奥神賀山

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奥神賀山
標高 1,443 m
所在地 高知県 香美市・長岡郡 大豊町
位置 北緯33度46分23秒 東経133度50分23秒 / 北緯33.77306度 東経133.83972度 / 33.77306; 133.83972
山系 四国山地
奥神賀山の位置(高知県内)
奥神賀山
奥神賀山
奥神賀山の位置(日本内)
奥神賀山
奥神賀山
プロジェクト 山
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奥神賀山(おくじんがやま)は、四国山地のうち、その東側を占める剣山地の南西部に位置する、標高 1443 mの山である[1] [2] [3] [4]。

行政区画的には、この山の南側が高知県 香美市(旧;物部村)に、北側が高知県 長岡郡 大豊町に属する[1] [3] 。

なおこの山は、地理院地図[1] にも山名が記載されていないほど、元々は無名な山であったが、四国百名山の一つに選定されている [3] 。

この記事では、「奥神賀山」に加え、近くにあり、「奥神賀山」とも関連が深い、「神賀山」(じんがやま、標高 1071 m)、「高板山」(こうのいたやま、1427 m)についても説明する。

奥神賀山の概要

奥神賀山は、剣山地の中核部に位置する、天狗塚付近から南西方向へ長く伸びる尾根(以下「主稜線」と略す)にある山であり、天狗塚の山頂からは直線距離で約16 km に位置している。この「主稜線」に沿うように、その南東側には物部川が流れている [1] 。

元々、物部川流域に住む人々は、手前の「神賀山」を信仰の対象として祀って、その八合目付近に「神賀神社」(じんがじんじゃ)が作られている。この奥神賀山は、神賀山の更に奥にある山で、神賀神社の奥の院の位置付けであった、という [3] [4] 。

この奥神賀山の山頂部には、「奥の院」の痕跡と推定されている石づくりの社殿跡と鳥居が残っており、この場所は「奥神賀さま」(おくじんがさま)と呼ばれている [2] [3] 。

また山頂部の一角には、三等三角点が設置されている。三角点の公式名称は山名とは異なり「高山」、標高値は、1443.07m(作業年月;2024年12月)となっている [5] 。

山頂部は笹原となっており、剣山地の主峰である剣山を始め、三嶺、土佐矢筈山などが望め、展望は良い [2] [3] [4] 。[注釈 1]

神賀山の概要

神賀山(じんがやま、標高 1071 m )は、奥神賀山が位置する「主稜線」から南側に分岐した枝尾根上に位置する山である。奥神賀山の山頂部から直線距離で4.2 kmの場所に位置する。この山は奥神賀山とは異なり、地理院地図に名前が記載されている [1] 。

この山の八合目付近(標高 約960 m)には、神賀神社(じんがじんじゃ)があり、古くから信仰の対象となっていたことがうかがえる [3] 。[注釈 2]

山頂には、三等三角点がある。三角点の公式名称は「神ヶ山」、標高値は、1071.18m(作業年月;2024年12月)となっている [5] 。

この山の南側山麓部にある「猪野ノ」(いのの)地区は、鎌倉時代に関東地方から移り住んできた、猪野氏(いのし)という豪族が開拓した場所といわれ、戦国時代には「猪野ノ城」(いののじょう)という拠点を構えていたという、古い歴史をもつ場所である [6] 。

またこの「猪野々」地区は、大正期から昭和中期にかけて活躍した歌人 吉井勇が、3年間ほど隠遁生活を送っていた場所でもある。「渓鬼荘」(けいきそう)という名のその草庵は現存しており、また香美市によりその家に隣接した場所に、吉井勇記念館が作られている [7] 。

高板山の概要

高板山(こうのいたやま、標高 1427 m)は、奥神賀山が位置する「主稜線」から南側へと分岐した枝尾根上に位置する山である[1] [2] [注釈 3] 。奥神賀山の山頂部から直線距離で約2.5 km の距離にある。この山も奥神賀山とは異なり、地理院地図に名前が記載されている [1] 。

この山の山頂部には、三等三角点が設置されている。三角点の公式名称は、山名とは異なり「四國石」、標高値は、1427.27m(作業年月;2024年12月)となっている [5] 。

この山は、古くは大日如来が鎮座する山として崇められてきた山だという [8] 。

この山は、ある程度の自然林が残っており、ツツジ類やシロヤシオなどがあり、一部には樹齢300年以上と推定されている古木もある [2] [9] 。

また地形的には、山頂部は岩稜状となっていて険しい。三角点のある山頂は灌木が茂っていて展望は良くないが、山頂部の一角にある、「四国大目岩」(しこくおおめいわ)という岩峰は、険しい岩峰であるが、この岩峰の上からは展望は良い、という [2] [8] 。

