戦間期の貨物輸送における自動車の進出と国有鉄道の対応」『地理学評論 Series A』第91巻第6号、社団法人日本地理学会、2018年。 
  • 吉川 貫二「我国私鉄の萌芽と関西鉄道会社」『同志社商学』第2巻第1号、同志社大学商学会、1950年、doi:10.14988/pa.2017.0000005403。 
  • 吉川 寛「山陽電気鉄道スピード小史」『鉄道ピクトリアル』第327号、電気車研究会、1976年。 
  • 吉川 文夫『日本のトロリーバス』電気車研究会、1994年。ISBN 9784885480669。 
  • 笠 京子「戦後日本の交通政策における構造・制度・過程」『香川法学』第12巻第2号、香川大学法学会、2012年。 
  • 林 采成「日本国鉄の戦時動員と陸運転移の展開」『経営史学』第46巻第1号、経営史学会、2011年、NAID 40018906658。 
  • 渡 哲郎「1930年代の大阪鉄道II」『阪南論集 人文・自然科学編』第36巻第3号、阪南大学、2001年。 

関連項目