平家の落人伝承

香美市の中心部である物部川沿いもそうであるが、この高板山付近も、いわゆる平家の落人伝承がある山である。「高板山」は「こうのいたやま」と読むが、それは、『「皇(こう)の居た山」、つまり、「皇族が居た山」という意味がその由来』、とする民間伝承がある [2] 。

また、この山中には、『いわゆる源平合戦に敗れた平家の落人たちが、安徳天皇と共に落ち延び、ここに隠れ住んでいた』という伝承がある。また『山中の一角、「赤牛」(あかぎゅう)という場所には、かつて安徳天皇の仮御所があり、安徳天皇はこの地で10才にして没した』、という伝承もある。その地には「安徳天皇高板山稜」の碑が建てられている [10] [11] [12] 。

また、高板山山頂の西隣りにある、二ツ森 [注釈 4] と呼ばれるピークには、安徳天皇が身に付けていたお守りを奉納した祠がある、という [2] [8] 。

登山ルート

  1. 「奥神賀山」の登山ルート
    この山は以前は無名の山で、登山対象の山でもなかったので登山ルートははっきりしてなかった。しかし南の香美市側、北の大豊町側の双方から林道が作られ、アクセスが多少は良くなったことと、四国百名山の一つに選定されたこともあり、2000年ころ以降は、登山者が増えてきた、という。南の香美市側からは、「梶佐古(かじこさ)林道」という林道が中腹まで延びており、車が通行可能であれば、その林道を使って途中まで車で行ってから登るルートがある[2][注釈 5]。
  2. 「神賀山」の登山ルート
    香美市側(物部川沿い)から登っていき、八合目付近の神賀神社を経由して、神賀山の山頂へ至るルートがある[3]。
  3. 「高板山」の登山ルート
    香美市側の「梶佐古(かじこさ)林道」という林道が通行可能であれば、途中まで車で進み、途中から林道を歩いたのち、岩稜状の険しい道を進んで、高板山の山頂へ至るルートがある[2][9]。

地質

まず四国の地帯(地体)構造のうち、中部から南部の地質構造を大まかにみると、中部にはジュラ紀の付加体などからなる「広義の秩父帯」[注釈 6] が東西走向に分布しており、その南側に白亜紀から古第三紀にかけての付加体を主体とする四万十帯が東西走向に分布している、という構成となっている [13] 。

この項で説明している「奥神賀山」、「神賀山」、「高板山」一帯の地質構成を地質図で確認すると、大きく3つの地質グループが分布していることが解る [14] 。以下、それぞれの地質グループについて説明する。

1) 変成岩類

奥神賀山の山頂部やその北側斜面、および高板山の山頂部を含む南側は、高圧型変成岩からなっている。具体的な地質体としては、変成玄武岩、泥質千枚岩が多く、それ以外に変成チャートも小岩体として分布している [14] [15] 。

これらの岩石の変成年代は、白亜紀のうちアルビアン期から、古第三紀の暁新世の間と推定されており [14]、四国の中部から北部にかけて分布している高圧型変成岩帯である、三波川帯の変成岩類と、変成作用を受けた時代はほぼ一致している。

上記の変成岩類のうち、奥神賀山の山頂部やその北側に分布している変成玄武岩類は、「御荷鉾緑色岩類」(みかぶ りょくしょくがんるい) [注釈 7] と呼ばれる地質体で、海洋プレート起源の玄武岩(一部はハンレイ岩)が、海洋プレート沈み込み帯において地中へと沈み込んで、弱い高圧型変成岩作用、及び一部は熱水変質作用を受けた地質体、と解釈されている [16] 。この地域では、その幅は約 2~4 kmと狭いが、北東 ー 南西走向に細長く分布している [14] 。

この「御荷鉾緑色岩類」を、どの地帯に位置付けるかについては古くから議論があり、見解は一致していない [16] 。 「御荷鉾帯」(みかぶたい)という独立した地帯を設定する考え方は古くからあるが、近年では、「御荷鉾帯」という地帯は設定せず、高圧型変成岩帯である、三波川帯(三波川変成コンプレックス)の一部と位置付け、三波川帯の一部としての「御荷鉾ユニット」とする考え方や [15] [17] 、逆に「狭義の秩父帯」としてのジュラ紀の付加体が三波川変成作用の影響を受けたものと考え、ここでいう「広義の秩父帯」[注釈 6] の一部と位置付ける考え方もある [18] 。

変成岩類のうち、小規模な変成チャート岩体を含んだ泥質千枚岩は、上記の「御荷鉾緑色岩類」の南東側に分布しており、その幅はこの地域で約1~2 kmと狭いが、「御荷鉾緑色岩類」分布域の南東側に沿うように、北東 ー 南西走向に細長く伸びている [14] 。高板山の山頂部はこの泥質千枚岩分布域にあたる。これらの原岩はジュラ紀の付加体であり、「御荷鉾緑色岩類」と同様に、三波川変成作用の影響を受けて弱く変成しているもの、と考えられている [18] 。 「20万分の1地質図幅;高知」[15] 、およびその解説書 [17] では、この泥質千枚岩を、「北部秩父帯付加コンプレックス」に属するものとし、ユニットレベルでは「柏木(かしわぎ)ユニット」に帰属するとしている。またその付加年代は、ジュラ紀後期から白亜紀最前期と推定している。なおこのユニットの受けた変成作用の年代は、前記の「御荷鉾緑色岩類」と同じく、主に白亜紀後期と推定されている。

2) ジュラ紀の付加体

前記の変成岩類分布域の南東側には、非変成のジュラ紀の付加体が分布している。両者の間には明確な地質境界がある。その幅はこの地域で約2kmと狭いが、前記の変成岩類と調和的に、北東 ー 南西走向に細長く分布している [14] [15] 。

この項での山としては、神賀山の山頂部やその南面の中腹あたりが、この分布域に含まれる。また西隣の御在所山も、この分布域に含まれる [14] 。

具体的な地質体としては、メランジュ相の付加体のほか、玄武岩、チャート、砂岩などの付加体(いずれも非変成の付加体)が分布している [14] [15] 。

この地質グループは、ジュラ紀の付加体としての、「秩父帯の付加コンプレックス」のうち「秩父北帯」、「北部秩父帯」、「秩父帯北帯」などと呼ばれるサブグループに位置付けられている [18] 。

「20万分の1地質図幅;高知」[15]、およびその解説書 [17] では、これらのジュラ紀の付加体群を、「北部秩父帯付加コンプレックス」に属するものとし、ユニットレベルでは、「遊子川・住居附(ゆすがわ すまいずく)ユニット」という名称が付けられている。このユニットの付加年代は、前述の「柏木ユニット」よりは古く、ジュラ紀前期~中期と推定されている [17] [18] 。[注釈 8]

3)白亜紀の非付加体型堆積物

前記のジュラ紀の付加体が分布している領域より南東側、この項の山々の南側山麓部から物部川沿いの地域は、白亜紀の非付加体型堆積物 [注釈 9] の分布域となっている [14] [15] 。

 これらはまとめて、「物部川層群」(ものべがわそうぐん)と呼ばれており [19] 、具体的な地質体としては、白亜紀前期に堆積した、礫岩と泥岩が主で、その他には砂岩や砂泥互層も分布している [14] [15] [19] 。

この「物部川層群」は、それ以前に形成された地質体の上をカバーするように構造的上位にあるもので、地質学において「被覆層」(cover layer)などと呼ばれるタイプの地質体である。またここでいう「広義の秩父帯」の構成メンバーの一つと位置付けられている。 物部川沿いの、この白亜紀の堆積物層の一部からは、二枚貝、アンモナイト類の化石や、各種の植物化石が確認されている [19] 。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ↑ この山も含め、剣山地では2000年ころ以降、シカによる食害がひどく、笹ですら食べ尽くされて、荒れた状態になっている山が多い
  2. ↑ 神賀神社がなにを祀った神社なのかや創建の由来などは、香美市のホームページや登山ガイドブックなどにも書かれておらず、はっきりしない。インターネット上にアップされている登山記録などによると、この神社は山の神を祀る「大山祇神社」であるという
  3. ↑ 高板山の位置する枝尾根は、神賀山の位置する枝尾根とは別の尾根である
  4. ↑ 登山ガイドブックの地図には、「一の杜(もり)」「二の杜」、「三の杜」という地点名が表記されており、こちらが本来の名前(表記)の可能性がある
  5. ↑ ウィキペディアは、登山ガイドではないことに留意。この項で記載した林道は非常に荒れており、普通自動車では通行困難の場合がある。またしばしば、土砂崩れなどで通行止めになっていることがある
  6. 1 2 ここでいう「広義の秩父帯」とは、結晶片岩類など主に白亜紀後期に変成作用を受けた高圧型変成岩からなる三波川帯と、白亜紀から古第三紀にかけての付加体からなる四万十帯との間にある、各種地質体をまとめた「地理的地帯」(分布域)を意味する用語として使用する。具体的な地質体としては、「狭義の秩父帯」(地体)としてのジュラ紀の付加体のほか、ペルム紀の付加体、「黒瀬川(構造)帯」と呼ばれる古生代の各種地質体群、トリアス紀~ジュラ紀の高圧型変成岩類、白亜紀の堆積物層などを含む。この用語は、この項での説明の為のものであり、オーソライズされているものではない。「秩父帯」という地帯の定義が、研究が進むにつれ逆に不明確になっているため、このような表現とした
  7. ↑ 「御荷鉾」とは、関東山地にある御荷鉾山(みかぼやま)がその名の由来であるが、日本の地質学の分野では、慣習的に(みかぶ)と呼ぶ
  8. ↑ 日本の地質学界では、「地帯」あるいは「コンプレックス」の下位区分名として、「層群」という呼び方が長年使われていたが、近年では「ユニット」という呼び方もよく使われている。ただし、「ユニット」の名称は、研究者、文献によって異なることがある。ここでの「ユニット」名称は、参照した出典に基づいた
  9. ↑ ここでいう「非付加体型」とは、地層構成がはっきりしており、構造的下位のものが堆積した時代的に古く、構造的上位のものが堆積した時代的に新しい、という堆積層群を、便宜上「非付加体型」と呼ぶ。一般的には「正常堆積型」などと呼ぶことも多い

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 7 “地理院地図(電子国土WEB)”. 国土地理院. 2026年5月28日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 高知県勤労者山岳連盟(著)「「高板山、奥神賀山」の項」『分県登山ガイド (38) 高知県の山』(2019年版)山と渓谷社、2019年3月1日、54-55頁。ISBN 978-4-635-02068-8。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 石川 道夫、清家 一明、谷山 省一郎、井本 淳作、ほか3名(共著)『四国百名山』山と渓谷社、2000年9月10日、88頁。ISBN 4-635-53028-0。
  4. 1 2 3 “「奥神賀山」の項”. 山渓オンライン. 山と渓谷社 (2025年4月). 2026年5月28日閲覧。
  5. 1 2 3 “基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2026年5月28日閲覧。
  6. ↑ (香美史談会)著 (2009年11月). “コラム「香美市探訪記 (第7回)猪野々井と城跡」”. 香美市役所ホームページ(のうち「広報かみ」アーカイブの項). 香美市役所. 2026年5月28日閲覧。
  7. ↑ “「吉井勇記念館」の項”. 香美市役所ホームページ. 香美市役所 (2026年5月26日). 2026年5月28日閲覧。
  8. 1 2 3 “「高板山」の項”. 山と渓谷オンライン. 山と渓谷社 (2025年4月8日). 2026年5月28日閲覧。
  9. 1 2 “「物部町の登山情報」のうち「高板山」の項”. 香美市役所ホームページ. 香美市役所 (2017年9月28日). 2026年5月28日閲覧。
  10. ↑ “コラム「安徳天皇潜幸伝説」”. 香美市役所ホームページのうち、「広報かみ」アーカイブの項. 香美市役所 (2012年10月). 2026年5月28日閲覧。
  11. ↑ “コラム「新・香美史探訪記」(第3回)「平家伝説にまつわる苗字」”. 香美市役所ホームページのうち、「広報かみ」アーカイブ. 香美市役所. 2026年5月28日閲覧。
  12. ↑ “「平家伝説」の項”. 香美市観光協会ホームページ. 香美市観光協会. 2026年5月28日閲覧。
  13. ↑ 日本地質学会 編「1-4章 四国の各地帯の概要」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、8-11頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  14. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 “産総研「20万分の1日本シームレス地質図V2」”. 産業技術総合研究所 地質調査総合センター (2026年5月10日). 2026年5月28日閲覧。
  15. 1 2 3 4 5 6 7 8 “20万分の1地質図幅 「高知」”. 20万分の1地質図幅シリーズ (産業技術総合研究所 地質調査総合センター) ((管理番号)NI-53-28). (2018年).
  16. 1 2 日本地質学会 編「第4章 (四国の)「御荷鉾緑色岩類」」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、89-102頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  17. 1 2 3 4 原 英俊; 青矢 睦月; 野田 篤; 田辺 晋; 山崎 徹; 大野 哲二; 駒澤 正夫(共著) (2018年). “20万分の1地質図幅「高知」(第2版) 解説書”. 20万分の1地質図幅シリーズ (産業技術総合研究所 地質調査総合センター) ((管理番号)NI-53-28).
  18. 1 2 3 4 日本地質学会 編「5-1章 (四国の)秩父帯の付加コンプレックス・陸棚層」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、103-107,123-125頁。ISBN 978-4-254-16787-0。
  19. 1 2 3 日本地質学会 編「5-3章 (四国の)秩父類帯のジュラ紀-白亜紀初期 前弧海盆堆積層と、白亜紀デルタ-浅海層」『日本地方地質誌 第7巻 四国地方』朝倉書店、2016年、165-186頁。ISBN 978-4-254-16787-0。

関連項目